澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

むのたけじ逝くー「おれなんか70より80と、ますます頭良くなってきた」

昨日(8月21日)、むのたけじが亡くなった。享年101。
戦争に加担した自分の責任を厳しく問い、再びの戦争の惨禍を招くことのないよう社会に発信を続けた、憲法の理念を体現するごとき人生。その良心の灯がひとつ消えた。この人の姿に励まされ希望を感じてきた多くの人々に惜しまれつつ。

東京外国語学校スペイン語科を卒業し、報知新聞記者を経て1940年朝日新聞社に入社、中国、東南アジア特派員となった。若い従軍記者として、つぶさに戦争の実相を見つめたのだ。そして、1945年8月15日敗戦の日に、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」として朝日を退社したという。戦後は、故郷の秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊、一貫して反戦の立場から言論活動を続けた。

今年(2016年)5月3日、東京有明防災公園での「憲法集会」に車椅子で参加している。そのときの元気なスピーチが、名演説として記憶に新しい。これが公の場での最後の姿となったという。朝日による当日の演説要旨は以下の通り。これがむのたけじの遺言となった。

「私はジャーナリストとして、戦争を国内でも海外でも経験した。相手を殺さなければ、こちらが死んでしまう。本能に導かれるように道徳観が崩れる。だから戦争があると、女性に乱暴したり物を盗んだり、証拠を消すために火を付けたりする。これが戦場で戦う兵士の姿だ。こういう戦争によって社会の正義が実現できるか。人間の幸福は実現できるか。戦争は決して許されない。それを私たち古い世代は許してしまった。新聞の仕事に携わって真実を国民に伝えて、道を正すべき人間が何百人いても何もできなかった。戦争を始めてしまったら止めようがない。

 ぶざまな戦争をやって残ったのが憲法九条。九条こそが人類に希望をもたらすと受け止めた。そして七十年間、国民の誰も戦死させず、他国民の誰も戦死させなかった。これが古い世代にできた精いっぱいのことだ。道は間違っていない。

 国連に加盟しているどこの国の憲法にも憲法九条と同じ条文はない。日本だけが故事のようにあの文章を掲げている。必ず実現する。この会場の光景をご覧なさい。若いエネルギーが燃え上がっている。至る所に女性たちが立ち上がっている。新しい歴史が大地から動き始めた。戦争を殺さなければ、現代の人類は死ぬ資格がない。この覚悟を持ってとことん頑張りましょう。」

しかし、憲法9条はけっして安泰ではない。その後の参院選で、両院とも改憲勢力が3分の2の議席を占める危険事態となった。101歳の叛骨のジャーナリストは、壊憲に突き進むアベ政治に、さぞかし心残りだったろう。

朝日の秋田版に掲載された、「むのたけじの伝言板」というシリーズのインタビュー記事がある。92歳から94歳の当時のもののようだ。その一部を抜粋して紹介したい。

─むのさんは「高齢者」「老後」という言葉は使いませんね。
 高齢なんてのは、官僚の年寄りだましのお世辞だよ。老人は老人、年寄りは年寄り。それだけでいい。老後とは何だ。老いはあるけど、老いた後とは何なんだ。よけい者だというのでしょ。高齢も老後も、老人を侮った言葉。「敬老」じゃなく「侮老」だ。

─敬老会に誘われませんか。
 10年位前に3回行ったけど、本当に小馬鹿にしているよ。安っぽい折り詰めに2合瓶1本つけて、幼稚園の子供のダンス見せて、選挙に出る連中が挨拶して、それでおしまいだもの。年々予算削られるから、ごっつおうもない。なんも面白くね。

─でも喜んでいる人もいるでしょ。
 いるでしょね。それはそれでいい。喜んでいない人もいるということを理解してもらわないと。しかも相当の人数いるんじゃないの。もっと心を込めた、年寄りが長く生きていて良かったと思う行事、何かあるんじゃない。

─年金はもらってますか?
 初めから拒否しているから、ないんです。61年に制度ができたとき、「集めた銭を軍備強化に使う恐れがあるから入らない」と。
 そういう立場だけど、「若者3人が高齢者1人を支えている」というような言い方はおかしいよ。本当の社会福祉、社会保障から見れば、我々を支えているのは、個人じゃなく国家なのだから、みんなでみんなを守るの。社会保障とはそういうもの。
今は、年取ったら介護保険だ、施設だ、と老いることが人間のゴミ捨て場みたいじゃないの。それは間違いだ。おれなんか70歳より80歳と、ますます頭良くなってきた。変なことに惑わされない。頼るのは、自分の常識だよ。

─戦後すぐに平和運動は起きたのですか。
 すぐは、食うのに懸命だった。憲法9条なんて当たり前だから放っておいた。それがよくなかった。この戦争は何だったのか。だれが何のために計画したのか。自衛権まで否定していいのか。そういう勉強をやらなければならなかったのだが、開放感が先に立った。
そして60年安保闘争。国会を70万人が取り囲んだ。政党や労働組合が「平和な世の中を」と叫び、古い政権を倒して新しい政権を作ろうとした。が、これが三文の値打もなかった。

─平和運動の始まりとおもっていましたが。
 平和だ、戦争反対だというけど、スローガンだけになった。本気になって命をかけてなかった。平和運動で何が残ったかというと、「良心にしたがって平和運動に参加した」という自己満足だけ。実の詰まった平和運動ではない。

─むのさんは「地域社会が喜びと希望を持って、どんどん働く力が出てくるような平和運動」を提唱しています。どういうものですか。
 戦争は、国の経済、金もうけとつながっている。みんなが、ほどほどのところで満足していけば、戦争はいらない、やらないに変わっていく。平和運動はこれまで、自分の体の外だけでの運動だったの。デモ行進とか抗議文とか。威勢よくみえるけど、戦争を計画している人には痛くもかゆくもない。スローガンではなくて、生活そのものを変えないと。
戦争反対ならば、自分自身も暮らしぶりを変える。夫婦喧嘩しながら平和を学びたくもないでしょ。隣近所と朝の挨拶もしないで平和国家もないものだ。夫婦の関係、親子の関係をどうするか。そういうことから始めればいい。
 非常にまだるっこいように見えるけど、戦争をたくらむ人たちに決して動かされないような、そういう生活態度につながれば、予算を一つも使わずにできるじゃないの、平和な世界というものが。

これも朝日に掲載された、むのの意見。高市総務相の停波発言への批判だが、むのが戦時の経験から、今を見つめて危機感を持って警告を発していることがよく分かる。

「太平洋戦争が1941年12月に始まりましたね。それからまもなく、私は従軍のために日本を発ち、翌年3月1日にジャワに上陸した。途中で立ち寄った台湾で、日本軍が作った「ジャワ軍政要綱」という一冊の本を見ました。日本がジャワをどのように統治するかというタイムスケジュールが細かく書かれていた。私がいたそれから半年間、ほぼその通りに事態は進んだ。

 その要綱の奥付に「昭和15年5月印刷」の文字があった。ジャワ上陸より2年近く、太平洋戦争開戦より約1年半も前だったんです。つまり、国民が知らないうちに戦争は準備されていたということです。

 もしもこの事実を開戦前に知って報道したら、国民は大騒ぎをして戦争はしなかったかも知れない。そうなれば何百万人も死なせる悲劇を止めることができた。その代わりに新聞社は潰され、報道関係者は全員、国家に対する反逆者として銃殺されたでしょう。

 国民を守った報道が国家からは大罪人とされる矛盾です。そこをどう捉えればいいのか。それが根本の問題でしょう。高市早苗総務相の「公平な放送」がされない場合は、電波を止めるという発言を聞いてそう思ったのです。公平とは何か。要綱を書くことは偏った報道になるのか。それをだれが決めるのか。

 報道は、国家のためにあるわけではなく、生きている人間のためにあるんです。つまり、国民の知る権利に応え、真実はこうだぞと伝えるわけだ。公平か否かを判断するのは、それを読んだり見たりした国民です。ひどい報道があったら抗議をすればよい。総務大臣が決めることじゃないんだ。そんなのは言論弾圧なんだ。

 報道機関は、自分たちの後ろに国民がいることをもう一度認識することです。戦時中はそのことを忘れておったな。いい新聞を作り、いい放送をすれば国民は応援してくれる。それを忘れて萎縮していた。

 戦争中、憲兵隊などが直接報道機関に来て、目に見えるような圧迫を加えたわけではないんです。報道機関自らが検閲部門を作り、ちょっとした軍部の動きをみて自己規制したんだ。今のニュースキャスター交代騒動を見ていて、私はそんなことを思い出した。報道機関側がここで屈しては国民への裏切りになります。

 「国境なき記者団」による報道の自由度ランキングが、安倍政権になってから世界61位まで下がった。誠に恥ずかしいことで、憂うべきことです。報道機関の踏ん張りどころです。」

心からご冥福をお祈りする。そして、私もその良心の灯を受け継ぐ一人でありたいと思う。
(2016年8月22日)

憲法の理念に真逆の首相をもつ、ねじれた日本の不幸。

下記は、一昨日(8月17日)の赤旗7面(文化欄)に載ったエッセイ。タイトルは、「君をハグしていい?」というもの。筆者西川悟平(1974年生)はニューヨーク在住で、「7本指のピアニスト」として知られている人だという。印象に深い内容にかかわらず、赤旗のデジタル版には掲載なく、ネットでの紹介記事も見あたらない。まずはその全文を紹介したい。

 2年前の1月の寒い日、二ューヨークのマンションで2人組の泥棒にあいました。夜10時ごろ、ノックの音に、ルームメートの友達だと思いドアを開けると、黒人とラテン系の男が入ってきて、注射器を突きつけられました。中には透明な液体が入っていて、なんだか分からないままホールドアップ。1人が僕に注射器を突きつけている間、もう1人がクレジットカードやパソコンなどを盗みだしました。

 初めはすごく怖かったのですが、だんだんと怒りに変わり、その後「何が彼らをこんな行動に駆り立てたんだろう?」と好奇心に変わりました。アメリカの大学で心理学を学んだことがあったんです。
 恐る恐る「しゃべっていいですか?」と聞くと「うるせえ! 黙れ!」。「ごめんなさい! ただ君たちがどんな幼少期を過ごしたのか…なんでこんなことをしなくちゃいけなくなったのか…そう思っただけです!」
 するとラテン系の男が一瞬動きを止めて、「お前にあのクソ痛みが分かるか…俺の親父は俺が子どもの時から俺に性的虐待をしてきた。母さんは、俺が物を盗ってきたら愛してると言ってくれたんだ」。僕は涙が出てきました。「つらかったね…。あるものはなんでも盗っていいから! 君をハグしていい?」。彼は「俺に近づくな! 今センシティブな(感じやすい)気分なんだ!」。注射器を持っていた男は「お前は日本人か? お前らは、人を深く尊敬する文化があるから、俺は好きだ」と言いだしました。
 「日本から届いた緑茶があるけど飲みますか?」と聞くと、2人とも「飲む」と言うのでお茶を沸かし、3人で話しました。ラテン系の男が翌週に誕生日だというので、ハッピーバースデーをピアノで演奏しました。時計は明け方4時を指していました。

 僕自身アメリカではひとりきりで、指に病気を抱えながらピアニストで頑張ってると伝えると、「お前ならきっと1年後には笑って過ごせる日がくるさ」と応援してくれました。僕は「あなたたちは、人間としての素晴らしい価値があるから、お店で働くなり、アルバイトをするなり、何か必ずできる仕事があるはずだ」と伝えました。
2人は、僕のマンションの壊れかけた暖房設備を修理し、盗んだものをすべて返してくれ、「次から相手を確認するまでドアを開けるなよ」とお説教。明るくなりはじめた頃、出て行きました。1人ずつハグをして「お前に会えて良かった」と言って。
僕は翌年そのマンションを引っ越しました。彼らが元気で幸せであることを願っています。

**************************************************************************
このエッセイに描かれたできごとは、憲法9条の理念を寓意している。
暴力に遭遇したとき、暴力での対抗が有効か、あるいは丸腰での対応が安全か。少なくともこのケースの場合、丸腰主義と友好的対応が成功している。

いつもそうとは限らないという反論は当然にあり得る。では、このピアニストが護身用の拳銃を所持していたとして、隙を見て犯人に発砲したとすれば…。強盗被害をはるかに超えた悲惨な結末となっていたに違いない。

暴力を振るう相手に対して、「君をハグしていい?」という対応のできる人格は稀有なものだろうが、暴力に暴力で対峙の危険を避けることは常識的な発想といえよう。この「暴力に暴力で対峙する危険を避ける常識的な発想」から半歩踏み出したところに、日本国憲法の平和主義の発想がある。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というのが日本国憲法の立場である。「決意した」というのだ。非武装平和主義のリスクを引き受けるということだ。非武装の平和も、武力による平和もともにリスクはある。武力による平和を求める方策は、際限のない武力拡大競争と極限化した戦争の惨禍をもたらすという大失敗に至った。しかも、次の本格戦争には核が使われることになる。だから、非武装の平和を決意したのだ。

「決意した」は、安閑としてはいられないという認識を表している。平和のために国民が団結して、知恵を出し合い、多大な努力を重ねなければならないということなのだ。

憲法前文は、非武装平和主義を採用する根拠として、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」としている。人間を、諸国民を、胸襟を開いて話し合えば理解しえる「ハグすべき相手」と見る思想である。

この対極にあるのが、「自国は正義」「隣国は悪」という国際観。「隣国は常に自国攻撃の邪悪な意図をもっている」「だから平和のためには可能な限りの軍備が必要」となる。もちろん核武装も厭わない。現実に核武装が困難であれば、核の傘に身を寄せる選択となる。

自国を攻撃する意図をもった邪悪な隣国と対峙している以上、自国の平和のためには可能な限りの強力な武力を。どんなときにも即応できる、いつでも使える武力を。先制してでも武力の行使を辞さない能力と戦意こそが平和の保障、と考える。

だからアベは、オバマの「核兵器先制不使用宣言」には反対なのだ。日本がよるべき「核の傘」(核抑止力)は、「先制しては使わない」などという切れ味の鈍いものであってはならない。常に、日本の隣国に睨みをきかして、恫喝し続けるものでなくてはならないのだ。

アベが、広島で述べた「核兵器なき世界に向け、新たな一歩を踏み出す年に…」なんて言うのは、真っ赤なウソ。アベは憲法9条が大キライ、核抑止力大好きなのだ。アベは、自宅にピストルが欲しい。できれば、機関銃も爆弾も欲しいのだ。強盗が押し入ってきたら、撃ち殺すぞ、爆殺するぞ。そう、脅かすことが安全と平和のために必要というのだ。

あらためて、強盗二人をハグしたピアニストに敬意を表する。あなたこそ、日本国憲法の理念の体現者だ。ひるがえって、アベの何たる愚かさ。

ああ、不幸な日本よ。憲法の理念に真逆の考えの首相をもつ、ねじれた国よ。
(2016年8月19日)

「戦争は絶対に駄目」「ダメなものはダメ」ーこれが9条の神髄ではないか。

昨日(8月15日)の政府主催「全国戦没者追悼式」の最高齢参列者は、フィリピンで夫を亡くした東京都の101歳、中野佳寿さん。この人の言葉が、各紙に紹介されている。「戦争は絶対に駄目」というもの。何と力強い言葉だろう。その通り、「戦争は絶対に駄目」「ダメなものはダメ」なのだ。

どんなに理屈をつけて戦争を合理化しようとも、101歳の「戦争は絶対に駄目」の強さには敵わない。聖戦、正義の戦争、自存自衛の戦争、東洋平和のための戦争も、「ダメなものはダメ」。防衛環境の変化も存立危機事態も「戦争は絶対に駄目」に抗いえない。

人殺しは駄目。絶対に駄目。ダメなものはダメ。人殺しがダメなことに理屈は要らないのと同じように、戦争は駄目。絶対に駄目、ダメなものはダメなのだ。

この言葉の強さは、戦没者の痛恨と遺族の戦後の労苦への共感から生まれている。戦没兵士だけではない。沖縄地上戦での死者とその遺族、各地の空襲死者とその遺族、広島・長崎での原爆死者と遺族、そして多くの生存被爆者・生存空襲被害者の痛苦・悲痛。国民はそれを知っているから、「戦争は絶対に駄目」に心底共感するのだ。

ところで、憲法は「戦争は絶対に駄目」という思いへの共感が結実したものだ。「戦争は絶対に駄目」と9条1項に書き付け、「絶対に駄目」な戦争を再び起こさないための保障として、戦争の手段をもたないと9条2項で宣言したのだ。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」はそういう意味なのだ。

「戦争は絶対に駄目」の思想は、自衛のための戦争なら許すという例外を認めない。第90帝国議会(制憲国会)で、共産党の野坂参三は、日本国憲法案第9条を指して、「我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それ故に我が党は、民族独立の為にこの憲法に反対」との論陣を張った。これに対する吉田茂(当時首相)の答弁を想い起こそう。

「野坂氏は国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくの如きことを認めることが有害であると思うのであります。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることが戦争を誘発する所以であると思うのであります。野坂氏のご意見の如きは有害無益の議論と私は考えます。」

また、吉田茂は戦争放棄に関する提案理由説明で次のようにも言っている。
これ(戦争放棄)は改正案に於ける大なる眼目をなすものであります。斯かる思ひ切つた条項は、凡そ従来の各国憲法中稀に類例を見るものでございます。斯くして日本国は永久の平和を念願して、その将来の安全と生存を挙げて平和を愛する世界諸国民の公正と信義に委ねんとするものであります。この高き理想を以て、平和愛好国の先頭に立ち、正義の大道を踏み進んで行かうと云ふ固き決意を此の国の根本法に明示せんとするものであります。

野坂の自衛戦争肯定論に対して、吉田は「自衛のための戦争も交戦権も放棄したものであると言明」したのだ。日本国憲法第9条を、「戦争は絶対に駄目」条項と理解した姿勢である。

ここがぶれると、自衛のための戦争なら許される、となる。自衛のための戦争に必要な武力なら違憲の戦力ではないから持つことを許される。自衛のためなら核武装も違憲とは言えない。自衛のためなら敵の基地を叩く必要も認められる。攻撃こそ最大の防御なのだから自衛のための先制攻撃もあり得る。自衛のためなら海外での戦争もしなければならない。自衛のためなら同盟国の戦争を買ってもよい。そして行く着くところは、昨日(8月15日)明らかになった「核兵器の先制不使用政策は抑止力を弱体化する」というアベ発言にまで行き着くのだ。

あらためて確認しよう。日本国憲法の平和主義とは、頑固でぶれない「戦争は絶対に駄目」「ダメなものはダメ」なのだ。その平和主義の実現はけっして安易なものではない。国民に安閑としていることを許さない。国民は、勇気と知恵とを総動員して、武力によらない平和を実現すべく努力を求められているのだ。
(2016年8月16日)

8月15日は、「平和の日」。

8月15日である。この日を何と命名すればよいのだろう。連合国側や被侵略国側にとっては大いに意気上がる国民的な祝祭の日である。この日(あるいは降伏文書調印の9月2日)を「戦勝記念日」とし、「解放記念日」、「光復節」などとするのは分かり易いく、必然的な命名。我が国は、この日の意義をどう捉えて、どう呼称すればよいだろうか。

「終戦の日」ではごまかしのニュアンスがありインパクトが弱い。「敗戦の日」も直接に理念を語っていない。やや悔しさが滲んで、「臥薪嘗胆次は戦勝を」という底意も見え隠れしないか。

やはり、まずは「平和の日」であろう。戦争の時代に別れを告げた日。国民が平和な日常を取り戻した日。平和の尊さを確認し、戦争という愚行は繰り返さないと誓いを新たにすべき日。

バリエーションとしては、「恒久平和の日」「世界平和の日」「平和祈念の日」「不再戦誓いの日」「戦争放棄の日」「世界中の人びとと仲良くする日」「憲法9条の日」…。

次いで、「解放記念日」でもよいと思う。奴隷解放と同様に、日本国民が天皇に隷属する臣民の身分から解放された日という意味だ。「臣民解放記念の日」「国民主権確立記念の日」でもよい。悲惨な殺し合いにほかならない戦争の恐怖から解放された記念日にも通じる。

その法的根拠は、日本が受諾したポツダム宣言第10条後段「日本國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ。言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」(外務省訳)というところ。敗戦がもたらした平和であり、国民主権であり、基本的人権なのだ。

その「平和の日」の今日、恒例の政府主催「戦没者追悼式」が行われた。
天皇は、その式辞で「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」と述べた。

「過去を顧み、深い反省」の文言は、昨年からのことだという。聞く人の受け取り方次第の曖昧な表現だが、戦没者と遺族に対して、戦争の責任を感じていることのアピールと読めなくもない。言葉を補えば、「侵略戦争と植民地支配の過去の歴史を顧み、誤った国策で国の内外におびただしい犠牲者を出してしまったことに関する深い反省」ということだ。

これに比してアベの式辞には、反省のカケラもない。朝日の報道では、「歴代の首相が踏襲してきたアジア諸国への『加害』と、それに対する『深い反省』や『哀悼の意』については、第2次安倍政権の発足以来、式辞の中で触れていない。安倍首相は昨年に続いて『戦争の惨禍を決して繰り返さない』との表現で不戦の決意を示した。」と解説されている。

アベ式辞が言う「戦争の惨禍を決して繰り返さない。これからも、この決然たる誓いを貫き、歴史と謙虚に向き合い、世界の平和と繁栄に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世の中の実現に全力を尽くしてまいります。明日を生きる世代のために、希望に満ちた国の未来を切り開いてまいります。そのことが御霊に報いる途であると信じて疑いません。」は、かなり危うい。

実は、「戦争の惨禍に対する反省のしかた」には、二通りある。ひとつは、戦争をしたこと自体を反省し、いかなる戦争もしないという決意を固めること。これが日本国憲法の立場。もう一つは、「今度はけっして負けない。精強な軍隊をつくって、国民を守る」という、これがアベ流。

年来の危うい言行のアベである。政権に就いてからは、特定秘密保護法や戦争法を成立させ、よりにもよってイナダのごとき人物を防衛相に抜擢するアベの式辞であればこそ、次のように聞こえる。

「戦争の惨禍を決して繰り返さない。これからも、近隣諸国から侵略されることのないよう万全の国防に邁進し、万が一にも戦端が開いたときには絶対に敗戦の憂き目を見ることのなきよう、この決然たる誓いを貫き、我が国の誇り高き國体の歴史と謙虚に向き合い、自由世界の平和と繁栄に貢献し、日本国内の万人が固い国防によって心豊かに暮らせる世の中の実現に全力を尽くしてまいります。明日を生きる世代のために、希望と国防の自覚に満ちた国民による国の未来を切り開いてまいります。そのことが皇軍戦没者の御霊に報いる途であると信じて疑いません。」

過去を省み何を反省すべきかを見きわめることなくて、将来を語ることはできない。「戦争の惨禍を決して繰り返さない」だけでは、維新以来戦争を繰り返してきた我が国の歴史を省みてはいない。何を反省するのか、真摯に突きつめる姿勢がない。だから、平和憲法に風穴を開けて、再びの戦争を辞さないということになるのだ。

日本国憲法は、「平和憲法」である。憲法はまさしく戦争の惨禍から平和を希求して生まれた。国が無謀な戦争に突入したのは、国民自身が国の主人公ではなかったからだ。国民が戦争を防げなかったのは国民に知る権利も発言する権利も保障されていなかったからだ。国民が、唯々諾々と天皇が唱導する戦争に動員されたのは、天皇を神とする信仰が強制されたからだ。平和を望む国民性を育てられなかったのは、国家主義・軍国主義を刷り込む国家主導の教育の仕業だ。産業界にも農漁村にも、家庭にも、民主主義が育たなかったからだ。

憲法制定時の国民の関心は、何よりも平和にあった。そのため、恒久の平和を構築するための憲法が構想された。そして、憲法9条と、前文に平和的生存権を明記した日本国憲法が誕生したのだ。

憲法の論理的な構造においては、基本的人権が主柱で、その芯は「個人の尊厳」である。民主主義も平和主義も、言わば手段的理念であって、目的としての理念は人権なのだ。それはそのとおりなのだが、国民の最大関心事として平和を希求した憲法は、9条と前文だけではなく、すべての条項が再びの戦争を繰り返さないための平和実現の体系として構築されていると言ってよい。

そのような平和憲法を生み出す国民の決意形成の出発点となったのが、71年前の8月15日であった。だからやっぱり、今日は「平和の日」なのだ。
(2016年8月15日)

靖國神社とは、次の戦争を展望し「新たな英霊」を作る装置なのだ。

明日8月15日は敗戦の日。戦争国家・大日本帝国が滅亡して、平和国家・日本が新生した日。天皇の日本が死んで、国民の日本が生まれた日。どういうわけか、その日を選んでの靖國神社参拝者が多い。

靖國神社の案内にはこうある。
「明治5年に建てられた本殿には、246万6千余柱の神霊がお鎮まりになります。本殿内に掲げられた明治天皇の御製に触れると、靖国の杜に籠められた先人たちの想いが心の奥底にまで沁み透ってきます。」

おやおや。天皇の御製に触れないと「先人たちの想い」に触れることができない仕組みなのか。それにしても、「靖国の杜に籠められた先人たちの想い」の具体的内容を、神社はどのように考えているのだろうか。

靖國神社は改称前は東京招魂社と言った。戊辰戦争の官軍は、賊軍の死者の埋葬を禁じて、官軍の死者だけを祀った。これが招魂祭。友軍の死者の霊前に復讐を誓う血なまぐさい儀式であった。招魂祭では、西南諸藩の官軍を「皇御軍」(すめらみいくさ)と美称し、敵となった奥羽越列藩同盟軍を「荒振寇等」(あらぶるあたども)」と蔑称した。天皇への忠死者は未来永劫称えられる神であり、天皇への反逆軍の死者は未来永劫貶められる賊軍の死者としての烙印が押される。

招魂祭を行う場が招魂社となり、靖國神社となった。靖國神社とは、その出自において国家の宗教施設ではなく、天皇軍の宗教施設である。そして、怨親平等とは相容れない死者を徹底して差別する思想を今も持っている。

日本の文化的伝統とは無縁に、天皇制軍隊のイデオロギー装置として拵え上げられた創建神社・靖國。実は、戦死者を悼む宗教施設ではない。もちろん、平和を祈る場でもない。招魂祭の時代からの伝統を引き継いで、戦死者を顕彰するとともに、生者が霊前に復讐を誓う宗教的軍事施設なのだ。だから、戦死をもたらした戦争を批判したり反省する視点は皆無である。もちろん、戦争を唱導した天皇への批判や懐疑など考えもおよばない。

ときおり、その本質を確認してくれる人が現れる。かつては大勲位・中曽根康弘、そしてごく最近では、泣く泣く明日の靖國参拝をあきらめた防衛大臣・イナダ朋美である。この人は、極右的発言だけがウリの政治家。自ずと言うことがストレートで分かり易い。

このことを報じているのが、8月13日の「リテラ」。「参拝中止の裏で…稲田朋美防衛相が語っていた靖国神社の恐怖の目的!『9条改正後、国民が命捧げるために必要』」という記事。このところ、リテラ頗る快調である。面白い。読ませる。本日は、宮島みつや記者の長い記事の一部を抜粋させていただく。

  http://lite-ra.com/2016/08/post-2492.html

 稲田氏の“靖国史観”の危険性はそもそも、参拝するかどうか以前の問題だ。恐ろしいのは、稲田氏が靖国にこだわる理由が過去の戦没者の慰霊のためでないことだ。たとえば、彼女はかつて靖国神社の存在意義をこう説明していた。

 「九条改正が実現すれば、自衛戦争で亡くなる方が出てくる可能性があります。そうなったときに、国のために命を捧げた人を、国家として敬意と感謝を持って慰霊しなければ、いったい誰が命をかけてまで国を守るのかということですね」
 「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(赤池誠章衆院議員らとの座談会、「WiLL」06年9月号/ワック)
 「首相が靖国に参拝することの意味は『不戦の誓い』だけで終わってはなりません。『他国の侵略には屈しない』『祖国が危機に直面すれば、国難に殉じた人々の後に続く』という意思の表明であり、日本が本当の意味での『国家』であることの表明でなければならないのです」(渡部昇一、八木秀次との共著『日本を弑する人々』PHP研究所)

 つまり、稲田氏にとって、靖国は先の大戦の慰霊の施設ではなく、国民をこれから戦地へ送り込み、国に命をかけさせるためのイデオロギー装置なのだ。むしろ、稲田氏の真の目的は、新たに靖国に祀られることになる“未来の戦死者”をつくりだすことにあるといっていいだろう。

 これは決してオーバーな表現ではない。実際、稲田氏はこれまで、国民が国のために血を流す、国のために命をささげることの必要性を声高に語ってきた。

 「国民の一人ひとり、みなさん方一人ひとりが、自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです!」(講演会での発言)
 「いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない」(産経新聞2006年9月4日付)

 さらに前掲書では、“国のために命をかけられる者だけが選挙権をもつ資格がある”とまで言い切っている。

 「税金や保険料を納めているとか、何十年も前から日本に住んでいるとかいった理由で参政権の正当性を主張するのは、国家不在の論理に基づくもので、選挙権とは国家と運命をともにする覚悟のある者が、国家の運営を決定する事業に参画する資格のことをいうのだという“常識”の欠如が、こういう脳天気な考えにつながっているものと思います」
「「その国のために戦えるか」が国籍の本質だと思います」(前傾『日本を弑する人々』))

これまで長く、憲法改正は絵空事で、再びの戦争もリアリティがなかった。だからこれまでは、靖国参拝は過去の戦争の戦死者を悼むこと、と言って済まされてきた。しかし、戦争法が成立し、改憲勢力が議席の3分の2を占める今、「次の戦争」を構想し、「新たな戦死者」を想定する為政者にとって、「新たな英霊の顕彰」を現実の問題と考えざるをえない時代なのだ。過去の戦争の死者を悼むだけでなく、国民に新たな英霊となる決意や覚悟を固める場所としての靖國。イナダという極右の政治家が、靖國神社本来の役割を分かり易く教えてくれている。

そして、よく覚えておこう。「選挙権とは国家と運命をともにする覚悟のある者が、国家の運営を決定する事業に参画する資格のこと」というイナダの発言を。これが、アベ政権の防衛大臣なのだ。
(2016年8月14日)

9条立憲の幣原喜重郎と、壊憲のアベ晋三。

各紙がオリンピック一色で辟易していたところに、本日の東京新聞朝刊一面トップは憲法制定経過に関する報道だった。「9条は幣原首相が提案」「マッカーサー、書簡に明記」「『押しつけ憲法』否定の新史料」というもの。

ここで言う「マッカーサーの書簡」とは、1958年12月15日付「マッカーサーから高柳賢三(憲法調査会会長)宛の書簡」のこと。これが新資料。ここに、「9条は幣原喜重郎(憲法改正を審議した第90回帝国議会当時の首相)が提案」したことが明記されている。内容、以下のとおり。

戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです。首相は、わたくしの職業軍人としての経歴を考えると、このような条項を憲法に入れることに対してわたくしがどんな態度をとるか不安であったので、憲法に関しておそるおそるわたくしに会見の申込みをしたと言っておられました。わたくしは、首相の提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました

新資料はこれまでの定説の確認だが、ダメ押しと言えよう。東京新聞が、「『押しつけ憲法』否定の新史料」というとおりだ。この新資料は、国会図書館に眠っていたもの。これを掘り起こしたのは、堀尾輝久さん。堀尾さんといえば、人も知る教育学・教育法学の大家。憲法史の専門家ではないのに、たいしたもの。

同じ報道によると、堀尾さんは、もう一通の新資料も発掘している。「同年12月5日付のマッカーサーから高柳賢三宛の書簡」。

「(憲法9条は、)世界に対して、精神的な指導力を与えようと意図したものであります。本条は、幣原首相の先見の明と英知と経国の才とえい知の記念塔として永存することでありましょう。」

東京新聞はこの資料の影響を慎重にこう述べている。
「史料が事実なら、一部の改憲勢力が主張する『今の憲法は戦勝国の押しつけ』との根拠は弱まる。今秋から各党による憲法論議が始まった場合、制定過程が議論される可能性がある。」
「改憲を目指す安倍晋三首相は『(今の憲法は)極めて短期間にGHQによって作られた』などと強調してきた。堀尾氏は『この書簡で、幣原発案を否定する理由はなくなった』と話す。」

堀尾さんのインタビューでの回答がよい。

?幣原がそうした提案をした社会的背景は。
日本にはもともと中江兆民、田中正造、内村鑑三らの平和思想があり、戦争中は治安維持法で押しつぶされていたが、終戦を機に表に出た。民衆も『もう戦争は嫌だ』と平和への願いを共有するようになっていた。国際的にも、パリ不戦条約に結実したように、戦争を違法なものと認識する思想運動が起きていた。そうした平和への大きなうねりが、先駆的な九条に結実したと考えていい

?今秋から国会の憲法審査会が動きだしそうだ。
「『憲法は押しつけられた』という言い方もされてきたが、もはやそういう雰囲気で議論がなされるべきではない。世界に九条を広げる方向でこそ、検討しなければならない

いまさら、「押しつけ憲法」でもあるまい。国民はこの憲法を日々選び取って、既に70年になるのだ。米国と、これと結んだ日本の保守層の改憲策動を封じての70年間は、「押しつけ憲法」論を色褪せたものにし、「勝ち取り憲法」論を日々新たにしている。

そもそも、いったい誰が誰に押しつけたというのだろうか。すべからく憲法とは、為政者にしてみれば、押しつけられるものである。

日本の国民が為政者に押しつけた憲法であったか。大局的に見て、強固な天皇制支配の大日本帝国が、敗戦と連合国の圧力がなければ、あの時期の日本国憲法制定に至らなかったことは誰もが認めるところであろう。これを「押しつけ」というのなら、素晴らしくも、何と有り難い「押しつけ」ではないか。

しかも、もっと大局的に見るならば、堀尾さんが述べたとおり、「日本にはもともと平和思想があり、民衆も『もう戦争は嫌だ』と平和への願いを共有するようになっていた。国際的にも、戦争を違法なものと認識する思想運動が起きていた。そうした平和への大きなうねりが、平和憲法をつくった」と言えるだろう。

さらに、憲法9条は、GHQの押しつけではなく、当時の首相の発案であったことが明確になった以上は、もう「押しつけ」憲法観の押しつけも、蒸し返しもたくさんだ。

制憲議会における次の幣原喜重郎答弁がよく知られている。
第9条は戦争の放棄を宣言し、わが国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って、指導的地位を占むることを示すものであります。(中略)文明と戦争とは結局両立しえないものであります。文明がすみやかに戦争を全滅しなければ、戦争がまず文明を全滅することになるでありましょう。私はかような信念を持って憲法改正案の起草の議にあずかったのであります

彼の手記には、簡潔にこうあるそうだ。
文明が戦争を撲滅しなければ
 戦争のほうが文明を撲滅するでありましょう。

既に核の時代、戦争を回避する以外に人類の生存はない、それが9条の精神なのだ。

幣原喜重郎に日本の保守政治家の良心を見る。ああ、いま日本の保守は落ちぶれて、アベとイナダが、幣原の理念を嘲笑し、「戦争をもって文明を撲滅」しようとしているのだ。
(2016年8月12日)

ナガサキは『北東アジア非核兵器地帯』の創設を呼びかけている

8月9日、世界が長崎の祈りに耳を傾けるべき日。
「長崎原爆の日」の平和祈念式典での田上富久市長の平和宣言は、例年具体的課題に切り込むことで話題となる。薄っぺらなコピペのアベ挨拶との対比での話題も例年のこと。

具体的で分かり易い、そして真摯な思いのこもった平和宣言の文章に敬意を表せざるを得ない。

今年も、核抑止力論を批判した次のくだりに迫力がある。
「日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである『北東アジア非核兵器地帯』の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの『英知』を行動に移すリーダーシップを発揮してください。」

これがアベの面前でのスピーチである。アベには耳が痛かっただろう。もっとも、アベが聞こえる耳を持っていればの話だが。

被爆地で、核廃絶を願う立場の市長にしてみれば、国の安全をアメリカの核の傘に依存する基本政策は到底受け容れがたいのだ。あたかも、核の保有こそが平和の礎という、国の方針がある如くではないか。そもそも、「作らず、持たず、持ち込ませず」のうち、「持ち込ませず」が有名無実になっており、核密約が存在していたことも公然の秘密。

「非核三原則の法制化」は、有名無実の「持ち込ませず」原則をあらためて、米国に遵守させることなのだ。アメリカの核の傘から脱することによって、「核兵器廃絶を訴えながら、核抑止力に依存する」という矛盾を解消できることになる。

「それで、国の安全は大丈夫?」と不安な人に対しては、「核抑止力に頼らない安全保障の枠組み」としての「北東アジア非核兵器地帯」の創設が呼びかけられている。

2012年長崎平和宣言では、こう言及されているという。
「『非核兵器地帯』の取り組みも現実的で具体的な方法です。すでに南半球の陸地のほとんどは非核兵器地帯になっています。今年(2012年)は中東非核兵器地帯の創設に向けた会議開催の努力が続けられています。私たちはこれまでも『北東アジア非核兵器地帯』への取り組みをいくどとなく日本政府に求めてきました。政府は非核三原則の法制化とともにこうした取り組みを推進して、北朝鮮の核兵器をめぐる深刻な事態の打開に挑み、被爆国としてのリーダーシップを発揮すべきです。」

『北東アジア非核兵器地帯』構想は、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、日本の3カ国を「地帯内国家」として、日本の非核三原則をモデルに非核兵器地帯条約を締結する。そして、中華人民共和国、ロシア連邦、アメリカ合衆国の周辺3カ国を、「近隣核兵器国」として、地域内国家3カ国に対する核攻撃をしない「消極的な安全」を保証する議定書に参加するという方式。よく練られた、現実性のある提案というべきだろう。

今年の平和宣言は、こうも言っている。
「核兵器の歴史は、不信感の歴史です。国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。
この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。
我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。」

アベの耳に届いただろうか。

そして私たち自身も、問われている。
「市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。」

今年の平和宣言は、やや悲痛な趣がある。両院とも、改憲勢力の議席数が、3分の2を越えたという事態が悲痛の原因ではないか。
「このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの『英知』を結集してください。」
(2016年8月10日)

「本郷・湯島九条の会」は、平和を守るため、ますます元気に街宣を続けます。

本郷にお住まいの皆さま、三丁目交差点をご通行中の皆さま。こちらは地元の「本郷・湯島九条の会」です。憲法を守ろう、憲法の眼目である平和を守ろう。憲法9条を守り抜いて、絶対に戦争は繰り返してはいけない。アベ自民党政権の危険な暴走を食い止めなければならない。そういう志を持つ仲間が集まってつくっている小さな団体です。私たちは小さいけれど、全国に7500もの「九条の会」があります。全国津々浦々で、9条を守る活動をしています。

猛暑の8月です。71年前、敗戦の年の8月も暑かったといいます。8月こそは戦争を思い出し語らなければならない季節です。あの戦争で、310万人の日本人が命を失いました。2000万人といわれるアジアの人々が侵略戦争の犠牲となりました。あの廃墟のなか、私たちは、再び戦争の惨禍を繰り返してはならないと誓いました。その誓いが、日本国憲法に結実したのです。

憲法9条は、おびただしい戦争犠牲者を含めた日本人全体の決意であるとともに、アジアの人びとへの不戦の誓約でもあります。夏、8月は、そのことを思い起こす日としなければなりません。

しかし、日本の現状はどうでしょうか。憲法を破壊し、9条を形骸化しようという危険なアベ政治の暴走が続いています。先程来、お話しがあったとおり、参院選と都知事選が終わりました。憲法を守ろうという旗を立てている私たちにとっては、けっして納得のいく結果ではありません。

案の定、選挙前には控えられてきたアベ政権のホンネの動きが、選挙が終わるや否や、無遠慮に始まっています。小池百合子都政も同じです。

思想家ルソーが言っていることを思い出します。「イギリスの人民は自分たちが自由だと思っているようだが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する投票のそのときだけのことで、選挙が終わるやいなや、次の選挙までの間はイギリス人民は奴隷となってしまう」。現状、まさしくそのとおりではありませんか。

あんなに国民から反対を受けながら強行成立した戦争法は、選挙が終わるまでは身を潜め、今動き出そうとしています。南スーダン情勢が緊迫し内戦状態になっているのに、11月派遣予定の自衛隊員は、駆けつけ警護の訓練を始めようとしているのです。

PKO5原則の遵守によって、これまでは、けっして戦地での紛争には巻き込まれないはずの自衛隊でした。今、350人の現地隊員は、営舎の外に出ることなく、ひっそりと身を潜めています。ところが、11月以後はこれが変わるのです。今度は、紛争のまっただ中に駆けつけてでも味方の援護をします。これは内戦の一方に荷担する宣言にほかなりません。紛争に巻き込まれることを覚悟しなければ駆けつけ警護はできないこと。紛争に巻き込まれるとは、史上初めて自衛隊員の命が奪われ、あるいは自衛隊員が誰かの命を奪う事態となることです。戦後71年間、平和憲法の下、日本が一人の戦死者も出さなかったという原則が崩れることでもあります。

イナダ防衛大臣の就任記者会見では、記者から「自衛隊員の戦死の持つ意味について」質問が飛んでします。イナダは何と答えたか。「自衛権の行使の過程において、犠牲者が出る事も、考えておかなきゃいけないことだろうとは思います。非常に、重たい問題だと思います。」あまりに率直。戦争法の発動は、「自衛権行使の過程において、犠牲者が出る事もある」と防衛大臣が認識しているのです。

私たちは、投票箱が閉まっても主権者であり続けなければなりません。けっして奴隷になってはならない。アベ政権にも、小池都政にも、しっかりと主権者としての目を光らせてまいりましょう。平和を守り続けるために。

月1回、第2火曜日と決めた定例街宣活動は4年目にはいった。今日は、37℃のクラクラする炎天下、6人がマイクを取って思い思いに平和を語った。今後も、雨にも負けず、風にもまけず、雪にも夏の暑さにも負けることなく、日本の平和を崩すまいとにぎやかに元気に続けていこうと、意気軒昂。
(2016年8月9日)                                               

憲法は、「二度と飢えた子供の顔は見たくない」ーこのたった一行でよい。

永六輔に続いて、大橋巨泉が亡くなった。その前には野坂昭如、小澤昭一、水木しげる、菅原文太、米倉斎加年、愛川欽也、あるいは松谷みよ子…。みんな、当然の如く、平和や戦後民主主義を大切にし、真っ当な積極的発言をしてきた人たち。直接に反権力や護憲を口にしないときにも、そのような雰囲気が滲み出る人たちであり、それが大衆からの支持を得ていた。この世代が去って行くことが実に淋しい。淋しいだけでなく、この世代の終焉とともに、日本の社会が戦争の恐怖や平和・民主主義の貴重さを忘却していくことにならないだろうか。

永六輔は、「九条の会」ができたあと、半分これにあやかり、半分は対抗して、「ひとり九九条の会」を名乗っていた。憲法というものを真剣に考え、よく分かっている人だった。

「憲法議論でいうとね。第9条ばかりに目がいきがちだけど、条文の最後のほうの第99条には、憲法をまとめるように、『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』とあるんですよ。この大事な99条にまで議論が及ばない」(「現代」05年8月号)
「(自民党改憲草案が)国民に義務を課すなんてちゃんちゃらおかしいですよ。憲法は国民を守るためのルール。それなのに99条を変えると言い出すなんて、政治家が憲法を勉強してこなかった証しです」(毎日新聞13年5月23日付夕刊)
「僕は憲法はこれでいいと思うんです。条文を書き連ねるんじゃなくて、この言葉の中に全部盛り込まれていると思う。戦争の問題、貧困の問題、教育・福祉の問題。僕は戦争が終わって、最初に選挙する時、興奮したし感動もしました。その感情がいまは無くなってしまった。だからもう一度元に戻して、『二度と飢えた子供の顔は見たくない』という、たった一行、世界でいちばん短い憲法にしたらどうかと思うんです」(「創」13年9・10月号)

大橋巨泉は、かねがね、こう言っていた。
「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない」「彼にとって、経済はムードをあおる手段に過ぎず、本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を『戦争ができる国』に変えることでしょう。法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」「マトモな批判さえ許さない戦前みたいな“空気”を今の日本に感じる」(「日刊ゲンダイ」14年5月)

そして、絶筆となった「週刊現代」7月9日号掲載の連載コラム「今週の遺言」最終回で、参院選を意識して読者に次のように「最後の遺言」を残している。

「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです」

野坂昭如は、死の直前に「安倍政権は戦前にそっくり」「国民よ、騙されるな」と言ったそうだ。
「戦争で多くの命を失った。飢えに泣いた。大きな犠牲の上に、今の日本がある。二度と日本が戦争をしないよう、そのためにどう生きていくかを問題とする。これこそが死者に対しての礼儀だろう。そして、戦後に生まれ、今を生きる者にも責任はある。繁栄の世を築いたのは戦後がむしゃらに働いた先人たちである。その恩恵を享受した自分たちは後世に何をのこすのか」「どんな戦争も自衛のため、といって始まる。そして苦しむのは、世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年前の犠牲者たちへ、顔向け出来ない」(引用はリテラから)

この世代の呼びかけに答えたい。アベ政治を終わらせ、多少なりともまともな政権を誕生させたい。憲法を大切にし、これを生かす政治を獲得したい。その第一歩として、都知事選の護憲派勝利を目指したい。
(2016年7月21日)

「EU離脱国民投票」の「日本国憲法改正国民投票」への教訓

民主主義とはなんだろうか。なんとなく分かっているようで正確に定義することは難しい。民主主義の正しさを証明することはさらに難しい。民意にもとづく政治だから常に正しいとは限らない。このことは、脳裏に刻むべきだ。ナチスも天皇制政府も民衆の意思が支えた。

間接民主主主義の不完全さはアベ政権の存在自体が見事な証明となっている。では直接民主主義はどうだ。プレビシットというのはまことにいやな語感。大阪都構想の住民投票などはまさしくプレビシットとして、危うく成功しそうになった愚かな事例であったろう。

民衆が独裁を支え独裁が民衆の支持という正当性を獲得する儀式としてのプレビシット。その歴史上の典型事例として挙げられる、1804年ナポレオンの皇帝就任を是認した国民投票の賛成票は99.93%、1934年ヒトラーの総統就任を是とした投票の賛成率は89.93%、オーストリアが実施した国民投票でのナチス支配下のドイツへの併合への賛成票は99.73%であったという。(朝日.com)

英国のEU離脱問題は、国民投票という制度の危うさを示す1事例の追加として貴重であり教訓に満ちている。国民投票の結果を、「それが国民の意思の結実なのだから正しい」とか、「最高の民主的手続の結果なのだから尊重しなければならない」などと、けっして言ってはならない。国民投票の結果が間違っていたかどうかの検証には長いスパンが必要かと思っていたが、わずか3日間で答が出てしまったようだ。

投票前には、英国〈BRITAIN〉+離脱〈EXIT〉の造語「BREXIT(ブレグジット)」が流行ったという。ところが投票直後から、英国〈BRITAIN〉と後悔〈REGRET〉を組み合わせた「BREGRET(ブリグレット)」、あるいは後悔〈REGRET〉+離脱〈EXIT〉で、「REGREXIT」(リグレジット)という言葉が行き交っているという。国民投票は間違いだったというのだ。多くの国民個人の投票行動として、そして国家の選択として。そもそも、なすべきでない国民投票をしたということにおいても〈REGRET〉せざるを得ないのだ。

EUは、独・仏の不再戦の誓いの具体化として始まったヨーロッパ統合の理念の結実と言ってよい。その平和の理念が、ナショナリズムの反撃を受けて後退を余儀なくされての英国の離脱だ。その意味で、まことに残念といわざるを得ない。

しかし、今問題とするのはそのような大局的な意味での誤りではない。投票直後から、「失敗だった」「欺された」「やり直しを」という声が満ちているという、その手続的なお粗末さについてである。多くの人の命運に関わるこんなに大事なことが、このように軽々しく扱われていることへの疑問である。

新聞の見出しが「離脱派公約の『うそ』続々」と報道している。再投票を求める署名は既に400万人に近いという。また、当日のロンドン地区の豪雨が、残留派の投票への足を鈍らせたともいう。英国民は、短慮な国民投票で、EU離脱を決めたのだ。

本来、民主主義は、熟議の政治であり、熟慮の政治でもある。ある時点での民意の検知よりは、相当期間における熟議と熟慮のプロセスをこそ重視しなければならない。煽動され過熱した国民の意思ではなく、真実の情報に基づく冷静な論議の末の国民投票でなくては過つのだ。「こんなはずではなかった」「私の投票先を変更したい」と言っても後の祭りなのだから。

このことを日本国憲法の改正手続のあり方に貴重な教訓としなければならない。民意を問うこと自体に積極的意味があるとか、その時点での主権者の意思は尊重されねばならない、などと言ってはならない。軽々に改正時の民意を絶対化してはならない。その投票結果は、次の世代をも拘束するのだ。世代を超えて妥当する揺るぎない規範の選択という責任が伴うことが自覚されなければならない。

イギリスの制度はよく知らない。報道によれば、「国民投票の結果を議会の決議で覆すことは可能」だそうである。そして、英下院で議論する対象になるかを決める要件の署名数は10万人ということ。現在、署名はその40倍にも達しており、近く下院の委員会が議題として取り上げるか否かの協議が始まるという。ならば、大騒ぎしての国民投票はいったい何のためだったのだろうか。

わが国のこととして考えれば、軽々に改憲発議や国民投票はすべきでないということになろう。相当期間の冷静な熟議があり熟慮があれば、改憲発議も国民投票も不要との結論に落ちつくはずなのだから。
(2016年6月29日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2016. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.