「広島は大統領の花道を飾る貸座敷ではない。日米同盟強化誇示の場に利用されてはかなわない。」
オバマ広島訪問における、原爆資料館10分間見学と17分間演説。その評価は大きく割れている。各紙の紙面にも、極端な持ち上げ記事と辛口の批判の両方が並んでいる。統一性はなく、アンビバレントとは、まさしくこういうときに用意された言葉だろう。
評価の分裂には理由がある。何よりも、オバマは日米軍事同盟における、目上の同盟国の指導者である。日本全土を核の傘の下におき、沖縄の軍事占領を継続している軍事超大国の大統領だ。日本をその世界的な軍事戦略の目下のパートナーと心得て、日本の改憲や軍事大国化を側面援助する立場。そのオバマが主導する日米同盟の強化には到底賛意を表しえない。今回の広島訪問と演説とは、基本的にそのような日米軍事同盟の強化・深化をもたらすものと考えざるをえない。
ではあるが、オバマが青年時代から反核の志をもって育ち、就任直後のプラハでの演説に見られるように、主観的には真摯に核廃絶を希求する姿勢を持っていることも事実である。現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマに、すくなからぬ人びとが核なき世界を求めての願いを託する気持になった。広島で被爆の実相に触れれば、大統領職を離れたあとのオバマに期待もできようとも考えた。
表と裏、A面とB面。同じものを、どちらの面で見るかで評価は異なるのだ。あの演説を歴史に残る名演説というB面的見解もあれば、まったく無内容な駄文に過ぎないとのA面からの意見もある。もっとも、オバマの役者としての力量には意見が一致するようだ。傍らに立った、我がアベシンゾーの大根役者ぶりが際立ったということも。
それだけに、各紙の1面を飾っている被爆者の背を抱くオバマの写真のインパクトを警戒しなければならない。彼は、軍事同盟の盟主なのだ。けっして平和の天使ではない。この基本視点を忘れてはならない。
オバマ訪問前の記事では、東京新聞5月25日夕刊の堀川恵子「オバマ大統領の広島訪問―溜息が混じる感動―」が、心に響いた。「溜息」は、「今頃になって」「遅かりし」という慨嘆である。堀川は、自身が「広島に生まれ育った」ことを書き添えている。
文中、被爆者である高野鼎さん(故人)が遺したという短歌が紹介されている。
「たひらぎを祈り給へるすめらぎの みことおそかりき吾におそかりき」
もう少し早くの詔勅を下してもらえていたらと慟哭する高野さん。原爆で最愛の妻と四人の子を失い、天涯孤独となった。」
このことに続けて、堀川はこう言っている。
「広島は、確かに筆舌に尽くしがたい犠牲を払った。同時に、満州事変から始まる十五年戦争という歴史の文脈に広島を置いてみる。戦争を始めた責任、戦争を煽った責任、戦争を早期に終わらせなかった責任、あらゆる責めはそのまま、日本の戦争指導者そして私たち自身へと戻ってくることも忘れてはならないだろう。」
ここには、広島の悲劇を嘆きながらも、加害の責任をも見据え、天皇を筆頭とするそれぞれの「私たち自身」の責任への問いかけがある。
「戦後の広島は、折にふれ政治的パフォーマンスの場として使われてきた。毎年八月六日には政治家らが壇上に立ち、その日限りの平和と反核を訴える。今回の大統領の広島訪問は、日本の選挙を前にしたタイミングとも重なった。日米同盟の強化を訴えるには絶好の機会だ。『未来志向』を掲げオバマ大統領を歓迎する政治家たちの姿に、平和や反核とは異なる理屈が透けて見えるのは私だけか。」
オバマとアベの広島訪問に対する違和感の原因についての正鵠を射た解説というべきだろう。
オバマ訪問後の記事では、本日(5月28日)毎日朝刊の広岡敬(元広島市長)「謝罪なく なぜ来た」。そして、ジャックユンカーマン(映画監督)「米は教訓得ていない」。また、「『具体的発言ない』長崎関係者、不満残す」の報道記事。ともに、謝罪のないこと、核兵器廃絶への道筋に言及のないこと、そしてオバマ政権が核廃絶の演説とは真逆に、核兵器とその運搬手段開発予算として「今後30年で1兆ドルの予算を承認している」ことなどを批判している。
とりわけ、広岡の舌鋒が鋭い。次の点には、深くうなずかざるを得ない。
「日米両政府が言う「未来志向」は、過去に目をつぶるという意味に感じる。これを認めてしまうと、広島が米国を許したことになってしまう。広島は日本政府の方針とは違い、「原爆投下の責任を問う」という立場を堅持してきた。今、世界の潮流は「核兵器は非人道的で残虐な大量破壊兵器」という認識だ。それはヒロシマ・ナガサキの経験から来ている。覆すようなことはしてはいけない。」
「オバマ大統領は2009年にプラハで演説した後、核関連予算を増額した。核兵器の近代化、つまり新しい兵器の開発に予算をつぎ込んでいる。CTBT(核実験全面禁止条約)の批准もせず、言葉だけに終わった印象がある。だからこそ、今回の発言の後、どのような行動をするか見極めないといけない。」
その最後はこう結ばれている。
「広島は大統領の花道を飾る「貸座敷」ではない。核兵器廃絶を誓う場所だ。大統領のレガシー(遺産)作りや中国を意識した日米同盟強化を誇示するパフォーマンスの場に利用されたらかなわない。」
まことに同感である。
(2016年5月28日)