年の瀬である。2014年を振り返って見なければならない。良い年ではなかったが、そのトップニュースは何だっただろうか。
上野千鶴子が「壊憲記念日」と名付けた7月1日の、集団的自衛権行使容認閣議決定をおいてほかにないだろう。この日憲法がないがしろにされ、政権が国の運命変更に舵を切った日。とりわけ「立憲主義に大きな傷がついた日」であり、「専守防衛の方針が打ち捨てられた日」と記憶されなければならない。
各メディアが、「今年の十大ニュース」を報じている。12月15日に、新聞之新聞社が主宰する「社会部長が選ぶ今年の十大ニュース」が発表された。在京の新聞・通信8社の社会部長らが出席しての選考会でトップになったのは、予想のとおり「集団的自衛権の行使容認を閣議決定」であった。ちなみに2位以下は次のとおりである。
(2)御嶽山噴火や広島の豪雨など自然災害相次ぐ
(3)消費税8%スタート、景気足踏みで再引き上げは延期
(4)衆院選で自公大勝、解散前に「政治とカネ」で女性2閣僚辞任も
(5)袴田事件で再審開始決定、48年ぶり釈放
(6)青色LEDで日本人3氏がノーベル物理学賞
(7)STAP細胞論文に改ざんなど不正
(8)朝日新聞が「吉田調書」、慰安婦記事の一部取り消し、社長が辞任
(9)危険ドラッグの事件事故が激増、規制強化
(10)朴槿恵韓国大統領めぐる報道で産経新聞の前ソウル支局長起訴
このほど共同通信社と加盟各社が選んだ今年の国内十大ニュースが発表になったが、やはりトップは「集団的自衛権の行使容認を閣議決定」であった。2位以下は大同小異だが、10位に「普天間飛行場の辺野古移設で国調査反対の知事が当選」がはいっている。
当然のことながらニュースの重大性の比重は各社・各紙で異なる。読売の十大ニュースには「集団的自衛権行使容認の閣議決定」はランクインされていない。12位である。しかも、「集団的自衛権を限定容認、政府が新見解」とネーミングが微妙に異なる。
共同通信加盟紙による閣議決定ニュースの解説をそのまま引用すれば、「政府は7月1日、従来の憲法解釈を変更し、自国が攻撃を受けていなくても他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。『国民の権利が根底から覆される明白な危険がある』などに限定する『武力行使3要件』を設けたが、行使できる範囲をめぐり自民、公明両党で意見が分かれる。歴代内閣は憲法9条の許す範囲を超えるとしてきただけに、専守防衛の理念を逸脱しかねない戦後安全保障政策の大転換だ」というもの。
このような「専守防衛の理念を逸脱しかねない」「大問題」「大転換」「最大級のニュース」であることが常識的な理解。
この閣議決定は、安倍政権によるこれからの改憲路線への布石である。自衛隊を海外に派兵して戦闘させるには閣議決定では足りず、具体的な法的根拠が不可欠である。閣議で憲法原則を壊しておいて、次には立法改憲の手続きにはいることになるわけだ。来年は、閣議決定に基づく具体的な安全保障法制のせめぎ合いの元年となる。その手はじめが、既に予告されている「自衛隊の後方支援恒久法」である。
「安倍政権は、来年の通常国会に、自衛隊による米軍など他国軍への後方支援をいつでも可能にする新法(恒久法)を提出する検討に入った。首相周辺や政府関係者が明らかにした。これまで自衛隊を海外派遣するたびに特別措置法を作ってきたが、新法を作ることで、自衛隊を素早く派遣できるようにする狙いがある。自衛隊の海外活動が拡大するため、活動内容や国会承認のあり方でどこまで制約をかけるかが焦点になる」(朝日)
自公政権が、国会内での議席数に驕って、数の力で憲法を無視した立法を強行できると思ったら大まちがいだ。まず、国会での自公政権の議席の数は、小選挙区制のマジックによって嵩上げ上げされた虚構の多数でしかない。しかも、「アベノミクス選挙だ」「経済再建この道しかない」と、争点をずらして掠めとった議席であって、憲法問題や安全保障政策についての国民の信任を得たものではない。
国民の目は醒めている。安倍の暴走がこれ以上になればあっさりと民意は離れることになるだろう。しかも、国民の現政権支持はアベノミクスへの期待が持続する限りにおいてのもの。安倍政権はいよいよキナ臭いが、民意を恐れてもいる。後方支援恒久法案の国会審議入りは来春の統一地方選への影響に配慮して、その後になるだろうと言われている。すべては民意にかかっているのだ。
今年のせめぎ合いは新年にもちこされる。まずは、来春の統一地方選挙が大きな政治戦として自公政権への信任の可否を問うことになる。新たな年は、新たな決意が必要な年となるのだろう。
(2014年12月30日)
何年前のことだったろうか。何をきっかけにしての話題だったかも忘れたが、新聞記者だった弟から、「兄さん、白虹事件というのを知っているだろう」と話しかけられたことがある。憲法を学び、表現の自由に関心をもち続けてきた私だが、恥ずかしながら「白虹」も、「朝日・白虹事件」も知らなかった。
そのときの弟の説明で、「白虹日を貫く」という言葉が皇帝の凶事を表す天象として史記の中にあること、戦前の大阪朝日新聞が紙面にこの言葉を載せて弾圧を受けたことを知った。不敬を理由とした国家の言論弾圧事件であっただけでなく、右翼の跳梁がすさまじく、朝日の社長が襲われたり、不買運動が展開されたりして、日本の新聞界全体が萎縮したことも知った。国家と右翼勢力が意を通じて言論を弾圧し攻撃する、国民がこれに抵抗するでなく傍観する構図。なんと、今とよく似ているではないか。
昨日(12月22日)毎日夕刊に「牧太郎の大きな声では言えないが…:『第二の白虹事件』の年」というコラムが印象に残る。学生時代に、この事件を「新聞の国家権力への屈服」と教えられたとして、以下のように解説している。
「1918(大正7)年8月26日の大阪朝日新聞夕刊は、「米騒動」に関する寺内正毅内閣の失政を糾弾する新聞人の集会をリポート。その記事に、こんなくだりがあった。
『食卓に就いた来会者の人々は肉の味酒の香に落ち着くことができなかった。「白虹日を貫けり」と昔の人が呟いた不吉な兆が黙々として肉叉(フォーク)を動かしている人々の頭に電のように閃く』
この中の「白虹日を貫けり」という表現が問題になった。
司馬遷の「史記」にある言葉。燕の太子丹の刺客となった荊軻が始皇帝の暗殺を謀る。白い虹(干戈)が日輪(天子)を貫く自然現象が起きて暗殺が成功する!との意味らしい。
大阪府警察部新聞検閲係は、新聞紙法41条の「安寧秩序ヲ紊シ又ハ風俗ヲ害スル事項ヲ新聞紙ニ掲載シタルトキ」に当たるとして、筆者と編集人兼発行人の2人を裁判所に告発した。不買運動も起こった。右翼団体が大阪朝日新聞社の社長を襲撃し、「国賊!」と面罵した。
2014年、朝日新聞は「慰安婦報道」「吉田調書」の誤りで、いまだに一部から「国賊」扱いされている。「白虹事件」の後、新聞は戦争に加担するメディアになった。そんなことがないように!と願うばかりだが…」
ネットを検索したら、「電網木村書店 Web無料公開」というサイトを見つけた。問題の記事を書いた記者の一人で、禁錮2月の実刑になった大西利夫記者が、後に『別冊新聞研究』(5号)の「聴きとり」に答えてこう言っているそうだ。
「白虹事件というのは、日本の言論史の上でかなり大きな意味をもっておりまして、『朝日』もこれから変わりますし、他の新聞も、うっかりしたことは書けん、というように…。」
「その時の『朝日』のあわて方もひどかったんです。天下の操觚(そうこ)者[言論機関]を以って任じ一世を指導するかのように見えた大朝日も権力にうちひしがれて、見るも無残な状態になる有様を私、見たような気がして、余計ニヒリスティックになるんです。」
本日の朝刊で、朝日が「白虹事件」の二の舞を演じているのではないかと、危惧せざるを得ない。第三者委員会の人選はどうしてこのようなものになったのだろう。もっと適切で妥当な人選は可能だったはずではないか。
本日の朝日に掲載された「第三者委員会報告書(要約版)・個人意見」欄の、岡本行夫・北岡伸一両委員の言いたい放題に腹が立ってならない。こんな駄言に紙面を提供して、「天下の操觚者を以って任じ一世を指導するかのように見えた大朝日」なのか。
牧太郎は、「『白虹事件』の後、新聞は戦争に加担するメディアになった。」と言い、大西利夫も、「『朝日』もこれから変わりますし、他の新聞も、うっかりしたことは書けん、というように…」と言っている。白虹事件のあと、朝日だけでなく、言論界全体が変わったのだ。「変わった」とは権力批判、政権批判の牙を抜かれたということだ。さらには、迎合する姿勢にさえ転じたということ。
岡本行夫も北岡伸一も、明らかに「朝日よ変われ」「現体制受容に舵を切れ」とトーンを上げている。北岡に至っては、「過剰な正義の追求は、ときに危険である」「バランスのとれたアプローチが必要」と、朝日の姿勢にお説教を垂れている。さらには、憲法9条についての論調の攻撃までし、安倍内閣の安全保障政策に対する朝日の批判を「レッテルを張って」「歪曲する」ものと決めつけてもいる。これは、朝日バッシングを「第二の白虹事件」とし、朝日とメデイァ全体の在野性、権力批判の姿勢を骨抜きにしようとするものにほかならない。
朝日バッシングを「第二の白虹事件」にしてはならない。朝日は萎縮から抜け出て踏みとどまらねばならない。他の新聞もメディアもだ。牧太郎は、コラムを「読者の皆さん、民主主義が守られる『良いお年』を!」と結んでいる。しかし、安閑としていては到底よいお年などあり得ない。民主主義を守るためには声を上げることが必要ではないか。
(2014年12月23日)
本日(12月14日)の毎日「今週の本棚」(書評欄)トップに、将基面貴巳著「言論抑圧ー矢内原事件の構図」(「中公新書」907円)が紹介されている。書評執筆者は北大の中島岳志。紹介する書物のテーマがもつ今日性についての強い問題意識が熱く語られ、それゆえに迫力ある書評となっている。
冒頭から問題意識が明確に表示されている。
「慰安婦報道に携わった元朝日新聞記者・植村隆氏へのバッシングが続いている。植村氏は、赴任予定だった神戸松蔭女子学院大学から教授ポストの辞退に追い込まれ、現在は非常勤講師を務める北星学園大学で雇い止めの瀬戸際に立たされている。現政権は脅迫への積極的な批判や対策に乗り出さず、一方で朝日新聞叩きに加勢する。」
この状況が「いつかきた道」を想起させるのだ。
「右派からの苛烈な攻撃と過剰反応する大学。そして、権力からのプレッシャー。歴史を想起すれば、1930年代に相次いだ言論抑圧事件が脳裏をよぎる。」
1937年に東京帝国大学経済学部を追われた矢内原忠雄を取り巻く背景事情は、まさしく現在進行する北星学園大学の植村隆のそれと瓜二つなのだ。
80年前の事件では、紆余曲折の末、結局は文部大臣の圧力に屈した帝大総長の即決によって矢内原は大学を追われる。矢内原は最終講義を次の言葉で締めくくったという。「身体ばかり太って魂の痩せた人間を軽蔑する。諸君はそのような人間にならないように…」
中島は、書評を次のとおりの熱い言葉で締めくくっている。
「本書は約80年前の事件を取り上げながら、現代日本を突き刺している。我々は歴史を振り返ることで『いま』を客体化し、立っている場所を確認しなければならない。必読の書だ。」
この「必読の書」は、今年9月下旬に発刊されたもの。植村・北星学園バッシング事件応援のために生まれてきたような書。矢内原事件とは異なり、植村・北星学園の事件は未決着だ。「バッシングにマケルナ!」の声援が日増しに大きくなっている。中島に呼応して、多くの人が、それぞれの持ち場でその影響力を駆使して、この事件を語ってもらいたい。書く場があれば書いていただきたい。元々が根拠をもたない攻撃なのだ。多くの人の言論の集積で、必ずやこの攻撃を食い止めることができるに違いない。
私も自分のできることとして、下記のとおりこの件についてブログを書いている。
12月10日https://article9.jp/wordpress/?p=3991
植村隆の「慰安婦問題」反撃手記に共感
12月3日https://article9.jp/wordpress/?p=3958
ニューヨークタイムズに、右翼による「朝日・植村バッシング」の記事
11月29日https://article9.jp/wordpress/?p=3925
「試されているのは一人ひとりの当事者意識と覚悟」?北星学園「応援」を自らの課題に
11月15日https://article9.jp/wordpress/?p=3858
「負けるな北星!」 学内公聴会発言者に敬意を表明する
嬉しいことに、読者からの反応がある。若い友人からいただいた12月10日ブログへの感想を、2例引用しておきたい。
「12月10日の植村隆さんの手記を紹介するブログを読んで涙が止まりませんでした。植村バッシングの本質を鋭くついている点や手記最後の部分への共感など、本当に植村さんの言いたいことを代弁して下さっていて、うれしく思います。
『文藝春秋』編集部の前文はいやらしい書き方ですが、本質的批判ではないと私は受け止めています。アリバイ作りというか、『文藝春秋』は植村さんの手記を載せる以上、右翼からのバッシングを恐れてあのような前文を書かざるを得なかったのでしょう。違う意味での『委縮』だと思います。
それでも、植村さんの主張が、保守系雑誌にきちんと載ったことの意義は大きいと思っております。
これからもよろしくお願いいたします。」
「12月10日の澤藤さんのブログで植村隆さんの手記が発表されたことを知って、さっそく図書館でコピーして読みました。この手記は非常に重要ですね。
この手記は、事件について教えてくれるばかりでなく、現在のわれわれの社会の政治的言論の異様な状態──自由な発言と議論と批判を排除して、嘘と隠蔽と根回しとイメージを操作することによって集団の合意を形成しようとし、自分と異なる意見にたいしては反論するのではなく圧力をかけることによって黙らせようとする──を理解するための重要な鍵をいくつか与えてくれるように思います。
植村さんの手記を読むと、この事件が、脅迫電話や脅迫状や『電凸』を仕掛けたネトウヨだけが犯した犯罪ではないことに気づかされます。
1991年8月10日の植村さんの最初の記事から2014年の植村宅や北星学園に対する嫌がらせまで、この事件を紡いでいった一つ一つの鎖の輪のなかに登場する諸個人──西岡力は中でももちろん重大ですが、その他にも、朝日新聞東京本社からはじまって、慰安婦問題を大きく取り上げようとしなかった大手新聞各社、雇用契約を一方的に破棄した神戸松蔭女子大学の幹部、本人取材をスルーした読売新聞記者、盗撮したフラッシュ女性記者、ネットで中傷を繰り広げた者たち、その中傷に屈して雇い止めを望んだ北星学園大学の一部のひとたち、謝罪会見を準備した朝日新聞本社の幹部とそれを指揮し会見を実際に行なった木村社長にいたるまで──これら諸個人の判断と行動の一つ一つの積み重なりが、この事件を構成しているのだということに気づかされます。
もし、これら諸個人の一人一人が、正しく判断し、真実を言う勇気をもっていたら、この事件は起らなかったのではないかと思います。
組織や集団において責任ある地位にいる諸個人、その人たちの不見識と無責任と怯懦が、そして、そのような人々を組織や集団のトップに押し上げるような組織運営のシステムが、今日の言論の危機を招いているのではないでしょうか。
有権者に、判断のための情報と議論をする時間を与えず、イメージだけを与えて、自分たちが勝てるうちに総選挙をやってしまおうとする安倍首相のやりかたが、ナオミ・クラインが『ショックドクトリン』と批判したまさにその手法です。また、一国の首相がフェイスブックで個人のコメントに噛みつくような世の中では、勇気も見識もない跳ねっ返りが、気にくわない相手を匿名で恫喝するのも当然のことのように思えてきます。
このようなモラルと言論空間の変容は、政治、経済、社会の変容と結びついてもいるわけで、そちらの方も別の機会に考えてみたいと思います。
いずれにしても、澤藤さんが12月10日の憲法日記で書いていらっしゃるように、この現実に起きている恐るべき悪夢について、『今何が起こっているのか、何がその原因なのか、そしてどうすればこの状況を克服できるのか。理性と良識ある者の衆知と力を結集しなければならない』という言葉に賛同します。
今日の恐るべき政治の主導者たちが、毎日のように昼夜を問わず料亭やホテルや別荘や研究所に集まって悪知恵と悪だくみに磨きをかけているのに対して、それを打ち破ろうとする者たちがなかなか彼らに勝てないのは、そして野党や市民運動が脆弱なのも、知恵を出し合って一緒に議論したり探究したりしていないからではないでしょうか(もしかしたら、すぐれた研究はたくさんあるのに、僕が勉強していないだけなのかもしれませんが)。それにしても、この現状を打開するための知の探究は、一人でできるものでははないし、また、一人ですべきものでもないように思います。
またお目にかかってお話ししましょう。寒さの折り、お体を大切になさってください。」
植村手記を我がこととして読む人がおり、また、植村手記を現代の病理を象徴する重要な事件として真剣に読み解こうとする人がいる。植村・北星学園が孤立した状況は確実に克服されつつある。
私は、この問題についてのブログを発信し続けよう。そして、弁護士としてできることを追求する。さしあたっては、仲間と語らって、ネットにアップされた典型的な悪質いやがら事案を刑事事件として立件させることに努力する。
(2014年12月14日)
私自身が被告となっている「DHCスラップ訴訟」の次回口頭弁論期日の日程が間近になってまいりました。法廷傍聴と報告集会のご案内を申し上げます。
12月24日(水)午前11時? 口頭弁論
東京地裁631号法廷(霞ヶ関の裁判所庁舎6階南側)
同日11時30分? 報告集会
場所は東京弁護士会室508号室(弁護士会館5階)
今回の法廷では、前回期日での裁判長からの指示に基づいて、被告が準備書面を陳述することになります。まず、裁判所から求められた準備書面の内容は以下のとおりです。
☆前々回(9月17日)の期日に、裁判長は原被告の双方に対して「主張対照表」のフォーマットへの書き込みを指示しました。「現在、東京地裁での名誉毀損訴訟の審理においては、通常このような対照表を作成するかたちで行っていますので」とのコメントを付してのことでした。
☆ところで、名誉毀損訴訟の事案類型は、「事実摘示型」と「論評型」の2類型に大別されます。「事実摘示型」は、特定の人物の「社会的評価を低下させる事実」を摘示(曝露)するタイプの言論を違法と主張するもの。「論評型」は、既知の事実を前提とした批判(評価)の言論を違法と主張するもの。各々の判断枠組みが異なります。この対照表のフォーマットは、「事実摘示型」の審理に親和性をもつもののように思われるものとなっています。
☆これまで原告は、私のブログの文言を寸断して、「あれも事実の摘示」「これも事実の摘示」と言ってきました。これに対して、被告は「事実の摘示ではない」「全ては、原告吉田が週刊誌に告白した事実と社会的に周知されている事実から合理的に推論した意見ないし論評である」と反論してきました。
ちなみに、事実摘示型の言論は原則として違法とされ、違法性を阻却される要件が充足されるかという観点で審理が進行します。違法性阻却事由は、(1)当該の言論が公共に係るもので、(2)もっぱら公益をはかる目的でなされ、(3)かつ、その内容が真実である(あるいは真実であると信じるについて相当の理由がある)場合とされます。
「(1)公共性、(2)公益性、そして(3)真実性(ないし相当性)」の3要件と定式化されているものです。この3要件を充たして初めて、他人の名誉を毀損し、社会的評価を低下させる言論が違法ではなくなって許容されるという枠組みなのです。
これに対して、論評型では、「事実について述べることとは違って、意見や見解を述べることは自由」という原則をもって処理されます。問題とされている言論の真実性や真実相当性が問題となる余地はなく、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱」していない限りは違法性がないと判断されることになります。
名誉毀損事件の圧倒的多数は事実摘示型です。芸能人やスポーツ選手のスキャンダル報道がその典型。特ダネ・スクープと言われるすっぱ抜き報道も事実摘示です。本件で、私が週刊新潮の記事以前に「DHC吉田から、渡辺喜美に8億円の金が密かに渡っていていた」とすっぱ抜けば紛れもない「事実摘示型」。その摘示事実が真実であることの立証が最大の問題となるところ。しかし、8億円授受の事実をすっぱ抜いたのは吉田自身ではありませんか。私は、その事実に基づいてごく常識的な意見を言ったに過ぎません。私の言論は、既知の事実を前提とする論評なのですから、表現内容の真実性や相当性を問題にする余地はありません。原告が私のブログを名誉毀損だと主張すれば、典型的な「論評型」の訴訟となるわけです。
この「事実摘示型」「論評型」との分類は、決して形式論理に基づくものではなく、憲法21条の表現の自由を重視しつつ、表現によって名誉を侵害される人の人格的価値の尊重とのバランスをどうとるべきかという観点から生まれてきた審理方法なのです。
☆原告は、何が何でも私の言論を封じることが目的ですから、従前の通りにこの主張対照表に「あれも事実の摘示」「これも事実の摘示」と書き込みました。これに対して、被告は「すべては原告吉田自身が週刊誌に告白した事実から合理的に推論した論評である」と書き込みました。結局は、対照表の作成にさしたる意味はなかったことになります。
☆前回(11月12日)の法廷では、裁判長はさらに、被告に対して「論評が前提とする事実を、『吉田が週刊誌に告白した事実』というだけではなく、もっと特定していただきたい」というものとなりました。裁判所の求めているところや、裁判所の考え方などを明確化するためのやり取りをかなり長時間続けて、裁判所の基本的な枠組みについての考え方が、常識的なものと確認できたので、被告弁護団はその指示に従うことを了解しました。
☆もっとも、被告本人の私には、裁判所の訴訟指揮に釈然としないものが残ります。本件は、企業経営者が8億円もの巨額のカネを政党の党首に注ぎこんだことに対する批判の言論です。その行為は、民主主義の政治過程を金の力で歪めてはならないとの観点から批判し、社会に警告を発したものです。しかも、その企業経営者は、サプリメントや化粧品の製造販売の事業を営み、常々厚生行政や消費者行政に服する立場にあって、その行政による監督の厳格さに不平不満を募らせていた人物なのです。しかも、本来このような政治に注ぎこまれるカネについては、本来公開されて批判の対象としなければならないとするのが政治資金規正法の基本理念。原告吉田の行為は、渡辺喜美の行為とともに批判されて当然というのではなく、それ自体強い批判を必要とするものと信じて疑いません。
☆もし仮に、私のブログに掲載された言論が、いささかでも違法ということになれば、およそ政治的な言論は成り立たなくなります。同種のスラップ訴訟が頻発することとなるでしょう。これを恐れたジャーナリズム総萎縮の事態が出来することとならざるを得ません。批判の言論は封じられ、おべんちゃらの言論だけが横行します。それは、憲法21条が画に描いた餅になることを意味しています。まがまがしい民主主義衰退の未来図以外の何ものでもありません。
☆次回期日に陳述予定の被告準備書面(4)は、そのような基本視点から、本件を飽くまで論評型として審理するよう迫る内容となっています。具体的には、報告集会で弁護団から詳しく解説されることになります。
どうぞ、法廷傍聴と報告集会にお越しください。
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別件のご報告です。
私と同じ弁護士ブロガーで、私と同様にDHC・吉田の8億円拠出をブログで批判して、私と同じ日(本年4月16日)にDHCと吉田から名誉毀損損害賠償請求の提訴を受けた人がいます。提訴の請求金額は2000万円。当初の私に対する請求金額と同額です。その方の係属部は東京地裁民事第30部。そして、その人の場合は、「サクサクと審理を進め、早期に勝訴判決を獲得」という方針で、証拠調べ期日を設けることなく、10月16日に早くも結審しました。結審3か月後の15年1月15日に判決言い渡しが予定となっています。この判決に注目せざるを得ません。
また、DHCと吉田は「8億円授受事件」の批判的報道に関して、2件の仮処分命令申立を行っています。いずれも、東京地裁民事9部(保全事件専門部)で却下され、さらに東京高裁の抗告審でも敗訴しています。つまり計4回の決定がDHC吉田の主張を一蹴しているのです。彼らの濫訴は明らかといってよいと思います。
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『DHCスラップ訴訟』ご報告
《経過》(問題とされたのは下記ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」)
ブログ 3月31日 「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
4月 2日 「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
4月 8日 政治資金の動きはガラス張りでなければならない
参照 https://article9.jp/wordpress/?cat=12 『DHCスラップ訴訟』関連記事
4月16日 原告ら提訴(原告代理人 山田昭・今村憲・木村祐太)
係属は民事24部合議A係 石栗正子裁判長
事件番号平成26年(ワ)第9408号
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
6月12日 弁護団予備会議(参加者17名・大型弁護団結成の方針を確認)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
この席で原告訴訟代理人から請求拡張予定の発言
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾」
第1弾?第4弾 「いけません 口封じ目的の濫訴」「万国のブロガー団結せよ」「言っちゃった カネで政治を買ってると」「弁護士が被告になって」(7月13?16日) 現在30弾まで
7月16日 原告準備書面1 第1弾?第3弾に対して「損害拡大」の警告
7月22日 弁護団発足集会(弁護団体制確認・右崎先生提言)
8月13日 被告準備書面(1) ・委任状・意見陳述要旨提出。
8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
被告本人・弁護団長意見陳述。
11時? 東弁508号室で報告集会(北健一氏・田島先生ご報告)
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 準備書面2提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」と、8月8日「第15弾」
9月12日 DHCから(株)テーミスに対する訴え(35部)取り下げ。
9月16日 被告準備書面(2) 提出
9月17日 10時30分 705号法廷 第3回(実質第2回)弁論期日。
11時? 東弁507号室で報告集会(スラップ被害者の報告)
10月28日 原告準備書面3 主張対照表(原告主張部分)提出
11月10日 被告準備書面(3) 主張対照表(被告主張部分)提出
11月12日 10時? 631号法廷 第4回(実質第3回)口頭弁論
11時? 第一東京弁護士会講堂で報告集会(三宅勝久氏報告)
12月24日 11時? 631号法廷 第5回(実質第4回)口頭弁論
11時30分? 東弁508号室で報告集会兼弁護団会議
※ 弁護団・経過報告(光前弁護団長)
※ 意見交換
テーマ1 審理の進行について
本日までの審理の経過をどう見るか。
今後の主張をどう組み立てるか。
テーマ2 反訴の可否とタイミングをどうするか。
テーマ3 今後の立証をどうするか。
テーマ4 DHCスラップ他事件との連携をどうするか。
テーマ5 マスコミにどう訴え、どう取材してもらうか
《この事件をどうとらえるか》
*政治的言論に対する封殺訴訟である。
*言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評 「カネで政治を買う」ことへの批判
*具体的には、サプリメント規制緩和(機能表示規制緩和問題)を求めるもの
*言論妨害の主体は、権力ではなく、経済的社会的強者
*言論妨害態様が、高額損害賠償請求訴訟の提訴(濫訴)となっている。
*ブログというツールが国民を表現の自由の権利主体とする⇒これを育てたい
*強者が訴権を濫用することの問題点
**************************************************************************
『DHCスラップ訴訟』応訴にご支援を
このブログに目をとめた弁護士で、『DHCスラップ訴訟』被告弁護団参加のご意思ある方は東京弁護士会の澤藤(登録番号12697)までご連絡をお願いします。
また、訴訟費用や運動費用に充当するための「DHCスラップ訴訟を許さぬ会」の下記銀行口座を開設しています。ご支援のお気持ちをカンパで表していただけたら、有り難いと存じます。
東京東信用金庫 四谷支店
普通預金 3546719
名義 許さぬ会 代表者佐藤むつみ
(カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)
(2014年12月12日)
本日(12月10日)発売の「文藝春秋・新年号」に、「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」と題する朝日新聞植村隆元記者の「独占手記」が掲載されている。
私が普段この雑誌を購入することはない。が、今号だけは別。さっそく買って読んでみた。素晴らしい記事になっている。「週刊金曜日」・「月刊創」・ニューヨークタイムズ・東京新聞(こちら特報部)に続いて、ようやく出た本人自身の本格的な反論。
タイミングが実によい。明日(12月11日)が北星学園の理事会だと報じられている。この手記は、学園の平穏を維持する立場から植村講師雇用継続拒否もやむを得ないと考える立場の理事に、再考を促すだけのパワーをもっている。
手記は、植村バッシングが実はなんの根拠ももってはいないこと、にもかかわらず右翼メディアと右翼勢力とが理不尽極まる人身攻撃を行っていること、この異様な事態にジャーナリズムの主流が萎縮して必要な発言をしていないことを綿密に語っている。
これは今の世に現実に起きている恐るべき悪夢である。マッカーシズムにおける「赤狩り」とはこんな状況だったのであろう。あるいは天皇制下の「非国民狩り」もかくや。今何が起こっているのか、何がその原因なのか、そしてどうすればこの状況を克服できるのか。理性と良識ある者の衆知と力を結集しなければならないと思う。
植村手記はその最終章で、「頑張れ北星」「負けるな植村」の声が高まりつつあるとして希望を語っている。そして、自分を励ます言葉で結ばれている。まだまだ、救いの余地は十分にある。我々が声を上げさえすれば…。
手記は全27頁に及ぶ。時系列とテーマで、「手記その?」?「手記その?」の7章から成る。それぞれが読み応え十分な内容となっている。これまでの経緯を述べて、文春・読売・西岡力らのバッシングに対する全面的な反論になっている。
その手記に前置して、「我々はなぜこの手記を掲載したのか」という編集部の2頁におよぶコメントが付けられている。これはいただけない。文春編集部の懐の狭さを自白するお粗末な内容。しかし、それを割り引いても、植村手記にこれだけのスペースを割いたのは立派なもの。営業政策としての成功も期待したい。朝日バッシングの重要な一側面をなす植村問題について語るには、今後はこの手記を基本資料としなければならない。文春を購入して多くの人にこの記事を読んでもらいたいと思う。ただ読み流すだけでなく、徹底して読み込むところから反撃を開始しよう。
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植村手記に前置された文春編集部のリードは、あからさまな植村批判の内容となっている。読者には白紙の状態で手記を読ませたくないという姿勢をありありと見せているのだ。編集部なりの要約にもとづく植村への批判を先に読ませて、その色眼鏡を掛けさせてから手記本文を読ませようという訳だ。
このリードは、「植村隆氏が寄せた手記は、日本人に大きな問題を突きつけている」と始まる。読み間違ってはいけない。大きな問題とは、植村の言論に対するバッシングという手記執筆以前の異常な現象をさしているのではなく、この文章の文意のとおり、「手記」自体が問題だと言っているのだ。問題の具体的内容は、「(1)ジャーリズムの危機」、と「(2)社会の危機」だという。もう一度、間違ってはいけないと念を押さねばならない。「(1)ジャーリズムの危機」とは、23年前の記事に対する現今のメディアの執拗な攻撃のことではない。植村の手記に表れているジャーナリストとしての姿勢にあるのだという。植村が「真実を見極めるべきジャーナリズムの仕事にふさわしくなく、(従軍慰安婦)として被害にあったと主張する人に『寄り添う』と言っていること」を、危機だというのだ。これには驚いた。
次いで、「(2)社会の危機」とは、「植村氏とその家族に向けられたいやがらせ、脅迫の数々」を言っている。しかし、この明白な犯罪行為を含む卑劣な諸行為は、文春自身を含む、朝日バッシングに加担したメディアが主導して作りだした社会の雰囲気によって起こされたものではないか。そのことについての自省の弁はない。
ちなみに、数えてみたところ、「(1)ジャーリズムの危機」に関する記事は63行であるのに対して、「(2)社会の危機」に関する記事は9行に過ぎない。
もっとも、誰が読んでも、文春のリードの書き方はおざなりで切れ味にも迫力にも乏しい。91年当時の植村署名記事や今回の植村手記を、本気で批判しているとは思えない。「ジャーナリズムの危機」などという大袈裟な言葉が空回りしている。植村手記掲載に対する右翼からの批判を予想し、先回りして弁解の予防線を張っておこうという姿勢なのだろう。文春自身がジャーナリズムの萎縮の一つの態様を見せているのだ。
そんなことを割り引いても、植村手記掲載は月刊文藝春秋編集部の英断といって差し支えない。これが、植村バッシング終息への第一歩となりうるのではないか。
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「手記その?慰安婦捏造記者と書かれてー西岡力氏への反論」や、「手記その?バッシングの日々ー大学の雇用契約も解消された」を読むと、この社会は異常な心理状態にあると薄ら寒さを感じる。国賊や売国奴、反日の輩を探し出して天誅を加えなければならないとする勢力が跋扈しているのだ。このような排外主義者にメディアの商業主義が調子を合わせ、扇動的な言論を売っているという構図ではないか。
植村手記は押さえた筆で書いているが、「週刊文春」、「フラッシュ」、「週刊新潮」、「週刊ポスト」の名を挙げて、取材姿勢や記事の内容の問題点を具体的に指摘している。さらに、「読売の取材姿勢」については、小見出しを作って問題にしている。
これらのメディアの報道に追随して、無数の匿名のブログやツイッターが悪乗りのバッシングを競い合っている。その標的は最も高い効果を狙って、弱いところに集中する。今攻撃対象となっているのは植村氏の家族であり、北星学園なのだ。その卑劣な無数の言動のなかには、少なくない業務妨害や名誉毀損、侮辱、脅迫、強要などの明らかな犯罪行為が含まれている。
文藝春秋社や小学館などは、堂々たる主流の出版メディアではないか。まだ遅くない。その見識を示して、このような異様な現状を修復することに意を尽くすべきではないか。
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最終章「手記その?『負けるな植村!』ー私の何が悪かったのか」は、窮状を訴えつつも感動的な決意の表明であり、国民への呼びかけともなっている。「負けるな植村!」は、自身に対する激励である。91年に慰安婦問題の記事を書いた当時の32歳の植村が、今56歳になった北星学園講師の植村へのエールでもある。
「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃し、ひるませようとする勢力が2014年の日本にいる。それには屈しないと声を上げる人々もいる。お前も一緒に立ち向かえと、若き日の自分から発破をかけられているのだ。」
「私は『捏造記者』ではない。不当なバッシングに屈する訳にはいかない」
これが結びの言葉だ。私たちが、この言葉を受け止め、呼応する決意をつなげなければならない。
手記の文中に「『慰安婦問題』を書くと攻撃を受けるという認識が朝日新聞自体にも広がっているようだ。記者たちの萎縮が進んでいるように思える」「そこが私を攻撃する勢力の『狙い』なのではないか」「松蔭、帝塚山に続いて、北星も脅しに屈したら、歯止めが利かなくなる」とある。私たち一人ひとりに、このような萎縮と闘うことが求められている。
まずは、この手記を徹底して読みこもう。そして、植村氏と北星を激励しよう。さらに、自らの課題として「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃しひるませようとする勢力」に屈しない決意を固めよう。他人事ではないのだ。
(2014年12月10日)
今日は、特定秘密保護法成立からちょうど1年。7月1日と並ぶ壊憲記念日である。
「憲法の輝く理念は闇の中 だから12月6日も壊憲記念日」
安倍内閣が存続すれば壊憲記念日が増え続けることになる。なんとかこれを阻止しなければならないと思う。
昨年の今日付の私のブログを読み直してみた。さすがにボルテージが高い。一節だけ引用しておきたい。
「今日も道行く人々にマイクで語りかけた。反応は様々。街宣活動参加者の怒りのボルテージと、道行く人の醒めた日常の心境とには明らかに隔たりがある。その温度差は当然といえば当然なのだが、昨日の特別委員会強行採決への怒りが治まらない。自ずからマイクの声にもトゲが混じる。
ご通行中の皆様、私たちは今参議院で審議中の特定秘密保護法案の廃案を求める宣伝活動を行っています。昨日の特別委員会強行採決には怒りを禁じ得ません。ぜひ、ビラをお読みください。皆さん、『自分には関係ない』とおっしゃっても、この法案の方は、あなたは無関係と放っておいてはくれません。この法案が通れば、必ず、あなたの権利や自由に影響が及ぶことになります。少なくとも、確実にジャーナリズムは萎縮する。私たちは知る権利を害される。それだけではありません。昔、軍機保護法という法律がありました。陸海軍大臣が思いのとおりに、軍事秘密を指定します。すると、飛行場も、港湾も、気象も、地震も、空襲の被害も一切秘密になる。写真も禁止、スケッチも禁止、喋ってもならない。うっかり喋るとスパイにされたのです。気象が軍事秘密でしたから、天気予報はなくなります。台風の予報もされなくなる。戦時中は、そのような時代でした。特定秘密保護法はこれと同じ構造の法律です。『大本営発表の時代』が到来しかねません。
今日は平和なようですが、この平和がいったいいつまで続くことになるか。私たちが、大事なことを他人任せ、安倍晋三任せにしてしまうと、『こんなはずではなかった。あのとききちんと反対しておけばよかった』となりかねません。今ならまだ、声を出せます。反対の声をあげられる。皆さん、ぜひ、特定秘密保護法に反対を…」
ところで、昨年の今ごろは1年先に解散総選挙があるなどとはつゆほども思わなかった。仮に総選挙間近という状況であれば、さすがの安倍内閣もこれほどの悪評を招く法律を、これほどのゴリ押しはできなかったろう。その選挙が、今眼前にある。選挙でリベンジしたい。痛切にそう思う。
当然のことながら、特定秘密保護法も大きな選挙の争点である。しかし、これも当然のことながら政権は選挙の争点にはしたくない。
複数の報道では、菅義偉官房長官が解散直前の11月19日の記者会見で、「集団的自衛権の行使を容認するために憲法解釈を変更した7月の閣議決定や、2012年衆院選の自民党公約になかった特定秘密保護法の制定は衆院選の争点にならないとの考えを示した」という。また、「国民の知る権利を損なう恐れのある特定秘密保護法の制定は『いちいち、一つ一つについて信を問うことではない』と述べた」ともいう。何を争点にするかは国民が決めること、国民の審判を仰ごうとする政権の態度ではない。安倍政権の傲りがよく表れている。
昨年の今ころ、「国民の知る権利を奪う特定秘密保護法」「ジャーナリズムを萎縮させ、国民の目、耳、口をふさぐ秘密保護法」というキャッチフレーズは、広範な国民の共感を得るところとなった。私は、この法律を、「国民は政府が許容した範囲の情報だけに接しておればよいとするコンセプトでできたもの」「それは、政権を信頼せよ。外交や防衛の問題は政府を信頼して任せておけば良い、という思想に基づくもの」と批判した。このまま推移すれば「国民の目、耳、口をふさぐ秘密保護法」今月10日に施行日を迎える。特定秘密の件数は政府全体で46万件前後となる見通し(共同)で、平和の維持や表現の自由という憲法の理念が、秘密の闇に沈み込むことになる。
憲法の輝く理念を特定秘密保護法の闇の中から救出しよう。それこそが、壊憲記念日の決意。その具体的手段は12月14日総選挙の各自の一票で、安倍自民党に大きな打撃を与えることである。一年前を思い起こして主権者としての心意気を示そうではないか。
(2014年12月6日)
12月3日付のニューヨークタイムズに、右翼的潮流による「朝日・植村バッシング」に関する記事が大きく掲載された。
下記URLで閲覧が可能である。
http://www.nytimes.com/2014/12/03/world/asia/japanese-right-attacks-newspaper-on-the-left-emboldening-war-revisionists.html?_r=0
見出しは、「歴史修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃」と訳して大きくはまちがつていないだろう。単に、植村隆・北星学園大学講師に対する卑劣な脅迫についての現象面の報道にとどまるものではなく、背後の構造をとらえての右翼的な潮流への批判となっている。匿名の右翼だけでなく、安倍晋三首相や読売新聞が名指しで批判の対象となっていることに注目しなければならない。
残念ながら、日本のメディアで、これだけまとまった朝日バッシング批判の記事に接したことがない。批判の姿勢も立派なものだ。とはいえ、日本のメディア事情について、内容はかなり悲観的だ。日本のジャーナリズム全体の沈黙に対する批判がある。
このニューヨークタイムズの記事が、良心的なグローバルスタンダードと言えるのだろう。外国メディアですら、声を上げている。私たちも黙ってはおられない。
とりあえず、全文を翻訳してみた。仮訳である。間違いも多かろうが、これで大意はつかんでいただけると思う。
拡散していただけたらありがたい。これが、反撃の第一歩に繋がればと思う。
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ニューヨークタイムズ
戦争修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃
マーティン・ファックラー 2014年12月2日
日本の札幌発
その記事を書いたとき、植村隆は33歳であった。当時日本の二番目に大きい朝日新聞の調査報道記者であった彼は帝国軍が世界第二次大戦時に女性が軍の売春施設で働くことを強制されたかどうかを調査していた。彼の「未だに涙を伴う記憶」と題する記事は韓国の慰安婦の物語の最初のものであった。
この25年も前の記事が、現在ジャーナリストを引退して56歳になる植村氏を政治的右翼がターゲットにしている。タブロイド紙が彼に韓国人の嘘をまき散らしている売国奴との烙印を押している。暴力の脅しが大学での教授の機会を一つ奪い、二つ目をまさに奪おうとしていると、彼は言う。超国粋主義者らは彼の子どもを追いかけ、ティーンエイジの彼の娘を自殺に追い込めと人々を扇動するインターネット記事を発信している。
こうした脅しは右翼のニュースメディアや政治家による、日本の保守主義者が好んで憎む朝日新聞に対する広範で痛烈な攻撃の一部である。しかし、この最近のキャンペーンは戦後日本における一番激しいものであった。安倍晋三首相をふくむ国家主義政治家が日本の進歩主義の政治的影響の要塞の一つを脅した攻撃の奔流をあらわにしたものである。戦時中の売春の強制にたいする1993年の政府の謝罪の再考を要求する修正主義者を勢いづかせるものでもあった。
「彼らは歴史を否定するように脅迫を使っている」と植村氏は言い、自分自身を守るための緊急の訴訟手続きにまで言及し、書類の束を持って、北の都市でインタビューに応じた。「彼らは黙らせようとして脅している」
メディアの言う「朝日新聞への戦争」は朝日新聞が批判者たちに屈服して、80年代と90年代初めに掲載した12本の記事を撤回した(今年)8月に始まった。これらの記事は、朝鮮の婦人を軍事売春施設へ誘拐したと述べた吉田清治という日本軍元兵士の言葉を引用している。吉田氏の証言は20年前に信憑性が否定されていたが、朝日新聞の態度をすかさずとらえて、135年つづいた新聞のボイコットを要求した。
10月には安倍氏自身が「朝日新聞の間違い報道はたくさんの人々を傷つけ、悲しませ、苦痛を与え、怒らせた。日本のイメージを傷つけた」と述べて、国会の委員会で攻撃をした。
この月の選挙において、解説者たちは日本の保守派は有力な左派新聞の脚を縛ろうとしたと分析した。朝日新聞はずっと日本の戦時軍国主義の賠償を支持し、安倍氏のほかの問題についても反対していた。しかし、2年前の選挙の壊滅的な敗北のあとにリベラルな反対派がさんざんな有様になるにつれて、だんだんに孤立化してしまった。
安倍氏とその同志は長い間うかがっていた大きな獲物、つまり日本軍が何万人もの朝鮮人や日本人でない婦人を戦時中に性奴隷として強制したという国際的に受け入れられた意見を追い詰めるチャンスとして朝日新聞の苦難をつかまえたのである。
大部分の歴史家の主流意見は帝国軍隊は侵略した征服地の女性を慰安施設として知られる軍営の売春施設で働かせるためにかり集めたということで一致している。その施設は中国から南太平洋に及んでいる。その女性たちは工場や病院の仕事を提供すると騙されて、慰安施設に着くと帝国軍人のための性的慰安を強制された。東南アジアにおいては施設で働かせるために女性をまさに誘拐したという証拠がある。
兵士たちと性行為を強制されたと後に証言した女性たちは中国人、朝鮮人、フィリピン人そしてかつてオランダの植民地であったインドネシアにおいて捕らえられたオランダ人であった。
しかし、戦争が始まったときすでに20年余も日本の植民地であった朝鮮において日本軍が女性を誘拐したり、捕まえたりしたという証拠はほとんどない。歴史修正主義者はこれを、女性たちが性奴隷として捕まえられたということを否定し、慰安婦は単に金のために軍について歩いた売春婦だと言いつのるための事実としている。彼らの意見によれば日本は、恨みを晴らそうとする南朝鮮によって繰りひろげられる中傷キャンペーンの犠牲者である。
吉田氏は嘘をついたー朝日新聞は1997年に彼の証言を変えるべくもないーという朝日の結論ではなく、正式訂正を出すのに時間がかかりすぎたということが、従軍慰安婦問題研究者にとっての驚きであった。朝日の記者たちは安倍政権がそれらの記事を朝日新聞記者を非難するために使うようになったがために朝日新聞はそれを結局はおこない、記録を率直に出すことによって攻撃が鈍ることを望んだといった。
にもかかわらず、その動きが弾劾の嵐をひきおこし、修正主義者に彼らの歴史解釈を引き起こす新しい引き金を与えることになった。彼らは外国の専門家たちを不信で頭を抱え込ませるようにした。つまり朝日新聞に従軍慰安婦が強制の犠牲者であったということを世界に納得させる責任があるとしむけたのである。
何人もの女性が苦難について証言するようになつたが、日本の右翼は国際的な日本非難を引き起こしたのは朝日新聞の報道が原因だと主張した。それらの非難には20世紀最悪の人権侵害のケースだとして明白で無条件の謝罪を要求した2007年の合衆国議会決議がふくまれる。
安倍氏とその同盟者にとっては、朝日を辱めることは、1993年の従軍慰安婦への謝罪をくつがえし、屈辱的な帝国日本の肖像画を削除したいという積年の願いを実現することである。右翼の多数は日本はアメリカ合衆国を含む第二次大戦の交戦国と較べて、悪い行いはしていないと言いつのっている。
「朝日新聞の今回の行いは修正主義者にとっては『それ見たことか』という機会を与えた」と中野晃一上智大学教授は言う。「安倍は日本の栄光を傷つけたという彼の歴史的な信念を追い求めるチャンスだと考えている」
朝日の保守的競争紙で世界最大の発行部数を誇る読売新聞はライバルの苦境について、従軍慰安婦報道の間違いを大きく扱った宣伝用リーフレットで大文字で書き立てた。8月以来、朝日の発行部数は約700万部のうち230797部も減少した。
右翼紙は植村氏を朝日が訂正した記事のなかに彼の記事などなかったにかかわらず、「慰安婦のでっち上げをした者」とあげつらっている。
植村氏は彼の味方をするメディアはほとんどないという。朝日でさえ怖がって彼を守ろうとはしなかった。のみならず、自分自身でさえ守らなかった。9月に、朝日新聞社長はテレビで謝罪し、編集長を処分した。
「安倍は朝日問題で他のメディアを自己検閲に追い込むよう脅している」と法政大学の政治学者山口二郎は言う。彼は植村氏を支える申し立てを組織している。「これは新しいマッカーシズムだ」という。
植村氏が地方文化と歴史を教えている北海道のミッションスクールである北星学園大学は超国家主義者の爆弾攻撃の脅しによって、彼との契約を見直そうとしている。先日の午後に植村氏の支持者たちが校内のチャペルに集まった。軍国主義へ向かう行進が異議を踏みにじった戦前の暗黒時代の過ちを繰り返さないように警告する説教を聞くためであった。
植村氏は公に姿をさらすことは気が進まないのでと説明して、参加はしなかつた。
「これは他のジャーナリストを沈黙追い込むよい方法だ」「彼らは私と同じ目にあいたいとは思わない」と彼は言った。
(2014年12月3日)
北海道新聞が11月17日の朝刊1面に「『吉田証言』報道をおわびします」と題して社告を掲載し、2ページにわたって検証記事を特集した。
毎日の同日夕刊が要領よく報道している。
「従軍慰安婦報道を巡り北海道新聞社(村田正敏社長)は17日朝刊で、朝鮮人女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を報じた記事について『信憑性が薄いと判断した』として取り消した。同紙は1面で『検証が遅れ、記事をそのままにしてきたことを読者の皆さまにおわびし、記事を取り消します』としている。
北海道新聞によると、吉田氏の証言に関する記事を1991年11月22日朝刊以降、93年9月まで8回掲載(1本は共同通信の配信記事)した。このうち今回取り消した1回目は、吉田氏を直接取材し『朝鮮人従軍慰安婦の強制連行「まるで奴隷狩りだった」』との見出しで報じた。この記事は韓国紙の東亜日報に紹介された。他の7本は、吉田氏の国会招致の動きなど事実関係を報じた内容のため『取り消しようがない』としている」
吉田証言紹介記事の取り消しは、本年8月5日の朝日、9月27日の赤旗に続いて、道新が3紙目となる。もちろん、この3紙だけでなく、当時は各紙とも記事にした。先んじて、検証の上取り消し謝罪した3紙の誠実さは評価されなければならない。
これに続く他紙の対応が注目される。とりわけ、産経と読売である。
以下は、本年8月5日付け朝日の検証記事の一節。まずは、産経の報道について。
「韓国・済州島での『慰安婦狩り』を証言していた吉田氏。同氏を取り上げた朝日新聞の過去の報道を批判してきた産経新聞は、大阪本社版の夕刊で1993年に『人権考』と題した連載で、吉田氏を大きく取り上げた。連載のテーマは、『最大の人権侵害である戦争を、「証言者たち」とともに考え、問い直す』というものだ。
同年9月1日の紙面で、『加害 終わらぬ謝罪行脚』の見出しで、吉田氏が元慰安婦の金学順さんに謝罪している写真を掲載。『韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした「証言者」』だと紹介。『(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた』としつつも、『被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ』と報じた。
この連載は、関西を拠点とした優れた報道に与えられる『第1回坂田記念ジャーナリズム賞』を受賞。94年には解放出版社から書籍化されている。」
当時の産経は、実に真っ当な報道姿勢をもっていたのだ。
次いで、読売はどうだったのか。
「読売新聞も92年8月15日の夕刊で吉田氏を取り上げている。『慰安婦問題がテーマ「戦争犠牲者」考える集会』との見出しの記事。『山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治さん』が、『「病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる」と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した』などと伝えている」
当時の読売には、「吉田さんは『病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる』と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した」「『暴力で、国家の権力で、幼児のいる母親も連行した。今世紀最大最悪の人権侵害だった』などと述べた」などの記事もあったという。
私自身には吉田調書の信憑性を判断して虚偽と断定する能力はない。「第1次サハリン裁判」で吉田清治が証言をした証言調書の抜粋が日本YWCAのパンフレットに掲載されているが、その証言を虚偽だと見抜くのは容易なことではない。当時の各紙の記者が信じ込んだのも無理からぬところ。先行して検証の上記事を取り消した3紙の姿勢を評価し、その他の各紙が次に続くことを期待したい。
その場合に望まれるのは「懺悔」ではなく、「自己検証」の充実である。どうして吉田証言を真実と軽信したのか、どうして訂正記事がこんなに遅れたのか、どうしたら同様の過誤の再発を防止できるのか。是非ともその作業を通じて、国民のジャーナリズムへの信頼を深める努力をしていただきたい。
(2014年11月18日)
私が被告となっているDHCスラップ訴訟次回口頭弁論期日の日程が明後日になりました。念のため、確認のご連絡です。
11月12日(水)午前10時? 口頭弁論
法廷は東京地裁631号(霞ヶ関の裁判所庁舎6階南側)。
同日10時30分? 報告集会
場所は第一東京弁護士会講堂(弁護士会館12階)
(法廷も集会も、いつもと違いますので、お間違えなく)
今回の法廷では、今後の審理の方向が決まると思われます。方向というのは、証拠調べ手続きに期日の回数を重ねなければならない訴訟になるか。証拠調べは比較的簡単に済ませるものになるか、です。その意味では、重大な期日になるかも知れません。
報告集会では、口頭弁論期日での裁判所の姿勢を踏まえて、今後の進行についての意見交換をしたいと思います。
そして、今回の報告集会では、スラップ訴訟の苦い被害経験と貴重な完全勝利の経験の両者をお持ちのフリージャーナリスト三宅勝久さんに貴重なお話しを伺うことにいたします。
三宅さんは、「週刊金曜日」に書いた記事によって、あの武富士から5500万円のスラップ訴訟を提起されました。しかもその請求金額は、審理の途中から倍の1億1000万円に増額されたのです。この裁判の苦労たるやたいへんなもの。貴重な時間と労力と、そして訴訟にかかる費用の凄まじさ。三宅さんは、財力ある者が金に飽かせて不当訴訟を浴びせることで生じる苦痛の生き証人というべきでしよう。
しかし、幸いにして三宅さんは完全勝訴をします。被告とされた事件の勝訴だけでなく、武富士の提訴を不法行為とする攻守ところを変えた訴訟でも勝訴します。その経過を通じての苦労だけでなく、スラップ訴訟対応のノウハウも、スラップ防止の制度をどう作るべきかご意見も伺いたいところです。期待いたしましょう。
なお、別件のご報告です。
私と同じ弁護士ブロガーで、私と同様にDHC・吉田への8億円拠出をブログで批判して、私と同じ日(本年4月16日)にDHCと吉田から名誉毀損損害賠償請求の提訴を受けた人がいます。提訴の請求金額は2000万円。当初の私に対する請求金額と同額です。その方の係属部は東京地裁民事第30部。そして、その人の場合は、「サクサクと審理を進め、早期に勝訴判決を獲得」という方針で、10月16日に早くも結審しました。結審3か月後の15年1月15日に判決言い渡しが予定となっています。
本件のごときスラップ訴訟で原告の請求が認容されることは、万に一つもあり得ないところですが、問題は勝ち方。ここはきっちりと勝たねばなりません。こだわる勝ち方というのは、名誉毀損のパターンには「事実摘示型」と「論評型」との2類型ががありますが、その「論評型」の典型として勝ちたいのです。
名誉毀損訴訟は、原告の「人格権(名誉権)」と被告の「言論の自由」という、それぞれが有する憲法価値が角逐します。裁判所はどちらかに軍配を上げなければなりません。当然のことながら、名誉権にも言論の内容にも軽重があり、局面ごとにこの両者を調整する視点も変わってきます。「事実摘示型」では、主として原告が「社会に知られたくない事実」を曝露する言論についての裁判所の判断枠組みです。その場合は、原則違法で、(1)当該の言論が公共に係るもので、(2)もっぱら公益をはかる目的でなされ、(3)かつその内容が真実、あるいは表現者が真実であると信じるについて相当の理由がある場合には、違法性が阻却されて、言論の自由が勝つという構造になります。真実性や真実相当性の立証に、被告は汗をかかなければなりません。
これに対して、「論評型」では、言論の自由の側からものを見て、真実性や真実相当性が問題となる余地はなく、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱」していない限りは違法性がないことになります。政治的言論、しかも「政治とカネ」のテーマについて、縦横に批判の自由が認められないはずがありません。
前回以後の書面の交換は、このような意見の応酬となっています。本件を「公正な論評」の典型事例として、最大限に政治的言論の自由を認める、きっちりした勝訴判決を得たいと思います。是非とも、法廷傍聴と報告集会にお越しください。
(2014年11月10日)
11月2日毎日社説「首相の『捏造』発言 冷静さを欠いている」に、胸のすく思いもし、救われた思いもした。節度を弁えての痛烈な批判の冴えに胸のすく思いをし、朝日の孤立を傍観せずジャーナリズムが共通の危機にあるとの見識が示されたことに救われた思いをしたということだ。だが、必ずしも他紙がこれに続いていないことについては危惧を感じざるを得ない。
同社説の冒頭は、「一国の首相の口からこんな発言が軽々しく飛び出すことに驚く。安倍晋三首相が朝日新聞を名指しして、その報道を『捏造だ』と国会の場で断じた。だが、捏造とは事実の誤認ではなく、ありもしない事実を、あるかのようにつくり上げることを指す。果たして今回の報道がそれに当たるかどうか、首相は頭を冷やして考え直した方がいい」
経過は次のようにまとめられている。「首相は先月29日昼、側近議員らと食事した。終了後、出席者の一人が報道陣に対し、首相はその席で政治資金問題に関し「(与野党ともに)『撃ち方やめ』になればいい」と語った、と説明した。これを受け、朝日のみならず毎日、読売、産経、日経など報道各社が、その発言を翌日朝刊で報じた。
ところが首相は30、31両日の国会答弁で朝日の記事だけを指して「私は言っていない。火がないところに火をおこすのは捏造だ」などと批判し続けた。一方、当初、報道陣に首相発言を説明した出席者はその後、「発言者は私だった。私が『これで撃ち方やめですね』と発言し、首相は『そうだね』と同意しただけだ」と修正した。つまり発端は側近らのミスだったということになる」
この事態を、毎日社説は次のように論評する。朝日自身には言いにくいことをズバリ言ってのけた感がある。
「首相はかねて朝日新聞を『敵』だと見なしているようで、今回の記事も『最初に批判ありきだ』と言いたいようだ。『安倍政権を倒すことを社是としていると、かつて朝日の主筆がしゃべったということだ』とも国会で発言している。だが、朝日側はその事実はないと否定しており、首相がどれだけ裏付けを取って語っているかも不明である。あるいは慰安婦報道や東京電力福島第1原発事故の「吉田調書」報道問題で揺れる朝日を、『捏造』との言葉で批判すれば拍手してくれる人が多いと考えているのだろうか」
「従来、批判に耳を傾けるより、相手を攻撃することに力を注ぎがちな首相だ。特に最近は政治とカネの問題が収束せず、いら立っているようでもある。しかし、ムキになって報道批判をしている首相を見ていると、これで内政、外交のさまざまな課題に対し、冷静な判断ができるだろうかと心配になるほどだ」
朝日へのバッシングは、リベラル勢力へのバッシングであり、またジャーナリズムへのバッシングでもある。リベラルも反撃しなければならないが、朝日以外のジャーナリズムも危機感を持って対決しなければならない。毎日が、安倍首相の「朝日捏造」発言を批判した見識には敬意を表せざるを得ない。
さっそく昨日(11月4日)の朝日川柳欄に、「お礼?」の2句が掲載されている。
毎日の社説にメディアの正義感(神奈川県 桑山俊昭)
権力にもの申さねば価値はなし(高知県 中山光晴)
これに、本日の毎日夕刊「熱血! 与良政談」が続いている。これも、実に歯切れがよい。「熱血!」と冠するだけのことはある。印象に残る部分を抜粋する。
「それは、あぜんとする光景だった。先月30日の衆院予算委員会で安倍晋三首相が朝日新聞の記事のみを指して『捏造』と断言した時のことだ。首相は言い終わった後、『してやったり』とでもいうような表情を浮かべ、それにつられて一部の議員からはどっと笑いまで起きた」
「確かに首相の言うように本人に確認すべき話だ。『首相に取材する機会は今、極めて限定されている』というのは言い訳に過ぎないかもしれない。だが、捏造とはありもしない事実を作り上げることだ。側近の説明ミスが発端の事実誤認を軽々しく捏造と呼ぶのはあまりに乱暴だ」「これが捏造となれば、今後批評や論評など一切できなくなる」
「長年、首相が敵視してきた朝日新聞は今、慰安婦報道や『吉田調書』報道などで激しい批判を浴びている。首相は今こそたたく時だと考えているのかもしれない。ただし、ムキになればなるほど、今の首相の余裕のなさを私は感じてしまう」
「言うまでもなく、これは朝日だけの問題ではない。報道の根幹に関わる話である。毎日、朝日以外の各紙がだんまりに近いことも私には不思議でならない」
付言すべきことはない。
(2014年11月5日)