「子年には政権交代が起こる」…に違いない。
「自己実現する予言」あるいは「予言の自己成就」という社会学上の概念がある。社会に発信されなければ実現するはずのない「予言」が、多くの人に共有され、多くの人の確信になることによって、その予言が成就する現象を言う。
今年(2020年)は十二支の始まりの子年(ねどし)である。「子年には政権交代が起こる」は、根拠のない単なるジンクスに過ぎない。しかし、このジンクスが、多くの人に語られ共有され、「子年なのだから、今年はきっと政権交代が起こる」とみんなが思うようになれば、安倍政権が崩壊することも起こりうる。
毎日新聞のネット版「デジタル毎日」に、『政治プレミア』というサイトがある。なかなかの充実ぶりで、読み応えがある。
https://mainichi.jp/premier/politics/
昨日(2月16日)、そのサイトに『荒れる子年 起きるか安倍退陣と奪権闘争』という記事がアップされた。筆者は、中川佳昭・編集委員。このタイトルだから、目を通さずにはおられない。
子年は12年に1度やって来るが、必ず「荒れる」年になるという。戦後の子年は今年で7回目となるが、これまで「戦後の子年は例外なく、内閣の交代、奪権闘争が起きている。」のだそうだ。その記事によると次のとおりである。
1948年=芦田均内閣→第2次吉田茂内閣、
1960年=第2次岸信介内閣→第1次池田勇人内閣、
1972年=第3次佐藤栄作内閣→第1次田中角栄内閣、
1984年=第2次中曽根康弘内閣下での二階堂進自民党副総裁擁立未遂、
1996年=村山富市内閣→橋本龍太郎内閣、
2008年=福田康夫内閣→麻生太郎内閣
なるほど、確かに、「子年は荒れる」「子年には政変が起きる確率が限りなく高い」。さて、今年はどうなるのであろうか。
このネット記事の中で、過去の子年政変の典型である「岸→池田の1960年」を振り返るところが興味深い。
1960年、岸首相は国民的反対の強かった安保改定をやり終え、退陣する。…退陣した岸は池田、そして弟の佐藤が自分の亜流として、岸がなし得なかった憲法改正を実現してくれるだろうと期待していた。ところが池田は側近の前尾繁三郎や大平、宮沢喜一らの進言で「寛容と忍耐」をキャッチフレーズに打ち出し、憲法改正など見向きもしなかった。佐藤栄作は池田の後、1964年に首相になり、7年8カ月の長期政権を打ち立てるが、「沖縄返還」一色で、憲法改正を完全にお蔵入りにしてしまった。
「岸信介証言録」(毎日新聞社、2003年)に、次の岸の発言があるという。
「もういっぺん私が総理になってだ、憲法改正を政府としてやるんだという方針を打ち出したいと考えたんです。池田および私の弟(佐藤)が『憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらん』というようなことを言っていたんでね。私が戦後の政界に復帰したのは、日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要かということを痛感しておったためなんです」
これを踏まえて、中川編集委員はこう言う。
「60年政権移動によって生み出された岸の欲求不満。60年たった2020年今日、首相返り咲きを果たし、今年8月には佐藤の連続在任記録を抜き、名実ともに首相在任最長となる安倍氏にしっかり受け継がれている。」
この記事の基調に同感である。保守ないし自民党も、一色ではない。一方に、「憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらん」という勢力があり、もう一方に「日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要か」を強調する勢力がある。
池田・佐藤・前尾・大平・宮沢らが前者で、岸と安倍とが後者である。2020年子年の政変は、保守から革新への政権移行でなくてもよい。せめては、「積極改憲保守」から「改憲はやらん保守」への政権移行でよいのだ。
「子年だから政変が起こる」「子年の政変を起こそう」と言い続けることによって、これを「自己成就」させたいものである。
(2020年2月16日)