「DHCスラップ訴訟」進行のご報告である。
次回の口頭弁論が、9月17日(水)の午前10時半。東京地裁705号法廷で開かれる。これが実質的に第2回目の法廷。法廷終了後の11時から東京弁護士会(5階)の507号室で、弁護団会議兼報告集会が行われる。集会では、弁護団からの報告だけでなく、現実にスラップを経験した被害者からの生々しい報告もある。前回の法廷も、事後の集会も充実したものだった。今回も、是非多くの方のご参加をお願いしたい。
さて、現在の進行状況。そんなに難しい裁判をしているわけではない。争点は少ない。裁判所の判断が困難な事件ではなく、判決まで長期を要する裁判でもなさそう。
では、いったい何が問題となっているのか。
原告ら(DHCとその代表者吉田嘉明)は、「被告(澤藤)がブログで自分たちの名誉を毀損した」と主張して提訴した。その精神的損害の金額を最初は2000万円だと言い、突如6000万円となった。当初の2000万円についても、増額した6000万円についても、その算定根拠は示されていない。ことほどさように根拠定かならざる請求。金額で驚かして萎縮効果を狙っていることを自白しているに等しい。
これに対する被告(澤藤)側の主張は、「そもそもこんな請求が成り立つはずのないことは自明ではないか。こんないい加減な裁判は、門前払いでさっさと終わらせてもらいたい」というもの。裁判の土俵に上がっての「請求棄却」ではなく、門前払いの「訴えの却下」を求めている。
なぜ、「原告らの請求が成り立つはずもない」というのか。それは、憲法21条の命じるところだからなのだ。私はブログで、吉田嘉明から渡辺喜美への8億円のカネの授受を「政治を金で買おうとした」と批判した。吉田自身が、週刊新潮に書いた手記を根拠に、あとは常識的な推論を重ねたもの。大金持ちが、政治に巨額のカネを注ぎこんだのだ。批判されて当たり前。しかも、吉田は同じ手記で、自分の商売に触れてこう言っている。
「私の経営する会社は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は、厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけて来ます」
これを読めば、誰しも吉田の思惑が、「特別煩わしい規制チェックをなくしたい、緩和したい」と読み取るだろう。「私の経営する会社の利益のための規制緩和」、それこそが「官僚機構の打破」の本音だと、常識的に思うだろう。私はその常識を述べたに過ぎない。
ところが、原告側はこう言うのだ。
「被告は原告吉田が、訴外渡辺議員に8億円を貸し付けたのは、自己の金儲けのためであると断定的に記述し、もって当該事実を摘示したものである。その根拠は、『この世のすべてのカネの支出には、見返りの期待かつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの』という、被告独自の価値観にある。日本国をより良くしようとして浄財を投じる人物がこの世にいることを被告は知らない」
微苦笑を禁じ得ない。およそ、民事訴訟における主張ではない。
私は、「この世のすべてのカネの支出には、見返りの期待かつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの」という考えをもっている。だから、政治献金は民主政治を歪める危険があり、透明性の確保と規正とが必要だと確信している。もちろん、法もそのようにできている。
確かに、私は「日本国をより良くしようとして浄財を投じる人物がこの世にいることを知らない」。しかし、稀なる聖人の存否についての論争はまったく無意味なのだ。訴訟で争われているのは、「私の考えが正しいか、間違っているか」ではない。「日本国をより良くしようとして浄財を投じる人物がこの世にいるか否か」が争われているわけでもない。
週刊誌の「吉田手記」をどう読むかは、私の論評であり意見である。当然のこととして、論評や意見は自由でなくてはならない。もちろん、論評や意見の前提となる事実は主要な点において真実であることが求められる。本件においては、私が述べる意見が前提とする事実は、週刊新潮に掲載された吉田手記に基づくものなのだから、何の問題もありえない。私の論評ないし意見は、その自由が憲法で保障されているのだ。これに異論があれば、対抗言論をもって反論すればよいだけのこと。それだけの力のあるDHCであり、その会長ではないか。違法だと訴訟を起こすような問題ではありえない。
しかも、テーマは典型的な政治的言論、具体的には政治とカネの関わりの問題なのだ。言論の自由一般ではなく、民主主義政治の基盤をなす「政治的な批判の言論」についての自由が俎上に載せられている。私の言論は、最も尊重されなければならないのだ。さらに、原告らは、単なる私人でも一般人でもない。大企業であり、大金持ちであり、国民の健康に直接関連するサプリメント業界の最大手であり、その代表者である。もともと、国民からの批判の言論を甘受しなければならない「社会的強者」の立ち場にある。それだけではない。吉田が政治的思惑あって巨額のカネを公党の党首に拠出し、しかもそのことを自ら週刊誌に暴露したのである。その時点から、彼は政治家と同等にあるいはそれ以上に、政治的批判の言論を受忍すべき特別の立場にたったのだ。この点の自覚に欠けているが故に、自分に対する批判を嫌ってスラップ訴訟を濫発しているのだ。
以上のとおり、原告らが私の指摘のような批判を受けるべきはあまりに当然なのだ。批判の言論を受忍しなければならないのはあまりに明らかではないか。だから、本件を不適法な訴えとして、却下を求めているのだ。
ときあたかも、経団連が「政策をカネで買おうとしている」ことで世論の批判を受けている。たとえば次のように。
「経団連献金再開 露骨な政権擦り寄りだー経団連の榊原定征会長は、政治献金への関与を5年ぶりに再開し、会員企業に献金を呼びかける方針を表明した。
…経団連はアベノミクスを全面的に支持しており、結局、献金は自民党に向かうだろう。安倍晋三政権に擦り寄って、法人税減税などの大企業優遇策を実現しようとする意図は明らかだ。『政策をカネで買う』との批判が起きるのは当然だ。時代に逆行する方針の撤回を求める。」(9月10日 北海道新聞社説)
DHCに言わせれば、「この社説は、独自の価値観によるもの。総じて論説委員などは、日本国をより良くしようとして浄財を投じる企業がこの世にいることを知らない」ということになろうか。あまりに馬鹿げた「反論」であることがお分かりいただけよう。
(2014年9月10日)
昭和天皇(裕仁)の公式伝記となる「昭和天皇実録」が宮内庁から公表された。
よく知られているとおり、中国では王朝の交替があると後継王朝が前王朝の正史を編纂した。その多くは司馬遷の史記に倣って皇帝や王の事蹟を「本紀」として中心に置く紀伝体での叙述だった。正史とは別に、各皇帝の死後にその皇帝の伝記として「実録」がつくられた。古代の日本もこれを模倣し、「帝紀」や「実録」が編まれた。いまだに、こんなことが踏襲されていることに驚く。
明治天皇(睦仁)の没後には、「明治天皇紀」がつくられ、「大正天皇実録」が続いた。「明治天皇紀」は、1933年に完成しているが、もともと公開の予定はなかった。政府の明治百年記念事業の一環として刊行されることになり、1968年から1977年にかけて刊行されたという。この間実に35年余を経過している。大正天皇実録の刊行はいまだになく、情報公開請求によって世に出たが、不都合な部分が墨塗りされたまま。この社会は、いまだに菊タブーに覆われ、情報主権の確立がないのだ。
さて、「昭和天皇実録」。61巻・12000頁に及ぶものとのこと。オリジナルは僅かに10セット。いずれも、天皇や皇族に届けられ(「奉呈」され)ているという。来春から5年かかっての公刊完成まで一般人はその内容に接し得ない。われわれは、事前に公開を受けたメディアが報道した範囲でしか、実録の内容や姿勢を判断し得ない。
今朝の主要各紙(朝日・毎日・東京・日経・読売・産経)が、「実録」に目を通したうえでの社説を書いている。
最初に各社説のタイトルを挙げておこう。
朝日「昭和天皇実録―歴史と向き合う素材に」
毎日「昭和天皇実録 国民に開く近現代史に」
東京「昭和天皇実録 未来を考える歴史書に」
日経「「実録」公開を機に昭和史研究の進展を」
読売「昭和天皇実録 史実解明へ一層の情報公開を」
産経「昭和天皇実録 「激動の時代」に学びたい」
このタイトルに目を通しただけで、当たり障りのない及び腰が推察できる。
昭和天皇の伝記となれば、どんな姿勢で読まねばならないか。自ずから、その視点は日本国憲法の理念に視座を据えねばならないことになる。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」した立場から省みて、なにゆえに戦争が起きたのか、なにゆえ防止できなかったのか、なにゆえもっと早く戦争を終わらせることができなかったのか。
開戦と終戦遅延と、そして戦争と戦争準備に伴う諸々の悲惨や人権侵害に関して、誰が、どのように責任を負うべきか。その深刻な課題に真摯に向きあって、戦争の惨禍を繰り返さぬために、どのような教訓を引き出すべきか。その視点がなければならない。でなければ、30名もの職員を24年間もはり付けての作業と国費投入の意味はない。
当然のことながら、戦争責任は天皇一人にあるわけではない。システムとしての天皇と、天皇個人とを分けて考えるべきとの見解もあり得よう。しかし、すべての情報の結節点に位置していた天皇に、政治的・道義的・法的な戦争責任がないはずはない。「君側の奸」としての軍部を悪玉にして、天皇を免罪しようというストーリーが最も警戒すべき駄論。これに与するものでないかを慎重に見極めねばならない。
以上の視点が、各紙の社説にまったく見えないわけではない。
朝日は、「昭和の時代が教えるのは、選挙で選ばれていない世襲の元首を神格化し、統治に組み込んだ戦前のしくみの誤りだ。その反省から形成された現代の社会を生きる私たちは、絶えずその歴史に向き合い、議論を深めていく必要がある。」と述べている。「さすが朝日」と言ってよい。日本のジャーナリズムにとっての救いの一言だ。
毎日はやや微妙。「立憲君主制の自制的ルールに立ちつつ、軍部の専横を警戒し、平和を求めて確執もあったという、これまでの昭和天皇像を改めて示したといえるだろう。」という一節がある。これが、実録の立場についての言及なのか、毎日も賛意を表しているのか分かりにくい。意識的にぼかしているということかも知れない。
分量的にはもっとも長い毎日社説の中には、「なぜ私たちが昭和史を絶えず振り返り、そこから学び取ろうとするのだろうか。今の時代が抱える大きな課題の根っこが、昭和にあるからだ。政治、外交、経済のみならず、生活様式や価値観まで多岐にわたる。そして、続けなければならないのは『なぜ、あの破滅的な戦争は回避できなかったのか』という問いかけである。この実録の中でも、開戦前後の事態の推移がとりわけ注目されたポイントの一つだった。しかし解明にはまだ遠い。」「あの戦争で、坂道を転じるように、雪だるま式に危機を膨らませ破綻したプロセスは、決して単線的ではなく、その解明は容易ではない。しかし、それは今極めて重要な教訓になるものである。」と述べている箇所もある。
天皇の責任まで踏み込んでいないことに不満は残るが、問題意識は了解できる。
以上の2紙以外に、頷ける問題意識を見せているものはない。
日経が、「昭和は日本史上まれな激動の時代であり、昭和天皇は第一の証言者である。昭和の研究は皇室をタブー視する意識を超えて進んでいるが、実録には一層の進展を促すヒントが数多くあるだろう。と同時に、実録は完全な言行録ではないことを知り宮内庁の編さんの意図を読み取る必要もある。」と、思わせぶりな記述をしている程度。
読売は、「実録は、国の歴史を後世に伝える上で、極めて重要な資料である。昭和から平成となって、既に四半世紀が過ぎた。軍国主義の時代から終戦、戦後の復興、高度経済成長へ――。実録は、激動の昭和を振り返る縁(よすが)ともなろう。」というのみ。「軍国主義の時代」に言及しながら、大元帥として陸海軍を統帥し軍国主義の頂点に位置していたいた天皇との関連に関心を寄せているところはない。
産経が言いそうなことは読まなくても分かる。
「実録の全体を通して改めて浮き彫りになったのは、平和を希求し国民と苦楽を共にした昭和天皇の姿である。」「注目された終戦の「ご聖断」までの経緯では、ソ連軍が満州侵攻を開始したとの報告を受けた直後に木戸幸一内大臣を呼び、鈴木貫太郎首相と話すよう指示を出したことも書かれている。」「昭和21年から29年にかけ、戦禍で傷ついた国民を励ます全国巡幸は約3万3千キロに及んだ。天皇は一人一人に生活状況を聞くなど実情に気を配った様子も分かる。」と、徹底した天皇善玉論。
意外なのは、東京新聞。
「大きな戦争の時代を生きた昭和天皇であったために、さまざまな場面での発言が重みを持って伝わる。1937年の日中戦争直前、宇垣一成陸軍大将に『厳に憲法を遵守し、侵略的行動との誤解を生じないようにして東洋平和に努力するように』と語った?。」「41年に対米戦争に踏み切ったときは『今回の開戦は全く忍び得ず』と詔書に盛り込むように希望した?。45年8月の御前会議では『戦争を継続すれば国家の将来もなくなる』と終戦の聖断を下した?。戦争に苦悶する昭和天皇の姿が浮かび上がる。」
原発問題で見せている徹底した批判精神はどこに行ったのか。現政権への批判の健筆の冴えはなにゆえここには見えないのか。不可解というしかない。
ジャーナリズムは、体制・政権・強者への批判を真骨頂とする。自主規制によってタブーの形成に加担してはならない。
各メディアのジャーナリスト魂は、菊タブーへの挑戦の姿勢によってはかられる。今回の「実録」の取り上げ方は、その面から各社の姿勢をよく表していると思う。
(2014年9月9日)
昨日(9月7日)の赤旗「2014年夏 黙ってはいられない」欄に、守中高明(フランス現代思想)のインタビュー記事が掲載されている。タイトルは、「命がけの怒り表明しよう」というもの。
全体としてはまとまりのよい記事ではないが、下記2か所の彼の語りかけに、大いに頷き、大いに意を強くした。哲学者とか思想家をもって任ずる者は、時代が求めている言葉を、このように適切な表現で市民に届けなければならない。
まずは、
「いま最も大事なことは、ためらわずに怒りを表明することです。怒りとは命がけの感情であり、ありうる虚無主義や懐疑主義を乗り越えていく、唯一の比較すべきもののない深く倫理的な感情です。」
民衆の怒りへの讃歌である。こんなにもストレートに怒りを肯定する文章に接した憶えがない。「いま最も大事なことは、」と切り出しているのは、あまりにも低い民衆の怒りのボルテージへの焦慮の表れなのだろう。「ためらわずに怒りを表明すべき」だという怒りの鼓舞。「考える前に怒れ」、あるいは「考えるまでもなく怒らねばならない状況だろう」ということなのだ。ここまでは、時代の状況が言わしめた言葉。
ここからは、普遍性をもった思索の結論。「怒りとは命がけの感情」だという。私にはよく分かる。しかも、怒りは「ありうる虚無主義や懐疑主義を乗り越えていく感情」だという。「ありうる」は、「そう陥りがちな」くらいの意味であろう。諦めたり、逃げたり、自信を失ったりしがちなときに、これを乗り越えるのは怒りの力なのだ。このエネルギーの源を、彼は美しく「深く倫理的な感情」と讃えている。
「今こそ怒るべきとき」「忘れた怒りを取りもどせ」という呼びかけなのだ。「私憤」も「私怨」も、不当なものに向けられるときは、「唯一の比較すべきもののない深く倫理的な感情」なのだ。大いに怒ろう。巨大な怒りのエネルギーを蓄積しよう。
もう一つ。
「楽観できない状況の中で、私はマハトマ・ガンジーやキング牧師が実践した『市民的不服従』の重要性を強調したいと思います。これは国家が課す法や命令に、良心に反しなければ従うことができないとき、不服従を表明し、その法こそが不正義であることを公共に訴える態度のことで、悪法を間接的に改めさせるクリエーティブな政治的行為です。」
不当なものへの怒りこそは行動のエネルギーだが、怒りを暴力に転化させてはならない。強者の不当な仕打ちに対しても、暴力的な報復は自制しなければならず、替わっての怒りの表現手段が『市民的不服従』である。「国家が課す法や命令に、良心に反しなければ従うことができないとき、不服従を表明する」とは、法に従わず、形式的には法に抵抗して、法を破るということである。権力が命令の根拠とする法が不正義で、自らの良心の根拠たる法こそが正義であることを公共に訴えるために、敢えて法を破るのだ。
幸い、今の法体系では、良心を守る高次の法として日本国憲法が存在する。理不尽な権力の命令を、違憲なるが故に違法あるいは無効なものとして、憲法を盾に争うことができる。
この「市民的不服従」が、「悪法を間接的に改めさせるクリエーティブな政治的行為」として称揚され、その重要性が強調されている。「日の丸・君が代」不起立は、その典型といってよいだろう。
ところで権力の不当と市民的不服従による抵抗の主たる局面は、巨大な綱引きによって移動する。権力の不当に、敵わぬまでも抵抗が続けられれば、現状を維持できる。抵抗が無くなれば、ずるずると綱は引きずられ、際限なく後退を余儀なくされる。
平和も、人権も、民主主義も、怒りもて闘うことでせめては現状を悪化させずに維持し、さらには民衆の側に、半歩でも一歩でも綱を引き寄せたい。
2014年の夏が終わって、季節はすでに秋。新たなステージが始まる。
(2014年9月8日)
久しぶりに、医療過誤事件の新件を受任し、今日(9月7日)付けで病院に損害賠償請求の通知書を発送した。請求額は小さい。しかし、当事者にとっては理不尽極まりない大事件である。
私は、癌の宣告を受けて手術をするまでは、身を粉にして働いた。6年前の手術の直前には、医療過誤訴訟だけで12件の受任事件があった。今では、とても考えられない。弁護士は医師と異なり応召義務がない。断る自由を謳歌しているのだが、それでも、紹介者によっては断り切れないこともあり、取りあえず会って話を聞こうということになる。今回の新件もそんな一つ。話しを聞いてしまうと、もう断れない。病院の対応が理不尽極まるといわざるを得ないからだ。
この方は、腹痛を主訴として総合病院の救急センターを受診し、その日検査のための採血で医療事故に遭遇する。鼠径部の動脈血採血の穿刺に失敗して、大腿神経を傷つけ、即日入院。ようやく2か月経って松葉杖で歩けるようになって退院するが、その間に出社できないことから解雇(形は自主退職)されてしまう。無収入で放り出されてしまうのだ。
日本社会の矛盾に翻弄されているようなこの方に、病院も企業も何とも冷たい。人権とか、人格の尊重という言葉のリアリティのなさが骨身に沁みる。
医療過誤事件としてはありふれたもの。大腿動脈からの動脈血採血を二人の研修医が担当した。後輩研修医が2度採血を試みて成功せず、先輩研修医に交代したが、これもできなかった。結局は諦めて上肢からの採血としたという。ところが、その直後から右下肢に疼痛と麻痺が生じた。歩行できなくなって、入院の憂き目となった。それも、2か月間。そして、入院期間1か月が経過したところで、勤務先からの解雇である。ひどい話だ。この患者さん、「採血」「注射」ど、針を連想させるものの名を聞くだけで恐くなり、ふるえが止まらなくなってしまっているという。
この病院のパンフレットは、よくできている。「親切であたたかい病院」との基本理念が掲げられ、患者と医療提供者の信頼関係を醸成するために、受診の患者に対して、
「人間としての尊厳が守られる権利」
「病気や治療について十分な説明を受ける権利」
「セカンドオピニオンを求める権利」
「自分の診療情報を得る権利」
が明記されている。
しかし、実態はこのとおりではない。
退院直前の説明の席で、患者は副院長や事務次長から、こう言われたという。
「こういうことはよくあるミスなんですよ。100回に1回くらいはこんなことになる」「今回の件は起こってはいけないことだが、人間なのだからミスは仕方がない」「医療事故だが医療ミスではない」「病院にはなにひとつ落ち度はない」「研修医2名は、ごく普通の青年ですよ。がんばってやっていますよ」「入院費は病院がもちますから、それ以上の補償はできません」
精いっぱい、「病院の針刺しで入院することになったのだから、誠意を見せて欲しい」と言った患者に対して、高圧的ににらむような態度で、弱い立場の人を押さえつけようとする姿勢だったという。
通知書で私は筆を抑えたが、次のようには書いた。
「病気を癒し健康を回復すべき病院において、通知人は、原疾患についての診察も診断もなされないまま、技倆未熟な研修医二人によって、過失による傷害を加えられたのです。その法的責任(民事・刑事両面において)はまことに重大と考えざるを得ません。このような未熟な研修医に、指導医のフォローないまま危険な診療行為をさせ、患者に重大な医療事故を起こしたことについて、貴院はもっと深くその責任を自覚し、万全の再発防止策を建てなければならないと思います」
「なお、敢えて一言付言いたします。
事故後の通知人に対する貴院の対応は、被害者となっている患者に対して『人間としての尊厳』を認めてのものとは評価し得ません。通知人やその家族の感情をいたずらに刺激して紛争を拡大するような愚を避けていただくよう、賢明なご配慮をお願いいたします」
解雇した企業にも通知書を発信した。
この世は人権課題に満ちている。力ある者の弱い者への理不尽には憤りを禁じ得ない。こうなると、年齢だとか、しんどいとか、病み上がりだとか、自分への言い訳を言っておれない。
(2014年9月7日)
安倍改造内閣で最も気になったのが高市早苗の総務大臣ポスト。安倍晋三の思惑からは「適材を適所に配した」のだろうが、民主主義の目線からは、渦中のNHKに最悪の人事。
案の定である。本日(9月6日)の東京・朝刊によれば、高市早苗総務相は、5日の報道各社とのインタビューで、海外向け放送を行っているNHKに対して「領土などの正しい情報や日本の素晴らしさをアピールするため、必要に応じて放送法に基づく放送要請をすることはあり得る」と表明したという。
下に「政府が右といえば、左ということはできない」というNHKありて、上に「日本の素晴らしさをアピールせよ」という大臣あり。まったくお似合いだ。権力への批判を真骨頂とするジャーナリズムの片鱗もない。もう、うんざり。
政権から見れば、NHKは国営放送であり、政権御用達放送機関なのだ。「こんなNHKには受信料を払いたくない」「正常化までは受信料支払いを凍結したい」と考える多くの人々がいて当然。NHKによると、2013年度末現在、1年以上の受信料未払い者は138万件、計1635億円におよぶという。
その人々にお伝えしておきたい。NHK受信料支払い請求権の時効は5年である。5年以上遡って支払う必要がない。その点の注意が肝要だ。
本日の各紙が、「受信料時効5年確定、NHKの上告棄却…最高裁初判断」という記事を載せている。比較的毎日が詳しい。
「NHK受信料の滞納分を何年前までさかのぼって徴収できるかの時効期間が争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は5日、『時効は5年』とする初判断を示した。その上で『時効は10年で、10年前の滞納分まで請求できる』としたNHK側の上告を棄却した。『5年より前の滞納分は徴収できない』とNHK敗訴とした2審・東京高裁判決が確定した」
「NHKによると、受信料の時効を巡っては263件の訴訟が係争中だが、今後は最高裁判決に基づいて審理されるとみられる。1審が簡裁で争われるなどして高裁で確定した判決は95件あるが、全て時効は5年との判断が示されていた」「最高裁で争っている20件について、NHKは訴訟を取り下げる」
民法の解釈問題に立ち入る必要はない。一般原則の「10年」ではなくて、この場合は「5年」との解釈が確定したのだ。指摘したい問題はここから。
各紙が、「NHK広報局は『判決を真摯に受け止め、今回の判断を踏まえて対応する。引き続き公平負担の徹底に努める』とコメントした」(東京)と報じている。多くは、このコメントの紹介を結びとしている。さて、このコメントをどう読むか。
「判決を真摯に受け止め、今回の判断を踏まえて対応する」とは、「5年を超える過去に遡った受信料滞納分の請求はしない」のだろうと、普通の読者は思うだろう。ところがさに非ず。「引き続き公平負担の徹底に努める」とは、「この判決のあとも以前と変わることなく、遡って全額を請求します」という宣言なのだ。ちょっとひどいよ、NHKさん。
毎日の記事は、次のように続く。「最高裁判決を受けNHKは5日、受信料を滞納している視聴者から時効の主張があった場合、これまで『10年』さかのぼって請求するとしてきたのを、今後は『5年』とすることを明らかにした。」という。注意深く読まねばならない。今後は『5年』の請求とするのは、「視聴者から時効の主張があった場合」に限られるのだ。これまでだって、『10年』に限っていたのは、時効の主張があった場合についてだけのこと。今後も、「5年で時効が完成しているはずだ」という視聴者からの「時効の援用」がない限りは、あくまで「全額をいただこう」ということなのだ。
毎日記事の最後は、「長村中・営業局専任局長は『公平負担の徹底のため、引き続き未払いの全期間について請求する方針に変わりはない』としている」と結ばれている。
朝日はこうだ。「判決を受け、NHKは『引き続き、支払いが滞っているすべての期間について請求するが、契約者側から時効の主張があった場合には「5年で時効」として取り扱う』との方針を明らかにした」
毎日・朝日の報道が合致している。要するに、NHKは視聴者側から「時効援用がない限りは」、15年分でも、20年分でも、遡って滞納の全額を請求する方針ということなのだ。
法律上は、時効期間の経過によって客観的には時効が完成していても、債務者側からの時効の援用がなければ、裁判所は時効によって権利が消滅したという判決を言い渡すことができない。うっかりすると、時効利益の放棄とみなされることだってあり得る。
その意味では、NHKの「方針」が違法でも不当でもない。そのように一応は言いうる。とはいうものの、時効が完成して支払う必要がなくなったことを知った上で、それでも支払いをしようなどということは、普通は考えにくい。
昔お世話になって借りた金、その恩を忘れずに時効が完成していることを承知しながら、きちんと支払いたいということはあるだろう。しかし、NHK受信料債務を時効完成後もお支払いしたいなどという者があろうとは常識的に考えられない。
結局のところ、NHKの「方針」は、視聴者の無知や無理解あるいは迂闊に付け込もうというものではないか。姑息というほかはない。
意識的な受信料不払いの皆様、支払い凍結者の皆様。いざというときには、時効の援用が必要であることをお忘れなきよう、くれぐれもご用心。
(2014年9月6日)
裁判所・裁判官の説得は、どうしたら可能であろうか。とりわけ困難な訴訟ではどうしたらよいのだろう。
そんなことが分かれば苦労はない。分からないから苦労を続けているのだが、分からないながらも考え続けなければならない。
おそらく、それをなしうるのは論理ではなかろうと思う。原告も被告も、双方それなりの論理をもって裁判所を説得しようとする。どちらをも選びとりうる裁判官に、こちらを向いてもらえるにはどうすればよいのか。
キーワードは、「共感」ではないだろうか。裁判官に、論理を超えたシンパシーをもってもらえるかどうか、そこが分岐点ではないか。「なるほど、私もあなた(方)の立場であれば同じようにしたいと思う」「同じようには出来ないかも知れないが、あなた方に共鳴し、共感する」と思ってもらえるか。できることなら、一緒に怒ってもらいたい、泣いてももらいたい。共感を得ることができれば、論理はこちらが用意したものを採用してくれる。あるいは、裁判所が探してくれる。独自に組み立ててもくれるだろう。
では、裁判所の共感を得るにはどうするか。そのキーワードはおそらく「真摯さ」ということではないか。裁判官の胸を打つものは、問題に向かいあう真剣さ、人としての悩みや葛藤の深さと、悩みながらもそれを乗り越えようとする真面目さなのではないだろうか。
裁判官という人格が、当事者の真摯な人格と向かいあったとき、共感が生まれる。そうしてはじめて、その当事者の主張する論理の採用に道がひらける。これが、困難な裁判の道筋だろうと思う。
本日、東京「君が代」裁判4次訴訟の口頭弁論で、原告のお一人が、次のような意見陳述をした。私は、大いに共鳴し共感した。政治的意見を異にする人にも、思想良心の自由を大切と思う立場から共感してもらえると思う。合議体の裁判官3人とも、よく耳を傾けておられた。
陳述の紹介は、特定性を避ける必要からやや迫力を欠くものとはなったが、是非多くの人にお読みいただいて「共感」をいただきたいと思う。
「私は、多様な価値を認め合うことや少数派の意見を尊重することの重要性を、いろいろな教材を通して生徒に教えてきました。
10・23通達以前、入学式・卒業式の前に生徒に対して「国旗国歌に対してはいろいろな考えがあるのですから、みなさんは自分の考えに従って行動して下さい」と説明していたのは非常に重要なことでした。ところが10・23通達後はこの説明は許されず、「教員は命令に従わないと職務命令違反で処分する」と脅されて国歌の起立斉唱を強制されました。民主主義の日本でこんな強制が許されるのか、日本はどんな国になろうとしているのか、起立したくない生徒の内心の自由は守られるのか、と私は非常に動揺しました。多くの同僚はしばらくの我慢だと言い、私も、処分は恐ろしいから立つしかないといったんは自分に言い聞かせました。けれど我が子や生徒たちの未来のために、今できることをしなくては後で大きな後悔をすることになると思い、悩んだ末に結局は起立しませんでした。
その後10年が過ぎ、今では入学式・卒業式での国歌斉唱はあたりまえのように淡々と行われます。前任校では式の進行台本には「起立しない生徒がいる場合は司会が起立を促す」と書かれていました。私はできるだけ式場外の仕事を担当させてもらうのですが、昨年3月校長から、「入学式・卒業式で起立すると約束しなければ3年の担任から外す」と迫られた時には本当に苦しい思いをしました。
私の学校では、進路指導を重視して2年から3年へはクラス替えをせず同じ担任が持ち上がります。私が「起立できない」と言えば、私のクラスだけ担任が代わり、生徒は「自分たちだけが不利になった」と思うでしょう。人間関係を築くのが苦手な生徒は「困ったな」と思うでしょう。私自身、「時間をかけて信頼関係を築いてきた生徒を、最後の一番大事な場面で担任として支援できないのは本当に悔しい」「担任を続けたい」「一緒にチームで生徒を見てきた学年団にも申し訳ない」。けれど一方、君が代斉唱を強制されて苦しんでいる生徒は確かにいるのに、国旗国歌強制の卒業式に誰も反対しなくなってもよいのか。自分を含め教員が全員起立斉唱する状況で、生徒に起立しない自由があると言えるのか。私自身の中でこのせめぎあいが続きましたが、“Silence means consent.”「沈黙しているのは賛成の表明に等しい」、つまり私が起立斉唱することは、生徒への強制に加担することにほかならないとの思いが頭を離れず、結局起立できないと決めました。その結果私は3年の担任を外されました。席だけは職員室の3年担任の場所にありながら、他の教師が3年生の生徒に親身な指導をしているのを見るにつけ、非常にさびしい思いをしました。
10・23通達は学校運営のあり方も大きく変えました。職員会議での採決が禁止され、都教委の指示や校長の判断だけで物事が決まる場面が増えた結果、教員集団が議論して教育に当たるという雰囲気がなくなりました。どうせなにを言っても無駄、校長に反論などすれば自分に不利になるという意識が浸透しました。しかも、杜撰な計画や実施の是非に疑問のある指示が次々に降りてきます。
例えばこの3月、今は退職した校長の判断で海外修学旅行が強引に決められました。しかし、実施年度の今年、航空機事故への懸念や費用の負担を理由に不参加者が増えて、大変困ったことになっています。私は職員会議で度々、学年の希望は沖縄であり、海外は経済的理由で参加できない生徒が出る、また教員の準備や事前指導が困難であると反対意見を述べましたが、全く聞き入れられませんでした。校長は、何を学ばせたいかを示すことができません。大切な教育の機会である修学旅行も十分な議論もなく決められてしまう。教育内容を教員自身が決められない。本当に生徒のためになるかどうかが置き去り。これが学校の現状です。
学校は教員が自由に個性を発揮して、生徒に問題提起し、考える場を与え、試行錯誤するチャンスを与える場です。しかし教員は卒業式・入学式で日の丸・君が代について生徒に説明できなくなり、授業や授業外でも社会性のある問題を取り上げにくくなり、生徒に自分で考え成長する機会を与えることが難しくなっています。
私たちは、疑問を持ち自分で考える人間を育てなければなりません。そのため学校は、教員が意見を自由に表明し議論できる場でなければなりません。都教委は、君が代の強制に賛同できないと言っているだけの私たちを徹底的に排除し、私たちを見せしめに教員の反論の口を封じ、学校の教育力を奪って、一体どんな人間を育てようとしているのでしょうか。
裁判官の皆様には、10・23通達が学校の現場を荒廃させている状況をご理解ください。そして、生徒のためにも、多様な意見を持つ教員が安心して教育に取り組める学校を取り戻してくださるようお願いします。」
(2014年9月5日)
8月5日、朝日新聞が慰安婦問題での吉田清治証言を誤りと認め過去の16本の掲載記事を取り消すとして以来の朝日批判が喧しい。これに、池上彰への記事掲載拒否問題が油を注いだ。
朝日への口を揃えてのバッシング。総批判、総非難の大合唱である。あたかも、一羽のムクドリが飛び立つと、あとのムクドリの大群が一斉に同じ方向に飛び立つという、あの図を思い起こさせる。もちろん、朝日批判に十分な理由はある。これに加わるのは楽だ。
しかし私は、何であれメディアの付和雷同現象を不愉快に思う。ジャーナリストとは、所詮はへそ曲がりの集団ではないか。他人と同じ発想で、同じように口を揃えることを恥とすべきだろう。
とりわけ、吉田清治証言撤回を、日本軍慰安婦問題全体が虚構であったような悪乗り論調を恥とすべきだ。吉田証言の信憑性の欠如は、20年前には公知の事実となっていた。たとえば、吉見義明の「従軍慰安婦」(岩波新書)は1995年4月の発行。巻末に、9ページにわたって参照文献のリストが掲載されているが、吉田の著作や証言はない。もちろん、本文での引用もない。
吉田証言が歴史家の検証に耐え得るものでなかったことについては、貴重な教訓としなければならない。しかし、他の多くの資料と証言とが積み重ねられて、日本軍慰安婦問題についての共通認識が形成されてきた。いまの時点で、吉田証言に信憑性がなかったことを言い募っても、歴史の真実が揺らぐわけではない。
この機会に、日本軍が一体何をしてきたのか、その歴史を見直そう。日本軍の慰安所は、いつからどのようにして設置され、どのように運営されていったのか、どのようにして慰安婦は徴集されたのか、どこの国の軍隊にもあったものなのか、そのような立場におかれた女性がどのような行為を強いられたか、戦時どのような運命を忍受したか、そして戦後どのような人生を送ったのか。さらに、今、世界はこの問題をどう見ているのか。国際法的にどのようにもんだとされているのか。
以下が、国連自由権規約委員会における対日審査最終所見(本年7月25日)の「慰安婦」関連部分の日本語訳(wamホームページから)。
〔14〕委員会は、締約国(日本政府)が、慰安所のこれらの女性たちの「募集、移送及び管理」は、軍又は軍のために行動した者たちにより、脅迫や強圧によって総じて本人たちの意に反して行われた事例が数多くあったとしているにもかかわらず、「慰安婦」は戦時中日本軍によって「強制的に連行」されたのではなかったとする締約国の矛盾する立場を懸念する。委員会は、被害者の意思に反して行われたそうした行為はいかなるものであれ、締約国の直接的な法的責任をともなう人権侵害とみなすに十分であると考える。委員会は、公人によるものおよび締約国の曖昧な態度によって助長されたものを含め、元「慰安婦」の社会的評価に対する攻撃によって、彼女たちが再度被害を受けることについても懸念する。委員会はさらに、被害者によって日本の裁判所に提起されたすべての損害賠償請求が棄却され、また、加害者に対する刑事捜査及び訴追を求めるすべての告訴告発が時効を理由に拒絶されたとの情報を考慮に入れる。委員会は、この状況は被害者の人権が今も引き続き侵害されていることを反映するとともに、過去の人権侵害の被害者としての彼女たちに入手可能な効果的な救済が欠如していることを反映していると考える。
締約国(日本政府)は、以下を確保するため、即時かつ効果的な立法的及び行政的な措置をとるべきである。
(i) 戦時中、「慰安婦」に対して日本軍が犯した性奴隷あるいはその他の人権侵害に対するすべての訴えは、効果的かつ独立、公正に捜査され、加害者は訴追され、そして有罪判決がでれば処罰すること。
(ii) 被害者とその家族の司法へのアクセスおよび完全な被害回復。
(iii) 入手可能なすべての証拠の開示。
(iv) 教科書への十分な記述を含む、この問題に関する生徒・学生と一般市民の教育。
(v) 公での謝罪を表明することおよび締約国の責任の公的認知。
(vi) 被害者を侮辱あるいは事件を否定するすべての試みへの非難。
以上の文脈で語られる「強制」に関して、ことさらに狭く定義しておいて「強制性を否定する」論法に惑わされてはならない。軍の管理のもとにおかれた女性たちが、戦地で「自由」であったはずはない。吉田証言の類の「慰安婦狩り」の事実があろうとなかろうと「強制」は自明であろう。
とりわけ自ら慰安婦として軍に強制されたと名乗り出た人々の証言は重い。それが法廷でのことであればなおさらのことである。本年3月に高文研から出版された、「法廷で裁かれる日本の戦争責任」は、その集大成として貴重な資料となっている。
同書は、「従軍慰安婦」、強制連行、空襲、原爆、沖縄戦などの日本の戦争責任を巡る50件の訴訟について、各担当弁護士が解説したものである。
第?章 「従軍慰安婦」は、以下の8本の解説記事。
※韓国人従軍「慰安婦」訴訟を振り返って
※関釜朝鮮人「従軍慰安婦」・女子挺身隊公式謝罪訴訟
※フィリピン日本軍「性奴隷」裁判
※オランダ及びイギリス等連合国の捕虜・民間拘留者(「慰安婦」を含む)損害賠償訴訟
※台湾人元「従軍慰安婦」訴訟
※中国人元「慰安婦」訴訟と山西省性暴力被害者訴訟
※中国人「慰安婦」第二次訴訟 最高裁判決と今後の闘い
※中国人「慰安婦」訴訟・海南島事件
多くの外国人女性が、日本軍にどのように人格も人権も蹂躙されたかが具体的に描かれている。
膨大な証言が積み上がっての「日本の戦争責任」なのだ。吉田証言があろうとなかろうと。
(2014年9月4日)
昨日(9月2日)の定例記者会見で舛添要一都知事は、現在支給されていない朝鮮学校への補助金の支給について、「万機公論に決すべし」との考えを披瀝した。この言を「一歩前進」と評価すべきであろう。ときあたかも、国連差別撤廃委員会からの勧告がこの問題に言及している。差別を撤廃して朝鮮学校にも補助金を支給し授業料無償化を実現すべく「公論」を興そう。知事は、聞く耳を持っているようなのだから。
この点は、2014年都知事選における重要な争点ではなかったが、政策対決点の一つではあった。都は、2010・11年度と続けて予算に計上した2千万円の朝鮮学校補助金支給を「凍結」し、2012年度以降は予算の計上自体を取りやめている。この事態においての選挙戦で、舛添候補は、田母神候補と同様に、石原・猪瀬都政が布いたレールに乗って補助金不支給の「現状維持」を「公約」とした。昨日の記者会見発言は、この公約に固執するものではないことを明らかにしたのだ。石原都政の継承に与するものではないことの表明としても注目に値する。石原元知事は、田母神陣営応援団の立場。舛添知事は、石原・猪瀬承継に縛られる必要はない。
朝鮮学校補助金支給の「万機公論」発言は、予定されたものではないようだ。都のホームページでの広報によれば、共同通信記者の質問に答えてのもの。その質問と回答の要点は以下のとおり。
「【記者】先日、国連の人種差別撤廃委員会で対日審査会合の最終見解が公表されたのですけれど、その中で地方自治体による朝鮮学校への補助金の凍結などについて何か懸念が示されていたようなのですけれど、東京都では2010年度から補助金の支出、朝鮮学校に対して凍結してまして、昨年、支給しないことを決めて発表されてるのですが、知事はこの政策、どのようにしていくべきだと思いますか。」
「【知事】こういうのはやはり万機公論に決すべしでですね。要するに国益に沿わないことはやはり良くないということは片一方でありますけれども、しかし、どこの国の言葉でも、どこの国の子供でも教育を受ける権利はあるわけですから、そういうものを侵害してはいけない。そのバランスをどうとるのかなということが問題だと思います。
だから、私が今問題にしているヘイトスピーチにしても、これが言論弾圧に使われるということであってはいけませんけれども、人種差別を助長するということであれば、国連の理念にも、我が日本国憲法の理念にもそぐわないので、そこのところをバランスをとってやる。そのためにはやはり皆さん方のメディアを含めて、広く議論をしていくということが必要だと思いますので。…検討したいと思います。」
確認をしておこう。知事の言のとおり、「どこの国の言葉でも、どこの国の子供でも、教育を受ける権利はある」「そういうものを侵害してはいけない」。このあと、「権利は当然に平等を要求する」と続くことになろう。補助金支給に差別があってはならない。石原慎太郎元知事からは、とうてい期待しえない発言。石原後継の猪瀬前知事からも、無理だろう。舛添知事がサラリと言ってのけたことを無視せず無駄にせずに、政策転換の一歩とする世論形成の努力をするべきだろう。
ところで、舛添知事会見の記録を読んでも、知事自身が国連人種差別撤廃委員会の対日最終見解に目を通していたのか否かが判然としない。8月29日採択のこの見解に既に目を通していたとすればその関心は見識と評価しえようし、この見解を読まずして政策転換を示唆したとすればこれもなかなかのものではないか。
国連人種差別撤廃委員会の対日最終見解は35項目。ヘイトスピーチ、慰安婦問題、外国人労働者問題、在日外国人の公務就労制限、外国人女性に対する暴力、アイヌ民族差別、沖縄への差別、朝鮮学校の無償化問題、部落差別問題等々にも触れている。グローバルスタンダードからみれば、日本には差別問題満載なのだ。
共同記者が質問で引用した朝鮮学校差別問題の「第19パラグラフ」を文意が通る程度に訳してみた。もちろん私の語学力だから正確ではない。大意以下のとおりである。
「〔19〕当委員会は朝鮮出身の子どもたちの教育の権利を妨げる立法と政府の以下の行為について懸念している。
(a)高等学校授業料補助からの朝鮮学校の除外
(b)朝鮮学校への地方自治体財政からの支給停止や継続的な減額
当委員会は、「市民権を持たない居住者に対する差別についての一般的勧告」(2004年)を再記して、教育の機会についての法規に差別があってはならないこと、その国に永住する子どもたちが学校の入学に当たって妨害を受けてはならないこと、これらを当事国が保障するという先の勧告を繰り返す。
当委員会は、日本に対し、朝鮮学校が高等学校授業料財源からの支出を受給できるように立場を変えること、同時に地方自治体に対して朝鮮学校への補助金支出を回復するように指導することを勧奨する。
当委員会は日本が1960年の「教育における差別撤廃のユネスコ条約」に加入するよう勧告する。」
国連の委員会勧告は、差別問題に意識の低い日本政府を諭すがごとく、なだめるがごとくである。安倍政権には聞く耳なくとも、せめて舛添都政には国連の良識に耳を傾けてもらいたい。そのような声を上げよう。もしかしたら、「東京から日本が変わる」かも知れない。
(2014年9月3日)
私の交友範囲で、最高齢者が吉田博徳さん。1921年6月のお生まれというから、既に93才。矍鑠と背筋が伸びている。好奇心旺盛。新しい話題を絶やさない。私なんぞ、とても老けてはおられない。そのように、いつも励まされる。
私とて、儒教文化の名残の影響を受けて育ってきている。高齢者には、高齢であるだけで敬意を表するに吝かではない。しかし、一緒にいると吉田さんが高齢ということはすぐに忘れてしまう。その気持ちの若さには、いつものことながら驚かされる。過日、韓国旅行をご一緒したときには、日韓の歴史と、行く先々の土地の話しの的確さに舌を巻いた。こんな人生の大先輩が身近にいることを幸運に思う。
吉田さんは、ご自身が歴史である。毛沢東や陳独秀が中国共産党を結成したのが1921年7月だから中国共産党と肩を並べる長寿なのだ。1922年7月結党の日本共産党よりは1才の年嵩。関東大震災のときは満2才だ。そして、もちろんこの齢だから従軍経験がある。中国で皇軍の将校として戦った深刻な体験が、平和を求めるブレない後半生の原点となっているという。
戦後は、裁判所職員の労働組合、全司法労組のかがやける委員長としていくつもの伝説をつくった。退職して、平和運動一筋。70を過ぎて、ハングルを習いこれをものにしている。今、日民協理事のお一人であり、日朝協会東京都連合会会長である。
その吉田さんが、昨日(9月1日)横網町公園での朝鮮人犠牲者追悼集会実行委員長として、挨拶された。
その挨拶の中で、2003年に当時の盧武鉉大統領が韓国・済州島の4・3虐殺事件(1948年)について、島民と遺族に謝罪したことを引いて、「その勇気に心から敬服している。政府が犯した誤りを認め、謝罪してこそ、国民との信頼は深まります」「日本は、そのようにして朝鮮と心から信頼できる友好関係をつくらなければなりません」と述べている。
関東大震災時の朝鮮人虐殺に頬被りするのではなく、誠実に事実に向かい合って誤りを誤りとして率直に認め、謝罪する勇気を持たなければならない。それは、「自虐」ではなく、歴史的真実に向かいあう真摯な姿勢であり、矜持を持たない者にはなしえない崇高な行為である。それをなしえてはじめて「心から信頼できる友好関係」を築くことが可能となるだろう。こうして平和なアジアが実現する。そんなことを口にするに、吉田さんはまことにふさわしい人だ。
その吉田さんと、先日日民協の会合で顔を合わせた。やおら財布からお札を抜き出して、「おかしな裁判やられているそうじゃないですか。たいへんですが、がんばって下さい」と、現金のカンパをいただいた。いや、ありがたい。やっぱり、吉田さん。何度でも噛みしめなければならない。こんな大先輩が身近にいることが我が身の幸せなのだと。
(2014年9月2日)
9月1日「震災記念日」である。姜徳相の「関東大震災」(1975年中公新書)と、吉村昭の「関東大震災」(1973年菊池寛賞受賞・77年文春文庫版発行)とを読み返した。
前者は、「未曾有の天災に生き残った人をよってたかってなぶり殺しにした異民族迫害の悲劇を抜いて、関東大震災の真実は語れない」「朝鮮人の血しぶきは、日本の歴史に慚愧の負の遺産を刻印した」との立場に徹したドキュメント。後者も、125頁から229頁までの紙幅を費やして、震災後の朝鮮人虐殺、社会主義者虐殺(亀戸事件)、大杉栄・伊藤野枝(および6才の甥)惨殺の経過を詳細に描写している。
姜の書の中に、「自警団員の殺し方」という一章がある。「残忍極まる」としか形容しがたい「なぶり殺し」の目撃談の数々が紹介され、「死体に対する名状し難い陵辱も、また忘れてはならない。特に女性に対するぼうとくは筆紙に尽くしがたい。『いかに逆上したとはいえこんなことまでしなくてもよかろうに』『日本人であることをあのときほど恥辱に感じたことはない』との感想を残した目撃者がいることだけ紹介しておこう」と結ばれている。
中国では柳条湖事件の9月18日を、韓国では日韓併合の8月29日を、「国恥の日」というようだ。今日9月1日は、日本の国恥の日というべきだろう。現在の日本国民が、3世代前の日本人が朝鮮人に対してした残虐行為を、恥ずべきことと再確認すべき日。
災害を象徴する両国の陸軍被服廠跡地が東京都立横網町公園となっており、ここに東京都慰霊堂が建立されている。その堂内に「自警団」という大きな油絵が掲げられている。いかなる意図でのことだろうか。無慮6000人の朝鮮人を虐殺したこのおぞましい組織は、各地で在郷軍人を中心につくられた。
「在郷軍人というのは何か。軍人教育を受け、甲午農民戦争や日露戦争やシベリア出兵、こういうもので戦争経験をしている。朝鮮人を殺している。こういう排外意識を持った兵士たち」(姜徳相講演録より)なのだ。
なるほど、甲午農民戦争(1894年)や日露戦争(2004年)を経て、日韓併合(2010年)、シベリア出兵(1918年)、そして3・1万歳事件とその弾圧(1919年)を経ての関東大震災(1923年)朝鮮人虐殺なのだ。当時、既に民族的差別意識と、民族的抵抗への憎悪と、そして後ろめたさからの報復を恐れる気持ちとが、広く国民に醸成されていた時代であった。歴史修正主義派は、この点についての責任糊塗にも躍起だが、「新たな戦前」をつくらないためにも、多くの日本人に、加害者としての歴史を確認してもらわねばならない。
過日、高校教師だった鈴木敏夫さんから、「関東大震災をめぐる教育現場の歴史修正主義」という論文(大原社会問題研究会雑誌・2014年6月号)の抜き刷りをいただいた。その中に、高校日本史の教科書(全15冊)がこの問題をどう扱っているかについての分析がある。
「朝鮮人・中国人虐殺に触れているか。人数の表記はどうなっているか」「虐殺(殺害)の主体はどう書かれているか」「労働運動、社会主義運動の指導者の殺害に触れているか」について、「さまざまな努力により、濃淡の差はあるが、…総じて最近の学界の研究成果を反映した内容になっている」との評価がされている。
末尾の資料の中から、いくつかの典型例を紹介したい。
東京書籍『日本史A 現代からの歴史」が最も標準的で充実してる記載といえよう。
○小見出し「流言と朝鮮人虐殺」
「社会的混乱と不安のなかで、朝鮮人や社会主義者が暴動を起こすという事実無根の流言が広まった。警察・軍隊・行政が流言を適切に処理しなかったこと、さらに新聞が流言報道を書きたてたことが民衆の不安を増大させ、流言を広げることになった。
関東各地では、流言を信じた民衆が自警団を組織した。自警団は、在郷軍人会や青年団などの地域団体を中心にして、警察の働きかけにより組織された。彼らは刀剣や竹槍で武装し通行人を検問して朝鮮人を取り締まろうとした。こうしたなかで、首都圈に働きにきていた数多くの朝鮮人や中国人が軍隊や自警団によって虐殺された。「朝鮮人暴動説」は震災の渦中で打ち消されたが、虐殺事件があいついだのは、民衆の中に根強い朝鮮人・中国人蔑視の意識があったからであった。
また、震災の混乱のなかで、労働運動家や社会主義者らにも暴行が加えられ、無政府主義者大杉栄らが殺害される事件が起きた。」
(注に、死者数として「朝鮮人数千人、中国人700人以上と推定される」
清水書院『高等学校日本史A 最新版』が最も詳細。
○[こらむ関東大震災]
「1923年9月1日午前11時58分、関東地方をマグニチュード7.9という大地震が襲った。ちょうど昼食の準備の時間で火を使っていた家庭も多く、各地で火災が発生した。家屋の大半が木造で、水道も破壊され消火活動がほとんど不可能であったことも被害を拡大させた。東京・横浜両市の6割以上が焼きつくされ、関東地方全体で10万の死者と7万の負傷者を出し、こわれたり焼けたりした家屋は70万戸に及んだ。通信も交通もとだえ、余震が続くなかで、翌日から朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ、放火をしてまわっている、暴動をおこすらしいなどのうわさが流れはじめた。
東京市および府下5郡にまず戒厳令が出され、続けて東京府、神奈川・千葉・埼玉3県にその範囲が拡大された。『戒厳』とは、戦争に準ずる内乱や暴動の場合に、軍事上の必要にこたえて行政権と司法権を軍司令官に移しこれに平時の法をこえた強大な権限をあたえることであるが、この戒厳令下で、軍隊と警察は『保護』と称しで大量の朝鮮人をとらえ、留置場に収容したり、殺したりした。また民衆もうわさを信じ、在郷軍人会や青年団、消防団などを中心に自警団をつくり、刀剣・竹やり・木刀などで武装して、通行人を検問し、朝鮮人を襲った。この朝鮮人に対する殺傷は東京・神奈川・埼玉・千葉などを中心に7日ごろまで続き、約6、000人が殺された(『韓国独立運動史』による。内務省調査では、加害者が判明した分として。朝鮮人231人、中国人3人としている)。そのほか中国人も多数被害にあっており、江東区大島だけでも約400人が虐殺された。
また労働運動家10名が警察にとらえられ、軍隊に殺された亀戸事件、甘粕事件がおこるなど、首都を壊滅状態にした災害の混乱のなか、警察や軍隊そして民衆の手による、罪も無い人びとの虐殺がおこなわれた」
(注に、「亀戸事件」「甘粕事件」の説明がある)
実教出版『高校日本史B』は、簡略ながら必要事項がよく書き込まれている。
○小見出し「関東大震災」
「1923(大正12)年9月1日、関東大震災がおこった。震災直後の火災が京浜地方を壊滅状態に陥れ、混乱のなかで、『朝鮮人が暴動を起こした』などという民族的偏見に満ちたうわさがひろめられ、軍隊・警察や住民が組織した自警団が、6、000人以上の朝鮮人と約700人の中国人を虐殺した。また、無政府主義者の大杉栄・伊藤野枝が憲兵大尉甘粕正彦に殺害され(甘粕事件)、労働運動の指導者10人が軍隊と警察によって殺害された(亀戸事件)。」
さらに、次の段落で、「天譴論」にふれている。また「政府は個人主義の風潮、社会主義の台頭を警戒して、国民精神作興詔書を出すなど思想取り締まりを強化した。震災は国家主義的風潮が強まるきっかけともなった。」と書いている。
山川出版社『詳説日本史』は背景事情への目配りがよい。
○小見出し「関東大震災の混乱」(コラム)
「関東大震災後におきた、朝鮮人・中国人に対する殺傷事件は、自然災害が人為的な殺傷行為を大規模に誘発した例として日本の災害史上、他に例を見ないものであった。流言により、多くの朝鮮人が殺傷された背景としては、日本の植民地支配に対する恐怖心と、民族的な差別意識があったとみられる。9月4日夜、亀戸警察署構内で警備に当たっていた軍隊により社会主義者10名が殺害され、16日には憲兵により大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥が殺害された。市民・警察・軍部ともに例外的とは言い切れない規模で武力や暴力を行使したことがわかる。」
一方、採択率は微々たるものだが、「『つくる会』系教科書の先輩格」(鈴木)である明成社『最新日本史』の記載は次のとおり。「これでも検定を通るのかと驚く」(同)のレベル。
○小見出し「戦後恐慌と関東大震災」(縦書き)
「大正十二年(1923)九月一日、大地震が関東一円を襲い、京浜地帯は経済的には大打撃が受けた(関東大震災)。」
・注1「大震災による被害は、全壊一二万戸。全焼四十五万戸、死者・行方不明者十万数千人に及んだ。混乱の中、無政府主義者大杉栄と伊藤野枝が憲兵大尉甘粕正彦に殺害された。また、朝鮮人に不穏な動きがあるとする流言に影響された自警団による朝鮮人殺傷事件が頻発した。その一方、朝鮮人を保護した民間人や警察官もいた。また、政府は戒厳令を布き事態の収拾に当たった。」
心ある高校生には、教科書から一歩踏み出して、せめて吉村昭「関東大震災」に目を通してもらいたいと願う。決して心地よいことではないが、勇気をもって歴史と向かいあうことの必要性が理解できるのではないだろうか。
(2014年9月1日)