伊藤詩織さんの山口敬之に対する損害賠償請求訴訟。昨日(12月18日)、よい判決となった。公にしにくい性被害の不当を訴えて声を上げた、伊藤さんの勇気と正義感に敬意を表したい。
被害者は私憤で立ち上がるが、行動を持続するには,私憤を公憤に昇華させなければならない。でなければ社会の支持を得られないからだ。はらずも、伊藤さんの行動はそのお手本になった。
被害者伊藤さんの支援の人びとのピュアな雰囲気と、加害者側の応援団の臭気芬々との対比が一興である。この醜悪な山口応援団の面々を見れば、その背後に安倍晋三ありきという指摘にも頷かざるを得ない。応援団に誰が加わっているのか、その面子というものは、ものを言わずともそれ自体で多くを語るものなのだ。
私は、判決全文を読んでいない。裁判所が作成した「要旨」を読む限りだが、客観状況に照らして、被告山口のレイプは明白で、十分に刑事事件としての起訴と公判維持に耐え得る案件だと思われる。何ゆえ山口が不起訴になったのか、その背後に官邸の指示や要請はなかったのか。あらためて、本格ジャーナリズムの切り込みを期待したい。
ところで、私の格別の関心は、この事件の「反訴」にある。
伊藤さんが、慰謝料など1100万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したのが、2017年9月。被告山口は、今年(2019年)2月に反訴を提起した。
この反訴は、「(伊藤が)山口の行為をレイプと社会に公表することで、(山口の)名誉が毀損された」とする損害賠償請求訴訟。その慰謝料請求額が1億3000万円という高額で話題となった。
これは、スラップの一種である。訴訟という舞台での高額損害賠償請求をもって、原告を恫喝しているのだ。伊藤さんと同じ立場で訴訟を企図する性被害者たちの提訴萎縮効果をも招くものとなっている。
こういう非常識な反訴提起という訴訟戦術には、代理人弁護士の個性が大きく関与している。この弁護士は、愛知県弁護士会に所属する北口雅章弁護士。実はこの人、自身のブログに、伊藤さんの訴えについて「裁判に提出されている証拠に照らせば、全くの虚偽・虚構・妄想」と記載。被害の様子をつづった伊藤さんの手記の出版は「(山口の)名誉・社会的信用を著しく毀損する犯罪的行為」と書き込んでアップした。このブログは今は消去されて読めないが、弁護士としての品位を欠くものとして、懲戒手続が進行している。
懲戒請求は、まず綱紀委員会で審査される。ここで、懲戒審査相当の議決あって始めて懲戒委員会が審査を開始する。
愛知県弁護士会の綱紀委員会は、本年(2019年)9月12日、当該ブログの内容は、伊藤さんの名誉感情を害し、人格権を侵害するものと認定し、「過度に侮蔑的侮辱的な表現を頻繁に交えながら具体的詳細に述べ、一般に公表する行為は、弁護士としての品位を失うべき非行に該当すると判断した」と報じられている。
被懲戒者側は、「虚偽の事実の宣伝広告によって山口の名誉が毀損されていることに対する正当防衛」と主張したが、綱紀委員会は一蹴している。北口は、この議決を受けてブログ記事を削除している。もちろん、それでも懲戒委員会の審査が進行中である。
私は愛知県弁護士会が同弁護士に対して厳しい懲戒処分をするよう期待する。スラップ訴訟提起の不当・違法は明らかで、これを主導する弁護士には、制裁あってしかるべきなのだ。私は、「スラップやった弁護士は懲戒」の定着を望ましいと思っている。厳密には、本件は「代理人となってスラップを主導したから懲戒」という事案ではない。「スラップの主張を、ブログでも品位を欠く態様で公表したから懲戒」なのだ。しかし、本件は望ましい懲戒への、栄光ある第1歩の案件となるやも知れない。
さて、当然のことながら、山口からのこの反訴請求は全部棄却された。「判決要旨」は、まことに素っ気なく、次のようにまとめている。
【(原告伊藤の)被告(山口)に対する不法行為の構成】
原告(伊藤)は自らの体験・経緯を明らかにし、広く社会で議論することが、性犯罪の被害者を取り巻く法的・社会的状況の改善につながるとして公表に及んだ。
公共の利害にかかわる事実につき、専ら公益を図る目的で表現されたものと認めるのが相当であること、その摘示する事実は真実であると認められることからすると、公表は名誉毀損による不法行為を構成しない。プライバシー侵害による不法行為も構成しない。
なお、1億3000万円の反訴提起に必要な印紙額は41万円。山口が本件判決を不服として控訴するとなれば、訴額は本訴反訴合計で1億3330万円。必要な印紙額は63万3000円となる。もちろん、弁護士費用は別途必要となる。庶民には大金だが、稼いでいる記者には大したものではないのかも知れない。
(2019年12月19日)
(幕が開くと、執務室らしいしつらえ。上手に事務机があり、奥に日の丸と教育勅語の額。そして、岸信介の写真が飾ってある。)
(中年の男が、舞台の中央に立つ。狷介な風貌だが、やつれた雰囲気。大仰な語り口で、投げやりに観客に向かってしゃべり始める)
あ?あ、なんということだ。内政・外交なにもかもうまく行かない。いったい、どうしちゃったんだ。こうなると、みんな冷たい。この間まで、おどおどと私の顔色を窺っていた連中が、急によそよそしくなった。
私は今までツキだけで生きてきた男だ。政治家の家に生まれたのがツキのはじめ。その後何の苦労もなく政治家になり、世の右翼的潮流に乗った。一度は、選挙に大敗して、ぶざまに政権を投げ出したが、民主党政権のオウンゴールに助けられて返り咲いた。その後は選挙の度に北朝鮮が危機感をあおってくれたり、野党が分裂してくれたり。なんとなく、うまくいってきた。もちろん、小選挙区制が助けてくれたことも大きいが、こんなに長期の政権が続いたのは、ツイていたとしか言いようがない。
ところが、その大切なツキの総量を、どうやら使い果たしてしまったらしい。最近つくづくとそう思うんだ。もう、私にツキは残っていないんだなって。大事なことは、ツキよりも、ツキがあるとみんなに思わせることだ。周りの人々が私にツキが残っていると思えば、みんなが私の方に擦り寄ってくる。カネの欲しい人、権力の分け前を要求する人、名前を売りたい人、そんなさもしい人たちばかり。そんな人たちが、潮が引くように私の周りから消えていく。寂しいものだ。落ち目は辛いよ。
私は、反共と復古的ナショナリズムを鼓吹する以外に、何の政治信念も理想もない。行きがかり上、私を支持する人々のために憲法改正のスローガンをクチにし続けてきた。憲法のどこをどう変えようという信念もないし、贅沢な望みもない。憲法のどこにでもよい,ほんの少しでも改正の疵をつけようということがホンネなのだ。誰のためでもない、自分の功績を後世に残そうということ。
しかし、どうもそれさえも現実には難しい。両院の憲法審査会は,野党の反対で動かない。公明党もだらしなく、慎重姿勢だ。世論調査の結果もまったく芳しくない。八方ふさがりだ。
思えば、平成から令和へ、なんて新元号発表で浮かれていた半年前が懐かしい。あの頃はまだ総裁4選だってあり得たと思っていた。天皇制とは、政権が利用するためにある。我ながら、みごとに利用したものと満足していたんだが。
消費増税がケチの付き始めなのかも知れない。景気の腰折れだけでなく、軽減税率導入問題のめんどくささが、決定的な不人気となった。ポイント還元も、いったい何をやっているのやら、わけのわからなさに拍車をかけた。
そして「桜を見る会」疑惑だ。私が直接の名指しで追及を受けているのだから、これが痛い。しかも痛みがまだ続いている。
「桜」疑惑では、記録の廃棄が問題となった。例の招待者名簿だ。もちろん常識的にはどこかに残っているさ。でも、都合が悪いから廃棄したと言った以上は、今さらありましたと言えるわけがない。いや、それだけじゃない。あの名簿を根ほり葉堀り調査されたらたいへんなことになる。みっともないことは承知で、シュレッダーにかけた、データも消去した、復元はできない、とがんばらざるを得ないんだ。だから、苦しい。75日が過ぎ去るのをじっと待つしかない。
でも、「桜」疑惑の裾野は広い。五輪チケット問題の首相枠まで、問題とされている。もちろん、「そんなものはあるわけない」と言えないから辛い。答弁書の書き方がいかにもまずい。「お答えは困難」というのだから、その回答自身が新たな話題になってしまってる。
ホントは、大学入試共通テスト問題が一番痛い。国民の関心が高いテーマだから。あれは、首相肝いりでやったことだ。もちろん私が得意とする民間委託ありきの手法。民間との癒着が疑われて当然なのだ。ベネッセに儲けさせるシステムだったんだろうというわけだ。これから、政治資金の流れが突っ込まれる。
私の意を受けて、これを現場で推進したのが下村だ。下村自身が教育で儲けている産業人だ。その責任は免れない。「身の丈」発言の萩生田も、首相側近と誰もが認めるところだ。その二人が大チョンボだ。改憲問題にも効いてくる。痛い、痛い。
COP25では、進次郎に期待したが散々だった。マスコミの論調が、無能な進次郎の責任ではなく、内閣にこそ責任があるというのが、思惑外れ。指摘されれば、誰でもそう思うだろうということが、また、癪のタネ。
もひとつ困ったことが、和泉洋人の「京都不倫出張」問題だ。和泉は私の側近として、前川喜平に会っている。前川が証言したところでは、「和泉洋人首相補佐官から官邸に呼び出され、『総理は自分の口からは言えないから私が代わって言う』」と、加計学園の獣医学部設立認可促進を文科相に働きかけた人物。こんな形で話題とされたのでは、私がたいへん困るではないか。
さらに、カジノ疑惑だ。東京地検特捜部が動いているようだが、どういうことだ。どうして、官邸の困るようなことができるのか。いつたい、いつから、そんなにえらくなったんだ。外為法違反で捜査されている秋元司は今年9月まで内閣府副大臣だ。しかも、昨年10月まではIR担当だ。疑惑の内容は、中国企業から秋元にカネが渡っているということだろう。そんなことを暴かれたら、政府が困る。大所高所から、ことを収めてもらわねばならない。
そしてそして、また森友の蒸し返しだ、情報公開請求の一部拒否を違法とする国側敗訴の大阪高裁判決が言い渡された。あの悪夢が繰り返されるかと思うと、不愉快極まりない。
最後が、山口敬之問題だ。伊藤詩織が山口敬之に勝訴した。これは、困る。知られているとおり、山口敬之は私にゴマを摺った御用記者だ。私を持ち上げた『総理』を書いている。だから、「安倍政権が不起訴に持ち込んだ」と世間が噂している。その真偽をまた聞かれることになる。「回答は困難」というしかないか。
落ち目になると、人か離れて苦労が集まる。なにもかもうまく行かない。
(大仰な身振りで)
あ?あ、なんということだ。
(暗転。そして幕)
(2019年12月18日)
共同通信社が12月14(土)、15(日)の両日に実施した全国電話世論調査によると、安倍内閣の支持率は42.7%で、11月の前回調査から6.0ポイント下がった。不支持率は43.0%で、支持と不支持の逆転は昨年12月以来だという。
首相主催の「桜を見る会」の疑惑に関し、安倍晋三が「十分に説明しているとは思わない」は83.5%に上った。首相の自民党総裁4選に反対は61.5%だった。そう報じられている。
私には信じがたい。こんな体たらくのアベ政権を支持するという人が本当にこの社会に4割もいるのだろうか。こんな、嘘とゴマカシにまみれ、記録は隠す、捨てる、改竄する。国政私物化をもっぱらとするこんなみっともない内閣を支持する「4割の人」の顔を見たい。
さらに私には信じがたい。「桜を見る会」の疑惑に関し、安倍晋三が「十分に説明していると思わない人が、83.5%にとどまっていることが。世の中は広い。安倍晋三が「十分に説明していると思う」人が、いや正確には、「十分に説明していると思う振りをしようとする人」が11.5%もいるのだ。これこそ、固いアベ支持基盤。ドリルでも崩れない岩盤の11.5%。「なんでもかんでもアベに賛成」「理屈なんぞはどうでもよい。ひたすら安倍内閣を守る」という、この11.5%はいったいどんな人たちなのだろう。
おそらくは、40%のうち、30%が消極的アベ支持層。残りの10%が、「アベ絶対支持層」なのだろう。あまり楽しい作業ではないが、この強固な10%は、いったいどんな人たちなのか、想像を逞しくしてみよう。
まず、アベ政権の改憲・壊憲路線を徹底して支持しようという人びと。いや、むしろ改憲先導派と言ってよかろう。アベを首相に据え、アベを操作して改憲を実現しようとしている面々。アベが政権党の総裁であり、首相であるうちが、千載一遇の改憲チャンス。アベが失脚すれば、もしかしたら、改憲は永遠のゼロとなるやも知れない。ならば、アベの人格や品行がどうであれ、改憲のためにはアベのやることは、なんでも支持しないわけにはいかない。アベがボロを出しているのは苦々しいが、そのボロを繕おうという涙ぐましい人びと。これは、相当数いるのだろう。
次に、アベ政権の経済政策で潤っている人びと。いや、甘い汁を吸っている輩。格差貧困の拡大を安い労働力創出の賢い政策とし、消費増税で大企業減税の財源を捻出するというのだから、「アベ様命」と考えざるを得ない。それに、安倍内閣が、湯水のごとく公的資金を株式市場に注ぎ込んでくれるお蔭として、株式相場の値上がりをほくそ笑んでいる一群。「安倍さんやめちゃ困るよ。濡れ手で粟の儲けがなくなる」。
それに、加計孝太郎を筆頭に、アベ夫妻のお友達として、おこぼれに与っている人びと。アベのご恩に報いることこそ人の道。そんなことが教育勅語にも書いてあったような、ないような。アベ晋三は、お友達のために、岩盤規制にドリルの穴を開けた。その穴から滲み出た蜜に群がった品性卑しい人びと。
さらに、美しい日本にこだわる、歴史修正主義者諸君だ。日本は、美しい歴史と伝統をもっている。皇軍が侵略戦争などやったきずもない。従軍慰安婦なんて嘘。朝鮮を植民地にしたんじゃない。頼まれて、統治してやったんだ。南京虐殺も、関東大震災の在日虐殺も、ぜんーんぶ作り話。と思っている人びと、思いたい人びと。安倍内閣の後ろ盾があればこそ、ヘイトスピーチも思い切ってできた。アベ政権がなくなったら、見捨てられるんじゃないか。アベには、がんばってもらわなきゃ。
とにもかくにも反共一点張りという人たち。アベが悪口として言う「キョーサントー」や「ニッキョーソ」に、心の底から共感する連中。この人たちは、アベシンゾーこそは反共の旗手、安倍内閣は反共の砦と信じてやまない。アベがいればこそ、共産党に睨みをきかせている。今、アベを政権の座から降ろしたら、たちまち共産党の暴走を許すことになる、と共産党を買い被り過大評価する人たち。
日本の防衛のためには、核装備も、通常軍事力も、もっともっと必要なのに、アベがいなくなったら、防衛力が削減されて日本は危険極まりなくなる。日本は、中国に呑み込まれるかも知れないし、北朝鮮にもバカにされると、本気で信じている神経症の人びと。
最後に、「桜を見る会」にアベ政権からご招待を受けた、反社の方々、悪得商法の面々。地元下関の後援会員。みんなそれぞれ、アベあればこその晴れがましい「お・も・て・な・し」。アベ政権が倒壊したら、陽の当たるところにいられなくなる。
中には、自分は常に少数派でいたいという、奇特な人もいるのかも知れない。ともかく、みんな質問に正確に答えていない。自分の考えを正確に述べるのではなく、自分がどう答えるかの影響を考えて、回答しているのだ。何が何でもアベを支持という、この絶対支持派10%が、ほぼ右翼勢力支持派の実数に重なる。
ところで、内閣支持率は12月13日発表の時事通信社の調査でも、前月比7.9ポイント減の論調査40.6%と急落。「安倍離れ」はじわじわ始まっている、そう報じられている。民意のアベ離れ。これがクリスマスプレゼントであり、お年玉だ。来年の桜の季節には、アベザクラを散らしたい。
(2019年12月16日)
人類は、地球環境の中に生まれた。この環境から抜け出すことはできない。環境に適応して人類は生存を維持し、生産し文明を育んできた。生産とは、環境に働きかけて環境を加工し、環境からの恵みを享受することにほかならない。
太古の過去から現在に至るまで、人類は地球環境に依存しその恩恵を受けながら、環境を不可逆的に改変しつつ文明を築き上げてきた。しかし、地球環境は有限である。幾何級数的な生産力の増大は、人類に地球環境の有限性を意識させざるを得ない。いまや、成り行きに任せていたのでは、近い将来に地球環境は人類を生存させる限界を超える。このことが世界の良識ある人びとの共通認識となっている。
20世紀中葉、人類は戦争によって絶滅する危険を自覚した。にもかかわらず、人類は今日に至るも戦争の危険を除去し得ていない。愚かな核軍拡競争の悪循環を断ちきれないでいる。その事態で、もう一つの人類絶滅の危機、環境破壊問題に遭遇しているのだ。
人類の生産活動と生活様式が,地球環境を破壊しつつある。このまま手を拱いているわけにはいかない。もしかしたら、もう手遅れかも知れないのだ。今、喫緊になすべきことは、生産を縮小しても大気中の二酸化炭素を減らさねばならないこと。マドリードで開かれているCOP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)が、その人類の課題に取り組んでいる。
国家の作用には2面性がある。資本の意を体して経済活動自由の秩序を守ることと、主権者国民の意を受けて資本の生産活動を規制することである。これまでは、前者の側面が強く出てきたが、今や、人類の生存維持のためには、公権力による経済活動の規制が必須だという国際合意の形成が迫られている。
しかし、資本の意を体した化石的抵抗勢力は、すんなりと環境保護のための規制を受け入れがたいとしている。その象徴的人物が、まずは世界の反知性を代表する米のトランプ。開発派のブラジル・ボルソナーロ。そして、石炭火力の継続に固執するアベシンゾーである。
アベの配下でしかないセクシー・進次郎は、今最大の問題となっている石炭火力の削減に言及できず、世界のブーイングを浴びることとなって、この会議中2度目の化石賞という不名誉に輝いた。しかし、これは彼の政治家としての理念の欠如や無能・無責任だけの問題ではない。主としてはアベ政権の姿勢の問題なのだ。政権の意思を決している国内資本の責任であり、こんな政権をのさばらせている、われわれ日本国民の責任でもある。
環境擁護派は、よい旗手を得た。16才の高校生グレタ・トゥンベリである。この若い活動家に、化石派のブラジル・ボルソナーロ大統領が、「ピラリャ」という言葉を投げつけて話題となっている。
私には、このポルトガル語の語感は理解し難いが、「ピラリャ」とは若輩者の未熟を侮辱するニュアンスで語られる品のよくない悪罵だという。「お嬢さん」「娘さん」「若者」ではなく、「ガキ」。これが日本語の適切な訳語だという。
環境保護派の旗手に、化石派から投げつけられた、「ガキ」呼ばわり。環境保護運動全体に投げつけられた悪罵である。しかし、いったいどちらがガキかは明らかではないか。理性的な論理で対抗する意欲も能力もなく、感情にまかせて論争の相手を「ガキ」呼ばわりする方が,真の「ガキ」なのだ。
一方、グレタは「最大の脅威は、政治家やCEOたちが行動をとっているように見せかけていることです。実際は(お金の)計算しかしていないのに」と言った。まさしく、進次郎の姿勢に、ぐうの音もいわさぬ批判となっている。
ブラジル・ボルソナーロ大統領だけではない。アベシンゾーも「ガキ」ぶりではひけをとらない。彼の悪罵は「キョーサントー」であったり、「ニッキョーソ」であったりするわけの分からぬもの。「ガキ」のケンカそのものではないか。
トランプ・ボルソナーロ・アベシンゾー。いずれがティラノか三葉虫。その化石度において、兄たりがたく弟たりがたし。こういう化石化した指導者に任せておくと、本当に人類の生存が危うい。アベを辞めさせることは、人類への貢献なのだ。
(2019年12月12日)
今の日本に、はたして「表現の自由」の保障は機能しているものだろうか。とうてい、脳天気に肯定はできない。表現の自由の障害物を象徴するものが、天皇・皇室にほかならない。天皇・皇室についての「表現の不自由」が世にはびこっていることは、「あいちトリエンナーレ」でも証明された。
いっぱしの大人が、天皇に「陛下」という敬称をつけて語るという愚にも付かないことは、私の子どもの頃にはなかった。少なくも、私の周りにはなかった。それが、今は様変わりである。こんな復古の現象はいったいいつから,どのようにして生じたのだろうか。
まさしく今、「天皇は日本国の言論不自由の象徴であり、日本国民の言論自主統制の象徴でもあって、この地位は、天皇を政治の道具として重宝に使おうという保守政権の思惑と、無批判無自覚に天皇を崇拝する蒙昧な一部日本国民との合意に基づく。」
この時代状況で、冷静に天皇や天皇制を語る人には敬意を表せざるを得ない。その代表の一人が、原武史だろう。
12月7日朝日「(歴史のダイヤグラム)変わらない『奉迎』のかたち」は、さりげなく天皇制の過去と現在を語ってその不易の本質をよく表現している。以下、抜粋しての引用である。
1922年11月、皇太子裕仁(後の昭和天皇)は東海道本線を走る御召列車に乗って東京を出発した。目的は香川県で行われる陸軍特別大演習の統裁と四国4県などの視察。これは摂政として初めての本格的な地方訪問でもあった。
病気で引退させられた大正天皇に代わる若くて健康な皇太子を、四国の人々は初めて見ることになる。そうした人々に対して、皇太子はどう振る舞うべきか。同行した宮内大臣の牧野伸顕は、11月12日にこう記している。
「四国辺の如き質朴の民俗には相当すべき御態度可然。此方面にては只々玉体を拝する丈けにて無上の光栄とす。一々御答礼の如きは勿論ない。奉迎者間に最も多く聞く言葉は能くおがめたと云ふ事なり。此一言にて人心の一班[斑]を推知すべし」(『牧野伸顕日記』)
坂口安吾は、48年に発表された「天皇陛下にささぐる言葉」で、「地にぬかずき、人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業であります」「天皇が人間ならば、もっと、つつましさがなければならぬ」などと述べている。安吾の言う「未開蒙昧」は、牧野の言う「質朴の民俗」と見事なほど重なっている。
それはどうやら、天皇制イデオロギーなどというものとは関係がないらしい。このことが、11月10日に天皇と皇后が自動車でパレードした「祝賀御列の儀」でも証明されたのではないか。
牧野伸顕とは、大久保利通の次男であり吉田茂の岳父に当たる、藩閥政治家の一人である。薩摩出身の牧野が四国の人民を馬鹿にしているのだ。
「四国辺の如き質朴の民俗」「只々玉体を拝する丈けにて無上の光栄とす」「一々御答礼の如きは勿論ない」「最も多く聞く言葉は能くおがめたと云ふ事なり」。
「(裕仁において)一々御答礼の如きは勿論(必要)ない」とも読める一文を、原は「引用文中の『勿論ない』は『勿体ない』だろう」と解している。どちらにしても、「臣民は玉体を拝むだけのもの。拝むに任せておけばよい。いちいちの答礼などは不必要」という、天皇制権力の中枢に位置する人物の思い上がりがよく表れている。摂政裕仁は、この宮内大臣牧野の言のままに行動したのだろう。
他方、原が引用する坂口安吾の言はさすがに鋭い。「人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業」というのだ。今、なかなかこのように,ズバリとものが言いにくい雰囲気がある。
安吾の言う、「不自然・狂信・悲しむべき未開蒙昧」は今に続いている。11月10日「祝賀御列の儀」パレードに参加した,あの11万余の「質朴の民俗」こそ、「テンノーヘイカ・バンザイ」を叫ぶ政権に煽られた、「狂信者」であり「悲しむべき未開蒙昧」の輩。この輩が、天皇を「日本国の言論不自由の象徴」に仕立て上げているのだ。「政権」と「未開蒙昧の輩」。どちらが主犯で、どちらが従犯であるかは定かでない。
(2019年12月11日)
毎日新聞「松尾貴史のちょっと違和感」が、このところまことに快調。明晰な文章のテンポが小気味よいだけでなく、イラストも秀逸だ。羨ましいほどの才能が、日曜の朝刊を楽しいものにしている。
昨日(12月8日)は、「『桜を見る会』疑惑 安倍政権こそ『悪夢』そのもの」というタイトル。冒頭と末尾だけを、引用させていただく。
総理大臣主催の「桜を見る会」の疑惑は、安倍晋三氏のもくろみとは裏腹に、一向に収束する兆しを見せない。違法薬物所持による芸能人の逮捕でニュースや情報番組は一斉にそちらに傾くと思いきや、まさかの検査陰性という事態になって材料が乏しくなったのか、あるいはそれが追い付かないほど次から次へウソと新たな疑惑が浮かび上がってきて、この騒ぎは来年まで尾を引きそうだ。…ウソで蓋(ふた)をしようとすればするほど、つじつまの合わないところが出てきて疑惑が数珠つなぎに引っ張り出される構造になっている。
ウソの上塗りを続けると、さらに大きなウソや滑稽(こっけい)な言い訳を繰り出さざるを得なくなる。しかし、ここまでくると見苦しく人ごとながら恥ずかしい。
そして、おなじみ「困ったときの民主党」も持ち出していた。鳩山由紀夫総理の時も桜を見る会をやっていたということらしい。もし私物化し、反社会的勢力や問題のある人物を呼び、後援会で取りまとめ、資料の隠蔽(いんぺい)などをやっていたのなら、一緒に責任を追及すればいいだけのことだ。日本を良き方向にかじ取りをして浮揚させてくれていればまだマシだけれど、7年間もほしいままにやらかしておいて、「悪夢のような民主党政権」はもう使えないだろう。あの頃より何を良くしてくれましたか。私にとっては「悪夢そのものの安倍政権」である。
彼の言うとおり、「『桜を見る会』の疑惑は、安倍晋三氏のもくろみとは裏腹に、一向に収束する兆しを見せない」し、収束させてはならない。徹底して追及しなければならない。安倍晋三が逃げるのなら、追いかけなければならない。年を越しても、国会の会期をまたいでも。もう少しまともな政権と交替させるまで。
ところが、こういうときには、政権御用達の「御用言論人」がしゃしゃり出て来てゴマを摺る。たとえば、小川榮太郎(2019年12月4日)。読むだに、こちらが恥ずかしい。
【安倍総理の先見の明】に感心している。桜を見る会の中止決断の事だ。余りに早かったので、私は判断尚早と考え、ご本人にもそう申し上げたしコメントでもそう書いた。モリカケに較べてさえ愚の骨頂のから騒ぎがそう続くはずがないと思ったからだ。ところがどうだ。
「やつら」は通常国会でもこのネタで延々と騒ぐつもりでいるらしい。従来の人類の基準では測れない「この人達」の知能レベルと行動パターンを身を以て知悉している安倍総理ならではの早期決断だったわけだ。総理の慧眼、改めて感服した次第。
あるいは、木村太郎。「『桜を見る会』問題は『終わったんじゃないか…審議拒否する野党もどうか』」という具合。
…木村氏は「桜を見る会なんて、もうやめちゃえばいいと思うんですよ、こんなもの。まったく意味のない催しだと思うんで。やめちゃえばいいと思うんですけど」とコメントした。
一方で「だからと言って、桜を見る会を理由に審議拒否する野党もどうかなと思って。特に日米貿易協定って、あんな大事な協定の承認の問題をほとんど審議しないで終わっちゃった。これから、いろんな意味で日本人の生活に影響がある問題をほったらかしにして、やる問題ではなかった」とした。(報知新聞社)
日米貿易協定の審議を実質行わないまま、国会通したのは与党じゃないか。こういうときに、人の中身が顕れる。自分の信念でものを言う人であるのか、政権に忖度して甘い汁を吸おうという人であるのか、と。
(2019年12月9日)
今朝(12月7日)の毎日朝刊が、大きく報道している。「改憲『20年施行』断念」「首相、任期中こだわらず」。
安倍晋三首相は憲法改正を巡り、自らが目指した「2020年改正憲法施行」を断念した。相次ぐ閣僚の辞任や首相主催の「桜を見る会」の問題で野党の反発が高まり、改憲の手続きを定める国民投票法改正案の成立が見送られ、20年施行が困難となったためだ。首相は自民党総裁任期が満了する21年9月までに国民投票実施を目指す目標に事実上修正する方針。任期中の施行にこだわらない姿勢を示し、野党の協力を得たい考えだ。複数の与党関係者が明らかにした。
ニュースソースの「複数の与党関係者」が誰かは不明だが、毎日がこう書くのだから間違いはなかろう。また、毎日がこう書けばこのような流れになるだろう。2017年の5月3日に始まった「安倍改憲」の妄動は、とりあえず押さえ込んだ。ひとまずは、「バンザイ」と小さく叫ぼう。
今臨時国会の会期は12月9日(月)に会期末を迎える。野党は結束して、「桜疑惑」追求をテーマに40日間の会期延長を求めているが、与党は応じようとしていない。予定どおりに9日閉会となれば、またまた、改憲手続きは1ミリも進むことなく、次の会期に持ちこされることになる。
今国会では、参院憲法審査会での実質審議はなかった。衆院憲法審査会では、衆欧州各国調査議員団の報告を踏まえてのフリートーキングは3回開かれたものの、自民党改憲案の提示も、国民投票法の改正案審議もまったくできなかった。来年(20年)の通常国会での改憲策動に警戒は必要だが、安倍改憲策動に勢いはない。
2年前の5月3日、安倍晋三は日本会議幹部の口移しに、9条1項と2項に手をつけることなく、自衛隊を憲法に書き込む「安倍9条改憲」を打ち出した。彼なりに、「改憲実現のために大きく譲歩した現実性ある改憲案」のつもりであったろう。しかし、それでも国民から「改憲ノー」を突きつけてられたのだ。
安倍がぶち上げたのが、「2020年施行」である。「東京五輪・パラリンピックが開催される2020年を日本が新しく生まれ変わるきっかけにすべきだ」というわけだ。五輪と改憲、どう関わるのかさっぱり分からぬが、「東京五輪・パラリンピック」がダシに使われ、結局は思惑外れとなった。
安倍晋三はようやく、自らの改憲提案実行の不可能なことを認めて、「20年施行断念」「首相、任期中こだわらず」となったわけだ。もちろん、彼は「改憲断念」とは言えない。言えば、彼を支えている右派・右翼から見離される。
毎日はこうも報道している。
首相はスケジュールを見直し、時間をかけて野党の協力を得る方針に転換した。自民党幹部は「首相は改正憲法の施行までいかなくても、改憲の道筋を付けたいと考えている」と述べた。
何げない書きぶりの記事だが、安倍晋三の改憲への執念が伝わってくる。国民が望んで憲法改正の論議が始まっているのではない。国民の改憲を求める声は極めて小さいのだが、首相だけが突出し、焦って改憲策動に必死なのだ。もとより、改憲は、首相の仕事ではない。首相は、主権者である国民から与えられた命令である憲法を、尊重し擁護すべき立場ではないか。気に入らない憲法は遵守せずに改憲するのだ、というのだから、まことに困ったアベ晋三なのである。
モリ・カケに続いての桜疑惑。そして閣僚辞任、入試問題、FTAに給特法である。改憲提案など、やれる状況であるはずもない。
さて、ここまでは、改憲阻止勢力の優勢で水入りである。改めて、仕切り直して、通常国会での取り直しの一番が始まる。先行きに安易な楽観は許されないが、見通しけっして暗くはない。ほのかに桜色さえ、見えるではないか。
(2019年12月7日)
えっ? 「桜を見る会」の出席者名簿を出せって? 無理なこというなよ。常識で考えてもみたまえ。出せるわけがないだろう。政権批判の材料とするから出せっていう要求に、むざむざ、どうぞこの資料で存分に叩いてくださいって、そりゃあり得ないことはおわかりだよな。
行政には何が大切かって? 「国民の行政に対する信頼」が大切に決まっているだろう。信頼って、安心して任せておくってことだよ。国民は、政権に全部お任せてしておけばいいんだよ。余計な心配や詮索などすることはない。政府に対する厚い信頼こそが、民主主義の基本じゃないか。
えっ? 民主主義は「国民の忌憚のない権力に対する批判」によって成り立つって? 「批判のためには、国民には知る権利」が保障されなければならないって? なに言ってんの。政府のアラを探して批判しようという権利が国民にあるというのなら、政権の側には対抗して「隠す権利」がなければならない。これが公平というもの。安倍内閣はこの基本に基づいて政権を運営している。
だから、あらゆる資料は取捨選択する。都合がよいものは出す。政権に都合の悪いものは出さない。隠匿も改竄もありだ。政権維持のためには当然のこと。
今は、民主主義の世の中だ。民意に支えられて政権ができているんだよ。その政権が、出せないって言うんだから、出さないの。「桜を見る会」の招待者名簿が世に出てみろよ。政権が倒れかねない大事件になる。宮本徹議員からの資料提出要求あったとたんにシュレッダーにかけたのは、ヤバイから慌てて破棄したのさ。せっかく破棄したものだ。バックアップデータがあろうとなかろうと、都合が悪いんだから絶対に出さない。どんなことがあっても出すものか。
この名簿、うっかり出せばたいへんだ。鵜の目鷹の目で調べ上げられることになる。アキエ関連もいくつも出て来る。反社の皆様方の名もゾロゾロ。悪徳商法だってジャパンライフばかりじゃない。なによりも,安倍後援会・安倍選挙関係者の名が連なる。調べていけば、公職選挙法違反にも、政治資金規正法違反にも発展しうる。そりゃ、困る。なっ。こんな名簿、出せるわけのないことはお分かりだろう。
理屈は、どうにでもつく。たとえば、「個人情報の保護」だ。誰が「桜を見る会」に招待されたは、プライバシーに関わる厳秘の情報だ。「行政の透明性」より,個人情報の保護こそが大切じゃないかね。反社の皆様にも、アキエ夫人の友達にも、悪徳商法の方々にも、プライバシーというものがある。
そりゃあ、各界の功労者や代表者が招待されたわけだが、晴れがましく名誉ある立場と言えども、世間に知られたくないという奥床しい方は大勢いらっしゃる。そのような人びとの気持ちを考えなければならない。
勲章だって、褒賞だって同じことだ。もらったことを秘密にしておきたいという方もいる。そうだ。来年からは、すべての受賞者を秘密にしよう。
今は苦しいが、もうすぐ国会も終了だ。逃げ切れるかどうかは、世論次第。世論調査を見てみろよ。国民は賢い。野党とメディアがこれだけ叩いても、内閣支持率は40%を維持しているだろう。こういう、ものわかりがよくてもの言わぬ国民の支持に、安倍政権は支えられている。これが、民主主義というものだよ。
(2019年12月6日)
中曽根康弘が亡くなった。死者に対する辛辣な批評は慎みに欠けるものというのが通り相場。どうしても矛先鈍るものとならざるを得ない。が、この怯みに乗じられてはならない。
その思いは、昭和天皇(裕仁)の死に際しての、阿諛追従の氾濫に驚愕して以来のこと。あのときは、まるで戦犯が平和主義者のごとくに描かれた。そして、まことに不愉快な弔意の押し売りが続いた。社会的同調圧力というものの怖さを実感したのもそのとき。
中曽根の死も、あのときにやや似ている。歴史修正主義・改憲志向・軍拡路線・戦後民主主義否定・新自由主義・市場原理主義・規制緩和政策において、中曽根は明らかに安倍晋三の先輩である。中曽根こそが安倍政治の源流、中曽根の死に際してその業績など持ち上げてはならない。弔意の押しつけなどもってのほか。
昨日(11月29日)安倍晋三は、以下の「内閣総理大臣の談話(中曽根元内閣総理大臣の逝去について)」という談話を発表した。
元内閣総理大臣中曽根康弘氏は、本日逝去されました。
中曽根康弘氏は、東西の軍事対立や日米貿易摩擦の高まりなど、我が国が厳しい内外情勢におかれた時期に、5年間にわたり内閣総理大臣の重責を担われ、戦後史の大きな転換点に当たって舵取り役を果たされました。
中曽根氏は、戦後日本政治の総決算を掲げ、レーガン米国大統領との強い信頼関係の下で強固な日米同盟を確立し、近接するアジア諸国との関係を強化するとともに、国際社会の一員として、世界の平和、経済秩序の維持に重要な役割を果たし、我が国の国際的地位を大きく向上させました。
また、中曽根氏は、行政改革の断行を最重要課題と位置づけ、強いリーダーシップを発揮して、21世紀に向けた諸制度の改革に取り組み、国有鉄道の民営化をはじめとして、大きな実績を上げられました。
私は、この訃報に接し、深い悲しみを禁じ得ません。
ここに、国民の皆様とともに、心から哀悼の意を表します。
なるほど、今安倍がやっていることに、まことに似ている。
談話は、本来こうなるべきなのだ。
中曽根康弘氏は、我が国が厳しい内外情勢におかれた時期に、5年間にわたり内閣総理大臣の重責を担われ、戦後史の大きな転換点に当たって国民の反対を押し切って大きく右に舵取りをされました。
中曽根氏は、戦後日本政治の総決算を掲げて、戦後民主主義の精神を否定するとともに、レーガン大統領時代の米国への目下の同盟者としてベッタリの従属関係を確立し、靖国神社公式参拝など近接するアジア諸国民の微妙な神経を逆撫でさせ、世界の対立と緊張関係の維持に重要な役割を果たしました。
また、中曽根氏は、行政改革の断行を最重要課題と位置づけ、国有鉄道をはじめとする公営諸企業の民営化によって、国労・動労・全動労・全逓をはじめとする労働運動の最精鋭部隊の切り崩しに成功し、総評・社会党ブロックを崩壊に至らせる、資本の側にとっての大きな功績を挙げられました。
私は、同氏の訃報に接し、同氏の志を我が物とする決意であります。日本国憲法を改正して、我が国の全国土を不沈空母とし揺るぎない軍事大国化を完成するとともに、地方の切り捨てとか格差と貧困の拡大という批判を恐れることなく、市場における資本の自由を徹底することによって、アベノミクスを完成させる所存です。
(2019年11月30日)
「また出た アキエ」
出た出た アキエ
懲りない懲りない まだ懲りぬ
相も変わらぬ アキエ
隠れた 雲に
黒い黒い 真っ黒い
墨のような 疑惑
また出た アキエ
私人公人 また私人
なんだか分からぬ アキエ
「アキエ 私人か公人か」
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ
汝こそは見つらめ
世のつねならぬかの一強の驕りを。
世のいかりとそしり
風は激しく厳しかりしが
驕れる者にはどこ吹く風の涼しさ
秋風よ
いとせめて 証せよ
かのひとときの倨傲もゆめに消ゆと。
アキエ、アキエ
アキエ 私人か公人か
はたまた鵺(ヌエ)か四不象(シフゾウ)か
変幻自在に出ては消え
責めは知らじと隠れたる
かくもの公私混同を
見ても見ぬふりつづけるは
いづこの里のならひぞや。
いでや今こそ
厳しく問はまほしと思ひけり。
「御苑の空は」
さくら さくら
御苑の空は
見わたす限り
おごりとたかり
あやしの群れぞ
いざや いざや
のみゆかん
アキエ アキエ
野山も里も
見わたす限り
取りまき連の
チヤホヤばかり
アキエ アキエ
散るさだめ
「雑詠」
驕りも盛りも限りあり
寸刻待たず
散れ散れ アキエ
所詮この世は一期の夢よ
幸い桜も狂い咲き
飲んで唄って
嬌声あげて
ちりもあくたも
みんな散れ
桜が散るのは惜しむべし
散るなと思えど散る定め
アキエの散るは法楽よ
驕りも盛りも過ぎにけり
寸刻待たず
散れ散れ アキエ
(2019年11月22日)