澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

そこかしこ同じ穴のムジナがうようよ ー 石原慎太郎の毀誉褒貶

(2022年2月9日)
 石原慎太郎の死去が2月1日だった。「棺を蓋いて事定まった」はずなのだが、この人の場合、生前にもまして毀誉褒貶のブレが大きい。石原の同類や同類へのへつらいが、こんな人物を褒めたり、懐かしがったり、持ち上げたりしている。この際、石原の死に際して、誰がなんと言ったかをよく覚えておこう。 「自分は石原なんぞとの同類ではない」と声をあげている人が清々しい。たとえば、本日の東京新聞「本音のコラム」欄、斎藤美奈子の「無責任な追悼」という一文。抜粋しての引用。爽やかに辛辣である。

 「石原慎太郎氏は暴言の多い人だった。『文明がもたらしたもっとも有害なものはババア』『三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している』。暴言の多くは、女性、外国人、障害者、性的マイノリティなどに対する差別発言だったが、彼は役職を追われることも、メディアから干されることもなかった。そんな「特別扱い」が彼を増長させたのではなかったか。
 …作家としての石原慎太郎の姿勢にも私は疑問を持っている。朝日新聞の文芸時評を担当していた2010年2月。「文学界」3月号掲載の『再生』には下敷(福島智『盲ろう者として生きて』)。当時は書籍化前の論文)があると知り、両者を子細に読み比べてみたのである。
 と、挿話が同じなのはともかく表現まで酷似している。三人称のノンフィクションを一人称に書き直すのは彼の得意技らしく、田中角栄の評伝小説『天才』も同様の手法で書かれている。これもまた『御大・石原慎太郎だから』許された手法だったのではないか。
 各紙の追悼文は彼の差別発言を「石原節」と称して容認した。二日の本紙(東京新聞)「筆洗」は『その人はやはりまぶしい太陽だった』と書いた。こうして彼は許されていく。負の歴史と向き合わず、自らの責任も問わない報道って何?(文芸評論家)」


 浮かび上がる石原像は、基本的に汚い。そして、弱い者イジメを売り物にした唾棄すべき男。

 もう一つ、紹介しておきたい。本日配送された週刊金曜日に、斎藤貴男の「弔辞」が掲載されている。「ヘイトやフェイクの時代の先駆者、石原慎太郎氏への弔辞」というタイトル。その記事の中に、こんなことが書かれている。私は、初めて知って仰天した。

 「石原氏は16年東京五輪の招致活動で、IOC(国際オリンピック委員会)のロゲ会長(当時)に手紙を書いている。〈忌まわしい戦争〉から解放された少年時代に、〈民族を違えても人間は人間としてある〉と痛感したとする回顧から書き起こされ、わが祖国はその戦争への反省から〈戦争放棄を謳った憲法を採択し〉て今日に至った、日本で〈民族の融和、国家の協調を担う大きなよすがとなるオリンピックを行うことは、世界の平和に大きな貢献ができるものと信じます〉と結ばれていた。

 大嘘だった。近頃の若者がダメな理由はと問われた彼が「60年間戦争がなかったから」「『勝つ高揚感』を一番感じるのは、スポーツなどではなく戦争だ」と断じたのは五輪招致を言い出す半年前(『週刊ポスト』05年1月14・21 日号)。招致失敗後も何も変わらなかった。」

 斎藤貴男による石原評は、さすがに鋭く的確である。「石原氏は安全圏から標的を見下し、せせら笑って悦に入る。思えばヘイトやフェイクが猖獗を極める時代の、彼は先駆者だった。」「権力者にとって便利な人だった。躊躇のない差別は、新自由主義や、もちろん戦争の大前提であり、“理想”でもあるからだ。都政を私するコソ泥三昧が許された所以か。」「慎太郎的なるものの定着などあってはならない。合掌。」

 一方、こちらは、石原慎太郎と同じ穴のムジナか、ムジナへの迎合者たちの弁である。NHK・Webnewsに掲載された、「石原氏の死去を受けて、各界から悼む声が上がっています」という、延々たる記事の見出しを並べてみただけのもの。

岸田文雄首相「重責を担い大きな足跡を残された 寂しいかぎり」
自民で政調会長など歴任 亀井静香氏「『太陽が沈んだ』」
ジャーナリスト 田原総一朗さん「大きな衝撃で仰天 大ショック」
自民 茂木幹事長「カリスマ性あり 時代代表する政治家 言論人」
自民 安倍晋三元首相「既成概念に挑戦し続けた政治家」
自民 二階元幹事長「惜しい政治家を亡くした」
自民 古屋憲法改正実現本部長「遺志に応え改憲実現を」
自民 長島昭久衆院議員「政界でおやじのような存在」
維新 松井代表「経験豊富 丁寧な指導に感謝」
維新 馬場共同代表「生の政治について指導していただいた」
維新 鈴木宗男参院議員「筋を通す 芯がある政治家」
芥川賞受賞 田中慎弥さん「一度 お目にかかりたかった」
舘ひろしさんがコメント「偉大で稀有な存在でした」
野田元首相「尖閣諸島めぐる激論 忘れられない」
元都知事 猪瀬直樹氏「存在感のある人だった 喪失感が大きい」
小池都知事がコメント「強い思いを受け継ぎ 尽力」
東京五輪・パラ 組織委 橋本会長「レガシー 大事に育てていく」
JOC 山下会長がコメント「日本スポーツ界の発展に多大なる貢献」

カビの生えた福沢の、カビの生えた帝室論を、後生大事のアナクロニズム

(2022年1月17日)
 山田孝男という記者がいる。毎日新聞を代表する大記者だそうだ。今は、特別編集委員という肩書で、毎週月曜日の朝刊に「風知草」というコラムを書いている。

 大記者だけあって、政権とのつながりは密接のようだ。リテラによれば、安倍晋三との会食の常連だったようだ。たとえば、以下のように田崎史郎と並ぶさすがの存在。もちろん、大記者のこと、これだけではあるまいが。

●秘密保護法成立後の13年12月16日
場所=東京・山王パークタワー内中国料理店「溜池山王聘珍樓」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長

●集団的自衛権行使容認の検討を公式に表明した14年5月15日
場所=西新橋「しまだ鮨」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、島田敏男「NHK」政治解説委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長

●衆議院選が行われた14年12月14日の翌々日
場所=西新橋「しまだ鮨」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、石川一郎「日本経済新聞」常務、島田敏男「NHK」政治解説委員、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長

 毎日新聞にはふさわしからぬ保守色濃厚なこの人が、本日の朝刊コラムに、「皇位・政治・世論」の表題で、皇位継承問題に触れている。いかにももっともらしくて、まったくつまらぬ内容。だから、「いかにももっともらしさ」に惑わされてはならず、実は「まったくつまらぬ論稿なのだ」と指摘しておかねばならない。

要旨は以下のとおりである。

 岸田文雄首相が12日、皇位継承をめぐる政府有識者会議の報告書を衆参両院議長に手渡した―。この報告書は、おおむね「問題先送り」「本質でない」と批判されている。だが、皇統の秋篠宮家への移行―をめぐって世論に亀裂が走り始めた今、継承の行方をしばしあいまいにしておくことがダメな判断だとは思わない。

 報告書は、結びで福沢諭吉「帝室論」の「帝室は政治社外のものなり(皇室は政争の外にあれ)」を引き、皇位継承の政治化にクギを刺している。
 「帝室論」は明治15(1882)年の新聞連載である。当時、日本は帝国議会開設を控え、藩閥官僚政府の御用政党と反政府の民権党の対立がエスカレートしていた。福沢は、「保守守旧の皇学者流」と「自由改進の民権家流」が尊皇を競い、天皇を持ち出して相手を責めるのはよくないと警告。皇室の威信は政治や名利を超越するところにあると説いた。皇室と政治、世論を論じて深い。ちなみに、上皇陛下は皇太子時代、「帝室論」を音読されていたという。

 もしも今回の報告書が女系天皇容認を打ち出していれば、「愛子天皇」の現実味は増していた。だが、それで男系護持派が引き下がるか? 世論調査で7、8割が女系天皇支持だから大丈夫と言えるか? 皇室は「日本人民の精神を収攬(しゅうらん)(=民心を融和)するの中心」(帝室論)である以上、乱暴に押し切るわけにはいくまい。

 今後は国会の各党・会派が皇位継承について協議する。秋篠宮家バッシングが続く中、落ち着いた議論ができるか疑わしい。皇室は政争の外にあるべきものである。民心融和の中心たる皇室の未来を決めるにふさわしい時を待つべきだと思う。

 この論理おかしくはないか。一方で、皇室は「日本人民の精神を収攬(=民心を融和)するの中心」 と言っておきながら、他方で皇位継承をめぐる議論の分裂を嘆いているのである。「皇室は政争の外にあるべきもの」というのは、現実には「皇室は政争のタネとなっている」ということ。天皇制あればこその国論分裂ではないか。
 皇室は「日本人民の精神を収攬するの中心」だと? 人民を侮るのいいかげんにしろ。いまどき、皇室ごときに「収攬」されてたまるか。カビの生えた人物の、カビの生えたイデオロギーを、いまだ後生大事に抱えているアナクロニズムに辟易せざるを得ない。「皇室と政治、世論を論じて深い」だと? とんでもない、浅薄きわまりないと言うべきだろう。この人の頭の中は旧憲法のままで、現行憲法への転換がないようだ。

 あたかも、国会が天皇交替の制度を論じることが畏れ多いというがごとき姿勢。当然のことながら、天皇という地位も公務員職の一つでしかない。そのあり方は廃位も含めて主権者国民が論議し決定することなのだ。

 こういうアナクロニズムにまみれた姿勢こそが、彼を「大記者」として成功せしめたのだ。これが、現在の日本のジャーナリズムの水準である。大記者の論説だからと崇めてはならない、惑わされてもならない。  

薄汚い地方権力と本領を忘れたジャーナリズムとの、醜くも危険な癒着。

(2022年1月12日)
ある維新の議員が、昨日付のブログでこう発信している。

 「東京新聞 望月衣塑子記者のアンフェア発言に物申す。立憲・CLPの不祥事と大阪の連携協定はまったく同列ではない」

 分かりにくいものの言い方だが、私はこう思う。
 「東京新聞 望月衣塑子記者の発言に非難さるべき不適切さはまったくない。これをアンフェアと謗る維新議員こそ強く非難されねばならない。確かに、立憲・CLPの不祥事と大阪の連携協定はまったく同列ではない。維新と読売の癒着というべき大阪の包括連携協定の方が格段に悪性が強く、はるかに民主主義への負の影響が大きい。これを真逆に描くのは、ミスリードも甚だしい」

 「公権力と大新聞の癒着事件」と、「立憲・CLPの不祥事」との悪性・危険性を比較するには、問題を2層に分けてとらえねばならない。まずは、当該行為自体の可非難性であり、次いで当該行為の可視性の問題である。

 まずは、《読売新聞大阪本社と大阪府との包括連携協定》をどう評価すべきか。誰がどう見ても、ジャーナリズムと権力との癒着である。しかも、巨大全国紙と巨大地方都市の特別な関係の構築。好意的に読売をジャーナリズムと見るならば、権力批判をその本領とするジャーナリズムの堕落と言うべきだろう。また、権力の側から見れば、御用広報紙の取り込みで、批判を受けない権力は堕落する。そのツケは、府民にまわってくる。

 というだけではない。読売という御用新聞とポピュリズム政党維新の癒着である。当然にそれぞれの思惑あってのことだ。とりわけ、維新の府政は問題だらけだ。カジノ誘致も万博も、そしてまだ都構想も諦めていないようだ。コロナ禍再燃の中、イソジンや雨合羽の体質も抜けきってはいない。維新府政は、ジャーナリズムの標的となってしかるべきところ、読売の取り込みは維新にとっては使えそうなところ。客観的に見れば、この上なく危険極まる、汚れた二つの「相寄る魂」。

 但し、この癒着はことの性格上、アンダーテーブルではできないこと。年末のギリギリに発表して共同記者会見に及んだ。もちろん、会見では批判の矢が放たれたが、可視化はせざるを得ない。この癒着は大っぴらに開き直ってなされた。

 対して、《立憲がカネを出していたCLPの不祥事》の件である。こちらは、立憲がカネを出していたことが秘密にされていた。ここが不愉快でもあり、大きな問題でもある。これまでは与党の専売特許と思われていたことを野党第一党もやっていたというわけだ。

 可視化ができているかだけを比較すると、維新と立憲、立憲の方が明らかに分が悪い。立憲も弁明しているが、洗いざらいさらけ出して膿を出し切るのがよい。

 しかし、可視化ができているか否かの点だけを比較して、《維新は公明正大、これに較べて立憲のやることは不透明で怪しからん》というのは、ミスリードも甚だしい。

 行為の悪性や影響力を較べれば、維新の方が格段に悪い。読売と維新は、開き直って大っぴらに、「悪事」を働いているに等しいのだ。

 大阪読売のOBである大谷昭宏の声に耳を傾けたい。

「本来、権力を監視するのがメディアの役割なのに、行政と手を結ぶとは、とんでもない話です。大阪読売はこれ以上落ちようがないところまで落ちた。もう『新聞』とか『全国紙』と名乗るのはやめて、はっきりと『大阪府の広報紙』と言ったほうがいい。そこまで自分たちを貶めるんだったら、もはや大阪読売はジャーナリズムの範疇には置けませんよ」「期待はしていなかったんですが、それにしても行政機関と提携するとは、ジャーナリズムとしてあり得ない。そこまでジャーナリズムの誇りを打ち捨ててしまうのか。OBの一人として哀れというしかないですね」「今回、読売が協定を結んだのは、明らかに部数増と大阪府からの見返りを期待しているからです。大阪府の職員は、朝日や毎日よりも、府と協力関係にある読売を読むようになるでしょうし、読売に優先的に取材上の便宜を図ろうとするでしょう。まさにギブ&テイクです。」「会見では、一部の地方紙も行政と協定を結んでいると言い訳していましたが、痩せても枯れても読売は全国紙ですから、影響力の大きさが比較にならない。しかも、大阪府が、朝日や毎日や産経にも声をかけて、結果的に読売だけが応じたというならまだしも、今回は読売のほうから大阪府に提案したんです。吉村知事は『報道内容に何ら影響されることはない』と言うが、ゴロニャンとにじり寄った側が相手を叩くことなんかできるわけがないじゃないですか」

 「木に縁りて魚を求む」の喩えもある。維新に「権力の謙抑」やら「ジャーナリズムの本旨」を説いても耳にはいるとも思えないが、批判は続けなくてはならない。

真実性を欠いた右翼ジャーナリズムによる名誉毀損判決

(2021年10月6日)
 「WiLL」という月刊誌がある。常連の執筆陣は、櫻井よしこ・阿比留瑠比・藤井厳喜・石原慎太郎・上念司・石平・ケントギルバード・高橋洋一・山口敬之など。かつては、小川栄太郎も。この執筆陣を見れば、どんな雑誌と説明するまでもない。21年10月号には、安倍晋三も寄稿している。そういう傾向の雑誌。

 フリージャーナリストの安田純平さんが「WiLL」の出版元である「ワック株式会社」(東京)を被告として、損害賠償請求訴訟を提起していた。「WiLL」に掲載の記事で名誉を毀損されたので慰謝料を支払えという訴え。請求額は330万円だった。

 訴えの内容は、《ワック社は2018年に発行した「WiLL」に、安田さんが15年から3年以上拘束されたことについて「中東でよく行われている人質ビジネスでは?と邪推してしまう」との記事を掲載し、虚偽の事実を摘示して安田さんの名誉を毀損した》というもの。

 報道によれば、本日の判決は、この記事が「身代金名目で金銭を得る側に安田さんが加担していたことを黙示的に示した」と解釈したうえ、安田さんの名誉を毀損したと認めた。その上で、損害賠償として33万円の支払を命じたという。

 33万円の内訳は、判決の認めた慰謝料(精神的損害額)額が30万円で、その30万円の支払を得るための弁護士費用3万円の認容であろう。

 ワック側には、「身代金名目で金銭を得る側に安田さんが加担していた」ことの真実性を立証するか、少なくとも真実であると信じたことについての相当の事情の存在を立証しなければならない。これに関して、判決は「安田さんの会見以外に取材した様子はない」と判断したという。

 「WiLL」という月刊誌記事の信頼性がこの程度ということを世に明らかにした点で、この判決の意義は小さくない。しかし、問題は認容額である。わずかに、33万円。

 安田さん自身が、「被告は真実性の説明すら放棄しており妥当な判決だが、賠償金額が低すぎるため誹謗中傷に対する抑止効果が望めない点で残念と言わざるを得ない」とコメントしている。そのとおりだと思う。

 弁護士を依頼し、本業への差し支えを覚悟で手間暇をかけての訴訟追行活動が必要である。その上でようやく勝ち得た判決の認容額が33万円。これでは、ワックにに対する制裁として不十分で執筆姿勢の改善にインセンティブを与えない。むしろ、同種の裁判を提起する意欲を減殺させることにしかならない。

 実は同じ裁判官が、今年の春(3月10日)、同じような判決を書いている。原告が朝日新聞社、被告が小川栄太郎と飛鳥新社。やはり、名誉毀損損害賠償請求訴訟だが、こちらの請求金額は5000万円と大きい。

 小川栄太郎の著書「徹底検証『森友・加計事件』 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」の記述で名誉や信用を傷つけられたとして、朝日新聞社が小川氏と出版元の飛鳥新社を訴えたもの。

 同書は、森友学園への国有地売却問題や加計学園の獣医学部新設問題をめぐる朝日の報道を批判する内容で、2017年に発売された。判決は、「どちらも安倍(晋三前首相)の関与などないことを知りながらひたすら『安倍叩(たた)き』のみを目的として、疑惑を『創作』した」▽加計問題は「全編仕掛けと捏造(ねつぞう)で意図的に作り出された虚報」▽「『総理の意向』でないことが分かってしまう部分を全て隠蔽して報道し続けた」▽「朝日新聞とNHKとの幹部職員が絡む組織的な情報操作」という記述や著書のタイトルなど、計14カ所は「真実性が認められない」と判断。「報道機関としての名誉と信用を直接的に毀損する内容だ」と認めた。(朝日の報道による)

 また判決は、名誉毀損言論と特定した15か所の記事の内1か所は、名誉毀損言論とならない(朝日の名誉や信用を低下させる記述ではない)とされたが、残る14か所については、「報道機関としての名誉と信用を直接的に毀損する内容だ」と認めたうえで、「真実性が認められない」と判断したわけだ。

 森友・加計事件報道をリードしてきた朝日にしてみれば、この訴訟は掛け値なしに重要なものだったろう。判決は、責任論については立派なものだが、やはり損害額の認定が200万円では、僅少に過ぎる。被告らは、安堵したのではないだろうか。

 問題の記述は相当に悪質である。センセーショナルに事実に基づかぬ記事を書いて書籍の売上げを伸ばし、訴えられても損害賠償が少なければ、これをコストに見込んだビジネスモデルも成立しうるのだ。このような虚偽報道を許さぬ損害賠償の認容額が必要である。

 判決を受けての小川榮太郎のコメントが「極めてスキャンダラスで異常な判断だ。裁判所が個別の表現に踏み込むのは司法の暴力だ」というもの。不思議なことをおっしゃる。誰の目にも、スキャンダラスにも、異常な判断にも見えようはずはない。裁判所が必要な名誉毀損の判断を行うことは、司法の暴力ではなく、司法の職責というほかはないのだから。

北海道銀行カーリングチームのなんとも爽やかなフェアプレイ。

(2021年2月16日)
私は、スポーツの観戦に興味がない。母校が出場した高校野球だけが例外だった。甲子園は同窓会の場でもあったから顔を出したが、それ以外にはスポーツ観戦の記憶がない。子供が幼いころ、アンドレア・ジャイアントの興行を見に行ったことがある。あれをスポーツと言えば、もう一つの例外であったろうか。

スポーツのルールをよく知らない。とりわけ、「氷上のチェス」といわれるカーリングである。話題となってもついていけないし、何が面白いかさっぱり分からない。

ところが、昨日(2月15日)の朝のこと、寝床で聞いていたラジオのスポーツニュースで目が覚めた。カーリング日本選手権の女子決勝、北海道銀行が平昌五輪銅メダルのロコ・ソラーレに7?6で勝利したという。この報告だけなら面白くもおかしくもないのだが、その解説に驚いた。

こんなことは常識なのだろうか。カーリングの試合には『審判がない』のだそうだ。各自がフェアプレー精神にのっとって試合を行うことが当然とされ、ルール違反は飽くまで自己申告制だという。問題あれば、審判の裁定ではなく競技者間の協議で解決するのだとか。私には初耳のこと。スポーツは野蛮と決めつけてきたは間違いか。なんと成熟したスポーツの世界があるものだろうか。

報じられた試合は、北京オリンピック出場もかかっていた。道銀は、この試合に敗れれば確定的に出場権を失うのだという。当事者にとっては大事な試合。

その大事な試合の競り合いの中での第4エンド、A選手のラストショットがハウスの中心にピタリとみごとに決まって道銀勝利の流れがつかめたという局面。ここで、スイープしていた同じチームのB選手のブラシがストーンにわずかに当たったのだという。これはファウル。せっかくの得点のチャンスが失われただけでなく、反則点として相手チームに2点を献上することになった。この反則が、審判の指摘によるものではなくB選手の自己申告なのだという。

ラジオの解説によれば、ここで後れをとった道銀チームの誰もがBの自己申告を当然として動じることはなかったという。健気に声を掛け合って全員で前向きに試合を進め、1点を追う最終第10エンドで2点を奪って逆転劇を演じた、というハッピーエンド。正直のところ詳細はよく把握しきれないが、できすぎたお話。

自チームの不利を承知でファウルを自己申告した道銀選手のフェアプレーに拍手を送りたい。しかも、ラジオの解説によれば、ビデオをよく見ると、錯綜した状況ではあったが実はファウルではなかったようなのだという。それほど微妙な「ファウル」の自己申告だったのだ。

言うまでもなく、北海道銀行とそのカーリング・チームとは、「別人格」である。銀行業務と選手のプレーとは、もちろん別のことである。しかし、このフェアプレーは銀行のイメージを大いに高めたに違いない。道銀の行員が、顧客を欺したり、告知すべきことを故意に隠したりはしないだろう。きっとフェアな姿勢で接してくれる、こういう企業イメージが形作られた。

かつて、三菱銀行などが融資とセットで変額保険を売った。銀行の堅実なイメージを信頼してリスク商品を売り付けられた顧客は怒った。最近では、日本郵政の職員が、官業時代の郵便局の固いイメージを信頼した多くの顧客に「かんぽ生命の保険商品」を不正販売した。スルガ銀行の例もある。今や、金融機関の信用の劣化はとどまるところを知らず、昔日とは隔世の感がある。しかし、北海道銀行だけは、率直・正直・フェアでクリーンなイメージを獲得した。

企業は消費者に選択をしてもらわねばならない立場だから、その顧客に対するイメージは重要である。通常、企業は消費者の好イメージを求めて行動する。

DHCという企業が、デマやヘイトやスラップやステマで、何重にも自らのイメージを傷つけていることが信じがたい。会長吉田嘉明は、化粧品や健康食品の販売をしながら「ヤケクソくじ」などという不潔なネーミングをしている。フェアもクリーンも皆無である。こんな企業が真っ当な経営をしているとはとても思えない。

そして、NHKである。森下俊三というトンデモ人物を経営委員として再任させたことは、ジャーナリズムとしてのNHKにとって致命的なイメージダウンである。森下再任の人事は、官邸・総務省にしっかりと紐付けられ、これに抵抗できないNHKというイメージを天下に植え付けた。官邸と自公与党の愚行というしかない。

このような汚濁の世の中で、道銀カーリングチームのなんと爽やかなこと。まさしく、泥中に咲いた蓮の華さながらである。

情けなや。【不適】マーク刻印の森下俊三を経営委員再任 ー これが我が国の「民主主義」。

(2021年2月10日)
公共放送NHKは日本最大のメディアであって、そのありかたは国民の「知る権利」に計り知れない影響力をもつ。ということは、健全なNHKは日本の民主主義を支え、堕落したNHKは民主主義を貶める。そのNHKの最高意思決定機関はNHK会長でも理事でもなく、経営委員会である。経営委員12人の職責は、重大である。

経営委員会自身が、「NHKには、経営に関する基本方針、内部統制に関する体制の整備をはじめ、毎年度の予算・事業計画、番組編集の基本計画などを決定し、役員の職務の執行を監督する機関として、経営委員会が設置されています。」と述べている。

各経営委員は、衆参両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命する。NHK会長は、経営委員会によって任命される。経営委員会は、会長に対する監督権限も罷免の権限も握っているのだ。その経営委員会委員長の任にあるのが、森下俊三である。総務省や官邸におもねってNHKの良心的な番組制作潰しに狂奔し、現場をかばおうとしたNHK会長を脅したとんでもない人物。

誰が見ても、ジャーナリズムの何たるかも、公共放送のありかたも分からない、経営委員不適格者。このとんでもない人物が罷免されないばかりか、首相も国会も続投させるという。まさしく、日本の民主主義の愚かさを物語っている。

昨日(2月9日)の衆院本会議は、NHK経営委員会人事を議事に上程し、この明らかな不適格者である森下俊三の経営委員再任を賛成多数で可決した。立憲民主・共産・国民民主の野党3党は反対したが、多勢に無勢で再任を阻止することはできなかった。

そして本日、まことに情けなくも、参院本会議においても、数の暴力が正論を押しのけた。額にくっきりと【不適】のマークが刻印されている森下俊三が、経営委員として再任された。経営委員長職は互選だが、事情通の語るところでは、この委員不適格者が経営委員長になるという。

ことは、公共放送の人事である。政争の具とせずに、全会一致が望ましいところである。同時にはかられた森下以外の他の3名の候補者は全会一致だった。この菅内閣と与党の、NHK支配に固執する強引さは恐ろしさを感じさせる。

あの安倍政権時代には、NHK経営委員として百田尚樹や長谷川三千子などの真正右翼が送り込まれた。これに対する、市民運動やNHK内部からの激しい抵抗がつづいた。その安倍が退陣した今もなお、菅義偉政権によるNHK支配が継続していることを嘆かざるを得ない。

なお、毎日新聞は、森下俊三を次のように、紹介している。また、「森下俊三氏をNHK経営委員に再任しないよう求める各界有志」の通知と、森下再任に明確に反対した朝日・毎日新聞の社説を引用しておく。

 森下氏は委員長代行時代の2018年、かんぽ生命保険の不正販売を報じたNHK番組を巡り、日本郵政グループの抗議に同調して番組を批判し、当時の会長への厳重注意を主導。放送法が禁じる委員の番組介入の疑いが強い行為をした。注意の際の経営委議事録についても、NHKの情報公開の審議委による全面開示の答申などを実質的に尊重せず、概要しか公開していない。こうした問題を理由に、立憲民主、共産、国民民主党は、森下氏の再任に反対した

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2021年2月8日
NHK経営委員 各位

森下俊三氏をNHK経営委員に再任しないよう求める
アピール文ほかをお送りします

森下俊三氏をNHK経営委員に再任しないよう求める各界有志
(名簿は同封別紙)

皆様におかれましては、NHK経営委員会委員として重責を担われ、ご多用のことと存じます。
森下俊三氏の経営委員としての任期が今月末で満了するのを受けて、私たちは同封のようなアピール文、「日本郵政がNHKに圧力を加えるのに加担し、放送法に違反した森下俊三氏が、NHK経営委員に再任されることに断固反対します!」をまとめ、アピールへの賛同者名簿と賛同者から寄せられたメッセージを添えて、1月29日に各党党首ならびに衆参総務委員会委員全員宛てに郵送しました。

つきましては、これら3点の文書を経営委員各位にもお送りいたします。

今朝(2月8日)の『朝日新聞』1面記事によれば、「NHK個人情報保護・情報公開審議委員会」は、かんぽ問題を巡る経営委員会議事録の要約のみの開示は認められない、全面開示すべきという答申を出しました。これを受けて貴委員会は明日2月9日に開催される経営委員会で、この問題に関する対応を協議されるものと思われます。
その際には、私たち有志の意見を、前もってぜひ一読いただくようお願いします。そのうえで、かんぽ問題をめぐって失墜した貴委員会の信頼回復のための最後の機会というべき明日の会合において、
(1)貴委員会が犯した数々の放送法違反を真摯に反省されること、
(2)放送法に違反する経営委員会の個別番組への干渉と続編放送の妨害、議事録の公開拒否を主導した森下経営委員長の責任を明確にされること、
(3)上田良一氏を厳重注意した議論の経緯が分かる経営委員会議事録の全面開示を決定すること、
を強く求めます。

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(朝日社説・2月7日)

「NHK経営委 委員長再任に反対する」

 ガバナンスが機能せず正論を平然と握りつぶす体制を、この先も続けるつもりなのか。公共放送への不信を深める人事を、認めるわけにはいかない。
政府は先月、NHKの森下俊三経営委員長(元NTT西日本社長)を委員に再任する案を国会に提示した。衆参両院で同意が得られれば、委員12人の互選によって再び委員長職に就く可能性が大きい。
だが森下氏がNHKの事業運営をチェックする経営委員、ましてやそのトップにふさわしくないのは、この間の言動から明らかだ。国会は与野党の立場を超え、国民が納得できる結論を導き出さなければならない。

経営委では近年、看過できない出来事が相次いでいる。
かんぽ生命保険の不正販売に切り込んだNHKの番組をめぐり、日本郵政が18年に苦情を申し立てた際、経営委はこれを受け入れ、当時の上田良一会長を厳重注意とした。郵政幹部と面会した後、制作手法を批判し、処分に至る流れをリードしたのは、委員長代行だった森下氏とされる。放送法が禁じる個別番組の編集への干渉が、公然と行われたと見るべきだ。
それだけではない。19年に委員長に昇格した森下氏の下、経営委はこの時の議事録の公開を拒んだ。NHK自身が設ける第三者機関が昨年5月、事案の重要性に鑑み全面開示すべきだと答申したが、それでも応じないため、第三者機関は4日付で改めて同旨の答申を出した。
放送法違反が疑われる行いで現場に圧力をかけ、さらには視聴者の知る権利も踏みにじる。その中心にいるのが森下氏だ。放送法が経営委員の資格として定める「公共の福祉に関し公正な判断をすることができる者」にあたるとは、到底思えない。

政府の対応もおかしい。
新年度のNHK予算案に付けて国会に提出した意見で、武田良太総務相は経営委の議事録にも触れ、「情報公開を一層推進することにより、運営の透明性の向上を図り、自ら説明責任を適切に果たしていくこと」をNHKに求めた。森下氏の再任案はこの要請と矛盾する。

経営委をめぐっては、委員の選出過程の不透明さに加え、運営や判断に過ちがあってもそれを正す方法が限られることが、かねて問題になってきた。外部からの不当な介入を防ぎ、NHKの独立性と自律性を守るために設けた仕組みやルールが、本来の趣旨に反して今回のような暴走の素地になっている。
今回の問題を、経営委の組織や人事はどうあるべきか、社会全体で再考する機会とする必要がある。NHKの存立の根幹に関わる重要なテーマだ。

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(毎日社説・2月9日)

「NHK経営委員長人事 再任では公共性守れない」

 これでは公共放送への不信感は増すばかりだ。
今月末に任期切れを迎えるNHKの森下俊三経営委員長を、委員に再任する人事案を政府が国会に提示した。
衆参両院で同意が得られれば、委員の互選の結果、再び委員長に就任する可能性が高い。しかし、その資質には大いに問題がある。

かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組を巡り、NHK経営委員会は当時の上田良一会長を厳重注意した。日本郵政グループからの抗議に、当時委員長代行だった森下氏らが同調した。
ガバナンス不足が理由とされたが、森下氏は「本当は、郵政側が納得していないのは取材内容だ」と上田氏を前に発言していた。
放送法はNHKの最高意思決定機関である経営委が個別の番組に介入することを禁じている。制作手法などを批判する発言は番組への事実上の介入にあたり、放送法に抵触する恐れがある。
続編の放送は一旦、延期され、番組による不正販売被害の告発が妨げられた。ジャーナリズムの責務を理解しているか疑わしい。
森下氏はさらに、厳重注意に関係する議事録の公開に応じていない。NHKが設置している第三者機関である情報公開・個人情報保護審議委員会が全面開示すべきだと答申したにもかかわらず、切り貼りした公表済み文書を出しただけで済ませた。
業務の透明性の確保、視聴者への説明責任をないがしろにする行為は目にあまる。
武田良太総務相はNHK予算案に付けて国会に出した意見で、情報公開を推進し、運営の透明性の向上を図ることを求めている。
それに照らし合わせても、適任の人事案と言えるのだろうか。

NHKは来年度からの次期経営計画で、業務のスリム化を打ち出した。ラジオや衛星波のチャンネル統合の方針は、サービス低下が懸念される。視聴者の方を向いた改革になるか、公共放送のあり方が問われる正念場だ。
放送法は経営委員の資質として、「公共の福祉に関し公正な判断」ができることを挙げている。公正さが疑われる森下氏の再任は信頼回復の取り組みに逆行する。

メディアの天皇に対する阿諛追従に忌憚のない批判が必要だ。

(2020年8月16日)
本日(8月16日)の毎日新聞朝刊を見て仰天した。毎日は、私の永年の愛読紙である。その毎日が一面トップで昨日の戦没者追悼式の模様を伝えている。大きな横見出しで「75年、平和かみしめ」。ここまでは、まあよい。驚いたというのは縦見出しで、「陛下、コロナ『新たな苦難』」である。なんだ、これは。

この記事のリードは、こうなっている。

 天皇陛下は、式典でのおことばで新型コロナウイルスの感染拡大を「新たな苦難」と表現したうえで、「皆が手を共に携えて困難な状況を乗り越え、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願う」と述べられた。

天皇が新型コロナウイルスの感染拡大に言及した?。それがどうした。そんなことが、いったいどんな意味のあることだというのか。大新聞がとりあげるに値するニュースバリューのあることか。毎日新聞たるものが、「75年目の終戦記念日」の模様を伝える記事のトップの見出しに据えるとは、いかなる思惑あってのことだろうか。

毎日の見出しと記事は、あたかも天皇のこの短い発言を「畏れ多くもかたじけなくも、国民の苦難にまでお心づくしいただき、国民の先頭に立って国難を克服する決意をお示しになられた」と言わんばかりのおべんちゃら。毎日に、その思惑なければ、まんまと天皇の思惑に乗せられたことになる。いずれにしても、まともなジャーナリズムの姿勢ではない。

この記事を読んだあと、あらためて大見出しの「75年、平和かみしめ」を読み直してみる。はじめは、「75年続いた平和をかみしめ」ているのは、当然に国民だろうと思ったのだが、それは間違いだったか。もしや、「噛みしめ」の主語は3代の天皇なのではないのか。

こういう、メディアの天皇に対する阿諛追従は、民主主義や国民主権原理にとって、極めて危険である。産経ならともかく、毎日がこのような記事を書き、見出しを掲げる意味は小さくない。

政権批判には果敢な記事を書く毎日が、何故かくも天皇には無批判であり迎合的であるのか、まことに理解に苦しむところ。天皇の危険性に無自覚であってはならない。天皇の政治的影響力を最小限化するよう配慮すべきがメディア本来の在り方である。

毎日は、「天皇の言動は国民の関心事だから大きく扱わざるを得ない」「多くの国民が天皇に親近感ないしは尊崇の念を持っているのだから、天皇や皇室を粗略には扱えない」というのであろう。しかしそれは通じない。むしろ、天皇について「国民の関心」を煽っているのがメディアであろうし、天皇に親近感ないしは尊崇の念を吹き込んでいるのも、メディアではないか。

リベラル陣営の中にも、あからさまな天皇批判は控えるべきとする論調がある。「天皇の言動は、その平和を求める真摯さにおいて、あるいは歴史の見方や憲法擁護の姿勢において安倍政権よりずっとマシではないか。安倍批判の立場からは天皇批判を避けるべきが得策」というだけでなく、「天皇は国民の多くの層に支持を受けている。敢えて真正面からの天皇批判は多くの国民を敵にまわす愚策」というのだ。私は、どちらの論にも与しない。いま、真正面からの天皇批判が必要だと考えている。それなくして、個人の自律はあり得ない。

1973年の8月15日に、天皇(制)批判をテーマに、豊島公会堂で「8・15集会」が開かれたという。この集会の問題提起者の一人である「いいだもも」が次のように述べている。

「わたしは元来、天皇の悪口を言うのが三度の飯よりも好きで、それで喜び勇んで壇上に参加させていただいた次第です。」「差別の頂点としての天皇を「全国民的統合の象徴」としていただいたままの戦後の大衆民主主義体制は、差別・抑圧構造にほかならないのであって、そのようなものとしての民主ファシズム体制なのです。皇室民主化とか、天皇人間宣言とかによって、民主主義が進むとか全うされるとかいうことは、その出発点からして欺瞞であるにすぎない。天皇は天皇であるかぎり、現人神であるか、非人間であるほかないのであって、けっして人間の仲間入りをすることはできない。仲間入りさせてはならない。だからわたしは、天皇の人間宣言を受け容れることなく、天皇が天皇であるかぎり差別することこそが、真の人民の民主主義である、といつも言うわけです。」「象徴天皇(制)はこのようなものとして戦後民主主義支配体制の構成部分であり、戦後体制の動揺が深まるにつれて、今日、「元首化」の危険な動向をもつとめる形になってきている。」(わだつみ会編「天皇制を問い続ける」1978年2月刊・筑摩書房)

このとおりだと思う。メディアによる天皇・天皇制への阿諛追従を軽視して看過していると、次第に批判不可能な社会的圧力が形成されることになりかねない。権力に対しても、権威に対しても、常に必要な批判を躊躇してはならない。

週刊ポスト「安倍首相を引きずりおろす」「今こそ落選運動を」特集の意味。

(2020年8月3日)
本日の各紙朝刊に、週刊ポスト(8月14・21日合併特大号)の大広告。イヤでも目に飛び込んでくる冒頭タイトルが、白抜きの「今こそ落選運動2020を始めよう」である。落選させようという対象に驚く。なんと、「安倍首相を引きずりおろす『国民の最強手段』がこれだ!」。保守色のイメージが強い小学館の週刊ポストが、安倍首相を引きずり下ろせキャンペーンの大見出しなのだ。

世には、定評というものがある。講談社はリベラルで、小学館は保守というのもその一つ。だから、週刊現代は政権批判に厳しいが、週刊ポストは生温い。いやどうも、この思い込みもあてにならない。あの嫌韓イメージの強い週刊ポストが、かくも果敢に安倍政権攻撃の特集を組もうとは、びっくり仰天というほかはない。そして、仰天のあとには考えさせられる。

週刊ポストの広告は、「落とすべき議員リスト」を挙げる。本文では実名が語られているのだろうが、広告では下記のとおりだ。
・無策でコロナ禍を拡大させた7人
・緊急事態宣言中に私腹を肥やした6人。
・スキャンダルを”なかったこと”にした6人。
・政権交代の邪魔になる野党の7人 ほか

これは、さすがだ。確かに、誰もが、こんな議員は落とすべきだと思うに違いない。読者の共感を獲得しそうではないか。

さらに驚くべきは、「10・25総選挙『289選挙区&比例』完全予測」である。「自民68議席減、野党連合73議席増!」「総理大臣もニッポン政治も変わる!」とのシミュレーションを提示している。

10月25日総選挙の根拠については分からないが、仮に、ここで総選挙となれば、現状286の自民党議席は68減となって、216となる。過半数に必要な233を下回るというのだ。代わって、「野党連合73議席増!」となる。もちろん、アベ晋三は総理の座から追い落とされる。日本の政治は変わらざるを得ない。

もっとも、このシナリオには条件が付いている。野党連合が成立し、各小選挙区に一本化された野党連合候補が擁立されなければならない。これさえできれば、週刊ポストシミュレーションが現実味を帯びてくる。

週刊ポストが、このような特集を組んだことの意味は大きい。30万部超の発行部数をもつ週刊誌の編集者が、世の空気を「反安倍」の風向きと読んだのだ。今や、安倍政権への提灯記事では部数は増えない。「安倍首相を引きずりおろす」という特集記事でこそ、ポストは売れると踏んだのだ。

しかも、もっと具体的に、国民は「コロナ対策での政権の無為無策」に憤っており、「緊急事態宣言中に私腹を肥やした安倍政権に近い議員もいるぞ」「安倍政権下であればこそ、スキャンダルを”なかったこと”にした議員もいる」「政権交代の邪魔になる野党の議員をあぶり出せ」。こんな議員たちを落選させようというアピールが多くの国民を引きつけると判断している。

このポストの特集は話題を呼ぶことになるだろう。その話題が反アベの世の空気を増幅することにもなるだろう。類似の企画を生むことにもなる。安倍指弾の世論は着実に興隆することになるだろう。

この広告を載せた、本日(8月3日)の朝日新聞朝刊が、「内閣支持率30代も低下」という解説記事を掲載している。「安倍内閣の「岩盤支持層」だった30代が、コロナ禍の対応を評価せず、支持離れの兆し」「コロナ対応に不満」という内容。

「今年5月の世論調査では、30代の内閣不支持率は45%で、支持率27%を大きく上回り、全体の支持率を押し下げる要因となった。」というのだ。

また、「本日(8月3日)発表されたJNN(TBS系)の世論調査では、内閣支持率が35.4%、不支持率は62.2%を記録。JNNは2018年10月に調査方法を変更しているとはいえ、第二次安倍政権発足後、支持率最低と不支持率最高を記録したことになる」という。

週刊ポストに先見の明あり、ということのようである。

「バリバラ」 負けるな、くじけるな。がんばれ、明るく、しなやかに。

NHK・Eテレに、「バリバラ」というユニークな番組がある。これがいま、俄然注目の的。毎週木曜夜8時からの放送。今夜の視聴率は、さぞかし跳ね上がるものと思われる。

バリアフリーの「バリ」と、多様性のバラエティの「バラ」を組み合わせたタイトルのようだ。障害者・LGBT・在日など、センシティブなマイノリティの問題を、本音を隠すことなく、明るく問題提起する。下記の番組ホームページをご覧いただきたい。そのパワーに圧倒される。

http://www6.nhk.or.jp/baribara/about/

この番組は、趣向を凝らして視聴者に次のように呼びかけた。
【招待状】バリバラ「桜を見る会?バリアフリーと多様性の宴?」
開宴:今夜8時
場所:EテレおよびNHKプラス
招待客:2019年多様性の推進に功績のあった方々(伊藤詩織さん、崔江以子さんなど)

日々多様性推進に貢献頂いている視聴者の皆さまは、密を避けるためリモート出席をお願いします。

バリバラ「桜を見る会」のその1は、4月23日に放送となった。その2が、4月30日本日放送の予定。

私は一切テレビを見ないので、これまでこの番組の存在は知らなかった。その世界では著名な番組ではあろうが、社会全体としておそらくはマイナーな存在だろう。それが、俄然注目されるに至ったのは、またまた右翼諸君の活躍のお蔭である。

いつの頃からか、私のメールアドレスにメルマガ「週刊正論」が送信されるようになった。その4月29日号が、「問題の番組内容」をこう説明している。

【再放送中止となったNHK番組『バリバラ』の内容とは】

番組冒頭、額に虻(アブ)のおもちゃをつけた内閣総理大臣アブナイゾウが「公文書 散りゆく桜と ともに消え」と詠みます。「バリバラ」では、「桜を見る会」にバリアフリーと多様性に貢献した方として、伊藤詩織氏(ジャーナリスト・ドキュメンタリー作家)、崔江以子氏(チェ・カンイヂャ、在日コリアン3世)、小林寶二・喜美子夫妻(旧優性保護法国賠償訴訟原告)を招きました。「バリバラ国、滑稽中継」と題したコーナーでは、「某国の副総理」という「無愛想太郎」が答弁に立ちます。

質問者「外国ルーツの方は生きづらい社会なんです。こんなのが美しい国と言えますか。新型コロナウイルスで、アジア人差別が増えています。どうお考えになりますか」
無愛想太郎「質問っていうのは正確を期してほしいね。ウイルスっていうのは英語圏では言わないんだ。ヴァイルス。ヴァイルスっていうの、えー。BじゃなくてVの発音ね。下唇をしっかりかんで、ヴァイルス。爆発させてヴァイルス。飛ばすの、ヴァイルス

続いて「アブ内閣総理大臣」が登場します。
質問者「『パラサイト』という韓国映画が、今回外国映画としては初のアカデミー賞作品賞を受賞しました。これ大きいことです」
アブナイゾウ「質問通告がごじゃいませんでしたので、いずれにいたしましても、トランプ大統領と私は同盟国のトップリーダーでごじゃいまして、意見が完全に100%一致したところでごじゃいます」
質問者「100%一致、何回言えば気が済むの。まったく質問に答えていません、この人は」
アブナイゾウ「そんなあんた、いつまでもデンデンいう事じゃない」
質問者「デンデンじゃないよ。ウンヌンというんだよ」
《字幕で云々×でんでん ◎うんぬん》
司会者「なんだか日本と似たような状況もありますよね」

「週刊正論」は、以上を公共放送として問題の内容というのだが、要は「アベ批判・麻生批判が怪しからん」というだけのこと。取るに足りない。

話題になってから、私もネットで動画を拝見した。全体として、たいへん真面目な構成の問題提起番組となっている。マイノリティにとって生きづらいこの社会のあり方をえぐり出して、対等者としてマイノリティを遇しようというその心意気に共感せざるを得ない。NHKにも大した人たちがおり、大した番組を作っている。共感を通り越して、敬意を表すると言わねばならない。

この放送を快しとしない人びとがこれに噛みついた。NHKは敢然と現場を守る姿勢を取らず、予定されていた4月26日の再放送を別番組差し替えて中止してしまった。中止の決定は、放送予定の2時間半前だったという。

この番組に最初に噛みついたのは、石井孝明(Ishii Takaaki)という、その筋では良く知られた人物。下記の「訴訟・トラブル」欄を参考にされたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/石井孝明_(ジャーナリスト)

また、この人については以前このブログでも取りあげたことがある。

https://article9.jp/wordpress/?p=10068

この人は、バリバラの放送のあったその日の内に、こうツィートしている。

「NHKなめとんのか? 何これ? 反政府番組じゃないですか。健全な批判でなく。障害者の名を語って。これは抗議すべきでしょう。」

「NHKなめとんのか?」は、安倍・麻生になり代わっての不規則発言。「これは抗議すべきでしょう」は、安倍・麻生の立場からする不満の表明。そして、「なめとんのか」は、安倍・麻生の知性や品性にマッチした、まことに適切でふさわしい表現。

これも要するに「政府批判だから怪しからん」というだけの低次元。さすがに、政府批判自体を咎めることには気が引けたか、「健全な批判なら許せもするが、障害者の名を語っているから、抗議すべきだ」という文脈にした。もしかしたら、「障害者の名を語って」は、「障害者の名を騙って」のミスプリかも知れない。しかし、番組の安倍・麻生批判は、「障害者の名を語って」も、「障害者の名を騙って」もいない。

番組の安倍・麻生批判は、2点ある。一つは、「散りゆく桜とともに消えた」公文書管理の杜撰さである。そして、もう一つは「マイノリティ差別」に対するあまりに鈍感な政府の姿勢である。いずれも、故あっての正当な批判である。NHKにもジャーナリズムの魂がなくてはならない。この程度の権力者批判もできないのでは、NHKはジャーナリズム失格である。再び大本営発表の伝声管に先祖返りしてしまうことを本気で恐れねばならない。
(2020年4月30日)

日本郵政・鈴木康雄上級副社長の辞任を求める。

本日(12月26日)9時30分、醍醐聰さんと私とで日本郵政本社を訪ね、下記の申入書を提出した。応対されたのは、広報担当部門の責任者だという、「広報局グループリーダー」の肩書をもつ職員。約20分、神妙にこちらの話を聞いてはくれた。

申し入れの内容は、かんぽ不正販売に関しての3社社長の引責辞任は当然として、鈴木康雄上級副社長にも強く辞任を求める、という趣旨。

国民の郵政に対する信頼を裏切って、消費者被害をもたらした責任は大きい。明日(12月27日)の3社社長のトップとしての引責辞任は不可避な事態だが、鈴木副社長については、必ずしもその意向が明らかではなく、各紙の観測記事のニュアンスは様々である。

しかし3社社長がこの事態に無為無策であったことに責めを負う立場であるのに比して、鈴木副社長は明らかに報道のもみ消しをはかって被害を拡大した積極的な被害拡大に責任を負わねばならない。日本郵政の信頼回復は、トップ4名の辞任からであるが、けっして鈴木副社長の留任があってはならない。

また、辞任するだけではなく、自らの言葉で、被害者、職員、NHKへの謝罪を語るべきである。

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2019年12月26日

日本郵政株式会社社長    長門正貢様
日本郵便株式会社社長    横山邦男様
株式会社かんぽ生命保険社長 植平光彦様
日本郵政株式会社副社長   鈴木康雄様

緊急申し入れ

3社社長の引責辞任のみならず、鈴木康雄副社長の辞任を要求する

「日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考える11. 5 シンポジウム」実行委員会

世話人:小林 緑(国立音楽大学名誉教授・元NHK経営委員)/澤藤統一郎(弁護士)/杉浦ひとみ(弁護士)/醍醐 聰(東京大学名誉教授・「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」共同代表)/田島泰彦(早稲田大学非常勤講師・元上智大学教授)/皆川学(元NHKプロデューサー)

報道によれば、貴職ら3名の日本郵政グループ社長は、このたびのかんぽ生命保険等の不正販売をめぐる総務省と金融庁の処分が27日に決まるのを受けて、同日にも辞任を表明されるとのことです。
過日、報告された「かんぽ生命保険契約問題 特別調査委員会」の報告書や一連の報道で明らかになった、かんぽ生命保険その他の商品の販売をめぐる不正行為は、高齢者を対象にした悪徳商法と断じて過言でないほど悪質極まりないものであり、貴職ら社長の引責辞任は当然のことです。
と同時に、辞任にあたっては悪徳商法で被害を蒙った人々と理不尽なノルマを押し付けられ、良心との板挟みで苦しんだ社員への深い謝罪が不可欠です。
しかし、辞任による引責という点では、貴職ら3名の社長の辞任だけでは済まされません。この問題を取り上げたNHKの「クローズアップ現代+」に対し、元総務事務次官の肩書を誇示して、不正の発覚を封じようと、続編制作のための取材を執拗に妨害したうえに、後輩にあたる総務事務次官(当時)に情報漏洩まで催促した日本郵政副社長・鈴木康雄氏の責任も極めて重く、辞任が当然です。
そこで、私たちは貴職ら4名に以下のことを申し入れます。

申し入れ事項

1.貴職ら日本郵政グループ3社の社長は、かんぽ生命保険等の不正販売の責任をとって、直ちに辞任すること。

2.NHKの取材を妨害し、総務事務次官に情報漏洩を働きかけた鈴木康雄氏の責任も3社社長の責任に劣らず重いことから、鈴木氏も、総務省の処分のいかんにかかわらず、直ちに引責辞任すること。

3.貴職ら4名は辞任にあたって、かんぽ生命保険等の不正販売の被害者、理不尽なノルマを強いられて苦しんだ、かんぽ生命保険の社員らに厳粛な謝罪をすること。

以上

(2019年12月26日)

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