シンゾーよ。汝との契約に従って、民衆を支配する要諦を教えんか。深く心に刻んで、夢忘れることなかれ。
何よりも、分断して統治せよ。これこそが支配の鉄則であると知れ。
可能な限り被治者を孤立した砂粒の状態に置け。砂粒は無力なのだ。砂粒から脱した民衆の結束を恐れよ。民衆の連帯を警戒せよ。
民衆が小グループで互いに敵対する状態が望ましい。常に、被治者の不和を利用せよ。徹底して不和に付け込め。不和がなければつくり出せばよい。
野党の協力は、危険極まりない。無党派市民との連携あればなおさらだ。けっして、これを捨て置いてはならない。選挙共闘に成功体験をさせてはならない。極度に恐れよ。あらゆる手段をもって、野党の共闘に悪罵を投げつけよ。
共闘の妨害に、手段を選んではならない。利用できるものはなんでも利用せよ。躊躇すれば、手遅れになる。共闘を恐れ、うろたえているところを民衆に見透かされぬよう、心しつつ徹底して共闘に楔を打ち込め。
野党の選挙協力を「野合」と批判せよ。野合とは、まことに品位に欠けた言葉だが、汝が口にするにふさわしい。
この場合のキーワードは、「反共」だ。民衆の中に潜む漠然たる反共意識を煽れ。これを刺激して、最大限に利用せよ。反共意識の根源は、「天子に弓引く不敬の共産党」だ。かつては共産党のシンパとみられること自体が恐るべき不幸を招いた。保身をこととする民衆にとって共産党に近づくことはタブーだった。企業が支配する今の社会においても、漠然たる民衆の反共意識はなくなっていない。これを徹底して利用するのだ。
共産党への漠然とした民衆の不安に付け込んで、野合との批判は、主として民進党とその支持者に向けよ。
「破防法適用団体の共産党」「自衛隊を違憲という共産党」「野党共闘は共産党の主導だ」「民進党には、もれなく共産党がついてくる」「気をつけよう。暗い夜道と民進党」と叫べ。「共産党主導の無責任な野党統一候補にはまかせられない」と、絶叫せよ。総理としての品位に欠けるだの、理屈が通ってないだのという批判は、無視せよ。勝てば官軍なのだから。
こうして、野党共闘を崩すことができれば、念願の改憲への道が開けてくる。堂々の国防軍をつくって軍事大国へ大きく一歩を踏み出せるではないか。そのときこそ、人権だの民主主義だの、七面倒なことに拘泥しなくて済む時代が到来する。汝が、全き権力者となる。行政府の長だけでなく、立法府の長をも兼ね、さらには統帥権をも手にすることになるのだ。
シンゾーよ。もう一度、支配の要諦を確認しよう。
分断して統治せよ。楯突く政党を各個撃破せよ。擦り寄る政党は利用し尽くせ。限りなく弱小化した政治集団を、最後は一党独裁に吸収せよ。その成功の理想型が、大政翼賛会であり、ナチスではないか。
富国強兵の経済政策によって肥大化した精強の国防軍が、翼賛議会の満場一致をもって海外出兵を決議するそのときにこそ。汝のいう「戦後民主主義からの脱却」が実現し、「美しい日本を取り戻す」ことができたことになる。
そのときだ。シンゾーよ。汝と私の、血の契約が成就することになる。汝は政治家として名をなす。私は戦争と大量の殺戮を望むのみ。私の名は死に神。
シンゾーよ。我が教えを銘記せよ。今こそ、大願成就への岐れ道。野党共闘に楔を打ち込んで、改憲への道を切り開くのだ。
(2016年6月27日)
本日、沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされる「6月23日」。あの日から71年目である。折も折。元米海兵隊員の強姦殺害事件への追悼・抗議集会の直後であり、辺野古新基地建設反対を最大テーマとする参院選のさなかでもある。
選んだ如くのこの時に、「沖縄全戦没者追悼式」が糸満市の平和祈念公園で開かれた。アベ晋三も、抗議を受ける悪役としての参列。今年も「帰れ」という野次が飛んだという。さぞや針のムシロに坐る心もちであったろう。
「『全』戦没者追悼式」であることに意味がある。「平和の礎」の刻銘と同様に、勝者と敗者を区別することなく、また兵士と民間人の区別もなく、その死を意味づけすることなく、沖縄戦の戦没者のすべてを、かけがえのない命を失った犠牲者として等しく追悼するという考え方だ。ここはひたすらに戦没者の死を悼む場であって、それ以上に出過ぎた、遺族以外の何ものかが死者の魂を管理するという考えが拒否されている。
これと対極にあるのが、死者を徹底して区別し、死者の魂を国家が管理するという靖國の思想である。死者を悼むのではなく、特別の死に方を礼賛し称揚して、特定の死者の魂を国家が管理するというのだ。靖國神社は、天皇の軍と賊軍とを徹底して区別し、天皇への忠死か否かで死者を区別し、敵と味方を未来永劫に分かつ差別の思想に拠っている。露骨な死者の国家利用と言ってよい。しかも、軍国主義高揚のための戦没者と遺族の心情の利用である。
平和の礎は、21万1326人の沖縄戦戦没者の名を刻銘している。
「太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業の一環として、国籍を問わず、また、軍人、民間人の別なく、全ての戦没者の氏名を刻んで、永久に残すため、平成7年(1995年)6月に建設したものです。その趣旨は、沖縄戦などでなくなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするためです。」とされている。
「平和の礎」のデザインコンセプトは、“平和の波永遠なれ(Everlasting waves of peace)”というもので、屏風状に並んだ刻銘碑は世界に向けて平和の波が広がるようにとの願いをデザイン化したものだという。この刻銘碑の配列は、沖縄県民・県外都道府県民・外国人の各死者の刻銘碑群に区分されている。その外国人刻銘数は1万4572人。内訳は以下のとおりである。
米国 14,009
英国 82
台湾 34
朝鮮民主主義人民共和国 82
大韓民国 365
なお、沖縄県民 149,362人
県外都道府県計 77,402人
で、いずれも兵士と民間人の区分けはしていない。
平和の礎も沖縄全戦没者追悼式も、まったく靖国のようではない。靖国のように敵味方を区別しない、靖国のように兵士だけを顕彰するものではない。靖国のように神道という宗教形式をもたない、靖国のように天皇の関与がない、靖国のように戦没者の身分や階級にこだわらない、靖国のように恩給の受給資格と連動しない。そして、靖国のように愛国心を鼓舞しない。靖国のように戦死者の勇敢さや遺徳を誇示することはない。靖国のように、戦争を美化しない。靖国のように敗戦を無念としない。靖国のように、戦犯を祀ることがない。戦犯というカテゴリーもなければ、祀るという行為とも無縁である。靖国のように戦争や軍隊や兵士を意味づけることをしない。もちろん、靖国のように、武器を飾ってみせたりなどけっしてしない。
この日、思い起こすべきは、沖縄県平和祈念資料館設立の趣意書にある次の言葉である。
「1945年3月末、史上まれにみる激烈な戦火がこの島々に襲ってきました。90日におよぶ鉄の暴風は、島々の山容を変え、文化遺産のほとんどを破壊し、20数万の尊い人命を奪い去りました。沖縄戦は日本に於ける唯一の県民を総動員した地上戦であり、アジア・太平洋戦争で最大規模の戦闘でありました。
沖縄戦の何よりの特徴は、軍人よりも一般住民の戦死者がはるかに上まわっていることにあり、その数は10数万におよびました。ある者は砲弾で吹き飛ばされ、ある者は追い詰められて自ら命を絶たされ、ある者は飢えとマラリアで倒れ、また、敗走する自国軍隊の犠牲にされる者もありました。私たち沖縄県民は、想像を絶する極限状態の中で戦争の不条理と残酷さを身をもって体験しました。
この戦争の体験こそ、とりもなおさず戦後沖縄の人々が、米国の軍事支配の重圧に抗しつつ、つちかってきた沖縄のこころの原点であります。
”沖縄のこころ”とは、人間の尊厳を何よりも重く見て、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求め、人間性の発露である文化をこよなく愛する心であります。
私たちは、戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人びとに私たちのこころを訴え、もって恒久平和の樹立に寄与するため、ここに県民個々の戦争体験を結集して、沖縄県平和祈念資料館を設立いたします。」
本日の琉球新報が、「安全保障関連法が施行され、日本が戦争のできる国へと大きく変貌した中で迎える『慰霊の日』」に、格別の思いの社説を書いている。タイトルが「慰霊の日『「軍隊は住民を守らない』 歴史の忘却、歪曲許さず」というもの。これこそ今ある沖縄の原点ともいうべきものだろう。
「『地獄は続いていた』
日本軍(第32軍)は沖縄県民を守るためにではなく、一日でも長く米軍を引き留めておく目的で配備されたため、住民保護の視点が決定的に欠落していた。首里城の地下に構築した司令部を放棄して南部に撤退した5月下旬以降の戦闘で、日本兵による食料強奪、壕追い出し、壕内で泣く子の殺害、住民をスパイ視しての殺害が相次いだ。日本軍は機密が漏れるのを防ぐため、住民が米軍に保護されることを許さなかった。そのため戦場で日本軍による命令や強制、誘導によって親子、親類、友人、知人同士が殺し合う惨劇が発生した。
日本軍の沖縄戦の教訓によると、例えば対戦車戦闘は『爆薬肉攻の威力は大なり』と記述している。防衛隊として召集された県民が急造爆弾を背負わされて米軍戦車に突撃させられ、効果があったという内容だ。人間の命はそれほど軽かった。県民にとって沖縄戦の最も重要な教訓は「命(ぬち)どぅ宝(命こそ宝)」だ。
『終わらない戦争』
戦後、沖縄戦の体験者は肉体だけでなく心がひどくむしばまれ、傷が癒やされることなく生きてきた。その理由の一つが、沖縄に駐留し続ける米軍の存在だ。性暴力や殺人など米兵が引き起こす犯罪によって、戦争時の記憶が突然よみがえる。米軍の戦闘機や、米軍普天間飛行場に強行配備された新型輸送機MV22オスプレイの爆音も同様だ。体験者にとって戦争はまだ終わっていない。
戦後も女性たちは狙われ、命を落とした。1955年には6歳の幼女が米兵に拉致、乱暴され殺害された。ベトナム戦時は毎年1?4人が殺害されるなど残忍さが際立った。県警によると、72年の日本復帰から2015年末までに、米軍構成員(軍人、軍属、家族)による強姦は129件発生し、147人が摘発された。そして今年4月、元海兵隊員による女性暴行殺人事件が発生した。
戦場という極限状態を経験し、あるいは命を奪う訓練を受けた軍人が暴力を向ける先は、沖縄の女性たちだ。女性たちにとって戦争はまだ続いている。被害をなくすには軍隊の撤退しかない。
『軍隊は住民を守らない』。私たちは過酷な地上戦から導かれたこの教訓をしっかり継承していくことを犠牲者に誓う。国家や軍隊にとって不都合な歴史的出来事の忘却、歪曲は許されない。」
本日沖縄を訪れたアベ晋三は、この血を吐くような地元紙の社説を読んだだろうか。この社説に象徴される沖縄の民衆の気持ちを理解しただろうか。沖縄全戦没者追悼式と平和の礎の思想に触れ得ただろうか。それとも、改憲戦略においてどのように沖縄の世論を封じ込めるべきかと策をめぐらしただけであったろうか。
(2016年6月23日)
注目の沖縄県議選投開票が、いよいよ明日(6月5日)。公選法上、選挙運動は今日(4日)までとなる。日本の矛盾を象徴する沖縄の民意のあり方を問う選挙としても、参院選の前哨戦として全国の動向を占う選挙としても、さらにはアベ政権と最もシビアに対決している沖縄県政に対する、県民の信任の可否としても注目せざるを得ない。その県民の選択が、国政に大きく影響しないはずはない。
13選挙区で48議席が争われる。もっとも、辺野古を抱える最注目の名護市区(定員2名)が無投票で2人の当選が確定したという。無所属で県政与党の親川敬と、自民党の末松文信が、与野党で1議席を分け合うかたちとなった、と報じられている。
残る12選挙区・46議席を69人の立候補者が明日県民の審判を受けることになる。名護選挙区を含む全立候補者は71名。政党別の内訳は、自民19、民進1、公明4、共産7、おおさか維新3、社民6、地域政党の沖縄社会大衆3、諸派5、無所属23。与野党別では、翁長知事与党36人、野党22人、中立13人。辺野古移設計画には、反対44、容認13、推進2(その他・無回答が12)と報じられている。
告示後選挙期間中の5月30日?6月1日、地方紙琉球新報社と沖縄テレビ放送が合同で世論調査を実施している。
最も注目された設問が、米軍属女性遺棄事件についての「米軍関係者の事件事故の防止策」である。県民が選択したトップは、「沖縄からの全基地撤去」(42・9%)だった。全基地撤去に賛否を問うての賛成4割の回答ではない。繰り返される女性に対する暴行殺害事件の再発防止策のトップが、「全基地撤去」であり、4割を超す県民の意見だということの意味は重い。「全基地撤去」の次が「在沖米軍基地の整理縮小」(27・1%)と続き、「兵員への教育の徹底」は19・6%だった。
5月26日の臨時県議会は、自民党議員退席後の全会一致で、初めて「海兵隊の全面撤退」の抗議決議を採択した。上記琉球新報世論調査では、「海兵隊の全面撤退」を求める意見が52・7%。「大幅に減らすべきだ」の31・5%を上回っている。また、日米地位協定については79・2%が改定・撤廃を求めた。
関心が集まる「米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設」には、83・8%が反対と回答している。そして、「米軍属女性遺棄事件」後の安倍内閣の対応について、70・5%が「支持しない」と答えている。これこそ、オール沖縄の総意というべきだろう。
調査を実施した琉球新報は、「辺野古移設への反対は‥12年12月の安倍政権発足以降の調査で最も高い値となった。普天間飛行場の移設はどうあるべきか聞いたところ、『国外移設すべきだ』が最も多く31・5%、次いで『すぐに閉鎖・撤去すべきだ』が29・3%、『県外移設すべきだ』が23・0%だった。」と解説している。アベ政権が「辺野古移転が唯一の策」と躍起になっている「辺野古移設計画を進めるべきだ」を支持する県民の意見は、9・2%に過ぎない。
日米地位協定についての県民の見解には注目しなければならない。
「全面撤廃」が34・3%、「根本的改定」が44・9%。両者を合わせると8割に近い。政府が掲げる「運用の改善」は15・2%。「自民党支持者でも63・6%が改定・撤廃を求めた」とされている。
日米安保条約については、「破棄すべきだ」が19・2%、「平和友好条約に改めるべきだ」が42・3%。「(現状のまま)維持すべきだ」は12・0%に過ぎない。これは瞠目すべき調査結果ではないか。
この調査結果に表れた沖縄県民の反基地感情の高揚に関して、菅義偉官房長官は昨日(3日)の記者会見で「真摯に受け止めたいと思う」「具体的に政府としてできることを関係省庁で早急に決めて、すぐにでもスタートする」などと述べ、同日午前に開かれた「沖縄県における犯罪抑止対策推進チーム」で取りまとめられた対応策を早急に進める考えを示した(琉球新報)と報道されている。
真摯な対応となれば、普天間早期返還実現、辺野古新基地建設断念、日米地位協定抜本改定、そして安保条約改定による非軍事同盟化とならざるを得ない。選挙直前だから「真摯に受け止めたいと思う」くらいは言っておこうとしか聞こえない。
この沖縄県民の民意がそのまま投票に反映すれば、県政与党の圧勝となるはず。アベ政権の改憲策謀に小さくない蹉跌をもたらすことになる。目前の参院選で、改憲阻止勢力を元気づけることにもなる。
共産、社民、民進、沖縄社大、そして与党系無所属の全候補者に声援を送りたい。是非最後までがんばって当選を勝ち得ていただきたい。一方、自民、公明、おおさか維新、野党系無所属の改憲推進派各候補者には声援を送らない。是非とも議席を減らしていただきたい。平和のために、人権のために、民主主義のために、何よりも沖縄県民の安全のために。そして、沖縄の犠牲をいとわないアベ政権への痛打のために。
(2016年6月4日)
昨日の「日記」に、我流の「天網恢々」解釈を書いたところ、知人から「司馬遷の『天道是か非か』まで想起され、頷きながら最後まで読み通しました」という、冷や汗の出るような感想に接した。
「天道是か非か」。是であって欲しいと願いつつも、誰もが過酷な非の現実に打ちのめされる。天を怨み、神の沈黙に戸惑い、神も仏もないものかと嘆くのが、いつの世にあっても、人の常だ。
実は、民主主義も「天道」に似ている。平和や人権を擁護する民主主義であって欲しいと願いつつも、民主主義の名の下の過酷な現実に打ちのめされる。選挙結果を嘆き、政権を怨み、憲法の沈黙をいぶかしむ。民主的手続で構成された安倍政権が特定秘密保護法を作り戦争法を強行し、武器輸出3原則もなげうって戦争のできる国への危険な道を歩みつつある。これが民主主義か、こんなはずではと悩むのが今の世の常だ。
ネットで、民主主義を怨嗟する自分の文章を見つけた。8年前に「法と民主主義」へ寄稿したもの。ほんの少しだけ手直しして再掲してみる。
▼東京都の知事が学校での「日の丸・君が代」強制に躍起になっている。大阪府の知事は、「くそ教育委員会」とまで悪罵を投げつけて学力テストの結果公表に固執している。傲慢で反憲法的な両知事の姿勢は、「民意」に支えられている。
政権与党による米軍への基地提供も、自衛隊海外派遣策も、積極・消極の「民意」が実現してきた。格差社会を産み出した「構造改革」も、小泉政権を支持した選挙民の選択の結果にほかならない。
▼多数決原理はかくも危うい。47年教育基本法の前文が述べるとおり、「憲法に示された理想の実現は根本において教育の力にまつべきもの」であろう。教育の力が顕現するまでの相当な期間、選挙に表れた民意と憲法理念との大きな乖離は現実であり続ける。思想的・政治的少数派にとって、民主主義原理は味方ではないというにとどまらない。切り結ぶべき相手方の武器となっている現実がある。
▼だからこそ、人権という理念の重要性が強調されなければならない。いかなる民意も人権を侵害することはできない。民主主義という手続き的価値には、人権という実体的価値に譲らざるを得ない限界がある。民主主義ではなく、人権こそが至高の価値である。このことは、もっと語られなければならない。
たとえ、社会の圧倒的多数が「学校行事で国旗を掲げ国歌を斉唱することが教育上望ましい」と望んだにせよ、自己の尊厳をかけて「日の丸に対して起立し、君が代を歌う」ことを拒否する人に強制することは許されない。それが、憲法の精神的自由条項の冒頭に人権としての思想・良心の自由を定めた意味である。
「多数が立つとも、我は立たず」「多数が歌えども、我は歌わず」は、基本的人権保障の名の下に認められなければならない。
▼ところで、国民多数が戦争を望んだ場合はどうだろうか。民主主義政権の戦争である。
「国家が戦争をしても、我は参加せず」との命題は、ほとんど意味をなさない。国家が戦争という選択をした場合に、全国民に戦争の惨禍を逃れる術はないからである。良心的に兵役を拒否しても、事態は変わらない。平和に生きる権利とは個人限りで実現する権利ではない。したがって、国家に戦争をさせないよう働きかける権利と観念するしかない。
いうまでもなく、憲法とは人権保障の体系である。人権を保障するために、立憲主義があり、権力の分立があり、司法の独立があり、制度的保障がある。
▼信仰の自由という人権をより強固に保障するために政教分離という制度がある。学問の自由という人権擁護のために大学の自治がある。国民の教育を受ける権利の蹂躙を防止するために、権力による教育への支配が禁じられる。
まったく同様に、国民一人ひとりの平和に生きる権利を保障するために、憲法は九条を定めて戦争を禁止し戦力を放棄した。平和的生存権を具体的な人権と考え、九条はその人権保障のための制度と考えるべきである。人権としての平和的生存権の具体的内容は、国家に対して九条を厳格に守らせ、戦争につながる一切の行為を避止させる権利でなければならない。
以上の記事は「法と民主主義」のアーカイブ。下記のURLで読める。
http://www.jdla.jp/houmin/2008_10/#totteoki
同じサイトに、「法民」編集長佐藤むつみさんが訪ね人となった『とっておきの一枚』シリーズ、市吉澄枝さん(夫とともに治安維持法弾圧経験者・戦後税理士)のインタビューが読ませる。市吉さんは先日(本年5月25日)逝去との報せ。享年93。野蛮な戦前社会で、天道の非を身をもって経験された方を、また一人失った。ご冥福をお祈りする。
(2016年6月1日)
オバマ広島訪問における、原爆資料館10分間見学と17分間演説。その評価は大きく割れている。各紙の紙面にも、極端な持ち上げ記事と辛口の批判の両方が並んでいる。統一性はなく、アンビバレントとは、まさしくこういうときに用意された言葉だろう。
評価の分裂には理由がある。何よりも、オバマは日米軍事同盟における、目上の同盟国の指導者である。日本全土を核の傘の下におき、沖縄の軍事占領を継続している軍事超大国の大統領だ。日本をその世界的な軍事戦略の目下のパートナーと心得て、日本の改憲や軍事大国化を側面援助する立場。そのオバマが主導する日米同盟の強化には到底賛意を表しえない。今回の広島訪問と演説とは、基本的にそのような日米軍事同盟の強化・深化をもたらすものと考えざるをえない。
ではあるが、オバマが青年時代から反核の志をもって育ち、就任直後のプラハでの演説に見られるように、主観的には真摯に核廃絶を希求する姿勢を持っていることも事実である。現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマに、すくなからぬ人びとが核なき世界を求めての願いを託する気持になった。広島で被爆の実相に触れれば、大統領職を離れたあとのオバマに期待もできようとも考えた。
表と裏、A面とB面。同じものを、どちらの面で見るかで評価は異なるのだ。あの演説を歴史に残る名演説というB面的見解もあれば、まったく無内容な駄文に過ぎないとのA面からの意見もある。もっとも、オバマの役者としての力量には意見が一致するようだ。傍らに立った、我がアベシンゾーの大根役者ぶりが際立ったということも。
それだけに、各紙の1面を飾っている被爆者の背を抱くオバマの写真のインパクトを警戒しなければならない。彼は、軍事同盟の盟主なのだ。けっして平和の天使ではない。この基本視点を忘れてはならない。
オバマ訪問前の記事では、東京新聞5月25日夕刊の堀川恵子「オバマ大統領の広島訪問―溜息が混じる感動―」が、心に響いた。「溜息」は、「今頃になって」「遅かりし」という慨嘆である。堀川は、自身が「広島に生まれ育った」ことを書き添えている。
文中、被爆者である高野鼎さん(故人)が遺したという短歌が紹介されている。
「たひらぎを祈り給へるすめらぎの みことおそかりき吾におそかりき」
もう少し早くの詔勅を下してもらえていたらと慟哭する高野さん。原爆で最愛の妻と四人の子を失い、天涯孤独となった。」
このことに続けて、堀川はこう言っている。
「広島は、確かに筆舌に尽くしがたい犠牲を払った。同時に、満州事変から始まる十五年戦争という歴史の文脈に広島を置いてみる。戦争を始めた責任、戦争を煽った責任、戦争を早期に終わらせなかった責任、あらゆる責めはそのまま、日本の戦争指導者そして私たち自身へと戻ってくることも忘れてはならないだろう。」
ここには、広島の悲劇を嘆きながらも、加害の責任をも見据え、天皇を筆頭とするそれぞれの「私たち自身」の責任への問いかけがある。
「戦後の広島は、折にふれ政治的パフォーマンスの場として使われてきた。毎年八月六日には政治家らが壇上に立ち、その日限りの平和と反核を訴える。今回の大統領の広島訪問は、日本の選挙を前にしたタイミングとも重なった。日米同盟の強化を訴えるには絶好の機会だ。『未来志向』を掲げオバマ大統領を歓迎する政治家たちの姿に、平和や反核とは異なる理屈が透けて見えるのは私だけか。」
オバマとアベの広島訪問に対する違和感の原因についての正鵠を射た解説というべきだろう。
オバマ訪問後の記事では、本日(5月28日)毎日朝刊の広岡敬(元広島市長)「謝罪なく なぜ来た」。そして、ジャックユンカーマン(映画監督)「米は教訓得ていない」。また、「『具体的発言ない』長崎関係者、不満残す」の報道記事。ともに、謝罪のないこと、核兵器廃絶への道筋に言及のないこと、そしてオバマ政権が核廃絶の演説とは真逆に、核兵器とその運搬手段開発予算として「今後30年で1兆ドルの予算を承認している」ことなどを批判している。
とりわけ、広岡の舌鋒が鋭い。次の点には、深くうなずかざるを得ない。
「日米両政府が言う「未来志向」は、過去に目をつぶるという意味に感じる。これを認めてしまうと、広島が米国を許したことになってしまう。広島は日本政府の方針とは違い、「原爆投下の責任を問う」という立場を堅持してきた。今、世界の潮流は「核兵器は非人道的で残虐な大量破壊兵器」という認識だ。それはヒロシマ・ナガサキの経験から来ている。覆すようなことはしてはいけない。」
「オバマ大統領は2009年にプラハで演説した後、核関連予算を増額した。核兵器の近代化、つまり新しい兵器の開発に予算をつぎ込んでいる。CTBT(核実験全面禁止条約)の批准もせず、言葉だけに終わった印象がある。だからこそ、今回の発言の後、どのような行動をするか見極めないといけない。」
その最後はこう結ばれている。
「広島は大統領の花道を飾る「貸座敷」ではない。核兵器廃絶を誓う場所だ。大統領のレガシー(遺産)作りや中国を意識した日米同盟強化を誇示するパフォーマンスの場に利用されたらかなわない。」
まことに同感である。
(2016年5月28日)
4月29日である。かつて、天皇が現人神であった時代には「天長節」と呼ばれ、現人神が人間宣言(!)をしたあとは「天皇誕生日」となり、その死亡の後に「みどりの日」となって、今は「昭和の日」である。
この呼称の変更は、昭和期以後の歴史をよく映したものとなっている。今日こそは、昭和という戦争の時代と天皇制を考えるべき日。端的に言えば、天皇の戦争責任を確認するとともに、その責任追求を曖昧にしてきた国民の責任をも考えるべき日である。
本日の東京新聞が、1面トップに「いま読む日本国憲法」のシリーズ第1回を掲載した。その意気や大いに良しである。モスグリーンの紙面の地に憲法前文を教科書体で全文掲載し、「はじめに非戦誓う」と大見出しをつけている。その解説記事の冒頭が、「戦争は国家権力が引き起こすもの。国民が主権を持って国家権力の暴走を抑えることで、戦争を二度と起こさせないー。日本国憲法全体を貫くこの思想を最初にはっきりと宣言したのが前文です」とある。
国民に多大な惨禍をもたらした侵略戦争と植民地支配は、決して国民の意思によるものではなく、天皇制権力がしでかしたもの。国民は天皇制政府の恐るべき暴走を抑えることができなかった。だから、戦後の平和思想の出発点は、天皇主権を否定して国民主権を確立するところにある、という文脈での解説。昭和の日の一面トップにふさわしい解説ではないか。
国民の加害責任や天皇の戦争責任に触れていないではないかという批判はあるにせよ、「安倍晋三首相らは改憲を訴えるが、憲法は本当に変える必要があるのか。守らなければならないものではないのか。」と旗幟を鮮明にした立派な紙面だと思う。
ところが、である。左肩に恒例の「平和の俳句」欄。いつもは感心しきりなのだが、今日は感心しない。「老陛下平和を願い幾旅路」というのだ。ほかならぬ今日を意識してのこの選句はいただけない。選者のコメントが、さらにいけない。
<金子兜太>天皇ご夫妻には頭が下がる。戦争責任を御身をもって償おうとして、南方の激戦地への訪問を繰り返しておられる。好戦派、恥を知れ。
兵としての過酷な戦争体験から戦争をこの上なく憎むこの人は、その戦争を主導した天皇の責任を本心どう考えているのだろう。天皇個人の責任と、天皇制という制度についても。そして、戦後長らえて退位すらしなかった昭和天皇の姿勢をどう評価しているのだろう。
コメントの文脈からは、「昭和天皇の戦争責任には重いものがあるが、その子による親の贖罪には頭が下がる」ということのようだが、天皇制に対する批判はないのか。「好戦派、恥を知れ。」とは、安倍晋三に向けられた言葉だろうが、夥しい戦争犠牲者を思い起こせば、天皇一族に対しても、「恥を知れ。」と言わずに済まされるのだろうか。
選者は、さすがに「両陛下」などの敬称は使わない。「激戦地への訪問」と、天皇への最大限敬語は避けている。しかし、「天皇ご夫妻には頭が下がる」とは、「アベ政治を許さない」と揮毫したこの人の言とは思えない。
昨日(4月28日)の同欄掲載句が「もう二度と昔の日本にはならないで」というものだった。16歳の女子高校生の作。「昔の日本」とは、何よりも天皇が支配した日本である。国民に主権がなかったというだけでなく、天皇の御稜威のために臣民の犠牲が強いられた軍国日本ではないか。その天皇の時代に戻ってはならないとする句の翌日に、「天皇ご夫妻には頭が下がる」である。大きな違和感を禁じ得ない。
あらためて、東京新聞紙上で憲法前文に目を通してみる。すがすがしい気分。これが私たちの国の政治的な合意点であり、出発点であり、公理である。この前文4段のどこにも天皇は出てこない。出る幕はないというべきだろう。天皇に関わる用語は「詔勅」の一語のみ。「われら(国民)は、これ(民主主義)に反する一切の‥詔勅を排除する」という文脈でのこと。各段の冒頭の言葉は「国民」、国民が主語となる文章が連なっている。要するに、主権者国民が作った憲法の核心部分では天皇も天皇制も、出番はないのだ。
憲法は、戦争の原因を天皇制にあるとして、非戦の決意と一体のものとして国民主権原理を宣言した。歴史を学んで過ちを繰り返さないためには、天皇の責任を曖昧にしてはならない。にもかかわらず、戦後社会は天皇の責任追及を不徹底としたばかりか、天皇の責任を論ずることをタブーとさえしてきた。本日の東京新聞一面はそのことを象徴する紙面構成となっている。
国民主権原理に基づく日本国憲法をもつ我が国で、大新聞がわざわざ天皇の存在感を際立たせたり、持ち上げたりすべきではない。昭和の日、戦争の歴史を思い起こすべき日であればなおさらである。
(2016年4月29日)
いよいよ、市民主体の選挙戦が幕を開けた。本日(4月12日)、京都3区と北海道5区の衆院補選の告示である。いずれも投開票は4月24日。これが、今年の政治決戦のプラスのスパイラルの発火点。ドミノ倒しの最初の一コマだ。アベ政権には、これがケチのつきはじめ。
平和や人権に関心をもつ国民にとって、第2次アベ政権は3年も続く悪夢だ。しかし、ようやく「驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し」となる終わりの始まりがやって来た。
京都3区は自民の不戦敗で、自民の議席減1は闘いの前から決まった。自公の議席の増には憲法が泣き、議席の減には憲法が微笑む。京都でも、少し憲法が微笑んだ。
しかし、天下分け目は北海道5区だ。この選挙区の勝敗は、単なる1議席の増減ではない。その後に続く、参院選と総選挙の野党共闘の成否がかかっているのだ。政党レベルでは、民・共・社・生の4党だが、実はその背後に広範な市民の後押しがある。野党共闘とは、野党支持者を単純に束ねただけのものではない。「野党は共闘」とコールを上げる無党派市民が支えているのだ。その典型としての「北海道5区モデル」が成功すれば、正のスパイラルが動き出す。ドミノ倒しが始まるのだ。
ブロガーは、今日からは大いにブログでツイッターで池田まき候補の応援をしよう。虚偽や誹謗はいけない。しかし、アベ政権や、自公与党への批判に何の遠慮も要らない。今、最大の問題は戦争法の廃止であり、明文改憲の阻止である。そのための池田候補を徹底して応援しよう。せっかく、そのような選挙運動が自由になったのだ。大いに活用しようではないか。
一昨日(4月10日)の日曜日、千歳市で開かれた池田陣営の街頭演説会が象徴的だ。3700人の聴衆に、6人の弁士が池田候補推薦の弁を語った。ジャーナリストの鳥越俊太郎、SEALDsの奥田愛基、「安保関連法に反対するママの会」の長尾詩子、「市民連合」の山口二郎、そして「戦争させない北海道をつくる市民の会」の前札幌市長・上田文雄弁護士だという。政治家がいない!のだ。
集会の名称が、「千歳から、未来の日本を考える」。意気込みは、「北海道5区から、市民の力で平和な日本を切り開く」というもの。たいへんな盛り上がりだったと報じられている。
参加者の共通の思いは「平和」だ。平和な日本の未来を願う人びとにとって、アベ政権は危険きわまりない。その暴走にストップをかけないと、日本は本当に戦争をする国になってしまう。その危機感が、反アベ、反自公の共闘を成立させているのだ。
いま日本の平和のために最も必要なことは、選挙に行くことだ。選挙に行って、反アベの野党共闘候補に投票することだ。自公政権の候補者を落選させて、改憲を阻止することだ。「戦争に行くな」「投票に行こう」。このスローガンで、反アベの野党共闘を応援しよう。
ドミノ倒しを警戒するアベ政権は、北海道5区で負けたら衆参のダブル選挙は回避するだろうと言われてきた。ところが急に空気が変わっている。「北海道5区で負けたらどうせジリ貧。それなら早い総選挙の方が傷が浅く済む」という、与党内の声があると報じられている。つまりは、全国の衆院小選挙区での野党共闘が十分に進展せず、統一候補が決まらないうちの抜き打ち解散が与党に有利という読みなのだ。
しかし、ダブル選挙はそれこそ壮大な歴史的ドミノ倒し実現の場となる公算が高い。すべては、アベ政権を倒すに足りる野党共闘の成否にかかっており、野党共闘の成否は市民の後押しの声如何にかかっている。
がんばれ、池田まき候補。がんばれ、4野党。そして、がんばれ5区の無党派市民。全国の市民たちよ。
(2016年4月12日)
昨日(3月21日)防衛大学校の卒業式が行われた。壇上正面に大きな日の丸。学問の自由とも、本来的な意味での教育とも無縁のこの場である。「日の丸」も「君が代」も、そして安倍晋三の出席も違和感がない。
安倍晋三が自衛隊最高指揮官として、かなり長い訓示を述べた。
「卒業、おめでとう。諸君の規律正しく、誠に凛々しい姿に接し、自衛隊の最高指揮官として、心強く、大変頼もしく思います。」から始まり、最後は「御家族の皆様。大切な御家族を、隊員として送り出して頂いたことに、自衛隊の最高指揮官として、感謝に堪えません。お預かりする以上、しっかりと任務を遂行できるよう、万全を期すことをお約束いたします。…平素から、防衛大学校に御理解と御協力を頂いている、御来賓、御家族の皆様に、心より感謝申し上げます。」と締めくくられている。
軍隊大好きのアベ訓示には美辞麗句が連ねられているが、防衛大学校の学生とは、どうも「規律正しく、誠に凛々しく、心強く、大変頼もしい」存在ではなさそうなのだ。また、自衛隊最高指揮官や大学校当局が、「学生をお預かりした責任に万全を期している」とは到底言い難い。安倍晋三は、「御家族の皆様」に感謝ではなく謝罪しなければならない立場にあるようだ。
今年の防大の卒業生は419人。その中での卒業後自衛官への任官を辞退する「任官拒否者」は47人、11%に達した。昨年に比べ2倍近い。このことが戦争法の影響と話題になっている。入学時は500人程度であったはず。卒業に至らなかった80人ほどの退学の理由にも関心をもたざるを得ない。しかし、格段に大きな衝撃は、防大生間の陰湿なイジメが明らかになったことである。しかも、そのイジメの内容が半端なものではない。こんなイジメをする連中には、およそヒューマニズムの片鱗もない。反知性的で、反社会的で、凶暴きわまりない。武器を扱う者たちの本性がこれだとすると、自衛隊とは恐るべき暴力集団と警戒を要する。
これまでも、自衛隊内の上官から部下に対するイジメが話題となったことはすくなくない。そのことによる自殺もあった。しかし、隊内エリート育成機関でのイジメは、これと質を異にする。自衛隊という組織の基本性格を形づくるものと指摘せざるを得ない。
この卒業式に先立つ3月18日、20代の男性が3697万円の損害賠償を求めて福岡地裁に提訴した。提訴後、この若者の母親が、記者会見して訴状の内容を語っている。
原告は、上級生のイジメ(正確には暴行あるいはリンチというべきだろう)に遭って、退学を余儀なくされた元防大生。被告は、国と暴行実行の上級生8名である。
朝日によれば、提訴の内容は以下のとおりである。
「防衛大学校(神奈川県横須賀市)の学生だった福岡県内の20代男性が、上級生らから暴行や嫌がらせを受けてストレス障害になり退学を余儀なくされたとして、当時の学生8人と国に計約3697万円の損害賠償を求めて18日、福岡地裁に提訴した。
訴状によると、男性は2013年4月の入学直後から、上級生らに「学生指導」と称して殴られたり、アルコールを吹きかけ火をつけられたりする暴行を繰り返し受けたほか、写真を遺影のように加工して通信アプリ「LINE」に流されるなどした。男性は「重度ストレス反応」と診断され、14年8月から休学。昨年3月に退学した。
男性側は「教官も学生間の暴力行為やいじめを認識していたのに、対策を怠った」などと主張。防衛大を設置する国にも賠償を求めている。
男性は14年8月、上級生や同級生計8人を傷害容疑などで横浜地検に刑事告訴。同地検は昨年3月、うち3人を暴行罪で略式起訴し、横浜簡裁が罰金の略式命令を出した。防衛大は今年2月、新たに関与が判明した学生を含め3?4年生12人と、当時の教官ら10人を処分した。
男性の母親(50)が18日、福岡市で会見し、『息子は自衛隊員になりたくて防衛大に入った。こんなことがあると知っていたら行かせなかった』と語った。防衛大学校は『再発防止に取り組んでいますが、訴状の内容を確認しておらずコメントは控えます』としている。」
毎日新聞の報道も同旨。以下は抜粋。
「防衛大学校の学生寮(神奈川県横須賀市)で起きた暴行事件を巡り、被害者で福岡県内に住む20代の元男子学生が18日、『上級生らからいじめを受け、大学側も適切な対応を怠った』として、国と上級生ら計8人に慰謝料など計約3690万円の賠償を求める訴訟を福岡地裁に起こした。
自衛隊内の暴力を巡っては、海上自衛隊呉基地(広島県呉市)の2等海尉が自殺未遂した問題で、両親が先月、山口地裁に提訴したばかり。
防衛大の教官については『暴行を認識しつつ、助けたり予防したりする対策をとらなかった』として安全配慮義務違反を主張している。元学生は体調を崩し14年8月から休学し、15年3月に退学した。」
本日(3月22日)付赤旗の報道がさらに具体的な内容を伝えている。
「原告の元学生が本紙の取材に応じ、胸中を語りました。
元男子学生は2013年4月に入学し、学生寮に入寮。しかし同年6月から14年5月にかけて上級生らから受けたのは『指導』と称して殴る、蹴るなどの暴行と、ロッカーにある私物を荒らされるなどのいじめの繰り返しでした。
『指導』は上級生らの気分しだいで繰り返されるといいます。元男子学生が、なかでも耐えられなかったことは、放課後に上級生から『風俗店にいき、写真をとってこい』という「指導」でした。
元男子学生が「行けない」と拒むと、「罰」がまっています。仰向けに寝かされ、上級生らが上から足で思い切り踏みつけてきます。
こうした暴行には「ネーミング」があります。例えば「○○ファイヤー」。下半身にアルコールをふりかけ、それに火をつけるという蛮行です。
熱さと痛みに耐えられず消そうとすると「まだ我慢しろ」と上級生の罵声が襲ったといいます。
理不尽ないじめと暴行に、思い悩んだ末に学校のカウンセラーに相談しましたが、返ってきたのは「1カ月我慢すればなくなる、辛抱しろ」という言葉でした。」
元男子学生は、振り返ります。「あのときはもうだめだ、と思った。最後の頼みの綱が切られた」。心身ともに絶望のふちに立たされ、『重度ストレス反応』と診断されました。14年8月、家族とも相談し休学しました。あわせて上級生ら8人を横浜地検に刑事告訴しました。同地検は15年3月、上級生3人を暴行罪で『略式起訴』し、残りの5人は起訴猶予にしました。横浜簡易裁判所は3人に罰金を命じました。
元男子学生は、防衛大を昨年3月に退学しました。被害体験から自衛隊への見方、考え方も大きく変化したといいます。
「実家の福岡が水害にあったときに、自衛隊が住民の救援のために働く姿をみて共感、自分も自衛官になると考えた。高校卒業で国立大学も合格していたが防衛大学校を選んだ。しかし入学して厳しい上下関係を利用した陰湿ないじめ、暴行の限りを尽くす上級生。これを容認する学校側の体質は許せなかった」
原告の元学生は2013年の入学である。この年彼をいじめた2年生が、今年(2016年)卒業している。神妙にアベの訓辞を聞き、帽子を投げた372人(任官拒否者は卒業式に出席できない)のなかに、彼に暴行を働いた者がいる。被告となっている者もいるはずだ。おそらくは、別の場面で別の下級生にイジメを行っていた者もいるに違いない。
「防衛大学校は、自衛隊のリーダー(幹部自衛官)を育成する日本で唯一の大学教育機関です。」と同校ホームページが言っている。卒業して任官すると直ちに曹長となり、半年で三尉となる。下級生をいじめた者が、そのメンタリティをもったまま、兵を指揮する立場に立つことになるのだ。必然的に、隊全体がイジメの体質をもつことになる。
こういう、隊内のイジメの体質は、旧軍時代からの傳統の受継というべきものなのだろう。軍隊とは、戦争をするための組織。戦争はお互いに相手を殺し合うこと、人間性や人権意識があってはなし得ることではない。敢えて不合理な蛮行を日常化する体質や感覚が必要なのだろう。仮に、旧軍からの傳統の受継でなければ、「軍隊というものは、理不尽に慣れなければならない。ようやく自衛隊幹部も一人前に理不尽なことができるようになってきた。それでこそ本来の軍隊に近づいてきた」と言うことなのだ。
(2016年3月22日)
昨日(3月16日)那覇地裁(鈴木博裁判長)で「沖縄戦被害・謝罪及び国家賠償訴訟」の判決が言い渡された。請求棄却。沖縄戦で筆舌に尽くしがたい被害を受けたとして、住民とその遺族79人が、国を被告としてその責任を問い、被害に対する謝罪と慰謝料の賠償を求めた訴えはすべて斥けられた。空襲被害国家賠償訴訟も同様だが、原告となった被害者の無念の思いはいかばかりであろうか。
あらためて、国家とは何か、国家が引き起こす戦争という罪悪とは何か、国家は国民にいかなる責任を負っているのかなどを考えさせられる。
我が国のは、戦争の惨禍を再び繰り返してはならないという決意を原点として新たな国を作った。その戦争の惨禍が、具体的な被害実態として法廷に持ち込まれたのだ。この被害をもたらした国家の責任を問うために、である。この課題に司法は、正面から向き合っただろうか。
2014年3月に、高文研から「法廷で裁かれる日本の戦争責任」という大部な書籍が刊行されている。戦争の被害と国家の責任について法廷で争われた各事件について、担当弁護士のレポートを集大成したもの。大きく分類して、日本軍の加害行為によって対戦国の被害者が原告になっている事件と、日本人の戦争被害者が原告になって国家に被害救済を求めた事件がある。前者の典型が、従軍慰安婦・強制連行・住民虐殺・細菌兵器・毒ガス兵器・住民爆撃事件など。後者は、原爆投下・残留孤児・東京大空襲・大阪空襲訴訟・シベリア抑留訴訟などである。その編者が、瑞慶山茂君。私と同期で司法修習をともにした、沖縄出身の弁護士。今回の「沖縄国賠訴訟」の弁護団長でもある。
私は、たまたまこの書の書評を書く機会を得て、民間戦争被害者が被害の救済を得られぬままに放置されている不条理への瑞慶山君の並々ならぬ憤りと、国家の責任を明確にしようという訴訟への情熱を知った。判決には注目していたが、彼の無念の思いも察するに余りある。
日本人の戦争被害は、軍人・軍属としての被害と、民間人の被害とに分類される。いずれも、国家が主導した戦争被害として、国家が賠償でも補償でも、救済を講じるべき責任をもつはず。しかし、「軍人・軍属としての被害」に対する国の救済姿勢の手厚さと、民間人被害に対する冷淡さとには、雲泥の差がある。いや、「雲泥の差」などという形容ではとても足りない、差別的取り扱いとなっているのだ。
昨日(3月16日)付の弁護団・原告団声明のなかに、次の1節がある。
「被告国は、先の大戦の被害について恩給法・援護法を制定して、軍人軍属には総合計60兆円の補償を行ってきたが、一般民間戦争被害に対しては全く補償を行ってこなかった。沖縄戦の一般民間戦争被害については、その一部の一般民間人については戦闘参加者として戦後になって認定し補償を行ってきたが、約7万人の死者と数万人の後遺障害者に対しては謝罪も補償も行うことなく放置している。ここに軍人軍属との差別に加え、一般民間人の中にも差別が生じている(二重差別)。そこで、この放置された一般民間戦争被害者のうち79名が、人生最後の願いとして国の謝罪と補償を求めたのがこの訴訟である。
にもかかわらず、那覇地方裁判所は原告らの切実な請求を棄却したのである。基本的人権救済の最後の砦であるべき裁判所が、司法の責務を放棄したものと言わざるを得ない。」
戦後の日本は、軍人軍属としての戦争被害には累積60兆円の補償をしながら、民間被害にはゼロなのである。「60兆円対0円」の対比をどう理解すればよいのだろうか。これを不合理と言わずして、何を不合理と言えるだろうか。
過日、福島第1原発事故の刑事責任に関して、3名の最高幹部が強制起訴となった。
「あれだけの甚大な事故を起こしておいて、誰も責任を取ろうとしないのはおかしいではないか。到底納得できない」という社会の常識がまずあって、しかる後にこの社会常識に応える法的構成や証拠の存在が吟味されたのだ。私は、このようなプロセスは真っ当なものと考える。
同じことを国家の戦争責任と民間被害救済についても考えたい。「あれだけの甚大な戦争被害を生じさせておいて、国家が責任を取ろうとしないのはおかしいではないか。到底納得できない」から出発しよう。
国家が違法な戦争をした責任のうえに、個人の戦争被害救済をさせるのに障害となる大きなものが二つある。一つは、日本国憲法によって国家賠償法ができる以前の常識的な法理として、「国家無答責」の原理があったこと。国家権力の行使に違法は考えられない。損害賠償などあり得ないということ。昨日の判決もこれを採用した。そもそも損害賠償の根拠となる法がないということなのだ。
そして、もう一つの壁が消滅時効の成立という抗弁である。仮に、戦争被害に損害賠償債務が生じたとしても、時効が完成していて70年前の被害についての法的責任の追及はできない、ということ。
この両者、「国家無答責の壁」と「時効の壁」を乗り越える法的構成として、「立法不作為」の違法が主張されている。軍人軍属への補償だけではなく、民間人の戦争被害についても救済しなければならないにもかかわらず、これを放置したことの違法である。
軍人軍属にばかり手厚く、民間に冷淡なこの不公平は、誰が見ても法の下の平等を定めた憲法14条に違反する、違法な差別というべきだろう。「人の命に尊い命とそうでない命があるのか。救済が不十分なのは憲法の平等原則に反する」というのが、原告側の切実な訴えである。不当な差別があったというだけでは、賠償請求の根拠にはならないが、立法不作為の違法の根拠には十分になり得る。
ところが、昨日の那覇地裁判決はこの、「60兆円対0円」差別を不合理ではないとしたのだ。「戦争被害者は多数に上り、誰に対して補償をするかは立法府に委ねられるべき。軍の指揮命令下で被害を受けた軍人らへの補償は不合理ではない」と判断したという。
もう一度、常識的感覚に従って、全体像を眺めてみよう。
「『軍官民共生共死の一体化』の方針の下、日本軍は住民を戦場へとかり出し、捕虜になることを許さなかった。陣地に使うからと住民をガマから追い出したり、スパイ容疑で虐殺したり、『集団自決(強制集団死)』に追い込むなど住民を守るという視点が決定的に欠けていたのである」「判決は「実際に戦地に赴いた」特殊性を軍人・軍属への補償の理由に挙げるが、沖縄では多くの住民が戦地体験を強いられたようなものだ。(沖縄タイムス3月17日社説)」
にもかかわらず、軍人軍属にあらざる民間人の救済は切り捨てられたのだ。血も涙もない冷酷な判決と言うしかなかろう。こんな司法で、裁判所でよいものだろうか。健全な社会常識を踏まえた「血の通った裁判所」であって欲しい。このような判決が続けば、裁判所は国民の信頼を失うことにならざるを得ない。
(2016年3月17日)
第83回自由民主党々大会にあたり、党総裁としてごあいさつを申し上げます。
大変お忙しい中、こうしてたくさんのおカネをいただいているスポンサーのみなさまにお集まりいただきました。党を代表して厚く厚くお礼を申し上げます。
厳しい時も困難な時も、我が党をカネで支え続けていただいたみなさまのお力でわれわれは昨年60年の歴史を刻むことができました。そのことを決して忘れずに、スポンサーの信頼あっての我が党であることを胸に刻み、これからも国民には上から目線で説明が足りないなどと批判はされようとも、スポンサーの皆さまには謙虚にしっかりと寄り添って歩みを進めて参ります。
先ほど友党の代表から、温かいごあいさつをいただきました。本当にありがとうございます。風雪に耐えた、我が党と御党の連立政権の基盤の上に今後も着実に財界奉仕と憲法破壊の実績を積み重ねてまいりましょう。
そしてスポンサーを代表して今年も、経団連の榊原会長から力強いごあいさつをいただきました。本当にいつもありがとうございます。末永く、持ちつ持たれつ。ますますのご支援をお願いするとともに、前もってのお礼を申し上げたい(会場:笑)、こう思う次第です。
昨年は敗戦から70年の節目の年でありました。先の大戦では、帝国の行く末を案じ皇室の弥栄を念じつつ、300万余の日本人が尊い犠牲となりました。この尊い犠牲の上に、現在の私たちの平和と繁栄があります。近隣諸国の民衆の死については、私がとやかく申しあげる立場ではございません。我が党は、けっして自虐史観には立たないのです。私は靖國に合祀されている死者の無念をかみしめ、靖國の神々の言葉に耳を傾けて、再び日本人の命と幸せな暮らし、日本の領土と領空、そして美しい海を、敵の手から守り抜いていくという大きな責任を再確認しなければなりません。そのための平和安全法制であり、戦争準備法制なのです。
日米安全保障条約改定時、またPKO法制定時、昨年の平和安全法制制定時には、相も変わらず「日本は戦争に巻き込まれる」「徴兵制が始まる」などという無責任な批判が展開されました。しかし、皆さん、私はけっして「日本が戦争に巻き込まれる」事態にはならないことをお約束します。巻き込まれるは、受動的に、心ならずも戦争に参加するという意味ではありませせんか。私は、必要なときには主体的に、そして積極的に、果敢に勇躍して戦争を始めることを躊躇しません。それが、1億総国民の命と安全に責任を持つ指導者のありかたであると確信いたします。
政財界の皆さまのなかには、我が党の議論にお詳しい人ほど、「徴兵制が復活するのではないか」「そんなことになったら、身内の者にも赤紙が来る」とご心配あるやに伺っていますが、けっして、徴兵制の復活はあり得ません。私が保障します。
広く知られているとおり、我が党の経済政策は、国民に格差と貧困を甘受させるものです。幸いに、日本国民は「格差と貧困」の進展にさしたる違和感なく、我が党の支持率は落ちていません。制度としての徴兵制を敷くことなくとも、格差と貧困の底辺には、必ずや軍役で糊口を凌ごうという十分な兵役希望の予備軍が沈殿しているのです。兵役に従事するものは、この層から十分にリクルートが可能なのです。けっして、我が党のスポンサーの皆さま方の大切なご子息を戦場に送るような愚をおかすことはありません。党総裁のワタクシが、完全にブロックすることを明言申しあげます。
なお、率直に反省の気持を込めて申し上げます。これまで私たちの先輩方は、毅然として日本国憲法の平和主義を壊滅させることに不十分でした。憲法を壊そうとして国民の抵抗に遭って果たせず、十全の戦争体制を構築することにおいて不徹底の誹りは免れません。そのため、日本国憲法は70年間一字も手を付けることができないまま生き残り、これを支持する国民世論も健在です。ですから、残念ながらいまだに我が国は、主権国家として戦争の一つもできない状態が続いているのです。これでは近隣諸国から侮られてもやむを得ないではありませんか。平和安全法制という名の戦争法が制定されても然りなのであります。
それでも、先般北朝鮮が弾道ミサイルを発射した際、日米は従来よりも増して緊密にしっかりと連携して対応することができました。戦争準備もやむなしとする世論も多少は大きくなったような気がして心強い限りです。北の指導者には、よいタイミングで行動を起こしていただいたことに、御礼を言いたい気持なのであります。
日本を守るためにお互いが助け合うことができる日米の軍事同盟は、その絆を間違いなく強くしたんです。この平和安全法制を、民主党は共産党とともに廃止しようとしています。みなさまご承知のように、共産党が一番悪い。共産党が諸悪の根源なのです。ナンデモハンタイ、キョーサントー。
共産党は、平和を守るなどと言います。けっして戦争はしない。そのために、軍隊の存在は危険だ、などと平気で口にします。「憲法9条は非武装中立を求めている」「安保条約は軍事同盟だから、日本をアメリカの戦争に巻き込む危険がある」などと、彼らの主張はとんでもないことなのです。それだけではありません。格差も貧困もあってはならないなどと、これも本気になって危険なことを口走っています。こんな危険な政党と、民主党は野党共闘をしようというのです。
共産党の目標は自衛隊の解散です。直ちに解散という方針はもっていないようですが、自衛隊は存在する間は活用しつつも、いずれは災害援助隊などに再編成していく方針ではありませんか。量的にも質的にも軍事力を拡大強化しようという我が党の方針とは明らかに真逆な立場です。そして、共産党は日米安保条約を廃棄しようというのです。その上で、軍事同盟ではない、対等平等で平和な日米関係を構築しようなどと怪しからんことを言っています。
先に私は、国会で民主党議員に、「ニッキョーソ」「日教組はどうした」と野次を飛ばして、世の顰蹙を買いました。しかし、それくらいのことに怯む私ではありません。今度は民主党議員に「キョーサントー」「キミは共産党か」と、悪口を言ってやりたいと思っています。
ホントのことを言うと、野党共闘が成立したら、我が党に脅威であることは誰が見てもお分かりのこと。我が党は、スポンサーの皆さまとその息のかかった方々にはウケがよろしいのですが、広範な勤労者や農漁業者、経済的苦境にある地方、ママの会などの女性にはまことに評判が悪うございます。ですから、常に薄氷を踏むが思いで、どうしても野党共闘を切り崩さねばなりません。そのための切り札として、私自身が反共攻撃の先頭に立つことをお誓いいたします。
たとえば、こんなふうではいかがでしょうか。
(拳を振り上げて)「選挙のためだったら何でもする。誰とも組む。こんな無責任な勢力に私たちはみなさん、負けるわけにはいかないんです。」(拍手)
今年の戦いの構図は固まりつつあります。軍備を整えて戦争も躊躇することのない気概を内外に示すことで国家と国民を守ろうという「自・公連立政権」と、近隣諸国との友好関係を発展させて平和を守ろうなどと甘いことを言っている「民共の野党勢力」との戦いなのです。
昨年の9月時点では、我が党も内閣も、大きく支持率を下げてヒヤッとしましたが、何よりも賢い国民の忘却と無関心が我が党の強い味方。なんとか持ち直しそうではありませんか。
最後に強調しておきたいと思います。今年18歳、19歳の若いみなさんが、初めて1票を投じます。この若い皆さんたちご自身の未来のために、戦争も軍役も辞さない覚悟をさせることができるのは、私たち、自由民主党だけなのであります(大きな拍手)。ともにがんばろうではありませんか。
(2016年3月14日)