自民党の「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日)は、安倍内閣のホンネを語るものとしてこのうえなく貴重な資料である。これが、彼らの頭の中、胸の内なのだ。このことについて、私もものを書き発言もしてきた。もう一つ付け加えたい。「和をもって貴しと為す精神」が、立憲主義にそぐわないことについて。
「草案」の前文は、皇国史観のイデオロギー文書となっている。
冒頭「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって‥」と始まり、その末尾は「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」と結ばれる。
どうやら、「日本国の長く良き伝統と固有の文化」とは、天皇を戴き、天皇を中心として国民が統合されていることにあるというごとくなのである。自民党の憲法は、この「良き伝統」と、「天皇を中心とする我々の国家」を末永く子孫に継承するために制定されるというのだ。
「君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔のむすまで」が、憲法前文に唱われているのだ。これではまさしく、自民党改憲草案は、「君が代憲法」ではないか。ジョークではなく、本気のようだから恐れ入る。
その前文第3段落を全文紹介する。次のとおりである。
「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」
ここには、「日本国の長い良き伝統」あるいは、誇るべき「固有の文化」の具体的内容として、「和を尊び」が出て来る。
「和を尊ぶ」→「家族や社会全体が互いに助け合う」→「国家を形成する」
という文脈が語られている。
この「和」については、自民党の改正草案「Q&A」において、こう解説されている。
「第三段落では、国民は国と郷土を自ら守り、家族や社会が助け合って国家を形成する自助、共助の精神をうたいました。その中で、基本的人権を尊重することを求めました。党内議論の中で『和の精神は、聖徳太子以来の我が国の徳性である。』という意見があり、ここに『和を尊び』という文言を入れました。」という。舌足らずの文章だが、言いたいことはおよそ分かる。
自民党の解説では、「自助、共助」だけに言及して、ことさらに「公助」が除外されている。「和」とは「自助、共助」の精神のこと。「和」の理念によって形成された国家には、「自助、共助」のみがあって「公助」がないようなのだ。どうやら、「和」とは福祉国家の理念と対立する理念のごとくである。
そのこともさることながら、問題はもっと大きい。憲法草案に「聖徳太子以来の我が国の徳性である『和の精神』」を持ち込むことの基本問題について語りたい。
「十七条の憲法」は日本書紀に出て来る。もちろん漢文である。その第一条はやや長い。冒頭は以下のとおり。
「以和爲貴、無忤爲宗」
一般には、「和を以て貴しと為し、忤(さから)うこと無きを宗とせよ」と読み下すようだ。「忤」という字は難しくて読めない。藤堂明保の「漢字源」によると、漢音ではゴ、呉音でグ。訓では、「さからう(さからふ)」「もとる」と読むという。「逆」の類字とも説明されている。順逆の「逆」と類似の意味なのだ。従順の「順」ではなく、反逆の「逆」である。続く文章の中に、「上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」とある。
要するに、ここでの「和」とは、「上(かみ)と下(しも)」の間の調和を意味している。「下(しも)は、上(かみ)に逆らってはならない」「下は、上に従順に機嫌をとるべし」と、上から目線で説教を垂れているのである。これは、近代憲法の国民主権原理とは無縁。むしろ、近代立憲主義に「反忤」(反逆)ないしは「違忤」(違逆)するものとして違和感を禁じ得ない。
なお、些事ではあるが、「和爲貴」は論語の第一「学而」編に出て来る。「禮之用和爲貴」(礼の用は和を貴しとなす)という形で。論語から引用の成句を「我が国固有の徳性」というのも奇妙な話。また、聖徳太子の時代に十七条の憲法が存在したかについては江戸時代以来の論争があるそうだ。今や聖徳太子実在否定説さえ有力となっている。記紀の記述をありがたがる必要などないのだ。
ほとんど無視され、世間で話題となることは少ないが、産経も昨年、社の創設80周年を記念して改憲草案を発表している。「国民の憲法」要綱という。その前文に、やはり「和を以て貴し」が出て来る。次のとおりである。
「日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとし、専断を排して衆議を重んじ、尊厳ある近代国家を形成した。‥‥よもの海をはらからと願い、和をもって貴しとする精神と、国難に赴く雄々しさをはぐくんできた。」
(解説)「四方を海に囲まれた海洋国家としてのありようは、聖徳太子の十七条憲法や明治天皇の御製を織り込んで、和の精神と雄々しさを表した。とくに、戦後の復興や東日本大震災後に示した日本人の高い道徳性を踏まえ、道義立国という概念を提起している」
右翼は「和」がお好きなのだ。この「和」は、天皇を中心とする「和」であり、下(しも)が上(かみ)に無条件に従うことをもってつくり出される「和」なのである。
憲法改正の試案に「和を以て貴し」が出て来るのは、私の知る限りで、本家は日本会議である。
日本会議の前身である「日本を守る国民会議」が「新憲法の大綱」を公表したのが1993年。日本会議・新憲法研究会は、これをたびたび改定している。その2007年版は次のとおりである。
「前文<盛り込むべき要素>(抜粋)
?国の生い立ち
・日本国民が、和の精神をもって問題の解決をはかり、時代を超えて国民統合の象徴であり続けてきた天皇を中心として、幾多の試練を乗り越え、国を発展させてきたこと。」
ここでも、「和」とは天皇中心主義と同義である。現在も日本会議ホームページでは、
「皇室を敬愛する国民の心は、千古の昔から変わることはありません。この皇室と国民の強い絆は、幾多の歴史の試練を乗り越え、また豊かな日本文化を生み出してきました‥」「和を尊ぶ国民精神は、脈々と今日まで生き続けています」
「戦後のわが国では、こうした美しい伝統を軽視する風潮が長くつづいたため、特に若い世代になればなるほど、その価値が認識されなくなっています。私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、『同じ日本人だ』という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。私たちはそんな願いをもって、皇室を敬愛するさまざまな国民運動や伝統文化を大切にする事業を全国で取り組んでまいります。」
ここでは「和」とは、明らかに「皇室を敬愛する日本人」の間にだけ成立する。それ以外は、「非国民」であり、もしかしたら「国賊」である。外国人との「和」はまったくの想定外でもある。ということは、内向きの「和」とは、外に向かっては排外主義を意味する言葉でもあるのだ。
決して憲法に「和を以て貴しと為す」などと書きこんではならない。それは、一握りの特殊な人々の間にだけ通じる、特殊な意味合いをもっているのだから。また、近代憲法の原理には、根本的に背馳するものなのだから。
大切なのは「和」ではない。権力に対する徹底した批判の自由である。また、天皇を崇拝する人たち内部の「和」は、排外主義に通じるものとして危険ですらある。憲法に盛り込むものは、もっと普遍的な理念でなくてはならない。
(2014年10月26日)
恒例の「学校に自由と人権を」集会。今年は、「今こそ子どもたちを戦場に送るな」という副題がつけられた。安倍政権発足以来まことにきな臭い。ヘイトスピーチデモの跋扈、特定秘密保護法、武器輸出3原則の放擲、国家安全保障会議、NHK人事、集団的自衛権行使容認の閣議決定、そして「従軍慰安婦」問題バッシング。「子どもたちを戦場に送るな」という、古めかしいはずのスローガンが、にわかにリアリティを持ち始めたのだ。
「日の丸・君が代」は、子どもたちを戦場に送る小道具として重要な役割を果たすだろう。この旗と歌に対する条件反射的な尊崇の念の植えつけとセットになってのことである。
本日の私の発言は20分。「君が代訴訟の現段階と今後の展望」と題して、詳細なレジメを提出した。が、発言の大意は以下のとおり。
「10・23通達」が発せられてから11年になります。この間、学校における国旗国歌への敬意表明の強制とは、一体どのような意味を持つことなのだろうかと考え続けてきました。解答が出せたわけではありませんが、私なりに4つの問題領域に分けて考えられるのではないかと思っています。
1番目の問題領域は、権力的な強制と、強制を受ける人の精神の内面との衝突あるいは葛藤の問題です。人が人であり、自分が自分であるために、あるいは教員が教員であるために、精神の内面の核となっているものは不可侵でなければならない。「日の丸・君が代」の強制は、このような人間の尊厳を破壊するものとして許されざるものではないだろうか。
「日の丸・君が代」は国旗国歌とされています。日本という国家の象徴です。目に見えない日本国が「日の丸・君が代」というデザインや歌詞・メロディとなって、目の前に形をなします。また、「日の丸・君が代」は戦前の大日本帝国と極めて緊密に結びついた歴史を背負っています。「日の丸に正対して君が代を斉唱する」行為は、現在ある日本国に敬意を表明することでもありますが、天皇を神とした時代の国家主義・軍国主義・侵略主義・差別思想を肯定し、その時代の国家を丸ごと肯定する要素を含むものと理解せざるを得ません。人によっては、自分が自分である限り到底服することができない、という思いがあって当然だと思います。
2番目の問題領域は、教育というものの本質や、憲法・教育基本法が想定する教育のあり方に照らして、「日の丸・君が代」の強制が許されるはずがなかろう、ということです。
本来、教育とは公権力の思惑とは無縁のところで、行われなければなりません。これが近代市民社会での基本原理といってよいと思います。しかし、例外なく、全ての権力は権力に都合のよい従順な国民の育成のための教育をしたくてならないのです。
その悪しき典型が、戦前の天皇制日本でした。天皇を神とし、神なる天皇のために生きることこそが臣民の幸せだと、靖国の思想を教育として説いたのです。その教育の結果が、戦争の惨禍であり、敗戦であったことは国民全てが骨身にしみたところです。
敗戦後は、その失敗の反省から国を作りなおし、原理の異なる憲法を制定しさらに教育のあり方を180度変えたはず。とりわけ、権力が教育の内容に介入してはならないとする大原則を打ち立てたはずなのです。にもかかわらず、どうして教育の場で、「日の丸・君が代」強制という権力による国家主義イデオロギーの刷り込み強制が許されるのか。重大な問題といわねばなりません。
3番目の問題領域は、そもそも権力というものには、できることの限界があるはずではないか。「日の丸・君が代」あるいは国旗国歌を国民に強制することは、立憲主義の大原則からなしえないことなのではないか、という問題です。
国家は、主権者国民によって権力を付与された存在です。主権者国民が主人で、国家はその僕、ないしは道具でしかありません。国民に役立つ限りで存続し運営されるに過ぎないものです。ところが、国民から委託を受けたその国家が、主人である主権者国民に向かって、「我に敬意を表明せよ」と強制することは、倒錯であり背理であるはずなのです。そのような権能は、公権力のなし得るメニューにはいっていないと指摘せざるを得ません。
最後4番目の問題領域は、直接には国家や権力の問題ではなく、社会の同調圧力の問題です。社会の多数派は少数派に対して、同じ思想、同じ行動をとるよう求めます。これに従わない異端者を排斥しようとします。極端には、国賊、非国民ということになります。今、社会の多数派は、「国旗国歌に対して敬意を表明することは国際儀礼ではないか」「社会人としての常識ではないか」「起立・斉唱くらいはすべきではないか」という態度です。
この多数派の意思が、民主主義の名の下に権力に転化して、「日の丸・君が代」強制となっています。政治的な権力を支え、「日の丸・君が代」強制を合理化しているものが、実は社会の多数派の意思であり同調圧力なのです。
本来一人ひとりの人権は、多数派の圧力からも、権力的な強権の発動からも守られねばなりません。むしろ、少数者の人権だからこそ脆弱で侵害から守られねばなりません。「日の丸・君が代」強制は立憲主義の原則上、公権力のなし得る権限を越えたものであることを厳格に指摘しつつ、教育への権力の介入を阻止するために、今後とも「日の丸・君が代」強制と闘っていかねばならないと思います。
厳しい現場で教育者としての良心を貫いて懲戒処分を受けている皆様には心から敬意を表明いたします。私たち弁護団も、ご一緒に訴訟活動に邁進する覚悟です。
(2014年10月25日)
本日は、10月23日。東京都の教育委員会が悪名高い「10・23通達」を発出してから11年目となる。11年で舞台の役者はすっかり変わった。石原慎太郎は都知事の座を去り、米長邦雄や鳥海巌は他界した。当時の教育委員で残っている者は内舘牧子を最後にいなくなった。教育庁の幹部職員も入れ替わっている。しかし、「10・23通達」はいまだに、その存在を誇示し続け、教育現場を支配し続けている。
入学式卒業式に「日の丸・君が代」など、かつての都立高校にはなかった。それが、「都立の自由」の象徴であり、誇りでもあった。ところが、学習指導要領の国旗国歌条項の改訂(1989年)あたりから締め付けが強まり、国旗国歌法の制定(1999年)後には国旗の掲揚と国歌斉唱のプログラム化は次第に都立校全体に浸透していく。それでも、強制はなかった。多くの教師・生徒は国歌斉唱時の起立を拒否したが、それが卒業式の雰囲気を壊すものとの認識も指摘もなく、不起立不斉唱に何の制裁も行われなかった。単なる不起立を懲戒の対象とするなどは当時の非常識であった。
この非常識に挑戦して、敢えて「10・23通達」を発出したのは、石原慎太郎という右翼政治家の意向によるものだが、より根源的には2期目の石原に308万票を投じた都民の責任というべきであろう。
「10・23通達」発出直後、石原は、「今は、首をすくめて様子を見ている各県も、10年後には東京都の例にならうだろう。それが、東京から日本を変えるということだ」と発言している。今振り返ってみて、当たっているようでもあり、外れているようでもある。けっして、石原の思惑のとおりにことが運んだわけではない。しかし、「10・23通達」を梃子とした教育行政の教育支配は着実に進んでいる。かつての、公教育における自由闊達の雰囲気は大きく損なわれたと、現場の教員は口を揃えて言う。このような教育で、憲法が想定する、明日の主権者が育つのか、心配せざるを得ない。
ところで、「10・23通達」を発出した直接の責任者は、石原に抜擢され、その走狗となった教育長・横山洋吉である。およそ、教育とは無縁の人物。教育長をステップに、その後副知事になっている。この横山と、一度だけ顔を合わせたことがある。「君が代解雇訴訟」一審で、彼が証人として証言したときのこと。私も、尋問を担当している。記録では、2005年10月12日水曜日。この訴訟は、定年後の再雇用が既に決まっていた教員について、卒業式の「君が代・不起立」を理由に、再雇用を取り消したことを違法・無効として、その地位の回復を求めた訴訟である。当時の私たちは、これを解雇と同様の労働訴訟だと考えていた。
当の首切役人である横山の証言について、当時のブログが残っている。参考になろうかと思うので、お読みいただきたい。
「この男が横山洋吉(前・都教育長)か。「10・23通達」を発し、都下の全校長に「日の丸・君が代」強制の職務命令を出させた男。300人余の教員を懲戒処分し、本件原告10名の首を切った男。石原慎太郎(知事)の意を受けて、公教育に国家主義的イデオロギーと管理主義教育体制を持ち込んだ男。
君が代解雇訴訟で、この男が地裁103号法廷の証言席に座った。庁内最大の法廷も、今日は傍聴席の抽選倍率が3倍となった。原告側の反対尋問時間の持ち時間は2時間。私も30分余担当した。
主尋問への証言は無内容、粗雑なものであった。こんな粗雑なだけの証言をする人間に、教育行政を預け、教員の首を預けていることへの恐ろしさを禁じ得なかった。とんでもない人物に権力を握らせる恐怖である。
しかし、反対尋問では、意外に証人は挑戦的ではなかった。そして、証言の切れ味もなかった。ただただ粗雑に、首切り役人の役割を買って出たその姿を露わにした。憲法の理念に理解なく、なすべき検討を怠り、慎重さを欠いて、ひたすら蛮勇をふるった姿。
彼が語ることは、極めて単純。
『学習指導要領が法的拘束力を持っている。それに従って適正に国旗国歌の指導が必要だ。ところが、都立校では適正な指導がなされておらず、積年の課題として正常化が必要だった。だから、「10・23通達」が必要だった。「10・23通達」に基づいて、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」との職務命令を発したのは校長の裁量だが、職務命令が出た以上は、その違反を理由とする懲戒処分は当然』これだけである。
この道筋以外のことは彼の頭に入らない。検討もしていない。この彼の「論理」の道筋を辿った反対尋問がなされた。学習指導要領の性格について、旭川学テ訴訟最高裁大法廷判決の理解について。「大綱的基準」の意味について。創意工夫の余地が残っているかについて。学習指導要領と「10・23通達」の乖離について。教員への強制の根拠について。児童生徒の内心への介入について。強制と指導の差異について。内心の自由説明を禁止した根拠について。処分の量定の根拠について。比例原則違反について‥。
およそ、憲法上の検討などはしていないことが明らかとなった。彼は、「憲法19条の思想良心の自由は、純粋に内心の思想だけを保護するもの」という。では、「内心の思想良心が外部に表出されれば、21条の問題となる。21条についてはどのような検討をしたのか」と聞いたところ、「21条とは何でしょうか。私は法律家ではないから分からない」と言った。これには、本当に驚いた。21条は、9条と並ぶ憲法の看板ではないか。憲法のエッセンスである。本件でも、不起立を、象徴的表現行為との主張もしている。
突然に尋問が空しくなった。もっともまじめな教育者たちが、その真摯さゆえに、こんな程度の人物にクビを切られたのだ。およそ何の配慮も検討もなく。」
なお、10月25日(土)18時30分から、
お茶の水の連合会館(旧総評会館)大会議室で
「学校に自由と人権を!10・25集会」が開催される。
集会の趣旨は以下のとおり。
「都教委の10・23通達による463名もの教職員の大量処分。こんな異常な教育行政に屈せず闘い続けて11年。この闘いを通して学校での「日の丸・君が代」強制は、「戦争する国」のための人つくりの「道具」となっていることを実感しています。
都教委は、10・23通達を契機に学校現場を「屈服」させ、都立高校での自衛隊との連携に名を借りた宿泊防災訓練(自衛隊への「体験入隊」)、「学力スタンダード」など都教委の各学校の教育課程への介入、「生活指導統一基準」という名の「処罰主義」による画一的生徒指導の押しつけ、「国旗・国歌法」に関する記述を理由とした実教出版の日本史教科書の排除など、「戦争する国への暴走の先兵となっています。
私たちは、都教委と正面から対決して闘い続けてきました。その原点の1つが「子どもたちをを再び戦場に送らない」決意です。」
メインの講演は池田香代子さん「子どもとおとな 平和でつながろう」
私も特別報告で「『君が代』訴訟の現段階と今後の展望」を語る。
ぜひ、集会にご参加を。
(2014年10月23日)
東京君が代裁判弁護団の澤藤です。本日服務事故再発防止研修受講命令を受け、これからセンターに入構する教員を代理して、教職員研修センターの担当課長と職員の皆様に抗議と要請を申しあげます。
まず、都教委に対して厳重に抗議します。本日の研修は、まったく必要のないものです。いや、不必要というのは不正確。正確には、本日予定されている研修はけっして許されないもの、行ってはならないものと強く指摘せざるを得ません。あなた方は、違憲違法なことを強行しようとしているのです。
教育の本質における自由や人格の尊重、日本国憲法が保障する思想・良心の自由、権力からの干渉を厳格に排除した教育を受ける国民の権利、教員の学問教授の自由、そして教育基本法が定める教育への不当な支配の禁止。そのすべてが、教員の思想に介入し、教育者の良心を蹂躙する本日の服務事故再発防止研修を違憲・違法なものとしています。
研修が必要なのは、日の丸・君が代の強制に屈しなかった教員ではありません。反対に、東京都教育委員の諸君と教育庁の幹部職員にこそ、研修が必要と言わざるを得ません。彼らこそ、教育の本質を学ばなければならない。憲法や教育基本法についての研修を受けなければならない。戦前の教育のどこがどう間違い、どのように反省して今日の教育の法体系やシステムができているのか。憲法や教育基本法は、教育や教員についてどのように定めているのか。しっかりと十分な理解ができるまで研修を繰り返して、違憲・違法な教育行政の再発防止に努めていただきたい。
本日研修受講を命じられている教員は、教育の本質と教員としての職責を真摯に考え抜いた結果、自己の良心と信念に従った行動を選択したのです。このように良心と信念に基づく行為に対して、いったいどのように「反省」をせよと言うのでしょうか。信念としての行為の「再発防止」を迫るということは、思想や良心を捨てよと強制することにほかなりません。日の丸・君が代への強制に服しない者への公権力による制裁は、教員の思想・良心を侵害するものとしてけっして許されることではありません。
日本国憲法には「思想・良心の自由」を保障した憲法19条という比較憲法的には稀な1か条を創設しました。内心の自由という目に見えないものを保障したこの条文は、わが国の精神史における思想弾圧の歴史を反省した所産だと言われています。キリシタンへの踏み絵を強要した江戸幕府のやり口、神である天皇への崇拝を精神の内奥の次元にまで求めた天皇制政府の臣民に対する精神支配の歴史に鑑みて、日本国憲法には「内心の自由」の宣言が必要と考えられたのです。
また、大日本帝国憲法から日本国憲法への鮮やかな大転換の根底にあるものは、国家よりも、もちろん天皇よりも、一人ひとりの国民の尊厳が大切なのだという、人権思想にほかなりません。
国家の象徴である「日の丸・君が代」を、国民に強制するということは、まさしく国家の価値を、国民個人の尊厳や精神の自由という価値の上に置くものと言わざるを得ません。本来当然なこととして、国民が主人で国家はその僕。国家とは国民が使い勝手がよいように作り上げた道具に過ぎません。にもかかわらず、主人である国民が、僕である国を象徴する国旗国歌に敬意の表明を強制されるなどは背理であり、倒錯というほかはありません。国民一人ひとりが、国家との間にどのようなスタンスを取るべきかは、憲法が最も関心を持つテーマとして、最大限の自由が保障されねばなりません。
その意味では、日の丸・君が代強制と、強制に屈しない個人への制裁として本日これから強行されようとしている服務事故再発防止研修とは、キリシタン弾圧や特高警察の思想弾圧と同じ質の問題を持つ行為なのです。
本日の研修を担当する研修センターの職員の皆様に要請を申しあげたい。
おそらく皆様には、内心忸怩たる思いがあることでしょう。キリシタン弾圧や特高警察になぞらえられるようなことを進んでやりたいとは思っているはずはなかろう、そうは思います。だが、仕事だから仕方がない。上司の命令だから仕方がない。組織の中にいる以上は仕方がない。「仕方がない」ものと割り切り、あるいはあきらめているのだろうと思います。
しかし、お考えいただきたい。本日の受講命令を受けている教員は、「仕方がない」とは割り切らなかった。あきらめもしなかった。教員としての良心や、生徒に対する責任を真剣に考えたときに、安穏に職務命令に従うという選択ができなかった。
懲戒処分が待ち受け、人事評価にマイナス点がつき、昇給延伸も確実で、賞与も減額され、服務事故再発防止研修の嫌がらせが待ち受け、あるいは、任地の希望がかなえられないことも、定年後の再任用が拒絶されるだろうことも、すべてを承知しながら、それでも日の丸・君が代への敬意表明の強制に屈することをしなかった。彼は多大な不利益を覚悟して、自分の良心に忠実な行動を選択したのです。
本日の研修命令受講者は、形式的には、非行を犯して懲戒処分を受けた地方公務員とされています。しかし、実は自分の思想と教員としての良心を大切なものとして守り抜いた尊敬すべき人、立派な教員ではありませんか。そのことを肝に銘じていただきたい。
あなたがた研修センター職員の良心に期待したい。その尊敬すべき研修受講者に対して、決して侮蔑的な態度をとってはならない。ぜひとも、心して、研修受講者の人格を尊重し、敬意をもって接していただくよう要請いたします。
(2014年10月17日)
香港の情勢から目が離せない。いろんなことを考えさせられる。国家とは何か、民主々義とは何か。そして自らの運命を切り開く主体はどう形成されるのか。
昨日(10月1日)は中華人民共和国の国慶節。民主的な選挙制度を求める大規模デモが続く香港でも、慶賀の記念行事が行われた。その会場に掲揚された中国国旗に、両腕でバツ印を示して抗議する学生らの写真(毎日の記者が撮影)が印象に深い。
以下は毎日からの引用。
「中国の建国65周年となる国慶節(建国記念日)の1日、中国各地で記念式典が開かれた。学生らによる大規模デモが続く香港では同日朝、香港政府トップの梁振英行政長官らが中国国旗と香港行政特別区の旗の掲揚式に参加した。会場周辺には多数の学生が詰めかけ、緊張の中での式典となった。
デモは次期行政長官選挙制度に抗議して起きた。デモを率いる学生リーダーらはこの日、式典会場内に入り、中国国旗の掲揚の際に両手でバツ印を示して抗議した。梁行政長官には『辞任しろ』の声も飛んだ。」
ロイターは次のように伝えている。
「香港の民主派デモ隊数万人は、中国の国慶節(建国記念日)に当たる1日も主要地区の幹線道路を占拠し続けた。5日目に入ったデモ活動は衰える気配を見せず、2017年の行政長官選挙をめぐり民主派の立候補を事実上排除する中国の決定に依然として反発している。
香港の金紫荊広場(バウヒニア広場)で現地時間午前8時に始まった国旗掲揚式典は平和裏に行われた。式典を妨害すれば当局の弾圧を受けるとの懸念が、デモ隊にあったためとみられる。ただ、式典会場を取り囲んだ多数の学生は国歌演奏の際、中国政府への抗議を込めてブーイングを送った。
学生組織『学民思潮』の広報担当者は『われわれは65回目の国慶節を祝ってはいない。香港における現在の政治混乱や、中国で人権活動家に対する迫害が続く中、きょうはお祝いの日ではなく、むしろ悲しみの日だ』と述べた。」
私は都教委による教員への「日の丸・君が代強制」を違憲として争う訴訟を担当している。五星紅旗に無言で両手でバツ印を作って抗議の意を表す香港の学生たちと、日の丸への敬意表明を拒否して不起立を貫く良心的な教員たちとがダブって見える。日の丸に象徴される軍国主義国家も、民主々義を否定する大国の強権も受け容れ難い。理不尽な国家を受容しがたいときには、国家の象徴である国旗を受け容れ難いとする行為に及ぶことになる。反対に国旗に敬礼を命じることは、国家への無条件服従を強制するに等しい。これは、個人の尊厳の冒涜にほかならない。
香港は、1997年英国から中国に「返還」された。その際に50年間の「1国2制度」(一个国家两?制度)による高度の自治を保障された。99年にポルトガルから返還されたマカオ(澳門)がこれに続いている。
两?制度(2種類の制度)とは、建前としては「社会主義」と「資本主義」の両制度ということであったろう。しかし、1978年以来の改革開放路線突き進む中国を「社会主義」と理解する者は、当時既になかったと思われる。「市場的社会主義」とか「社会主義市場経済」とか意味不明の言葉だけは残ったにせよ、社会主義の理想は崩壊していたというほかはない。
結局のところ、「1国2制度」とは、「社会主義か資本主義か」ではなく、政治的な次元での制度選択の問題であった。一党独裁下にある人口12億の大国が、自由と民主々義を知った700万人の小国を飲み込むまでの猶予期間における暫定措置。それが「1国2制度」の常識的理解であったろう。
しかし、今や事態はこの常識を覆そうとしているのではないか。一国2制度は、大国にとってのやっかいな棘となっている。少なくとも、小国の側の意気込みに大国の側が慌てふためいているのではないか。「この小国、飲み込むにはチト骨っぽい。とはいえ放置していたのでは、この小国の『民主とか自由という害毒』が大国のあちこちに感染しはしまいか」。大国にとっても深刻な事態となっているのだ。
がんばれ香港。がんばれ若者たち。君たちの未来を決めるのは、君たち自身なのだから。
(2014年10月2日)
アジア大会がようやく賑やかになってきた。とはいうものの、どこの誰が何色のメダルを取ろうが、あるいは取り損ねようが、それ自体はたいしたことではない。
それよりも、目を惹いたのが、本日(9月27日)毎日新聞夕刊3面の、「eye:スポーツで越える壁 仁川アジア大会、広がる日韓交流」という特集記事。
「韓国・仁川で開催中の第17回アジア大会には45カ国・地域から選手約9500人が参加して10月4日まで連日熱戦が繰り広げられている。今大会は日韓関係がぎくしゃくする中での開催となったが、競技会場などでは両国選手や観客が交流する場面が随所に見られた。印象的なシーンをレンズで追った。」というもの。
自国選手の活躍を称賛してナショナリズムをあおるでなく、選手のゴシップを取り上げるでなく、競技会を通じて「両国選手や観客の交流」が広がっていることを記事にしている。毎日の明確な視点を評価したい。
この特集の中に、「『日韓交流おまつり』で金魚すくいに興じる韓国人女性ら。」という写真と短いキャプションがある。「10回目の今回は過去最高の5万人が来場した。初めて参加したオ・ヘウォン(18)さんは『最近の韓日関係で雰囲気が心配ったが、みんな笑顔でよい気持ちになれた』=ソウルで」という内容。
この日韓関係のギグシャグの中で、アジア大会が、ソウルでの「日韓交流おまつり」を大規模に成功させ、「みんな笑顔でよい気持ちになれた」というのなら、スポーツ祭典の効用、たいしたものではないか。毎日の特集記事の結びの言葉が、「スポーツには国の枠を軽々と超える力がある。それを改めて感じている。」となっている。なるほどと思わせる。
これに較べれば、国別のメダル争いなどは些細な、どうでもよいこと。アジア大会でのメダル獲得数は、かつては日本の独壇場だった。1980年代からは、中国がトップ、韓国がこれに続いて、日本が3位という順位が定着している。中国や韓国のメダル獲得数は新興国故のこだわりの表れと解しておけばよい。今回も同じようになる模様だが、日本の3位は、成熟した国のちょうどよい定位置ではないか。
過剰なナショナリズムの発揚から余裕を失い、メダルや国旗にこだわったのでは碌なことにはならない。そのことの教訓となる事件がいくつか起きている。
世界的なスイマーとして高名な、孫楊(スン・ヤン)の発言が話題となっている。9月23日に男子400メートル自由形で日本の萩野公介を破って金メダルをとり、さらに24日400メートルリレーでも中国チームが日本を破って優勝すると、中国人記者の質問に「(勝って)気持ちいいというだけではなく、今夜は中国人に留飲が下がる思いをさせた。正直に言うと、日本の国歌を聞くと嫌な感じになる」(訳は毎日による)とコメントした。彼は、アスリートとしては大成したが、社会人として身を処すべき方法には疎い人のようだ。換言すれば、体裁を繕うすべを身につけていない正直な人物。それ故に、本音を言っちゃったのだ。
おそらく、「君が代=嫌な感じ」は、彼の本音であるだけでなく、多くの中国人の本音でもあるのだろう。なにしろ、かつて海を渡って侵略してきた恐るべき軍隊の歌と旗そのものなのだから。そんな来歴の歌や旗を、未だに国旗国歌としている方の神経も問われなければならないが。
しかし、中国の世論は相当に成熟している。孫の発言には賛意だけではなく、「場をわきまえよ」という中国国内からの批判の声が上がったそうだ。彼は26日1500メートル自由形で優勝した後に、「申し訳ないと思っている」と謝罪し、釈明した。「おそらく誤解がある。全ての選手は自国の国歌を聞きたいと思っているということ」という内容。
ところで、中国の国歌は「起来!不愿做奴隶的人?!」(立ち上がれ、奴隷となることを望まぬ人々よ)という呼びかけで始まる。日本軍の侵略に屈せず立ち上がって砲火を恐れず戦え、という内容である。日中戦争中、中国共産党支配地域で抗日歌曲として歌われ浸透したもの。だから、「正直に言うと、中国の国歌を聞くと嫌な感じになる」という日本人がいても、いっこうに不思議ではない。「中国への日本軍隊派遣は、侵略ではなくアジア解放のためだ」などと考えている向きには、なおさらである。あるいは、「戦後70年を経て、未だに日中戦争をテーマの国歌でもあるまい」と考える人にも不愉快かもしれない。
相互に不愉快をもたらす、やっかいな国旗や国歌は、国際友好の障害物として大会に持ち込まないに如くはない。ナショナリズムとは克服さるべきもの。あおるための小道具を神聖視する必要はさらさらない。
もう一つの話題が、冨田尚弥選手のカメラ窃盗事件。「レンズを外し、800万ウォン(約83万円)相当のプロ仕様のカメラ本体を盗んだ疑い」が報じられている。同選手は、前回大会の200メートル平泳ぎ金メダリスト。「カメラを見た瞬間、欲しくなった」と供述しているという。トップアスリートであることと、人間として良識をわきまえていることとが何の関連性もないことをよく証明している。伝えられている限りで冨田選手の手口に弁解の余地はない。
しかし、物欲は誰にも共通してあるもの。通常、人はこれを抑制して社会生活を営むが、一定の確率で、抑制が働かない場合が生じる。窃盗罪を犯す人と犯さない人との間に、質的で決定的な差があるわけではない。どこの国のどこの集団にも、乱暴者がおり、暴言を吐くものがあり、窃盗を働く者だっているということだ。
だから、責めを負うべきは冨田選手個人にとどまる。ことさらに冨田選手のカメラ窃盗事件を、「日本人の本性の表れ」などと言ってはならない。そのような言動こそ、「悪しきナショナリズムの表れ」なのだ。
ナショナリズムからの解放こそが、国民の成熟度のバロメーターだ。あらゆる国際イベントからナショナリズムを可能な限り希釈して、国際交流と友好の場にしたいものと思う。
(2014年9月27日)
本日は「九・一八」。1931年9月18日深夜、奉天近郊柳条湖で起きた鉄道「爆破」事件が、足かけ15年に及んだ日中戦争のきっかけとなった。小学館「昭和の歴史」の第4巻『十五年戦争の開幕』が、日本軍の謀略による柳条湖事件から「満州国」の建国、そして日本の国際連盟脱退等の流れを要領よく記している。
その著者江口圭一は、ちょうど半世紀後の1981年9月18日に柳条湖の鉄道爆破地点を訪れた際の見聞を、次のように記してその著の結びとしている。
「鉄道のかたわらの生い茂った林の中に、日本が建てた満州事変の記念碑が引き倒されていた。倒された碑のコンクリートの表面に、かつて文化大革命のとき紅衛兵によって書かれたというスローガンの文字があった。ペンキはすでに薄れていた。しかし、初秋の朝の日射しのもとで、私はその文字を読み取ることができた。それは次の文字だった。
不忘“九・一八” 牢記血涙仇」
印象の深い締めくくりである。ペンキの文字は、「九・一八を忘るな。血涙の仇を牢記せよ」と読み下して良いだろう。牢記とは、しっかりと記憶せよということ。血涙とは、この上なく激しい悲しみや悔しさのために出る涙。仇とは、仇敵という意味だけではなく、相手の仕打ちに対する憎しみや怨みの感情をも意味する。
「9月18日、この日を忘れるな。血の混じるほどの涙を流したあの怨みを脳裡に刻みつけよ」とでも訳せようか。足を踏まれた側の国民の本音であろう。足を踏んだ側は、踏まれた者の思いを厳粛に受けとめるしかない。
柳条湖事件を仕組み、本国中央の紛争不拡大方針に抗して、満州国建設まで事態を進めたのが関東軍であった。関東軍とは、侵略国日本の満州現地守備軍のこと。「関」とは万里の長城の東端とされた「山海関」を指し、「関東」とは「山海関以東の地」、当時の「満州」全域を意味した。
私の父親も、その関東軍の兵士(最後の階級は曹長)であった。愛琿に近い、ソ満国境の兵営で中秋の名月を2度見たそうだ。「地平線上にでたのは、盆のような月ではなく、盥のような月だった」と言っていた。「幸いにして一度も戦闘の機会ないまま内地に帰還できた」が、それでも侵略軍の兵の一員だった。
世代を超えて、私にも「血涙仇」の責の一部があるのだろうと思う。少なくとも、戦後に清算すべきであった戦争責任を今日に至るまで曖昧なままにしていることにおいて。
何年か前、私も事件の現場を訪れた。事件を記念する歴史博物館の構造が、日めくりカレンダーをかたどったものになっており、「九・一八」の日付の巨大な日めくりに、「勿忘国恥」(国恥を忘ることなかれ)と刻み込まれていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。
柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であった。この秘密を知った者が、「実は、あの奉天の鉄道爆破は、関東軍の高級参謀の仕業だ。板垣征四郎、石原莞爾らが事前の周到な計画のもと、張学良軍の仕業と見せかける工作をして実行した」と漏らせば、間違いなく死刑とされたろう。軍機保護法や国防保安法、そして陸軍刑法はそのような役割を果たした。今、すでに成立した「特定秘密保護法」が、そのような国家秘密保護の役割を担おうとしている。
法制だけではなく、満州侵略を熱狂的に支持し、軟弱外交を非難する世論が大きな役割を果たした。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは、当時既に人心をとらえていた。「中国になめられるな」「満州の権益を日本の手に」「これで景気が上向く」というのが圧倒的な世論。真実の報道と冷静な評論が禁圧されるなかで、軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そのような、巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。
今の世はどうだろうか。自民党の極右安倍晋三が政権を掌握し、極右政治家が閣僚に名を連ねている。自民党は改憲草案を公表して、国防軍を創設し、天皇を元首としようとしている。ヘイトスピーチが横行し、歴史修正主義派の教科書の採択が現実のものとなり、学校現場での日の丸・君が代の強制はすでに定着化しつつある。秘密保護法が制定され、集団的自衛権行使容認の閣議決定が成立し、慰安婦問題での過剰な朝日バッシングが時代の空気をよく表している。偏頗なナショナリズム復活の兆し、朝鮮や中国への敵視策、嫌悪感‥、1930年代もこうではなかったのかと思わせる。巨大な負のスパイラルが、回り始めてはいないか。
今日「9月18日」は、戦争の愚かさと悲惨さを思い起こすべき日。隣国との友好を深めよう。過剰なナショナリズムを警戒しよう。今ある表現の自由を大切にしよう。まともな政党政治を取り戻そう。冷静に理性を研ぎ澄まし、極右の煽動を警戒しよう。そして、くれぐれもあの時代を再び繰り返さないように、まず心ある人々が手をつなぎ、力を合わせよう。
(2014年9月18日)
昨日(9月7日)の赤旗「2014年夏 黙ってはいられない」欄に、守中高明(フランス現代思想)のインタビュー記事が掲載されている。タイトルは、「命がけの怒り表明しよう」というもの。
全体としてはまとまりのよい記事ではないが、下記2か所の彼の語りかけに、大いに頷き、大いに意を強くした。哲学者とか思想家をもって任ずる者は、時代が求めている言葉を、このように適切な表現で市民に届けなければならない。
まずは、
「いま最も大事なことは、ためらわずに怒りを表明することです。怒りとは命がけの感情であり、ありうる虚無主義や懐疑主義を乗り越えていく、唯一の比較すべきもののない深く倫理的な感情です。」
民衆の怒りへの讃歌である。こんなにもストレートに怒りを肯定する文章に接した憶えがない。「いま最も大事なことは、」と切り出しているのは、あまりにも低い民衆の怒りのボルテージへの焦慮の表れなのだろう。「ためらわずに怒りを表明すべき」だという怒りの鼓舞。「考える前に怒れ」、あるいは「考えるまでもなく怒らねばならない状況だろう」ということなのだ。ここまでは、時代の状況が言わしめた言葉。
ここからは、普遍性をもった思索の結論。「怒りとは命がけの感情」だという。私にはよく分かる。しかも、怒りは「ありうる虚無主義や懐疑主義を乗り越えていく感情」だという。「ありうる」は、「そう陥りがちな」くらいの意味であろう。諦めたり、逃げたり、自信を失ったりしがちなときに、これを乗り越えるのは怒りの力なのだ。このエネルギーの源を、彼は美しく「深く倫理的な感情」と讃えている。
「今こそ怒るべきとき」「忘れた怒りを取りもどせ」という呼びかけなのだ。「私憤」も「私怨」も、不当なものに向けられるときは、「唯一の比較すべきもののない深く倫理的な感情」なのだ。大いに怒ろう。巨大な怒りのエネルギーを蓄積しよう。
もう一つ。
「楽観できない状況の中で、私はマハトマ・ガンジーやキング牧師が実践した『市民的不服従』の重要性を強調したいと思います。これは国家が課す法や命令に、良心に反しなければ従うことができないとき、不服従を表明し、その法こそが不正義であることを公共に訴える態度のことで、悪法を間接的に改めさせるクリエーティブな政治的行為です。」
不当なものへの怒りこそは行動のエネルギーだが、怒りを暴力に転化させてはならない。強者の不当な仕打ちに対しても、暴力的な報復は自制しなければならず、替わっての怒りの表現手段が『市民的不服従』である。「国家が課す法や命令に、良心に反しなければ従うことができないとき、不服従を表明する」とは、法に従わず、形式的には法に抵抗して、法を破るということである。権力が命令の根拠とする法が不正義で、自らの良心の根拠たる法こそが正義であることを公共に訴えるために、敢えて法を破るのだ。
幸い、今の法体系では、良心を守る高次の法として日本国憲法が存在する。理不尽な権力の命令を、違憲なるが故に違法あるいは無効なものとして、憲法を盾に争うことができる。
この「市民的不服従」が、「悪法を間接的に改めさせるクリエーティブな政治的行為」として称揚され、その重要性が強調されている。「日の丸・君が代」不起立は、その典型といってよいだろう。
ところで権力の不当と市民的不服従による抵抗の主たる局面は、巨大な綱引きによって移動する。権力の不当に、敵わぬまでも抵抗が続けられれば、現状を維持できる。抵抗が無くなれば、ずるずると綱は引きずられ、際限なく後退を余儀なくされる。
平和も、人権も、民主主義も、怒りもて闘うことでせめては現状を悪化させずに維持し、さらには民衆の側に、半歩でも一歩でも綱を引き寄せたい。
2014年の夏が終わって、季節はすでに秋。新たなステージが始まる。
(2014年9月8日)
裁判所・裁判官の説得は、どうしたら可能であろうか。とりわけ困難な訴訟ではどうしたらよいのだろう。
そんなことが分かれば苦労はない。分からないから苦労を続けているのだが、分からないながらも考え続けなければならない。
おそらく、それをなしうるのは論理ではなかろうと思う。原告も被告も、双方それなりの論理をもって裁判所を説得しようとする。どちらをも選びとりうる裁判官に、こちらを向いてもらえるにはどうすればよいのか。
キーワードは、「共感」ではないだろうか。裁判官に、論理を超えたシンパシーをもってもらえるかどうか、そこが分岐点ではないか。「なるほど、私もあなた(方)の立場であれば同じようにしたいと思う」「同じようには出来ないかも知れないが、あなた方に共鳴し、共感する」と思ってもらえるか。できることなら、一緒に怒ってもらいたい、泣いてももらいたい。共感を得ることができれば、論理はこちらが用意したものを採用してくれる。あるいは、裁判所が探してくれる。独自に組み立ててもくれるだろう。
では、裁判所の共感を得るにはどうするか。そのキーワードはおそらく「真摯さ」ということではないか。裁判官の胸を打つものは、問題に向かいあう真剣さ、人としての悩みや葛藤の深さと、悩みながらもそれを乗り越えようとする真面目さなのではないだろうか。
裁判官という人格が、当事者の真摯な人格と向かいあったとき、共感が生まれる。そうしてはじめて、その当事者の主張する論理の採用に道がひらける。これが、困難な裁判の道筋だろうと思う。
本日、東京「君が代」裁判4次訴訟の口頭弁論で、原告のお一人が、次のような意見陳述をした。私は、大いに共鳴し共感した。政治的意見を異にする人にも、思想良心の自由を大切と思う立場から共感してもらえると思う。合議体の裁判官3人とも、よく耳を傾けておられた。
陳述の紹介は、特定性を避ける必要からやや迫力を欠くものとはなったが、是非多くの人にお読みいただいて「共感」をいただきたいと思う。
「私は、多様な価値を認め合うことや少数派の意見を尊重することの重要性を、いろいろな教材を通して生徒に教えてきました。
10・23通達以前、入学式・卒業式の前に生徒に対して「国旗国歌に対してはいろいろな考えがあるのですから、みなさんは自分の考えに従って行動して下さい」と説明していたのは非常に重要なことでした。ところが10・23通達後はこの説明は許されず、「教員は命令に従わないと職務命令違反で処分する」と脅されて国歌の起立斉唱を強制されました。民主主義の日本でこんな強制が許されるのか、日本はどんな国になろうとしているのか、起立したくない生徒の内心の自由は守られるのか、と私は非常に動揺しました。多くの同僚はしばらくの我慢だと言い、私も、処分は恐ろしいから立つしかないといったんは自分に言い聞かせました。けれど我が子や生徒たちの未来のために、今できることをしなくては後で大きな後悔をすることになると思い、悩んだ末に結局は起立しませんでした。
その後10年が過ぎ、今では入学式・卒業式での国歌斉唱はあたりまえのように淡々と行われます。前任校では式の進行台本には「起立しない生徒がいる場合は司会が起立を促す」と書かれていました。私はできるだけ式場外の仕事を担当させてもらうのですが、昨年3月校長から、「入学式・卒業式で起立すると約束しなければ3年の担任から外す」と迫られた時には本当に苦しい思いをしました。
私の学校では、進路指導を重視して2年から3年へはクラス替えをせず同じ担任が持ち上がります。私が「起立できない」と言えば、私のクラスだけ担任が代わり、生徒は「自分たちだけが不利になった」と思うでしょう。人間関係を築くのが苦手な生徒は「困ったな」と思うでしょう。私自身、「時間をかけて信頼関係を築いてきた生徒を、最後の一番大事な場面で担任として支援できないのは本当に悔しい」「担任を続けたい」「一緒にチームで生徒を見てきた学年団にも申し訳ない」。けれど一方、君が代斉唱を強制されて苦しんでいる生徒は確かにいるのに、国旗国歌強制の卒業式に誰も反対しなくなってもよいのか。自分を含め教員が全員起立斉唱する状況で、生徒に起立しない自由があると言えるのか。私自身の中でこのせめぎあいが続きましたが、“Silence means consent.”「沈黙しているのは賛成の表明に等しい」、つまり私が起立斉唱することは、生徒への強制に加担することにほかならないとの思いが頭を離れず、結局起立できないと決めました。その結果私は3年の担任を外されました。席だけは職員室の3年担任の場所にありながら、他の教師が3年生の生徒に親身な指導をしているのを見るにつけ、非常にさびしい思いをしました。
10・23通達は学校運営のあり方も大きく変えました。職員会議での採決が禁止され、都教委の指示や校長の判断だけで物事が決まる場面が増えた結果、教員集団が議論して教育に当たるという雰囲気がなくなりました。どうせなにを言っても無駄、校長に反論などすれば自分に不利になるという意識が浸透しました。しかも、杜撰な計画や実施の是非に疑問のある指示が次々に降りてきます。
例えばこの3月、今は退職した校長の判断で海外修学旅行が強引に決められました。しかし、実施年度の今年、航空機事故への懸念や費用の負担を理由に不参加者が増えて、大変困ったことになっています。私は職員会議で度々、学年の希望は沖縄であり、海外は経済的理由で参加できない生徒が出る、また教員の準備や事前指導が困難であると反対意見を述べましたが、全く聞き入れられませんでした。校長は、何を学ばせたいかを示すことができません。大切な教育の機会である修学旅行も十分な議論もなく決められてしまう。教育内容を教員自身が決められない。本当に生徒のためになるかどうかが置き去り。これが学校の現状です。
学校は教員が自由に個性を発揮して、生徒に問題提起し、考える場を与え、試行錯誤するチャンスを与える場です。しかし教員は卒業式・入学式で日の丸・君が代について生徒に説明できなくなり、授業や授業外でも社会性のある問題を取り上げにくくなり、生徒に自分で考え成長する機会を与えることが難しくなっています。
私たちは、疑問を持ち自分で考える人間を育てなければなりません。そのため学校は、教員が意見を自由に表明し議論できる場でなければなりません。都教委は、君が代の強制に賛同できないと言っているだけの私たちを徹底的に排除し、私たちを見せしめに教員の反論の口を封じ、学校の教育力を奪って、一体どんな人間を育てようとしているのでしょうか。
裁判官の皆様には、10・23通達が学校の現場を荒廃させている状況をご理解ください。そして、生徒のためにも、多様な意見を持つ教員が安心して教育に取り組める学校を取り戻してくださるようお願いします。」
(2014年9月5日)
1941年は、旧体制が日中戦争の泥沼から抜け出せないままに、破滅に向けて米・英・蘭への宣戦を布告した年として記憶される年。
既に前年10月主要諸政党は解散して大政翼賛会に吸収されていた。国家総動員法が国民生活を締めつけている中で、この年は1月8日観兵式における陸相東条英機の戦陣訓示達であけた。未曾有の規模の重慶爆撃の凶事があり、仏領インドシナへの進攻があり、治安維持法の大改悪と国防保安法の制定があり、4度の御前会議で対英米戦開戦が決せられて、東条内閣がその引き金を引いた。
注目すべきは、この年の5月、究極の戦時態勢下に文部省が「国民礼法」を制定していることである。併せて同時期に、実質的に文部省による「国民学校児童用礼法要項」「〈文部省制定〉昭和の国民礼法」「昭和国民礼法要項」「礼法要項〈要義〉」などの解説本が刊行されている。体制の「国民礼法」へのこのこだわりかたはいったい何なのだろうか。
早川タダノリという、戦時国民生活の研究者(ずいぶん若い方のようだ。文章は分かり易く、新鮮な視点から教えられることが多い)が次のように書いている。
昭和16(1941)年に「国民礼法」が制定されたのは、特定の階級のマナーを全国民に「強制的同質化」しようとした試みであるように思われてならない(委員会の座長は徳川義親だったしね)。「国民礼法」に付された文部省の序文では、次のように書かれている。
礼法は実は道徳の現実に履修されるものであり、古今を通じ我が国民生活の規範として、全ての教養の基礎となり、小にしては身を修め、家を齋へ、大にしては国民の団結を強固にし、国家の平和を保つ道である。宜しく礼法を実践して国民生活を厳粛安固たらしめ、上下の秩序を保持し、以て国体の精華を発揮し、無窮の皇運を扶翼し奉るべきである。(『国民学校児童用 礼法要項』昭和十六年)
――結論をはっきり言ってくれているから、付け加えることもないほどである。
「昭和国民礼法要項」(1941年5月発行)の目次は、次のとおりだという(ある方のブログから引用させていただく)。
前編及び注釈
第一章 姿勢
第二章 最敬礼
第三章 拝礼
第四章 敬礼・挨拶
第五章 言葉使い
第六章 起居
第七章 受渡し
第八章 包結び
第九章 服制
後編
皇室に関する礼法
第一章 皇室に対し奉る心得
第二章 拝謁
第三章 御先導
第四章 行幸啓の節の敬礼
第五章 神社参拝
第六章 祝祭日
第七章 軍旗・軍艦旗・国旗・国歌・万歳
家庭生活に関する礼法
第八章 居常
第九章 屋内
第十章 服装
第十一章 食事
第十二章 訪問
第十三章 応接・接待
第十四章 通信
第十五章 紹介
第十六章 慶弔
第十七章 招待
社会生活に関する礼法
第十八章 近隣
第十九章 公衆の場所
第二十章 公共物
第二十一章 道路・公園
第二十二章 交通・旅行
第二十三章 集会・会議
第二十四章 会食
第一節 席次
第二節 和食の場合
第三節 洋食の場合
第四節 支那食の場合
第五節 茶菓の場合
第二十五章 競技
第二十六章 雜
「第七章 軍旗・軍艦旗・国旗・国歌・万歳」だけ、内容を紹介しておきたい。
一、 軍旗、軍艦旗に対しては敬礼を行う。
二、 国旗は常に尊重し、その取り扱いを丁重にする。汚損したり、地に落としたりしてはならない。
三、 国旗は祝祭日その他、公の意味ある場合にのみ掲揚し、私事には掲揚しない。特別の場合の外、夜間には掲揚しない。
四、 国旗はその尊厳を保つに足るべき場所に、なるべく高く掲揚する。門口には単旗を本体とし右側(外から向かって左)に掲揚する。二旗を掲げる場合は、左右に並列する。室内では旗竿を用いないで、上座の壁面に掲げてもよい。
五、 外国の国旗と共に掲揚する場合は、我が国旗を右(外から見て左)とする。旗竿を交叉する場合、我が国旗の旗竿を前にし、その本を左方(門外から見て右)とする。二カ国以上の国旗と共に掲揚する場合は我が国旗を中央とする。
六、 旗布の上端は旗竿の頭に達せしめ、竿頭に球などのある場合は、これに密接せしめる。
七、 団体で国旗の掲揚を行う場合は、旗竿に面して整列し、国旗を掲揚し終わるまで、これに注目して敬意を表す。国旗を下ろす場合もこれに準ずる。
八、 弔意を表すために国旗を掲げる場合は、旗竿の上部に、旗布に接して黒色の布片をつける。球はこれを黒布で覆う。また竿頭からおよそ旗竿の半ばに、もしくはおよそ旗布の縦幅だけ下げて弔意を表すこともある。
九、 国歌を歌うときは、姿勢を正し、真心から寶祚の無窮(皇位の永遠)を寿ぎ奉る。国歌を聴くときは、前と同様に謹厳な態度をとる。
十、 外国の国旗および国歌に対しても敬意を表する。
十一、 天皇陛下の万歳を奉唱するには、その場合における適当な人の発声により、左の例に従って三唱する。
天皇陛下万歳 唱和(万歳)万歳 唱和(万歳)万歳 唱和(万歳)
十二、 万歳奉唱にあたっては、姿勢を正して脱帽し両手を高く上げて、力強く発声、唱和する。最も厳粛なる場合は、全然手を上げないこともある。
【注意】
一、 国旗は他の旗と共に同じ旗竿に掲揚しない。
二、 国旗を他の旗と並べて掲揚するときは、常に最上位に置く。
三、 外国の元首またはその名代の奉迎等、もしくは特に外国に敬意を表すべき場合に限り、その国の国旗を右(外から見て左)とする。
四、 行事のために国旗を掲揚した場合は、その行事が終われば下ろすがよい。
五、 皇族・王(公)族の万歳を唱え奉る場合、もしくは大日本帝国万歳を唱えるときは三唱とする。外国の元首もしくは国家に対する場合もこれに準ずる。その他はすべて一唱とする。ただし、幾回か繰り返してもよい。
六、 万歳唱和後は、拍手・談笑など喧騒にわたることにないようにする。
七、 万歳唱和をもって祝われた人は、謹んでこれを受ける。
八、 万国旗を装飾に用いてはならない。
今にして思えば、この「煩瑣でがんじがらめの礼法(ないし儀礼)の強制」こそが国民生活や国民意識のレベルでの戦争の準備であった。
国家自らが、「身を修め、家を齋へ、国民の団結を強固にし、戦勝による強国の平和を保つ道」と「礼法」を位置づけている。「宜しく礼法を実践して国民生活を厳粛安固たらしめ、上下の秩序を保持し、以て国体の精華を発揮し、無窮の皇運を扶翼し奉るべき」と、臣民に対する外形的儀礼行為の強制を通じて、その内心の「体制的秩序維持、天皇制への無条件忠誠」の精神性を教化(刷り込み)しようとしているのだ。
国旗国歌への敬意表明を強制する、今の都教委や大阪府教委の姿勢のルーツがここにある。1941年を繰り返してはならない。この夏に、深くそう思う。
(2014年8月26日)