澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「統一教会スラップ・有田事件」の報告と、ご支援のお願い。

(2023年1月13日)
 「旧統一教会スラップ・有田事件」は、東京地裁民事第7部合議B係(野村武範裁判長)に係属しています。被告とされた有田芳生さんの弁護団は現在5名。光前幸一弁護団長、澤藤大河事務局長。これに、郷路征記・澤藤統一郎・阿部克臣の3弁護士。もっと多数の弁護士に弁護団へのご参加をいただき、「共に闘って」いただくよう要請中ですが、弁護団の人数が増えてもこの5人はその核となり続けます。

 弁護団はこの訴訟を、受け身の姿勢ではなく攻勢的に進行することを課題としています。原告統一教会によるこの民事訴訟提起は、統一教会が自らに対する批判を嫌って、批判の言論の萎縮を意図した不当なスラップであることは明白です。まずは迅速に訴訟を進行させ、一刻も早く勝訴判決を獲得しなければなりません。それが、有田さんのためだけではなく、民主主義の基礎である表現の自由が要求するところだと思います。

 にもかかわらず、今のところ本件訴訟の進行は遅々たるもので、第一回口頭弁論期日さえいまだに決まっていません。決まっているのは1月23日11時のオンラインでの進行協議(進行についての打合せ)のみ。弁護団としては、「迅速な審理の進行を望むこと」「形骸化しない充実した口頭弁論を望むこと」を裁判所に申し入れています。

 この進行協議では、第1回口頭弁論をいつ開き、どのように進行するかが決まることになるでしょう。そのときは、すぐにご報告いたします。

 現在、弁護団は答弁書の作成と証拠資料の収集に没頭しています。元来が無理な提訴ですから、有田側の勝訴は間違いありません。問題は、どのように勝つか、そしてどうしたら迅速に勝てるかです。答弁書は間もなく完成の予定で、当ブログでも、できるだけのご報告をいたします。

 ところで、いずれも旧統一教会が原告となって起こした「旧統一教会スラップ」は、下記の5件です。

 被告 紀藤正樹・讀賣テレビ (請求額2200万円)9月29日提訴
 被告 本村健太郎・讀賣テレビ(請求額2200万円)9月29日提訴
 被告 八代英輝・TBSテレビ(請求額2200万円)9月29日提訴
 被告 紀藤正樹・TBSラジオ(請求額1100万円)10月27日提訴
 被告 有田芳生・日本テレビ (請求額2200万円)10月27日提訴

 有田弁護団としては、他事件と連携し情報を交換しながら、「共に闘う」姿勢を堅持したいと思っています。力を合わせて不当な勢力と闘い、全事件を完全勝利したいと願っており、有田事件はその先陣を切ろうと考えています。

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 なお、皆様のご支援をお願いいたします。12月21日の当ブログでもお願いしましたが、再度のカンパの要請を申し上げます。
  https://article9.jp/wordpress/?p=20497

 「有田芳生さんと共に旧統一教会のスラップ訴訟を闘う会」という、やや長い名前の会が立ち上がってます。この長い名称からも、統一教会スラップを我が事として闘おうという心意気が溢れています。

 心意気は十分なのですが、先立つべきものが、先には立たない現状でカンパを要請しています。ぜひ、ご協力ください。

会のURLは下記のとおり。
https://aritashien.wixsite.com/home

そして、送金先口座情報は下記。
https://aritashien.wixsite.com/home/donation

送金先の口座は下記のとおりです。

三菱UFJ銀行 月島支店
普通口座 4500218
口座名 チームAAA

「チームAAA」とは、もともとは「アンチ・アベ・アクション」の略なのだそうです。「有田・圧勝・あっさりと」くらいに読み替えてください。

この「共に闘う会」の賛同者は、下記のとおりなかなかの顔ぶれ。

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賛同人リスト(五十音順)
青木理 ジャーナリスト
阿部岳 新聞記者
池田香代子 翻訳家
石井謙一郎 フリーライター
石坂啓 漫画家
石橋学 新聞記者
井筒和幸 映画監督
内田樹 作家
江川紹子 ジャーナリスト
木村三浩 一水会代表
坂手洋二 脚本家
佐高信 作家
辛淑玉 コンサルタント
せやろがいおじさん(榎森耕助) 芸人
高世仁 ジャーナリスト
谷口真由美 法学者
寺脇研 映画プロデューサー
中沢けい 作家
仲村清司 作家
浜田敬子 ジャーナリスト
藤井誠二(事務局) ノンフィクションライター
二木啓孝(事務局) ジャーナリスト
前川喜平 教育評論家
松尾貴史 俳優・コラムニスト
三上智恵 ドキュメンタリスト
宮台真司 社会学者
室井佑月 作家
望月衣塑子 新聞記者
森健 ジャーナリスト
森達也 映画監督
安田浩一 ノンフィクションライター
山岡俊介 ジャーナリスト
吉永みち子 ノンフィクション作家

『プーチンのロシアと宗教』ーそして「戦後日本の国家と宗教」

(2023年1月9日)
 宗教専門紙「中外日報」1月5日号に、野田正彰さん(精神病理学者)が寄稿している。『プーチンのロシアと宗教』という標題。短い論文だが、時宜にかなった手応えのある問題提起。

 そのまとめの1文が、「私たちは戦後の日本国憲法で、その内実をあまり討論もせず、政教分離の原則と言ってきたが、政治と宗教は深いところで結びついている。今回の統一教会と自民党の癒着問題は、宗教とは何か、考える重要な契機である。ロシアがたどった道、ウクライナ戦争も、政治と宗教が深くからみあっている」と問題を投げかけるもの。ロシアの事情を批判的に学んで、日本の現状をよく考えよという示唆なのだ。

 精神科医である野田さんは、1980年代中ごろ、統一教会の洗脳システムによって常時サタンの幻覚に脅えるようになった信者を、患者として治療する機会があった(論考「霊感商法と現代人の心」・『泡だつ妄想共同体―宗教精神病理学からみた日本人の信仰心』93年春秋社に所収)という。

 その経験から、統一教会の動向に関心をもつようになった。とりわけ、ゴルバチョフ財団に多額の寄付をして、権力の中枢との密接な関係を築いてから、市民への布教を進めた統一教会の戦略に関心をもち、何度か現地に赴いての調査もしたそうだ。従って、ソ連崩壊後のロシアの宗教事情に詳しい。ロシアでは、「日本や韓国から侵入してきた統一教会やオウム真理教の被害者家族なども面接」をしているという。その野田さんの論考の骨格は以下のとおり。

「1917年11月の『十月革命』でソヴィエト政府樹立を宣言した…ソ連共産党がロシア帝国の最大の悪と考えたのは、帝制(ロマノフ王朝)であり、その文化イデオロギーである東方キリスト教(ロシア正教)であった。ソ連共産党は宗教をレーニン主義の敵とみなした。

 ソ連共産党は宗教なるものを全否定したのだが、ここで宗教と考えていたのはロシア正教だった。ロシア帝国、農奴制と皇帝、ロシアの文化に深く浸透し精神的支えになっているロシア正教。彼ら(共産党)はロシア正教を禁止し、神父を追放処刑し、教会を没収解体していった。だが永く続いた文化の表に現象するものは破壊できても、その無形の思想を破壊するのは難しい。新しい制度や造形を創れば創るほど、どこかで前の文化が原型となって模倣されてしまう。廃仏毀釈の後の国家神道の形成も似ている。」

 「結局、ロシア正教を全否定したロシア共産党だったが、否定の先にあったのはロシア正教の影絵をたどる道であった。90年代のロシア、ウクライナ、バルト三国など、ソ連解体から諸宗教への勃興へ、私は調査を続けながら、ロシア共産主義がいかに宗教(ロシア正教)に似ているか、考えていた。」

 野田さんによれば、ソ連共産党は「党という大教団を作り、各地に委員会という教会を作り、荘厳な祭典(メーデー、戦勝記念日など)を繰り返したこと」「異端の粛清と正統イデオロギーの確定がセットになって反復されたこと」において、結局は、ロシア正教の影絵をたどる道を歩んだ。だから、ソ連崩壊後はロシア正教の復活となったというのだ。

 「これほども精神を支配してきた共産主義というキリスト教擬似宗教が消えた跡に、真空に吸いこまれる粉塵のごとく諸宗教が吸引されていた。ロシア共産党の二本の柱、KGBと軍。その強固な柱であるKGB育ちのプーチンは、チェチェン人への謀略によって権力を握った後、迷うことなくロシア正教のさらなる復興を進め、新しく選ばれたキリル総主教との関係を強めてきた。真空になったロシア社会から、塵を払いのけて伝統の巨大な柱、ロシア正教を支援していったのである。」

 この野田論考は、読み方によっては恐ろしい暗示である。我が国の敗戦と戦後民主主義社会における宗教事情ないしは政教分離の内実を再検討すれば、国家神道の再興もあり得ると警鐘を鳴らすものではないか。

《敗戦によって誕生した新生日本は、政教分離を宣言し国家と宗教との癒着を全否定したのだが、ここで宗教と考えられていたのは、天皇とその祖先神を国家の神とする国家神道(=天皇教)だった。国家神道は臣民に刷り込まれ、中央集権的な軍国主義体制下の国民意識を支配し、政治・軍事・教育・文化・メディアに浸透して、国民一人ひとりの精神的支柱にもなっていた。
 新生日本は、天皇主権を国民主権に転換し、天皇の軍の総帥としての地位を剥奪し、天皇の宗教的権威も神聖性も法的に否定した。併せて、国家主義を脱して、個人主義・自由主義を憲法の根幹に据えた。さらに、戦後民主主義は、政教分離を宣言して国教を禁止し、神官の公務員たる地位を剥奪し、あらゆる神社への公的資金の投入を禁じた。ひとえに、旧天皇制への回帰の歯止めとして、である。
 だが永く続いた文化の表に現象するものは破壊も改変もできようが、その根底にある無形の思想までも消滅させることは難しい。新しい制度や造形を創れば創るほど、どこかで前の文化が原型となって模倣されてしまう。絶対主義的天皇制の制度を廃止しながら、象徴天皇制を残した中途半端な戦後民主主義においては、その危険は一層大きい》

《かつて、これほどにも国民の精神を支配してきた国家神道=天皇教である。戦後民主主義というイデオロギーが攻撃され、危うくなったときには、形を変えた『天皇教』が復活するれを払拭できない。その素地は実は十分に醸成されており、真空になった日本社会から、塵を払いのけて伝統の巨大な柱、天皇教即ち国家神道が立ち上がる危険に警戒しなけれぱならない》

人を不幸にする宗教が、信教の自由の美名のもとに被害を拡大し続けて行くことを許容してよいのか。

(2023年1月8日)
 もっぱら統一教会の主張を代弁している「世界日報」。その本日付の【社説】が、「安倍氏暗殺半年 揺らぐ民主主義の根幹」というタイトル。「軽視される信教の自由」「テロは決して許されぬ」という二つの小見出しが付いている。統一教会の言う「民主主義の根幹」とはいったい何のことだろうか、それが今どう「揺らい」でいるというのか。若干の興味をもって目を通したのだが、何とも説得力のある論考にはなっていない。

 あるべきタイトルは、「安倍氏暗殺半年 揺らぐ自民党政治への信頼」あるいは、「暴かれつつある安倍政治と反社会的宗教との癒着」というべきであろう。小見出しは、「軽視される信教の自由の限界」「明らかとなったマインドコントロールの恐怖」「信者家庭の子にもたらされた苛酷な人生」あたりが適当か。「テロは決して許されぬ」だけは当然の事理。同種事件の連鎖を許してはならない。しかし、これをテロと言ってよいものか、必ずしも明らかではない。

 統一教会・勝共連合・世界日報側が、銃撃された安倍晋三を悼めば悼むほど、惜しめば惜しむほど、自民党、とりわけその最右派である安倍派には迷惑なことになる。「統一教会とは大して親密な関係ではありません」と、何とか世論の批判をかわしたいのが安倍後継勢力。その心情に構うことなく擦り寄って来られるのだから。

 しかし、統一教会側からすれば黙ってはおられまい。手のひらを返したような自民党や清和会の連れない態度には憮然たる思いがあって当然であろう。その面白くないという心情の吐露を汲み取る以外に、この社説の読むべきところはない。

 それでもせっかくの論考。以下に赤字で引用して、黒字で私の感想を記しておきたい。

「安倍晋三元首相が奈良市で凶弾に倒れてから半年が経過した。史上最長政権を担った元首相が、選挙の遊説中に銃撃され死亡するという民主主義の根幹を揺るがす前代未聞の事件であったにもかかわらず、その本質が忘れられつつある。
そればかりか、テロリストが意図した通りの展開となっているのは憂慮すべき事態だ。」

 この書き出しの文章は、安倍国葬提案理由の二番煎じでインパクトに欠ける。そもそも安倍晋三と民主主義が不釣り合いだった。そして何よりも、犯人自身が捜査機関に語った銃撃の動機は、統一教会への恨みであって、安倍晋三は韓鶴子の言わば身代わりなのだ。その意味では、本件は政治的テロ行為ではない。この事件の本質は、反社会的な宗教に洗脳された信者家族の悲惨さにある。そして、《多くの人を不幸にする宗教が、信教の自由の美名のもとに、被害を拡大し続けて行くことを許容してよいのか》が問われている。それが、今進行している事態の「本質」ではないか。これを「民主主義の根幹を揺るがす」とは、無内容も甚だしい。

「奈良市は銃撃現場を車道にし、慰霊碑などの構造物は造らない方針という。かつて同様にテロによって暗殺された原敬、浜口雄幸両元首相の東京駅の遭難現場には、それを示す印が床に嵌め込まれ、近くに説明板が置かれている。世界の平和と秩序維持に貢献し、国葬儀の際には多くの国民が献花の長い列を作って死を悼んだ安倍氏の遭難現場に、その痕跡すら残さないというのは理解に苦しむ。安倍氏のレガシーを認めたくない人々への迎合としか思われない。事件は民主主義への重大な挑戦であった。それを何事もなかったかのようにするのは、民主主義を守ろうという意思の欠如を示すものに他ならない。」

 奈良市の措置に賛否の意見あるのは結構だが、大上段に「民主主義を守ろうという意思の欠如を示すものに他ならない」という断定はトンチンカンも甚だしい。この一文は、統一教会が安倍政治をかくも全面的に肯定し、安倍の死をかくも惜しむことによって、その政治的立場の一体性を示す貴重な資料として意味がある。
 安倍晋三を、政治テロによって暗殺された原敬、浜口雄幸、あるいは犬養毅、高橋是清らと同列に置くことはできない。安倍は政敵に暗殺されたのでも、彼の政治信条を理由に暗殺されたのでもない。反社会的カルトとの癒着を嫌われて銃撃の義性となった。そのことをも考慮に入れての奈良市の対応である。にもかかわらず、「安倍氏のレガシーを認めたくない人々への迎合としか思われない」は、噴飯物と言うしかない。

「殺人容疑で送検された山上徹也容疑者が、母親が入信している世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みから、同教団と関わりのあった安倍氏を襲撃したとの供述内容が報じられたことで、人々の関心は旧統一教会問題に向かった。
その後のメディアの魔女狩り的報道で、岸田文雄首相は事件の全容や旧統一教会の実態が明らかにされる前に、早々と自民党と教団との絶縁を宣言した。これによって、政治が宗教の影響を受けることは悪であるかのような、戦後の日本に潜在してきた政教分離の誤った解釈を蔓延(まんえん)させてしまった。メディアに引きずられ、問題の本質を見誤った判断と言わざるを得ない。」

 この前段はそのとおりだが、後段には看過できないいくつもの言い回しがある。統一教会への批判を「魔女狩り的報道」とレッテルを貼ることの意図は明らかで、こんなことで批判の言論に萎縮があってはならない。「政治が宗教の影響を受けることは悪であるかのような」は、あたかも「政治が宗教の影響を受けることは悪ではないような」主張である。議論を拡散せずに絞れば、「少なくとも、政治が統一教会のごとき反社会的なカルトから影響を受けることはけっして放置してはならない」と言うべきである。これに続く、「戦後の日本に潜在してきた政教分離の誤った解釈を蔓延させてしまった」は、だれにも意味不明、理解できない。おそらくは、社説を起案した本人にも何を言っているのか分からないだろう。

「事件が旧統一教会の献金に絡むものであったことから、法人などによる悪質な寄付などの勧誘行為を禁じる被害者救済新法が拙速に成立し、施行された。被害者の救済に一定の効果は期待できるが、憲法で保障された信教や内心の自由を軽視する傾向が強まったことは今後に問題を残した。この動きは地方議会にも波及し、憲法違反の疑いの濃い決議が採択されている。」

 以上から汲みとることができるのは、「宗教批判はけしからん、だから、統一教会批判をしてはならない」という、単純で無邪気だが、乱暴な非「論理」。宗教を批判することはタブーではない。ましてや、具体的な事実に基づく統一教会批判や、それと癒着した安倍政治の批判に躊躇があってはならない。

「さらに社会的に問題があるとの理由で、政府は同教団の解散命令請求を視野に入れ、宗教法人法に基づいた質問権を初めて行使した。正当な理由なしに解散命令を請求するのは、宗教弾圧につながる深刻な問題だ。」

 「正当な理由なしに解散命令請求することが深刻な問題」であることは当然のこと。しかし、統一教会による甚大な被害は、民事・刑事の多数の判決に明らかとなっている。霊感商法も、多額の寄付勧誘も、合同結婚式も、養子斡旋も、すべてはこれ以上の被害拡大防止のために「解散を命ずべき正当な理由の存在」を明らかにしていると言うべきではないか。「宗教弾圧」という言葉の陰に隠れ通すことはもはやできない。

「何よりこれらの流れは、安倍氏を殺害し教団への恨みを晴らそうとした容疑者の狙い通りの展開である。メディアは容疑者の行為を『もちろん非難されるべきだが』
と断りながら、旧統一教会叩きを繰り返した。そこからは『いかなる理由があってもテロは許さない』という強いメッセージが伝わってこない。」

 これは、論点外しである。詭弁と言ってもよい。被疑者の刑事罰を免責してよいはずはない。弁護権を確保しつつも、刑事訴訟手続は厳正に行われなければならない。その刑事手続の進行とは別に、事件をきっかけにあらためて世に問われているのが、カルトと政治の癒着の実態である。【社説】には、この問題の議論を封殺し、論点をずらして世論の批判を避けようとの姑息な詭弁が透けて見える。

「山上容疑者の鑑定留置が10日で終わることを機に、奈良地検は殺人罪で起訴するとみられるが、テロ殺人であることを忘れるべきではない。信教、内心の自由、そして暴力の否定は民主主義の根幹である。それをこれ以上揺るがせてはならない。」

 この結論もよく分からない。「暴力の否定」に異論あろうはずはないが、そのことを「統一教会批判阻止」と結びつけようという論旨が、この社説の全体を訳の分からぬものとしているのだ。

「統一教会」と「天皇教」 どちらのカルトにも洗脳されてはならない。

(2023年1月6日)
 統一教会問題の根は深い。深刻に教訓とすべきは、人の精神はけっして強靱ではないということである。周到にプログラムされたマインドコントロール技術は有効なのだ。自律的な判断で信仰を選択しているつもりが、気が付けば洗脳の被害者となる。その被害者が、次の被害者を生む洗脳行為に加担させられる。こうした連鎖反応が、社会を蝕むことになる。

 そのことを「統一協会 マインド・コントロールのすべて」(郷路征記著・花伝社)が丁寧に教えてくれる。その書物のカバーに「人はどのようにして文鮮明の奴隷となるのか?」という刺激的なキャッチが心に響く。これは、「かつて臣民はどのようにして、天皇のために死ぬるを誉れと教え込まれたか?」と同じ構造の問ではないか。

 明治維新後に生まれた新興宗教である天皇教というカルトは、その成立当初から政治権力と結びついていた。その周到にプログラムされたマインドコントロール技術によって、自律的な判断で信仰を選択しているつもりの国民が、それとは気が付かないうちに洗脳の被害者となった。その被害者が、さらに次の被害者を生む洗脳行為に加担させられる。こうした連鎖反応が、一国の国民全部を蝕むことになって、国を破滅に導いた。

 天皇教の教祖にして現人神と祭り上げられた人物が、睦仁であり、嘉仁であり、裕仁だった。これが、ちょうど文鮮明・韓鶴子の役どころにあたる。天皇教は、皇祖皇宗の指し示すとおり、我が民族のみ貴しとする非合理な八紘一宇を説き、カミカゼが吹くとして侵略戦争に狂奔し、臣民に天皇のために死ね、と教えた。これが天皇教の重要な一部をなす靖国の思想である。

 こうして、77年前までの日本は、天皇カルトが全国の全局面に蔓延し、一国の国民の精神を支配したカルトの国であった。学校と軍隊が主たるその布教所となり、教員が熱心な布教師となった。そして、権力に操られた新聞・出版メディアとNHKが、一般国民への天皇カルトの果敢な宣伝隊となった。

 本日の赤旗の報道で初めて知った。統一教会では、漠然と「宗教2世」とは言わないらしい。親の入信前に生まれた子どもを「信仰2世」と言い、集団結婚した両親から生まれた子どもを「祝福2世」と言うのだそうだ。その数、前者が3万人、後者が5万人だという。

 「統一協会は入信後に集団結婚した両親から生まれた「祝福2世」を“神の子”として特別に位置付けています。他方、親の入信前に生まれていた子どもは「信仰2世」として信者1世と同じ扱いをします。ただ、どちらの2世も家庭への高額献金や集団結婚の強要といった被害は共通しています。

 協会関連資料や関係者によると、これらの反社会的行為を嫌って協会活動から離れる2世も多いといいます。
 このため統一協会は2世を連れ戻すため必死になっています。すべての信者家庭が2世の協会復帰に「命を懸けなければなりません」と強調。「家庭連合に対して完全に背を向け、関わりを一切断っている2世だとしても、捜し出して導かなければなりません」と命じています。」

 統一教会も必死になって組織防衛に活動しているのだ。

 しかし、この8万人の一人ひとりに深刻な悩みがあるに違いない。宗教1世と併せれば、20万人にもなるのだろうか。このカルトが、ここまで蔓延してきたことは驚くべきことではないか。しかし、天皇カルトが洗脳した1億人に較べれば、まだ規模は小さいとも言えそうである。そして、危険な天皇カルトはまだ退治され切っていない。

 先の郷路君の著作の一節に、「マインドコントロールによって他人に操作されることを防ぐ道は、マインドコントロールについての知識を持つことである」という、名言がある。なるほどと思う。国家権力や社会的な同調圧力による国民精神の支配から自律した精神を防衛するためにも広く通じることと言えよう。それが、日本の近代史を学ぶという意味なのだと思う。

「世界日報」【社説】に反論する。「信教の自由」の名の下に、統一教会の横暴を許してはならない。

(2023年1月3日)
 あらたまの年のはじめである。正月にふさわしく、格調高く明るい希望を語りたい。…とは思えども、なかなかそうはならない。結局は本日も、格調もなく楽しくもない話題を取りあげることになる。

 「世界日報」が、12月31日付けで「22年の日本 保守の後退と民主主義の危機」と題する【社説】を書いている。統一教会の立場を代弁するものだが、自民党と安倍晋三を持ち上げつつも、関係断絶宣告されたことへの怨みを述べて、自民党にすがりつき抱きつこうとする姿勢を露わにしている。自業自得とは言え、自民党にとっては迷惑この上ない「深情け」であろう。

 【社説】は、「7月8日、奈良市で起きた安倍晋三元首相暗殺は、日本の保守政治を大きく後退させ、民主主義をかつてない危機にさらすことになった」と断じる。しかし、「日本の保守政治を大きく後退させた」のは、安倍晋三銃撃それ自体ではない。安倍銃撃の動機として明るみに出た『統一教会と安倍・自民党との長年にわたる醜悪な癒着の実態』なのである。問題をすり替えてはいけない。

 隠されていた保守政治の大きな汚点がようやく語られるようになって、実は、虚飾のイメージで国民の信頼と政権与党の地位を騙し取っていた自民党が、等身大の正体を現したというだけのことなのだ。「民主主義をかつてない危機にさらすことになった」は、見当外れも甚だしい。安倍晋三と自民党の正体が露見して、支持率が下がるのは「民主主義が健全に機能している証左」以外のなにものでもない。

 また、【社説】は「脅かされる信教の自由」の小見出しで、「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みが動機であったとの容疑者の供述が警察から流されると、マスメディアの関心は旧統一教会叩(たた)きに集中した。一方的な中世の「魔女狩り」を思わせる報道によって形成された世論を意識して、岸田文雄首相は自民党と教団との関係断絶を宣言した」とも言う。

 私は、「日本の報道は信頼するに値する」とも、「世論は常に正しい」とも思ってはいない。むしろ、日本の報道は権力や政権与党に甘く、その報道に誘導された日本の世論は適正な自民党や安倍晋三批判をなし得ないことを残念に思ってきた。その私の目からは、統一教会に対するメディアや世論の批判が『一方的な中世の魔女狩り』を思わせるものとはとうてい思えない。

 さらに、【社説】は、「(岸田首相の)旧統一教会との絶縁宣言は、日本政治をワイドショー政治に堕としめるものである」とも言う。悔しさや怨みだけは伝わってくる。「今までさんざん利用しておいて、具合が悪いとなったらポイ捨てか」と言わんところは分からぬでもない。が、悲しいかな。この一文には、人を説得し、人に訴える何物もない。

 【社説】は、安倍晋三を天まで持ち上げている。「『日本を取り戻す』を目標に、国家の安寧と民族の誇り回復のために活発に行動してきた安倍氏がいなくなったことで、保守政治は大きな柱を失った」「安倍氏亡き後、誰が日本を取り戻す主体となるのか、大きな課題である」という。なるほど、安倍晋三と統一教会、思想的には気の合った双子みたいな間柄。かくも一体、かくも紐帯が強いのだ。

 そして、【社説】は本音を語る。「国会でも信教の自由の重みに対する認識を欠いた発言が、平然と飛び交うようになっているのは憂慮すべき状況だ」「政府は同教団への解散命令請求を視野に質問権を初めて行使したが、信教の自由をないがしろにすれば民主主義の基盤を揺るがす。日本を中国のような全体主義国家に転落させてはならない」と。

 要するに、これまで統一教会には安倍晋三という強力な後ろ盾があった。安倍亡き後も、細田、下村、萩生田等々の頼むに足りるコアな同志的関係の政治家がいる。その支持をつなぎ止めておきたいのだ。そのための呪文が「シンキョウノジユウ」である。「シンキョウノジユウは民主主義の基盤である。だから、統一教会のシンキョウノジユウを貶める言動は、民主主義の基盤を揺るがす」という「論理」ないしは「屁理屈」。

 全ての基本権は尊重されないが限界を有している。ヘイトスピーチは表現の自由(憲法21条)の限界を超えて許容されない。裁判を受ける権利(32条)の限界を超えたスラップの提訴は違法となる。信教の自由も、他の基本権に優越する特別の地位をもっているものではない。他者の基本権と衝突する局面での調整において限界を有する。

 人の弱みに付け込んだ霊感商法の勧誘、非常識な高額寄附の要請、真意に基づいたと言えない婚姻の斡旋、未成年の子供の人権への配慮のない養子縁組…。どれもが、信教の自由の限界を超えたものとして違法たりうる。その指摘は、けっして「」民主主義の基盤を揺るがす」ものではなく、「中国のような全体主義国家への転落」を意味するものでもない。人権を大切に思う人々が、統一教会の所業を黙過してはならない。

富田林市議会の統一教会との関係根絶決議にイチャモン提訴

(2022年12月24日)
 指折り数えて…間違いはない。南河内の富田林は、私の8番目の故郷である。小学校の5年生から高校卒業までの8年間をこの町で過ごした。暦年で数えれば、1954年4月から62年3月まで。地元の富田林小学校、富田林一中は私の母校である。懐かしい山と川、懐かしい街並み、懐かしい友人と河内弁。懐かしい私の少年時代を育んでくれた故郷の平穏と発展を願ってやまない。

 その富田林市が、統一教会といささかの関係を持っていたとの報道があって、心を痛めていた。大阪府の自治体に、聞き慣れない「アドプト・ロード・プログラム」というものがあるという。市民の市政参加の一態様で、地元市町村と協定を結んだ市民グループが、道路の清掃や緑化などの美化活動を継続的に行うものだという。これに、統一教会系の組織が名乗りを上げ、富田林市と協定を結んでいたということのようだ。

 市民からの指摘を受けて、市はこの協定を解消し、市議会は以下の「根絶決議」を採択した。全会一致でのことである。


旧統一教会と富田林市議会との関係を根絶する決議

 旧統一教会が霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえ、行政や政治家にまで関係をひろげていたことが注目されている。
 富田林市が世界平和統一家庭連合とアドプトロードの協定を結んでいたことがマスコミにも報道され、市民から疑問の声や、今後の市や市議会議員の姿勢を問う声が寄せられている。
 富田林市議会として、市民の疑問にこたえ、旧統一教会との関係を根絶するため、以下2点を決議する。

1.富田林市議会議員の旧統一教会とその関連団体とのかかわりについて、自ら調査し、議会が市民に明らかにする。
2.富田林市議会議員は、旧統一教会及びその関連団体とは一切かかわりを持たない。

 以上、決議する。

令和4年9月28日

大阪府富田林市議会


 何の文句もつけようのない決議である。自治体は、住民自治の原則に従って自由にその意を表明することができる。当然に議会も同様である。

 しかも、「統一教会が霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえ、行政や政治家にまで関係をひろげていたこと」は、否定のしようもない厳然たる事実である。「富田林市が統一教会系団体とアドプトロードの協定を結んでいたことがマスコミにも報道され、市民から疑問の声や、今後の市や市議会議員の姿勢を問う声が寄せられている」ことにも疑問の余地はない。

 市民の懸念や叱正に応えての「対統一教会・関係根絶決議」である。敬意を表すべきでこそあれ、これを貶めるべき何の理由もない。にもかかわらず、これを不当に貶めることをイチャモンという。

 統一教会としてはこの決議が面白くない。富田林市に続いて、他の自治体が同様の「関係根絶決議」を採択することを阻止したい。富田林市にも、これ以上の統一教会対策はさせたくない。なんとか牽制しなくてはならない。その思惑が、何の違憲も違法もない決議に、イチャモンを付けての昨日(12月23日)の提訴となった。

 いわゆるスラップ訴訟について、なかなか適切な訳語がないままに「恫喝訴訟」「いやがらせ訴訟」などと呼ばれている。これに倣えば、この裁判には、統一教会の「イチャモン訴訟」というネーミングがピッタリである。

 報道では、見出しを「旧統一教会の友好団体、大阪市・富田林市議会の決議取り消し求め提訴」などとされている。

 訴えたのが「UPF(天宙平和連合)大阪」、韓国の本部が昨年開いたイベントに安倍晋三がビデオメッセージを送って銃撃される原因となった例の団体の地方組織。訴えられたのは大阪市と富田林市の両市(市議会には被告適格がない)。請求の内容は、決議の取り消しと慰謝料の請求(各350万円)。裁判所は大阪地裁である。

 報じられている原告の主張は、本件決議が「請願権を侵害」し、「思想の自由を保障した憲法19条」「信教の自由を保障した20条」に違反しているのだという。この言い分、いずれも「イチャモン」以外のなにものでもない。

 安倍晋三銃撃事件後の世に溢れた統一教会批判報道によって、統一教会ないしはUPF(天宙平和連合)の「請願権」行使が困難になったであろうことは想像に難くない。しかし、これを「決議」によるものと決めつけることはできない。俗な表現で言えば、単に統一教会の自己責任というだけの話なのだ。さらに「決議を取り消せ」「損害を賠償せよ」というのは、乱暴極まる「非論理」でしかない。

 原告UPFは、本件決議の違法を言わねばならないが、無理な話。市議会は、「統一教会が霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえ」たから、当該団体との関係を根絶したのだ。宗教団体だから霊感商法も許される、宗教団体だから強引な教化・伝道も許されるなどと勘違いしてはならない。

 宗教法人法86条は、「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解釈してはならない」と明記する。宗教団体が宗教団体ゆえに差別されてはならないが、宗教団体が宗教団体ゆえに何らの特権を持つこともない。あたりまえのことだ。

 「霊感商法などで、国民に大きな被害をあたえた団体」との決別が、その団体の構成員に何らかの不利益をもたらしたとしても、これを違法な請願権侵害とも、思想の自由保障の侵害とも、信教の自由侵害とも言わない。

 勝ち目のない訴訟と分かっていての、市議会や世論を牽制する意図での提訴なのだ。富田林市民は、統一教会・UPFによって市が被告とされたこと、そのことによって市が応訴の費用を負担しなければならないことを怒らねばならない。あらためて、その怒りもて、統一教会の違法行為を糾弾しようではないか。

《有田芳生さんと共に旧統一教会のスラップ訴訟を闘う会》に、ご支援のカンパをお願いします。

(2022年12月21日)
 《有田芳生さんと共に旧統一教会のスラップ訴訟を闘う会》が立ち上がっている。
 その公式ホームページが下記URL。

https://aritashien.wixsite.com/home

 単に「有田さんを支援しよう」というのではなく、《有田芳生さんと共に闘おう》と名乗りを上げているのが末尾に記した29人。大した面子ではないか。

 闘う相手は旧統一教会で、闘いの場は法廷である。闘いによって勝ち取ろうとしているものは、抽象的な「表現の自由」にとどまらない。「信教の自由」の美名のもとに猛威を振るったカルトの反社会性と政権との癒着を徹底して明らかにすること、そのことを通じて真っ当な政治を取り戻すこと。そのための闘いなのだから、有田さん一人に任せずに、わがこととして共にスラップ訴訟を闘おう、という29人。

 その有田芳生さんが、「共に闘う会」のホームページに《闘争宣言》を掲出している。一節をご紹介したい。

▼教団が韓国で生まれて68年目。統一教会=家庭連合は組織内外に多くの被害者を生んできました。まさに反社会的集団です。私は元信者はもちろん現役信者とも交流してきて思ったものです。日本史に埋め込まれた朝鮮半島への贖罪意識を巧みに利用して真面目な信者を違法行為に駆り立ててきた統一教会の犯罪的行為の数々は絶対に許すわけにはいきません。

▼安倍晋三元総理銃撃事件事件をきっかけに、自民党との癒着など「戦後史の闇」の蓋が開きはじめました。私は信頼する弁護団と社会課題についてはたとえ立場が異なれども教団に立ち向かう一点で集ってくれた「有田さんと闘う会」の高い志を抱きしめて、みなさんとともに、統一教会と徹底的に本気で闘っていきます。

▼その物質的支えとして、賛同してくださる方々それぞれの「一灯」、資金カンパをお願いできると幸いです。定職もなく元のフリーランスに戻ったのは、人生の循環で、ごく普通にうけとめています。でも裁判には時間もお金もかかります。旧統一教会に訴えられてからは、ピタッとテレビの仕事はなくなりました。まさにスラップ(恫喝)訴訟の効果です。反社会的な旧統一教会に圧倒的に勝たなければなりません。被告は私と日本テレビです。私は独自に5人の強力弁護団にお願いして闘っていくことにしました。日本テレビとは別個の弁護団です。HP表紙に「カンパのお願い」があります。どうかお気持ちをお寄せください。よろしくお願いします。

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「有田さんと闘う会」への特別カンパのお願い

 旧統一教会との裁判は、長丁場になることが予想されます。

 スラップ裁判の目的が、<金銭的余裕がある原告が、相手を弁護士費用、時間消費、精神的・身体的疲労などで、追い詰めていくこと>にある以上、私たちは、有田さんを精神的にも、金銭的にも支えていかなければならないと考えています。

 旧統一教会は、理不尽な霊感ビジネスや、信者からの多額な寄付で、かなりの資金を持っています。一方、訴えられた有田さんは、裁判準備だけで数百万円単位のお金が必要です。

 そこでご支援していただける方に、カンパをお願いする次第です。
 金額は問いません。可能な範囲でのご協力をお願いします。

 振込先
 三菱UFJ銀行 月島支店
 普通口座 4500218
 口座名 チームAAA

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《有田芳生さんと共に旧統一教会のスラップ訴訟を闘う会

賛同人リスト》


青木理 ジャーナリスト
池田香代子 翻訳家
石井謙一郎 フリーライター
石坂啓 漫画家
石橋学 新聞記者
?井筒和幸 映画監督
内田樹 作家
江川紹子 ジャーナリスト
木村三浩 一水会代表
坂手洋二 脚本家
佐高信 作家
辛淑玉 コンサルタント
せやろがいおじさん(榎森耕助) 芸人
谷口真由美 法学者
寺脇研 映画プロデューサー
中沢けい 作家
仲村清司 作家
浜田敬子 ジャーナリスト
藤井誠二(事務局) ノンフィクションライター
二木啓孝(事務局) ジャーナリスト
前川喜平 教育評論家
松尾貴史 俳優・コラムニスト
三上智恵 ドキュメンタリスト
宮台真司 社会学者
室井佑月 作家
望月衣塑子 新聞記者
森達也 映画監督
安田浩一 ノンフィクションライター
吉永みち子 ジャーナリスト

「統一教会スラップ・有田事件」の訴訟進行は、統一教会の反社会性立証の舞台となる。

(2022年12月20日)
 逆風に晒されている統一教会が、その組織防衛策として提起した5件のスラップ訴訟。いずれも、同教団に対する批判の言論を嫌って、コメンテーターとメディアの萎縮効果を狙ったもの。そのうちの1件として、ジャーナリスト有田芳生を被告として訴えた「統一教会スラップ・有田事件」がある。私も、その常任弁護団の一人となった。

 この事件の訴訟記録はいずれWeb上で閲覧できるように整備する予定だが、訴状のできは、はなはだよくない。何とも迫力に欠ける請求原因の記載だが、それでもスラップとしての萎縮効果は十分に発揮している現実がある。

 有田さんは、8月19日放送の日本テレビ番組「スッキリ」で、統一教会問題の解説をした。10月27日に至って、統一教会は有田と日本テレビを被告として、東京地裁に名誉毀損訴訟を提起した。「スッキリ」での有田発言の一部が、教団に対する名誉毀損となるという主張。請求金額は2200万円、典型的なスラップ訴訟である。

 この訴状において主張されている有田さんの統一教会に対する名誉毀損文言をそのまま転記すれば、以下のとおりである。

「一時期距離を置いていた国会議員達も、もう一度あの今のような関係を造ってしまったっていうその二つの問題があるということを思うんですが、どうすればいいかっていうのは、やはりあの、もう霊感商法をやってきた反社会的集団だって言うのは警察庁ももう認めているわけですから、そういう団体とは今回の問題をきっかけに、一切関係をもたないと、そういうことをあのスッキリ言わなきゃだめだと思うんですけどね」

 原告(統一教会)主張の名誉毀損文言を要約すれば、「(統一教会が)霊感商法をやってきた反社会的集団だっていうのは警察庁ももう認めている」というもの。果たして、これが違法な言論として損害賠償請求の根拠となり得るだろうか。そんなバカなことはない。この程度のことが言えなくては民主主義社会は成り立たない。

 原告のいう名誉毀損文言は、意味の上で二つの命題から成る。
 A 「(統一教会は)霊感商法をやってきた反社会的集団である」
 B 「そのこと(A)は、警察庁ももう認めている」
 
 命題Aの「反社会的集団」という表現は《事実の摘示》ではなく、《意見(ないし論評・評価)》の範疇。すると、統一教会を「反社会的」とする「意見」の根拠となる前提事実の真実性が、Aの命題の違法性を阻却する立証の対象となる。

 これは興味深い。統一教会の「反社会性」の根拠となる前提事実は、「霊感商法」を筆頭に山ほどにもなろう。その中から、必要にして十分なものを抜き出して立証を重ねることになる。ということは、この有田訴訟が、統一教会の反社会性立証の舞台となることを意味する。被告有田側での攻勢的な訴訟進行が可能というだけでなく必然なのだ。

 そして、命題Bである。起訴に至っていない捜査の秘密が公的に暴露されることはない。しかし、複数のジャーナリストが、下記の有田さんと同様の体験を語っている。

 「1995年秋に警察庁と警視庁の幹部の依頼で、対象者を聞かずに20?30人を相手にレクチャーを行い、その際に、『統一教会の摘発』を視野に入れていると聞いた」
 「その10年後のこと、幹部2人と話をした時に、10年たって、今だから言えることを教えてくれって聞いたんですよ。なんでダメだったんですか。一言ですよ。『政治の力』だったって。『圧力』」
 
 この点でも、攻勢的な立証活動が可能である。

 その他には、被告の側の抗弁として、公共性・公益性を挙証しなければならないが、名誉毀損訴訟の実務において、公共性と公益性の立証のハードルはさして高いものではない。

 スラップは、やられた被害者には面倒この上なく、社会的にも実害が大きい。しかし、この統一教会スラップ・有田事件には、貴重な反撃の舞台設定が用意されている。攻勢的に闘って、統一教会の反社会性を徹底して立証する場となることが約束されているのだ。

 ご支援をお願いしたい。

 自治体の『対統一教会断絶決議』に対するいやがらせ訴訟には、原告に対する応訴費用請求の反訴を

(2022年12月19日)
 統一教会と伝統右翼、その主張は水と油。むしろ互いに天敵の関係。天皇を含む日本人は韓国に跪いて奉仕すべしとする教義を持つカルトと、皇国史観から旧植民地韓国を差別して恥じないレイシスト集団。しかし、本来は不倶戴天のこの両者が、「反共」の一点では連携するのだ。だから、あの歴史修正主義者・安倍晋三が、統一教会の教主には歯の浮くようなお世辞のメッセッージを送ることになる。

 いま、統一教会に対する日本社会の風当たりが強い。当然に、それなりの理由あってのことである。しかし、これまで息をひそめていた教団が、少しずつ反撃を試みつつある。その主要なものが、メディアを通じての教団の主張の展開であり、スラップの提起である。また、「信者」による各自治体への要請・陳情などでも報じられている。

 さらに、あらたな手段が登場した。《旧統一教会と関係断つ富山市議会決議、取り消し求め信者が「全国初」提訴》(読売)と報じられている件。
 「富山市議会が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係を断つと決議したことで、憲法が保障する信教の自由や請願権を侵害されたなどとして、同市に住む50歳代の男性信者が16日、決議の取り消しと市議会を設置する市に慰謝料など350万円を求める訴訟を富山地裁に起こした。代理人弁護士によると、旧統一教会を巡る同種の決議に対し、取り消しを請求する訴えは全国初とみられる」。この原告訴訟代理人の弁護士が、伝統右翼側陣営の人物。

 富山市議会の決議は9月28日におけるもの。全会一致での可決だった。「旧統一教会や関係団体と一切の関係を断つ」とす内容。その全文は以下のとおり。

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富山市議会が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)及び関係団体と一切の関係を断つ決議

 安倍晋三元総理の銃撃事件をきっかけに政治と世界平和統一家庭連合(以下「旧統一教会」という。)との関わりの深さが浮き彫りとなっている。
 問題は、政治家が宗教団体と関わることではない。消費者の不安をあおり、高額な商品を購入させる「霊感商法」などで大きな社会問題となった団体とのつながりを持ってきたことにある。
 藤井市長並びに当局は、旧統一教会及び関係団体との関係について調査し、記者会見並びに議会でも公表した。富山市議会も藤井市長並びに当局と同じく、議会として過去の関係について次の通り調査し公表する。
1 各会派と旧統一教会及び関係団体との関係の有無について調査する。
2 会派として関係があった場合は、その内容について調査する。
3 会派の政務調査活動や政策立案の判断に影響が及んでいないか調査する。
4 以上のことを会派が取りまとめ議会として公表する。
 藤井市長並びに当局は、旧統一教会は極めて問題のある団体として、旧統一教会及び関係団体とは一切関わりを持たないことを決意し、表明した。
 富山市議会も、藤井市長並びに当局と同じく旧統一教会及び関係団体と今後一切の関係を断ち切ることを宣言する。

令和4年9月28日

富山市議会

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 この決議を違憲違法というのだから恐るべき偏見。恐るべき没論理。意見は勝手だが、被告となる自治体の住民に迷惑をかけてはならない。

 この決議についての一般紙の報道は、下記のように簡略である。

 「訴状で男性は、決議について『市における信者の政治参加を全面的に排除するものだ』と主張。取り消しを求める請願をしようと複数の市議にかけ合ったが、決議の尊重を理由にいずれも断られたといい、信仰を理由に不当な差別待遇を受けたとしている。
 また、決議自体についても、憲法が定める信教の自由や法の下の平等に反すると訴えている。」

 このようにしか報道されないのは、箸にも棒にもかからない、敗訴確実の提訴だからだ。行間に、記者の嘲笑が聞こえるような記事の書き方。

 ところが、統一教会の機関紙と目される「世界日報」だけは調子が異なる。内容が妙に詳細なのだ。タイトルは、「富山市を憲法違反で提訴 旧統一教会信者 断絶決議で請願権侵害」(2022年12月17日)

 「富山県富山市の男性が16日、自身が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の信者であることから市議会への請願を受け付けられなくなったことは憲法違反であるとして、富山市を相手取った訴訟を起こした。

 背景にあるのは、安倍晋三元首相銃撃事件で逮捕された容疑者が旧統一教会への恨みを供述したとの報道から激しい旧統一教会批判が巻き起こり、政党が競うように同教団との関係断絶をアピールしたことだ。

 特に自民党総裁である岸田文雄首相が8月31日、自民党と教団関連団体との長年の関係を陳謝し、同教団と一切の関係を断絶すると宣言。その後、自民党は地方組織にも通達した。

 来年に統一地方選挙を控えて各地の地方議会で教団との接点が政治材料となり、関係断絶を求めるなどの決議案が主に共産党から提出されている。が、富山市議会では、党中央の方針を受け自民党市議団から教団との関係を断絶する決議案を提出し、9月28日に可決した。

 富山市を相手取った原告の代理弁護人がツイッターで公表した訴状によると、原告の男性Yさんは現市長や自民党市議団所属の議員を応援し、選挙協力してきたという。しかし同決議を理由に請願の紹介議員となることを断られたという。

 Yさんは、『何人も…請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない』とする憲法16条、同14条の法の下の平等、同19条の思想良心の自由、同20条の信教の自由などに違反するとして、同決議の取り消しと請願権を侵害された損害などから慰謝料など350万円の支払いを富山市に求めた。

 直近の選挙まで篤い支持を選挙で受けながら、教団の信仰を理由に信者が投票した議員が請願を拒否する問題は国政から地方にまで広がっている。このような「関係断絶」決議案を否決する地方議会もあれば、可決する地方議会もある状況だが、要は基本的人権にかかわる問題だ。」

 こう詳しく報道されれば、一見して無理筋の訴訟であって、勝ち目のなさが明々白々である。被告の自治体(議会)が、こんな提訴で萎縮することはあるまいが、応訴の費用は自治体住民の負担となる。富山市は、この提訴にかかった全費用を、原告の「Yさん」に請求すべきであろう。また、場合によっては、共同不法行為として原告代理人の弁護士にも請求してしかるべきである。

 そのようにして、傍迷惑な濫訴を防止する必要がある。この手の濫訴の放置は民主主義の脆弱化につながりかねないのだから。

「救済新法」ー もっと実効性ある立法も可能なのに

(2022年12月9日)
 統一教会の被害予防と救済に向けた新法の法案が、昨日衆院を通過し会期末の明日には参院でも可決となる見通しである。この法案、与党(自・公)側は一刻も早くあげてケリを着けたい。野党(立・維)側は、一歩前進の与党譲歩を引き出したという実績を早期に誇りたい。両者の思惑が合致して、ことは性急に運ばれた。

 最終的な法案修正は、党首会談での政治決着とも報道されていたが、現実には密室での不透明な協議で、配慮義務に「十分な」という一語を付加しただけの、この上ない微調整による灰色決着となった。はたして、これで実効性のある予防・救済の法律ができると言えるのだろうか。元2世信者や被害者・弁護団からは「生煮えの法案」と評判は芳しくない。

 一歩前進ではあろうが、もっと審議を尽くして、もっと実効性ある法律にできただろうに、と残念である。現行の法体系が、統一教会の横暴から被害者を救済する立法を許さない、などということは考えられない。むしろ、新法案は短時間で安直に作られたものという印象を拭えない。

 かつては私法を貫く大原則として、「取引の安全」が強調された。いったん成立した法律行為が軽々に取り消されたり無効とされたのでは、経済社会の混乱は避けられない。法律行為の積み重ねを極力尊重し、過去に遡っての取消や無効を軽々に認めるべきではないという考え方。

 民法は、詐欺や強迫によってなされた意思表示の取消を認める。ということは、詐欺や強迫によるものでなければ、取消は認めないということでもある。契約当事者の形式的な平等を前提とする限り、売買でも貸借でも、婚姻でも離婚でも、あるいは高額の寄附であつても、自分の意思でした行為には責任を持たねばならないということが原則ではある。

 しかし実質的に、当事者間の力量に大きな格差がある分野では、形式的平等前提の「取引の安全」墨守の不都合は明らかとなる。使用者に対する労働者の保護、大企業に対する小規模企業の保護、そして事業者に対する「消費者利益の保護」を手厚くして初めて、実質的な平等が実現し法的正義貫かれる。

 民法では「詐欺または強迫」に限られていた意思表示の取消要件は、消費者契約法では、大きくその範囲を拡げている。通常、これを「誤認類型」と「困惑類型」に分類する。

?消費者契約法上の誤認類型とは
 ・ 不実告知(消費者契約法第4条1項1号)
 ・ 断定的判断の提供(同条同項2号)
 ・ 不利益事実の不告知(同条2項)
?消費者契約法上の困惑類型とは
 ・ 不退去(同条3項1号)
 ・ 退去妨害(同条同項2号)
 ・ 社会生活上の経験不足の不当な利用
  (不安をあおる告知 同条同項3号)
 ・ 社会生活上の経験不足の不当な利用
  (恋愛感情等に乗じた人間関係の濫用 同条同項4号)
 ・ 加齢等による判断力の低下の不当な利用 同条同項5号)
 ・ 霊感等による知見を用いた告知(同条同項6号)

 新法案は、消費者契約上の「困惑類型」を、統一教会への寄附に関して使えるようにしたことが主眼となっている。具体的には、《?不退去、?退去妨害、?勧誘をすることを告げず退去困難な場所へ同行、?威迫する言動を交え相談の連絡を妨害、?恋愛感情等に乗じ関係の破綻を告知、?霊感等による知見を用いた告知》という6項目の「禁止行為」は、消費者契約上の「困惑類型」とほぼ重なる。

 なお、両法における「霊感等による知見を用いた告知」についての規定を比較してみよう。
 消費者契約法では、
 「当該消費者に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、そのままでは当該消費者に重大な不利益を与える事態が生ずる旨を示してその不安をあおり、当該消費者契約を締結することにより確実にその重大な不利益を回避することができる旨を告げること。」

 救済新法(案)では、
「当該個人に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、当該個人又はその親族の生命、身体、財産その他の重要な事項について、そのままでは現在生じ、若しくは将来生じ得る重大な不利益を回避することができないとの不安をあおり、又はそのような不安を抱いていることに乗じて、その重大な不利益を回避するためには、当該寄附をすることが必要不可欠である旨を告げること。」
 
 以上のとおり、救済新法の「禁止規定適用範囲」は、消費者契約法上の「取消対象の困惑類型」範囲を出るものではない。その禁止規定違反に対する制裁は、寄附の取消だけでなく、行政の関与による勧告や,是正命令・法人名公表などもできるようにしてはいるが、けっして「画期的な法案」でも、「ギリギリまでできるところを詰め切った法案」というほどのことでもない。もっと審議を重ね、もっと加害被害の態様を見極めた法の成立が望ましかったといえよう。

 被害者は多くの場合、洗脳(マインドコントロール)下で「困惑」せずに高額の寄付をしているという。とすれば、「自由な意思を抑圧しない」という配慮義務規定を禁止規定として、「困惑類型」と同等の法律効果を持たれることができれば、画期的立法になるだろうが、そのためには、もっと徹底した審議を尽くさなければならない。それが放棄されたことが残念なのだ。
 結局は、施行後2年の見直し規定に期待したい。

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