澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

改憲実現へ?票を掠めとる国民欺しの大作戦

アベ晋三でございます。日本会議国会議員懇談会特別顧問のアベ、神道政治連盟会長のアベ、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会のアベでもございます。また、行政府のトップであるだけでなく、時折は立法府の長までも兼ねているワタクシ。要するに右翼の軍国主義者で権力を掌握しているアベ晋三なのでございます。本日は、自民党総裁として、また、改憲勢力のリーダーとして、ここだけの話しを身内の皆様方に申しあげるわけでございます。

7月10日の参院選投票日まで、ちょうどあと一月となりました。6月22日が公示日で、7月10日に投開票が行われます。この選挙は、この道しかない我が国の今後にとってこの上ない重要な選挙なのでございます。

何となれば、敗戦によってGHQに押しつけられ、心ならずも涙とともに飲み込んだ日本国憲法を、いまこそ改正して真の日本を取り戻すまたとないチャンスだからでございます。我が国においては、いまだに戦後民主主義の外来思想に毒された蒙昧な輩が社会の隅々にまではびこっています。彼らは、個人の尊厳が原点だ、個人の尊厳を守るために国家の権限を制約すべきだ、などと言っています。国が強くなっては、国民個人の権利を圧迫するから、国は弱くてもよい。いや、国は強くなってはならない。むしろ権力は弱いに越したことはないなどとまで。このような亡国の暴論が幅をきかせています。その根拠となっているのが、日本国憲法。護憲勢力と言われる連中が、憲法に基づいているとしてこの暴論を喧伝しています。これが、我が国の嘆かわしい現実なのでございます。

言うまでもなく、国家は強くなければなりません。富国強兵こそが、維新以来の正しいスローガンなのでございます。人権だの平和だのと、軟弱なことを言っていては、近隣諸国に侮られ貶められて、やがては国の存立を危うくすることになることは火を見るよりも明らかではありませんか。

個人の尊厳を確立する以前に、強固な国家の建設をこそ重視しなければなりません。基本的人権の尊重よりは、国家の公序確立を優越する価値としなければなりません。しかも、その国家の公序において、その中心に天皇陛下を戴くのが、古来よりの我が国の国柄ではありませんか。

精強な国家は、何よりも強い経済によって支えられます。富国がすべての基礎となります。富国が実現してこそ、人心は安定して国家を信頼し、強兵たる軍隊を作ることができるのでございます。

その点、いろんな批判を受けながらもアベノミクスは正しい政策であると自負しております。つまり、アベノミクスとは、国民個人を豊かにする目的を持つものではなく、強兵のための富国をこそ目的とする経済政策なのでございます。貧富の差はあってよい。不安定雇用も、男女賃金の格差も、子どもの貧困も、そんなことは些細な問題。要は強兵のための財政支出を可能とする強い国家の基礎となる経済であればよいのでございます。

しかし皆さん。いま、そのような本音を口にしようものなら、「憲法違反だ」「日本国憲法を理解していない」「アベは立憲主義を解ってない」「アベ政治を許さない」と、集中砲火を受けることが目に見えています。ですから、ここは隠忍自重、賢く対処しなければなりません。

アベノミクスはいずれ国民を豊かにする、と有権者を引っ張り続ける策略が必要なのです。端的に言えば、国民を欺さねばなりません。戦後レジームから脱却して、真正の日本を取り戻すためです。正しい政治を行うという目的のためですから、嘘が許されて当然なのでございます。

日本国憲法こそが、戦後レジームの骨格であり、強い国家の敵対物であり、また、非日・反日と自虐史観の根源なのですから、憲法改正の実現までは、じっと我慢で本音を隠し続けねばならないのでございます。

政治家の評価があっという間に地に落ちる恐ろしい世の中であることは、オリンピック招致であんなにはしゃいでいた東京都知事も、二代続いて、あっという間に炎上して袋だたきに遭っていることが証明しています。猪瀬も舛添も、所詮はジャーナリストや学者であって政治家ではありません。上手に嘘がつけないのでございますよ。その点、私は三代目の生粋の政治家ですから、嘘のつきかたの呼吸はよく心得ているのでございます。

舛添は、「せこい」「せこすぎる」として攻撃されています。ここが面白いところ。本来、政治家のつつましさは美徳。せこさを非難される筋合いはありません。でも、庶民には「せこい不祥事」はよく分かるのです。反応しやすいのです。二泊三日の正月の家族旅行の費用を政治資金の流用で捻出するなんてことは、常に身銭を切らざるを得ない我が身との比較で容易に怒り心頭の対象となるのです。私の海外旅行の金額などはケタが違います。でも、堂々とやってのければ、庶民には想像もできないこととて怒りが現実化してこないのでございます。

ともかく、本音を隠すこと、上手に嘘をつきとおすことが肝要なのです。そうすれば憲法を改正する絶好のチャンスがやって来る。その大事なときに、舛添のようなヘマを犯してはならないのでございます。本音は隠して、票をかすめ取る。憲法改正は争点にしない。でも勝てばこっちのもの。「国民の信任を得た」として、改憲に踏み出すのでございます。

ご承知のとおり、憲法を改正するためには各院の3分の2の議員による発議が必要。ですから、今回の改選議席で3分の2をとるためには、改憲勢力は78の議席をとらねばなりません。もちろん、自民党単独では無理。下駄の雪の公明党と一緒でぜひ78議席を。それでも足りなければ、頻りに政権への擦り寄りを目指している、おおさか維新も一緒にして78議席。

改憲を阻止しようという、民主・共産・社民・生活4党は、改憲の危機意識から共闘を組んだのでございます。けっして侮ることはできません。彼らの目標は、改憲3党で3分の2をとらせないこと。今回改選121議席のうち、78議席をとらせないこととなります。

われわれ改憲派の陣営は、どうすれば78議席をとることができるか。勝敗を左右するのは32ある一人区でございます。この32の一人区すべてで野党統一候補が立つことになりました。由々しき事態といわねばなりません。

わたくしは、選挙遊説を、被災地視察として福島、大分、熊本から始めました。次いで、山梨、そして昨日(6月9日)山形、本日(6月10日)は奈良、三重両県と、すべて一人区をまわっています。

そして、訴えるのは、「景気回復、この道しかない。」ともっぱらアベノミクスの成果。乏しい成果を針小棒大に言わねばなりませんが、嘘をつくのは慣れたもの。また、従順な国民の皆さまは、結構その気になって、欺されてくれるのでございます。

もう一つの訴えは、「野党統一候補が、民進党と共産党の両党に共通する政策を作れるはずがない。民進か共産か、どちらの考え方に賛成するのか、はっきり示すべきだ」と言う分断作戦です。自民党と公明党の関係はどうなんだ、と切り替えされたりもしますが、両党は基本姿勢も政策も一致ですから、問題はないのでございます。

改憲のくわだては後景に引っ込め、アベノミクスの成果を針小棒大に宣伝して票を掠めとろうとする、国民欺しの大作戦。その内容につきましては、くれぐれも内密にお願い申しあげる次第でございます。
(2016年6月10日)

選挙カンパが「罪作り」ー田母神公選法違反(運動員買収)裁判に注目を。

政治とカネにまつわる事件は、最近の主なものだけで、「徳洲会・猪瀬 5000万円事件」、「DHC・渡辺 8億円事件」、「小渕優子・ドリル事件」、「田母神俊雄・運動員買収」、「甘利明・UR口利き」。それだけで終わらず、舛添要一・公私混同事件にまで続いている。都政・都知事選関係の事件が際立つのは、偶然だろうか。

それにしても、突如猛烈な勢いで炎上した舛添叩き。誰も彼もが安心しきって楽しそうに、それぞれの正義を振りかざして舛添叩きに参加している。この雰囲気に、ある種の不気味さを感じざるを得ない。かつて、國体の護持に反逆する不逞の輩に対するバッシングとは、こんなものではなかっただろうか。マッカーシズムの空気にも似てはいないだろうか。どうして、叩く相手が舛添なのか。政権中枢の諸悪にもっと切り込まないのか。安倍の外遊、安倍の原発売り込みに、無駄はないのか、浪費はないのか。安倍の政治資金収支報告書の徹底洗い出しは誰もやらないのか。

政治家の裏金の授受や公私混同、あるいは贈収賄、あっせん利得などの立件の壁は厚い。正確に言えば、検察が「壁は厚い」と自らに言い聞かせている。だから、政治家本人の刑事訴追にはなかなか至らない。

そのなかにあって、政治家本人が立件されたのは猪瀬と田母神。実は両事件とも、公職選挙法違反なのだ。政治資金規正法はダダ漏れのザルだが、公職選挙法はザルの目が細かい、というべきなのだろうか。

猪瀬直樹前東京都知事が、徳洲会から5000万円を受け取っていたことに関して、東京地検特捜部は公職選挙法違反(選挙運動費用収支報告書への虚偽記載)として罰金50万円の略式起訴とし、略式命令が確定した。罰金50万円だが、5年間の公民権停止が付いている。

そして、元自衛隊空幕長だった田母神である。舛添が当選した都知事選に、石原慎太郎ら極右勢力の与望を担って出馬し、泡沫かと思われていたが61万票を獲得した。今、その選挙陣営から10人が起訴されて公判中である。候補者なんぞにならなければ、逮捕も起訴もなかったに。

田母神の処罰そのものにさしたる関心はない。注目すべきは、その罪名である。運動員買収。この事件は、選挙運動に携わる者に、警告を発している。

先月(5月)7日当ブログの下記の記事を参照されたい。
『田母神起訴から教訓を学べー「選挙運動は飽くまで無償」「運動員にカネを配った選対事務局長は買収で起訴』
  https://article9.jp/wordpress/?p=6853

連休さなかの5月2日、東京地検は元航空幕僚長・田母神俊雄を公選法違反(運動員買収)で起訴した。2014年2月東京都知事選における選対ぐるみの選挙違反摘発である。選挙後に運動員にカネをばらまいたことが「運動員買収」とされ、起訴されたものは合計10名に及ぶ。
  田母神俊雄(候補者)    逮捕・勾留中
  島本順光(選対事務局長) 逮捕・勾留中
  鈴木新(会計責任者)    在宅起訴
  運動員・6名          在宅起訴
  ウグイス嬢・女性       略式起訴

起訴にかかる買収資金の総額は545万円と報じられている。田母神・島本・鈴木の3人は共謀して14年3月?5月選挙運動をした5人に、20万?190万円の計280万円を提供。このほか田母神・鈴木両名は14年3月中旬、200万円を島本に渡したとされ、島本は被買収の罪でも起訴された。さらに鈴木らは、うぐいす嬢ら2人に計65万円を渡したとされている。

被疑罪名は、田母神俊雄(候補者)と鈴木新(会計責任者)が運動員買収、島本は買収と被買収の両罪、その余の運動員は被買収である。

選挙カンパは、ときに思いがけない大金となる。選挙事務を司る者は、往々にしてこの金を自分が自由に差配できるカネと錯覚する。小さな権力を行使して、自分の権限で選挙運動員にこのカネを配ったりする。運動員に対する恩恵の付与のつもりなのだろうが、こうして個人的な影響力を誇示し拡げようとする意図が透けて見える。

これは典型的な公職選挙法上の運動員買収に当たる。カネを配った者には運動員買収罪、日当名目でも報酬としてでもカネを受けとった者には被買収罪が成立する。カネを配ることは、犯罪者を作ることでもあって罪が深い。表に出ることはすくないが、現実にあることだ。

繰り返すが、選挙運動は無報酬ですべきことなのだ。選挙運動の対価として報酬を得れば犯罪となる。このことを肝に銘じなければならない。不当な弾圧などと言っても通じることではない。

田母神陣営の公判は、分離されて進行している。その先頭が陣営の元出納責任者・鈴木新。同被告人は、6月7日の初公判で起訴事実を認めたと報道されている。

「買収起訴内容認める…田母神陣営元出納責任者 東京地裁初公判
 2014年2月の東京都知事選で落選した元航空幕僚長、田母神俊雄被告の運動員に違法な報酬を配ったとして、公選法違反(運動員買収)に問われた陣営の元出納責任者、鈴木新被告は(6月)7日、東京地裁(家令和典裁判長)の初公判で『事実はその通り』と起訴内容を認めた。事件では計10人が起訴されたが公判は初めて。無罪を主張するとみられる田母神被告の初公判は27日に開かれる。」(毎日)

検察側の冒頭陳述は、大要次のようであったという。
「田母神の政治団体が1億円以上の寄付を集め、選挙運動の経費を払っても数千万円の余剰金が出る見込みになったことから、元選挙対策事務局長の島本順光が総額2000万円を選挙運動の報酬として払うことを考え、島本が貢献度に応じて報酬額を決めた配布リストを作成した。田母神がこれを了承した上で、選挙の応援演説などに加わった元自衛官の友人らにも報酬を配ることや、一部協力者の報酬を増やすように指示し、島本被告から伝えられた鈴木被告が『会長指示自衛隊関係』と記してリストを修正した」

各メディアの報道では、田母神陣営が集めた選挙カンパの額は1億3200万円。この金額が罪を作ることとなった。内5000万円が使途不明となり、そのうち2000万円が運動員の買収資金となった。残りの使途不明金3000万円余は、田母神と陣営幹部の遊興費に費やされたとみられている。田母神陣営のカンパだけが使途不明になったわけではない。往々にしてあることだ。選挙カンパの使途について、原則公開されるのだから、目を光らせなければならない。ネットの収支報告書を読むだけでも、解ることがある。怪しいことも見えてくる。それが、主権者としての自覚というべきものではないか。

けっして、舛添だけが汚いのではない。6月27日の田母神初公判にも注目しよう。そして、政治資金や選挙カンパには目を光らせ、政治とカネのつながりにもっともっと、鋭敏になろう。
(2016年6月9日)

「護憲派44議席の確保」に向けて、これが共闘の政策協定だ。

参院選の投開票(7月10日)が間近となった。北海道5区補選や沖縄県議選などの前哨戦の結果はまずまずで、野党共闘は順調な滑り出し。明るい見通しをもって選挙戦本番をを迎えることになっている。

昨日(6月7日)の民進党岡田克也代表の記者会見発言に注目せざるを得ない。
「民進党の岡田克也代表は7日、参院選で改憲勢力による3分の2以上の議席確保の阻止について『目標ではない。私にとって最低限の数字だ』と述べた。これまで勝敗ラインについては明言を避けてきたが、改憲勢力に3分の2を許せば野党第1党の党首として責任論は避けられないため、事実上の勝敗ラインとして言及した。」(毎日)

また、同じ席で「(安倍政権の)本当の狙いは憲法の改悪。そのための3分の2の確保ということである。それを絶対に阻止する、そのことを正面から掲げて戦っていきたいと思う」と述べたとも報道されている(TBSニュース)。
  http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160607-00000079-jnn-pol

多くの市民の期待に応える、最大野党党首の意欲溢れる発言に拍手を送りたい。
至上命題が、明文改憲の阻止である。現在の選挙制度を前提とする限り、野党がバラバラでいる限りは、改憲を狙う与党勢力に各個撃破されて選挙に勝てない。憲法擁護を求める国民の多数の声が、「死票」となって議場から閉め出され切り捨てられる。「憲法の改悪を絶対に阻止」するためには、野党の共闘が必要なことはあきらかだ。目前の参院選における選挙協力を形だけのものとするのではなく、真に勝ち抜くための中身のある共闘を実現しなくてはならない。

参議院の定数は、選挙区選出議員146名、比例代表選出議員96名の合計242名。3年ごとに半数(121)が改選される。改憲を標榜する与党(自・公)と、これを補完する準与党(おおさか維新・日本のこころ)の非改選議席数は以下のとおりである。
  自民       66
  公明       11
  おおさか維新   5
  日本のこころ   3
  合計       85

参議院の改憲発議に必要な3分の2の議席数は162。今回の改選で改憲派4党が77議席を獲得して非改選議席に積み増しすれば、改憲の実現に手が届くことになる。これを阻止するためには、改憲阻止派4党が、改選総議席121から77を差し引いた44議席(以上)を獲得すればよいことになる。44議席を割り込めば、一挙に憲法が危うくなる。

民進・共産・社民・生活の改憲阻止派4党で、合計44議席。44が絶対防衛ライン。前回(2013年)参院選の各党獲得議席数は以下のとおりである。
  民主     17(その後プラス1)
  共産      8
  社民      1
  生活      0(その後プラス1)
合計     26(その後28)
6年前の2010年参院選では、民主党単独で44議席を獲得しているが、現状での4党44議席獲得の厳しさは誰の目にも明らかと言えよう。だから、野党共闘が必要なのだ。

毎日の報道では、「民進党は参院選の政治活動用ポスターのキャッチフレーズを『まず、2/3をとらせないこと。』『国民と進む。』の2種類に決めた。近く発表する。」という。

これも歓迎すべきこと。要するに、改憲阻止に護憲派4党で44議席をとらねばならない。44議席をとるためにはどうするか、を発想しなければならない。必然的に、野党共闘に行き着かざるを得ないのだ。

その、野党共闘における政策協定が昨日成立した。下記の、時事通信配信記事が比較的詳しくその経過と内容を報じている。
「「安倍政権対野党プラス市民」=安保廃止へ政策協定 【16参院選】」
 民進、共産、社民、生活の野党4党は7日、安全保障関連法廃止を訴える市民団体が設立した「市民連合」との間で、7月の参院選に向け政策協定を締結した。「安倍政権対野党プラス市民」の対決構図を掲げ、幅広く政権批判票を取り込む狙いだ。協定には安保法廃止に加え、安倍晋三首相が目指す憲法改正の阻止を盛り込んだ。
 「一人ひとりの生活を大事にする。そのことが成長につながっていく」。民進党の岡田克也代表は調印式後に共同記者会見に臨み、個人の生活重視や格差是正を訴えた。大企業や富裕層が富めば中小企業や低所得層も恩恵を被るとするアベノミクスとの対立軸と位置付ける主張だ。
 協定の締結は、市民連合が提示した政策要望書に、4野党の党首らが共闘を約束して署名する形を取った。協定書には安保や憲法問題だけでなく、保育士の待遇改善や高校授業料の完全無償化、男女賃金格差の是正など、民進党が重視する「人への投資」の具体的なメニューが並んだ。 
 4野党は参院選の勝敗を分ける32の1人区全てで候補を一本化し、自民党との事実上の一騎打ちに持ち込んだ。モデルケースとなった4月の衆院北海道5区補選で、野党統一候補は敗れはしたものの、無党派層の6?7割の支持を得たとされる。野党はこの「実績」に手応えを感じており、参院選でも市民との連携を前面に打ち出す戦略だ。
 野党一本化を主導した共産党の志位和夫委員長は共同会見で「全1人区で野党統一候補が実現したのは、市民の運動が背中を押してくれた結果だ」と謝意を表明。市民連合側の呼び掛け人の山口二郎法政大教授は「さまざまな政策課題についても市民と野党の間で確認し、共に戦っていくことが必要だ」と語り、草の根の支援を約束した。」

市民連合とは、2015年12月、下記の五市民団体が母体となって結成された市民団体の連合体である。
  「立憲デモクラシーの会」
  「安全保障関連法に反対する学者の会」
  「安保関連法に反対するママの会」
  「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」
  「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」。

政党は本来的に、政治理念や政策の独自性を競い合う存在。その独自性をぶつけ合うのが、選挙という場。選挙共闘はなかなかに難しい。これを可能にしたのが、市民の声であり、後押しの力である。学者・青年・学生・女性・労組・反原発・環境・平和・消費者・弁護士等々の市民運動が、政党に呼びかけて共闘を現実のものとした。まさしく、「〈安倍政権〉対〈野党プラス市民〉」の構図なのだ。しかも、市民主導で共闘の政策が成立した。

市民連合の政策要望書(すなわち、共闘の政策)は、東京新聞が次のように要約している。
・安全保障関連法の廃止と立憲主義の回復
・改憲の阻止
・公正で持続可能な社会と経済をつくるための機会の保障
・保育士の待遇の大幅改善
・最低賃金を(時給)1000円以上に引き上げ
・辺野古新基地建設の中止
・原発に依存しない社会の実現に向けた地域分散型エネルギーの推進

念のため、以下に全文を挙げておきたい。明文改憲阻止と、安保法廃止・立憲主義回復がメインだが、それだけではない。格差・貧困の克服、差別なく働ける社会の構築、そして、沖縄と原発がテーマだ。これで、十分に選挙は戦えるではないか。多くの国民の共感を得る政策となっている。もう、けっして野党の野合などという悪口は言わせない。余裕を失ったアベ改憲勢力の悔し紛れの分断策として、笑って聞き流そう。

I 安全保障関連法の廃止と立憲主義の回復(集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を含む)を実現すること、そのための最低限の前提として、参議院において与党および改憲勢力が3分の2の議席を獲得し、憲法改正へと動くことを何としても阻止することを望みます。
 上記のIに加えて、市民連合は、個人の尊厳の擁護を実現する政治を求める市民連合として、以下のIIをすべての野党が実現するよう要望します。

II すべての国民の個人の尊厳を無条件で尊重し、これまでの政策的支援からこぼれおちていた若者と女性も含めて、公正で持続可能な社会と経済をつくるための機会を保障することを望みます。
・日本社会における格差は、もはや経済成長の阻害要因となっています。公正な分配・再分配や労働条件を実現し、格差や貧困を解消することこそが、生活者の購買力を高め、健全な需要を喚起し、持続可能な経済成長を可能にします。
・誰もが自由で尊厳ある暮らしを送ることができる公正で健全な社会モデルへの転換を図るために、格差のひずみがとりわけ集中してきた若者や女性に対する差別の撤廃から、真っ先に着手していく必要があります。
1.子どもや若者が、人生のスタートで「格差の壁」に直面するようでは、日本の未来は描けません。格差を解消するために、以下の政策を実現することを望みます。
 保育の質の向上と拡充、保育士の待遇の大幅改善、高校完全無償化、給付制奨学金・奨学金債務の減免、正規・非正規の均等待遇、同一価値労働同一賃金、最低賃金を1000円以上に引き上げ、若いカップル・家族のためのセーフティネットとしての公共住宅の拡大、公職選挙法の改正(被選挙権年齢の引き下げ、市民に開かれた選挙のための抜本的見直し)
2.女性が、個人としてリスペクト(尊重)される。いまどき当たり前だと思います。女性の尊厳と機会を保障するために、以下の政策を実現することを望みます。
 女性に対する雇用差別の撤廃、男女賃金格差の是正、選択的夫婦別姓の実現、国と地方議会における議員の男女同数を目指すこと、包括的な性暴力禁止法と性暴力被害者支援法の制定
3.特権的な富裕層のためのマネーゲームではダメ、社会基盤が守られてこそ持続的な経済成長は可能になります。そのために、以下の政策を実現することを望みます。
 貧困の解消、累進所得税、法人課税、資産課税のバランスの回復による公正な税制の実現(タックスヘイブン対策を含む)、TPP合意に反対、被災地復興支援、沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設の中止、原発に依存しない社会の実現へ向けた地域分散型エネルギーの推進 以上
(2016年6月8日)        

舛添要一「政治資金流用疑惑」調査報告の惨憺たる失敗

組織に不祥事ないしはその疑惑が生じた際の対処の手法として、「第三者委員会」の利用が流行りとなっている。本来は、不祥事の原因を徹底究明して公表することによって説明責任を全うし、再発防止に資するとともに、失った信頼の回復を目的とするもの。

不祥事疑惑の解明は、当該組織自らの手ではなかなか徹底しがたい。その徹底性についての社会の信頼も得られない。だから、独立した「第三者」の手に委ねることになる。しかも、第三者が単独ではその独立性に対する信頼を確保しがたいから、複数人を選任して委員会を設置することにもなる。選任の方法・具体的な人選・調査の手法・報酬の取り決め・公表のあり方等々に、公正性を担保するための慎重な配慮を要する。

しかし、世に流行るものは、如上の慎重さを備えた本来の「第三者委員会」ではないようだ。公正を装った隠れ蓑であったり、世論の追求をかわすための時間稼ぎに使われる「似非第三者委員会」である。第三者性に疑義があり、調査の徹底にも信頼がおけない。結局は、再発の防止にも、失った信頼の回復にも役に立たないものとなる。

昨日(6月6日)公表された弁護士2名の「第三者」による疑惑調査結果の報告にもそうした疑念がつきまとう。「疑惑を抱える本人から依頼されて調査を行うことで客観性を保てるのか」。こう記者から質問された件の弁護士が、「第三者委員会とは基本的にそういうもの」と答えたと報じられているが、第三者委員会とは本来「そういうもの」ではない。そういうものであってはならない。

周知のとおり、日弁連が「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」(2010年 7月15日作成、同年12月17日改定)を公表している。日弁連はけっして権威でもなく無謬でもない。当然のことながら、日弁連の言うことがみな正しいわけではない。しかし、多数弁護士の経験の集積は信頼に足りるスタンダードの提供としてハズレはすくない。このガイドラインもよくできている、と思う。

そのガイドラインの冒頭に、「第1部 基本原則」が置かれている。
「本ガイドラインが対象とする第三者委員会とは、企業や組織において、犯罪行為、法令違反、社会的非難を招くような不正・不適切な行為等(「不祥事」)が発生した場合及び発生が疑われる場合において、企業等から独立した委員のみをもって構成され、徹底した調査を実施した上で、専門家としての知見と経験に基づいて原因を分析し、必要に応じて具体的な再発防止策等を提言するタイプの委員会である。
 第三者委員会は、すべてのステークホルダーのために調査を実施し、その結果をステークホルダーに公表することで、最終的には企業等の信頼と持続可能性を回復することを目的とする。」

これが、「第三者委員会」設置の本来の趣旨・目的であり、使命である。もちろん、これ以外の調査機関の設置も自由である。しかし、それは本来の「第三者委員会」とは似て非なるものであることが、十分に認識されなければならない。似て非なるものをもって、「第三者委員会とはそういうもの」と言ってはならない。

このガイドラインの前書きに当たる個所に、「経営者等自身のためではなく、すべてのステーク・ホルダーのために調査を実施し、それを対外公表することで、最終的には企業等の信頼と持続可能性を回復することを目的とするのが、この第三者委員会の使命である。」という一文がある。また、「第三者委員会の仕事は、真の依頼者が名目上の依頼者の背後にあるステーク・ホルダーである」との文言も噛みしめるべきである。

「第三者委員会」の設置者として想定されているのは、内部に不祥事を抱えた組織であって不祥事を起こした当事者本人ではない。本件の場合、東京都あるいは都議会が「第三者たる委員」を選任して委員会を設置すべきであって、不祥事の当事者である舛添本人が依頼し設置する調査チームは、「似非第三者委員会」と言わざるを得ない。「疑惑を抱える本人から依頼されて調査を行うことでは客観性を保てない」からである。

本来の「第三者委員会」は、不祥事を起こした当事者の不利益を忖度することはあり得ない。むしろ、不祥事に厳正に対処し、これを制裁し剔抉することで、組織を防衛することが期待されている。舛添個人の不祥事疑惑を容赦なく徹底追求することで、東京都の都民に対して名誉と信頼を回復することが、真の「第三者委員会」の調査の目的でなくてはならない。

しかも、ガイドラインがいみじくも述べているとおり、本来の「第三者委員会」は、「名目上の依頼者」のために仕事をするのではない。たとえ東京都から依頼を受けた場合でも、形式的な依頼者の背後にある、真の依頼者としての都民の利益のためにはたらかねばならないのだ。

6月5日付で報告書を提出した、舛添要一不祥事疑惑調査の弁護士チームをなんと呼べば適切なのか、にわかに判断しがたい。当然のことながら、「第三者委員会」とも、「第三者調査チーム」とも言えない。敢えてネーミングするなら、「チーム・舛添」「舛添不祥事レスキュー隊」くらいのところだろうか。

「チーム・舛添」は、隠し通せない明らかな不祥事には「不適切」「要是正」としつつも、「違法はない」との結果を予定して調査を請け負ったものと評価せざるを得ない。

出発点がおかしいから、調査の姿勢も内容もおかしい。到底公正な調査が行われたとは言いがたい。

報告書の冒頭に、「第1 調査の目的」が述べられている。その全文が次のとおり。
「舛添要一氏の関係する政治団体,すなわち,自由民主党東京都参議院比例区第二十八支部,新党改革比例区第四支部,舛添要―後援会,グローバルネットワーク研究会及び泰山会の政治資金の支出内容について調査した上,それらが適法になされていたか,また,適法であったとしても政治的道義的観点から適切になされていたかを判断することが目的である。」

これには、首を傾げざるを得ない。「政治資金の支出内容について適法か」という調査目的の設定そのものがおかしいのだ。政治資金規正法にしても、政党助成法にしても、「政治資金の支出内容についての違法」は原則としてないからだ。

そもそもが、法は原則として政治資金の使途を規正しない。法は、政治団体に係る政治資金の収支の公開を義務付け、公開された使途に関しての適切不適切の判断は有権者にまかせているという基本構造になっている

政党助成法に至っては、「第4条 1項 国は、政党の政治活動の自由を尊重し、政党交付金の交付に当たっては、条件を付し、又はその使途について制限してはならない。」という明文規定を置いている。公権力は、政党の活動に介入してはならない。カネの使途を制限することで政党活動を制約してはならない。そのような自由主義的理念にもとづくもの。だから、使途の違法は原則としてない。「政治資金の支出内容について適法か」との問に対する回答は、「適法」あるいは「違法とは言えない」に決まっているのだ。

もっとも、同条2項は、「政党は、政党交付金が国民から徴収された税金その他の貴重な財源で賄われるものであることに特に留意し、その責任を自覚し、その組織及び運営については民主的かつ公正なものとするとともに、国民の信頼にもとることのないように、政党交付金を適切に使用しなければならない。」と定める。これは精神的な訓示規定。

法は、政治資金の「入り」についても、「出」についても、報告と公開の制度を設け、政治資金の動きの透明性を確保しようとしている。その報告書に記載された使途が、不適切か否かは有権者にまかせるが、報告書は正確に書かねばならない。不記載も、虚偽の記載も、違法であり犯罪となる。

だから、第三者委員会なり調査チームの調査目的は、何よりも「政治資金収支報告書の記載が正確であるか」「虚偽の記載はないか」でなくてはならない。繰り返し強調しなければならないが、虚偽記載は犯罪である。虚偽であるか否かの判断は、現実の支出内容を厳格に究明して、政治資金の支出として報告書に記載された使途との齟齬がないかを点検しなければならない。報告書を一瞥する限り、そのような視点からの検証はない。

たとえば、話題となったグローバルネットワーク研究所政治資金収支報告書上の次の記載。
「会議費用 237755円 平成25年1月3日 支出を受けた者・龍宮城スパホテル三日月 木更津し北浜町1」(現在、本年5月16日に抹消された記載となっている。)

この「会議費用」が、「組織活動費(組織対策費)」と項目別区分された、政治活動費の支出として明記されているのだ。

本来、調査は、「会議費用として平成25年1月3日237755円としての支出」という報告書の記載が虚偽ではなかったかを究明しなければならない。

この政治資金収支報告書の記載が、有権者の政治家の活動判断の材料だ。ここに虚偽が記載されていたのでは、有権者は当該政治家の活動の内容も、政治家としての資質の判断もできないことになる。有権者の判断を誤らしめるものであるか否かが、虚偽記載罪(政治資金規正法25条1項3号)成否の分かれ目である。また、それゆえに、虚偽記載罪の罪責は重い(法定刑は、5年以下の禁錮又は100万円以下の罰金)。

調査にはこの点が不可欠だが、チーム・舛添の報告書での当該部分のコメントは、以下のとおりである。

「宿泊費・飲食費について調査し検討した結果,一部に家族同伴のものなども含まれており,政治資金を支出したことが適切とは言えないものがある。」
「舛添氏とその家族が1月1日から3日まで宿泊した(2泊3日)。舛添氏によると,平成24年12月実施の第46回衆議院議員選挙で結果を出せなかったことを踏まえ,政治家としての今後について判断しなければならない状況にあったため,宿泊期間中,付き合いが長くかねてより相談相手としていた出版会社社長(元新聞記者)を客室に招き政治家としての今後のことについて相談したとのことであり,面談は数時間程度であったとのことである。舛添氏の説明内容を踏まえると,政治活動に無関係であるとまでは言えない。しかし,全体としてみれば家族旅行と理解するほかなく,政治資金を用いたことが適切であったと認めることはできない。」

これではダメなのだ。「不適切」で済ますのではなく、虚偽記載の有無に切り込まねばならない。これでは、政治活動として出版会社社長(元新聞記者)との面談が本当にあったとは言えない。不祥事の疑惑の当事者の言い分を鵜呑みにする「厳正な調査」はあり得ない。百歩譲って舛添の主張を信じたとしても、正月3が日のうち「数時間程度の面談」を除くその余の時間は、純粋な家族の旅行だったことになる。2泊3日分の費用の掲載は虚偽記載となるべきことについて、どうしてなんの検討もしないのか。「全体としてみれば家族旅行と理解するほかない」宿泊費をの全部を「会議費」として記載したのは、この部分だけでも虚偽記載となりうるではないか

こんな舛添の言い分に耳を傾けるだけの調査では、真の実質的依頼者である都民の納得を得られない。調査が尽くされていないから、認定事実に具体性なく、都民の信頼を回復するどころではない。むしろ、都民の怒りの火に油を注ぐものとなって、逆効果をもたらしたというべきだろう。

件の弁護士は、「政治資金規正法違反容疑で告発されたみんなの党(解党)の渡辺喜美元代表=不起訴=の代理人や小渕優子・元経済産業相の政治資金問題の調査、現金受領問題が発覚した猪瀬直樹前都知事の弁護も担った」(朝日)と報じられている。ああ、やっぱり。なるほど、そうなのか。と、そこだけが、妙に腑に落ちて納得した。その余の納得は到底なしえない。
(2016年6月7日)

沖縄県民の民意を切り捨てるアベ政権に怒り

昨日(6月5日)投開票の沖縄県議選。注目された結果を、各紙の見出しが簡潔に伝えている。版によって多少の違いはあるのだろうが、各紙の姿勢も垣間見える。

毎日 「これが民意」反基地訴え知事与党大勝
朝日 翁長知事与党が勝利 県議選過半数 辺野古阻止訴え
東京 「辺野古ノー」沖縄の民意 県議選で知事支持派が勝利
読売 沖縄県議選、知事支持勢力が過半数を維持
日経 沖縄県議選、辺野古反対派が過半数 反基地の高まり映す

地元各紙は、次のとおりだ。
琉球新報  県政与党大勝、過半数27議席 辺野古反対派は31人
沖縄タイムス  翁長知事に信任 与党27議席で安定多数 沖縄県議選

「選挙結果は、『辺野古ノー』という沖縄の民意を再確認して、翁長県政を信任した」。これが、メディアの受け止め方である。予想されたとおりとはいえ、心強い。

琉球新報は、大要次のように報道している。
「任期満了に伴う第12回沖縄県議会議員選挙(定数48)は5日、無投票当選が決まった名護市区を除く12選挙区で投票され、即日開票の結果、県政与党が現有の24議席から27議席に伸ばし、過半数が確定した。翁長雄志知事にとっては、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設に反対する取り組みをはじめ、県政の安定運営に弾みを付ける結果となった。野党は改選前から1増え15議席、中立は8から2減って6議席となった。」
「米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古の新基地建設に反対する議員は公明を含めて31人となり、全体の約65%となった。」

この「与党・野党・中立」の色分けと、「辺野古新基地建設賛否」の分類とは必ずしも一致せず、地元では常識のことだが、事情を知らない者には分かりにくい。

「与党・野党・中立」の色分けによる新議席数は以下のとおり。
  与党 計27人、
    社民6人、共産6人、社大3人、諸派3、与党系無所属9人
  野党 計15人
    自民14人、野党系無所属1人
  中立 計6人
    公明4人、おおさか維新2人

「辺野古新基地建設賛否」
  反対 計31人(明確)
    社民6、共産6、社大3、諸派3、無所属9、公明4
  賛成 ?(不明確)
   
「翁長知事が就任して初めての県議選で、与野党構成比が最大の焦点となっていた。与党の安定多数を維持したことを受け、翁長知事は辺野古移設を巡って今後想定される法廷闘争なども視野に、反対姿勢を貫く方針だ。基地問題のほか、経済振興や子どもの貧困対策などこの1年半の県政運営が評価された。」

なお、琉球新報記事は、1議席増となった自民党について、次のように言及している。これが現地の雰囲気なのだろう。
「野党の自民は公認・推薦候補20人を擁立し県議選に臨んだが、複数を擁立した選挙区で落選が相次ぎ、前回議席を失った浦添市区(同4)も奪還できず、厳しい結果となった。」

目前の7月参院選に影響大きいというのが、常識的な見方。
「自民党は県議選を参院選の前哨戦と位置付けていたが、与党過半数を阻止できなかった。引き続き沖縄県議会は、アメリカ軍の普天間飛行場の辺野古の移設に反対する勢力が多数を占め、国は難しい対応を迫られる。参院選(7月10日投開票)への影響は必至とみられる。」(時事)

この県民世論の意思表明をできるだけ薄め、影響ないように印象操作しようというのが、アベ政権の姿勢。本来なら、口先だけでも、「沖縄の民意の所在がよく分かりました。可能な限り、選挙にあらわれた民意を尊重した施策の実現に努めます」くらいのことは言わねばならない。

ところが、政権には沖縄の民意を受け止め尊重しようという姿勢がさらさらない。選挙結果を受けての菅官房長官談話は、「辺野古基地新設ノー」の圧倒的な民意に敵意を投げつけるものである。この姿勢は、アベ政権の本質的な欠陥を露呈している。

毎日新聞の本日夕刊に、「沖縄県議選 県政与党大勝 菅官房長官『辺野古移設、方針変えず』」の記事。
「菅義偉官房長官は6日午前の記者会見で、5日投開票された沖縄県議選で翁長雄志知事の県政与党が過半数を維持した結果について、『地方選挙は地域経済の発展や生活向上などで各候補の主張が争われる。その結果と受け止めたい』と述べた。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に関しては、『辺野古移設は唯一の解決策との考え方に変わりはない』と語り、移設を進める考えを強調した。」

要するに、「民意がどうであれ辺野古移転は断乎やる」という政権の乱暴きわまる宣言である。公用水面埋立法は、国の海面埋立には県知事の承認を必要としている。その知事を支えている県民の民意を無視する、というのである。その民主々義的感覚を疑わざるを得ない。

なお、本日(6月6日)は、71年前の沖縄地上戦において、沖縄根拠地隊司令官であった大田実が、海軍次官宛てに発信した訣別電報を打電した日として知られる。

1945年6月6日午後8時16分に打電された長文の電文は、「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄」などの常套文句はなく、ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を伝えて、最後を次のとおり締めくくった。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

その後、大田は6月13日に豊見城の海軍壕内で拳銃で自決している。自決の前に、彼は日本と沖縄の「後世」として、どんな状況を思い描いただろうか。戦争はいずれ終わる。その戦争がなくなった戦後の世に、「県民ニ対シ特別ノ御高配ヲ」という彼の心情には、汲むべきものがあるし、応えるべきでもあろう。

71年後における「県民ニ対スル特別ノ御高配」が、アベ政権の県民世論無視なのだ。泉下の大田も、アベ政権に烈火の如く怒っているに違いない。
(2016年6月6日)

自民党の参院選公約、本当のところを語りましょう。

自民党を代表いたしまして、2016年参院選(第24回)公約のエッセンスをかいつまんで解説申し上げます。

申し遅れましたが、わたくしアベ・シンゾーと申します。恥ずかしながら、自民党の総裁であり、日本のソーリ大臣でもあります(「そのとおり。全く恥ずかしい」と不規則発言する者あり。)。総裁はともかく、大臣って天皇の筆頭格の家来という意味。わたくし、陛下の臣であることを身に余る光栄と存じております。「ダイジン」、あるいは「おとど」って、とてもすばらしい響きではありませんか。誰がなんと言おうと、天皇あっての日本、天皇のための日本というのが私の信念。臣民一億総員が火の玉となって御稜威を輝やかせる、これが神武以来の我が国の国柄にほかなりません。今は、戦争に負けて、心ならずもGHQに押しつけられた「日本国憲法」によって、個人主義だの、自由主義だのがはびこる世になっていますが、これに終止符を打つための憲法改正が私の使命。そうして、本来の国柄とそれにふさわしい日本を取り戻すことができれば、私の本望とするところ。今回の参院選の公約の眼目は、実はこの点にあるのです。

私が使命とする憲法改正は、容易な企てではありません。GHQの陰謀に洗脳された一億総平和惚け国民の目を覚まして、日本人としての自覚を呼び起こすことなのですから、言わば国民の精神革命が不可欠なのです(「革命ではなく、反革命だろう」と不規則発言する者あり。)。

上ご一人に率いられた万邦無比の國体は金甌無欠、過去に間違ったことをしたはずはありません。特に、過ぐる大東亜戦争を、侵略戦争だの帝国主義戦争だなどとことさらに神州日本を貶めることは許せません。さらには、こともあろうに靖国に鎮まる護国の神々が皇軍の兵として活躍していた時代に、従軍慰安婦を辱めたなどと濡れ衣を着せるような、自虐史観を払拭しなければなりません。

皇国の富国強兵の必要を忘れて、平和主義などとうつつを抜かす輩に国防の精神を叩き込まねばなりません。精強なる国家を再興するためには、月々火水木金々の精神で文句を言わない勤労の精神を注入しなければなりません。個人の権利だとか、自由などを口にする前に、滅私奉公を行動で示すことを叩き込まねばなりません。

天皇を中心として一億国民が総結集することで、国は強くなり、国が栄えます。国防の武威あって初めて国民の安全が確保されます。国富が充実して初めて国民の経済も潤います。国が強く栄えずして、個人の幸せはあり得ません。「まずなによりもお国のため」「個人の利益は後回し」を徹底する国柄を作らねばならないのです。この精神は、自民党が下野していた時代に作った「自民党・日本国憲法改正草案」にしっかりと書き込んであります。

しかし、今述べたような私の本心を赤裸々に語っては、今の国民に受け容れてもらえないことは、よく承知しています。ですからどうするか。そりゃ決まっています。欺すのです。

世の中では、「嘘はいけないこと」とされていますが、政治は違います。なんのために政治はあるのか、立派な国を作り、そのことによって国民を幸せにすることなのですから、国民を幸せにするための嘘は許される。これがわたくしの強固な信念です。普通の人は、なかなかウソをつけない。それでは政治家失格です。私のように、政治家稼業三代目ともなれば、嘘をつく能力は生得のものとなっています。DNAに組み込まれているのです。

だから、「アンダーコントロール」で、「完全にブロックされています」と、平気で大ウソをついて、東京オリンピック誘致を成功させたではありませんか。もちろんあれは嘘です。でも、それでみんながハッピーになったのだから、なんの問題がありましょうか。

今回の参議院選公約もまったく同様なのです。本当の狙いは、憲法改正にあります。でも、そうあからさまには言わないのです。まずは、国民を欺して改憲に必要な議席をとること。議席をとってしまえば、しめたもの。そのあとに、国民の信任を受けたと言って、憲法改正に踏み切るのです。これが、作戦なのです(「ずるいぞアベ」と不規則発言する者多数あり)。

だから、マスコミ向けの記者会見では、「アベノミクスを加速するか、後戻りするか。これが最大の争点だ」と言っているのです。でも、ご存じのとおり、アベノミクスは、議席獲得のための手段、本当の目的は改憲の実現です。そんなことはお分かりでしょう。改憲が將、経済は馬。改憲を射んとして、まずはアベノミクスの矢を放っているのです。

もう、公然の秘密ですが、改憲を訴えれば票が逃げます。「改憲は自民党の党是。隠しているわけではないが、今は声を潜めた方がいい。参院で3分の2が取れたら改憲に動き出す。それが政治の世界」なのです。

良賈は深く蔵して虚しきが如し、というではありませんか。能あるシンゾーは、改憲の爪を隠しているのです。「選挙戦で改憲を訴えるつもりはありません。他にも訴えるべきことがあります」。これが、私のスタンス。

わたくしは、普段は産経新聞しか読まないのですが、本日(6月5日)の毎日新聞の切り抜きを見せられました。菅野完という人がズバリこう言っていますね。

「安倍晋三首相は憲法改正を目指しているが、選挙では経済政策アベノミクスや消費増税延期が与党の主張の前面に出て、憲法はかすんでしまうだろう」「選挙で憲法が争点にならなかったとしても、改憲勢力が参院で3分の2以上の議席を占めれば、首相が『民意を得た』と改憲に向けて動き出すだろう。これは2014年衆院選の自民党公約に小さく書き込んだだけの『安全保障法制の速やかな整備』に、翌年から積極的に取り組んだのと同じだ」「改憲の狙いは、まずは護憲派が想定する9条ではなく、『緊急事態条項』の創設や、伝統的家族観をうたう『家族条項』などがクローズアップされてくるはずだ」と。

菅野は、「有権者やメディアはこうした欺きを指摘しなければならない。安倍政権は憲法の何を変えようとしているのか。選挙の前に手の内を明かせと言う必要がある。」と言っていますが、わたくしが簡単に嘘を嘘と言うはずはありません。手の内を明かしてしまえば、マジックは成り立ちません。所詮は、シンゾー流ダマシのテクニックを皆さんに楽しんでいただきたいのです。

「人はパンのみにて生くるにあらず。政治は真のみにて成り立つにあらず。」
自民党の参院選公約とは、そんなものなのです。(「引っ込め、シンゾー」と不規則発言する者甚だ多く、以下聴取不能。)
(2016年6月5日)

明日注目の沖縄県議選投開票?翁長県政への県民の信任を願って

注目の沖縄県議選投開票が、いよいよ明日(6月5日)。公選法上、選挙運動は今日(4日)までとなる。日本の矛盾を象徴する沖縄の民意のあり方を問う選挙としても、参院選の前哨戦として全国の動向を占う選挙としても、さらにはアベ政権と最もシビアに対決している沖縄県政に対する、県民の信任の可否としても注目せざるを得ない。その県民の選択が、国政に大きく影響しないはずはない。

13選挙区で48議席が争われる。もっとも、辺野古を抱える最注目の名護市区(定員2名)が無投票で2人の当選が確定したという。無所属で県政与党の親川敬と、自民党の末松文信が、与野党で1議席を分け合うかたちとなった、と報じられている。

残る12選挙区・46議席を69人の立候補者が明日県民の審判を受けることになる。名護選挙区を含む全立候補者は71名。政党別の内訳は、自民19、民進1、公明4、共産7、おおさか維新3、社民6、地域政党の沖縄社会大衆3、諸派5、無所属23。与野党別では、翁長知事与党36人、野党22人、中立13人。辺野古移設計画には、反対44、容認13、推進2(その他・無回答が12)と報じられている。

告示後選挙期間中の5月30日?6月1日、地方紙琉球新報社と沖縄テレビ放送が合同で世論調査を実施している。

最も注目された設問が、米軍属女性遺棄事件についての「米軍関係者の事件事故の防止策」である。県民が選択したトップは、「沖縄からの全基地撤去」(42・9%)だった。全基地撤去に賛否を問うての賛成4割の回答ではない。繰り返される女性に対する暴行殺害事件の再発防止策のトップが、「全基地撤去」であり、4割を超す県民の意見だということの意味は重い。「全基地撤去」の次が「在沖米軍基地の整理縮小」(27・1%)と続き、「兵員への教育の徹底」は19・6%だった。

5月26日の臨時県議会は、自民党議員退席後の全会一致で、初めて「海兵隊の全面撤退」の抗議決議を採択した。上記琉球新報世論調査では、「海兵隊の全面撤退」を求める意見が52・7%。「大幅に減らすべきだ」の31・5%を上回っている。また、日米地位協定については79・2%が改定・撤廃を求めた。

関心が集まる「米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設」には、83・8%が反対と回答している。そして、「米軍属女性遺棄事件」後の安倍内閣の対応について、70・5%が「支持しない」と答えている。これこそ、オール沖縄の総意というべきだろう。

調査を実施した琉球新報は、「辺野古移設への反対は‥12年12月の安倍政権発足以降の調査で最も高い値となった。普天間飛行場の移設はどうあるべきか聞いたところ、『国外移設すべきだ』が最も多く31・5%、次いで『すぐに閉鎖・撤去すべきだ』が29・3%、『県外移設すべきだ』が23・0%だった。」と解説している。アベ政権が「辺野古移転が唯一の策」と躍起になっている「辺野古移設計画を進めるべきだ」を支持する県民の意見は、9・2%に過ぎない。

日米地位協定についての県民の見解には注目しなければならない。
「全面撤廃」が34・3%、「根本的改定」が44・9%。両者を合わせると8割に近い。政府が掲げる「運用の改善」は15・2%。「自民党支持者でも63・6%が改定・撤廃を求めた」とされている。

日米安保条約については、「破棄すべきだ」が19・2%、「平和友好条約に改めるべきだ」が42・3%。「(現状のまま)維持すべきだ」は12・0%に過ぎない。これは瞠目すべき調査結果ではないか。

この調査結果に表れた沖縄県民の反基地感情の高揚に関して、菅義偉官房長官は昨日(3日)の記者会見で「真摯に受け止めたいと思う」「具体的に政府としてできることを関係省庁で早急に決めて、すぐにでもスタートする」などと述べ、同日午前に開かれた「沖縄県における犯罪抑止対策推進チーム」で取りまとめられた対応策を早急に進める考えを示した(琉球新報)と報道されている。

真摯な対応となれば、普天間早期返還実現、辺野古新基地建設断念、日米地位協定抜本改定、そして安保条約改定による非軍事同盟化とならざるを得ない。選挙直前だから「真摯に受け止めたいと思う」くらいは言っておこうとしか聞こえない。

この沖縄県民の民意がそのまま投票に反映すれば、県政与党の圧勝となるはず。アベ政権の改憲策謀に小さくない蹉跌をもたらすことになる。目前の参院選で、改憲阻止勢力を元気づけることにもなる。

共産、社民、民進、沖縄社大、そして与党系無所属の全候補者に声援を送りたい。是非最後までがんばって当選を勝ち得ていただきたい。一方、自民、公明、おおさか維新、野党系無所属の改憲推進派各候補者には声援を送らない。是非とも議席を減らしていただきたい。平和のために、人権のために、民主主義のために、何よりも沖縄県民の安全のために。そして、沖縄の犠牲をいとわないアベ政権への痛打のために。
(2016年6月4日)

甘利不起訴ー検察審査員諸君、今君たちに正義の実現が委ねられている。

上脇博之政治資金オンブズマン共同代表(神戸学院大学教授)らが、被疑者甘利明らを告発したのが本年4月8日。同告発に対して東京地検特捜部は、5月31日付けで不起訴処分とした。
その処分通知は下記のとおりまことに素っ気ないもの。

  処分通知書
 平成28年5月31日
 上脇博之 殿
   東京地方検察庁 検察官検事 井上一朗 職印
 貴殿から平成28年4月8日付けで告発のあった次の被疑事件は,下記のとおり処分したので通知します。
   記
1 被疑者   甘利明,清島健一,鈴木陵允
2 罪 名   公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反,政治資金規正法違反,公職選挙法違反
3 事件番号  平成28年検第14913? 14915号
4 処分年月日 平成28年5月31日
5 処分区分不起訴

**************************************************************************
これに対して、本日(6月3日)付で東京検察審査会宛に、下記のとおりの審査申立がなされ、甘利の起訴の有無は、検察審会の判断に委ねられた。
この申立の代理人弁護士は49名。その代表者が大阪弁護士の阪口徳雄君。私も、ワンノブ49sである。

  審査申立書
 2016年6月3日
東京検察審査会 御中
  別紙代理人目録記載の弁護士49名
 被疑者 甘 利 明
 被疑者 清 島 健 一
 被疑者 鈴 木 陵 允
申立の趣旨
 被疑者甘利明、清島健一および鈴木陵允らの下記被疑事実の要旨記載の各行為についてのあっせん利得処罰法および政治資金規正法に違反する告発事件について、「起訴相当」の議決を求める。

申立の理由
第1 審査申立人及び申立代理人
 審査申立人:上脇博之(別紙審査申立人目録記載の通り)
 申立代理人:別紙代理人目録記載のとおり

第2 罪名
 あっせん利得処罰法違反及び政治資金規正法違反

第3 被疑者
 甘利明、清島健一および鈴木陵允

第4 処分年月日
 2016(平成28)年5月31日

第5 不起訴処分をした検察官
 東京地方検察庁 検事 井上一朗

第6 被疑事実の要旨
 別紙告発状記載の通り

第7 検察官の処分
 不起訴処分。理由は嫌疑不十分。なお理由は処分した検察官からの電話で、代理人代表弁護士が「嫌疑不十分」と聞いただけであり、どの事実についてどのように証拠がなく、嫌疑不十分となったかの質問をしたが、それは答えられないと拒否された。従って、報道されているように「権限に基づく影響力の行使」を『いうことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をした結果不起訴になったか否かは不明である。

第8 不起訴処分の不当性
1 本件は政権の有力政治家の介入事件である
 本件告発事件は、閣僚として政権の中枢にある有力政治家(被疑者甘利明)事務所が、民間建設会社の担当者からURへの口利きを依頼されて、URとのトラブルに介入して、その報酬を受領したという、あっせん利得処罰法が典型的に想定したとおりの犯罪である。同時に、口利きによる報酬であることを隠蔽するために、政治資金規正法にも違反し、不記載罪を犯した事件である。
2 あっせん利得処罰法の保護法益
 あっせん利得処罰法の保護法益は、「公職にある者(衆議院議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に姑する国民の信頼」とされている。政治の廉潔性に対する国民の信頼と言い換えてもよい。本件の被疑者甘利明の行為は、政治の廉潔性に対する国民の信頼を著しく毀損したことは明白である。
 しかも、通例共犯者間の秘密の掟に隠されて表面化することのない犯罪が、対抗犯側から覚悟の「メディアヘの告発」がなされ、しかも告発者側が克明に経過を記録し証拠を保存しているという稀有の事案である。世上に多くの論者が指摘しているとおり、この事件を立件できなければ、あっせん利得処罰法の適用例は永遠になく、立法が無意味だったことになろう。
 被疑者らが、請託を受けたこと、したこと、URの職員にその職務上の行為をさせるようにあっせんをしたこと、さらにその報酬として財産上の利益を収受に疑問の余地はないと思われる。
3 検察の不起訴処分は政権政党の有力大臣であった者への「恣意的」で「政治的」な不起訴処分である
 検察は国民の常識から見て起訴すべき事案を、もし報道されているように検察官が「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をしたというのであれば、その解釈は被疑者が政権政党の有力大臣であったことによる『恣意的』で『政治的』な限定解釈であると断じざるを得ない。
 第1に「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などのような一般的な制限的解釈は正しくはない。条文に「その権限に基づき不当に影響力を行使」したとか言う「行為態様」に関して一切の制限をしていない。
 権限に基づくという影響力の行使とは、行為態様が強いとか弱いとかいうのではなく、国会議員が有する客観的地位、権限に基づき影響力の行使を言うのであって、その影響力の行使の「態様」を制限していないのである。それをあたかも「影響力の行使」の「態様」について『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという制限的な態様を解釈で補充することは検察の極めて恣意的な解釈であると同時に検察の「立法」に該当する。あっせん利得処罰法の保護法益は前記に述べたように政治家はカネを貰って斡旋行為をすることを禁じた法律であり、政治家などの政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼が毀損された場合は処罰する法律であって、その権限の行使態様には一切の制限がないのである。確かに一般の国会議員等が関係機関に要請した場合または口利きのみの行為を罰することは正しくない。しかし、国会議員等の要求、口利きであつてもその「行為」の報酬としてカネを貰うという「議員等とのカネでの癒着による権限に基づく影響力の行使」行為を罰するのであつて、通常の政治家の要請行為を罰するものではない。
 第2に本件の場合は安倍政権の有力大臣であり政治家の「要請」行為であったからこそ、UR側は当初は補償の意思がなかったのに2億2000万円まで大幅に補償額を上乗せして支払っているのである。この結果=社会的事実は甘利大臣側がどのような言葉で要請したかではなく、安倍政権の有力政治家が有する「権限に基づく影響力の行使」という客観的な地位、権限があったからこそ、UR側は飛躍的に補償額を上乗せしたのである。『言うことを聞かないと国会で取り上げる』と言ったとか、言わなかったかの問題でなく、当時の甘利大臣の飛ぶ鳥を落とす「地位」「威力」「権限」があったからこそ、UR側も要求に応じたのである。例えが悪いが巨大な指定暴力団の有力幹部が横に座つているだけで一言も発しなくてもその「威力」に負けて要求に応じるのと同一の構造である。
 第3に、本件は決して軽微な事案ではない。「週刊文春」などの報道によれば、被疑者甘利らが、本件補償交渉に介入する以前には、UR側は「補償の意思はなかった」(週刊文春)、あるいは「1600万円に過ぎなかった」とされている。ところが、被疑者らが介入して以来、その金額は1億8000万円となり、さらに2億円となり、最終的には2億2000万円となつた巨額の事件であり、甘利側が貰った金額も巨額である。今回の事件は、有力政治家の口利きが有効であることを如実に示すものであり、これを放置すると多くの業者などが、政権政党の有力大臣や有力政治家に多額のカネを払い、関係機関に「口利き」を要請する事態が跋扈することになろう。これを払拭するために、本件については厳正な捜査と処罰が必要とされている。
4 告発事実の事実関係、政治資金規正法違反について
 別紙告発状記載の通り
5 結語
 本件のような、政権政党の有力大臣や有力政治家による口利きがあったことが明白な事件においてあっせん利得処罰法の適用ができないということになれば、「公職にある者(国会議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼」を保護することなど到底できないことになる。そして、今後政治家による「適法な口利き」が野放しとなり、国民は政治活動の廉潔性を信頼することがなくなり、政治不信が増大することとなる。
 口利きによる利益誘導型の政治が政治不信を招き、それを防止するために制定されたあっせん利得処罰法の趣旨を十分理解したうえで、検察官の不起訴処分に対して法と市民の目線の立場で「起訴相当」決議をしていただきたく審査請求をする次第である。ちなみにあっせん利得処罰法違反で500万円を受領した事件の時効は本年8月20日に満了する。早急に審査の上、起訴相当の議決をして頂きたい。
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不起訴処分と同時に、甘利の政治活動への復帰が報じられている。甘利本人にとっても、起訴は覚悟のこと、不起訴は望外の僥倖と検察に感謝しているのではないか。不起訴処分は、限りなくブラックな政治家を甦らせ、元気を与えるカンフル剤となる。それだけではない。政治家の口利きは利用するに値するもので、しかも立件されるリスクがほぼゼロに近いと世間に周知することにもなる。

これでは、あっせん利得処罰法はザル法というにとどまらない。あっせん利得容認法、ないしはあっせん利得奨励法というべきものになる。

こんなことを許してはならない。巨額のカネが動いたのは事実だ。甘利自身、薩摩興業の総務担当者から、大臣室で現金50万円、地元神奈川県大和市の甘利事務所で50万円を直接受けとっている。この金が口利き料としてはたらいたことも明らかではないか。薩摩興業は、最終的にはURから2億2000万円の補償金を得ている。この現金授受と口利きの事実、口利きの効果が立証困難ということはありえない。「知らぬ存ぜぬ」は通らない。「秘書が」の抗弁もあり得ない。

有罪判決のハードルが、もっぱら構成要件の解釈にあるのなら、当然に起訴して裁判所の判断を仰ぐべきである。有罪判決となれば、立法の趣旨が生かされる。仮に法の不備から無罪となれば、そのときには法の不備を修正する改正が必要になる。いずれにせよ、検察審査会は単に不起訴不当というだけではなく、国民目線で、起訴相当の議決をすべきである。そうでなければ、政治とカネにまつわる不祥事が永久に絶えることはないだろう。

検察審査員諸君、あなたの活躍の舞台ができた。せっかくの機会だ。このたびは、あなたが法であり、正義となる。政治の浄化のために、民主主義のために、勇躍して主権者の任務を果たしていただきたい。
(2016年6月3日)

「6月5日川崎ヘイトデモ」に禁止仮処分命令ーデモ参加者には不法行為損害賠償責任

本日(6月2日)、横浜地方裁判所川崎支部が、以下の仮処分命令を出した(仮処分事件では、申立てた者を「債権者」、申し立てられた相手方を「債務者」という)。

当裁判所は,債権者に債務者のため30万円の担保を立てさせて,次のとおり決定する。
主文 債務者は,債権者に対し,自ら別紙行為目録記載の行為をしてはならず,又は第三者をして同行為を行わせてはならない。
行為目録
債権者(社会福祉法人)の主たる事務所(川崎市川崎区桜本○丁目△番□号)の入口から半径500m以内(別紙図面の円内)をデモしたりあるいははいかいしたりし,その際に街宣車やスピーカーを使用したりあるいは大声を張り上げたりして,「死ね,殺せ。」,「半島に帰れ。」,「一匹残らずたたき出してやる。」,「真綿で首絞めてやる。」,「ゴキブリ朝鮮入は出て行け。」等の文言を用いて,在日韓国・朝鮮人及びその子孫らに対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命,身体,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し,又は名誉を毀損し,若しくは著しく侮辱するなどし,もって債権者の事業を妨害する一切の行為

これはすばらしい決定だ。「ヘイトスピーチを行う個人や団体に行為の禁止を認める仮処分決定は、京都地裁が『在日特権を許さない市民の会』(在特会)などに対し、京都朝鮮第一初級学校(京都市)近くでの演説禁止などを命じた決定(2010年)に続き、2例目とみられる。」と報道されているが、今回の仮処分はヘイトスピーチ対策法成立後のこの時期、天下の耳目を集めてのもの。影響は大きい。

仮処分命令は「地図上に同法人の事務所から半径500メートルの円を描いて、このなかのヘイトデモを禁止する」という内容。警察は、デモ隊がこのエリアで「デモしたりあるいは徘徊したり」することを阻止しなければならない。制止を無視するヘイトスピーチデモ参加者を、威力業務妨害で逮捕もしなくてはならない。

これから続々と同種仮処分の活用が日常化していくことになるだろう。ヘイトデモ禁止に実効性を有する仮処分戦術が進歩していくだろう。仮処分だけでなく、仮処分の取得をテコにした警察警備のあり方も厳格化されていくだろう。何よりも、仮処分だけでなく本訴の活用にも大きく道が開けた。この仮処分決定は、理由中で「ヘイトデモにおける差別的言動は、平穏に生活する人格権に対する違法な侵害行為に当たるものとして不法行為を構成する」と明記した。しかも、「人格権を侵害する程度が顕著」とも断じている。その結果、ヘイトデモ主宰者や幹部企画者だけでなく、すべての差別デモ参加者が共同不法行為の責任を負わねばならないことになる。損害賠償責任が生じ、ヘイトデモ参加者個人に対する財産の差押えができることになる。

決定書を見ると、債権者は、「在日大韓基督教会川崎教会を母体として社会福祉法人の認可を受けた川崎市内桜本地区の社会福祉法人で、その目的として,人種・国籍・宗教のいかんを問わず,福祉サービスを必要とする者が,心身ともに健やかに育成され,又は社会,経済,文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられることを目指し,個人の尊厳を保持しつつ,自立した生活を地域社会において営むことができるよう支援し,共生社会を実現することを掲げている」という。

裁判所の認定によれば、「川崎市臨海部は,戦前から,在日コリアンと呼称される在日韓国・朝鮮人(その子孫らを含む。以下同じ。)が多数居住する地域であり,特に債権者の事務所が所在する川崎市川崎区桜本地区はその集住地域であり,そのことは広く知られている。債権者は,同地区において,民族を理由に入園を断られた子供を受け入れる保育園を設立する,学校で孤立する在日コリアンの居場所を作る,在日1世の高齢者の福祉も手掛けるなど,民族差別解消・撤廃に向けて取り組み,社会福祉事業を行ってきたものであり,現在,同地区内ないしその周辺において,計9か所の拠点で,保育所,児童館,高齢者・障害者交流施設,通所介護施設等の施設を運営している。債権者の事業所及び施設は,債権者の主たる事務所の入口から半径500m以内(別紙図面の円内)に所在している」という。だから、ここが差別主義者の標的になるのであり、だからこそ卑劣な攻撃から防衛しなければならないわけだ。

裁判所は、住民の人格権尊重と、憲法21条の表現の自由との調整について、次のように判示している。やや長いが重要個所として引用しておきたい。

「人格権の侵害行為が,侵害者らによる集会や集団による示威行動などとしてされる場合には,憲法21条が定める集会の自由,表現の自由との調整を配慮する必要があることから,その侵害行為を事前に差し止めるためには,その被侵害権利の種類・性質と侵害行為の態様・侵害の程度との相関関係において,違法性の程度を検討するのが相当である。しかるところ,その被侵害権利である人格権は,憲法及び法律によって保障されて保護される強固な権利であり,他方,その侵害行為である差別的言動は,上記のとおり,故意又は重大な過失によって人格権を侵害するものであり,かつ,専ら本邦外出身者に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で,公然とその生命身体,自由,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し,又は本邦外出身者の名誉を毀損し,若しくは著しく侮辱するものであることに加え,街官車やスピーカーの使用等の上記の行為の態様も併せて考慮すれば,その違法性は顕著であるといえるものであり,もはや憲法の定める集会や表現の自由の保障の範囲外であることは明らかであって,私法上も権利の濫用といえるものである。これらのことに加え,この人格権の侵害に対する事後的な権利の回復は著しく困難であることを考慮すると,その事前の差止めは許容されると解するのが相当であり,人格権に基づく妨害予防請求権も肯定される。」

この仮処分命令申立は5月30日で、予告された6月5日のデモを禁止する必要から、急ぎ本日(6月2日)発令となった。ただし、期限は6月5日までと区切られていない。その後もなお、有効なのだ。

また、デモの主催者は、市内2カ所の公園利用を市に申請していたが、市は5月末に不許可としている。市民の意識が中心となり、自治体や裁判所の手を借りることで、「日本の恥」というべきヘイトスピーチデモを根絶することができそうな予感がする。

安倍政権登場とともに、ヘイトデモは跋扈し始めた。ヘイトスピーチを許容する社会の雰囲気が安倍政権を作った側面もあろうし、安倍政権の右翼的体質がヘイトスピーチデモを煽ったことも否定し得ない。しかし、あまりにひどい差別言動には、さすがの安倍政権も距離を置かざるを得ない。世論に押される形で、政権には不本意なヘイトスピーチ対策法が成立し、川崎市もヘイトスピーチデモ排除に乗り出している。このタイミンクでの仮処分決定は、まことに貴重だ。勇気をもって、申し立てた関係者と、代理人の弁護団に敬意を表する。
(2016年6月2日)

民主主義ってなんだ? 民主主義による戦争ってなんだ?

昨日の「日記」に、我流の「天網恢々」解釈を書いたところ、知人から「司馬遷の『天道是か非か』まで想起され、頷きながら最後まで読み通しました」という、冷や汗の出るような感想に接した。

「天道是か非か」。是であって欲しいと願いつつも、誰もが過酷な非の現実に打ちのめされる。天を怨み、神の沈黙に戸惑い、神も仏もないものかと嘆くのが、いつの世にあっても、人の常だ。

実は、民主主義も「天道」に似ている。平和や人権を擁護する民主主義であって欲しいと願いつつも、民主主義の名の下の過酷な現実に打ちのめされる。選挙結果を嘆き、政権を怨み、憲法の沈黙をいぶかしむ。民主的手続で構成された安倍政権が特定秘密保護法を作り戦争法を強行し、武器輸出3原則もなげうって戦争のできる国への危険な道を歩みつつある。これが民主主義か、こんなはずではと悩むのが今の世の常だ。

ネットで、民主主義を怨嗟する自分の文章を見つけた。8年前に「法と民主主義」へ寄稿したもの。ほんの少しだけ手直しして再掲してみる。

▼東京都の知事が学校での「日の丸・君が代」強制に躍起になっている。大阪府の知事は、「くそ教育委員会」とまで悪罵を投げつけて学力テストの結果公表に固執している。傲慢で反憲法的な両知事の姿勢は、「民意」に支えられている。
 政権与党による米軍への基地提供も、自衛隊海外派遣策も、積極・消極の「民意」が実現してきた。格差社会を産み出した「構造改革」も、小泉政権を支持した選挙民の選択の結果にほかならない。

▼多数決原理はかくも危うい。47年教育基本法の前文が述べるとおり、「憲法に示された理想の実現は根本において教育の力にまつべきもの」であろう。教育の力が顕現するまでの相当な期間、選挙に表れた民意と憲法理念との大きな乖離は現実であり続ける。思想的・政治的少数派にとって、民主主義原理は味方ではないというにとどまらない。切り結ぶべき相手方の武器となっている現実がある。

▼だからこそ、人権という理念の重要性が強調されなければならない。いかなる民意も人権を侵害することはできない。民主主義という手続き的価値には、人権という実体的価値に譲らざるを得ない限界がある。民主主義ではなく、人権こそが至高の価値である。このことは、もっと語られなければならない。
 たとえ、社会の圧倒的多数が「学校行事で国旗を掲げ国歌を斉唱することが教育上望ましい」と望んだにせよ、自己の尊厳をかけて「日の丸に対して起立し、君が代を歌う」ことを拒否する人に強制することは許されない。それが、憲法の精神的自由条項の冒頭に人権としての思想・良心の自由を定めた意味である。
 「多数が立つとも、我は立たず」「多数が歌えども、我は歌わず」は、基本的人権保障の名の下に認められなければならない。

▼ところで、国民多数が戦争を望んだ場合はどうだろうか。民主主義政権の戦争である。
 「国家が戦争をしても、我は参加せず」との命題は、ほとんど意味をなさない。国家が戦争という選択をした場合に、全国民に戦争の惨禍を逃れる術はないからである。良心的に兵役を拒否しても、事態は変わらない。平和に生きる権利とは個人限りで実現する権利ではない。したがって、国家に戦争をさせないよう働きかける権利と観念するしかない。
 いうまでもなく、憲法とは人権保障の体系である。人権を保障するために、立憲主義があり、権力の分立があり、司法の独立があり、制度的保障がある。

▼信仰の自由という人権をより強固に保障するために政教分離という制度がある。学問の自由という人権擁護のために大学の自治がある。国民の教育を受ける権利の蹂躙を防止するために、権力による教育への支配が禁じられる。
 まったく同様に、国民一人ひとりの平和に生きる権利を保障するために、憲法は九条を定めて戦争を禁止し戦力を放棄した。平和的生存権を具体的な人権と考え、九条はその人権保障のための制度と考えるべきである。人権としての平和的生存権の具体的内容は、国家に対して九条を厳格に守らせ、戦争につながる一切の行為を避止させる権利でなければならない。

以上の記事は「法と民主主義」のアーカイブ。下記のURLで読める。
  http://www.jdla.jp/houmin/2008_10/#totteoki

同じサイトに、「法民」編集長佐藤むつみさんが訪ね人となった『とっておきの一枚』シリーズ、市吉澄枝さん(夫とともに治安維持法弾圧経験者・戦後税理士)のインタビューが読ませる。市吉さんは先日(本年5月25日)逝去との報せ。享年93。野蛮な戦前社会で、天道の非を身をもって経験された方を、また一人失った。ご冥福をお祈りする。
(2016年6月1日)

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