百地章さんという憲法学者が、産経新聞に「中高生のための国民の憲法講座」という連続コラムを執筆しておられる。その第58講が8月9日掲載の「首相の靖国参拝をめぐる裁判」というタイトル。産経新聞のコラムだから、ご想像のとおりの内容。
産経を読ませられている中高生が哀れになる。「百地さんの説くところは、オーソドックスではないんだよ」「百地さんの言ってることを鵜呑みにするのは危険だよ」「少なくとも、反対意見があることを念頭に置いて、反対意見に耳を傾けるべきことを忘れないでね」と言ってあげたい。
ところで、このコラムの中に、明らかに私(澤藤)への反論が書かれている。
今年の4月6日、私は、当ブログに「百地先生、中学生や高校生に誤導はいけません」という記事を掲載した。産経の講座・第40講として「首相の靖国参拝と国家儀礼」と標題する百地章さんの論稿が掲載された翌日のことである。やや長文ではあるが、ぜひ次のURLをご覧になっていただきたい。5点にわたって、百地説を批判している。今回の百地コラムへの反論も、先回りして十分に書き込まれている。
http://article9.jp/wordpress/?p=2403
読み返すと、かなりの辛口。再掲すればこんな調子だ。
「この方、学界で重きをなす存在ではないが、右翼の論調を『憲法学風に』解説する貴重な存在として右派メディアに重宝がられている。なにしろ、「本紙『正論』欄に『首相は英霊の加護信じて参拝を』と執筆した」と自らおっしゃる、歴とした靖国派で、神がかりの公式参拝推進論者。その論調のイデオロギー性はともかく、学説や判例の解説における不正確は指摘されねばならない。とりわけ、中学生や高校生に、間違えた知識を刷り込んではならない」
あるいは、
「この論稿を真面目に読もうとした中学生や高校生は、戸惑うに違いない。百地さんは、靖国公式参拝容認という自説の結論を述べるに急で、政教分離の本旨について語るところがないのだ。なぜ、日本国憲法に政教分離規定があるのか、なぜ公式参拝が論争の対象になっているのか、についてすら言及がない。通説的な見解や、自説への反対論については一顧だにされていない。このような、『中高生のための解説』は恐い。教科書問題とよく似た『刷り込み』構造ではないか。」
百地さんは、私のこのような辛口批判に対して感情的な反発をすることなく、反論を展開している。それが説得力あるものとして成功しているかはともかく、論争の姿勢には評価を惜しまない。私の批判を無視しなかったことにおいて、紙上で私の批判を紹介しつつ反論していることにおいて、私は見直している。
言論には言論をもって対抗すべきが当然である。私は表現の手段として当ブログをもっている。百地さんは産経新聞だ。産経・百地論説がまずあり、私がブログでこれを批判して、その批判にまた産経を舞台に百地さんが反論した。準備書面の交換という過程を通じて争点が煮詰まりやがて判決に結実するがごとく、言論の応酬は読み手に問題の所在を提示し深く考えさせ、成熟した判断に至らしめる。
産経に対抗しての当ブログ、現実にはその影響力の大きさは比較にならないが、社会に発信する手段を個人として有していることの意味は大きい。私も、個人として、このツールをもって「思想の自由市場」に参加の資格を得ているのだ。現に百地さんは私のブログに目を留めて、産経紙上で反論しているではないか。
私への反論というのは、2点についてである。
第1点は、判決文中の「傍論」の理解についてである。
「弁護士でありながらこのこと(傍論は判決(判例)とは言えません)をご存じないのか、それとも「中高生を誤導」するためなのか、『高裁レベルでは内閣総理大臣の靖国参拝を違憲と述べた判決は複数存在する』と強弁する人がいます。靖国訴訟や君が代訴訟などで原告側の代理人を務めてきた弁護士です。しかし、彼が挙げているのはすべて『傍論』です」
第2点は、愛媛玉串料訴訟大法廷判決の理解についてである。
「この弁護士はブログで、靖国参拝についての最高裁の判断はまだないが、近似の事件として公費による靖国神社への玉串料支出を違憲とした愛媛玉串料訴訟判決がある、ともいっています。」「この問題の判決を引き合いに出して、『首相の靖国参拝は違憲』との判決が期待できると主張しているわけです。本当でしょうか。
この弁護士は、私以外にはあり得ない。以上の2点についての再反論は、4月6日ブログで十分だと思う。
問題は次の点だ。
「最高裁判決が存在せず、しかも下級審でも違憲とされていない以上、第40講で述べたとおり、国の機関である首相が依(よ)るべきは『首相の靖国神社参拝は合憲』とする『政府見解』(昭和60年8月)と考えるのが自然です。これは旧社会党首班の村山富市内閣さえ踏襲し、現在の政府見解でもあるのですから。」
これは、安倍内閣の集団的自衛権行使容認論における言い分そのままである。「最高裁判決で違憲と判断されない限りは、私が憲法解釈の権限をもっている」というもの。この安倍政権の傲慢さに国民が警戒を始めた今、安倍政権に理性ある態度を求めるのではなく、さらなる暴走をけしかける役割を買って出ているといわざるを得ない。
しかも、愛媛玉串料訴訟大法廷判決は、靖国懇の答申のあとに出ているのだ。目的効果基準を適用してなお、13対2の圧倒的な評決で大法廷は違憲と判断した。これこそ判例としての解釈基準の設定である。傍論ではない。内閣は、憲法に縛られている立ち場にあることを重く受けとめねばならない。玉串料の奉納程度でも違憲とされた、と解しなければならない。国家と宗教との過度の関与として、この上ない首相の靖国参拝を合憲と、内閣自らが強弁するようなことがあってはならない。
下級審判決における違憲判断は傍論として斥け、大法廷判決は問題判決だから無視するという。これでは筋が通らない。結局は靖国参拝合憲と言いたいだけなのだ。安倍内閣も、百地教授も。
(2014年8月11日)
※昨日(8月9日)、上智大学の田島泰彦さんからお誘いを受けて、メディアに関係する研究者と弁護士とジャーナリストの集いで、『DHCスラップ訴訟』についてたっぷりと報告をさせていただいた。集団的自衛権や、日の丸・君が代、靖国問題、自民党改憲案や消費者問題ではなく、自分が被告になったこのスラップ訴訟でのまとまった報告は初めてのこと。
言論の自由に深刻な問題と受けとめていただき、熱心に聞いていただいた。「被害者本人として、この点をどう考えているか」という質問がいくつも出た。集いの参加者みんなが表現の自由の拡大を一面的に望ましいと考えているわけではない。過剰な取材や報道から、市井の人々のプライバシーをどう守るかに最大の関心を持っている人もいる。そのような立ち場の人も含めて、「本件スラップは人権と民主主義の双方にたいへん危険」ということで異論はなかった。
人間、励まされると元気が出る。声がかかったら、どこにでも出かけて行って『DHCスラップ訴訟』について語ろう。なにしろ私は、被害者本人である。こんな経験は滅多にできるものではない。貴重な語り部として、被害体験を大いに語るべき責務があろうというものだ。
※このブログで、『DHCスラップ訴訟』進行をリアルタイムで報告することをお約束している。スラップ訴訟への法廷内外での対抗の在り方のモデルケースを示したい。理論的な蓄積や応訴のノウハウについても提供したい。このブログの「『DHCスラップ訴訟』を許さないシリーズ」を、スラップ応訴劇場ともし、スラップ対応教室ともしてみたい。その立場から、現在の弁護団体制や、確定しているスケジュールと、あと10日となった8月20日(水)法廷とその後の報告集会の予定についてご連絡する。
※現在、被告側の応訴弁護団員数は110名。8月20日次回期日出廷予定者は39名となっている。これは予想外。相当なものだ。弁護団参加者は、みんなが、「澤藤一人の問題ではない。人権と民主主義を侵蝕する問題として見過ごせない」と立ち上がっている。また、澤藤や弁護団中核の「この典型事件の応訴の過程で、これまでの理論や運動の経験を集大成して、他の事件にも使えるようにかたちにして残そう」ということに賛同して、次のスラップ訴訟は単独てでも受任できるように経験を積みたいとしてくれている若手もいる。弁護団もスラップ対策教室となっているのだ。
※当面のスケジュール
8月13日 被告準備書面(1)、乙号証、訴訟委任状、意見陳述書案各提出
8月20日(水)午前10時半 事実上の第1回口頭弁論期日
東京地裁庁舎7階 705号法廷(民事24部合議係)
通常手続以外に意見陳述があります
澤藤5分、当事者の立ち場で。
弁護団長5分、法的な整理を中心に。
誰でも傍聴可能です。しかし、満席となればそれ以上は入れません。
8月20日(水)11時? 報告集会兼弁護団会議(東京弁護士会508号室)
☆弁護団長報告
当日の法廷の解説、今後の進行見通し、争点などについて
☆北健一さん(「武富士対言論」の著者・出版労連事務次長)報告
スラップ訴訟の実態とその危険性。実践的な対応策など。
☆スラップ経験弁護士からの補充
☆田島泰彦さん(上智大学・メディア法)報告
スラップ訴訟と表現の自由、本件の進行に関して
☆スラップ訴訟や応訴の意義に関しての意見交換
☆訴訟の進行や主張・立証に関する意見交換
どうぞ、どなたでもご参加下さい。
ここも、劇場でもあり、教室でもあるのですから。
(2014年8月10日)
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『DHCスラップ訴訟』応訴にご支援を
このブログに目をとめた弁護士で、『DHCスラップ訴訟』被告弁護団参加のご意思ある方は東京弁護士会の澤藤(登録番号12697)までご連絡をお願いします。
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(カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)
8月9日、「祈りの長崎」に、国民すべてが、いや世界の人々が、ともに頭を垂れ心を寄せるべき日。
その「長崎原爆の日」の今日、平和祈念式典が行われ、田上富久市長の平和宣言が集団的自衛権に触れた。つぎのとおりである。
「いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。
長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。」
市長の発言である。安倍首相の面前でこれだけのことを言ったと評価すべきだろう。また、安倍首相を前にしてこれを言わなければ、何のための平和祈念式典か、と問われることにもなろう。
圧巻は、被爆者代表の城臺美彌子さんの発言。ネットで複数の「全文文字化」が読める。ありがたいことと感謝しつつ、その一部を転載させていただく。
「山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。おとなりの同級生、トミちゃんが、『みやちゃーん、遊ぼう』と外から呼びました。その瞬間、キラッ!と光りました。
その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えておりません。暫く経って、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんは、その時何の怪我もしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。
たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなる。たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で、多くの被爆者が命を落としていきました。
原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは、人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい、非人道的な核兵器を、世界から一刻も早く、なくすことです。
そのためには核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府はその役割を果たしているのでしょうか。今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。
日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。一旦戦争が始まると、戦争が戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。
日本の未来を担う若者や、子どもたちを脅かさないで下さい。平和の保障をしてください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないで下さい。
福島には、原発事故の放射能汚染で、未だ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々が大勢おられます。小児甲状腺がんの宣告を受けて、怯え苦しんでいる親子もいます。
このような状況の中で、原発再稼働、原発輸出、行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。早急に廃炉を検討して下さい。
被爆者は、サバイバーとして残された時間を命がけで語り継ごうとしています。小学1年生も、保育園生さえも、私たちの言葉をじっと聞いてくれます。このこと、子どもたちを、戦場へ送ったり、戦火に巻き込ませてはならないという思い、いっぱいで語っています。
長崎市民の皆さん、いいえ、世界中のみなさん。再び、愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被曝の実相を語り継いで下さい。
日本の真の平和を求めて、共に歩きましょう。私も被爆者の一人として、力の続く限り、被爆体験を伝え残していく決意を、皆様にお伝えして、私の平和への誓と致します。」
この凄まじい迫力。安倍晋三の耳にはどう響いたか。
この日の式典でも安倍は挨拶文を読み上げた。それが、中ごろを除いて、昨年と同じ。今はやりのコピペだと指摘されている。
さすがに、昨年の「せみしぐれが今もしじまを破る」は、今年はなかったという。「式典は昨年は炎天下だったが、今年は雨の中だった。」から(朝日コム)。
6日の広島市での平和記念式典の安倍首相の挨拶文を「昨年のコピペ」と指摘したメーリングリストでの投稿にその日の内に接した。そういうことに気づく人もいるのだと感心していたら、各紙の社会面ネタになって拡散した。これでは、長崎は書き下ろしで行くのだろうと思ったが、さすが安倍晋三、すごい心臓。長崎でもコピペを繰り返した。今年の流行語大賞は「コピペ」で決まりではないか。安倍には、「コントロール」と「ブロック」に加えて、「コピペ」も、イメージフレーズとして定着した。
コピペは、借り物、使い回しの文章。抜け殻で、装いだけの文章。かたちだけを整えたもので、魂のないスピーチ。安倍晋三は、広島も長崎でも、そんなコピペの文字の羅列を読みあげればよいと考えたわけだ。
かたや、自らの体験と情念が吹き出した言葉の迫力。こなた、コピペのごまかし。それでも、支配しているのは迫力に欠けた薄っぺらのコピペ側なのだ。複雑な思いとならざるを得ない。
(2014年8月9日)
政治資金規正法は、1948年に制定された。主として政治家や政治団体が取り扱う政治資金を規正しているが、政治資金を拠出する一般人も規正の対象となりうる。政治資金についての規正が必要なのは、民主主義における政治過程が、カネで歪められてはならないからだ。
政治資金規正法第1条が、やや長めに法の目的を次のとおり宣言している。
「この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。」
立派な目的ではないか。これがザル法であってはならない。これをザル法とする解釈に与してもならない。カネで政治を歪めることを許してはならない。
改めて仔細に読み直すと、うなずくべきことが多々ある。とりわけ、「議会制民主政治の下」では、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われなければならない」と述べていることには、我が意を得たりという思いだ。
キーワードは、「国民の不断の監視と批判」である。法は、国民に政治家や政権への賛同を求めていない、暖かい目で見守るよう期待もしていない。主権者国民は、政党・政治団体・公職の候補者・すべての議員への、絶えざる監視と批判を心掛けなければならない。当然のことながら、政治家にカネを与えて政治をカネで動かそうという輩にも、である。
砕いて言えば、「カネの面から民主主義を守ろう」というのが、この法律の趣旨なのだ。「政治とカネの関係を国民の目に見えるよう透明性を確保する。金持ちが政治をカネで歪めることができないように規正もする。けれども、結局は国民がしっかりと目を光らせて、監視と批判をしてないと民主主義の健全な発展はできないよ」と言っているのだ。
「政治資金収支の公開」と「政治資金授受の規正」が2本の柱だ。なによりもすべての政治資金を「表金」としてその流れを公開させることが大前提。「裏金」の授受を禁止し、政治資金の流れの透明性を徹底することによって、カネの力による民主主義政治過程の歪みを防止することを目的としている。
今私は、政治とカネの関係について、当ブログに何本もの辛口の記事を書いた。そのうちの3本が名誉毀損に当たるとして、2000万円の損害賠償請求訴訟の被告とされている。私を訴えたのは、株式会社DHCとその代表者吉田嘉明である。
どんな罵詈雑言が2000万円の賠償の根拠とされたのか、興味のある方もおられよう。下記3本のブログをご覧いただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=2371
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
http://article9.jp/wordpress/?p=2386
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
http://article9.jp/wordpress/?p=2426
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」とする批判を内容とするものである。
私は、主権者の一人として「国民の不断の監視と批判を求めている」法の期待に応えたのだ。ある一人の大金持ちから、小なりとはいえ公党の党首にいろんな名目で累計10億円ものカネがわたった。そのうち、表の金は寄付が許される法の規正限度の上限額に張り付いている。にもかかわらず、その法規正の限度を超えた巨額のカネの授受が行われた。はじめ3億、2度目は5億円だった。これは「表のカネ」ではない。政治資金でありながら、届出のないことにおいて「裏金」なのだ。
事実上の有権解釈を示している、『逐条解説 政治資金規正法〔第2次改訂版〕』(ぎょうせい・2002年)88頁は、法の透明性の確保の理念について、「いわば隠密裡に政治資金が授受されることを禁止して、もって政治活動の公明と公正を期そうとするものである」と解説している。
にもかかわらず、3億円、5億円という巨額な裏金の授受を規正できないとする法の解釈は、政治資金規正法をザル法に貶めることにほかならない。
この透明性を欠いた巨額カネの流れを、監視し批判の声を挙げた私は、主権者として期待される働きをしたのだ。逆ギレて私を提訴するとは、石流れ木の葉が沈むに等しい。これが、スラップなのだ。明らかに間違っている。
憲法と政治資金規正法の理念から見て、恥ずべきは原告らの側である。本件提訴は、それ自体が甚だしい訴権の濫用として、直ちに却下されなければならない。
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(カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)
広島に原爆が投下された8月6日の夕刻。有楽町駅前で関弁連(関東弁士会連合会)の街頭宣伝活動に参加した。連合会の会長や単位会の会長・役員ら多数が、交代でマイクで語り続けた。暑さの中、1時間のチラシ撒きに汗をかいた。
多くの演説者が、広島の原爆のこの上ない悲惨さや非人道性から話を始め、太平洋戦争の国内外の被害と愚かさを語り、その戦争の惨禍を繰り返すことがないよう決意して日本国憲法が制定されたことが語られた。日本国憲法の平和主義堅持の歴史的意味や、現在なお戦争の絶えない世界における9条の精神の重要性も語られた。
また、法律家として「立憲主義をないがしろにしてはならない」ことが強調され、安倍政権の「集団的自衛権行使を容認する7月1日閣議決定」が立憲主義に反して許されるざるものして、その撤回を求める声が各弁護士会の総意であることがくり返し力説された。
そして、いま安倍政権によって憲法9条がないがしろにされ、集団的自衛権行使容認というかたちで、平和が壊されようとしていることに警告がなされ、その自覚のもと平和を守るために力を合わせようと呼び掛けられた。
そう、今、時代のキーワードは「集団的自衛権行使容認」である。「集団的自衛権行使容認派」との熾烈な切り結びこそが最も重要な争点なのだ。
その点、8月6日の広島市主催の平和式典での市長の平和宣言は、ややものたらなかった。「集団的自衛権行使容認派」の首魁である安倍晋三を前に、平和勢力を代表して「集団的自衛権行使容認」の危険を述べる絶好の機会であったのに、その機をとらえようとしなかったのだから。
「怒りの広島」「祈りの長崎」と言い古されてきた。しかし、今年は様相を異にしているようだ。広島では語られなかった「集団的自衛権行使容認」の危険について、長崎市長の宣言では盛り込まれる予定と伝えられている。
そんなことを考えてビラを配っていたら、壮年の男性に声をかけられた。
「誰がどう考えても、7月1日の閣議決定は憲法違反ですよね。憲法をどう読もうとも集団的自衛権を行使して戦争ができるとする解釈が成り立つはずがない。どうすれば、こんな明白な憲法違反をきちんと是正できるのでしょうか。そもそも憲法は、こんな場合に憲法違反を是正する方法を整備していないのでしょうか」
騒音の中で、しばらく話しが続いた。
「違憲の閣議決定を覆すことは、実はなかなか簡単なことではありません」「憲法は81条で違憲審査権を裁判所に与えていますが、その裁判所は憲法裁判所ではなく司法裁判所とされています。具体的な事件を離れて抽象的に閣議決定の違憲性を争うことは許されないのが原則です」「それでも何とか提訴をということなら、『閣議決定によって自分の具体的な権利が侵害された』という構成を考えなければなりません。平和的生存権の侵害はその場合の有力なキーワードになります」
「どうして難しいのでしょうか。憲法とは権力者を縛るものなんでしょう。安倍政権がやっていることはまったくあべこべじゃないですか。憲法には公務員の憲法遵守義務も書いてある。違憲は明らかじゃないですか。それでも難しいというのでは、憲法は無力ではありませんか」
「おっしゃるとおり、無力といえば無力かも知れません。権力に違憲行為があれば、裁判で是正することにはなっていますが、その裁判の提起自体が容易ではない。また、たとえ訴訟の土俵にはうまく乗ったとしても、有名な砂川事件大法廷判決のように、『国民の運命を左右するような重大な問題を判断することは、われわれ裁判官には荷が重すぎます』と、任務放棄する可能性が高いと言わねばなりません」
「じゃあ、結局選挙で自民党を落とすしかないということでしょうか」
「それが王道ですね。閣議決定に基づいて集団的自衛権行使を具体化する多くの立法がなされ、それによって戦時態勢となり、人権侵害が生じる。そのとき裁判はできるでしょうが、迂遠な話し。最終的には国民自身が憲法の在り方も決めることになるのですから、まずは選挙で勝たなければならないと思います。そのために必死の努力をするしかない」
「なんとなく心細いですね」
「どうでしょうか。世論調査では、安倍内閣が集団的自衛権行使容認に踏み切って以来、国民世論が大きく変わっているではありませんか。滋賀の知事選も自民党にはショックな結果でした。今度は福島と沖縄の知事選ですし、来年の統一地方選挙もあります。多くの人への訴えが、少しずつ実を結んでいるように思いますが」
「そうだと良いですけどね。いずれにしても、身近な人を説得する努力を重ねるしかないのでしょうかね」
「このパンフレット、なかなか良くできていますよ。よくお読み下さい。周りの方にも少し配ってください。よろしくお願いします」
(2014年8月7日)
8月は、6日9日15日。
誰が言い始めたかは知らない。これで立派な句となっている。
今日は、その8月6日。特別な日である。人類にとっても、日本にとっても、そして私個人にとっても。私は、広島で爆心地近くの小学校一年生となった。まだ、街の方々に瓦礫の山があったころのこと。原爆ドームもそのうちの一つだった。
私は終戦時には2才。直接には戦争も軍国主義の空気も知らない。父と母から語られたものが戦争と旧社会の記憶である。父は幸いに一度の戦闘参加もなく、ソ満国境から帰還している。その軍隊経験の伝承には苛酷で悲惨な色彩が薄かった。下士官だった父は、楽しげな思い出として軍隊生活を語ることすらあった。これに比して、内地で銃後にあった母の苦労の話が私の戦争の原イメージをかたちづくっている。「戦争はいやだ」「あんな思いは金輪際繰り返したくない」という、日本中にあふれていた共通の思い。
私が生まれた盛岡の中心部にもB29の空襲はあった。しかし、その規模は他の都市と比べれば微々たるものだった。それでも母は、ハシカの私を負ぶって空襲警報の鳴る度に防空壕に避難したことを度々語った。なによりも母の義弟が戦争末期の招集でサイパンで戦死している。母の妹は、子どもを抱えた寡婦として戦後を生き抜いた。私の胸の内に、この叔母と同年代の従兄のことが、むごい戦争の癒しようのない疵痕として刻み込まれている。
穏やかな地方都市盛岡にも、戦後は戦争の爪痕が残り、人々の暮らしにも戦争が深く影響していたはずだ。しかし、父と母とに守られた幼い私には分からないことだった。広島で初めて、小学生の私が否応なく視覚的に戦争の痕跡と向かいあったことになる。
69年前の一発の爆弾が、人類史に与えた影響は計り知れない。人類は、自らを亡ぼす手段を手に入れたのだ。人類は、自らの手に負えない危険な代物を作り出してしまった。この人類と共存しえない絶対悪を、この世から廃絶しなければならない。この願いこそ、絶対の正義だ。子どものころから、そう思い続けて来た。私の感覚では、私の身の回りはすべて戦争の被害者であった。被害者の視点で、徴兵も空襲も被爆も見てきた。
そしてやや長じて、広島が軍都であることを知った。広島も、小倉(8月9日原爆攻撃の第一目標都市)も、軍都であるが故に原爆投下候補地として選定されていることは否めない。戦前の広島には陸軍の施設が集中し、軍需工業として重工業も発達した。都市全体に軍事的な性格が強かった。被侵略国の人々が広島に落とされた「新型爆弾」の威力に拍手をしたことも聞いた。
戦争は、一面的な被害の文脈だけでは語れない。悲しいことに、日本は加害国であった。私の父も母も戦没した伯父も、消極的にもせよ侵略戦争を起こした側にいた。被侵略側から見れば侵略の加担者である。少なくとも積極的に戦争に反対をすることはなかった。広島の被爆被害でさえ、軍都であったことからの責任なしとしないのだ。
「過ちは繰り返しません」というフレーズは限りなく重い。今再びの戦前を思わせる時代の空気の中で、愚かな為政者による戦争の危険をきっぱりと断たねばならない。なによりも今、憲法をないがしろにする集団的自衛権行使容認の解釈改憲が大きな問題である。これに反対の声を挙げることなく見過ごすことは、「過ちを繰り返して、戦争や被爆のリスクを再び背負う」ことにつながる。
8月6日、今日は、20万のヒロシマの死者に思いをいたし、あらためて安倍政権の集団的自衛権行使容認に反対の意思を表明する日としなければならない。人権も民主主義も、そして平和も、為政者の暴走を許すところから崩れていく。
本日、被爆7団体の代表が安倍首相と面談し、集団的自衛権の行使を容認した7月1日閣議決定の撤回を申し入れた。7団体は首相宛の要望書の冒頭で「政府は憲法の精神を消し去ろうとしている」と非難。面談では、「(閣議決定は、)殺し殺され、戦争の出来る国にするものだ。失われるものがあまりに大きい」との意見が出たという。
時宜を得た、まことに的確な行動ではないか。被爆者の声は、20万の死者を代理してのものだ。臆するところなく、遠慮をすることもなく、ズバリとものを言わざるを得ないのだ。その声は、安倍の耳に届いただろうか。胸の底まで響いたであろうか。骨身に沁みただろうか。
(2014年8月6日)
集団的自衛権の行使を容認した7月1日閣議決定への批判の嵐は収まりそうにない。
「政府が右と言えば左とは言えない」NHKは特殊な例外として、あらゆる方面から、これまでにない規模とかたちの批判が噴出している。なかでも、三重県松坂市の若い市長による閣議決定の無効確認集団提訴運動の呼び掛けはとりわけ異彩を放っている。
7月1日の閣議決定を受けて、松阪市の山中光茂市長は、同月17日には提訴のための市民団体「ピースウイング」を設立し、自らその代表者となった。今後、全国の自治体首長や議員、一般市民に参加を呼び掛け、集団的自衛権をめぐる問題に関する勉強会やシンポジウムを開くなど提訴に向けた準備を進める予定と報じられている。大きな成果を期待したい。
伝えられている記者会見での市長発言が素晴らしい。「愚かな為政者が戦争できる論理を打ち出したことで幸せが壊される。国民全体で幸せを守っていかなければならない」というのだ。素晴らしいとは、安倍首相を「愚かな為政者」と評した点ではない。そんなことは国民誰もが知っている。「国民の幸せを壊されないように守って行かなければならない」と呼び掛けていることが素晴らしいのだ。
言葉を補えば、「集団的自衛権行使容認の閣議決定によって、このままでは国民の幸せが壊されることになりかねない。そうさせないように、国民全体で国民一人一人の幸せを守っていかなければならない。そのために提訴をしよう」という認識が語られ、具体的な行動提起がなされている。
おっしゃるとおりなのだ。国民は幸せに暮らす憲法上の権利を有している。とりわけ戦争のない平和のうちに生きる権利を持っている。
このことを憲法前文は、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と宣言している。しかも、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し…この憲法を確定する」とも言っている。この2文をつなげて理解すれば、「為政者によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意してこの憲法はできている。だから、安倍のごとき愚かな為政者が憲法をないがしろにしようとするときは、一人一人の国民が平和のうちに生存する権利を行使することができる」ことになる。これが、平和的生存権という思想である。
憲法は、人権を中心に組み立てられている。憲法上の制度は、人権を擁護するためのツールと言ってよい。信仰の自由という人権を擁護するために政教分離という制度がある。学問・教育の自由という人権を擁護するために大学の自治という制度がある。言論の自由に奉仕する制度として検閲の禁止が定められている。
これと軌を一にして、平和的生存権を全うするために憲法9条がある。戦争を放棄し戦力を保持しないことで国民一人一人の平和に生きる権利を保障しているのだ。憲法9条の存在が平和的生存権を導いたのではなく、平和的生存権まずありきで、平和的生存権を全うするための憲法9条と考えるべきなのである。
平和的生存権を単なる学問上の概念に留めおいてはならない。これを、一人前の訴訟上の具体的な権利として育てて行かなくてはならない。その権利の主体(国民個人)、客体(国)、内実(具体的権利内容)を、度重ねての提訴によって、少しずつ堅固なものとしていかなければならない。
私は、平和的生存権の効果として、具体的な予防・差止請求、侵害排除請求、被害回復請求をなしうるものと考えている。そして、そのことは裁判所の実効力ある判決を求めうる権利でなくてはならない。
この平和的生存権は、松坂市長が提唱する閣議決定違憲確認訴訟(いわば「9条裁判」)成立の鍵である。これなくして、抽象的に「閣議決定の違憲確認請求訴訟」は成立し得ない。
最も古い前例を思い起こそう。1950年警察予備隊ができたときのこと、多くの人がこの違憲の「戦力」を司法に訴えて断罪することを考えた。この人たちを代表するかたちで、当時の社会党党首であった鈴木茂三郎が原告になって、最高裁に直接違憲判断を求めた。有名な、警察予備隊違憲訴訟である。
その請求の趣旨は、「昭和26(1951)年4月1日以降被告がなした警察予備隊の設置並びに維持に関する一切の行為の無効であることを確認する」というもの。これが、違憲確認訴訟の元祖である。
最高裁は前例のないこの訴訟を大法廷で審理して、全員一致で訴えを不適法と判断して却下した。ここで確立した考え方は、次のようなもの。「日本の司法権の構造は、具体的な権利侵害をはなれて抽象的に法令の違憲性を求めることはできない。具体的な権利侵害があったときに、権利侵害を受けた者だけが、権利侵害の回復に必要な限りで裁判を申し立てる権利がある」ということ。
この確定した判例の立ち場からは、「7月1日閣議決定が憲法9条に違反する内容をもつ」と言うだけでは違憲確認の判決を求める訴訟は適法になしえない。誰が裁判を起こしても、「不適法・却下」となる。
そこで、平和的生存権の出番となる。国民一人一人が平和的生存権を持っている。誰もが、愚かな政府の戦争政策を拒絶して、平和のうちに生きる権利を持っている。この権利あればこそ、人を殺すことを強制されることもなければ、殺される恐怖を味わうこともないのだ。
父と母とは、わが子を徴兵させない権利を持っている。教育者は、再び生徒を戦場に送らせない権利を持つ。宗教者は、一切の戦争加担行為を忌避する権利を持つ。医師は、平和のうちに患者を治療する権利を持つ。農漁民も労働者も、平和のうちに働く権利を持ち、戦争のために働くことを拒否する権利を持つ。自衛隊員だって、戦争で人を殺し、あるいは殺されることの強制から免れる権利を持っているのだ。
その権利が侵害されれば、その侵害された権利回復のための裁判が可能となる。侵害の態様に応じて、請求の内容もバリエーションを持つ。戦争を招くような国の一切の行為を予防し、国の戦争政策を差し止め、戦争推進政策として実施された施策を原状に復する。つまりは、国に対して具体的な作為不作為を求める訴訟上の権利となる。その侵害に、精神的慰謝料も請求できることになる。これあればこその違憲確認請求訴訟であり国家賠償請求訴訟なのだ。
もとより、裁判所のハードルが高いことは覚悟の上、それでもチャレンジすることに大きな意味がある。訴訟に多くの原告の参加を得ること、とりわけ首長や議員や保守系良識派の人々を結集することの運動上のメリットは極めて大きい。そうなれば、裁判所での論戦において、裁判所は真剣に耳を傾けてくれるだろう。平和的生存権の訴訟上の権利としての確立に、一歩、あるいは半歩の前進がなかろうはずはない。
困難な訴訟だと訳け知り顔に批判するだけでは何も生まれない。若い市長の挑戦に拍手を送って暖かく見守りたい。
(2014年8月5日)
最近、スラップ訴訟被害者の述懐に目が行く。とてもよく分かる。口を揃えて「頭の中が常に裁判のことばかりで気持ちが落ちつかない」と言う。また、「応訴費用の負担がきつい」とも、「訴訟準備に忙殺されて仕事に支障が及ぶのが辛い」とも言う。おそらくは、「応訴がこんなに面倒なら少し筆を控えればよかった」という思いを振り払いながら、耐えているのだろう。
私は、スラップ被害者としてはもっとも恵まれた立ち場だろう。弁護団員も100人を超えた。カンパも順調に集まっている。多くの人が、澤藤個人のためではなく、言論の自由や民主主義のために、心底怒って支援を惜しまない。何とありがたいことかと思う。しかし、その私でさえ被告になったことの煩わしさにはうんざりすることが度々。少し筆を抑えようかという気持ちと、それではいけないという気持ちに揺れたりもする。一刻も早く被告の座から解放されたいとの気持ちは隠せない。
それでも自分を励まして、当ブログを通じてスラップに萎縮していないことをアピールしつつ、スラップ訴訟への警戒心を多くの人に呼び掛けるとともに、反スラップの世論を盛り上げたいと念じている。そのことを通じて、表現の自由と民主主義の擁護に寄与したいと思う。その思いから、多くのスラップ被害者に連携を呼び掛けたい。知恵を共有し、力を合わせることによって、一つ一つのスラップ訴訟に勝ち抜き、言論の自由を封殺するスラップを撲滅しようではないか。
今既に、アメリカの約30の州には「反スラップ法」があるという。その法によって、スラップ被害から市民やジャーナリストを救済する制度が確立しており、抑制の効果も出ていると聞く。その制度のない我が国では、まずは訴権の濫用による訴えの却下によって、被告の座からの早期解放の実現を求める試みが行われてしかるべきであろう。以下、このことについて、述べたい。
私は「DHC・渡辺喜美」事件について、私の意見を3度ブログに書いた。その趣旨は、「カネで政治が動かされてはならない」「政治資金の動きは透明でなくてはならない」という至極常識的で、真っ当な政治的見解である。卓見でもなく、オリジナリティもないが、このブログでの表現内容は、紛れもなく政治的言論であって、政治的言論を離れた人格攻撃などという色彩はまったくない。
DHCとその代表者には、その政治的言論が気に入らなかった。言論の中にある批判が、真っ当なだけに痛かったのだろう。しかし、言論が気に入らなくても、耳に痛くても、それを封殺することは本来なしえない。私の政治的言論の自由が憲法で保障された基本的権利である以上は、甘受せざるを得ないのだ。
あらためて確認しておこう。人に迷惑の及ばないことができるというだけのことを麗々しく「権利」とは言わない。人を褒める権利、人におもねる権利などは、意味をもたない。そんなものは、そもそも権利の名に値しない。人に迷惑かけても、人が嫌がっても、場合によっては具体的な被害を与えても、その被害の受忍を要求できることが「権利」の権利たる所以なのだ。
自由というのも同じこと。他人の自由や権利や利益と衝突しない自由は、無意味な自由に過ぎない。他人の自由や権利や利益と衝突してなお、自分の思うとおりに振る舞えるのが憲法の保障する「自由」である。
私に、DHCとその代表者を批判する権利があるということ、批判の言論の自由があるということは、批判される側の不愉快の感情を押し切る権利であり、自由であるのだ。
もっとも、普通の社会生活を送っている一般人が、他人からの面と向かっての批判を甘受しなければならない場面は想定しがたい。言論による批判を甘受しなければならないのは、原則として、権力や経済力を持って社会に影響力を持つ人だけである。それが、民主主義社会のルールである。
天皇、首相、大臣、国会議員、政治家、高級官僚、大企業幹部などが、その典型として言論による批判を甘受しなければならない人たち。とすれば、DHCとその代表者はどうであろうか。明らかに「一般人」ではあり得ない。日本有数の大企業経営者として社会的な影響力を持っていることから、批判の言論に対してその地位にふさわしい受忍義務(我慢しなければならないこと)の負担を負うと言わねばならない。
さらに強調しなければならなことがある。DHCの代表者は、多額のカネを政治に注ぎこんだのである。しかも、不透明極まる態様において。具体的には、DHCの代表者が、みんなの党の党首渡辺喜美に届出のないカネを渡した瞬間に、DHCの代表者は、公務員や政治家と同等に、国民からの徹底した批判を甘受すべき立ち場となった。公人に準ずる立場に立ったものというべきである。
このような立場の者に対しての国民の批判の言論は、最大限に保障されなければならない。このような人物は、公人と同様に批判の論評を真摯に受けとめ、節度をもって対応しなければならない。
にもかかわらず、直情的に提訴に至ったのは軽挙妄動と評せざるを得ない。この軽挙こそがスラップである。提訴自体が、私の政治的言論に対する攻撃である。このような提訴は、訴権の濫用の典型例というべきである。訴えを起こすことが国民の権利ではあっても、このような政治的言論に対する攻撃を意図し、萎縮効果を狙ったことが明らかな提訴は、訴権の濫用として実体審理に踏み込むことなく却下すべきである。かくして、スラップ訴訟の被害者は早期に被告の座から解放されることになる。
(2014年8月4日)
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名義 許さぬ会 代表者佐藤むつみ
(カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)
とりあえずスラップ訴訟を、「政治的・経済的な強者の立場にある者が、自己に対する批判の言動を嫌忌して、運動や言論の弾圧あるいはその萎縮効果を狙っての不当な提訴」と定義する。運動弾圧型と言語的表現弾圧型に分類することが、応訴するものにとって意味のあるものであろう。
恫喝訴訟・威圧目的訴訟・いじめ提訴・イヤガラセ訴訟・言論封殺訴訟・ビビリ期待訴訟などのネーミングが可能だ。個別具体的にはもっとふさわしいネーミングが選択できそうだ。業務妨害目的訴訟・労働運動潰し訴訟・公益通報報復訴訟・市民運動制圧訴訟、批判拒否体質暴露訴訟…。
損害賠償請求の形態を取るスラップは、運動や言論への萎縮効果を狙っての提訴だから、高額請求訴訟となるのが理の当然。「金目」は人を籠絡することもできるが、人を威嚇し萎縮させることもできるのだ。
かつて、武富士が「週刊金曜日」とフリーのルポライター三宅勝久に対して、スラップをかけたとき、当初の請求額は5500万円だった。それを、一審係属中に1億1000万円に請求を拡張している。
このときの口頭弁論期日に、裁判長福田剛久は原告側に「損害賠償の請求拡張はこれでおしまいですか」と聞いている。これに対する武富士代理人弘中惇一?の回答は、「ええ、連載が続かない限り」というものだった。「週刊金曜日誌上に武富士批判の連載が続くようなことがあれば、さらに増額する」という含みの発言なのだ。自ら、言論封殺の意図を明らかにしたものと言ってよい。この企業ありてこの弁護士なのである。
このような訴権の濫用は、スラップ提訴者にとっても両刃の剣である。客観的に見て品の悪いやり方であることこの上ない。古来、「金持ち喧嘩せず」なのだ。権力や経済力を持つ者には、鷹揚に批判に耐える姿勢が求められる。批判の言論にいちいちムキになっての提訴は、それ自体みっともない。のみならず、社会的強者には批判の言論を受忍すべき義務が課せられる。批判拒絶体質丸出しのスラップは、自らのイメージを壊す行為であるだけでなく、受忍義務を敢えて無視したことにおいて違法の評価を受けざるを得ない。
また、社会がすっかり忘れてしまったことを、提訴を契機にあらためて思い起こさせる逆効果もある。この場合、スラップの対象となった言論がよく効いて、しっかり痛みを感じさせていることを社会にアピールすることにもなる。
それでも、勝てればまだまし。敗訴の場合には目も当てられなくなる。スラップを濫発した武富士の場合はどうだったか。
被告にされた言論のうち主なものは、「サンデー毎日」、「週刊金曜日」、「週刊プレーボーイ」、「武富士の闇を暴く」、「月刊ベルダ」、「月刊創(つくる)」の6誌。このうち、「サンデー毎日」、「週刊プレーボーイ」、「月刊ベルダ」、「月刊創」の4誌に関しては、「武富士が盗聴をしている」という記事を中心に、武富士と警察の癒着関係を報じた記事が槍玉に挙げられた。武富士は、この盗聴の記事を事実無根として激怒し拳を振り上げたとされていた。
ところがどうだ。スラップ訴訟係属中に、思いがけなくも武富士の盗聴が明るみに出た。内部告発によるものだった。そして、サラ金の帝王といわれていた武井保雄本人の逮捕という劇的な展開となった。こうして、武富士スラップのうち、盗聴記事関係事件は、訴訟の進行を停止してバタバタと解決した。(「サンデー毎日」訴訟だけは、武井逮捕以前に取り下げと同意によって終了している)
『月刊ベルダ』をめぐる件では、武富士が謝罪し650万円を支払うことで出版社のベストブックと和解、ライターの山岡俊介には本訴請求を放棄し反訴請求を認諾することで訴訟が終了した。「週刊プレーボーイ」訴訟では、反訴がなかったので、原告の請求放棄で終わった。
「創」をめぐる訴訟は、さらに劇的な終わり方となった。3名の被告(創出版・山岡俊介・野田敬生)に対する本訴請求をすべて放棄し、反訴を認諾または主張を認めて和解金を支払った。特筆すべきは武富士は、次のような謝罪広告を「創」誌上に掲載した。
(創出版・山岡俊介宛)「この提訴は、当社前会長・武井保雄指示の下、山岡氏や有限会社創出版の言論活動を抑圧し、その信用失墜を目的に、虚偽の主張をもって敢えて行った違法なものでした」
(野田敬生宛)「本件提訴は、当社が本件記事の内容が真実であると知りながら貴殿が当社を批判するフリーのジャーナリストであることから、敢えて、これらの執筆活動を抑圧ないしけん制する目的をもってなされたものであり…貴殿の社会的信用を失墜させる行為として名誉毀損に該当するものでした」
もっとも、残る「週刊金曜日」と「武富士の闇を暴く」事件は盗聴問題ではなく、武富士の業務の実態のあくどさを暴露するものだった。武井の刑事事件とは無関係として、武富士は徹底抗戦を続けた。そして、いずれも判決において完敗して終了している。
以上の経過は、北健一著「武富士対言論」(花伝社)に詳しい。なお、北さんには、8月20日午前10時半のDHCスラップ訴訟法廷の後、11時から東京弁護士会508号室で開かれる報告集会を兼ねた弁護団会議の席でご報告いただけることになっている。
かくのごとく、スラップ訴訟は両刃の剣。少なくとも武富士の場合、自ら抜いて振りかざした剣で、自らを深く傷つけた。スラップは仕掛けられる方に甚大な被害を与えることは言うまでもないが、仕掛ける方にとっても取り扱いの難しい劇薬である。あるいは、軽々には抜けない妖刀なのだ。
警告しておきたい。うかつな濫訴の提起は身を滅ぼすもとになる、と。
(2014年8月3日)
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夏、暑中見舞いの季節。何枚もの書状のなかの1枚に目が留まった。福岡県田川市の角銅法律事務所からのもの。
この事務所の主は、角銅立身弁護士。「鉱専卒の元炭坑夫」という異色の弁護士として知られた人。本年6月に亡くなられた。享年85。主を失った事務所から、「事務員」「長女」「二女」3人連名でのご挨拶。文面はまぎれもなく「暑中見舞い」であって、不思議と湿っぽさがない。胸を張っての角銅弁護士死亡通知でもある。
人の評価は「棺を蓋って定まる」という。
もちろん、尊敬すべき人物は生前からしかるべき声望を得てはいる。角銅さんはそのような稀なお一人だった。しかし、この暑中見舞いは、「棺を蓋った後、さらに評価を高めた」ものではないか。亡き角銅さんにお許しを願って、紹介をしておきたい。
暑中お見舞い申し上げます
角銅立身弁護士は、1965年4月、炭鉱で甲種炭鉱上級保妥技術職員として働いていたのをやめ、弱者の味方の弁護士になると一念発起して弁護士になりました。
以来、三井三池三川坑炭じん爆発・三井山野炭鉱ガス爆発による被害者訴訟、カネミ・ライスオイルによる食品被害者訴訟、スモンによる薬害被害者訴訟、水銀中毒によるイタイイタイ病被害者訴訟、不当解雇による労働者の地位保全訴訟、筑豊じん肺訴訟などなど集団訴訟のリーダーとして、心血を注ぎました。その間には福岡県会議員選挙にも立候補しました。
魚釣り、楽器の演奏、ゴルフに観劇、水泳と幅広い趣味を堪能しておりましたが、近年は病魔と闘いながらも弁護士活動とともに憲法9条を死守する平和運動を続けてまいりました。その間の皆様方からのご厚誼には感謝しお礼を申し上げます。
来年は弁護士50周年という節目を前に、本年6月22日ついに人生の舞台の幕を降ろしました。
長い間角銅法律事務所からの季節の便りにお付き合いいただきありがとうございました。
これをもちまして角銅法律事務所劇場は終演です。 2014年盛夏
角銅立身さんは1929年田川市に生まれ、1948年官立秋田鉱山専門学校を卒業、49年古河鉱業大峰鉱業所へ就職している。炭坑の現場で働いた方だ。65年に弁護士登録して、文字通り「働く人の立場に徹して」弁護士としての活動を全うされた。
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10年前、私が日民協事務局長だった時代の「法と民主主義」(2004年4月号)に、角銅さんの訪問記事がある。「とっておきの1枚」シリーズのライターは、そのころからの編集長・佐藤むつみさん。これも、ご紹介しておきたい。
「月が出る時空を超えて?炭鉱太郎故郷に帰る」 角銅立身先生
博多の天神バスセンターから特急バスで七五分、田川の町に着く。国道201号線を走るバスは烏尾峠から田川の町に下って行く。町を取り囲むような低い山、削り取られた山肌。遠くに煙突。田川の町は灰色の中にあった。途中に日本セメントの大きな工場がある。門前に菜の花が咲きそこだけ春が広がっていた。石灰石の採掘で岳の上部が無くなってしまった香春岳(かわらだけ)の異形が目につく。始めてこの山を見た時五木寛之は「日本の中の異国を直感的に感じ」たという。そして地底の廃坑はこの町の下にもう一つ「異国」を造っている。「青春の門」はこの香春岳の描写から始まる。五木寛之は先生の三歳年下、ほぼ同世代のデラシネだった。
「角銅原」という名のバス停に驚いているとバスは後藤寺の小さなバスターミナルに着いた。「角銅法律事務所まで」と告げるとタクシーの運転手はすぐに了解。日曜日の午後、田川の町にはだーれもいない。
角銅先生の事務所は木造モルタル三階建て。縦長と横長の古めかしい大きな白い看板に黒々と「角銅立身法律事務所」と大書きされている。一階のレストランはその日はお休み、右端に細い階段がある。一直線にのびた階段は少し傾いている。踏み板は狭くぎしぎしとなる。「ごめんください佐藤です」と叫びながら登って行くと、不思議な踊り場に出る。暗くきしむ板敷きの床がなつかしい。正面に左に登る急な階段がある。階段の登り口には郵便受け、ここが玄関らしい。しずしず登るとやっと事務所にたどり着いた。角銅先生は大きな体で「あなたですか」と近づいてくる。がっちりした体と大きい声、炭鉱太郎と自認する風貌である。カウンターの後ろの窓から高い二本の煙突が見える。「蒸気機関だよ」炭坑節に歌われている旧三井伊田竪坑大煙突である。先生は私を「もっと年を取った人だと思ってた」んだって。それでちょっとどぎまぎしている。
角銅先生が故郷田川で事務所を開いた一九六九年、三九歳の時だった。田川の地で三六年、生粋の川筋男、「肝が大きく男気に富み思いやりの深い」弁護士としてここで踏ん張り続けてきた。先生はは七五歳。昨年『男はたのしく たんこたろ弁護士』という痛快な奮闘記を発刊し、ジョギング、スイミングと自らの病をねじ伏せ、博多の病院に入院中の愛妻を見舞う日々である。娘が二人。長女は父の職業に反発し医者に。今は母の側の病院にいる。次女は先生と暮らす。長男を二回試験直前に一歳で亡くした。そのことは妻に何も聞かない。
先生は一九二九年桃の節句に田川に生まれた。筑豊の炭鉱地帯のど真ん中、父も祖父も小さな山を持つ炭鉱一家だった。長男の先生は立身「たつみ」と命名され当然山を継ぐ事になっていた。田川には朝鮮半島から多くの労働者が流入し、部落差別も根強く、炭鉱の活気とともに、荒涼とした荒々しさがある。そんななかで立身君は不自由なく元気にのびのびと育った。
一九四一年に地元の県立田川中学に入学。その年の一二月に太平洋戦争が始まる。持ち山は戦時体制で三井鉱山に併合され、学校は三年から学徒動員に。戦時色一色だった。立身君は立派な鉱山技術者になるため秋田鉱専に進学を希望していた。一九四五年二月、B29の空襲のさ中、田川から汽車に乗り継ぎ、五〇時間もかけて秋田駅にたどり着く。合格したが「現下の情勢に鑑み」七月入学。八月一四日夜から一五日朝にかけ秋田市は土崎大空襲に晒される。防空壕で夜を明かし、その日の昼過ぎ立身君達は秋田鉱専で敗戦放送を聞く。
「日本の再建には鉄と石炭が必要」校長の言葉に励まされみんな学校にもどった。卒業後、四九年立身君は筑豊古河鉱業大峰鉱業所万才坑に就職する。角銅青年は戦後の石炭ブーム花形産業の若き技術者として現場の労働者とともに坑内に潜り働く。上級保安技術職員の資格も取り、ドイツの先端技術を取り入れ増炭と賃上げを実現。係長補佐の要職に。「角さん」「角さん」とみんなに慕われる職制だった。
一九五六年、石炭産業の合理化の波は古河大峰にも押し寄せ、ストライキとロックアウトの激しい衝突が起きる。日経連の現地指導のもと、そのあくどさは際だっていた。炭鉱労働者の強制入坑を恐れた会社は、警察の手錠を大量に入手して、キャップランプを手錠で緊縛して強制就労が出来ないようにした。職制としてその場にいた角銅君は『労働者にこんな仕打ちをする事は許せない』と。夜も寝られないくらい悩んだ。その古河大峰闘争支援にきた諫山博先生が三〇〇〇名の炭鉱労働者の前でアジ演説。「スクラムの中に顔馴染みのない人がいたらつまみ出してください。彼らは警察官です」角銅君はうらやましいと心底思った。角銅君二八歳。オレのやってきたことは何だったんだろう。
一九五九年に退社、三〇歳からの司法試験挑戦だった。中央大学系の勉強会に入会、六二年に合格。その間結婚もして失業保険と貯金、妻の稼ぎで生活を支えた。三交代制の仕事をしてきた切り替え力と集中力、何よりも労働現場を知る強さがあった。六五年めでたく諫山先生のいる福岡第一法律事務所に入所する。「鉱専卒のもと炭坑夫」という異色の弁護士が誕生する。
炭鉱のガス・炭塵爆発、自然発火等の災害事件、九州各地の塵肺など炭鉱事件は角銅の独壇場。そして水俣病、イタイイタイ病、カネミ油症、四日市喘息など公害事件に広がる。故郷に帰ると田川地区のあらゆる法律問題が立場の違いを越えて持ち込まれる。「時々ハラハラすることもありましたが、きちんと筋を通しながら、清濁併せのむ大らかな仕事ぶり」だったとの諫山評。弁護士会の活動もこなし地域の革新民主運動まで担った。
豪放磊落な雰囲気の中に人の心を開かせる人懐こさが角銅先生の魅力。意外に配慮の人で思いやりの深さが心に染みるのである。古いソファで若いときから得意のカメラで写した写真を見せてもらった。「美味しい焼き肉をご馳走するから」。先生の顧問先のタクシー会社の車が呼ばれた。とびっきりの骨付きカルビとミノ、センマイをしこたま食べさせてもらった。さすが田川、半島の匂いがする。その車で空港まで送ってもらう。先生は昔、九州地区初の赤いベンツ190Eに乗っていた。地場の事件屋に何度も車を当てられるので負けないようにするためである。乗ってみたかったな二〇年間二一万キロを走った赤いベンツ。月はどっちに出たのだろうか。(引用終わり)
角銅立身劇場終演の幕を見つめつつ合掌申しあげる。
(2014年8月2日)