澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

香港の国慶節における五星紅旗へのブーイング

香港の情勢から目が離せない。いろんなことを考えさせられる。国家とは何か、民主々義とは何か。そして自らの運命を切り開く主体はどう形成されるのか。

昨日(10月1日)は中華人民共和国の国慶節。民主的な選挙制度を求める大規模デモが続く香港でも、慶賀の記念行事が行われた。その会場に掲揚された中国国旗に、両腕でバツ印を示して抗議する学生らの写真(毎日の記者が撮影)が印象に深い。

以下は毎日からの引用。
「中国の建国65周年となる国慶節(建国記念日)の1日、中国各地で記念式典が開かれた。学生らによる大規模デモが続く香港では同日朝、香港政府トップの梁振英行政長官らが中国国旗と香港行政特別区の旗の掲揚式に参加した。会場周辺には多数の学生が詰めかけ、緊張の中での式典となった。

デモは次期行政長官選挙制度に抗議して起きた。デモを率いる学生リーダーらはこの日、式典会場内に入り、中国国旗の掲揚の際に両手でバツ印を示して抗議した。梁行政長官には『辞任しろ』の声も飛んだ。」

ロイターは次のように伝えている。
「香港の民主派デモ隊数万人は、中国の国慶節(建国記念日)に当たる1日も主要地区の幹線道路を占拠し続けた。5日目に入ったデモ活動は衰える気配を見せず、2017年の行政長官選挙をめぐり民主派の立候補を事実上排除する中国の決定に依然として反発している。

香港の金紫荊広場(バウヒニア広場)で現地時間午前8時に始まった国旗掲揚式典は平和裏に行われた。式典を妨害すれば当局の弾圧を受けるとの懸念が、デモ隊にあったためとみられる。ただ、式典会場を取り囲んだ多数の学生は国歌演奏の際、中国政府への抗議を込めてブーイングを送った。

学生組織『学民思潮』の広報担当者は『われわれは65回目の国慶節を祝ってはいない。香港における現在の政治混乱や、中国で人権活動家に対する迫害が続く中、きょうはお祝いの日ではなく、むしろ悲しみの日だ』と述べた。」

私は都教委による教員への「日の丸・君が代強制」を違憲として争う訴訟を担当している。五星紅旗に無言で両手でバツ印を作って抗議の意を表す香港の学生たちと、日の丸への敬意表明を拒否して不起立を貫く良心的な教員たちとがダブって見える。日の丸に象徴される軍国主義国家も、民主々義を否定する大国の強権も受け容れ難い。理不尽な国家を受容しがたいときには、国家の象徴である国旗を受け容れ難いとする行為に及ぶことになる。反対に国旗に敬礼を命じることは、国家への無条件服従を強制するに等しい。これは、個人の尊厳の冒涜にほかならない。

香港は、1997年英国から中国に「返還」された。その際に50年間の「1国2制度」(一个国家两?制度)による高度の自治を保障された。99年にポルトガルから返還されたマカオ(澳門)がこれに続いている。

两?制度(2種類の制度)とは、建前としては「社会主義」と「資本主義」の両制度ということであったろう。しかし、1978年以来の改革開放路線突き進む中国を「社会主義」と理解する者は、当時既になかったと思われる。「市場的社会主義」とか「社会主義市場経済」とか意味不明の言葉だけは残ったにせよ、社会主義の理想は崩壊していたというほかはない。

結局のところ、「1国2制度」とは、「社会主義か資本主義か」ではなく、政治的な次元での制度選択の問題であった。一党独裁下にある人口12億の大国が、自由と民主々義を知った700万人の小国を飲み込むまでの猶予期間における暫定措置。それが「1国2制度」の常識的理解であったろう。

しかし、今や事態はこの常識を覆そうとしているのではないか。一国2制度は、大国にとってのやっかいな棘となっている。少なくとも、小国の側の意気込みに大国の側が慌てふためいているのではないか。「この小国、飲み込むにはチト骨っぽい。とはいえ放置していたのでは、この小国の『民主とか自由という害毒』が大国のあちこちに感染しはしまいか」。大国にとっても深刻な事態となっているのだ。

がんばれ香港。がんばれ若者たち。君たちの未来を決めるのは、君たち自身なのだから。
(2014年10月2日)

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