澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

総選挙公示の日、本郷三丁目交差点にて。

本日(10月10日)が、戦後25回目となる総選挙の公示日。憲法の命運を左右しかねない政治戦のスタート。アベ政権という国難除去が主たる課題だ。その主役は有権者であって、けっして政党でも政治家でもない。

当然のことながら、候補者もメディアも、そして選挙管理行政も、有権者が正確な政治的選択に至るように清潔で自由な環境を整備しなければならない。カネや利益誘導で民意を歪めてはならない。嘘とごまかしで、有権者をたぶらかしてはならない。虚妄の政権を作りあげてはならない。

強調したいことは、選挙という制度において投票はその一半に過ぎないということである。多様な国民の言論戦の結果が有権者の投票行動に結実する。投票の前には、徹底した言論戦が展開されなければならないのだ。今回の選挙では、まずはアベ政権という国難の実態が徹底した批判に曝されなければならない。それに対する防御の言論活動もあって、しかる後に形成された民意が投票行動となる。

論戦の対象とすべきものは、
アベ政権の非立憲主義。
アベ政権の反民主主義。
アベ政権の好戦姿勢。
アベ政権の政治と行政私物化の体質。
アベ政権の情報隠匿体質。
アベ政権の庶民無視の新自由主義的経済政策。
アベ政権の原発推進政策。
アベ政権の対米追随姿勢。
アベ政権の核の傘依存政策。
アベ政権の核廃絶条約に冷ややかな姿勢。
アベ政権の沖縄新基地対米追随姿勢。
………
いまここにある、アベという存在自体の国難を、具体的に指摘し摘除しなければならないとする壮大な言論戦において、有権者は積極的なアクターでなくてはならない。「よく見聞きし分かる」ことを妨げられない「知る権利」だけでなく、自分の見聞きしたこと考えたことを発信する権利も最大限保障されなければならない。まさしく、憲法21条の表現の自由が、最大限に開花しなければならないのが、選挙における言論戦なのだ。

ところが、公職選挙法は基本構造が歪んでいる。憲法が想定する建て付けになっていないのだ。だから、総選挙公示とともに、さまざまな不都合が生じる。

私たちは、地域で「本郷湯島九条の会」を作って、ささやかながらも地道な活動を続けている。毎月第2火曜日を、本郷三丁目交差点「かねやす」前での、護憲街頭宣伝活動の日と定めて4年以上になる。この間、厳冬でも炎天下でも、街宣活動を続けてきた。ところが、たまたま本日が10月の第2火曜日となり、予定の「本郷湯島九条の会」街頭宣伝行動が選挙期間と重なった。

その結果、奇妙な政治活動規制がかかることになる。その根拠は、「公選法201条の5」。まことに読みにくい条文だが、そのまま引用すれば、以下のとおり。

(総選挙における政治活動の規制)
第201条の5 「政党その他の政治活動を行う団体は、別段の定めがある場合を除き、その政治活動のうち、政談演説会及び街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類(政党その他の政治団体の本部又は支部の事務所において掲示するものを除く。以下同じ。)の掲示並びにビラ(これに類する文書図画を含む。以下同じ。)の頒布(これらの掲示又は頒布には、それぞれ、ポスター、立札若しくは看板の類又はビラで、政党その他の政治活動を行う団体のシンボル・マークを表示するものの掲示又は頒布を含む。以下同じ。)並びに宣伝告知(政党その他の政治活動を行う団体の発行する新聞紙、雑誌、書籍及びパンフレットの普及宣伝を含む。以下同じ。)のための自動車、船舶及び拡声機の使用については、衆議院議員の総選挙の期日の公示の日から選挙の当日までの間に限り、これをすることができない。」

分かり易く要約すると、
「(政党に限らず)政治活動を行う団体は、その活動のうち、街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類の掲示並びにビラ頒布並びに宣伝告知のための自動車及び拡声機の使用については、総選挙期間中に限り、これをすることができない。」

つまり、「本郷湯島九条の会」も、政治的な主義主張をもって活動している以上「政治活動を行う団体」と見なされるとすれば、これまで4年間やってきた街頭宣伝行動のスタイルをとることができない。

私たちは、会の横断幕を掲げ、会のポスターを掲示し、毎回会が作成した手作りのビラを配布し、スピーカーを使い、場合によっては宣伝カーを借りて訴えをしてきた。条文を素直に読む限り、これが違法というのだ。

念のために付言しておくが、本郷湯島九条の会が、特定政党や特定候補の応援をしたことはない。もちろん、投票依頼などしたこともなければする意思もない。それでも、公選法第201条の5が介入してくる。これは、「選挙運動」規制ではなく、選挙期間中に限ったことだが、「政治活動」を対象とする規制なのだ。

そこで、対策を相談した。

第1案 急遽日程を繰り上げて、街宣行動をしてはどうか。これなら、予定の通り、いつものとおりの憲法擁護の宣伝活動が可能だ。

第2案 「九条の会」としてではなく、徹底して個人として行うことなら、201条の5が介入してくる余地はない。スピーカーは使える。。署名活動もできる。しかし、そうすれば、会の名のはいったビラは一切撒けない。横断幕もないことになる。

第3案 「九条の会」として街宣活動をし、合法主義を貫く。ビラなし。横断幕なし。スピーカーなし。肉声ないしメガホンでの宣伝活動をする。

第4案 公選法第201条の5の「政治活動を行う団体」を限定して解釈する。あるいは条文を無視する。憲法に違反している法が有効なはずはない。また、現実的に逮捕や起訴はあり得ないのだから、警告や指導が入るまで予定の通りにやればよい。

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結局、第2案を採用することとなった。たまたま、このとき、ここに集まった個人が、それぞれ個人としての意見を表明するということ。このことに、文句を付けられる筋合いはない。

 

冒頭、私がマイクを握って、次のような発言をした。

ご近所のみなさま、ご通行中の皆さま、私は、本郷5丁目に在住する弁護士です。
日本国憲法とその理念をこよなく大切なものと考え、いま、憲法の改悪を阻止し、憲法の理念を政治や社会に活かすことがとても大切との思いから、志を同じくする地域の方々と、本郷湯島九条の会というささやかな会を作って、憲法を大切しようという運動を続けて参りました。

会は、毎月第2火曜日の昼休み時間を定例の街頭宣伝活動の日と定めて、これまで4年以上にわたって、ここ本郷三丁目交差点「かねやす」前で、護憲と憲法理念の実現を訴えて参りました。とりわけアベ政権の憲法をないがしろにする姿勢を厳しく糾弾しつづけまいりました。この4年間、厳冬でも炎天下でも続けてきた、「本郷湯島九条の会」街頭宣伝行動ですが、本日は理由あって中止いたします。

会は、毎回会の名を明記したビラを作成し配布してきましたが、本日はビラはありません。毎回、「九条の会」の横断幕と、幟を掲げてきましたが、本日横断幕も幟もないのはそのためです。

会としての街頭宣伝活動を中止するのは、本日総選挙の公示がなされたからです。公職選挙法にはまことに奇妙な規定があります。
公職選挙法201条の5は、「(政党に限らず)政治活動を行う団体は、その活動のうち、街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類の掲示並びにビラ頒布並びに宣伝告知のための自動車及び拡声機の使用については、総選挙期間中に限り、これをすることができない。」としています。

つまり、選挙期間中は、団体としての政治活動のうち、看板の掲示やビラの配布、スピーカーの使用が禁じられているのです。私は、これは明らかに憲法に違反した無効な規定だと考えますが、「本郷湯島九条の会」としては違法とされていることはしないことにいたしました。

ですから、今私は「本郷湯島九条の会」の会員としての発言をしていません。飽くまで個人としての意見を表明しています。

選挙期間中といえども、個人として政治的見解を表明することに何の制約もありません。むしろ、選挙期間中は、有権者が最大限に表現の自由の享受を発揮しなければならないと思います。本日、ここに幾つかのポスターがあります。「いまこそ、9条守るべし」「核廃絶運動にノーベル平和賞」などのもの。中にはやや大型のポスターもありますが、すべて個人の意見表明としてなされているもので、団体の意思表明ではありません。

そして、たまたまこの場に居合わせた方が、ご自分の個人的な意見を表明したいとおっしゃっています。その方々に、順次マイクをお渡しします。

今日が大事な総選挙の公示日で、10月22日が投票日となります。このスピーカーを通じて流れる個人的なご意見は、その選挙の意義に関わる訴えになろうかと思いますが、あくまで本郷湯島九条の会としての発言ではないことをご理解ください。
(2017年10月10日)

アベも小池もこんな程度の人物。信頼してはならない。

昨日(10月7日)の毎日新聞第10頁「オピニオン」面に、編集委員伊藤智永の連載コラム「時の在りか」が載っている。今号は、「政治家の生き方を選ぶ」。政治家の生き方などどうでもよいことだが、冒頭のアベ晋三と小池百合子のエピソードが興味深い。

まずアベについて。

 衆院解散に反対だったはずの菅義偉官房長官に、側近議員が「なぜ同意したんですか」と尋ねたら、答えたそうだ。
 「反対したさ。でも、総理が言うんだ。国会が始まったら、またモリ・カケ(森友・加計両学園問題)ばかりだろ、もうリセット(機器の動作を最初の状態に戻すこと)したいんだって」
 安倍晋三首相が国会開会中は疲れきっていらいらし、国会が終わって外遊に出ると元気になるのは、衆目の一致するところだ。
 思えば10年前、第1次政権を放り出したのも9月、臨時国会初日に所信表明演説まで行った翌々日、各党代表質問の1時間前だった。理由は腹痛とされているが、記者会見で本人が述べたのは、国会運営の行き詰まりである。
 今回の解散理由である「国難」も、信を問うより先に国会で話し合うべきだが、伝家の宝刀を握る人は国会そのものが嫌だという。返答に窮した菅氏の顔が目に浮かぶようではないか。

おそらく、このとおりなのだろう。臨時国会冒頭解散の大義なんて、こんな程度のものなのだ。アベに国政運営の情熱は感じられない。もう、身を引いたらよかろう。政治家人生をリセットして、大好きな外遊で余生を過ごしてもらうことが、本人のためであるのみならず、日本の平和や民主主義のためにも望ましい。

さて、もうひとり。リセットおばさんこと小池百合子についてのエピソード。

小池百合子東京都知事が「私がリセットします」と割り込んできた時は、安倍首相も虚をつかれただろう。
 しかも、民進党の前原誠司代表が、党丸ごと希望の党に「合流」を即決して、首相は一時「どんな選挙結果になろうと、自分が責任を取る」と悲壮な言を口にしたという。
 しかし、それから1週間余、
 「排除」
 「踏み絵」
 「持参金」
 「股くぐり」
 「私は出ない」
 「全てが想定内」
 など情味を欠いた言葉が飛び交い、選挙戦に入る前に新党「ブーム」は失速気味である。
 政局が静かだった8月、小池氏と会った旧知の大学教授は、築地市場移転の話を振ったら、
 「どうだっていいじゃない、そんなこと。もっと前向きに次のこと考えなきゃ」
 と一笑に付され、国政への野望に鼻白んだという。

なるほど。これも、さもありなんと思わせる話。
小池にとっては、築地市場移転問題など、「どうだっていい、後ろ向きの話」なのだ。頭にあるのは、「権力欲に前向きの次のこと」だけなのだ。

このコラムは、「選挙が政治家の生き残り競争に終始したら、私たちは何を選べばいいか。個々の政治家の生き方に票を投じたらどうだろう。」という趣旨なのだが、その本論の方は面白くもおかしくもない。しかし、アベと小池の、こんなできすぎたエピソードがよく耳にはいってくるものだと感心せざるを得ない。

同じページの「みんなの広場」(投書欄)の4通の投書がみな読むに値する。うち3通は、アベ・小池のエピソードに関連する。中でも、「翼賛政治再来のような混乱」(無職・中村千代子・奈良市)が、アベ・小池を忌避して野党共闘にエールを送ろうという立場。スジが通って爽やかである。

大義なき衆院解散への怒りもどこへやら、連日メディアが取り上げる「希望の党」の動向が気になって仕方がない。綱領も抽象的で組織体制も確立していない新党に公認申請するため、政治信条をリセットし、踏み絵を踏まされた前議員らには怒りを通り越し、哀れささえ感じる。
「小池人気」にあやかろうと新党に吸い込まれるように群がる政党と前議員たち。戦後72年の今、翼賛政治再来を思わせる政党政治の混乱、未熟、堕落を目にするとは思ってもみなかった。この新党は現政権との対立軸を掲げるが、政党の核でもある安全保障・憲法観が自民党と変わらない。補完勢力ではなく、れっきとした“別動隊”だ。
 安保法制や「共謀罪」法の廃止を求めて市民団体と野党が築いてきた連携が新党設立で崩れるのではとの不安もあった。しかし暮らしの中での怒りや苦しみを政治の変革に求めて運動する市民と野党共闘の取り組みは揺らいでいないと思う。エールを送りたい。

メディアが作りあげる、「アベ・自民 対 小池・希望」の対立構図。確かにおもしろおかしいが、この構図の強調は「暮らしの中での怒りや苦しみを政治の変革に求めて運動する市民と野党共闘」勢力の存在を埋没させ、視野の外に追い出しかねない。

投書者が指摘するとおり、「アベ・自民」と「小池・希望」とは、政党の核である安全保障政策や憲法観において変わるところがない。希望は、れっきとした自民の“別動隊”なのだ。にもかかわらず、「アベ・自民か、小池・希望か」の構図だけを前面に出して保守2党しか選択肢を示さないとすれば、これは翼賛体制というほかない。指摘のとおり、「翼賛政治再来を思わせる政党政治の混乱、未熟、堕落」の事態である。この投書子のような良識に期待したい。

もう一つ。「『恥なし議員』に任せられない」(無職・松崎準一・68・堺市)も紹介しておきたい。

…日本を取り巻く国際情勢には確かに不安を覚える。きちんと国民を守り、各種の問題を確実に解決してもらいたい。ところが、不信感を払拭することもせず、「記憶にない」「記録は処分した」などとごまかしに力を注ぐありさまだ。恥ずかしげもなく、こんな振る舞いをする人たちに政治を任せたくない。今回はそのための選挙だと思う。
テレビなどのマスコミは「森友・加計」隠しの解散と批判しながら、関係が指摘された政治家を番組に呼んでも、司会者や評論家らは突っ込んで追及しない。不思議だ。“選挙劇場”として楽しんでいるだけではないだろうか。

まったくそのとおりだ。選挙戦を他人の“選挙劇場”として楽しんでいてはならない。自分たちの運命を自らが決する選択という自覚をもたなくてはならない。この社会がどうあるべきかについて、一人ひとりが責任を持たねばならないのだ。伊藤が紹介する、アベや小池のごとき無責任政治家の党に投票してはなない。
(2017年10月8日)

ICANのノーベル平和賞受章に官邸の不快感

ノーベル賞の季節である。例年ほとんど関心はないのだが、今年は別だ。平和賞に国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の受賞が決まった。核兵器の非合法化と廃絶を目指す活動、とりわけ今年の核兵器禁止条約成立への貢献に対する顕彰だという。

朝日デジタルが、第五福竜丸平和協会をインタビューして、安田和也事務局長の「核廃絶への期待だ」「核兵器廃絶に向けた取り組みに対する期待へのあらわれだと思う」とのコメントを記事にし、「受賞を喜んだ」と報じている。私も、平和協会の活動に携わる者の一人として、そして核廃絶を強く願う立場の一人として、「核兵器禁止条約推進運動の受賞」を喜ぶべき立場にある。

しかし、こんなとき「本多勝一はどう言うのだろうか」と思う。彼こそは、私の尊敬するジャーナリスト。この人ほど、ブレのない筋を通す人も珍しい。その本多が、ノーベル賞について、「もともと『賞』というものはすべて基本的に愚劣なのだろう。その中でも特に愚劣なノーベル賞は、かくのごとく、言語的文化的には『人種差別賞』であり、平和に関しては逆に『侵略賞』である。こんなものに断じて幻想を抱いてはならない」(「ノーベル賞という名の侵略賞・人種差別賞」)と言っているのだ。

文中に、その具体例として次の一節がある。1973年11月の文章。
「さて、このたび、その合衆国のキッシンジャー氏、あのB52によるハノイ市絨毯爆撃・大虐殺に最も貢献したキッシンジャー氏に、こともあろうにノーベル『平和』賞が決定した。私は心底から『おめでとう』を言いたい。なぜなら、ノーベル賞というものがいかに愚劣きわまるものかを、大衆に理解されるためにこれは大変役立つからである。これほど明快に本質を見せつけてくれた例は、これまで少なかった。」

また、本多は1978年に、「笹川良一氏にノーベル賞を」という過激な一文をものしている。これが傑作だが、長くなるので引用を控える。さわりは、「笹川良一氏というバクチの胴元と、同氏が受章した勲一等」とを「犬の糞と馬の小便」の取り合わせにたとえるところ。「実にピッタリ、こんなによい受賞者は他に少ない」としたうえで、「笹川氏には、そろそろノーベル賞などいかがであろうか。私は心から推薦したい。それによってノーベル賞の『馬の小便』ぶりが一層みんなに理解される…」という。なお本多には、「天皇にこそノーベル賞を!」(1974年)というエッセイもある。核付き沖縄返還の佐藤栄作が受章したノーベル平和賞である。そのイメージがよかろうはずはない。

だから、「反核運動にノーベル平和賞」を素直に喜ぶことにやや躊躇を覚えるのだが、今回はわが国の政府のお陰で、この躊躇を払拭できそうなのだ。

これも、朝日デジタルの記事から。
「日本政府は、核兵器禁止条約の採択に貢献した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞受賞の報を複雑な思いで受け止めている。核廃絶へ向けた意義を認める一方、核・ミサイルの脅威を高める北朝鮮に触れ「遠く離れた国と、現実の脅威と向き合っている我々とでは立場が違う」といら立ちを見せる外務省幹部も。首相官邸と同省は受賞を受けてのコメントを出さなかった。

核禁条約は9月に50カ国以上が署名し、早ければ来年中の発効が見込まれる。ICANの受賞は、核禁条約を政治的に後押しする可能性があるが、日本政府の不参加の立場は変わらない見通しだ。

ただ、日本政府内では受賞を契機に新たな懸念も出始めている。核兵器廃絶に向けて、欧州は2015年にイランが核開発を制限する見返りに経済制裁を解除する合意を米国などとともに結んだ。欧州にはイラン核合意と同様のアプローチが北朝鮮にも有効との主張もあり、今回の受賞で北朝鮮との「対話」を促す機運が高まれば、圧力強化を呼びかけてきた日本の方針がつまずきかねない。」

客観的にみて今年のICANへのノーベル平和賞は、核保有大国に政策転換を迫る力をもつものだ。トランプ政権にもアベ政権にも大きな打撃となり、一方国際的な反核運動のうねりにこの上ない励ましとなるだろう。

朝日はこうも伝えている。
「共産党の小池晃書記局長は6日、朝日新聞の取材に「核兵器禁止条約を主導したNGOの受賞は核兵器のない世界を目指す動きを励ますことになる。逆に日本政府の異常ぶりが際立つことになった」と述べた。」

今回のノーベル平和賞については、「侵略賞・人種差別賞」ではないことを確認しよう。そして、素直に大いに喜ぼうではないか。
(2017年10月6日)

アベにも小池にも、ノーを。キツネにもタヌキにもだまされてはならない。

もう一度よく思い起こして、肝に銘じておこう。第194臨時国会は、森友・加計疑惑追及の国会になるはずであった。憲法53条にもとづき、その趣旨で4野党が内閣に臨時国会の招集を要求したのが6月21日。安倍内閣は、開会となれば疑惑の追及に耐えがたいとして、これを棚ざらしにしたまま放置し、ようやく9月28日開会と決定したものの、所信表明すらないままの冒頭解散となって総選挙になだれ込んだ。まさしく、「モリ・カケ疑惑隠し解散」である。

とりわけ森友学園問題では、直接の当事者である近畿財務局の担当官と籠池夫妻との国有地売買における値引き交渉の録音が公開された。これで、従前の政府説明のウソが明らかとなってきた。アベ政権は、その新たな疑惑に向きあうのは不利と見て「疑惑隠し」解散に踏み切ったのだ。後付けの解散の大義など、取って付けた大ウソである。

「丁寧に説明します」というのが、これまでのアベのウソの常套句だった。「これからは丁寧にいたします」と誓約して、これを実行したためしはない。その常套句が最近変化しつつある。「丁寧に説明した」と過去形で語るのだ。いったいぜんたい、どこでどう「丁寧に説明した」というのか。アベは国民をなめきっている。「丁寧に説明しました」などという子供だましで、国民をごまかせると思っているのだ。万が一にも、総選挙で勝つことになれば、「森友問題も、加計学園も、共謀罪も集団的自衛権行使容認問題も、もうみんな丁寧に説明しましたよね」と言いかねない。

そこで、「国民をなめてはいけない」というメディアの調査報道に期待したい。今朝(10月5日)の毎日新聞の「『衆院選2017』 政治家、言葉軽すぎ 『丁寧な説明』で冒頭解散 / 中身明かさず改憲踏み絵」というファクト・チェックの調査記事が、記者のスジの通った姿勢を示している。小国綾子、和田浩幸両記者の署名記事。

記者は読者に、いや日本の民主主義にこう問いかけている。
「政治家の言葉が軽すぎやしませんか。決めたことや言ったことが数日でひっくり返る。安倍晋三首相の『自己都合』と批判される衆院解散で政治が混乱し、政治家たちが右往左往する。今回の選挙では何を信じ、何を基準に投票すればよいのか。」それを検証しようというのだ。

「『森友・加計学園問題隠し』と批判される安倍首相は、解散表明時に選挙を通じて国民に説明するとしたが、これまでの街頭遊説で言及はない。政権公約に掲げている憲法改正にも言及していない。

民進党の前原誠司代表は希望者全員合流を請け合ったが、希望の党の小池百合子代表は「(リベラル派を)排除する」と宣言。前原氏も「想定内だ」と述べ、周囲を驚かせた。

現状をどうみるか。識者2人に聞いた。
政治アナリストの伊藤惇夫さんは、首相が解散表明時、森友・加計問題について「丁寧に説明する努力を重ねてきた」と発言した点に注目する。「あぜんとした。それが大して問題にならないのも不思議です」北朝鮮情勢を踏まえ首相が不在時、東京で待機するとしていた菅義偉官房長官が地方遊説に出たことについても「はっきり言って虚言。そんなことが許されていいのか」とあきれている。

映画作家で米国在住の想田和弘さんは、政治家の言葉の変遷について「確信犯的なウソに見える」と言う。「首相は森友・加計問題で全然『丁寧な説明』をしていない。説明するつもりなら冒頭解散はありえない。結局は疑惑逃れでしょう」
返す刀で希望を批判する。「党綱領に『立憲主義と民主主義に立脚し』と盛り込む一方、憲法改正の中身を明らかにしないまま政策協定書で候補の“踏み絵”に使う。どこが立憲主義ですか」。想田さんは希望の唱える政権選択選挙に疑惑の目を向ける。「小池氏は選挙後の自民党との連立を否定していない。安倍政権にノーと言うつもりで希望に投票しても、ふたをあけたら自公と大連立ということになりかねません」(以下略)

「政治家の言動、どうなっているの?」と題する表が付けられている。
幾つかの項目を選んで、自民党と希望・民進の各トップの発言と、現実を対比したもの。「こうなるはずだったのが…」「こうなってしまって…」と、まとめられている。

まずは、自民党。
「(森友、加計学園問題では)批判も受けとめながら、国民のみなさまにご説明もしながら選挙を行う。(9月25日記者会見で安倍首相)」はずだったのが、現実には⇒「首相はこれまでの遊説で、森友・加計問題に言及せず」

菅義偉官房長官らは北朝鮮情勢に備え衆院選期間中も東京都内で待機し危機管理にあたる(9月26日に安倍首相が指示)」のはずが、⇒「10月1日に菅官房長官が北海道遊説。『官房副長官が待機し、万全の態勢であることに変わりはない』(2日の記者会見で菅氏)」

憲法改正(自衛隊明記、教育無償化、緊急事態対応など)の原案を国会に提案、発議(政権公約)」のはずが、⇒「安倍首相はこれまでの遊説で憲法改正に言及せず」

そして、希望や民進党も。
小池代表が国政に出ることもあり得る(希望の党の若狭勝氏が1日、NHKの番組で)」が、⇒「(衆院選には)出ない(2日の毎日新聞インタビューで小池氏)」

「(政権交代は)次の次(の衆院選)くらい(若狭勝氏・NHK)」が、⇒「今回の選挙で政権を狙いたい。まずは単独政権(毎日新聞・小池氏)」

「(希望への合流では)誰かを排除するわけではなく、みなさんと一緒に進む」(9月28日の民進党両院議員総会で前原誠司代表)」のはずが、⇒「(リベラル派は)排除する。(9月29日記者会見で小池氏)」「現時点では全てが想定内(10月3日前原氏)」

消費税が2~3%高くなっても安心して過ごせる社会を(安倍政権への)対立軸として示したい。(8月20日、上尾市での代表戦遊説で前原氏)」だったが⇒「民進党から合流した前職らに希望の党が示した政策協定書は『消費税の10%引き上げ凍結容認』」

こうしてファクトチェックしてみると、「言葉軽すぎおじさん」と「リセットおばさん」。その無責任さかげんにおいて、竜虎相譲らない。いや、両名とも徹底して国民をだまそうとしているのだ。有権者はしっかりと見極めなければならない。政治家の言葉の軽さの裏に意図的なダマシがあることを。キツネにもタヌキにもだまされてはならない。でなければ、待ち受けるものは改憲翼賛体制なのだから。
(2017年10月5日)

神様も「護憲勢力に清き一票を」と言っている。

ずいぶん長かった印象の今年の9月だが、今日で終わる。都会にも秋の気配。上野周辺を歩くと、紅葉にはまだ早いがさすがに落ちついた雰囲気。

たまたま立ち寄った五條天神社頭の掲示板に、「平成二十九年九月 生命の言葉」が。

 虎に乗り かたはれ船に 乗れるとも
 人の口端に 乗るな世の中

「かたはれ船」は「片破れ船」であろう。出典は荒木田守武の『世中百首』からの言葉だそうだ。「世間体が大切。人の噂にならぬよう身を処しなさい」という、何ともつまらない処世訓。だが、社頭に飾られたからには、今月中は神様の言葉だ。これが目に止まったのは本日なればこそ。次のように誤読したからだ。

 アベに乗り 沈む前原にすがるとも
 乗るな 百合子の口車

もちろん、アベの自公与党を支持してはならないし、沈没目前の前原民進も頼むに足りない。だからといって、けっして百合子の口車に乗せられてはならぬぞよ、という、あらたかなご託宣。眼光紙背に徹して、行間を読めば、天神様も「このたびの総選挙では護憲勢力に清き一票を投ぜよ。さすれば、国家安穏・天下太平の御利益を与えん。この旨ゆめゆめ疑うことなかれ」と言っておいでなのだ。

散歩から帰って、パソコンを開けたら、旧友小村滋君からの【アジぶら通信 第34号】が届いていた。題字に冠して「アジアは広くニホンは深く」と副題がついている。元朝日の記者だった小村君とそのごく少数の仲間たちによるメルマガ個人紙。関西人ながら沖縄にのめり込んだ小村君が、沖縄の運動の立場で発信を続けている。広告収入一切なし。カンパの要請を受けたこともない。こんなミニコミも訴える力をもっている。実はこのメルマガ、私には必ず2度届く。小村君から受信した知り合いが、私にもBccで転載してくれるからだ。

今号は5頁建て。トップは、「沖縄は不屈? 世界に発信 9/29 小凡・記」。映画「米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー」の紹介記事である。なお、小凡が彼のペンネーム。

次いで、「『オール沖縄』に平和賞」の記事。
ドイツの平和団体「国際平和ビューロー」(略称IPB、ノーベル平和賞受賞団体)からオール沖縄会議に「ショーン・マクブライド平和賞」が 授与されるという内容だが、そのなかに小村君の思いが次のように述べられている。

「安倍政権は9月28日、“思いつき身勝手”解散を強行した。民進党は、小池新党『希望の党』に抱きついた。本土の新聞もTVも意味不明の“合流報道”で埋めつくされた。従来の野党連合はつぶれた。沖縄の辺野古新基地阻止は、本土の政局から孤立していくようだ。
しかし沖縄は元気だ。10月1日で普天間基地にオスプレイが配備されて5年になる。琉球新報は、連日、オスプレイ配備5年の調査報道だ。9月28日付は全県世論調査の記事で埋めた。「オスプレイ『危険』72%」がメインカット、「県民68%『撤回を』」が次に大きな見出し。3番手の見出しに「辺野古移設反対80%」とある。これなら沖縄の衆院4小選挙区とも翁長知事を支援する組織「オール沖縄会議」陣営が勝てるのではないか。沖縄は、わが道を進んでいる。」

なるほど、民進の崩壊は、各地の平和運動や市民運動に直ちに影響するのだ。「従来の野党連合はつぶれた。沖縄の辺野古新基地阻止は、本土の政局から孤立していくようだ。」という指摘は重い。「しかし、沖縄は元気だ」という言葉に救われる。そして、「従来の野党連合」はまた新しい運動の枠組みにつながるはずだ。それまでは、沖縄が本土を見捨てず、元気でいてほしい。

ところで、「オスプレイ『危険』72%」の数値は、さらにアップ することになる。昨29日夕刻、米軍普天間飛行場所属のオスプレイ2機が、新石垣空港に緊急着陸したからだ。その内1機はエンジントラブルで自力走行できず、車の牽引によって誘導路から除かれたという。翁長知事が、「こうした事態が繰り返されることに県民は大きな不安を感じている」と述べたが、もう何度目になることだろう。さらに、本日(30日)シリアでもオスプレイが墜落、米兵2名が負傷との報道。

明日(10月1日)のオスプレイ配備5周年には、あらためて「オスプレイ出ていけ」の声が高くなるだろう。日本全土を我がもの顔に飛びまわるオスプレイの危険が、今ここにある「国難」となっているのだから。

このオスプレイ国難を突破するには、アベに乗ってはだめ。沈む前原にすがっても無理。ましてや百合子の口車に乗せられては、オスプレイ撤退の実現はあり得ない。「オール沖縄」と、本土の「市民と野党連合」とで闘い続けるしか展望は開けないのだ。

(2017年9月30日)

前門の虎でも後門の狼でもなく、鳩をこそ選択を。

激動の臨時国会冒頭解散の一日(9月28日)が明けて。メデイアの報道は、《アベ与党》対《小池新党》対立の構図で充ち満ちている。あたかも、有権者の選択肢はこの二者しかないかのごとくだ。しかし、どちらを選んでも、改憲勢力である。どちらも働く市民の味方ではない。どちらも、平和と民主主義を目指す勢力ではない。

かたや、《アベ与党》は虎である。これまで大企業の利益をもっぱらにして勤労市民に犠牲を強いてきた凶暴な虎。自分勝手なトランプとの同盟関係の堅固を誇る危険な虎。傍若無人に密林に君臨するようになって5年に近く、今や「9条改憲」と吠えている老虎である。

こなた、《小池新党》は狼である。前門の虎から逃れようとする人々を後門で待ち構える若い狼。小池百合子の権力欲に形を与えるとまさしく狼の姿となる。「日本のこころ」の代表を原始メンバーに加えておいて、民進の護憲リベラル派の参加には牙をむいて排除しようという、その心根が既に狼である。有権者は、火を避けて水に陥る愚を犯してはならない。

目前の総選挙の争点はなによりも「憲法」。対抗軸は「改憲か護憲か」である。警戒すべきは明文改憲だけではなく、解釈改憲も、なし崩し壊憲も、である。「虎」も「狼」も改憲勢力であり、平和主義・民主主義・立憲主義・人権原理に背を向けるからこそ危険な存在なのだ。どちらを勝たせても、特定秘密保護法も戦争法も共謀罪もなくなることはない。もしかしたら、改悪される恐れすらある。

選挙の主人公は、政党でも候補者でもない。もちろんメディアでもなく、飽くまでも有権者こそが主人公である。主権者が国政の進路を決定するために、このときに有権者として立ち現れるのだ。主権者が自らを主権者として自覚する機会でもある。

その主権者は、けっして改憲も壊憲も望んではいない。平和と人権と民主主義の確立と堅持とを望んでいる。その主権者の意を体する市民と野党が、護憲勢力として結集し、共闘の条件整備の努力を積み重ねてきた。政党は、その共闘の主体としての市民をけっして裏切ってはならない。

勤労市民にとっては、虎と狼とどちらを選んでも後悔することになる。改憲指向の保守2党しか選択肢がないとすれば、大政翼賛状況に等しい。10月10日の公示までには全選挙区に主権者の選択肢として、虎でも狼でもない護憲の鳩が羽ばたくことになるだろう。

いま、目の前に繰り広げられた突然の事態に、メデイアも有権者も戸惑いを隠せない。劇場型の政治の流れに翻弄されてメディアの誤導が甚だしいが、これに惑わされてはならない。もう少し落ちつけば、虎と狼の本性が暴かれることになるだろう。まだ時間はある。一時的な暗転に目を眩まされることなく、落ちついて政策や候補者を見極めよう。とりわけ、小池百合子とはこれまで何をし、どんな発言をしてきた人物なのかを見据えよう。

そのうえで、ぜひとも、前門の虎でも後門の狼でもない、護憲の鳩をこそ選択するよう呼びかける。
(2017年9月29日)

憲法学者90名の疑惑隠し解散批判緊急声明

政治情勢の一寸先は闇、とはよく言ったもの。
9月1日の民進党臨時党大会における代表選挙が始まりだった。前原新代表の幹事長人事の不手際から、野党側の態勢不備とみての政権側からの解散風。まさかと思っているうちに解散が現実のものとなった。17日の朝刊が一斉に解散本決まりと報道し、総選挙は「アベ改憲政権」対「立憲野党連合」の対立構図かと思いきや、今週になって思いもかけない突風にかきまわされる政局模様。

これまで選挙共闘を目指してきた「市民と野党」を糾合する大義は、憲法擁護である。明文改憲阻止だけではなく、平和・民主主義・立憲主義の堅持でもある。具体的には、戦争法の廃止、共謀罪の廃止。アベ政権打倒は共通のスローガンではあつたが、けっしてこれを自己目的とするものではない。

誰もが改憲勢力と護憲勢力との壮大な選挙戦の構図を思い描いていた。当面は議席の3分の1の確保が現実的目標。小選挙区基調の現行制度でもそれは可能だと考えてきた。ところが、「リセット新党」の進出で民進党が事実上解党した今、「一寸先は闇」となった。

それでも、「市民+野党?民進」で、護憲勢力を糾合して選挙戦を闘うしかない。護憲勢力による、護憲のための、護憲選挙である。

小池新党とは何か、「保守+右翼」勢力であり、明らかな改憲勢力ではないか。これがアベ政権と張り合う実力を持つとすれば、改憲指向二大政党体制の出来となる。これは、現代版大政翼賛会の悪夢というほかはない。

護憲勢力は、地道に愚直に改憲阻止と、憲法理念の実現を訴え続けるしかない。幸いに、護憲の思想と運動は多くの無党派市民層に強固な支持基盤を持っている。選挙の主体は、「護憲政党+護憲市民」だ。

護憲派の闘う相手は二つ。一つは、「疑惑隠しおじさん」率いる旧改憲勢力。もう一つは「希望リセットおばさん」が君臨する新改憲勢力。両勢力との対決の中で、改憲を阻止するに足りる議会内勢力確保を目指さなければならない。

そんな事態の今日(9月28日)、衆議院が解散した。党利党略の疑惑隠し解散である。昨日、憲法学者90名が、「臨時国会冒頭解散に対する憲法研究者有志の緊急声明」を発表している。その全文をご紹介したい。

内閣総理大臣の「専権事項」論が誤りであることが中心だが、現情勢下の憲法論議のあり方や、森友加計隠し批判、メデイアへの注文などにも言及されていて、読み易く読み応えがある。

この層の厚い憲法学者たちも、護憲派の強い味方だ。

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臨時国会冒頭解散に対する憲法研究者有志の緊急声明
2017.9.27

1.安倍首相は、9月28日の臨時国会の冒頭に衆議院を解散すると表明した。この結果、10月22日に衆議院総選挙が行われることとなった。わたしたち憲法研究者有志は、この解散・総選挙にいたる手順が、憲法の規定する議会制民主主義の趣旨にまったくそぐわないものであること、今後の衆議院総選挙とその結果が、憲法と立憲主義を危機にさらすものであること、主権者がこの総選挙の意味を充分に認識し、メディアがそれを公正な立場から報道することが必要であること。以上の諸点に関して、ここに緊急声明を発表する。

2.臨時国会の召集請求が長く放置されてきたこと
今回の臨時国会の開催は、6月22日以来、野党が開催を求めていたものである。日本国憲法53条は「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」と規定している。
しかしながら安倍内閣は、その要求を無視し、臨時国会の開催をいままで先送りしてきた。正当な理由なく臨時会の召集を決定しなかったことは、野党による国会開催の要求権を事実上奪うものであり、少数派の意見も反映させて国政を進めるという議会制民主主義の趣旨に反する。

3.森友・加計問題を国会の場で明らかにしない点について
政治の私物化が濃厚に疑われる森友・加計問題を国会で明らかにすることは、主権者国民の希望であり、野党の求めていたことである。しかし臨時国会冒頭で衆議院を解散し、野党からの質問もいっさい受けないという内閣の姿勢は、民主主義の名に値する議会運営とはまったくかけ離れたものとなっている。
内閣は、国会に対して連帯して責任を負う(憲法66条3項)という議院内閣制の原則からすれば、安倍内閣および与党は、森友・加計問題について、早急に国会に資料を提出し、参考人・証人の喚問に応じなければならないはずである。
今回の解散は、「丁寧に説明をする」という首相自身の声明にも反する。実質審議なしの冒頭解散は、首相が疑惑追及から逃げ切り、国民に対する自らの約束を公然と破る暴挙に出たと言わざるを得ない。

4.内閣の解散権の濫用について
日本国憲法の定める解散権の所在および憲法上の根拠については、衆議院が内閣不信任を議決した場合・信任を否決した場合の69条の場合に限るとする説と、内閣の裁量によって7条を根拠に解散を行いうるとする説がある。しかし7条根拠説であっても、内閣の解散権行使は重大な権力行使であるため、党利党略に基づく自由裁量であってはならず、一定の限界があるという点では一致している。
衆議院の解散は、重要な問題について国民の意思を問うための機会としてなされるべきであって、国民の意思表明を求める必要があり、また選挙を通してその意思表明が行われる条件が整った場合に限られるのである。
この点、今回の解散・総選挙では、解散を事実上決定したのちに選挙の争点を決めるといった、泥縄式に争点が設定されたものであり、国民は何を基準に投票を決めれば良いのかがわかりにくい。このような解散権行使は濫用であって、憲法7条の趣旨に違反するものである。首相の猛省を促したい。

5.内閣総理大臣の「専権事項」論が誤りであることについて
なお、内閣の衆議院の解散権については、内閣総理大臣の専権事項であるとして、安倍首相の意思を尊重すべきだという議論がある。しかし憲法7条に基づく解散は、内閣の助言と承認によって天皇が行う国事行為である。したがって解散の実質的決定権は,内閣総理大臣ではなく、あくまで内閣という合議体に帰属するものである。

6.改憲論議のあり方について
また、今回の解散を受けて始まる選挙においては、改憲問題が主な争点の一つになると伝えられている。近年、一部政治家などの間で、現在の政治、社会のさまざまな問題の原因をきわめて乱暴にあたかも憲法の規定するところに基づくものであるかのように描き、まるで、憲法を変えることで、人々の不安や不満を解決できるかのように煽るといった、ためにする改憲論、情緒的な改憲論が広がりつつある。そのような改憲論に対する理性的な検討や批判は、しばしば「現実を知らない理想論」「世間知らずの学者の議論」だと揶揄され罵倒されることも増えている。
このような傾向は未だ支配的ではない。しかしこれを放置することは憲法政治にとってのみならず、この国の自由で伸びやかな社会と平和の将来にとって極めて危険である。このたびの選挙において、そのような傾向が強まることを私たちは警戒し、こうした傾向や「流れ」に抗して、静かに、しかしきちんと私たち憲法研究者も声を挙げていきたいと思う。

7. 9条3項加憲論を選挙の公約に出してくること
安倍首相は、自民党の公約に、憲法9条3項に自衛隊を明記する規定を追加する改憲を掲げる予定と報じられている。わたしたちは、この改憲は日本国憲法の平和主義に対する大きな脅威であると考える。
同時に、このような公約が、与党内における充分な議論を経ず、文言の精査も行われないままで、国民の「判断」に付されようとしていることについて、立憲主義の立場からの危惧を覚えざるをえない。今後、数を頼りに憲法審査会での議論を強引にすすめ、本会議での乱暴な審議を経て、予定した時期までに国会による発議を成し遂げることに邁進するというのであれば、なおさらである。憲法は国の最高法規であり、その規定は、他の法律や命令などの在り方を規定するものである。改憲はそれをどうしても必要とする事実が存在し、また改憲によってその目的が達成される場合に限って行われるべきである。9条に3項を加える議論は、どのような目的で行われ、その結果どういったことが実現するのか。まったく議論されていない中での選挙における公約化は、憲法の重みをわきまえない、軽率な改憲ごっことでも評すべきものである。

8.ところで、いま日本のマスメディアが、現実に正面から向かいあって深く掘り下げることを曖昧にし、ただ目新しいものを追いかけ、それを無批判に報道する傾向を強めていることは、われわれ憲法研究者が憂慮するところである。しかし、そのような中にあっても多くのジャーナリストが批判的観点を忘れず、日々努力していることを私たちは知っている。今度の選挙にあたって、自由で闊達な報道がなされることを私たちは強く期待するものである。

9.安倍内閣は、秘密保護法・安保法・共謀罪法などの重要法案において、憲法違反の疑いが指摘されていたにもかかわらず、前例のない乱暴な国会運営によって、それらを成立させてきた。また自衛隊PKO日誌問題や森友・加計事件などにおいては、国会と国民に情報を適切に提供することや、公開の場で真実を究明することを妨げてきた。
今回の選挙は、憲法政治をさらに危険な状況に陥らせるおそれがある。しかし、それと同時に、市民の努力によって憲法政治を立て直す大きな可能性をもつものでもある。その意味では、主権者としての見識と力量を発揮するチャンスが到来したというべきである。
憲法を擁護するため、わたしたち国民に、「不断の努力」(憲法12条)、「自由獲得の努力」(憲法97条)が、いまほど強く求められたことはない。しかしその「努力」は必ずや実を結ぶであろう。そのことは歴史的事実であり、また私たちはそのことを信じている。

以上
憲法研究者有志一同(あいうえお順) 総数90名(2017.9.27現在)
愛敬 浩二(名古屋大学)
青井 未帆(学習院大学)
青木 宏治(高知大学名誉教授)
浅野 宜之(関西大学)
麻生 多聞(鳴門教育大学)
足立 英郎(大阪電気通信大学名誉教授)
飯島 滋明(名古屋学院大学)
井口 秀作(愛媛大学)
石川 多加子(金沢大学)
石川 裕一郎(聖学院大学)
石村 修(専修大学名誉教授)
稲 正樹(元国際基督教大学)
植野 妙実子(中央大学)
植松 健一(立命館大学)
植村 勝慶(國學院大學)
浦田 一郎(一橋大学名誉教授)
浦田 賢治(早稲田大学名誉教授)
榎澤 幸広(名古屋学院大学)
江原 勝行(岩手大学)
大内 憲昭(関東学院大学)
大久保 史郎(立命館大学名誉教授)
大津 浩(明治大学)
大野 友也(鹿児島大学)
大藤 紀子(獨協大学)
岡田 健一郎(高知大学)
岡田 信弘(北海学園大学)
奥野 恒久(龍谷大学)
小栗 実(鹿児島大学名誉教授)
小沢 隆一(慈恵医科大学)
押久保 倫夫(東海大学)
柏? 敏義(東京理科大学)
金子 勝(立正大学名誉教授)
上脇 博之(神戸学院大学)
河合 正雄(弘前大学)
河上 暁弘(広島市立大学)
菊地 洋(岩手大学)
北川 善英(横浜国立大学名誉教授)
君島 東彦(立命館大学)
清末 愛砂(室蘭工業大学)
倉持 孝司(南山大学)
後藤 光男(早稲田大学)
小林 武(沖縄大学)
小林 直樹(姫路獨協大学)
小林 直三(名古屋市立大学)
小松 浩(立命館大学)
笹沼 弘志(静岡大学)
澤野 義一(大阪経済法科大学)
志田 陽子(武蔵野美術大学)
清水 雅彦(日本体育大学)
菅原 真(南山大学)
杉原 泰雄(一橋大学名誉教授)
高佐 智美(青山学院大学)
高橋 利安(広島修道大学)
高橋 洋(愛知学院大学)
竹森 正孝(岐阜大学名誉教授)
多田 一路(立命館大学)
建石 真公子(法政大学)
千國 亮介(岩手県立大学)
塚田 哲之(神戸学院大学)
寺川 史朗(龍谷大学)
長岡 徹(関西学院大学)
中川 律(埼玉大学)
中里見 博(大阪電気通信大学)
長峯 信彦(愛知大学)
永山 茂樹(東海大学)
成澤 孝人(信州大学)
成嶋 隆(獨協大学)
西原 博史(早稲田大学)
丹羽 徹(龍谷大学)
根森 健(新潟大学フェロ?、神奈川大学)
藤井 正希(群馬大学)
藤野 美都子(福島県立医科大学)
前原 清隆(日本福祉大学)
松原 幸恵(山口大学)
宮井 清暢(富山大学)
三宅 裕一郎(三重短期大学)
三輪 隆(埼玉大学名誉教授)
村上 博(広島修道大学)
村田 尚紀(関西大学)
本 秀紀(名古屋大学)
元山 健(龍谷大学名誉教授)
森 英樹(名古屋大学名誉教授)
山内 敏弘(一橋大学名誉教授)
横尾 日出雄(中京大学)
横田 力(都留文科大学)
吉田 栄司(関西大学)
吉田 善明(明治大学名誉教授)
若尾 典子(佛教大学)
和田 進(神戸大学名誉教授)
渡邊 弘(鹿児島大学)

「つなぐ会」が、明日への希望をつなごうとしている。

世は挙げての総選挙モード。アベ政権の疑惑隠し解散が目前である。あらためて、アベ晋三という人物の解散理由説明に接して、どうしてまたこんなオジさんにわが国の政権が預けられているのかと情けない。保守政治家のなかにも、これよりはマシなのが大勢いるだろうに。

メディアの話題は、もっぱら「リセットおばさん」の新党立ち上げ。こちらも保守でコテコテの改憲派だが、消費増税凍結と原発ゼロの政策を掲げるようだ。このクセ球が、いかにもポピュリストの匂い。それだけに、護憲派の票を蚕食しかねない不気味さ。

護憲派は、愚直に王道を行くしかない。全国の小選挙区で可能な限り、「市民と野党の統一候補作り」を進めることだ。与党候補との1対1の対決の構図を作ることが焦眉の急の課題。なにしろ、9月28日解散で、公示は10月10日の見通しである。候補者調整は可及的すみやかに実行されなくてはならない。遅くとも期限は10月10日まで。半月の勝負。つくづくと、党利党略解散の思惑が見えてくる。

「市民と野党をつなぐ会」が各地にできている。今、この市民運動に期待がかかる。
たとえば、「市民と野党をつなぐ会@東京」が、ずいぶん以前からホームページを立ち上げている。
https://tunagu2.jimdo.com/

なお、ツイッターは、
https://twitter.com/tsunagu_tokyo

「当会は、都内25の衆議院小選挙区のそれぞれで、「市民と野党の統一候補作り」を進める市民団体の横の連絡会です。」と趣旨を述べ、共闘についての「最近のニュース」を載せ、「政策協定例」や「各地の市民組織」「その動向」「資料」が掲載されている。

昨日(9月25日)付のニュースは以下のとおり。
「9/25、民進党の長妻昭 東京都連会長(党本部の選挙対策委員長も兼任)と面談し、早期の四野党による候補者調整と候補者発表を要請致しました。つなぐ会からの要請書に加え、預かってきた11区の「チェンジ国政!板橋の会」、2区の「みんなで未来を選ぶ@文京台東中央」からの要請書も手渡しました。」

9月23日には、「めぐせた 解散直前の決起集会」
いよいよ国会解散を前にして、めぐせたでは、9/23決起集会を開きました。東京5区、6区の民進党、共産党の候補者が、それぞれ力強い決意表明をしました。集会後半では、5区と6区に分かれて、今後の具体的行動計画について打ち合わせを行いました。
動画(6分半)https://youtu.be/ZfZefvFJp-E
*(各地の活動)「みんなで未来を選ぶ@文京台東中央」での政策作り
動画(7分)https://www.youtube.com/watch?v=4EHcs6b-JzQ&feature=youtu.be

9月21日は、「しぶなか市民連合、7区の民進党・共産党に申入れ」
突然の解散総選挙、しぶなか市民連合は野党共闘の実現に向けて、行動をスタートさせています9月21日、私たちの選挙区である東京7区の民進党・共産党の選対担当者にお目にかかり、「野党統一候補実現のための申し入れ書」をお渡ししてまいりました。
民進党は長妻昭衆院議員の秘書のかた、共産党は渋谷区委員会の選対委員長にお受け取りいただきました。この申し入れを皮切りに、衆院選を安倍政権にストップをかけるチャンスと捉え、市民が望んできたかたちで野党共闘が果たされるよう、私たちも持てる力を尽くします!

9月21日付で、「解散に向け、早期の候補者決定を求める要請書」の記事もある。
当然のことだが、候補者調整は容易なことではない。
「(1)冒頭解散目前にもかかわらず、民進党は共闘に関して足踏み状態です。他方、共産党は一方的に降ろすことはしないとして、相互推薦・相互支援を求めています。このままでは、安倍政権は倒せません。地域で市民と野党の共闘を創り、下から状況を変える運動をしてきた当会の真価が発揮される時です。9/21のつなぐ会緊急拡大運営委員会では、幾つかの地域からの実践報告がされた後、4野党への要請書の文案を後述のように決めました。
方針提案の動画(9分半)  https://youtu.be/XeSOQ1DfEQ8
(2)特に意見交換があったのは、候補者擁立を見送る党への敬意の表し方でした。候補者擁立を見送ることは、降りるご本人の葛藤はもちろんのこと、政見放送の回数減、宣伝カーの台数減等で比例票において不利益を生ずる深刻な問題が政党側にあります。だから今まで衆議院選で野党一本化はありませんでした。その不利益に対する思い遣りも、代替案も無く、一方的に候補者を降ろせという話は政党間でも、市民からでも通らないと思います。しかしながら、こうした問題に対して、市民は事情に疎いため、地域組織でほとんど討論されてきませんでした。そこで、連絡会としては、下記4番の表現とし、その貢献を広く知らせることとしました。
(3)「一本化」という単語は、様々なケースを含みます。「共同候補、相互推薦、相互支援」が望ましく、最低限、地域の市民組織を介した政策協定の合意によるブリッジ共闘は必要と考えられます。しかし、1項の政策協定の合意もなく、単なる野党の棲み分けとなった場合、それを2項にある応援の対象とするかどうかは、その地域の市民組織と個人が判断することになります。

——————-要請書————————-
四野党 様
「野党候補一本化の要望と、第一次発表候補者リストの提案」 2017/9/21「市民と野党をつなぐ会@東京」

1.安保法制廃止等の政策協定の合意を前提に、早急に候補者の一本化を求めます。特に現職については最優先で発表して頂きたい。(第一次発表候補者リストの提案参照)
2.四野党で一本化された候補者を「市民と野党をつなぐ会@東京」は全力で応援します。
3. 四野党から複数立候補の小選挙区に関して、当会としては応援しません。

4.大義のために候補者擁立を見送られた党の英断に対して、当会は敬意を表し、その貢献が選挙全般において正当に評価されるように広く呼びかけます。当会のHP、SNSに掲載し、広く知って頂くようにします。
(注)「市民と野党をつなぐ会@東京」は地域組織の連絡会なので、実際に判断をするのは各地域組織と個人です。個人がそれぞれの判断で行動することは当然のことです。当会として、一本化候補の地区への応援集中を呼び掛けはしても、複数立候補の地区への応援を呼び掛けることはないということです。
——————————
第一次発表候補者リストの提案
(四野党現職の小選挙区候補者で、政策協定が結べると見込まれる候補者)
【前回、小選挙区で当選している議員】
7区 長妻昭(民進党)、15区 柿沢未途(民進党)
【前回、比例復活で当選している議員】(もし今回小選挙区で当選できれば、他の人が比例議員となれるので、民進党が2議席、共産党が2議席純増となる)
6区 落合貴之(民進党)、16区 初鹿明博(民進党)、12区 池内沙織(共産党)、20区 宮本徹(共産党)
(注)18区の菅さんは新党結成に言及されており、当会としては四野党のご判断に立ち入らない立場から、第一次リストには記載していません

長妻さんからは「四野党で協議を進めている」「市民からこのような後押しがあることは、大変ありがたい」とのお話しがありました。」

各地の市民組織の名称は以下のとおり。
《東京》
第1区 東京1区市民連合(仮称)準備会
第2区 みんなで未来を選ぶ@文京台東中央(略称ぶたちゅう)
第4区 戦争法廃止オール大田実行委員会
第6区 市民連合 めぐろ・せたがや(略称めぐせた)
第7区 選挙で変える!しぶや・なかの市民連合(通称しぶなか市民連合) 
第8区 自由と平和のために行動する議員と市民の会@杉並  
第9区 練馬・みんなで選挙(略称ねりせん)  
第10区 TeNネットワーク
第11区 チェンジ国政!板橋の会?
第12区 みんなで選挙@東京12区準備会
第13区 市民と政治をつなごう!市民連合あだち 
第15区 江東市民連合(2017/10/1発足予定)
第16区 市民連合えどがわ(仮称)準備会
第18区 選挙で変えよう!こがねい市民連合
    選挙で変えよう!ふちゅう市民連合???
    統一候補を実現する武蔵野の会
    みんなで選挙東京18区 (ミナセン18区) 
第19区 安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合@国分寺(略称・市民連合@国分寺)
第20区 選挙で変えよう東久留米市民連合
    選挙でかえよう20区市民の会(仮称)準備中
第21区 アベ政治を許さない日野市民連合
    UNITE!ひの 
第22区 東京22区市民連合(仮称)2017/11/18立上げ予定
第23区 市民連合東京23(仮)
    まちだ市民連合 2017/10/7発足予定
    市民連合・多摩 2017/10/7発足予定
第25区 あにすんだ勝手連東京25区
    選挙で変えよう!市民連合あきる野
    選挙で変えよう!市民連合@昭島 2017/9/26発足予定

なお、「つなぐ会@東京」のツィッター版に、次の記事が掲載されている。
https://twitter.com/tsunagu_tokyo/status/909793939992936448

次期衆院選で【野党共闘】が実現すると、
60選挙区で与野党の勝敗が逆転
ほぼ拮抗も合わせるとなんと93選挙区で接戦
(2014衆院選結果をベースに試算)

「つなぐ会」とは、「市民と野党をつなぎ、各野党をつなぐ会」の意だが、つなぐことで希望が見えてくる。改憲を阻止して立憲主義を堅持する。そして議会制民主主義と平和を確かなものにする明日への希望である。全国各地の「つなぐ会」は、明日への希望をつなぐ会でもある。
(2017年9月26日)

丁寧に説明すれば、解散の大義は「こくなんとっぱ」

本当は、自分でも恥ずかしい。「国難突破解散」だなんてね。我ながら、よくもまあ大袈裟に言えるもんですよね。照れくさがらないで。でもね、私も政治家のはしくれですからね。

私にだって、ほんの少しですけど知性のカケラくらいは残っていますから、気恥ずかしさが先に立ってしまってね。声が上ずっていたでしょう。役目がら仕方がないと思ってくださいよ。

これまでも、自信のないときにこそ大きな声で、思い入れたっぷりにデンデンと原稿読んできましたがね。今回ほど忸怩たるスピーチは記憶にありませんね。「引っ込め、大根!」なんて声がかかるんじゃないか。焦りましたね。

それでもね。成り行きですからね。これ以外思いつきませんからね。精一杯声を張り上げたんですよ。
「この解散は国難突破解散だ。急速に進む少子高齢化を克服し、我が国の未来を開く。北朝鮮の脅威に対し、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この国難とも呼ぶべき問題を私は全身全霊を傾け、国民とともに突破していく決意だ」ナンチャッテ。

でもね、正直のところ北朝鮮のお陰です。後付けですけどね、国民に信を問うための「大義」みたいなものを拵えあげることができたんだから。金正恩には、足を向けて眠れませんよ。

今日の会見で、解散の理由を説明できたとは思っていません。当の私がそういうのだから間違いありません。当たり前じゃないですか。

「急速に進む少子高齢化を克服し」って消費税増税分の一部を財政再建ではなく、福祉にまわそうってこと。こんなことが解散の理由になるばずないですよね。そもそも10%への消費税増税なんて再来年の10月のこと。その使途を国民に問うための突然の解散なんて、常識ではあり得ませんよね。私も苦しい。むしろ、民意を問うなら堂々と国会で説明して論戦すべきところでしょう。アベノミクスの継続だっておんなじ。解散理由になんてなりっこない。そんなことは指摘されるまでもなく、私にだって分かってますよ。だけど、これくらいしか言えることはないんです。分かってくださいよ。

本当は、「疑惑隠し」の、「ジリ貧だから今のうち解散」だってことは、皆さんよくご存じですから、解散の大義なんて説明のしようはないんですよ。「史上最低の私利私欲解散」て言われてもね。そのくらいは覚悟の上での解散・総選挙なんでね。

大仰、ダサイ、クサイ、説明になってない。なんと言われようと、選挙に勝つこと最優先ですから、これでよいのです。

それでも、私だってまんざらバカではない。喉まで出ていた改憲については、グッと押さえて言わなかったんですよ。選挙前には強調せずに、選挙で勝ったら言い出せばよい。これまでどおり、勝ってしまえば、私のすること全てに支持をいただいたと主張できるんですよ。

「こくなんとっぱかいさん」って、アナグラムで「こんなとっくさ かんぱい」(「こんな特区さ、乾杯」)。加計学園問題を折り込んでいるんですよ。
それから、「こくなんとっぱ」は、逆さに読むと「ぱっとんなくこ」。「ぱっと泣く子」みたいな語呂合わせ。この解散、もしかしたら、泣く子を起こすことになりはしませんかね。多くの人々が、再び安倍内閣の「モリカケ疑惑」や「丁寧な説明の約束」を思いだして、批判票を積み上げたりしなけりゃいいんですがね。心配になってきちゃった。
(2017年9月25日)

 

熊本の野党間選挙協力の動向に注目

総選挙が近い。きたる選挙ではアベ政権の凋落を見たい。できることなら、その断末魔を見届けたい。
護憲派議席拡大という朗報を聞きたい。かつてのごとく、議会の中に「堅固な3分の1の壁」の再構築を期待したい。

そのためには、まずは選挙共闘である。現行の小選挙区制を前提とせざるを得ない以上、護憲派が選挙に勝つためには、共闘による候補者調整が必要である。これが難儀だ。実に難しい。難しいけれども、これを乗り越えずして護憲派の勝利はなく、日本国憲法典の安定もない。

私の地元でも、市民による候補者一本化の議論が急速に盛りあがっているが、さて何を共闘の共通課題とするか、一致点をどこに定めるべきか。けっして容易ではない。市民が真剣に容易でない討議を重ねていることに、民主主義の原型を見る思いである。

選挙に限らず、共闘のハードルを上げて高い理念の運動を起こせば、見解を同じくする人々の間の共闘となって、鋭い問題提起と迅速な行動のできる運動が可能であろうが、共闘の幅は狭まる。パワーの不足は否めない。

さりとて、共闘の幅を広げてパワーを追及すれば、理念が薄められ、いったい何のための共闘か、わけの分からいものとなってしまう。

アンチ・アベ政権だけでの選挙共闘もありなのかも知れないが、護憲派が維新や小池新党などと組んでの「共闘」はあり得ない。それこそ、何のための共闘かが問われることになろう。

一方、護憲派の選挙共闘というときに、民進党抜きの共闘はなかろうが、どのように民進党に護憲の姿勢確保を求めるか、なかなか難しそうではなかろうか。

などと考え込んでいるところに、熊本での野党共闘のニュースが飛びこんできた。
熊本日日新聞が昨日報道した、「熊本全区、野党共闘」「次期衆院選で民進、共産の県組織が方針」という朗報。
https://this.kiji.is/284127793541039201?c=92619697908483575

朝日は、「野党、地方で共闘」「熊本の3選挙区 民・共、擁立調整」との見出し。

各紙の報道を総合すれば、次期衆院選に向けて民進党県連と共産党県委員会など野党間の選挙協力協議が進展し、熊本1?4区で候補を事実上一本化する方針を決めた。中央で野党共闘の協議が進まない中、地方組織の方針が先行した格好だ。確定すれば全国で初めて民進、共産に社民を加えた3党の野党共闘の環境が整い、県内の全4選挙区で自民党現職と対決することになる。

まだ確定ではないが、全4区のうち、1区と4区は民進党、2区は社民党、3区は共産党で一本化の予定だという。

民進党県連の代表は、「野党候補を一本化し、与党対野党の構図をつくることが重要だと判断した」と強調。党本部が今後、共闘方針を決めなくても「県独自に共闘を進める方針は変わらない」とした。

民進党の地方と中央では、共闘に関する温度差が大きいようだ。民進党県連代表は候補者の擁立取り下げについて「野党候補がバラバラのまま戦っても厳しい結果になる。野党候補者は1人が望ましい」と説明。共産党県委員会委員長は「安倍政権を倒すためには市民と野党の共闘しか道はない。全選挙区で共闘したい」と話したという。

熊本は民進県連の選挙共闘への積極姿勢が際立っている印象だが、全国で市民運動グループが政党間の接着剤になろうと懸命の努力を続けている。まずは熊本に注目したい。そして、それを弾みにした、全国の選挙共闘の実現を願う。

それなくしては、アベ政権の断末魔はおろか凋落をすら見ることができない。そして、そのことが同時に日本国憲法の命運に直接関わってくるのだから。
(2017年9月24日)

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