澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

薄汚い地方権力と本領を忘れたジャーナリズムとの、醜くも危険な癒着。

(2022年1月12日)
ある維新の議員が、昨日付のブログでこう発信している。

 「東京新聞 望月衣塑子記者のアンフェア発言に物申す。立憲・CLPの不祥事と大阪の連携協定はまったく同列ではない」

 分かりにくいものの言い方だが、私はこう思う。
 「東京新聞 望月衣塑子記者の発言に非難さるべき不適切さはまったくない。これをアンフェアと謗る維新議員こそ強く非難されねばならない。確かに、立憲・CLPの不祥事と大阪の連携協定はまったく同列ではない。維新と読売の癒着というべき大阪の包括連携協定の方が格段に悪性が強く、はるかに民主主義への負の影響が大きい。これを真逆に描くのは、ミスリードも甚だしい」

 「公権力と大新聞の癒着事件」と、「立憲・CLPの不祥事」との悪性・危険性を比較するには、問題を2層に分けてとらえねばならない。まずは、当該行為自体の可非難性であり、次いで当該行為の可視性の問題である。

 まずは、《読売新聞大阪本社と大阪府との包括連携協定》をどう評価すべきか。誰がどう見ても、ジャーナリズムと権力との癒着である。しかも、巨大全国紙と巨大地方都市の特別な関係の構築。好意的に読売をジャーナリズムと見るならば、権力批判をその本領とするジャーナリズムの堕落と言うべきだろう。また、権力の側から見れば、御用広報紙の取り込みで、批判を受けない権力は堕落する。そのツケは、府民にまわってくる。

 というだけではない。読売という御用新聞とポピュリズム政党維新の癒着である。当然にそれぞれの思惑あってのことだ。とりわけ、維新の府政は問題だらけだ。カジノ誘致も万博も、そしてまだ都構想も諦めていないようだ。コロナ禍再燃の中、イソジンや雨合羽の体質も抜けきってはいない。維新府政は、ジャーナリズムの標的となってしかるべきところ、読売の取り込みは維新にとっては使えそうなところ。客観的に見れば、この上なく危険極まる、汚れた二つの「相寄る魂」。

 但し、この癒着はことの性格上、アンダーテーブルではできないこと。年末のギリギリに発表して共同記者会見に及んだ。もちろん、会見では批判の矢が放たれたが、可視化はせざるを得ない。この癒着は大っぴらに開き直ってなされた。

 対して、《立憲がカネを出していたCLPの不祥事》の件である。こちらは、立憲がカネを出していたことが秘密にされていた。ここが不愉快でもあり、大きな問題でもある。これまでは与党の専売特許と思われていたことを野党第一党もやっていたというわけだ。

 可視化ができているかだけを比較すると、維新と立憲、立憲の方が明らかに分が悪い。立憲も弁明しているが、洗いざらいさらけ出して膿を出し切るのがよい。

 しかし、可視化ができているか否かの点だけを比較して、《維新は公明正大、これに較べて立憲のやることは不透明で怪しからん》というのは、ミスリードも甚だしい。

 行為の悪性や影響力を較べれば、維新の方が格段に悪い。読売と維新は、開き直って大っぴらに、「悪事」を働いているに等しいのだ。

 大阪読売のOBである大谷昭宏の声に耳を傾けたい。

「本来、権力を監視するのがメディアの役割なのに、行政と手を結ぶとは、とんでもない話です。大阪読売はこれ以上落ちようがないところまで落ちた。もう『新聞』とか『全国紙』と名乗るのはやめて、はっきりと『大阪府の広報紙』と言ったほうがいい。そこまで自分たちを貶めるんだったら、もはや大阪読売はジャーナリズムの範疇には置けませんよ」「期待はしていなかったんですが、それにしても行政機関と提携するとは、ジャーナリズムとしてあり得ない。そこまでジャーナリズムの誇りを打ち捨ててしまうのか。OBの一人として哀れというしかないですね」「今回、読売が協定を結んだのは、明らかに部数増と大阪府からの見返りを期待しているからです。大阪府の職員は、朝日や毎日よりも、府と協力関係にある読売を読むようになるでしょうし、読売に優先的に取材上の便宜を図ろうとするでしょう。まさにギブ&テイクです。」「会見では、一部の地方紙も行政と協定を結んでいると言い訳していましたが、痩せても枯れても読売は全国紙ですから、影響力の大きさが比較にならない。しかも、大阪府が、朝日や毎日や産経にも声をかけて、結果的に読売だけが応じたというならまだしも、今回は読売のほうから大阪府に提案したんです。吉村知事は『報道内容に何ら影響されることはない』と言うが、ゴロニャンとにじり寄った側が相手を叩くことなんかできるわけがないじゃないですか」

 「木に縁りて魚を求む」の喩えもある。維新に「権力の謙抑」やら「ジャーナリズムの本旨」を説いても耳にはいるとも思えないが、批判は続けなくてはならない。

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