澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

安倍内閣は、わが国の「健全な民主主義の根幹」を揺るがしている。

各地でロウバイが見頃だという。梅の蕾の綻びもほの見える。桜はまだまだ蕾が固いが、今年の桜はいつもにまして楽しみだ。とりわけ、新宿御苑の桜は,どうしても見に行かねばならない。もちろん、誰からの招待もなく、昨年から500円に値上げされた入場料を支払ってのこと。

もうすぐ、1月20日から始まる通常国会では、まずは徹底した「桜疑惑」追及が期待される。御苑の桜が散る頃に、アベ政権も散れぞかし。

そんな期待を抱かせる根拠は、野党追及本部の合同ヒアリングが充実しているからだ。昨年臨時国会終盤での野党による桜疑惑追及の矛先は鋭く、政権・与党は、野党側の会期会延長要求を頑なに拒んだ。しかし、閉会中も野党の合同ヒアリングは続き、その成果を挙げている。この政権の正体が少しずつ明かされているのだ。

野党合同ヒアリングの成果が、官房長官記者会見に活かされている。昨日(1月10日)官房長官は、記者会見で安倍晋三首相主催「桜を見る会」をめぐり、2013?17年度分の招待者名簿について「行政文書ファイル管理簿に記載していなかった」のは「公文書管理法の関連規定および内閣府の文書管理規則に違反する違法な対応だった」と認めた。これは、大問題である。

この菅長官説明は、「前日の野党追及本部の合同ヒアリングでの野党側の指摘を事実上認めたもの。文書管理をめぐる相次ぐ法令違反を引き起こした安倍政権の重大な責任が改めて問われます。」というのが、本日(1月11日)赤旗のトップ記事。

東京記事が端的にこうまとめている。

 安倍晋三首相主催の「桜を見る会」を巡り、菅義偉官房長官は10日の記者会見で、2013?17年度の招待客名簿を行政文書の管理簿に記載していなかったことは「公文書管理法の関連規定、内閣府の文書管理規則に違反する対応だった」と述べた。名簿を廃棄する前に首相と協議して同意を得る同法の手続きを踏んでいなかったことも明らかにし、これも違法だとの認識を示した。桜を見る会を巡る問題は、政府が公文書管理の違法性を認めざるを得ない異例の事態になった。 

違法は、2013?17年度の5回にわたる「桜を見る会・招待者名簿」の管理についてのもの。2013年は、第2次安倍内閣発足直後に当たる。第2次安倍内閣発足以来、ずっと違法な文書管理が行われてきたのだ。では、18年と19年はどうだったか。これは、もっとタチが悪い。この招待者名簿は、17年までは保存期間が「1年」とされていた。だから、行政文書管理簿にも廃棄簿にも記載が義務付けられていた。それを、18年に「1年未満」に変えたのだ。こうすれば、管理簿にも廃棄簿にも記載することなく、都合の悪いときにはすぐに廃棄して、知らん顔ができるのだ。

だから、13?17年度の招待客名簿についてだけ、政府『違法』 管理簿不記載 首相同意なく廃棄」なのだ。第2次安倍内閣成立以来、この内閣のやり口は、姑息千万。残しておくには不都合に過ぎる文書だから、追及を不可能にするために、策を弄したとしか考えられないではないか。アベシンゾーとその取り巻き、この件に限らず、小狡いし、国民をナメ切っている。主権者は本気で怒らねばならない。

東京新聞記事には、「立憲民主党の安住淳国対委員長は記者団に『行政府の立法府に対する挑戦であり、国民の財産を毀損する許しがたい行為。場合によっては犯罪に近い』と批判。20日召集の通常国会で追及する考えを表明した」とある。まったく、そのとおりである。

何度でも繰り返す。公文書とは、「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」なのだ。アベシンゾーとその一味は、この国民共有の財産を私物化してきた。これまでも、隠匿し、改ざんし、廃棄してきたのは、自分たちの行政を隠しておかねばならなかったからなのだ。こうして、わが国の「健全な民主主義の根幹」が,今揺るぎつつある。
(2020年1月11日)

総理大臣・安倍晋三の仕事始めは、政教分離違反の違憲行為から

例年、総理大臣・安倍晋三の仕事始めは伊勢神宮参拝からである。今年も例外ではない。ゴルフ休み明けの伊勢神宮。総理大臣が特定の宗教施設に公然と参拝する。東京在住の安倍晋三が町内の神社に初詣するのとはわけが違う。天皇の祖先神を祀るとされている神宮に、わざわざ公費で出かけるのだ。もちろん、違憲。

いささかなりとも憲法感覚の持ち合わせがあれば、やるべきことではない。メディアも世論ももっと敏感に、安倍を批判しなければならない。立憲民主党も、国民民主も真似をせぬ方がよい。政権を担ったら、絶対やってはいけない。

わが国の政教分離とは、権力と神道との危険な癒着を厚い壁で隔てることを言う。ここで言う神道とは、天皇を神にまつりあげた国家神道の基礎となった宗教をいう。国家が再び天皇を神とし、神なる天皇というこの上なく重宝な政治的道具を利用させぬための歯止めである。

そのような意味で、憲法の政教分離規定が最も警戒する宗教施設が二つある。1番が伊勢神宮で、2番が靖国神社である。伊勢は天皇の祖先神を祀るのだから、天皇の政治的利用を嫌う憲法の立場からは、政教分離と言えば、まずは政権と伊勢神宮との関係を問題とする。この両者を隔絶しなければならないのに、何と無神経な安倍晋三。

そして2番目の靖国神社は、皇軍将兵の戦没者を神として祀る軍事的宗教施設である。これも天皇の神社だが、なによりも軍国主義の精神的主柱とされた。だから、皇軍の侵略を受け、あるいは植民地化された近隣諸国の目は厳しい。靖国に首相や天皇の参拝あれば、厳しい外圧を覚悟しなければならない。

伊勢への首相の参拝は、外圧は小さいが、これこそ厳格な政教分離の対象なのだ。私は毎年このことを指摘してきた。最近のものは下記のURLでお読みいただけたら、ありがたい。

総理大臣・安倍晋三の仕事始めは伊勢神宮参拝から
https://article9.jp/wordpress/?p=11847?? (2019年1月5日)

伊勢神宮での内閣総理大臣年頭記者会見
https://article9.jp/wordpress/?p=7939 (2017年1月5日)

新年の伊勢神宮「公式参拝」、そこで首相が祈願したこと
https://article9.jp/wordpress/?p=6176? (2016年1月6日)

今年は天皇交替で元号変更後の新年だが、今年の伊勢での安倍晋三年頭記者会見は精彩がない。批判をするにも面白みに欠ける。そこで、衆議院のホームページに掲載されていたこんな質問主意書と答弁書を取りあげたい。

2018年1月22日提出の質問趣意書。提出者は立民の逢坂誠二議員。表題が「安倍総理の伊勢神宮参拝に関わるLINEでの発信に関する質問主意書」というもの。

「平成三十(2018)年一月四日、首相官邸のLINEの公式アカウントで安倍総理は、「安倍晋三です。伊勢神宮に向かう道中、新幹線から美しい富士山が見えました」(「本発言」という。)と発信している。
静粛な環境の下、歴代の総理大臣が年頭にあたり伊勢神宮に参拝することは、社会通念上、国民に受容されていると考えられるものの、その行動を首相官邸のLINEの公式アカウントで告知することは、伊勢神宮の活動に関する助長、促進につながるものと考える。
このような観点から、以下質問する。

一 歴代の総理大臣が年頭にあたり宗教施設である伊勢神宮に参拝することは、社会通念上、国民に受容されていると考えているのか。政府の見解如何。
二 本発言が発信されることで、伊勢神宮への参拝者が増加し、特定の宗教施設の活動を援助、助長、促進するものではないのか。政府の見解如何。
三 本発言をLINEで発信することは、「昭和四六(行ツ)六九 行政処分取消等」(最高裁判所大法廷判決 昭和五十二年七月十三日)でいうところの、「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」に該当し、日本国憲法第二十条に反するのではないか。政府の見解如何。
四 静粛な環境の下、内閣総理大臣が年頭にあたり伊勢神宮に参拝することは、社会通念上、国民に受容されていると考えられるものの、その行動を事前に、首相官邸のLINEの公式アカウントで告知することは、伊勢神宮の活動に関する助長、促進につながり、不適切ではないか。政府の見解如何。

逢坂議員の人柄については、予てから信頼に足りる政治家という好印象が強い。しかし、「静粛な環境の下、内閣総理大臣が年頭にあたり伊勢神宮に参拝することは、社会通念上、国民に受容されていると考えられる」は、私見と大きく食い違う。曖昧な「国民意識の受容」をもって軽々に憲法原則を曲げてはならないと思う。また、質問内容もものたりないとは思う。それでも、果敢にこのような趣意書を発信して答弁を引き出している姿勢は評価したい。

なお、引用されている「昭和四六(行ツ)第六九号・行政処分取消等請求上告事件」は、津地鎮祭訴訟のこと。(行ツ)は、行政訴訟上告審の事件番号に付する符号。民事訴訟ではなく、行政訴訟としての住民訴訟だった。名古屋高裁の住民側勝訴判決を逆転し、厳格分離説を排斥して政教分離の規準として目的効果論を採用した判例として知られているもの。

衆議院議員逢坂誠二君提出安倍総理の伊勢神宮参拝に関わるLINEでの発信に関する質問に対する答弁書

一について
内閣総理大臣が私人としての立場で行う伊勢神宮参拝については、政府として立ち入るべきものではないことから、お尋ねについてお答えすることは差し控えたい。

二から四までについて
お尋ねの「発信」又は「告知」は、それ自体宗教的意義をもつ行為ではなく、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるようなこともないことが明らかであることから、「日本国憲法第二十条に反する」及び「不適切」との御指摘は当たらないと考えている。

ニベもない答弁書である。質問の一部に対しては、「安倍晋三の伊勢神宮参拝は『私人としてのもの』だから政府は関与しない」という。また、LINEでの告知は、目的効果基準からは許されるとしている。しかし、安倍晋三は、肩書を記帳し、随員を同道し、公用車も使い、列車にも公費で乗車している。玉串料だけは私費で支出しているというが、それなら問題ないということにはならない。

下記は、天皇と首相の靖国神社公式参拝を違憲とした岩手靖国訴訟仙台高裁判決(1991年3月1日)の判示の一節である。

「天皇及び内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は,その目的が宗教的意義をもち,その行為の態様からみて国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり,しかも,公的資格においてされる公式参拝がもたらす直接的,顕在的な影響及び将来予想される間接的,潜在的な動向を総合考慮すれば,前記公式参拝における国と宗教法人靖国神社との宗教上のかかわり合いは,憲法の政教分離原則に照らし,相当とされる限度を超えるものであり,憲法20条3項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為である」

目的効果基準を前提としてなお、「直接的・顕在的な影響だけではなく、将来予想される間接的・潜在的な動向、波及的効果までを総合考慮する」ことによって、政教分離違反・違憲と断じている。安倍晋三は、この判決の「靖国神社」を「伊勢神宮」と読み替えて、よく理解してもらわねばならない。
(2020年1月7日)

「1.世界はアメリカを非難する。2.日本はアメリカを説得せよ。3.政府は自衛隊の中東派遣を撤回せよ。」 ー これが共通のスローガンだ。

米国によるイラン軍司令官殺害に関する
社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会)声明

はじめに

アメリカのトランプ大統領は2020年1月3日、米軍がイラン革命防衛隊の司令官ソレイマニ氏をイラクのバグダッドで殺害したと発表した。トランプ大統領は同日の記者会見で、ソレイマニ司令官は「米国の外交官や軍人に対し、差し迫った邪悪な攻撃を企てていた」と批判し、「我々の行動は戦争を止めるためのものだった」として殺害を正当化している。イランが「イランに対する開戦に等しい」「国連憲章を含む国際法の基本原則を完全に侵害する国家テロだ」として反発し報復を宣言する(ラバンチ国連大使)一方、米国防総省は米軍部隊3,500人を中東地域に増派する方針を明らかにし、米イラン関係、米イラク関係を含め中東地域は緊迫した情勢となっている。

?意見の理由

ソレイマニ氏はイラン革命防衛隊コッズ部隊の司令官として、各国でイスラム教シーア派民兵組織(イスラム国[IS]に対抗してイラクの宗教指導者シスタニ師が呼びかけて結成された人民動員部隊[PMU]など)を支援してきた革命防衛隊最高幹部であり、敵対するアメリカに対しては、過去に、中東に展開する米軍をいつでも攻撃できるという趣旨の発言もしていた。しかし、いかに政治的・軍事的に目障りな存在であるとしても、超法的に人を殺害することが許されるはずはない。大統領という国家機関によって指示されたこの殺害行為は、明白な脱法行為であり、アメリカによる国際法違反行為(超法的処刑extra-judicial execution)である。

国連憲章51条は「武力攻撃が発生した場合」にのみ自衛権の行使を認めており、先制的・予防的な自衛権の行使は認められていない。在外自国民の保護など、国の領土保全に対する武力攻撃に至らない程度の侵害行為に対しても、自衛権を援用することは許されない。攻撃が急迫していると信ずるに足りる合理的な理由がある場合には先制攻撃も許されるという学説もあるが、差し迫ったものかどうかの判定は先制攻撃を行う国が行うこととなり、濫用されやすい考え方である。

先制的自衛論を含め、そもそも自衛権の行使が濫用されやすいものであることは、歴史が示している。アメリカの軍艦が攻撃を受けたとして、アメリカがベトナム戦争に本格的に参戦するきっかけとなった「トンキン湾事件」は、後に、アメリカが秘密工作によって自ら仕掛けた「やらせ」であったことがジャーナリストによって暴かれた(ペンタゴン・ペーパーズ)。また、2003年のイラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を持っている「恐れ」を理由とし、ブッシュ大統領の先制攻撃論(ブッシュ・ドクトリン)によってアメリカとイギリスが一方的にイラクを攻撃したものだったが、大量破壊兵器は発見されなかった。にもかかわらず、軍事行動は「フセイン大統領の排除」、「イラクの民主化」と目的を変遷させて続けられた。

こじつけの理由であれ、いったん始まった軍事行動はエスカレートするのが常であり、その結果は悲劇的である。ベトナム戦争では200万人以上のベトナム人が犠牲になり、米軍の撒いた枯葉剤による障害や健康被害に苦しむ人が今もいる。イラク戦争は推定で数十万人ものイラクの民間人死者を出し、米軍の使った劣化ウラン弾などによる奇形児の誕生など被害は続いている。さらに、イラク戦争とそれに続くアメリカ・イギリス軍の駐留、その後発足したイラク新政権、これらにより激化した社会の混乱とイスラム教の宗派対立は、「イラクのアルカイダ」を源流とするISを生む結果になったと今では広く認識されている。

イラク戦争時、日本の小泉政権はアメリカに追随してイラク戦争を手放しで支持したが、イラク戦争を遂行した国や支持した国(オランダ、デンマークなど)と異なり、日本政府は今なお、イラク戦争を支持した政治判断の検証をしていない。それどころか政府は、憲法の専守防衛の原則に明らかに反する2015年の安保法制によって、地球上どこでもアメリカと共に集団的自衛権を行使して日本の自衛隊が軍事活動を行うことを可能にする法整備を行った。

今回の事件を受け、中東に駐留する米軍がイランから攻撃を受ける可能性がある。その場合日本は、集団的自衛権の行使として米軍と共に反撃することが求められる事態になりうる。折りしも日本政府は先月末の閣議決定で、1月中に中東地域に海上自衛隊を派遣する決定を行っている。これは、「日本関係船舶の安全確保に向けた情報収集を強化」するという名目で、防衛省設置法上の「調査・研究」を根拠として行われるものだが、自国船舶の防護を求めるトランプ政権の意向を受けた派遣であり、これによって得られた情報はアメリカと共有されることが当然考えられる。自衛隊が駐留することになった結果、場合によっては、アメリカの同盟国として自衛隊が攻撃を受けることがありうる。きわめて憂慮すべき事態である。
トランプ大統領は、環境保護や紛争の平和的解決のための国際協定から次々とアメリカを離脱させる一方、日本には高額の米国製兵器を売りつけ、日本や韓国、ドイツなど同盟国に駐留米軍経費負担の大幅増を求めるなど、国際社会の公益には関心がなくもっぱら米国の経済的利益のための「ディール」を推進する人物である。そして、日本政府はそのような指導者をもつアメリカと距離をおくどころか、その要求を唯々諾々と受入れ、米国製兵器のローン購入を含め、防衛費をかつてない規模に増加させ続けている。急速に少子高齢化が進む中、年金の引下げと生活不安(「老後2,000万円」問題)、保育所を設置し待機児童をなくす、若い人の人生の足かせになっている「奨学金」ローンの問題といった少子化対策、教育を受ける権利を実現するための学費値下げなどが本来、日本の抱える最重要課題であるにもかかわらずである。

今回の殺害は、次期大統領選挙も見据え「強いアメリカ」を演出する意図もあったとみられるが、アメリカも、そして日本も、イラク戦争がISを生み今に至っていることへの反省もなく、さらに中東地域を武力衝突の悪循環に陥れることは断じて許されない。

意見の趣旨

我々は日本政府に対し、第一に、ソレイマニ司令官殺害が戦争を止めるための正当な行為だったとするアメリカの説明を支持せず、超法的殺害として毅然と非難する態度を取るよう求める。第二に、自衛隊の中東派遣は直ちに中止すべきである。第三に、アメリカがさらなる軍隊派遣と攻撃によって武力衝突の危険を高めていることに日本として懸念を示し、問題の平和的な解決を促すことを強く要求するものである。
2020年1月5日

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2020年 1月 6日

報道関係のみなさま

世界平和アピール七人委員会

私たち世界平和アピール七人委員会は、本日、添付の通り、「米国によるイラン革命防衛体司令官殺害を非難し、すべての関係者が事態を悪化させないよう求める」を発表し、国連総長、国連総会議長、米国大使館、イラン大使館、安倍首相、茂木外相、河野防衛相に送りました。報道関係のみなさまには、私たちのアピールとその意図するところを、世界に広く伝えていただくよう、よろしくお願いします。

なお、私たちは、米国がイラン核合意を一方的に破棄し、中東の緊張が高まる情勢の中で、「調査・研究」を名目として自衛隊が中東に派遣されることについて、昨年12月12日付で「自衛隊の海外派遣を常態化してはいけない」を発表しています。これも併せて、お送りします。

「世界平和アピール七人委員会」は、1955年(昭和30年)11月、世界連邦建設同盟理事長で平凡社社長の下中弥三郎の提唱で、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の有志の集まりとして結成され、国際間の紛争は絶対に武力で解決しないことを原則に、日本国憲法の擁護、核兵器禁止、世界平和などについて内外へのアピールを発表してきました。 今回のアピールは、平和アピー
ル七人委員会発足から、138番目のアピールです。
発足時のメンバーは、下中のほか、植村環(日本YWCA会長)、茅誠司(日本学術会議会長、のちに東京大学総長)、上代たの(日本婦人平和協会会長、のちに日本女子大学学長)、平塚らいてう(日本婦人団体連合会会長)、前田多門(日本ユネスコ協会理事長、元文相)、湯川秀樹(ノーベル賞受賞者、京都大学教授、京都大学基礎物理学研究所長)でした。

その後、委員は入れ替わり、現メンバーは、武者小路公秀(国際政治学者、元国連大学副学長)、大石芳野(写真家)、小沼通二(物理学者、慶應義塾大学名誉教授)、池内了(宇宙論・宇宙物理学者、総合研究大学院大学名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家、東京音楽大学客員教授)、?村薫(作家)、島薗進(上智大学教授、宗教学)です。

連絡先:世界平和アピール七人委員会事務局長 小沼通二
URL: http://worldpeace7.jp

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2020年1月6日 WP138J

米国によるイラン革命防衛体司令官殺害を非難し、
すべての関係者がこの危機を悪化させないよう求める

世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 ?村薫 島薗進

米国政府は、イラクでイラン革命防衛隊の司令官を1月3日にドローンで殺害したと発表した。これに対してイランは報復を予告している。イラク首相は主権侵害だとしている。
「米国」と「イラン」の立場を置き換えたとき、米国政府と米国民は自国軍の司令官の殺害という事態を受け入れられるだろうか。

私たち世界平和アピール七人委員会は、米国によるこの殺害を非難し、この危険な事態をさらに悪化させないよう関係するすべての国に求める。
国連安全保障理事会のメンバー諸国は 直ちに自国の立場を明示すべきであり、国連は速やかに総会を開いて対話による解決のためのあらゆる努力を行っていただきたい。
米国とイラン双方と友好関係にあると自任する日本政府は、直ちに米国に完全な自制を促すべきである。

日本政府は、米国が2019年6月に提案した有志連合には参加せず、海上自衛隊の護衛艦と哨戒機を、通行する船舶の護衛を含まない「調査・研究」のために中東に派遣すると、国会にも国民にも説明しないまま2019年12月27日に決定した。
しかし得られる情報を有志連合と共有するため、バーレーンにある米中央海軍司令部に連絡員を派遣することが明らかになり、事態が変われば派遣目的を変更するとされている。これでは米国に与するものとみなされてもしかたがない。我々が12月12日に発表したアピール『自衛隊の海外派遣を常態化してはいけない』の内容をあらためて強く求める。日本国憲法によって法的に制限された軍事組織である自衛隊を危険地域の周辺に派遣させるべきでない。日本は非軍事的手段による平和構築に積極的に取り組むべきである。

連絡先::http://worldpeace7.jp

(2020年1月6日)

下関市でも「安倍派市長によるアベ友優遇疑惑」

通常国会は、1月20日開会の予定。「桜」「カジノ」「イラン」と、政権には頭の痛い問題が山積している。開会直後からの、鋭い野党の切り込みを期待したい。

とりわけ、「桜疑惑」は、追及次第で政権を散らすことになりうる大問題である。首相たる者の行政私物化が歴然だからである。モリ・カケは、いずれも安倍晋三の責任についての疑惑は限りなく濃いものの、安倍自身の具体的関与の点において、直接証拠に欠ける。忖度した部下の責任に転嫁した形となっているのだ。これに比して、「桜を見る会」疑惑については、安倍晋三自身の責任が明確なのだ。

いやしくも首相の地位にある者において、国民のための行政を、安倍晋三個人のための行政にねじ曲げ、国民からの負託に背いたのである。その罪は深く、放置してはならない。適切な責任をとらせなければならない。

本来国民への奉仕者である公務員が、その任務に背き自分の私益のために権限を濫用する行為は、背任に該当する犯罪である。公務員のトップに位置する内閣総理大臣の行政私物化は、国家の私物化に等しい犯罪行為である。こんな人物に権力を委ねることはできない。

昨年11月18日参院予算委での田村智子質問が衝撃的だった。が、それ以後も具体的な問題が次から次への出てきた。安倍晋三の行政私物化の実態が、衆目に曝されつつある。こんな人物が、こんな政治を行っていたのだ。

これまで、安倍晋三の行政私物化の証左として、安倍の選挙区(山口4区≒下関市)内の後援会員の多くが「桜を見る会」に招待されていたことが問題とされてきた。安倍の私的な後援会活動、延いては選挙対策活動を、国費で行っていたということへの批判である。

しかし、どうも漠然と選挙区内の後援会員を招待していたというにとどまらないようなのだ。もう少し生臭い事情があるという。それが下関市長選における論功行賞だというのだ。これは、昨年末の野党の合同ヒアリングでも問題とされていると言うが、「紙の爆弾」2月号に、横田一記者(フリー)が、ルポを書いている。タイトルが、「山口県下関市『桜を見る会』税金私物化―首相の地元選挙対策と特定企業優遇」というもの。その概容をご紹介したい。

 下関市では、安倍首相と宏池会(岸田派)の林芳正・元農水大臣が父親の代からライバル関係で、市長選は両者の代理戦争の様相も呈し、市長ポストの争奪戦を続けてきた。最近三代の下関市長は、以下の通りである。
 江高潔市長(1995年?2009年)安倍派
 中尾昭友市長(09年?17年)林派
 前田晋太郎市長(17年?)安倍派

17年の市長選は、8年も続いた林派の市長ポストを、久々に安倍派奪還の選挙だった。この選挙対策として、あるいは論功行賞として、この選挙の前後に地元選挙民の招待者が膨らんだという。

問題はこの先である。

 なぜ安倍首相は、法律違反のリスクを冒してまで、「桜を見る会」を使って下関市長選などの地元選挙対策に力を入れていったのか。
 江島市長(安倍派)時代には、神戸製鋼所などの安倍首相関連企業が地元大型案件を相次いで受注して談合疑惑も浮上、田辺よし子市議(無所属)らが議会で追及した。
 こうした『アベ友優遇案件』ともいえる談合疑惑で最も有名なのが、安倍首相の出身企業であった神戸製鋼所が市のゴミ処理関連事業を連続受注したことだ。同社は談合情報が飛び交うなか、2000年に「奥山工場焼却施設」(110億円)、そして01年にも新環境センター「リサイクルプラザ」(60億円)を落札した。
 しかも奥山工場の焼却施設は「プラズマ溶融炉」で「焼却灰がリサイクルできる」ということが売りだったが、当時の神戸製鋼所の実績は皆無だったのに、なぜか受注に至った。「癒着ではないか」という声が市民の間から出たのはごく自然のことだった。
 しかもメリットとされた「焼却灰のリサイクル」は実現せずに頓挫。それでもプラズマ溶融炉の維持管理費を関連企業「神鋼ソリューション」に払い続けてきたが、林派の中尾市政になった12年8月に使用停止を決定、電気代などが浮いて経費削減をすることができた。安倍派市長時代には、神戸製鋼所からプラズマ溶融炉を購入しただけでなく、余計な維持管理費も系列企業に支払っていたが、林派市長時代に打ち止めになったということだ。
 もう一つのリサイクルプラザでも「神戸製鋼所に決まった」という談合情報が流れたが、市は入札を強行。情報通り、神戸製鋼所が落札したため、市議会で「官製談合ではないか」と追及された。
 こうした地元での『アベ友優遇政治』への反発が強まり、首相直系の江島氏は不出馬に追い込まれ、09年の下関市長選では、安倍派県議だった新人候補(友田たもつ県議)を林減の中尾市長が破った。ようやく安倍減市長による市政にピリオドが打たれたのだ。
 しかし13年に再選された中尾氏は17年の市長選で安倍首相が全面的に支援した前田氏に僅差で敗北、三選を果たせなかった。

下関市でも、安倍派市長がアベ友企業(神戸製鋼所)優遇の談合疑惑があったというのだ。既にその追及が下関市議会では行われてきたという。この横田一ルポを読むまで私はまったく知らなかった。この際、是非とも国会で徹底的な追及を期待する。日本の政治全体が腐る前に、患部を摘出しなければならない。
(2020年1月5日)

トランプこそテロリスト。アメリカこそならず者国家である。

正月気分が消し飛んだ。背筋が寒い。これは大変な事態ではないか。昨日(1月3日)トランプがイラン革命防衛隊の司令官をバグダードの空港付近で殺害したという事件である。ゴーンの逃亡などとは次元が違う。もしや開戦もと,本気になって心配しなければならない。

殺害されたソレイマニという司令官は、イランの国民的英雄とされるきわめて重要な人物だったという。最高指導者ハメネイも復讐のメッセージを出している。イラン国民が報復の挙に出ることは覚悟しなければならない。イランだけではなく、主権を侵害されたイラク国民の憤激も当然の無法な行為。いったいトランプは、こんな危険なことを,どんな理由でやらねばならなかったのか。このあとの事態をどう治めるつもりなのか。そもそも成算あってのことなのか。

トランプ氏は、「合衆国の軍は、世界随一のテロリスト、カセム・ソレイマニを殺害した空爆を完璧な精度で実行した」「その殺害は、戦争を始めるためでなく、止めるため」だったと述べたという。

しかし、愚かで邪悪なトランプよ。おまえにこそ、「テロリスト」「ならず者」でないか。そしてトランプを大統領としているアメリカこそ、「テロ支援国家」「ならず者国家」と言われるに相応しい。

また、ペンタゴンは、「大統領の指示のもと、米軍はカセム・ソレイマニを殺害することで、在外アメリカ人を守るための断固たる防衛措置をとった」と発表したという。

同じことをイランの国防省も言いたいはずである。「最高指導者の指示のもと、イラン軍は最悪のテロリスト・トランプを殺害することで、イランの国民の生命と財産を守るための断固たる防衛措置をとった」と。

明らかなことは、この愚行によって、イランとアメリカの緊張は一気に激化することだ。いや、中東全体が一触即発の事態となる。もしかしたら、「一触」は既に通り過ぎていて、「即発」が待ち受けているのかも知れない。

オバマ前政権でホワイトハウスの中東・ペルシャ湾政策を調整していたフィリップ・ゴードンは、ソレイマニ殺害はアメリカからイラクへの「宣戦布告」のようなものだと言う。

その自覚あってか、米国務省はイラク国内のアメリカ人に「ただちに国外に退去するよう」警告し、米軍は兵3000人を中東に増派する方針という。オバマが築いた中東平和への努力をトランプがぶち壊している。なんということだ。

アメリカとイランの現在の緊張は、イラン核合意からトランプが一方的に離脱したことに始まっている。火に油を注ぐ今回のアメリカの行為には、世界がトランプを批判しなければならない。とりわけ、これまで動きが鈍かった関係各国が緊急に動かなければならない。

この事態に日本は鳴かず飛ばずのようだが、傲慢で愚かなトランプと肌が合うという、お友達の日本首相は、トランプに沈静化の努力をするよう、身を挺して説得しなければならない。たとえ失敗しても、誠実にやるだけのことをやるかどうか、国民は見ている。それをしなければ、「外交はやる気のないアベ政権」の看板を掲げるがよい。

もう一点。中東へ派遣を閣議決定した護衛艦一隻とP?3C哨戒機。あの決定を取り消さねばならない。派遣名目の「調査・研究」をするまでもない。中東情勢の厳しさは既によく分かった。よく分かった以上は、武力を紛争地に展開する愚は避けなければならない。イランから見れば、憎きアメリカの同盟軍となるのだから。失うものは大きい。
(2020年1月4日)

明けましておめでとうございます。

あらたまの歳のはじめ。さて、本当にめでたいと言うべきか。あるいは、めでたくもないのだろうか。

今、表立っての軍事衝突はなく、国内には曲がりなりにも平和が続いている。軍国主義の謳歌という状況もなく、独裁というほどの強権支配もない。国民の多くが飢えに苦しんでいるわけではなく、国家財政の目に見える形での破綻もない。国民がなだれを打って海外に逃れるような現象はなく、近隣隣国からの大量難民の流入もない。国民の平均寿命は延びつつある。これをめでたいと言って、おかしくはない。

しかし、この「平和」には危うさがつきまとっている。嫌韓ヘイト本が書店の棚を埋めつくしている。国威を興隆せよ、そのための軍事力を増強せよ、自衛隊を闘える軍隊にせよという乱暴な声が大きい。その勢力の支持を受けた安倍晋三という歴史修正主義者が、いまだに首相の座に居座り続けている。しかも彼は、この期に及んでなお、改憲の策動を諦めていない。少なくとも、諦めていないがごとき言動を続けている。

のみならず、天皇という存在が、民主主義の障害物として大きな存在感を示し始めてもいる。表現の自由が侵蝕されつつあり、三権分立は正常に機能せず、政権におもねる司法行政が裁判官の独立を侵害して「忖度判決」が横行している。明らかに格差が広がり貧困が蔓延している。人の自律性は希薄になって、政治への参加や、デモ・ストは萎縮している。社会を革新する労働運動の低迷はどうしたことだろうか。教育は競争原理を教え込むことに急で、連帯や団結を教えない。社会変革の主体を育てるという視点はない。保守政権が望むとおりのものとなっている。これがめでたいとは、とうてい言えない。

改めて思う。実定憲法とは、法体系全体の理想でもある。この理想に照らして、今現実は理想との距離を縮めつつあるのか、それとも拡げつつあるのだろうか。常に、その意識が必要なのだ。

分野によって一律ではないが、現政権の悪法ラッシュによって、この乖離は確実に拡大しつつあるといわざるを得ない。手放しで「お目出度い」などととうてい言ってはおられないのだ。

しかも、この理想そのものを変えてしまえと言うのが安倍政権であり、これを支える人々の乱暴な意見なのだ。まずは、改憲志向政権を退陣に追い込んで、掲げる理想を守ることが、なににもまして重要な今年の課題というべきであろう。

昨年は天皇交替と元号変更の騒がしい歳だった。この騒がしさは、今年も東京五輪に引き継がれる。国威発揚の舞台としてのオリンピック、ナショナリズム発揚のためのオリンピックを批判し続けねばならない。

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(2020年1月1日)

年末に安倍退陣を強く願って

ツキ落ちメッキ剥げて
指弾の怒気 天に満つ
惨たり 国政私物化の末路
孤立無援の安倍官邸
退陣を求むるの鯨波
肺腑を抉る

一強緊張を失い
処処綻び深し
夜來怨嗟の聲
命運既に尽きしを知る

国政乱れて 詭弁在り
政権昏迷して 瞞着深し
危機を感じて 国会は閉じて開かず
カジノを望んでは 逮捕に心を驚かす
改憲叫べど良民は踊らず
ただネトウヨの声援のみ 萬金に抵る
足掻けども先は更に短かく
レームダックとなるを如何せん

水島朝穂さんの「直言」(11月25日)が、「首相の『責任』の耐えがたい軽さ―モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ」という表題。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2019/1125.html
「■ 安倍政権の『悪夢の7年』が終わりに近づいているようです。『モリ、カケ、ヤマ、アサ、サクラ』の蕎麦メニューがすべてつながって見えるようになりました。」と述べている。(ヤマは山口敬之問題、アサは昭恵の大麻問題を指す)

水島さんのいう蕎麦メニューだけではない。2大臣引責、共通テスト、官僚不倫カップル、カジノに郵政疑惑まで加わって、もはや末期症状である。

「アベの罪。まずはモリ・カケ、ヤマ・サクラ。カジノにカンポでもう終わり」

「まだあるぞ。戦争法に秘密法、共謀罪に、アホな野次。できるはずなき改憲鼓吹」

「アベノミクスも大間違い。格差・貧困・非正規増。大企業には優遇で、庶民に対する大増税。地方を切り捨て、農林漁業に見切りつけ、国保も介護も負担増。これで政権もつはずない」

(2019年12月30日)

朝日川柳に見る年の瀬の世相

クリスマス・イブとやら。外つ国の神の御子の生誕に何の感興もなく、したがって何の反感もない。万世一系のまがまがしさよりはずっとマシな今宵の穏やかさ。

 イブよりは年の瀬。たまたま10日前、12月14日の「朝日川柳」(山丘春朗選)欄掲載句が、今年を振り返るにまことに的確で秀逸。投句者と選者の才能と炯眼に脱帽するばかり。もっとも、朝日川柳欄、いつもいつも秀逸句ばかりではない。この日の粒ぞろいは神の御業か。野暮を承知で秀句に感想の駄弁を。

 一字から万事が見える桜かな(東京都 鈴木英人)

「一事が万事」というがごとく、「桜」の一字からいろんなことか見えてくる。まずは政権の驕り。そして安倍晋三という人物の薄汚さ。さらにはその取り巻き連の、意地汚さ。嘘と誤魔化しがまかりとおる、この世の情けなさ。おや、「桜を見る会」とは、実は「政権末期の醜態と世相を見る会」であったか。

 信なくも立ち続けてるその不思議(兵庫県 妻鹿信彦)

政治の要諦は「信なくば立たず」である。ところが、この政権に限っては、国民の信をすっかり失ってもなお立ち続けている。満身創痍、膿にまみれ腐敗臭を放ちつつ、なお立ち続けているのだ。これほどの不思議はない。「弁慶の立ち往生」を思い出す。この政権は、もうすぐ立ったまま干からびて枯死に至るのか。

 支持率の落ちて天下の怒気を知る(愛知県 石川国男)

冬枯れの落ち葉が散る。落ちた葉が木枯らしに舞う。この落ち葉こそ我が身の姿。支持率の低落は、モリ・カケ・サクラ・テストと続く疑惑の数々がなせる業。政権トップによる政治の私物化への民の怒りだ。この天下に満ちた怒気が肌に突き刺さる。目に痛い。「桜」疑惑追及をかわしたはずの国会閉幕後にこの世論の風の冷たさ強さ。わびしき、年の暮れ。

 文科省目玉ふたつを落っことし(埼玉県 西村健児)

これこそ秀逸句。ふたつの目玉とは、安倍政権肝いりの大学入試共通テスト改革。英語民間試験の活用と、国語数学に記述式導入の試み。のみならず、下村博文と萩生田光一の二人でもあり、安倍にとっての支持率と改憲気運のふたつでもある。また、行政に対する国民の信頼と安倍政権に対する信任でもある。文科省は、これを見事に、落っことしたのだ。

 首里首里と奏で辺野古を忘れさせ(埼玉県 堀利男)

ウームなるほど。首里首里と世相が騒いでいるのは、政権が奏でる曲に乗せられているのかも知れない。なんとなく、「首里が通れば辺野古が引っ込む」という印象は否めない。ここは、「首里も辺野古も」でなくてはならない。あるいは、「首里はゴーで、辺野古はストップ」、「辺野古建設を止めて、浮いた金を首里に回せ」でなくてはならない。「首里城も辺野古もともに忘れまい」。

 逃げ切った男が仕切る税調か(青森県 大橋誠)

疑惑の人。グレイではない真っ黒けの甘利明経済再生担当相(当時)である。この人も、安倍の側近といわれた人。「その人の安倍との距離は、醜悪さに比例し廉潔さに反比例する」という、アベの法則を地で証明した政治家。思い出させるのは、何ゆえこんなあからさまな政治家の犯罪が不起訴とされた悔しさ。ああ、検察もアベ一強に忖度する存在になりさがったか。その人が、またうごめいている。

 あいにくと川柳はせぬ年忘れ(神奈川県 朝広三猫子)

これが、今年の掉尾を飾るにふさわしい一句。アベも、アソウも、ニカイも、萩生田も下村も、良民どもは年が変われば旧年のできごとはすっぱりと忘れてくれるはずと思い込んでいる。みんな盛大に「忘年会」をやっているだろう。大切なのは、「年忘れ」をして新たな年を迎えることだ。ところがおあいにくにも、「川柳はせぬ年忘れ」なのだ。年の暮れにも初春にも、梅のころにも桜のころも、「桜疑惑」もモリ・カケも、忘れてなるものか。

(2019年12月24日)

2019年は、「日本が世界の真ん中で輝いた年」ではなかった。

冬至である。年末も近い。今年を振り返っての感想が、あちこちで見える時期になった。
恒例の今年の漢字は、「令」となった。強烈な違和感を覚える。今年1年の世相を最も的確に反映する漢字として、はたして「令」がふさわしいだろうか。

本年(2019年)4月1日、「令和」という新元号が発表された日に、私は当ブログに次のように書いた。今も、このとおりだと思っている。

 通常の言語感覚からは、「令」といえば、命令・法令・勅令・訓令の令だろう。説文解字では、ひざまづく人の象形と、人が集まるの意の要素からなる会意文字だという。原義は、「人がひざまづいて神意を聴く様から、言いつけるの意を表す」(大漢語林)とのこと。要するに、拳拳服膺を一文字にするとこうなる。権力者から民衆に、上から下への命令と、これをひざまずいて受け容れる民衆の様を表すイヤーな漢字。
 この字の熟語にろくなものはない。威令・禁令・軍令・指令・家令・号令…。

6月1日には、サヨナラ令和」の戯れ唄を載せた。その最後は次のとおり。

令和の令には、「へ」と「マ」が読めるけど
こんな元号選定は政権のヘマじゃないかしら
忖度政治にはもうウンザリだから
熨斗を付けてお返しするわ
サヨナラ 令和? 永遠に

もし、日本の民衆の多くが、「令」を今年の世相を表すのに最もふさわしい漢字として受容するほどに、この字に親近感を持っているとすれば、明治以降の天皇制権力が臣民に刷り込んだ国体意識がいまだに健在で、民主主義と国民主権が未成熟のままであることを物語っている。

そして、昨日(12月21日)の安倍晋三発言に驚いた。

 「日本が世界の真ん中で輝いた年になったのではないか。来年は東京五輪・パラリンピックが開かれる。躍動感あふれる中で新しい国づくりを進めたい」

 これが安倍晋三の、行政府トップとしての恐るべき現状認識。この発言からは、日本が抱えている深刻な問題をまったく認識していないごとくである。

彼は、今年を「日本が世界の真ん中で輝いた年」だという。そんなはずはあり得ない。この安倍発言には違和感というよりは、欺瞞と虚飾を感得するしかない。

2019年を振り返れば、まずは「あいちトリエンナーレ」における「表現の不自由展・その後」中止の衝撃を思い出さねばならない。私たちの社会は、かくも日本国憲法が想定したものとは、かけ離れたところに来てしまっている。

そして、この一年を通じての日韓関係の深刻な悪化である。日本近代の天皇制軍国主義が何を目指し、どんな非行を重ねてきたか。被害者として、それをもっともよく知る立場にあるのが、朝鮮・韓国の人々である。宗主国面をした醜い日本人の正体を露骨にあらわした今年の我が国は、輝くどころではない。

さらに、沖縄・辺野古の事態が、アメリカへ従属し、アメリカと一体となった軍事大国化路線の進展を明らかにしている。しかも、平和を望む県民の願いを無惨に蹂躙しての、自然破壊・新基地建設の一年でもあった。

特筆すべきは、政治と行政が腐っていることを見せつけられた一年であったこと。議会制民主主義も危機にあるといわねばならない。行政の私物は極まれりだ。司法まで、おかしい。安倍晋三がいう「日本の輝き」とは、落日の輝きという自嘲としか考えようがない。

それにしても、「桜を見る会」疑惑追及を逃げ回り国会を閉会させての安倍が、のたまう「日本が輝いた年」発言である。人々が、クリスマスで騒ぎ、お屠蘇で気分をあらためれば、新年には,桜疑惑も、大学入試共通テスト責任も、かんぽ違法の責任も、山口敬之敗訴も、カジノ疑惑も、公文書の破棄、改竄、隠蔽の数々も、そして安倍晋三と昭恵の行政私物化の数々も,きれいさっぱりみんな忘れてくれる、と思い込んでいるようだ。

かれは、75日が過ぎ去れば、すべて問題解決と考えている。ここは綱引きだ。私たちは、この怒りのタネの一つひとつを忘れてはならない。折あるごとに思い出そう。年の暮れには、この政権の退陣要求の決意を固めよう。

来たるべき2020年を、「オリンピックの年」として、ナショナリズムを喚起し、政治の腐敗から、国民の目を逸らせようというのが、「嘘とゴマカシの」安倍政権のもくろみ。乗せられてはならない。
(2019年12月22日)

ジャパンライフ山口隆祥招待が照らし出す「桜を見る会」の正体

一昨日(12月18日)、「ジャパンライフ全国被害弁護団連絡会」が、安倍晋三の「桜を見る会」疑惑に関連して声明を発し記者会見を行った。「安倍首相は、山口隆祥元会長を「桜を見る会」に招待した経緯を、被害者らに誠意をもって説明すべきだ」とする趣旨。弁護団代表は、さらに同日、国会内で行われた野党の合同ヒアリングにも参加して、被害者の立場から内閣府の担当官に,強い姿勢で「誠実な説明」を求めた。

「桜を見る会」疑惑の本質は、安倍晋三とその取り巻きの行政私物化である。国家の私物化といってもよい。なによりもこのことの重みを明確にしておかねばならない。

安倍晋三とその取り巻きのやったことは、公私混同という醜行である。彼らの頭の中では、「公」と「私」の区別が溶けてなくなっているのだ。アベ後援会の活動も自民党の活動も「私」の分野のものである。本来、すべて私費で行われなければならない。「桜を見る会」は政府の公的な行事である。参加者の選定も、その招待も、会の進行も、本来「公」の活動である。この区別を殊更に無視して、「桜を見る会」という「公」の行事を、「私」の安倍後援会活動の一端に組み込んだ公私混同が、まず糾弾されなければならない。

のみならず、安倍晋三とは内閣総理大臣の座にある者である。言うまでもなく、内閣総理大臣とは公権力のトップに位置する職務である。彼の場合の「公」と「私」との区別は、法の支配や立憲主義と密接に関わる。近代以前には、王や領主の私的な家法が、そのまま国法でもあった。そこでは、権力者の意思はすなわち国の意思であって、権力者の私的行為と公的行為の区別の必要はなかった。しかし、近代国家では、権力者の恣意の振る舞いは許されない。憲法に従い国民の利益のために働く意思と能力を持つ者に、その限りで権力が預けられ、その範囲で権力の行使が許されるのである。近代社会では、権力の私物化など、原理的にあり得ないのだ。

ところが、安倍晋三という人物は、権力を私物化し、「私」の利益のために「公」を利用しているのだ。この人物には国民の利益のために働く誠実さと能力を欠くことにおいて、権力を預かる資格がない。

そのことを確認した上で、「反社の方々」や「甚大な被害を輩出している詐欺師」を「桜を見る会」の招待者としたことの非を、派生問題として把握しなければならない。が、この派生問題は、実はたいへんに大きなインパクトを持っている。

被害者弁護団は、「桜を見る会」の招待状が同社の宣伝や勧誘に利用されたことで「多くの被害者がジャパンライフを信頼できる会社と誤解した」と指摘。長年にわたって悪徳商法を展開してきた山口を功績・功労があった者として招待した経緯について「(安倍首相は)被害者に対し、誠意をもって説明すべき」だと強調している。

ジャパンライフとは大規模な詐欺組織である。山口隆祥とは、その総帥の詐欺師にほかならない。安倍官邸はこの詐欺師を「桜を見る会」に招待し、招待された詐欺師は、総理主催の公的行事に招待されたことを,社会的信用の証しとして最大限に活用した。

現在破産手続き中の同社の負債総額は2405億円、契約者は7000人に上るものの、破産手続き中の同社が被害者に返金できる資金はないという。そこで弁護団は、同社の元顧問らに顧問料の返還を求めるよう管財人に要請し交渉中という。元内閣府官房長・永谷安賢、元特許庁長官・中嶋誠、元科学技術庁科学技術政策研究所長・元日本オリンピック委員会(JOC)理事・佐藤征夫、経済企画庁長官秘書官・松尾篤元、元朝日新聞政治部長・橘優らである。いずれも、被害者を信用させるに足る地位にいた顧問ら。その合計金額が1億4500万円に上るという。

ジャパンライフが悪徳業者として話題に上ってから20年余にもなる。かくも長期に永らえ、かくも甚大な被害に至ったのは、行政や大物政治家との癒着があったからである。多くの天下り官僚を受け入れてもいた。政治資金パーティーには、毎年100万円?200万円を支出していた。この癒着の象徴として、「桜を見る会」の招待がある。

また、同社はこれまで4度の行政処分を受けており、その悪名を内閣府が知らなかったはずはない。それでも、公的に山口に「桜を見る会」の招待状が届き、詐欺商法に利用させた。これについて、内閣府も官邸も可能な限りの調査をし説明をしようという誠実さのカケラもない。名簿の保存がないから、山口を招待したことすら確認できないという、説明拒否に終始する態度なのだ。誰がどのような理由で推薦し、内閣府がどのような根拠で招待に値すると判断したのか、その過程を誠実に調査して明確にすれば、安倍政権の公私混同ぶり、権力者の放埒な振る舞いが白日のもとにあぶりだされるからなのだ。

「桜を見る会」への詐欺師招待は、必ずしも問題の本質ではない。しかし、たいへん分かり易く、行政の私物化がもたらす弊害を明らかにしている。同時に、行政が資料の廃棄を急いだ理由をも教えてくれてもいる。はからずも、詐欺師正体が、「桜を見る会」疑惑の正体を照らし出すものとなっているのだ。
(2019年12月20日)

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