澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「子年には政権交代が起こる」…に違いない。

「自己実現する予言」あるいは「予言の自己成就」という社会学上の概念がある。社会に発信されなければ実現するはずのない「予言」が、多くの人に共有され、多くの人の確信になることによって、その予言が成就する現象を言う。

今年(2020年)は十二支の始まりの子年(ねどし)である。「子年には政権交代が起こる」は、根拠のない単なるジンクスに過ぎない。しかし、このジンクスが、多くの人に語られ共有され、「子年なのだから、今年はきっと政権交代が起こる」とみんなが思うようになれば、安倍政権が崩壊することも起こりうる。

毎日新聞のネット版「デジタル毎日」に、『政治プレミア』というサイトがある。なかなかの充実ぶりで、読み応えがある。
https://mainichi.jp/premier/politics/

昨日(2月16日)、そのサイトに『荒れる子年 起きるか安倍退陣と奪権闘争』という記事がアップされた。筆者は、中川佳昭・編集委員。このタイトルだから、目を通さずにはおられない。

子年は12年に1度やって来るが、必ず「荒れる」年になるという。戦後の子年は今年で7回目となるが、これまで「戦後の子年は例外なく、内閣の交代、奪権闘争が起きている。」のだそうだ。その記事によると次のとおりである。

 1948年=芦田均内閣→第2次吉田茂内閣、
 1960年=第2次岸信介内閣→第1次池田勇人内閣、
 1972年=第3次佐藤栄作内閣→第1次田中角栄内閣、
 1984年=第2次中曽根康弘内閣下での二階堂進自民党副総裁擁立未遂、
 1996年=村山富市内閣→橋本龍太郎内閣、
 2008年=福田康夫内閣→麻生太郎内閣

なるほど、確かに、「子年は荒れる」「子年には政変が起きる確率が限りなく高い」。さて、今年はどうなるのであろうか。

このネット記事の中で、過去の子年政変の典型である「岸→池田の1960年」を振り返るところが興味深い。

 1960年、岸首相は国民的反対の強かった安保改定をやり終え、退陣する。…退陣した岸は池田、そして弟の佐藤が自分の亜流として、岸がなし得なかった憲法改正を実現してくれるだろうと期待していた。ところが池田は側近の前尾繁三郎や大平、宮沢喜一らの進言で「寛容と忍耐」をキャッチフレーズに打ち出し、憲法改正など見向きもしなかった。佐藤栄作は池田の後、1964年に首相になり、7年8カ月の長期政権を打ち立てるが、「沖縄返還」一色で、憲法改正を完全にお蔵入りにしてしまった。

「岸信介証言録」(毎日新聞社、2003年)に、次の岸の発言があるという。

 「もういっぺん私が総理になってだ、憲法改正を政府としてやるんだという方針を打ち出したいと考えたんです。池田および私の弟(佐藤)が『憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらん』というようなことを言っていたんでね。私が戦後の政界に復帰したのは、日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要かということを痛感しておったためなんです」

これを踏まえて、中川編集委員はこう言う。
「60年政権移動によって生み出された岸の欲求不満。60年たった2020年今日、首相返り咲きを果たし、今年8月には佐藤の連続在任記録を抜き、名実ともに首相在任最長となる安倍氏にしっかり受け継がれている。

この記事の基調に同感である。保守ないし自民党も、一色ではない。一方に、「憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらん」という勢力があり、もう一方に「日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要か」を強調する勢力がある。

池田・佐藤・前尾・大平・宮沢らが前者で、岸と安倍とが後者である。2020年子年の政変は、保守から革新への政権移行でなくてもよい。せめては、「積極改憲保守」から「改憲はやらん保守」への政権移行でよいのだ。

「子年だから政変が起こる」「子年の政変を起こそう」と言い続けることによって、これを「自己成就」させたいものである。
(2020年2月16日)

検事総長人事は余人をもって替えがたい。なんとしても、忖度総長を。

ワタクシ・アベシンゾウは、日本国の総理大臣でございます。「大臣」とは、畏れ多くもヘイカの臣民の中で重きをなす者の意味でございますが、なんと言っても私がソーリダイジン。大臣の中の大臣、つまりは権力者なのです。権力者とは、行政府の長であるのみならず、最高裁裁判官の任命権者でもある。つまり、なんでもできる立場にあるということ。現に私は閣議でなんでも決めてまいりました。

野党の皆さんには、その点のご認識がない。まるで私が、ペイペイの政治家と同様であるかのような印象操作を繰り返していますが、そういう無意味な発言はやめていただきたい。

皆さん何か勘違いなさっているのではありませんか。昨年の10月22日には、高御座のテンノウヘイカを仰ぎみて皇室の弥栄をお祈り申しあげ、万民を代表して「テンノーヘイカ、バンザイ」を三唱したワタクシですよ。ワタクシをないがしろにすることは、ヘイカを軽んじること。こんなこともお分かりにならないのでしょうか。嘆かわしい極みではありませんか。

ワタクシは権力者ですから、下々を揶揄したり、悪口を言ってもよいのです。でも、こともあろうに、下々の者がその分を弁えず、ワタクシに罵詈雑言など許されるはずがないではありませんか。

もちろん、ワタクシは野党の皆様には遠慮なく「嘘つき」と言いますよ。でも、ワタクシが「嘘つき」と言われることは許さない。ワタクシへの攻撃が間違っていれば、謝罪を要求します。でも、ワタクシが謝罪することはあり得ない。だって、ワタクシは、内閣総理大臣であり権力者なのですから。

考えても見ていただきたいのでございます。民主主義の世の中ですよ。選挙で選ばれた者が権力を握る、これがルールではありませんか。ワタクシは選挙で勝っているのですから、権力者として振る舞うことに、何の問題がありましょうか。

ワタクシに対するイヤガラセがひどいと思いませんか。ワタクシに対するイヤガラセは、日本に対するイヤガラセであり、ヘイカに対するイヤガラセでもあることが分からないのでしょうかね。

一番のイヤガラセは、ワタクシを犯罪者だという極端な印象操作です。森友事件、加計学園事件、桜疑惑、IR疑惑、菅原蟹メロン香典事件、河井1億5000万円事件などなどが、いかにもワタクシの周辺の犯罪だと言わんばかりの大騒ぎ。もちろん、ニッキョーソや、キョーサントーの怪しげな人びとの煽動によるものに決まっています。

すべては、これまでワタクシが丁寧に説明を尽くしてきたことで十分に解明されているところです。ワタクシが青天白日の身であることに一点の疑義もないことは明々白々ではありませんか。にもかかわらず、敢えてイヤガラセの告訴や告発をする人びとがまだいるのです。きっと、日教組の教育に毒され、破防法適用対象の共産党の宣伝を真に受けているような人たちですよ。

ですから、ワタクシもですね、降りかかる火の粉は払わねばならない。そのためにはですね。警察も、検察も、反日分子の策動にウカウカと乗せられるようでは困るのですよ。仮に、ワタクシの行為が、客観的な証拠に基づいて判断した場合には犯罪に当たるとしてもですね、これを形式的な判断で、強制捜査したり、起訴するような軽率な検察では大迷惑なのです。

いや、もっと正確に言えば、「桜、IR、菅原、河井」そのすべてについて、客観的な証拠に基づいて判断した場合には犯罪に当たるものであるからこそ、これを真っ当な判断で、強制捜査したり、起訴するような検察ではたいへん困るのです。そんなことをされたら、安倍内閣は瓦解します。安倍内閣が瓦解されたら、憲法改正も永遠にできなくなる。反日分子がほくそ笑むばかりではありませんか。

ですから、検察のトップには、信頼できる人物を据えておかねばなりません。危機管理上、当然のことですよ。もちろん、常識的な忖度のできる人物でなくてはなりません。現職の稲田伸夫検事総長が勇退してくれれば好都合なのですが、これが忖度をしない困った人。でも、その任期は8月14日まで。もう半年ほどで定年退職する。すると、そのあとは林真琴名古屋高検検事長か黒川弘務東京高検検事長かということになるのでございますが、黒川こそ信頼できる忖度官僚のお手本。「官邸の番犬」とか、「安倍内閣のお庭番」とか言われる人物。これを検事総長にしなければならないのでございます。

ところが、稲田検事総長の定年前に、黒川検事長が2月7日に定年になってしまう。彼を定年で失職させてしまうと、万事休すでございます。ここはひとつ、権力者として、黒川を検事総長とする策を講じなければなりません。こうして、黒川の定年を延長する閣議決定を1月31日に行ったのでございます。

もちろん、前代未聞。まったく前例のないことでございます。しかし、前例のないことは問題ではありません。うるさい連中が、「検察庁法には定年延長の規程はない」「違法だ。無効の人事だ」と騒ぎはじめました。こうなると、チト面倒。

で、「検察庁法には確かに定年延長の規程はない。しかし、検察庁法の一般法である国家公務員法にある定年延長の規程は検察官にも適用できる」で押し通そうとしたのですが、ちょっと具合が悪くなった。人事院が、上手に忖度してくれないのでございます。

国家公務員法が改正されて、定年や定年延長の制度を導入したのが1981年のこと。その際の衆院内閣委員会の議事録には、人事院事務総局任用局長が、「国家公務員法の定年延長を含む定年制は検察庁法により適用除外されている」。従って、「今次法案の定年制は、検察官については適用がない」ことを明確に答弁しているということが分かりました。

だから、当時の改正法提案者の意思も、これを審議して立法した国会の意思も、「検事に定年延長はない」ということだったということは、認めざるを得ません。もちろん、その後に、内閣にも国会にも法解釈変更の機会はございません。

ここで引き下がったのでは権力者の名が泣きます。現実にそれでは困ることになりますから、ワタクシは、2月13日の衆議院本会で、これまでの公権解釈では、検察官は定年延長ができないとされてきたことを認めたうえで、「今回従来の法解釈を変更した」と言明したのでございます。

閣議決定ってなんでもできるのです。都合が悪くなれば、憲法でも法律でも解釈を変更すればよいのです。それまで不可能だった集団的自衛権の行使。これを「憲法上集団的自衛権の行使は可能」と、憲法解釈だって変更したワタクシです。検察官の定年延長をやるくらいたいしたことじゃございません。

もちろん批判は覚悟の上、「1981年に国家公務員法改正を審議し成立させた国会の意思は、『検察官には定年延長を認めない』というのだったはず。閣議で法を破ることができるのか」という批判が噴出するでしょうね。でも、大丈夫。…多分。だって、ワタクシが、最高権力者で、ヘイカの信任厚いソーリダイジンなのでございますから。

それに、それにでございますが。これからの、我が身に及ぶ刑事訴追リスクを考えますと、こうするよりほかは方法がないのでございます。だから、…多分、…大丈夫…なはずなのでございます。
(2020年2月15日)

“日の丸の旗はなどて赤い かえらぬ息子の血で赤い”

メディア総合研究所が発行している「放送レポート」に、スポーツジャーナリスト谷口源太郎氏が、「スポーツとマスコミ」というコラムを連載している。最新号(2020年3月号)が、その第174回。

「オリパラ翼賛を煽動する安倍首相の狙い」と表題するシリーズで、「2020東京五輪」を論じている。以下は、その中の一節である。

 強調される日の丸カラー

 日本オリンピック委員会(JOC)と日本パラリンピック委員会は1月23日、2020東京オリンピック・パラリンピックで日本選手団が着用する公式服を発表した。
 それは、1964年大会での赤のジャケットに白のズボンを逆に白のジャケットに赤のズボンにしたものだが、狙いは同じ「日の丸カラー」ということだ。
 この公式服が象徴的だが、オリンピック・イヤーということで「日の丸」が目いっぱい強調されるような事態になるのは間違いなかろう。

 とりわけ、目立つのは、メディアの扇動もあって国威発揚の道具にされることに無自覚な代表選手たちの「日の丸」へのこだわりだ。
 今、改めて「日の丸」にどのような真実が隠されているのかを知る必要があるであろう。
 その意味から、原爆詩人として知られる栗原貞子さんの詩「旗」の一部を紹介したい。

 日の丸の赤は じんみんの血
 白地の白は じんみんの骨

 いくさのたびに
 骨と血の旗を押し立てて
 他国の女やこどもまで
 血を流させ骨にした

 いくさが終わると
 平和の旗になり
 オリンピックにも
 アジア大会にも
 高く掲げられ
 競技に優勝するたびに
 君が代が吹奏される
 
 千万の血を吸い
 千万の骨をさらした
 犯罪の旗が
 おくめんもなくひるがえっている

 「君が代は千代に八千代に
  苔のむすまで」と

 そのためにじんみんは血を流し
 骨をさらさねばならなかった

 今もまだ還って来ない骨たちが
 アジアの野や山にさらされている

 日の丸の赤は じんみんの血
 白地の白は じんみんの骨

 日本人は忘れても
 アジアの人々は忘れはしない

 日の丸を背負うことを誇りにするのが、いかに愚かで誤ったことか、この詩は教えてくれるのではないか。絶大な影響力を持つメディアがこうした「日の丸」の真実に背を向けていることで生み出される負の大きさは計り知れない。

 報道によると、自国開催ということで、中継など放送枠が増える民放では、従来の各キイ局が競技ごとにバラバラに放送する方式を各局集中方式に変えるという。
 新聞報道によると、1月23日に日本民間放送連盟(民放連)が発表した内容は「7〜8月に開かれる東京五輪の期間中、民放地上波テレビ各局が担当日を決め、各日で基本的に午前9時〜午後11時、生中継を中心とした長時間放送を行う」というもの。
 従来、オリンピック放送については、NHKが独占的な存在で、民放の存在感を示せなかった。そこで、2020東京大会では、なんとしても民放を目立たせたいとの思いから集中放送方式に踏み切った、ということのようだ。NHKに、民放の集中放送が加わることで「がんばれ日本!」の翼賛報道が極限までエスカレートするのは間違いなかろう。

谷口源太郎の健筆の冴えに敬服せざるを得ない。「日の丸・君が代」の氾濫も、「『がんばれ日本!』の翼賛報道」の跋扈も、御免こうむる。そして、栗原貞子の詩を、もう1編紹介しておきたい。

 

『ヒロシマというとき』

〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか

〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ
 
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない

アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるパリアだ
 
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない

国旗国歌の強制に服することができないという人の中には、実は国旗国歌の理解に関して大別して2種類の見解がある。国家や権力の象徴としての国旗国歌一般に対して受容しがたいとする一群がある。この人たちは、どんな歌詞や曲の歌であろうとも、あるいはいかなるデザインの旗であろうとも、国家というものの象徴である限りは、人権主体の個人の尊厳を懸けて、あるいは主権者の一人としてその強制には服しがたいとする。

もう一群は、国旗国歌一般ではなく、「日の丸・君が代」だから受容しがたいとする。言わば歴史にこだわるのだ。大日本帝国憲法・天皇制国家・侵略戦争・植民地主義・軍国主義・差別・個人の尊厳の否定・政治的弾圧…等々の負の遺産とあまりに緊密に結びついたこの歌と旗。無反省に、この歌と旗を用い続ける今の世に我慢がならず、その強制に服してはならないと自分に命じるのだ。そう、わたしたちの汚れた手を、さらに汚してはならない、と。

谷口源太郎は、「目立つのは、メディアの扇動もあって国威発揚の道具にされることに無自覚な代表選手たちの『日の丸』へのこだわり」という。そして、「改めて『日の丸』にどのような真実が隠されているのかを知る必要がある」という。『日の丸』に隠された真実、それが栗原貞子の詩のとおりなのだ。

(2020年2月14日)

「『桜を見る会』を追及する法律家の会」2・13結成集会

本日(2月13日)正午より、参議院議員会館会議室で、「『桜を見る会』を追及する法律家の会」の結成集会が開かれた。その式次第は、以下のとおり。

〇 開会宣言
〇 法律家の会結成の趣旨
?  泉 澤   章(弁護士、呼びかけ人)
〇 呼びかけ人から
  小野寺 義 象
  (弁護士、「桜を見る会」を追及する弁護士の会・宮城共同代表)
  澤 藤 統一郎
  (弁護士、背任罪告発代理人共同代表)
   毛 利 正 道
  (弁護士、「桜」私物化!怒り満開 市民の会チーフスタッフ)
〇 国会議員の方々から
〇 今後の会の活動と行動提起
   南   典 男(弁護士、呼びかけ人)

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「『桜を見る会』を追及する法律家の会」結成の趣旨

1 全国から湧き上がる「桜を見る会」私物化と情報隠蔽への怒り
昨年の臨時国会以来、安倍総理が主催してきた「桜を見る会」に関連して様々な問題が噴出し、国政上の重大な焦点のひとつとなっています。
特に「桜を見る会」の前夜祭として行われたホテルでの夕食会は、この間判明した事実からだけでも、安倍総理の事務所が主体となって開催された後援者向けの宴会であり、公職選挙法、政治資金規正法に抵触する疑いが極めて強いことが明らかになっています。また、本来国の行事として開催されるはずの「桜を見る会」を、自らの支援者に向けて権勢を示し、今後の政治的地位を固めるため、私的に流用した疑いも濃厚になっています。
安倍総理は、一国の総理が違法行為をしていたのではないかという疑いを払拭するため、本来であれば、自ら積極的に客観的な事実を示して、合理的な弁明をすべき義務があるはずです。
ところがこの間の国会論戦をみると、安倍総理は合理的な弁明どころか、ホテルとの契約は後援者個々人である、明細書は出せない、招待者名簿もないなどと、非合理的な弁明に終始しています。さらに政府も、「桜を見る会」の招待者名簿は、管理簿への記載もなく、事前同意手続もなしに廃棄したなどと説明し、公文書管理法違反の事実を認めながら、更なる調査やデータ復旧の試みはしないと居直るなど、ひたすら逃げ切りをはかろうとしています。
このように、「桜を見る会」を私物化し、自らに不利な証拠は隠蔽する安倍総理と政権への怒りは、全国各地で湧き上がっています。

2 いま、私たち法律家に求められていること
このような安倍総理による「桜を見る会」の私物化と政権の情報隠蔽に対し、政治的・道義的責任を問う声が高まっています。しかし、ことは政治的・道義的責任だけに止まるものではありません。なぜならこの問題は、前述した公職選挙法や政治資金規正法、公文書管理法等々といったわが国の法律に違反する“違法行為”を、わが国の総理大臣が行ったのではないか、ということが問われているからです。
独裁国家下ならまだしも、立憲民主主義の下で暮らしているはずの私たちは、為政者の違法行為疑惑を目の前にして、これを些細なこととして済ますわけにはゆきません。特に私たち法律家は、日本国憲法における法の支配のもと、法律がこの国において公正・公平に適用されるべく日々業務を行い、研究をしています。そのような法律家としては、為政者の違法行為疑惑を目の前にしつつ、これをただ座して眺めていることは到底許されないのです。
いまこそ、私たち法律家が率先して声をあげ、「桜を見る会」問題の真相を究明し、真に責任ある者の法的責任を追及することが求められているのです。

3 「『桜を見る会』を追及する法律家の会」の結成とこれからへ向けて
そこで今般、私たちは、全国の法律家に呼びかけて、「『桜を見る会』を追及する法律家の会」を結成することにしました。
これからは、すでに全国で「桜を見る会」問題の取り組みを進めている人たちや団体と相互に協力し合い、さらにこの問題で精力的に事実関係を追及してきた野党の対策チームにも協力を仰いで、「桜を見る会」問題の真相を徹底的に究明するとともに、刑事告発を含めた法的責任を追及する手段を慎重に検討し、早期に実現してゆこうと考えています。
本会の目的と活動が、国民各層の支持を得てさらに全国各地に広がり、わが国の立憲主義と法の支配が回復するよう、法律家として全力を尽くしてゆく所存です。

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私(澤藤)の発言は、「内閣総理大臣たる者による政治の私物化に法的な形を与えるには背任がふさわしいとする」趣旨のもの。

去る1月14日、「桜を見る会」についての公私混同疑惑を背任罪(刑法247条)に当たるものとして、内閣総理大臣・安倍晋三を東京地検特捜部に告発いたしました。告発人は、上脇博之さんら研究者グループ13名。代理人弁護士は、阪口徳雄君を筆頭とする51名。
「桜疑惑」については、公職選挙法違反、政治資金規正法違反、公用文書毀棄などが論じられてきました。背任派は少数意見にとどまっています。それでも、なぜ今あえて背任罪での告発なのか。私見を申しあげます。

◆私は、背任こそが国民の怒りの根源をとらえた告発だと思うのです。
森友・加計疑惑を曖昧にしたままの「桜疑惑」です。広範な国民のこの疑惑に対する怒りの根源は、内閣総理大臣たる者の国政私物化にほかなりません。
国政私物化とは、内閣総理大臣たる者が国民からの信頼を裏切り、私の利益のために国民から与えられた権限を悪用する行為です。国民はこの人物を信頼し、当然に国民全体の利益のために適切に権限を行使してくれるものと期待して、権力を預け権限を負託しました。にもかかわらず、この人物は国民の信頼を裏切って私益のために権限を悪用したのです。
このことを、法的に表現すれば、内閣総理大臣たる者の国(ないし国民)に対する「信任義務違反」というほかはありません。他人から負託された信頼を裏切る行為を本質とする犯罪が背任である以上、背任罪告発はことの本質を捉え、国民の怒りに形を与える刑事責任追及として最も適切と考えられるのです。
にもかかわらず、これまで首相の背任を意識した議論が少ないと言わざるを得ません。この告発によって、まずは大きく世論にインパクトを与え、世論を動かしたいと思うのです。単に、「安倍首相は怪しからん」というだけの漠然とした世論を、「安倍首相は国民の信頼を裏切った」「これは背任罪に当たる」「背任罪で処罰すべきだ」という具体的な要求の形をもった世論を喚起したい。そうすることではじめて、忖度で及び腰の検察にも本腰を入れさせることが可能となると考えます。

◆ 具体的に背任成立の要件について、述べたいと思います。
(1) 主体
背任罪は身分犯であって、その主体は、「他人のためにその事務を処理する者」です。憲法第15条に基づき、「全体の奉仕者」として公共の利益のために職務を行うべき公務員が、身分犯としての背任罪の主体となり得ることは判例通説の認めるところです。内閣総理大臣の職にある者においてはなお当然というべきで、この点に疑問の余地はありません。
本件の場合、「他人」とは国であって、被告発人は、各年の「桜を見る会」の主催者です。同「会」の遂行について国の利益のために適切に企画し実行すべき立場にある者として、構成要件における「他人のためにその事務を処理する者」に当たます。
(2) 図利加害目的
背任罪は目的犯であって、「自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的」が必要とされます。本件の場合は、被告発人自身の利益、ならびに第三者である被告発人の妻・被告発人の政治的後援会員・被告発人と所属政党を同じくする国会議員らの利益をはかる目的があっての任務違背であることは、自明のことというべきです。
(3) 任務違背
背任罪の本質は背信であると説かれます。被告発人の国に対する任務に違背する行為が、構成要件上の犯罪行為です。当該任務は、具体的には「法令、予算、通達、定款、内規、契約等」を根拠とします。その根拠にもとづく「任務に反する行為でその行為が、国に財産的損害を生ぜしめる性質のものである限り原則的に任務違背が成立する。」と説かれます。
被告発人は内閣府の長として、本件各「桜を見る会」を企画し実施して必要な経費を支出するに当たっては、「桜を見る会開催要領」と予め定められた歳出予算額とを遵守すべき義務を負っていたものです。
歳出予算は拘束力を持ち、いわゆる「超過支出禁止の原則」にしたがって、予算計上額を上回って超過支出することが禁止され、予算外支出も認められません。にもかかわらず、被告発人は、「桜を見る会開催要領」を無視して、招待者の範囲を恣に拡大し、約1万名と限定されていた範囲を大幅に逸脱して無原則に招待者を拡大し、予算の制約を大幅に超えて費用を支出した点において、その任務に違背したものです。
(4) 国の財産的損害
背任罪は財産犯ですから、被告発人が国に幾らの損害を与えているかが問題となります。被告発人は総理大臣になって以来、毎年「桜を見る会」への招待者数を増やし、国に予算を超過する支出を余儀なくさせて、毎年予算超過額に相当する損害をあたえました。その金額の総計は、公訴時効完成前5年分で1億5200万円となります。

◆ 政府側の弁明
予算超過に関する内閣府大臣官房長の説明は、「最低限必要となる見込みの経費を前提に予算を計上し、結果的に支出額が予算額を上回った分については、『一般共通経費』で補填している」というものです。つまりは、予算で最低限必要なことはできるのです。「桜を見る会開催要領」に従って、招待者1万人枠を遵守していれば、「一般共通経費」の「活用」は不要なのです。国会が承認した予算を漫然と超過することは許されありません。どのような事情で、何に、幾らかかったかの特定と、しかるべき理由と証明がなければ、「一般共通経費」からの支出が許されようはずはありえません。

以上のとおり、「桜疑惑」とは,その本質において、まずは「総理大臣の国民に対する」背任だというのが私たちの主張です。

弁護士 澤藤統一郎

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黒岩宇洋(立民)、池田真紀(同)、奥野聡一郎(国民)、山井和則(無所属)、田村智子(共産)、山添拓(共産)の各議員から、それぞれに熱のはいったご挨拶があった。

こもごも熱く語られたことは、「いったい、これが法治主義国家か」「法の支配はどこへ行ったのか」「民主主義の根幹が揺らいでいる」「権力者は法を破ってもよいとでも思っているのか」「こんなことが許されてはならない」「徹底した追及が必要だ」「そのために、法律家の協力を期待する」ということ。

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今後の方針と行動提起

南典男

1 「桜を見る会」の問題は、安倍首相による国政の私物化という問題ですが、同時に、民主主義や法治主義を壊すという問題でもあります。安倍首相は、国民の血税を使って地元の後援会員に便宜を図るだけでなく、前夜祭では本来なすべき収支報告をなさない、これは政治資金規正法に違反すると思われます。また、ホテル側が通常よりも低い金額で料理等を提供しており、これは公職選挙法に違反すると思われます。
安倍首相は、違法行為であることを弁解するために、ホテルと800人の参加者が個別に契約しているとか、安倍事務所はホテルと合意はしたが契約はしていないとか、説明にもならない、非常識かつ不合理な弁明に終始しています。
本来、率先して法を守るべき立場に立たなくてはならない首相が、率先して違法行為をする、弁解にもならない不合理な弁明に終始する、これでは私たちの国は法治国家の体をなしていないと言わざるを得ません。

2 私たち弁護士や法学者は、法の支配を回復するために、法の専門家として「「桜を見る会」を追及する全国法律家の会」を立ち上げました。今後の行動を提起します。
? 96人が呼びかけ人になりました。これから全国から千を超えるような賛同者を幅広く募ります。
? 刑事告発を視野に違法行為に基づく法的責任をはっきりさせます。集めた多くの証拠資料を分析し、また、新たな証拠の収集を行い、論点を絞り込んで法的責任を明確にします。
? 「桜を見る会」の問題について、全国津々浦々で集会などの企画を成功させます。既に、仙台、長野、沖縄などが先頭に立って走って頂いていますが、全国で企画を立てて頂ければと思います。3月に桜が開花するのとともに、違法責任を追及する運動を展開し、追及運動の季節にしていきましょう。
? 国民世論を高め、立憲野党の議員の皆さんと連携して国会での追及を強め、事実と真相を明らかにしていきます。
? 以上4つのことを実践して、3月12日午後5時から大きな規模で院内集会を行います。場所は衆議院第2議員会館多目的会議室です。

3月12日まで1か月、お互いに頑張りましょう。そして、違法責任の当事者である安倍首相の法的責任を明確にするまで、追及運動を大きくしていきましょう。

(2020年2月13日)

「『桜を見る会』を追及する法律家の会」(仮称)間もなく結成の運びに

「前門の桜、後門のIR」。
「紙の爆弾」(鹿砦社)3月号「不祥事連発の安倍政権を倒す 野党再編への道筋」(朝霞唯夫)の冒頭に紹介されている至言。もちろん、自民党幹部にとっての切実な感想である。「桜」「IR」に、「ウグイス嬢」「香典」と続いて、「不祥事連発」という表題となる。

 アベ政権の不祥事はいろいろあれど、安倍晋三本人の国政私物化体質を良く表している点で、桜疑惑が抜きん出ている。「桜」と「疑惑」、「桜」と「安倍セコイ」、「桜」と「安倍汚い」のイメージがしっかりと結びついた。罪ない桜には気の毒なことこのうえない。

一昨日(2月7日)新宿御苑に足を運んで、たった一人の「桜を見る会」をやってきた。天気はよし、風はなし。人もまばら。コロナウィルスの影響もあるのだろうが、なんとも広い庭園を独り占めの贅沢。もちろん、ソメイヨシノもサトザクラも蕾は固い。しかし、翔天亭そばの寒桜は今が見頃である。温かい「ワンカップ甘酒」300円のなんともつましい「一人桜を見る会」。

長い間この庭園の入場料は200円だったが、昨年(2019年)3月に500円への大幅値上げをした。19年4月の「18000人桜を見る会」は、値上げ後のこと。参加者は入場料を支払っていない。

よく知られているとおり、この広い庭園は江戸時代には、旗本内藤家の屋敷だった。それが徳川家崩壊で、維新後は天皇家の財産となった。いまだに、「新宿御苑」と、ことさらに「御」の文字が入っているのは、もともとは天皇家のものであったことを忘れてはならぬとするおもんばかり。「上野恩賜公園」も同様である。

新宿御苑の公式ホームページに、こうある。

江戸の大名屋敷から皇室庭園、国民公園として、400年を超える時代の中で、さまざまな役割を担い、発展を遂げてきた新宿御苑は、日本における貴重な歴史文化と自然を継承する庭園として、時代を超えて人々に愛され続けています。

そりゃウソだろう。旗本屋敷も皇室庭園も、所詮庶民とは縁無きもの。「時代を超えて人々に愛され続けて」きたわけがない。

「新宿御苑は明治35年から4年の歳月をかけて明治39年(1906)5月に完成し、明治天皇の御臨席のもとに日露戦争の戦勝祝賀を兼ねた開苑式が催されたとのことです。」

ここにも、国のすべてが「天皇の戦争」に結びつけられていた歴史の片鱗がある。また、戦後の庭園の歴史については、こう記されている。

 昭和24年(1949)4月1日から「国民公園新宿御苑」と名称をあらため、5月21日に正式に公開が始まりました。最初の入園料は20円で、翌年3月までの10ヵ月間で105万人もの入園者数を記録しました。

 その後まもなく入園者サービスの充実を目指し、財団法人新宿御苑保存会(現在の一般財団法人国民公園協会新宿御苑の前身)が発足し、…中断されていた観菊会は、開苑から2年後の昭和26年(1951)に内閣総理大臣主催の「菊を見る会」として再開し、観桜会も、その翌年に「桜を見る会」としてふたたび催され、伝統の花々が初めて一般に公開されることになりました。

 1952年に始まった「桜を見る会」。21世紀になって出てきた、ヘンな総理が、これを私物化することになろうとは、内藤様も、天皇家も、考えもしなかったろう。

その「桜を見る会」疑惑。常識的には、もう詰んでいる。野党の追及に、抵抗すればするほど、泥沼にはまり身動きできなくなっている。しかし、それでも安倍は「投了」しようとしない。万が一にも、こんな安倍の悪あがきが功を奏して、うやむやにされるようなことがあってはならない。

この事態に、法律家有志も力を合わせようという気運が盛り上がっている。先日来の国会論戦が、契約主体や、公職選挙法・政治資金規正法・公文書管理法の解釈問題に踏み込んだ、法的な問題に関わるものとなっているからである。

現在26人の学者と弁護士が呼びかけ人となって、「『桜を見る会』を追及する法律家の会」(仮称)結成の準備をしている。安倍晋三による国政私物化、国民財産私物化に憤っている法律家への呼びかけの趣旨の概要は以下のとおりである。

 昨年の臨時国会以来、安倍総理が主催してきた「桜を見る会」の問題が、国政上の一大焦点となっています。とりわけこの問題は、安倍総理が、国の主催する「桜を見る会」を、自らの支援者に向けて権勢を示し、さらに今後の政治的地位を固めるため私的に利用したという意味で、政治的・道義的責任が問われているとともに、公職選挙法や政治資金規制法、公文書管理法等々の法律に抵触する違法な行為として、法的責任も問われるべき問題です。
 ところが、通常国会の論戦において安倍総理は、野党による「桜を見る会」とその前夜祭の追及に対し、客観的な書類の公表を拒否するなど、納得のゆく説明を尽くそうとせず、ひたすら逃げ切りをはかろうとしており、違法行為の疑惑はますます深まるばかりです。

 私たちは法の支配のもとに生きる法律家として、一国の総理の違法行為疑惑を目の前にしながら、座して見ているわけにはゆきません。いまこそ、私たち法律家が率先して、「桜を見る会」の真相を解明し、安倍総理の法的責任を追及するときではないでしょうか。

 そこで今般、私たちは、「『桜を見る会』を追及する法律家の会」(仮称)を結成し、すでに全国で取り組みを進めている人たちや団体と相互に協力し合い、野党の対策チームとも連携して、安倍総理の法的責任を追及する、全国規模の運動を立ち上げようと考えました。

皆様におかれましては、ぜひ当会の設立について呼びかけにご賛同いただき、当会が予定する活動にご協力いただけますよう、お願いする次第です。

この会の結成総会予定は2月13日(木)。安倍の退陣を実現して、心ゆくまでの花見を楽しみたいと思う。
(2020年2月9日)

 

 

「建国記念の日」に天皇制を問う ― 講演レジメ

2月11日「建国記念の日」が迫ってきた。「国民の祝日に関する法律」は、この日を「建国をしのび、国を愛する心を養う」としている。もっとも、同法には「建国記念の日」を2月11日にするとは書き込まれていない。「政令で定める日」とされているのだ。他の祝日にはないこの「記念の日」に限っての決め方。

「憲法記念日」は「憲法記念の日」とは言わない。5月3日と法がきちんと決めてもいる。「憲法」の誕生日が1947年5月3日であることは誰にとっても自明なことで動かしがたい。しかし、「建国」つまりは国の誕生日となると、一義的に決まるわけではない。人それぞれの考え方によって異なってくる。

よく知られているとおり、2月11日を「建国記念日」として祝日にしようという法案は、自民党が9回国会に提案して9回つぶれた。ようやく成立したのは、「建国記念の日」として、期日を特定しない法案だった。つまり、「建国記念の日」という名の祝日が先にできて、その日をいつにするかは、そのあとで決めたのだ。学識経験者の「建国記念日審議会」が半年間の審議をし(正確には,審議をした振りをし)、2月11日案を答申して、政令が成立したのだ。

紀元節復活を許すか否か。保守と革新の歴史観が衝突した大事件だった。言うまでもなく、2月11日は神話における初代天皇即位の旧紀元節。この「祝日」は、天皇制を考えるべき日である。この日は、多くの学習会や後援会の企画がある。私も下記のとおり小集会で講演をする。

ご参加いただいて、ご一緒に日本の歴史やナショナリズムについて考えていただけば、ありがたいと思う。

日時:2月11日 13時30分?16時30分
講演:「異常な令和フィーバーを考える」
講師:澤藤統一郎(弁護士)
場所:亀戸文化センター(カメリアプラザ5階)
亀戸駅下車歩2分 03ー5626ー2121
資料代:500円
問合せ先:090-8082-9598

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異常な「令和」フィーバーを考える
         ?「建国記念の日」に天皇制を問う

? 安倍晋三の「令和私物化」を憂うる
☆安倍晋三は、国政を私物化し、行政を私物化し、
さらに時代と天皇までを私物化している。
言うまでもなく、天皇(制)とは、権力に利用される道具として存在している。
歴史的に天皇の権力が失われて以来、
権力者は天皇の権威を損なわぬよう留意しつつ、これを利用した。
安倍晋三も、政権浮揚の小道具として、天皇の交替を徹底して利用してきた。
新元号・令和の利用もその一端である。
☆元号・改元とは、天皇が時を支配するという呪術的権威の表象である。
安倍晋三は、天皇のこの呪術的権威をわがものとして利用した。
天皇交替と改元をことさらに世間の関心事と喧伝し、常にその「国民的関心事」の耳目を集めようと腐心してきた。(しゃしゃり出てきた)
☆安倍晋三・記者会見(2019年4月1日)
本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。新しい元号は「令和」(れいわ)であります。これは「万葉集」にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す」との文言から引用したものであります。
元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願いとともに、1400年近くに渡る我が国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものとなっています。この新しい元号も広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根差していくことを心から願っています。
(漢籍からではなく「初めて国書から撰んだ」とも)
☆安倍晋三・即位後朝見の儀 国民代表の辞(2019年5月1日)
謹んで申し上げます。
天皇陛下におかれましては、本日、皇位を継承されました。国民を挙げて心からお慶び申し上げます。
ここに、英邁なる天皇陛下から、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、日本国憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たされるとともに、国民の幸せと国の一層の発展、世界の平和を切に希望するとのおことばを賜りました。
私たちは、天皇陛下を国及び国民統合の象徴と仰ぎ、激動する国際情勢の中で、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を、創り上げていく決意であります。
ここに、令和の御代の平安と、皇室の弥栄をお祈り申し上げます。
☆10月22日 即位正殿の儀における 「テンノーヘイカ・バンザイ」
☆11月14日 宗教儀式(秘儀)・大嘗祭
☆臣民根性丸出しの数々の愚行が、国民のウケ狙いで行われていることの問題性。

?「建国記念の日」とは何か
☆「建国」のイデオロギー
人には誕生日がある。果たして国にも誕生日はあるのか。
「国」をどう捉えるか。
フランスでは アメリカでは 中国では 韓国では そして日本では?
紀元節における天皇制ナショナリズム
高天原神話⇒天孫降臨⇒東征⇒神武即位
明治政府が初代天皇即位の日をBC660年2月11日と決めた。
さしたる根拠はなく、天皇即位を建国とするイデオロギーが重要だった。
この日を「紀元」として、皇紀を数えた。
☆明治政府は、天皇の権威をもって国民を統合し統治しようとの設計図を描いた。
天皇は神であり、道徳・文化の根源であり、大元帥であり、
それ故に、統治権の総覧者とされた。
国家権力が「神なる天皇」という虚構を「臣民」に教化した。
壮大なデマとマインドコントロールの体系として神権天皇制はあった。
理性を持つ者は、沈黙か面従腹背を余儀なくされ、あるいは非国民として徹底して弾圧された。
☆敗戦による民主化は、旧体制と断絶した新生日本を作り出した…はずだった。
新憲法によって天皇は神の座から引き摺り下ろされて「象徴」となり、
主権者でも、大元帥でもなくなった。
「臣民」に貶められていた国民は、主権を獲得した。
ところが、民族の歴や文化は連綿として一体であって、
「戦前と戦後は連続している」という考え方がある。
その表れが、皇国史観であり、「皇紀2680年」「明治150年」の思想である。
☆法的には、建国記念の日制定(紀元節復活)・元号法制定・国旗国歌法制定と  なり、さらに自民党改憲案での、憲法への取り込みがはかられている。

? 天皇の交替は何を意味するか
☆天皇という公務員職の存在は、「国民の総意」によるとされる。
演出され、作りだされる、「国民の総意」。
主権者に強制される祝意。本末転倒・主客逆転の実態。
天皇制とは、「権力に重宝なもの」として、拵えられ維持されてきた。
☆日本の民主主義は、天皇制と拮抗して生まれ、天皇制と対峙して育ってきた。
象徴天皇制も、強固な権威主義と社会的同調圧力によって支えられている。
いま、この同調圧力に抗する「民主主義の力量」が問われている。
天皇批判言論の自由度が、表現の自由のバロメータとなっている。

? 元号とは
☆天皇制を支える小道具は数ある。
元号・祝日・「日の丸・君が代」・叙位叙勲・恩赦・歌会始・御用達・賜杯・天皇賞・御苑・恩賜公園……等々。そのなかで、元号が国民の日常生活と天皇制を結びつける最大の役割を果たしている
☆元号のイデオロギーとは、
皇帝が時を支配するという宗教的権威顕示の道具であり、
政治的には、支配と服属関係確認の制度である。
☆古代中国の発明を近隣小権力が模倣した。「一世一元」は明治政府の発明品。
新憲法下の皇室典範はこれを踏襲した。
元号は天皇制と一体不可分である。
国民の元号使用の蔓延が天皇制を支える構造にある。
☆しかし、元号は、「欠陥商品」である。
元号は国民の日常生活において使用される道具として、消費生活における商品に擬することができる。
「商品」とは、消費市場における消費者の選択によって淘汰されるもの。
☆元号は、紀年法として、不便・不合理極まる欠陥を有する。
元号は、賞味期限も消費期限もあまりに短い。
元号通用の地域限定性は、耐えがたい欠陥である。
しかも、元号は必然性なく突然に変わる。
一人の人間の生死や都合に、他の全員が付き合わされる不合理。
国民生活における西暦・元号の併用コストは許容しがたい。
☆元号は、不便・不合理を越えて有害である。
元号は、天皇制を支える非民主的な存在として有害である。
元号は、天皇を神とするイデオロギーに起源をもち、
政教分離の精神に反する存在として有害である。
また元号は、現体制への服属を肯定するか否かの踏み絵となる点で有害である。
歴史やニュースの国際的理解を妨げる。ナショナリズム昂揚にのみ資する。
☆元号は、これを使いたくないと考える国民に、事実上使用強制となる点で、
思想・良心の自由(憲法19条)を侵害するものである。
☆いまどき、そんな欠陥商品が、何故大売り出しされるのか。
戦後民主主義の高揚期には天皇退位論だけでなく、元号廃止論が有力だった。
その典型が日本学術会議が内閣総理大臣と、衆参両院の議長に宛てた「元号廃止・西暦採用の申し入れ」(1950年5月・後掲資料)
元号の不合理だけでなく、民主国家にふさわしくないことが強調されている。
ところが、保守政権とともに、天皇制が生き延び、元号も生き延びた。
1979年には元号法が制定され、2012年自民党改憲草案には憲法に元号を書き入れる案となっている。
合理性を追及するビジネスマインドからは元号廃絶が当然の理だが、改憲指向・戦前指向・天皇制利用指向・歴史修正主義・ナショナリズム指向の安倍政権には、新元号制定を「手柄」とし、政権浮揚の道具とする意図があったと考えられる。そして、残念なことに、少なからぬ国民とメディアがそれを許している。

? 令和とは (ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」2019年4月1日抜粋)
通常の言語感覚からは、「令」といえば、命令・法令・勅令・訓令の令だろう。説文解字では、ひざまづく人の象形と、人が集まるの意の要素からなる会意文字だという。原義は、「人がひざまづいて神意を聴く様から、言いつけるの意を表す」(大漢語林)とのこと。要するに、拳拳服膺を一文字にするとこうなる。権力者から民衆に、上から下への命令と、これをひざまずいて受け容れる民衆の様を表すイヤーな漢字。
この字の熟語にろくなものはない。威令・禁令・軍令・指令・家令・号令…。
もっとも、「令」には、令名・令嬢のごとき意味もある。今日、字典を引いて、「令月」という言葉を初めて知った。陰暦2月の別名、あるいは縁起のよい月を表すという。
令室・令息・令夫人などは誰でも知っているが、「令月」などはよほどの人でなければ知らない。だから、元号に「令」とはいれば、勅令・軍令・号令・法令の連想がまず来るのだ。これがイヤーな漢字という所以。
さらに「和」だ。この文字がら連想されるイメージは、本来なら、平和・親和・調和・柔和の和として悪かろうはずはない。ところが、天皇やら政権やら自民党やらが、この字のイメージをいたく傷つけている。
当ブログの下記記事をご覧いただきたい。
「憲法に、『和をもって貴しと為す』と書き込んではならない」
https://article9.jp/wordpress/?p=3765(2014年10月26日)

自民党改憲草案前文の「和」が、新元号の一文字として埋め込まれた。「令和」とは、「『下々は、権力や権威に従順であれ』との命令」の意と解することができる。いや、真っ当な言語感覚を持つ者には、そのように解せざるを得ないのだ。
元号自体がまっぴらご免だが、こんな上から目線の奇なる元号には虫酸が走る。今後けっしてこの新元号を使用しないことを宣言する。

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資料1(日本学術会議の「元号廃止・西暦採用決議」)

昭和25年5月6日

衆議院議長
参議院議長
内閣総理大臣

日本学術会議会長 亀山直人

元号廃止 西暦採用について(申入)

本会議は,4月26日第6回総会において左記の決議をいたしました。
右お知らせいたします。

日本学術会議は,学術上の立場から,元号を廃止し,西暦を採用することを適当と認め,これを決議する。

理 由

1. 科学と文化の立場から見て,元号は不合理であり,西暦を採用することが適当である。
年を算える方法は,もつとも簡単であり,明瞭であり,かつ世界共通であることが最善である。
これらの点で,西暦はもつとも優れているといえる。それは何年前または何年後ということが一目してわかる上に,現在世界の文明国のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは、たんに日本だけにすぎない。われわれば,元号を用いるために,日本の歴史上の事実でも,今から何年前であるかを容易に知ることができず,世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつ頃に当るのかをほとんど知ることができない。しかも元号はなんらの科学的意味がなく,天文,気象などは外国との連絡が緊密で,世界的な暦によらなくてはならない。したがって,能率の上からいっても,文化の交流の上からいっても,速かに西暦を採用することか適当である。

2. 法律上から見ても、元号を維持することは理由がない。
元号は,いままで皇室典範において規定され,法律上の根拠をもっていたが,終戦後における皇室典範の改正によって,右の規定が削除されたから,現在では法律上の根拠がない。もし現在の天皇がなくなれば,「昭和」の元号は自然に消滅し,その後はいかなる元号もなくなるであろう。今もなお元号が用いられているのは,全く事実上の堕性によるもので,法律上では理由のないことである。

3.新しい民主国家立場からいっても元号は適当といえない。
元号は天皇主権の1つのあらわれであり,天皇統治を端的にあらわしたものである。天皇が主権を有し,統治者であってはじめて,天皇とともに元号を設け,天皇のかわるごとに元号を改めるととは意味かあった。新憲法の下に,天皇主権から人民主権にかわり日本が新しく民主国家として発足した現在では,元号を維持することは意味がなく,民主国家の観念にもふさわしくない。

4.あるいは,西暦はキリスト教と関係があるとか,西暦に改めると今までの年がわからなくなるという反対論があるが,これはいずれも十分な理由のないものである。
西暦は起源においては,キリスト教と関係があったにしても,現在では,これと関係なく用いられている。ソヴイエトや中国などが西暦を採用していることによっても,それは明白であろう。西暦に改めるとしても,本年までは昭和の元号により、来年から西暦を使用することにすれば,あたかも本年末に改元があったと同じであって,今までの年にはかわりがないから,それがわからなくなるということはない。

資料2 元号法(昭和五十四年法律第四十三号
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。

(2020年2月7日・連続更新2503日)

アベノサクラ音頭(または、アベノギワク音頭)

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  梅は咲いたか
  桜はまだかいな
  アベノサクラは 散りはじめ
  こいつは春から縁起がよい

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  募っちゃいるけど 募集じゃない
  合意したけど 契約ない
  責任あるけど ことばだけ
  間違ったけど ウソじゃない

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  自分のウソはたなにあげ
  人には「ウソツキ」 面罵する
  嘘つきの「ウソツキ」呼ばわり
  そりゃウソだ

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  総理稼業は気楽なものよ
  こんなワタシで務まるの
  みんなソンタクしてくれる
  アベ方式でハイドウドウ

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  この世はわが世と思ってた
  一強他弱の昨日まで
  一夜明けたら こりゃどうじゃ
  みんな意地悪 いじめっこ

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  外交内政実績ない
  総理のやること信頼ない
  憲法改正できっこない
  ないないづくしにきりはない

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  もり・かけ・サクラ
  カジノにテスト
  こんな内閣ミゾユウだ
  こんな総理もデンデンさ  

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  アベは散ったか
  アキエはまだかいな
  アベとアキエとオトモダチ
  春の夜の夢の見おさめ

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  新宿御苑に桜が咲かば
  思いおこせよ アベ疑惑
  歪んだ政治があったこと
  汚れた総理がいたことを

 ア コリャ コリャ
 ア ドッコイ ドッコイ

(2020年2月6日・連続更新2502日)

検察庁よ、安倍官邸の走狗となるなかれ。走狗となると見られることを拒否せよ。

昨日(2月4日)の衆院予算委員会審議。さすがに野党のエース級を揃えた質問陣。聞かせる質疑が続いた。指摘されている内容はまことにもっともなことばかり。こんなに重要な問題を抱えながら、どうして安倍政権が倒れずに持ちこたえているのか、不思議でならない。

一瞬頭をよぎる。安倍晋三が退陣して忖度の必要がなくなった途端に、数多くの安倍疑惑について、「実は、あの件はこうだった」という関係者の真相告発が相次ぐことになるに違いない。そのような「安倍疑惑」の一つとして、安倍内閣による検事総長ゴリ押し人事のたくらみがある。忖度を期待できる黒川弘務・現東京高検検事長を、前例のない定年延長までして検事総長に押し込もうというのだ。

現職の検事総長稲田伸夫は、政権に忖度の態度を見せない。自ら退官しましようと言わないのだ。だから、本来なら黒川弘務は東京高検検事長で定年を迎えて、検事総長の目はない。ところが安倍内閣は、1月31日閣議をもって黒川弘務東京高検検事長の定年を延長した。前代未聞のことで「安倍政権の指揮権発動」との声さえある。形としては主務大臣として森法務大臣が請議(閣議への提案)しており、質問の矢面に立たされているが、明らかな官邸人事である。それも、強引というだけでなく、違法のおそれ濃厚である。

立憲民主党の本多平直議員の質問が、この件の問題点を浮き彫りにしている。これを以下のように、読み易く整理してみた。

○本多平直委員 第二次安倍政権のこの間、国家公務員の人事が、非常に恣意的に行われてきた。そのことがいろいろな不正・そんたくの温床になってきたんじゃないか。

 総理の思うとおりの異次元の金融緩和をやるために日銀の総裁をかえ、憲法違反の安保法制を通すために内閣法制局長をかえ、NHKの会長も変えた。ここだけは中立にやってねというところを、恣意的にかえてきた。それに加えて、最後の最後は、検事総長。この人事を都合よくやろうとしているんじゃないか。

黒川弘務さんという東京高検検事長の定年が延長された。これは、今の検事総長がやめるまで待って、この7月末か8月あたりに検事総長に据えるために前例のない定年延長の人事をしたのではないか。

この黒川という人、報道によれば「官邸の門番」「官邸の代理人」「官邸の用心棒」と、こういう評価をされている。にもかかわらず、違法とも言われる延長人事をやった。

○森まさこ法務大臣 違法との指摘は当たりません。また、黒川検事長については、報道やネット上の評判ではなく、検察庁の業務遂行上の必要性に基づき、法務大臣から閣議請議を行って閣議決定をされ、引き続き勤務させることとしたものであり、ご指摘は当たらないものでございます。通常もそうでございますが、具体的な人事については詳細なお答えは差し控えさせていただいております。

○本多委員 安倍政権になってからの検察は、不起訴の連続なんですよ。
 まず、小渕優子元経済産業大臣の政治資金規正法違反、数億円ですよ。秘書は証拠になるパソコンにドリルで穴をあけて、この話、御本人は起訴されず、秘書が二人起訴されただけ。松島みどり元法務大臣、うちわを選挙区で配った話も不起訴。甘利明元経済再生担当大臣、UR、都市再生機構への口きき疑惑、大臣室で50万円、事務所で50万円、合わせて100万円を受け取った、これも不起訴。そして、下村博文元文科大臣。いろいろな容疑で告発をされているんですよ。
 例の加計学園からのパーティー券200万円不記載、不起訴ですよ。そして、きわめつけは森友学園、これの佐川宣寿元財務局長、この人を始め38人不起訴なんですよ。もっと一個一個にちゃんと怒っておくべきだった。つい先日の上野宏史厚生労働大臣政務官、外国人労働者在留資格口きき疑惑、どこへ行ったんですか。あなたが今度検事総長にしようとしているこの人は、この間ずっと法務行政の中心にいたんですよ。法務省の官房長であり、法務省の事務次官。この第二次安倍政権になってからの検察の仕事ぶり、この7年間、こういうのが続いている。

 だから、みんな疑っている。こんな異例の人事をしたのは、今検事総長を務めている方がやめて、その後任にするためにこうしていると疑っているから、そうじゃないというんだったらそう言ってください。

○森大臣 高検の黒川検事長について任期を延期したことが将来の人事を理由とするものではないかという御質問でございますが、先ほどお答えしましたとおり、今回の任期の延長は検察庁の業務遂行上の必要からしたものであって、将来の人事についてを理由にするものではございません。

○本多委員 国民の皆さんにぜひ覚えておいていただきたい。7月末から8月、オリンピックでにぎやかなときに、この黒川弘務さん、こういう恣意的な形で、官邸の番人だ何だと言われている人が、こういう異例な人事を無理やりやって、検事総長にならないことを心から祈りたい。

総理も聞いてください。日銀総裁だ内閣法制局だという、独立性がほかより要求される人事をごり押しし、前例のない形で裏わざを使う。私は違法だと思いますが、森大臣の言うとおりだとしても裏わざなんですよ。こういうことはしない方がいいと思いませんか、総理。

○安倍内閣総理大臣 日本銀行の総裁については、まさに三本の矢の中で……(本多委員「聞いていませんよ」と呼ぶ)では、済みません、やめます。国会の御承認をいただいたということでございますが、人事については、あくまで一般論として申し上げれば、検察官の任命権は法務大臣又は内閣にあるところでありますが、その任命権は適切に運用されるべきものだと考えております。

○本多委員 ぜひこんなイレギュラーな形で無理やり人事をねじ曲げるようなことをしないでほしい。

 森まさこ法務大臣は一応法律家ですよね。だからといって、素人を煙に巻くようなふざけた答弁をしないでほしい。「逐条国家公務員法」の解釈によると、勤務延長が認められる者は、同法181条の2第1項の規定により定年で退職することとなる職員であると書いているんですよ。ということは、検察官、東京高検検事長は含まれない。延長ができないじゃないですか、閣議決定は違法じゃないですか。

○森国務大臣 これにつきましては、検察官は一般職の国家公務員でありまして、今御指摘の(国家公務員法の)条文が当てはまり、勤務延長について、一般法たる国家公務員法の規定が適用されるものと理解されます。

○本多委員 森まさこ法務大臣のような人が、法律家であることをかさに着て、素人をだまさないためにこういう本(逐条解説)があるんですよ。この本には反しているということでいいですね。

○森大臣 勤務延長につきましては、一般法たる国家公務員法の規定が適用されるものでございます。勤務延長について、検察庁法上特段の規定が設けられておりません。勤務延長については国家公務員法の規定を使わないということが特に記載されておりませんので、一般法の国家公務員法に戻りまして、勤務延長が適用されると理解されます。

○本多委員 これは法律家の中でもたくさん異論がありますよ。大臣の読み方はおかしいと言う人はたくさん出ています。これは、そもそも政治的におかしい。そして、違法なんですよ。これまでこんな前例はない。仕事の途中だから定年できないなんていったら、どんな国家公務員も定年できなくなる。よっぽど特殊な、その人しかできない、そういう業務をやるときだけ定年が延長される。それを、本来は定年の延長なんか禁止される検察官に、7月末から8月に検事総長の人事を恣意的にやろうとしているというとんでもない話。ぜひやめていただきたいということを強く申し上げておきたいと思います。

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安倍内閣は、黒川検事長を検事総長にしてはならない。信なくば立たず。刑事司法は、国民の検察に対する信頼なくしては成り立ち得ない。安倍政権の走狗と国民に見なされる検事総長のもとでは、検察の信頼は死滅する。これは、そのような深い根をもった事件なのだ。

なお、関係する条文を掲出しておきたい。

検察庁法第22条
「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する」

同法第32条の2
「この法律…第22条…の規定は、国家公務員法の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする」

国家公務員法81条の3(定年による退職の特例)
「第1項 …その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、同項の規定にかかわらず、…その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる」

人事院の解説

1 勤務延長(国公法第81条の3)
(1) 定年退職予定者が従事している職務に関し、職務の特殊性又は職務遂行上の特別の 事情が認められる場合に、定年退職の特例として定年退職日以降も一定期間、当該職務に引き続き従事させる制度
? 勤務延長を行うことができるのは例えば次のような場合
例 定年退職予定者がいわゆる名人芸的技能等を要する職務に従事しているため、その者の 後継者が直ちに得られない場合
例 定年退職予定者が離島その他のへき地官署等に勤務しているため、その者の退職による 欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な支障が生ずる場合
例 定年退職予定者が大型研究プロジェクトチームの主要な構成員であるため、その者の退 職により当該研究の完成が著しく遅延するなどの重大な障害が生ずる場合

(注) 留意点
? 勤務延長の要件が、その職員の「退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる 十分な理由があるとき」と限定されており、活用できる場合が限定的
? 「当該職務に従事させるため引き続いて勤務させる」制度であり、勤務延長後、当該職員を 原則として他の官職に異動させることができない。

(2020年2月5 日・連続更新2501日)

連続更新2500日目、あらためて自民党「憲法改正草案」を斬る。

当「憲法日記」の掲載は、2013年4月1日に毎日連続更新を広言して始めた。以来、連続更新を続けて、本日が2500日目となる。節目の日にふさわしいテーマを探して、「自民党憲法改正草案批判」とした。これまでも批判はしてきたが、今の時点での厳しい批判を試みたい。

自民党のホームページに、下記のコーナーがある。ここに、自民党「改憲草案」の総括的な解説が掲載されており、総括的な批判に便宜である。

「憲法改正草案」を発表(平成24年4月)
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html

自民党「憲法改正草案」は2012年4月27日に発表された。同党が、民主党に敗れて政権の座を明け渡している間のことである。無防備にホンネを語ったものとして、貴重な資料である。以下の赤字は自民党の記事青字が私の批判である。

「自主憲法の制定」は自民党の使命
 わが党は、結党以来、「憲法の自主的改正」を「党の使命」に掲げてきました。占領体制から脱却し、日本を主権国家にふさわしい国にするため、自民党は、これまでも憲法改正に向けた多くの提言を発表してきました。

 その自白のとおり、自民党は日本国憲法が大嫌い。何とか変えてしまいたいのだ。どこが嫌いか。国民主権も、平和主義も、人権の尊重も大嫌い。できればなくしたい。今の世にそれは無理だが、現行憲法の理念をできるだけ薄めたものにしてしまいたい。
 では、自民党はどんな憲法が好きなのか。一つは、大日本帝国憲法である。天皇を押し戴き、強い軍隊を持って、億兆心を一つにした統制のとれた国家を肯定する憲法。そして、もう一つが、企業が何の規制もなく恣に行動の自由を謳歌できる憲法である。権威主義と大国主義、それに新自由主義がないまぜにされた憲法イデオロギー。それが自民党が目指す方向なのだ。
 永く臣民と貶められていた日本の国民は、敗戦によって天皇制の桎梏からようやくにして抜け出し、日本国憲法を手にした。自民党は、この憲法を「占領体制によって押し付けられた憲法」というのだ。「占領体制から脱却」とは、再び「日本を旧体制に戻す」こと。これを「主権国家にふさわしい国」と言っているのだ。だから、自民党のいう憲法「改正」とは、極端な「改悪」にほかならない。

サンフランシスコ講和条約から60年、憲法改正草案を発表
 わが国が主権を回復したサンフランシスコ講和条約から60年になる本年(平成24年)4月、自民党は、新たに日本にふさわしい「日本国憲法改正草案」を発表しました。
 次期総選挙においても、「憲法改正案」の内容を世に問うていきます。今の民主党には、新しい憲法による新しい国のかたちを国民に提示することなど永遠にできません。また、それ以外の政党を見渡しても、憲法問題を正面から、しかも体系的に取り扱っているところは見当たりません。我々は、過去も未来も、憲法を、そして、この国のあり方を提示するフロントランナーなのです。

 日本国憲法は、近代憲法の大原則を踏まえ、さらに現代憲法としての特質をも備えた、普遍性の高い憲法である。言わば、人類の叡智をその核心としている。自民党は、それが面白くない。普遍性を排斥して、「日本にふさわしい」憲法草案を作ったと、手柄顔をしているのだ。他党にたいする「新しい憲法による新しい国のかたちを国民に提示することなど永遠にできません」との批判は滑稽極まる。自民党こそは、「過去も未来も、立憲主義と近代憲法・現代憲法の理念を徹底して攻撃し、国民の基本権と、国民主権・平和主義をないがしろにし続ける張本人であり、頭目でもある」のだ。

諸外国の戦後の憲法改正(平成24年4月現在)
 世界の国々は、時代の要請に即した形で憲法を改正し、新たな課題に対応しています。主要国を見ても、戦後の改正回数は、アメリカが6回、フランスが27回、第2次世界大戦で同じく敗戦したイタリアは15回、ドイツに至っては58回も憲法改正を行っています。しかし、日本は戦後一度として改正していません。

 これこそ、安倍晋三得意の「印象捜査」である。これではまるで、憲法を改正することがよいことで、改正しないことが怪しからんような言い回し。
 諸国の「改正」は、片々たる些事についてのもので、日本では憲法を変えることなく、法律の改正で間に合うようなものばかり。なによりも、その「改正」の中身を吟味することなく、回数のみをあげつらうことは無意味である。自民党がたくらんでいるのは、「時代の要請に即した形での憲法改正」ではない。復古的な保守イデオロギーと、大資本の利潤追求の自由の要請なのだ。
 日本国憲法は、日本国民の意思として、戦後一度として改正させなかったことを誇るべきなのだ。保守化してきた時代の潮流に流されず,超大国アメリカや日本の保守勢力の恫喝や要請に抗して、これまで改憲を阻止してきた。これからも、自民党の望む方向の改憲を許してはならない。

日本らしさを踏まえ、自らが作る日本国憲法
 「日本国憲法改正草案」は、前文から補則まで現行憲法の全ての条項を見直し、全体で11章、 110カ条(現行憲法は10章及び第11章の補則で103カ条)の構成としています。 自民党の憲法改正草案が国民投票によって成立すれば、戦後初めての憲法改正であり、まさに日本国民自らの手で作った真の自主憲法となります。
 草案は、前文の全てを書き換え、日本の歴史や文化、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることなどを述べています。
 主要な改正点については、国旗・国歌の規定、自衛権の明記や緊急事態条項の新設、家族の尊重、環境保全の責務、財政の健全性の確保、憲法改正発議要件の緩和など、時代の要請、新たな課題に対応した憲法改正草案となっています。

 この表題が不正確だ。正確には、「天皇制国家へのノスタルジーを踏まえ、保守イデオロギーが作った、時代遅れ憲法」と言わねばならない。
 草案は、「前文の全てを書き換え」たという。日本国憲法前文の格調はなくなった。「日本の歴史や文化」の強調は、普遍的な憲法理念攻撃の言い訳である。保守派独特の「和を尊び」は、「毒にも薬にもならない」と看過してはならない。民主主義にとって明らかな「毒」なのだ。「家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っている」は、まさしく清算したはずの封建イデオロギーそのものではないか。
 「国旗・国歌の強制」「自衛権の明記」「緊急事態条項の新設」「家族の尊重」「憲法改正発議要件の緩和」は、どれもこれも明らかな「憲法改悪」である。「環境保全の責務」「財政の健全性の確保」は、憲法改正を待つまでもない。すぐにでもね法律の制定をすればよいだけのこと。

「日本国憲法改正草案」の概要
(前文)
国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概などを表明。

「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承」は、実はそうなっていない。「国民主権」は、天皇の元首化と、天皇の憲法遵守義務を排除した点で、大きく揺らいでいる。「基本的人権の尊重」は、公共の福祉を強調したことによって大きく損なわれた。「平和主義」は、国防軍の保持を明記した点で潰えている。
しかも、この草案は、憲法のなんたるか、立憲主義のなんたるかを理解していない。国民に「国や郷土を自ら守る」責務を説いている点で、訳の分からぬのとなっている。

(第1章 天皇)
・天皇は元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴。
・国旗は日章旗、国歌は君が代とし、元号の規定も新設。

「天皇は元首」だと? まっぴらご免だ。「日の丸」「君が代」「元号」は天皇制を支える小道具なのだ。これを憲法に書き込ませてはならない。

(第2章 安全保障)
・平和主義は継承するとともに、自衛権を明記し、国防軍の保持を規定。
・領土の保全等の規定を新設。

古来、軍隊も戦争も、「平和を守るため」と称された。どの国も、平和のために軍隊を持ち、平和のためにやむを得ずとする戦争を繰り返してきた。その愚を断ち切ろうというのが、日本国憲法の平和主義であり9条である。自民党改憲草案は、この平和主義を全面否定しようということなのだ。

(第3章 国民の権利及び義務)
・選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定。
・家族の尊重、家族は互いに助け合うことを規定。
・環境保全の責務、在外国民の保護、犯罪被害者等への配慮を新たに規定。

「選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定」は、排外主義以外のなにものでもない。同じ土地に暮らし、同じく税の負担をする人びとを国籍で差別しようという、自民党の一番厭な差別主義を露呈している。
「家族の尊重」とは、家の復活のことである。家父長制が国家の礎となった、あの時代の悪夢の再来というしかない。
「環境保全の責務」「在外国民の保護」「犯罪被害者等への配慮」は、積極的に立法すべき課題。これをダシに改憲しようとは、さもしき根性。

(第4章 国会)
・選挙区は人口を基本とし、行政区画等を総合的に勘案して定める。

国政選挙における一票の重みの平等の実現は完全比例代表制で実現できる。選挙方法の工夫を抜きに、改憲の道具とすることを許してはならない。

(第5章 内閣)
・内閣総理大臣が欠けた場合の権限代行を規定。
・内閣総理大臣の権限として、衆議院の解散決定権、行政各部の指揮監督権、国防軍の指揮権を規定。

こんなつまらぬことを口実に、軽々に改憲など許されるはずがない。

(第6章 司法)
・裁判官の報酬を減額できる条項を規定。

自民党は裁判官の独立が嫌い。権力的干渉の足がかりを作っておきたいのだ。

(第7章 財政)
・財政の健全性の確保を規定。

赤字国債垂れ流しの張本人が、その防止のためとして憲法改憲を目論む。これは、ブラックジョークだ。

(第8章 地方自治)
・国及び地方自治体の協力関係を規定。

あってもなくても条文。こになことを口実に、軽々に改憲など許されるはずがない。

(第9章 緊急事態)
・外部からの武力攻撃、地震等による大規模な自然災害などの法律で定める緊急事態において、内閣総理大臣が緊急事態を宣言し、これに伴う措置を行えることを規定

これは、あってはならない邪悪で危険な条文。こんな憲法改悪は、絶対に許してはならない。

第10章 改正)
・憲法改正の発議要件を衆参それぞれの過半数に緩和。

硬性憲法を、こんなに柔らかくしてしまってはならない。これでは、憲法が憲法でなくなってしまう。

(第11章 最高法規)
・憲法は国の最高法規であることを規定。

えっ? これまでは、憲法は国の最高法規でなかったとでも言うの? 現行憲法には国の最高法規性が規定されていないとでも言うの?

自民党は「憲法改正原案」の国会提出を目指しています。
 「国民投票法」の施行に伴い、「憲法改正案」を国会に提出することが可能となりました。わが党は、国民の理解を得る努力を積み重ね、「憲法改正原案」の国会提出を実現し、憲法改正に向けて全力で取り組みます。

日本国民は「憲法改正原案」の国会提出をけっして認めません。
 まだまだ「国民投票法」は使える内容になっていません。今のような環境で「憲法改正案」を国会に提出することなどは到底考えられません。理性ある国民は、自民党を説得する努力を積み重ね、「憲法改正原案」の国会提出を決して許さず、憲法改正阻止に向けて全力で取り組みます。人権と民主主義と平和を守るために。

(2020年2月4日・連続更新2500 日)

新型肺炎の蔓延に便乗した「緊急事態条項新設」の改憲論議に最大限の警戒を

「火事場泥棒」とは最大限の悪罵である。災害に乗じて私利をむさぼろうという、さもしい性根が非難の的となる。「火事場泥棒」にとっては、被害者の不幸は眼中になく、火事は大きければ大きいほど好都合なのだ。

言うまでもなく、「火事」は新型コロナウィルス肺炎の蔓延であり、火事場からの盗取がたくまれているものは「緊急事態条項新設の改憲」である。そして、下記の方々に「火事場泥棒」という称号をたてまつりたい。

伊吹文明・元衆院議長、鈴木俊一・自民党総務会長、小泉進次郎・環境相、松川るい・自民党参院議員、中谷元・元防衛相、下村博文・自民党選対委員長、馬場伸幸・日本維新の会幹事長、百地章・国士舘大学特任教授。

彼らの言は、「憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」「憲法に緊急事態条項があればこんなことにはなっていない!」「憲法に緊急事態条項があれば!」という類のもの。とりわけ、小泉進次郎のこの言を記憶にとどめておきたい。

「私は憲法改正論者だ。社会全体の公益と人権のバランスを含めて国家としてどう対応するか、問い直されている局面だ」

上記のリストに安倍晋三を加えるべきかどうか、躊躇と逡巡がある。彼は予算委員会での答弁では、新型肺炎についての言及は避け、「今後想定される巨大地震や津波等に迅速に対処する観点から憲法に緊急事態をどう位置付けられるかは大いに議論すべきものだ」と述べている。安倍晋三も、火事場のどさくさでの一働きを狙ってはいるのだが、さすがにまだ、自らは口も手も出せないのだ。

現行憲法が感染症対策に支障となっているとは、言いがかりも甚だしい。明らかに現行法制で十分に対応可能である。問題は、現行の法制が十分に使いこなせていないところにある。安倍内閣は後手後手の対応で危機管理能力の欠如を露わにしてきた。今、安倍晋三の取り巻きたちが、その失策を憲法の不備に責任転嫁し、人びとの困惑に乗じて、改憲の突破口を作ろうというのだ。これは、「悪用」「悪乗り」というレベルではなく、まさしく「火事場泥棒」と言わざるを得ない。

もともと、「緊急事態条項」とは、戦争や内乱あるいは大規模災害などの国家の《緊急事態》を想定し、国に対処の権限を集中させて、国民の基本権の制約を認める規定である。独裁国家ないし強権国家が悪用してきた歴史の教訓を踏まえて、日本国憲法にはまったく存在しない。人権擁護派は日本国憲法を当然とし、国家主義者はこれを不備とする。自民党の改憲草案には,次のように詳細な規定が盛り込まれている。

緊急事態に関する自民党憲法改正草案(要旨)
98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、緊急事態の宣言を発することができる」
99条1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
同条3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。」

さすがに現在自民党はこの改憲草案を表だって主張していない。現在の「安倍改憲改憲4項目」の内の緊急事態条項は、現在の憲法第4章「国会」の末尾に次の1か条を付け加えるというだけのものである。

第64条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。」

これでは、感染症対策とは無関係だ。しばらくは鳴りを潜めていた、自民党憲法改正草案の緊急事態条項案がまたぞろ、引っ張り出される危険性が高い。新型肺炎の蔓延に最大限の注意をしなければならないが、同時にこれに便乗した改憲論議にも、最大限の警戒をしなければならない。

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4年も前の、「緊急事態条項」に関する私の学習会レジメの抜粋を掲載しておきたい。参考になるところもあろうかと思う。
なお、詳細は、下記URLを参照されたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=6656

訴えの骨格は、次の諸点。
☆今、安倍政権は、解釈改憲を不満足として明文改憲をたくらんでいる。
☆その突破口が「緊急事態条項」とされている。
☆しかし、緊急事態条項は必要ない。
☆いや、緊急事態条項(=国家緊急権条項)はきわめて危険だ。
☆現行憲法に緊急事態条項がないのは欠陥ではない。
憲法制定者は緊急事態条項を危険なものとして意識的に取り除いたのだ。
☆意識的に取り除いたのは、戦前の旧憲法下の教訓から。
☆それだけでなく、ナチスがワイマール憲法を崩壊させた歴史の教訓からだ。
☆緊急事態条項(=国家緊急権条項)は、
整然たる憲法秩序をたった一枚でぶちこわすジョーカーなのだ。

レジメ《緊急事態条項は、かくも危険だ》

レジメの構成 同じことを3回繰り返す。骨格→肉付→化粧

第1章 スローガン編 ビラの見出しに、マイクでの呼びかけに。
第2章 肉付編 確信をもって改憲派と切り結ぶために。
第3章 資料編 資料を使いこなして説得力を

第1章 スローガン編
いま、緊急事態条項が明文改憲の突破口にされようとしている。
しかし、緊急事態条項は不要だ。「緊急事態条項が必要」はデマだ。
緊急事態条項は不要と言うだけではない。危険この上ない。
緊急事態条項の導入を「お試し改憲」などと軽視してはならない。
自民党改憲草案9章(98条・99条)が安倍改憲の緊急事態条項。
98条が緊急事態宣告の要件。99条が緊急事態宣告の効果。
緊急事態条項は、立憲主義を突き崩す。人権・民主々義・平和を壊す。
緊急事態とは、何よりも「戦時」のことである。⇒戦時の法制を想定している。
「内乱等社会秩序の維持」の治安対策である。⇒大衆運動弾圧を想定している。
緊急事態においては、内閣が国会を乗っ取る。政令が法律の役割を果たす。
⇒議会制民主主義が失われる。独裁への道を開く。
緊急事態条項は、国家緊急権を明文化したもの。
国家緊急権は、それ一枚で整然たる憲法秩序を切り崩すジョーカーだ。
国家緊急権は、天皇主権の明治憲法には充実していた。
その典型が天皇の戒厳大権であり、緊急勅令(⇒行政戒厳)であった。
ナチスも、国家緊急権を最大限に活用した。
ヒトラー内閣はワイマール憲法48条で共産党を弾圧して議会を制圧し、
制圧した議会で、悪名高い授権法(全権委任法)を成立させた。
授権法は、国会から立法権を剥奪し、独裁を完成させた。
最も恐るべきは、緊急事態条項が憲法を停止し、
緊急時の一時的「例外」状況が後戻りできなくなることだ。

第2章 肉付編
1 憲法状況・政権が目指すもの
☆解釈改憲(閣議決定による集団的自衛権行使容認から戦争法成立へ)だけでは、
政権は満足し得ない。
彼らにとって、戦争法は必ずしも軍事大国化に十分な立法ではない。
⇒現行憲法の制約が桎梏となっている。⇒明文改憲が必要だ。
☆第二次アベ政権の明文改憲路線は、概ね以下のとおり。
96条改憲論⇒立ち消え(解釈改憲に専念)⇒復活・緊急事態条項から
改憲手続(国民投票)法の整備⇒完了 各院に憲法審議会
そして最近は9条2項にも言及するようになってきている。

2 なぜ、緊急事態条項が明文改憲の突破口とされているのか。
☆東日本大震災のインパクトを利用
「憲法に緊急事態条項がないから適切な対応が出来なかった」
☆「緊急事態への定めないのは現行憲法の欠陥だ」
仮に、衆院が構成がないときに「緊急事態」が生じたら、
☆政権側の緊急事態必要の宣伝は、「衆院解散時に緊急事態発生した場合の不備」に尽きる。「解散権の制限」や「任期の延長」規程がないのは欠陥という論法。
しかし、現行憲法54条2項但し書き(参議院の緊急集会)の手当で十分。
☆それでも「お試し改憲」(自・公・民・大維の賛意が期待できる)としての意味。
☆あわよくば、人権制約制限条項を入れたい。

3 政権のホンネ
☆国家緊急権(規程)は、支配層にとって喉から手の出るほど欲しいもの
大江志乃夫著「戒厳令」(岩波新書)の前書に次の趣旨が。
「緊急事態法制は1枚のジョーカーに似ている。
他の52枚のカードが形づくる整然たる秩序をこの一枚がぶちこわす」
☆自由とは権力からの自由と言うこと。人権尊重理念の敵が、強い権力である。
人権を擁護するために、権力を規制してその強大化を抑制するのが立憲主義。
立憲主義を崩壊せしめて強大な権力を作るための恰好の武器が国家緊急権。
☆戦時・自然災害・その他の際に、憲法の例外体系を形づくって
立憲主義を崩壊させようというもの。

4 天皇制日本とナチスドイツの国家緊急権
☆明治憲法には、戒厳大権・非常大権・緊急勅令・緊急財政処分権限などの
国家緊急権制度が手厚く明文化されていた。
☆最も民主的で進歩的なワイマール憲法に、大統領の緊急権限条項があった。
ナチス政権以前に、この条項は250回も濫発されていた。
☆ナチス政権は、この緊急事態法を活用して共産党の81議席を奪い、
授権法(全権委任法)を制定して国会を死滅させた。
☆その反省から、日本国憲法は、国家緊急権(条項)の一切を排除した。
戦争放棄⇒戦時の憲法体系を想定する必要がない。
徹底した人権保障システム⇒例外をおくことで壊さない

5 自民党改憲草案「第9章 緊急事態」の危険性
☆旧天皇制政府の戒厳・非常大権規程が欲しい⇔「戦後レジームからの脱却」
ナチスの授権法があったらいいな⇔「ナチスの経験に学びたい」
しかも、緊急事態に出動して治安の維持にあたるのは「国防軍」である。
☆自民党改憲草案による「緊急事態」条項は
濫用なくても、「戦争する国家」「強力な権力」「治安維持法体制」をもたらす。
しかも、濫用の歯止めなく、その危険は立憲主義崩壊につながる。
☆草案では、内閣が国会を乗っ取り、政令が法律の代わりを務める。
内閣が、人身の自由、表現の自由を制約する政令を発することができる。
予算措置もできることになる。

6 まずは、徹底した「緊急事態条項必要ない」の訴えと
次いで、「旧憲法時代やナチスドイツの経験から、きわめて危険」の主張を

(2020年2月2日・連続更新2498日)

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