ナガサキは『北東アジア非核兵器地帯』の創設を呼びかけている
8月9日、世界が長崎の祈りに耳を傾けるべき日。
「長崎原爆の日」の平和祈念式典での田上富久市長の平和宣言は、例年具体的課題に切り込むことで話題となる。薄っぺらなコピペのアベ挨拶との対比での話題も例年のこと。
具体的で分かり易い、そして真摯な思いのこもった平和宣言の文章に敬意を表せざるを得ない。
今年も、核抑止力論を批判した次のくだりに迫力がある。
「日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである『北東アジア非核兵器地帯』の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの『英知』を行動に移すリーダーシップを発揮してください。」
これがアベの面前でのスピーチである。アベには耳が痛かっただろう。もっとも、アベが聞こえる耳を持っていればの話だが。
被爆地で、核廃絶を願う立場の市長にしてみれば、国の安全をアメリカの核の傘に依存する基本政策は到底受け容れがたいのだ。あたかも、核の保有こそが平和の礎という、国の方針がある如くではないか。そもそも、「作らず、持たず、持ち込ませず」のうち、「持ち込ませず」が有名無実になっており、核密約が存在していたことも公然の秘密。
「非核三原則の法制化」は、有名無実の「持ち込ませず」原則をあらためて、米国に遵守させることなのだ。アメリカの核の傘から脱することによって、「核兵器廃絶を訴えながら、核抑止力に依存する」という矛盾を解消できることになる。
「それで、国の安全は大丈夫?」と不安な人に対しては、「核抑止力に頼らない安全保障の枠組み」としての「北東アジア非核兵器地帯」の創設が呼びかけられている。
2012年長崎平和宣言では、こう言及されているという。
「『非核兵器地帯』の取り組みも現実的で具体的な方法です。すでに南半球の陸地のほとんどは非核兵器地帯になっています。今年(2012年)は中東非核兵器地帯の創設に向けた会議開催の努力が続けられています。私たちはこれまでも『北東アジア非核兵器地帯』への取り組みをいくどとなく日本政府に求めてきました。政府は非核三原則の法制化とともにこうした取り組みを推進して、北朝鮮の核兵器をめぐる深刻な事態の打開に挑み、被爆国としてのリーダーシップを発揮すべきです。」
『北東アジア非核兵器地帯』構想は、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、日本の3カ国を「地帯内国家」として、日本の非核三原則をモデルに非核兵器地帯条約を締結する。そして、中華人民共和国、ロシア連邦、アメリカ合衆国の周辺3カ国を、「近隣核兵器国」として、地域内国家3カ国に対する核攻撃をしない「消極的な安全」を保証する議定書に参加するという方式。よく練られた、現実性のある提案というべきだろう。
今年の平和宣言は、こうも言っている。
「核兵器の歴史は、不信感の歴史です。国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。
この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。
我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。」
アベの耳に届いただろうか。
そして私たち自身も、問われている。
「市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。」
今年の平和宣言は、やや悲痛な趣がある。両院とも、改憲勢力の議席数が、3分の2を越えたという事態が悲痛の原因ではないか。
「このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの『英知』を結集してください。」
(2016年8月10日)