澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

中国批判の「謬論」と、中国政府の言う「事実・真相」。

(2020年7月11日)
《中華人民共和国駐日本国大使館》のホームページの内容が興味深い。いろんなことを教えてくれる。考えさせられる。国家とは何なのか、権力とは、そのホンネとは。そして、個人の尊厳とは。民主主義の無力や「人権」という言葉の多義性に思いをいたさずにはおられない。是非に、というほどのことではないが、閲覧をお勧めしたい。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/

本日(7月11日)現在、同ホームページのトップに「中国関連の人権問題に関するさまざまな謬論と事実・真相」と表題する記事がある。7月8日にアップされたもの。

そのリードが以下のとおり。

最近、米欧の一部の人々が香港、新型コロナウイルス肺炎、新疆などにかかわる問題で、いわれもなく中国の人権状況を非難し、多くの謬論をばらまいており、それは中国に対する無知と偏見に満ち満ちている。

そこで、われわれは事実によって物を言い、真相によって道理を説くため、「中国関連の人権問題に関するさまざまな謬論と事実・真相」を編集・執筆した。

中国大使館が「事実によって物を言い、真相によって道理を説」かねばならない「謬論」は、〈その1〉から〈その31〉に及ぶ。中国に対するこれだけの批判があるとは知らなかった。中国政府も、ずいぶんと外部からの批判を気にしていることがよく分かる。

そのうちの香港に関する10の「謬論」と、それに対置された「事実・真相」を引用する。念のためであるが、私的な編集の手は一切加えていない。恣意的なカットもしていない。これが全文であって、中国当局の主張なのだ。

果たして、中国当局が「事実によって物を言い、真相によって道理を説く」ことに成功しているだろうか。いささかなりとも人権を大切に思う人にとって説得力のある論説になっているだろうか。

ここで赤裸々に語られているのは、みごとなまでの「国家の論理」である。しかも傲慢で批判に耳を傾けようという姿勢はまったく見えない。反面教師の「論理」として繰り返し読み直すに値するものである。ただ恐れるのは、このような「論理」で、中国国民の多くが納得してしまっているのではないかと言うこと。

他人事ではない。安倍政権の嘘とゴマカシ、小池都政無内容な美辞麗句にも、けっして納得してはならない。

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謬論その1 国家安全立法は香港住民の人権と基本的自由を破壊し、「市民的および政治的権利に関する国際規約」に違反する。

事実・真相

◆「中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法」は、香港特別行政区の国家安全維持においては人権を尊重、保障し、香港特別行政区住民が香港特別行政区基本法および「市民的および政治的権利に関する国際規約」「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」の香港に適用される関係規定に基づいて有する、言論・報道・出版の自由、結社・集会・行進・示威の自由を含む権利と自由を法によって保護しなければならないと明確に規定している。

◆香港関連の国家安全立法は国家分裂罪、国家政権転覆罪、テロ活動罪、外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪という4種類の犯罪だけを対象にしており、処罰するのは国家の安全を著しく害する容疑のある極少数の犯罪分子で、規律・法規を順守する大多数の香港市民は保護され、大多数の香港住民の安全および法によって有するさまざまな権利と自由は保障されている。

◆世界の100余りの国の憲法は、基本的権利と自由の行使では国の安全を害してはならないと定めている。「市民的および政治的権利に関する国際規約」は、信仰の自由、言論の自由、平和的集会の自由および公開の裁判を受けるといった権利はすべて、国の安全、公の秩序などの理由に基づいて必要な制限を受け得ると定めている。「欧州人権条約」にも類似の規定がある。

謬論その2 香港関連の国家安全立法は定義のあいまいな犯罪行為が列挙され、中国の国家安全機関によって民衆抑圧のために乱用されるおそれがある。

事実・真相

◆香港関連の国家安全立法は国の安全を著しく害する4種類の犯罪行為だけを対象にしており、ともすれば数十にも上る、米英などの国の安全に関わる罪名よりはるかに少ない。この法律は国家安全の法執行を明確に規制し、すべての法執行行為は厳格に法律の定めるところにより、法定の職責に合致し、法定の手続きを順守しなければならず、いかなる個人と組織の合法的権益をも侵害してはならないとしている。さらに、駐香港国家安全公署は厳格に法によって職責を履行し、法によって監督を受けなければならず、その要員は必ず全国的法律を順守するほか、香港特別行政区の法律を順守しなければならないと定めている。

◆米国、英国、カナダ、オーストラリアなどはいずれも国家安全保障のための厳密な法体系をつくっており、国の安全を害する犯罪行為の取り締まりではまったく容赦しない。

謬論その3 国家安全立法は香港にある外国企業が「ビジネスと人権に関する指導原則」の定めによって人権尊重の責任を履行するのを難しくする。

事実・真相

◆香港関連の国家安全立法は国家分裂罪、国家政権転覆罪、テロ活動罪、外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪という4種類の犯罪だけを対象にしている。これらの犯罪行為は明らかに、法を守る企業または住民の行為や関わりうる活動ではない。法を守る多国籍企業はみな香港が安定と秩序を取り戻すことを望んでいる。法律が実施されれば、香港にある企業が人権尊重の責任を履行するのに役立つだろう。

謬論その4 香港の警察は武力を過度に使用しているのに処罰を受けない(化学剤を使って抗議者に当たる、女性抗議者に対する警察局でのセクハラや性的暴行、医療関係者へのいやがらせなど)。

事実・真相

◆「条例改正の風波」中、香港の警察隊は連続数カ月間に数百回の暴力事件を前にしながら、ずっと法律と警察の内部手引に従って法を執行した。過激なデモ隊は、石、鉄棒の使用からパチンコ玉の打ち込み、傘の先に刃物を結びつけた雨傘さらには危険化学品へと絶えず装備をエスカレートさせたが、警察隊はずっと最大限の冷静さ、理知と自制を保ち、つねに進んで武力を使用しないようにした。一部の者が暴力で突っ込んだり、違法な暴力行為をとり、現場の人々の身体の安全を脅かしたりした時だけ、相応の武力を使って阻止した。これは完全に国際的規範にかなっている。たとえ警官の生命を著しく脅かす危険な武器や暴力による違法行為を前にしても、警察隊はなお自制の姿勢を示し、文明的に法を執行し、プロ精神に徹していた。香港で、警察隊の法執行で死亡したデモ参加者は1人もおらず、逆に2020年5月末までに、590人を超える警備要員が法執行中に負傷している。

◆香港の警察隊の自制的専門的法執行と鮮やかな対照を成しているのは、米国で警察が暴力的法執行で死者を出し、発砲して射殺する行為が珍しくなく、2019年だけで1004回に達していることだ。2020年6月中旬までに、米国各地のフロイド事件で誘発された抗議デモ活動中に少なくとも13人が死亡し、数百人が負傷し、1・35万人超が逮捕されている。そのうち37歳のフリー作家兼記者リンダ・ティラドさんはミネアポリスの抗議活動を報じた際、警察のゴム弾で目を打たれて片方の目を失明した。

謬論その5 中国政府は香港の抗議活動と民主化の宣伝を弾圧している。

事実・真相

◆香港の復帰後の事実は、香港住民が法によって有する言論、報道、出版、結社、集会、行進、デモの自由が十分に保障されていることをすでに証明した。

◆2019年6月の「条例改正風波」の発生以来、一部の過激なデモ隊が故意に暴力事件を造り出し、その行動は平和なデモや意見の自由な表明のという限界を完全に超えて、極端な暴力違法活動に変化している。これらの暴力行為はあからさまに法律に触れ、市民の安全を著しく脅かし、国家の主権と尊厳に公然と挑戦しており、事実ははっきりし、証拠は揺るがず、悪質なものである。

◆文明化法治化した社会で、要求の平和的理性的表明は基本的要求で、ごく当たり前なことだが、権利の行使は必ず法治の枠組み内で行わなければならず、いかなる主張も違法な方法で表明することはできず、まして暴力に訴えることはできない。法治は香港の核心的価値で、香港の長期安定・繁栄を保障する基礎である。法がある以上必ずそれにより、違法は必ず追及するというのは法治の精神の具体的現れである。暴力と暴徒にゼロトレランスで臨んではじめて、香港の法律と秩序を守り、法治を示すことができる。そして暴力と暴徒を支持し放任するのは、民主主義、自由と法治を公然と踏みにじることである。

謬論その6 香港関連の国家安全立法は中国の「中英共同声明」における約束と義務に違反している。

事実・真相

◆中国政府の香港統治の法的根拠は中国憲法と香港基本法であり、「中英共同声明」とは関係がない。1997年の香港の中国復帰に伴って、「中英共同声明」で定められた、英国と関係のある条項はすべて履行が終わっており、英国は復帰後の香港に主権、統治権、監督権をもたない。

◆「中英共同声明」の香港に対する基本方針・政策は中国の政策表明であり、全人代が制定した基本法にすでに十分体現されている。中国の政策表明は英国に対する約束ではなく、しかもこれらの政策はすべて変わっておらず、中国は引き続き堅持するだろう。

謬論その7 国家安全立法は中国の中央政府が一方的に香港に押しつけるものだ。

事実・真相

◆国の安全立法はそもそも一国の主権と中央の権限に属することだ。中国の中央政府は国の安全を守る最大の、最終的責任を負っている。全人代は中国の最高権力機関である。全人代が中国憲法と香港基本法の規定に基づき、国家レベルで香港特別行政区における国家安全維持の法制度と執行メカニズムを導入・整備することは、香港の国家安全の法的な抜け穴をふさぎ、国の安全を確実に守るのに必要な措置で、「一国二制度」の長期的安定を確保するための抜本策でもある。

◆基本法第23条は香港特別行政区に国の安全を守る独自の立法権限を与えているが、復帰から23年近くたっても、反中央・香港かく乱勢力と外部の敵対勢力が必死に阻害、妨害したことにより、この立法はなお終わっていない。香港特区の国家安全維持が厳しい局面を迎えている状況下、中央政府にはすみやかに抜け穴を埋め、欠陥を補う権限もあれば責任もある。

◆マカオ特別行政区では2009年初めに国の安全を守る現地立法を終え、「国家安全維持法」を制定するとともに、関連の法執行作業と国の安全を守る付帯立法の検討作業を整然と進めている。2018年、マカオ特区政府はマカオで国の安全を守る実務の統括・調整機関――マカオ特別行政区国家安全維持委員会を設立するとともに、国の安全を守る法制度、組織体制および執行メカニズムの整備を続けている。

◆英国が香港の植民地支配を行っていた頃、英国の「反逆法」が香港に適用され、専門の執行機関もあった。中国中央政府の香港関連国家安全立法に横やりを入れるのは、完全なダブルスタンダードである。

謬論その8 中国は国家安全立法について香港の民衆と意味のある話し合いをしておらず、この立法には世論面の基礎がない。

事実・真相

◆香港国家安全維持法の制定では、香港同胞を含むすべての中国人民の共同の意思が十分体現されている。立法起草過程で、中央と関係部門はさまざまな方法とルートを通じて、特区行政長官と主要高官、立法会主席、香港の法律界、香港基本法委員会委員および全人代代表、政協委員など各界の意見と提案を聞いた。法律案のテキストが出来上がると、関係方面は香港特区政府から出された意見・提案を真剣に検討し、香港特区の実情を十分考慮し、採用できるものはできる限り採用する精神にのっとって、法律案のテキストを繰り返し修正してより完全にし、科学的立法、民主的立法、法による立法を確実にした。

◆中央の関係部門は香港で12回の座談会を開催し、香港政界、法律、商工、金融、教育、科学技術、文化、宗教、青年、労働各界および社会団体、地域団体の120名の代表が参加して率直に意見を述べた。短期間に、香港中聯弁〈中央人民政府駐香港特別行政区連絡弁公室〉は36人の香港地区全人代代表と190人の香港地区政協全国委員の200点余りの意見書を受けとった。香港各界はまた、電子メール、手紙または中国人代網ログインなどの方法で意見を反映することができた。

◆全人代の関係「決定」が公表されると、香港各界の代表はいち早く支持の態度を表明した。300万近い香港人が「撑国安立法」〈国家安全立法支持〉の署名活動に応じ、128万を超える香港人が「米国など外部勢力の介入反対」のネット署名に参加した。

謬論その9 国家安全立法は「一国二制度」の終焉(しゅうえん)を意味しており、香港の高度の自治権を奪った。

事実・真相

◆全人代の「決定」は冒頭に主旨を示し、国が「一国二制度」、「港人治港」〈香港住民による香港管理〉、高度の自治の方針を揺るぎなくしかも全面的かつ正確に貫くことを説明し、その第1条で再度この方針をはっきり説明している。香港関連の国家安全立法の目的は香港の国家安全における致命的な抜け穴をふさぎ、「一国」の基礎を固め、香港が「一国」という基本を堅持すると同時に「二制度」の利点をよりよく生かすことを最大限保証することにある。

◆香港国家安全維持法の実施後も、香港住民が法によって有する諸権利と自由は影響を受けず、特区の独立した立法権と終審権は影響を受けない。「一国二制度」の方針は変わらず、香港特別行政区で資本主義制度がとられることは変わらず、高度の自治は変わらず、法律制度は変わらない。

謬論その10 国家安全立法は香港の繁栄・安定を危うくする。

事実・真相

◆まったく反対に、香港関連の国家安全立法は香港の繁栄・安定の維持により一層資する。2019年6月の「条例改正風波」の発生以来、「香港独立」、「黒い暴力」活動は香港の法治と経済・民生を大きく傷つけ、また香港のビジネス環境と国際的イメージを著しくこわした。香港関連の国家安全立法はまさにこの局面を転換するためのもので、香港の良好なビジネス環境を維持し、香港の金融、貿易、海運センターとしての地位を固め高め、外部からの投資家の自信を強めるうえで利益はあっても弊害はない。香港関連の国家安全立法の「決定」が可決されると、香港上海、チャータード、スワイヤー、ジャーディンなど香港の外資グループは、香港の長期安定に資する、すべての発展の基礎と前提であるとして、続々と支持を表明した。

◆世界を見渡すと、ニューヨークにせよロンドンによせ(ママ)、国家安全保障法実施のためにビジネス環境が壊された国際金融センターは一つもない。香港米国商業会議所の最近の調査によると、7割を超える対象企業が香港から撤退することはないと明確に表明し、6割超の調査対象者が香港を離れることはないとしている。チャンスと利益に盾突く企業はない。

◆マカオ特別行政区は2009年基本法第23条に従って国家安全維持法を可決した。2009年から19年までに、マカオのGDPは153%伸び、観光客数は81%伸び、全体の失業率は10年間の最低に下がっている。

「日の丸・君が代」強制問題 文部科学省交渉&記者会見のご案内

(2020年7月10日)

日の丸・君が代」ILO・ユネスコ勧告実施

文部科学省交渉&記者会見にご参加を!(要予約)

日時2020721日(火)

会場:参議院議員会館 B109会議室(地下1F)

*文科省交渉 13時?14時30分

*記者会見  14時40分?15時20分

*発  言

●前田朗さん(東京造形大学)
●中村雅子さん(桜美林大学)
●寺中誠さん(東京経済大学)
●澤藤統一郎さん(弁護士)
●金井知明さん(弁護士)
●山本紘太朗さん(弁護士)

東京では2003年から、大阪では2011年から「国歌・君が代」の強制が続き、卒業式や入学式で起立できない教職員に対する懲戒処分が行われています。2014年に2つの労働組合がILO/ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会(セアート)に、「日の丸・君が代」強制は「教員の地位に関する勧告」(1966年のユネスコの特別政府間会議で採択)に違反していると申し立て、ILO/ユネスコから2019年3、4月日本政府に対して、強制の是正を求める勧告が出されました。

2020年3月1日に「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議が発足し、日本政府に勧告の実施を求めていくことを決意しました。その第一歩として、来る7月21日に文科省交渉を行います。その後、交渉内容とセアート勧告について記者会見も行います。ぜひ、ご参加下さい。

主催 「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議

共同事務局長 金井知明・寺中誠・山本紘太朗

連絡先:澤藤統一郎弁護士事務所

*定員30名程度。要予約。

市民会議メールアドレス<cciu@teramako.jp>へお申し込みください。

※通行証を参議院議員会館入り口で 12時30分?14時30分 お渡しします。

※コビット19(新型コロナウイルス)感染症対策のため、参加者数を30人程度とします。

議員会館入り口での手指消毒、マスク等を着用してください。

体調のよくない方、発熱の ????ある方は参加をご遠慮ください。

※会場入り口で参加票ご記入下さい。    *資料代300円

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ボーっと生きてんじゃねーよ。

日本政府が、 国歌斉唱の強制で、国連機関に叱られる。

Qどうして叱られたの?
東京や大阪の公立学校では、国歌斉唱時に起立できない先生に対して懲戒処分が行われています。
これが、市民的権利を侵害しているとして、是正を求める勧告が出されました。

Q誰に叱られたの?
ILO(国際労働機関)とユネスコ(国連教育科学文化機関)です。いずれも国連の機関です。
日本は、ILOの常任理事国で、ユネスコの執行委員国になっています。

Q先生だから歌わなければいけないんじゃないの?
ILOとユネスコは、仕事中の先生であっても、国歌斉唱時に起立斉唱を静かに拒否することは、市民的権利として保障されるとしました。
国歌の強制は、民主主義社会にそぐわないと指摘しています。

Q国際機関から叱られて、日本政府はどうしたの?
市民的権利の保障が国際基準に達していないと叱られたのに、「勧告には法的拘束力がない」などと言って、勧告をスルーしています。

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たいていの国には、国歌がある。日本の国歌は、「君が代」。1999年に法律で決められた。
国歌は様々な場所で演奏される。スポーツの国際試合の前に演奏されることもあるし、日本では、卒業式や入学式で国歌斉唱が行われる。
国歌を「歌う」・「歌わない」ということが、時々ニュースになる。
例えば、アルゼンチンのサッカー代表選手メッシは、長らく国歌を斉唱しなかった選手として話題になった。また、アメリカでは、アメリカンフットボールの選手が、国歌斉唱時に、今の自分の国は敬えないといって、片膝をつく行為をしたことが、社会問題となった。
日本でも、総理大臣だった人がオリンピック開催前に「国歌を歌えないような選手は日本代表ではない」と言ったことがニュースとなった。
また、卒業式や入学式で国歌を起立斉唱できない先生が懲戒処分を受けている。
国歌を歌わない人に対し、自分の国の国歌ぐらい歌ってはどうかと言う人がいる。色々な意見があるのは当然だし、その思いも理解できる。
でも、歌うことを強制されるのは、ちょっと違うと思う。
国歌を歌わなかったら罰則があるような社会は窮屈だ。サッカーの代表選手が懲罰を恐れて国歌を熱唱していたとしたら、その姿に感動する人はいないだろう。
メッシが、愛国心はあるけど、歌う必要はないと言っていたように、国歌を熱唱するひとだけが愛国者ではない。また、そもそも、国を敬う、愛するかどうかは、国が決めることではない。自分を愛せ、敬えと強制するような人はちょっとあやしいし、そのような国はもっとあやしい。
歌いたければ熱唱してもよし、歌わなくとも咎められない。そんな自由のある国なら、多くの人が国歌を自然に歌うようになるかも。

「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議
共同事務局長:金井知明(弁護士)・寺中 誠(東京経済大学)・山本紘太郎(弁護士)
連絡先:澤藤統一郎法律事務所

香港の二人の枢機卿、深刻な立場の違い。

(2020年7月9日)
本日(7月9日)の毎日新聞朝刊8面右肩に、「教皇講話、香港に触れず」の見出しで大きな記事。「急きょ変更、中国にそんたく?」という小見出しがある。

日曜日恒例の教皇講話。事前に配布された予定原稿には、「香港における自由の重要性」に触れる部分があって注目されていた。しかし、直前にこの記述は撤回され、その朗読は省かれたという。この教皇講話の直前の内容変更が、中国への忖度によるものではないのかという、なんとも不愉快な話題なのだ。

このことは、複数のカトリック系メディアが伝えている。教皇は中国との関係改善に前向きで、「中国に配慮した」と失望する声が上がっている、という。

バチカン専門記者のマルコ・トザッティ氏のブログによると、5日の講話に向け、記者に事前配布された原稿では、教皇が香港問題への関心を表明し、「私は社会的な自由、特に宗教の自由が、さまざまな国際文書に記されているように、完全な形で表現されることを願っている」と述べるはずだった。

ところが、教皇が窓に姿を現す直前に、バチカン側から「香港の部分には言及しない」と記者団に通告があり、実際、教皇は読まなかった。具体的な理由の説明はなかったという。トザッティ氏は「中国が教皇に猿ぐつわをかませた」と表現し、政治的配慮があったとの見方を示した。他のカトリック系メディアも同様に報じている。

以上は5日(日曜日)の事実についての報道。毎日記事は、その背景事情を次のように解説している。

教皇はアジア布教の伝統を持つ「イエズス会」の出身で、中国への接近を図ってきた。バチカンと中国は1951年に断交状態となり、バチカンは台湾と外交関係を保持してきた。だが、2018年9月、長年の懸案だった司教の任命方式を巡って互いの関与を認める暫定合意に達し、歴史的な和解を果たした。

暫定合意は今年9月、2年間の期限を迎える。合意締結に関わったカトリックの高位聖職者は6月、イタリアメディアの取材に「期限後に、もう1、2年延長すべきだ」と述べ、双方が協議中であると明かした。こうした微妙な時期だけに、教皇に批判的な保守派の聖職者やメディア関係者を中心に、「教皇は中国の圧力に屈し、香港問題で沈黙している」との推測を呼んでいる。

教皇は、中国への接近を図っている。では、中国はどうか。

一方、中国の習近平指導部は「宗教の中国化」を掲げ、キリスト教やイスラム教、仏教などへの統制を強化している。バチカンとの和解後も、教会からの十字架の撤去や聖職者の拘束などが報告されている。中国の宗教政策を厳しく批判するカトリック香港教区の枢機卿、陳日君氏は「まさか中国共産党から本当に金でももらったのか」とブログでバチカンを痛烈に批判。国安法の施行について「香港が自由を失えば、教会も逃れることはできず、(宗教の)自由を失う」と危機感を示した。

この陳日君氏の反中国の立場からの苛烈な教皇批判に驚く。ヒエラルキーという言葉は、もともとがローマカトリック教会における聖職者群の序列や階層秩序をさすのだという。そのヒエラルキーで、教皇に次ぐ位置にある枢機卿(カージナル)が、「中国共産党から金でももらったのか」と教皇を批判する事態の深刻さと、覚悟のほどを知らねばならない。もっとも、香港教区には、もうひとりの枢機卿がいるという。その人は、徹底した反中国の立場ではなさそうだ。毎日はこう伝えている。

中国当局は国安法施行前の6月下旬、中国に近い立場にある香港の宗教指導者らを対象に説明会を開いて「宗教の自由」への配慮をアピールした。香港メディアによると、出席した香港教区のもう一人の枢機卿、湯漢氏は「(国安法の施行は)理解できる。宗教の自由に影響はないと信じている」と述べた。香港の宗教界が国安法という「踏み絵」を前に分断される実情がうかがえる。

陳氏も、湯氏も、中国共産党の横暴に晒されて、厳しい選択を迫られている。陳氏は、いささかの妥協も潔しとせず、たとえ弾圧を受けようとも信仰を枉げてはならない、とする立場。湯氏は、一定の妥協はやむを得ないとする宥和の立場。「国安法が施行されても宗教の自由に影響はないと『信じている』」というのは、中国当局への宥和のメッセージであろう。

毎日記事は、カソリックのみならず、香港の宗教界全体が「国安法という『踏み絵』を前に分断される実情がうかがえる」と記事を結ぶ。この比喩を借りるならば、『踏み絵』を拒絶する立場と、踏むこともやむなしとする立場とが対比されている。

もちろん、踏み絵を迫っているのは中国共産党である。その罪は深い。

河井夫妻起訴。公判では、その背後にある「真の主犯」の洗い出しを。

(2020年7月8日)
本日(7月8日)、東京地検は河井克行・案里の夫妻を、東京地裁に起訴した。起訴罪名は、公職選挙法違反(運動員買収)である。

この二人に関しての運動員買収の構成要件は、「当選を得、若しくは得しめ(る)目的をもつて、選挙運動者に対し金銭を供与した」(法221条1項1号)ことである。報道では、「2019年7月の参議院選挙に際し、被告人両名は、共謀の上、案里への選挙運動の報酬として5人に170万円を供与したほか、被告人河井克行は103人に対して合計2731万円を供与した」という。まことに大がかりな選挙違反事件。保守の選挙はどこでもこんなものか、あるいは安倍の庇護のもとの選挙だったから、特別にこうだったのか。

この犯罪の法定刑は、原則「3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金」であるが、案里は同条3項1号の「公職の候補者」に、克行は同項2号の「選挙運動を総括主宰した者」に当たり、「4年以下の懲役若しくは禁又は100万円以下の罰金」となる。

これだけでなく、公職選挙法違反事件について有罪となり罰金以上の刑が確定すれば、原則5年の公民権(選挙権・被選挙権)停止となり、国会法の規定に従って議員としての資格が失われる。河井夫妻はともに失職することになる。

また検察官は、起訴と同時に「百日裁判」を申し立てた。「当選人の公民権(選挙権・被選挙権)に関わる刑事訴訟については、訴訟の判決は事件を受理した日から100日以内にこれをするように努めなければならない」とされる。案里については当選人本人として、克行については選挙運動を取り仕切る「総括主宰者」として連座制の適用者となり、いずれも有罪確定すれば案里の当選が失効することになり、両被告人について百日裁判の適用となる。

この両名への起訴が注目されるのは、河井克行が安倍の側近であり、菅の子飼いでもあるからだ。検察がその存在意義をかけて、官邸との確執を覚悟での立件の行方が注目される。既に、官邸の守護神と異名をとった黒川弘務はない。次期検事総長には、林真琴現東京高検検事長が確定という状況である。この立件が、安倍政権の力量低下を象徴するものであり、決定的な政権崩壊への序章ともなり得る。

いったい、この莫大な買収資金の出所はどこなのか。誰が、どのような意図で、河井夫妻にこの大金を送金したのか。この大規模な選挙犯罪の全体像と、河井夫妻の背後にいてこの構図を描き実行した「真の主犯」を洗い出してもらいたいところである。

自民党本部から送金された1億5000万円は、自民党財政からの支出なのだろうか。それとも、巷間言われているとおり官房機密費からの支出なのだろうか。安倍秘書団はどのような働きをしたのだろうか。起訴はされても、モヤモヤは晴れない。

検察官が公判において官邸の関与にまで切り込んで初めて、失墜していた検察の権威復活と、国民からの信頼の回復が成就することになる。そのことを期待したい。

星の見えぬ七夕に、香港の憂鬱を思う。

(2020年7月7日)
本日は七夕。あいにくのコロナ禍のさなかに列島豪雨の模様。東京も降りみ降らずみ、星空は見えない。

心ならずも引き裂かれた二つの魂が相寄る図は微笑ましくも美しい。しかし、二つの魂が惹かれ合うでもなく相寄るでもなく、一方的な暴力が他を支配する図の醜悪さは見るに堪えない。ヘイト然り。DV然り。パレスチナ然り、そして香港然りである。

香港行政長官の名は、林鄭月娥(キャリー・ラム)。月娥は、月の世界にあるという伝説の仙女「嫦娥」からの命名。「嫦娥」は、不老不死の仙薬を得て天に昇ったが、夫を裏切り月に隠れて蟇蛙になったとされる。いま、月娥は香港の民衆を裏切って、醜態をさらしている。

Bloomberg News日本のネット報道(2020年7月7日 13:58)は、「香港行政長官、国家安全維持法を擁護?警察には広範な権限付与」と伝えている。

 香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は7日、先週施行された香港国家安全維持法(国安法)を擁護した。香港政府は6日開いた国家安全維持委員会の初会合で、令状なしの捜索やオンラインの監視、資産差し押さえなど広範囲に及ぶ新たな権限を警察に与えたばかり。

 林鄭行政長官は諮問機関である行政会議会合前の定例記者会見で、「この法律は厳格に執行され、市民の懸念は和らぐ」と主張。「市民が国安法に定期的に抵触することはないことを目の当たりにするだろう」と述べた。

 一方、林鄭長官は国安法の執行・管理の多くが公開されない点をあらためて確認し、国家安全維持委は今後の会合から詳細を公表しないと述べた。

なんたることだ。もうムチャクチャとしか言いようがない。こういうことを言わせないように、法の支配の大原則があり、立憲主義があったはず。「人権も民主主義も無視して、今後は徹底して香港の市民を弾圧する」「有無を言わせない」という宣言ではないか。「肚を決めて、香港市民の側を離れて、中国の走狗となる」という林鄭月娥の誓約とも解される。今の世の文明社会にこんなことがあってよいのか。嘆くしか術はない。

また、朝日新聞デジタルが「香港の図書館から消える本 『言論弾圧が広がっている』」と伝えている。以下はその抜粋。

 反体制な言動を取り締まる「香港国家安全維持法」(国安法)が施行された香港で、公立図書館が民主活動家らの著書の閲覧や貸し出しを停止した。

 対象の書籍は雨傘運動のリーダーだった民主活動家の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏のほか、立法会(議会)議員の陳淑荘(タンヤ・チャン)氏、作家の陳雲氏の民主派3人が書いた計9種類。各地の公立図書館が計約400冊所蔵していたが、4日までに本棚から撤去されたという。

 香港政府は、閲覧・貸し出しの停止措置について、公立図書館に国安法に抵触する蔵書がないかを審査させるためだと説明している。一方で、審査の基準や対象数は公表していない。

 野蛮な権力は、不都合な思想を弾圧する。その偉大な始祖が「焚書坑儒」の成語で知られる始皇帝であろう。いま香港で「焚書」が始まったのだ。やがては「坑儒」も。中国の文明は2000年余の昔に戻った如くではないか。天も晴れず、ただ涙するか。

ところで1937年7月7日は盧溝橋事件勃発の日。この日から日中は宣戦布告ないまま、本格的な全面戦争にはいる。あのとき、非は明らかに侵略者である皇軍の側にあり、正義は中国の側にあった。

80余年を経て、中国は国際公約である一国二制度を放擲し一方的な暴力を以て香港の民主主義を蹂躙し、民衆を支配しようとしている。今、中国の側に正義はない。皇軍の醜さを思わせるのみ。

改めて要求する。「森下俊三のNHK経営委員辞任」と「議事録の全面公開」を。

(2020年7月6日)
コロナ禍再び拡大の虞れの中、風雨激しきを衝いて、本日またまたNHK放送センターに出向いた。応接の経営委員会事務局職員に下記2通の要望書を提出し、趣旨を説明してきた。

要望書の一通は、NHKの在り方を民主主義に重要な問題として考え行動しようという全国の市民運動23団体連名の申し入れ。もう一通は、研究者・弁護士・ジャーナリストら有志21名の申し入れ。

両者に共通する主要な申し入れの主旨は2点である。その資格ないことが明らかになった森下俊三NHK経営委員長に改めて経営委員の辞任を求めるということ。そしてもう1点は、上田良一NHK会長を厳重処分とした2018年10月23日の経営委員会議事録の速やかな公表を求める、ということ。

いずれも3回目の申し入れになるが、この時期緊急に本日を選んで改めての申し入れとなったのは、われわれにとっての新事実が明らかになったからだ。

とりわけ、6月29日毎日新聞朝刊のトップ記事が、質も量も圧倒的なものだった。「『NHKの大問題』前会長抗議」「経営委、法抵触か 議事全容判明」という大見出し。3面に解説記事を載せ、8面にほぼ全面を使っての生々しい「議事全容」を掲載している。

この記事の衝撃を受けて、全国の関連市民団体と有志が、それぞれ7月7日経営委員会に間に合うよう、改めての「森下俊三氏辞任」「議事録全面開示」を申し入れたのだ。

「森下俊三氏辞任要求」に理のあることは、従前からのことだが、6月29日毎日新聞8面の生々しい「議事全容」を読むと、改めてこの人は、NHKのあり方についても、ジャーナリズムのなんたるかについても、およそなんの理解もない人物だとよく分かる。このような不適格者が安倍政権からNHKに送り込まれている。NHK経営委員不適格と言うよりは、ジャーナリズムに関わるべきではない。なるほど、経営委員会はこんな内容の議事録だからこそ公表したくないわけだ。

しかし今や、NHK自身が創設した情報公開制度において、「NHK情報公開・個人情報保護審議委員会」が全面公表すべしと答申しているのだ。ことここに至って、非公開で押し通すことはできまい。明日の経営委員会に向けて、ダメ押しの申し入れなのである。

NHK(経営委員会)に申し入れの後、衆院第1議員会館で記者会見。けっして、多くの記者の参加を得たわけではないが、出席記者の質問はいずれも的確で活発だった。みのりのある1時間の小討論であった。報告者の側から記者の諸君に、「明日の経営委員会終了後のブリーフィングの際には、是非、本日(7月6日)付2通の申入書が、どのように議論され、どのような結論となったかを質問していただきたい」とお願いする場面もあった。明日の結果を待ちたい。

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2020年7月6日
NHK経営委員会委員長 森下俊三 様
NHK経営委員会委員 各位

改めて森下俊三氏の経営委員辞任と議事録の一般公開を要求する

NHKとメディアを考える東海の会/NHK・メディアを考える京都の会/NHK問題大阪連絡会/NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ/NHKとメディアを語ろう・福島/NHKとメディアを考える会(兵庫)/表現の自由を市民の手に 全国ネットワーク/NHK問題を考える岡山の会/NHK問題を考える会・さいたま/時を見つめる会/NHKを考えるふくい市民の会/日本の政治を監視する上尾市民の会/マスコミを語る市民の会(宮城)/政府から独立したNHKをめざす広島の会/NHK問題とメディアを考える茨城の会/NHK問題を考える奈良の会/NHKを考える福岡の会/NHKとメデイアを考える滋賀連絡会/NHKとメディアの今を考える会/放送を語る会/ジャーナリズムを考える市民連絡会とやま/言論の自由と知る権利を守る長崎市民の会/「日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考える11.5シンポジウム」実行委員会

(1)『毎日新聞』は6月29日の朝刊で、NHK経営委員会が上田良一会長(当時。以下、役職名はすべて当時)を厳重注意した2018年10月23日の会合の「議事全容」を掲載しました。
これは、正規の議事録ではありませんが、『毎日新聞』NHK問題取材班が「複数の関係者」への独自の取材に基づいてまとめたもので、信憑性が極めて高い内容と考えられます。
「議事全容」を一読して、際立つのは、森下経営委員長代行者が石原進経営委員長とともに、経営委員の個別の番組への干渉を禁じた「放送法」第32条を蹂躙する発言を繰り返し、会長厳重注意に至る議事を強行した実態です。
その最たるものは、森下氏が、「今回の番組の取材は極めて稚拙で、取材をほとんどしていない」と番組編集と一体の取材をあからさまに攻撃すると同時に、「郵政側が納得していないのは取材内容だ。納得していないから、経営委に言ってくる。本質的なところはそこで・・・」と語ったくだりです。
これは、森下氏が、ガバナンス問題よりも取材を問題視し、個別の番組の編集に踏み込み、干渉する認識と意図があったことを示す何よりの証拠であり、森下氏の一連の発言が「放送法」第32条に違反するものであったことは、もはや弁明の余地がありません。

(2)さらに、森下氏のみならず、今も経営委員にとどまっている他の数名の委員が、個別の番組の取材・編集に干渉する発言をしていたことも見過ごせません。「クレームへの対応というより、番組の作り方で若干、誤解を与えるような説明があった」、「番組の作り方に公平さを欠く要因がなかったか」、「こういう問題では〔経営委も〕番組内容に踏み込まざるを得ない」といった経営委員の発言も、個別の番組への干渉を禁じた「放送法」に抵触することは明らかです。

(3)経営委員会が、会長厳重注意に至る議事録を全面開示するよう促した「NHK情報公開・個人情報保護審議委員会」(以下、「審議委員会」と略す)の道理ある答申にいまだに応えない間に、メディアが独自取材をもとに議事録に極めて近いやり取りを「議事全容」と題して報道したことは、情報公開の責務を果たさない経営委員会の背任を改めて浮き彫りにしたものです。
とりわけ、森下氏が、「放送法」第41条で議事録を遅滞なく公表する任を負わされた委員長の職責を省みず、「審議委員会」によって、事実上、ことごとく退けられた「経営委員会議事運営規則」に固執して、2018年10月23日の会合の議事録の公表を拒み続けてきた責任も重大です。
これによって、森下氏が経営委員会に対する視聴者、広くは社会の信頼を失墜させたことは、重大な背任と言わなければならず、もはや、森下氏に残された道は経営委員長の辞任にとどまらず、経営委員を引責辞任する以外、ありません。
そこで、私たちは以下のことを申し入れます。

申し入れ

〔1〕森下俊三氏は、「放送法」第32条を蹂躙する発言を繰り返すとともに、2018年10月23日の経営委員会議事録の公表を拒み続け、経営委員会が会長厳重注意という極めて異例の決議をした経緯の説明責任を果たさなかった責任を取って、直ちに経営委員を辞任するよう、重ねて要求する。

〔2〕経営委員会は「審議委員会」の道理ある答申を尊重して、開示の請求があった2018年10月23日の経営委員会議事録と配布資料を直ちに開示するとともに、それを経営委員会のHPにも掲載して、一般に公開するよう、重ねて要求する。

〔3〕2018年10月23日の経営委員会で、複数の経営委員が、森下氏ほど露骨ではないにせよ、委員が個別の番組の編集に干渉することを禁じた「放送法」第32条に抵触する発言をしたことも重大で、これら委員も猛省が必要である。この先の経営委員会で反省・自戒の意思を表明し、それを議事録に記載するよう、求める。

以上

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2020年7月6日

NHK経営委員長 森下俊三 様
同  経営委員各位

国民の知る権利に資するNHKを蝕む内部問題を許さない
?経営委員会の番組編集への介入と情報公開制度違反について?

              研究者・法律家・ジャーナリスト・NHK退職者他有志

かんぽ生命保険の不正販売を報じた2018年4月のNHK番組「クローズアップ現代+」をめぐり、NHKの経営委員会において委員らが当時のNHK会長を番組内容に関わって厳重注意したことは、経営委員が個別の番組の編集に干渉することを禁じた「放送法」第32条違反を強く疑わせる問題である。NHKの社会に対する圧倒的な影響力を考えれば、国民の知る権利保障のためには、編集と経営は分離されなければならない。

この放送法32条違反の編集介入の事実を検証すべく、NHKの情報公開規定に基づき、2019年9月ある視聴者が「NHK経営委員会が2018年10日23日、上田良一会長に対して行った厳重注意について、経営委員会で行われた議論の内容が分かる一切の資料」の開示請求を行った。ところがこれに対して、NHKは「議論のための資料、および議事録(非公表部分)」については、「NHKの事業に関する情報であって、開示することによりNHKの事業活動に支障を及ぼす恐れがある」という理由で開示できないとした。しかし、請求者が不開示についての「再検討」を求めたところ、NHK情報公開・個人情報保護審議委員会は「開示が妥当」と答申した。にもかかわらず、NHKは未だ開示していない。これは放送法29条1項1号ノがNHKの情報公開制度を予定し、また、NHK自らが、「視聴者から受信料を得ていることに鑑み視聴者に情報を公開し、放送による言論の自由を確保しつつ、視聴者に対する説明責任を果たす」ために情報開示基準をさだめている趣旨に明らかに反する。

今回、毎日新聞が6月29日朝刊において、複数の関係者の取材に基づき「NHK会長厳重注意 経営委の議事全容」を掲載した。そこでは、森下委員長代行(当時)は、「今回の番組の取材は極めて稚拙」だとか、「視聴者目線に立っていない」などと番組内容を批判し、監査委員会が「ガバナンス上の瑕疵は認められない」と報告しているにもかかわらず、郵政側が納得していないとの理由で、会長自身が直接対応することを強要している。また7月2日の朝日新聞「けいざい+」では、郵政側に経営委員会宛文書の送付を示唆したのは、森下氏自身であることも報じられている。

以上から、私たちは、上記国民の知る権利に資するべきNHKの存在意義に照らし、次の2点を森下俊三経営委員長ならびに経営委員会に要求する。

1.複数の経営委員が個別の番組の編集に干渉する発言をしたと言われている2018年10月23日の経営委員会の議事録(議事概要ではなく発言者の氏名、発言の内容を全文記した議事録)を全面開示すること。
2.NHKの番組編集の自由を侵害し、NHK自らが定めた情報公開制度を履践できない森下俊三氏は、経営委員長はもとより、経営委員の職も直ちに辞すること。

以上

研究者・法律家・ジャーナリスト・NHK退職者ほか有志賛同者名簿

梓澤和幸(弁護士)
池住義憲(元立教大学大学院教員)
池田文夫(言論の自由と知る権利を守る長崎市民の会幹事)
小田桐 誠(ジャーナリスト/大学教員)
児玉勇二(弁護士)
小玉美意子(武蔵大学名誉教授)
小林 緑(国立音楽大学名誉教授・元経営委員)
佐藤真理(弁護士)
澤藤統一郎(弁護士)
白垣詔男(日本ジャーナリスト会議(JCJ)福岡支部長)
杉浦ひとみ(弁護士)
関口達夫(言論の自由と知る権利を守る長崎市民の会事務局長)
醍醐 聰(東京大学名誉教授)
?野春廣(東海学園大学名誉教授)
田島泰彦(早稲田大学非常勤講師・元上智大学教授)
永田浩三(元NHKプロデューサー)
根本 仁(元NHKディレクター)
服部孝章(立教大学名誉教授)
皆川 学(元NHKプロデューサー)

不見識きわまれり、弁護士会広報紙にアパホテルの提灯記事。

(2020年7月5日)
昨日(7月4日)のこと、東京弁護士会から会報「リブラ」が届いた。それに、6ページの「関弁連だより」が同封されている。これを見て驚いた。巻頭を飾っている記事が、どうみても「アパホテルの宣伝」なのだ。百歩譲っても「アパホテル提灯インタビュー」だ。右翼・改憲派として名高い、あのアパホテルである。南京虐殺はなかったと言って憚らない歴史修正主義のあのアパホテル。人権擁護を使命とする弁護士会が取りあげる代物ではない。

関弁連ホームページに、「従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。」とある。その第1回の企画が、よりにもよって、アパホテルなのだ。不見識にもほどがある。

怒り心頭だが、関弁連とは何か。アパホテルとは何か。そして、何故アパホテルの提灯記事が、「関弁連だより」にふさわしくないのか、順を追って語らねばならない。

弁護士会は弁護士法にもとづく公法人であり、全弁護士が会員となる強制加入団体である。どの国家機関からも統制を受けることのない自治組織であることを特徴とし、個別の弁護士は、その業務の遂行に関しては弁護士会からのみ指導監督を受け、最高裁からも官邸からも法務省からも容喙されることはない。全国に、52の単位弁護士会があり、これを統括する日本弁護士連合会(日弁連)がある。

弁護士法にもとづく単位会と日弁連との間に、公法人ではない「中2階」の組織がある。通例「弁連」というようだが、全国8高裁の管轄内単位弁護士会の連合体である。

その8弁連のうち最大の規模をもつのが、「関東弁護士会連合会、略称「関弁連」である。東京高等裁判所管内13弁護士会によって構成されている。分かりにくいが、東京の三弁護士会(東京・第一東京・第二東京)と、神奈川県・埼玉・千葉県・茨城県・栃木県・群馬・山梨県・長野県・新潟県・静岡県の各弁護士会の連合組織。「関弁連に所属する弁護士の数は約2万人で,日本の弁護士の約60%が関弁連に属しています」という。

その歴とした弁護士団体広報紙のトップ記事、しかも新企画「関弁連がゆく」の第1回がアパホテルなのだ。いったい「関弁連はどこへ」ゆこうというのだ。

「たより」のトップに大きな顔写真、アパホテル創業者夫婦の次男で専務だという人物。冒頭に、「アパホテルと言えば,アパ社長こと元谷芙美子社長の笑顔のポスターで皆様にもお馴染みのことと思いますが,今回は,元谷芙美子社長のご子息であり,アパホテルで専務を務めていらっしゃる元谷拓さんに,アパホテルの色々をうかがってまいりました。」という、歯の浮くようなおべんちゃら。

2ページにわたるこのインタビュー記事には、人権も平等も、排外主義も歴史修正主義も、そして右翼政治家支持問題も改憲も、まったく出て来ない。要するに、アパホテルが問題企業とされてきた論点を全て素通りして、気恥ずかしいヨイショの質問に終始しているのだ。これは、弁護士会の品位に関わる。弁護士会の恥といっても過言ではない。この「たより」は、弁護士会の広報紙ではないか。アパホテルや右翼の宣伝チラシではない。

社会がアパホテルの存在を知ったのは、田母神俊雄の名と同時であったと言ってよい。2008年アパホテルは第1回「真の近現代史観」懸賞論文を募集、その大賞を獲得したのが当時現役の航空幕僚長・田母神であった。この件で田母神俊雄は更迭されてその地位を失うことになる。なお、この大賞は、「最優秀藤誠志賞」と名付けられていた。藤誠志とは、アパホテルの創業者元谷外志雄のペンネームである。

「真の近現代史観」というのが元谷外志雄の持論なのだ。通説の歴史は全て嘘だ。あれは、自虐史観でありGHQ史観だ。「日本は西洋列強が侵略して植民地化していたアジアの植民地軍と戦い、宗主国を追い払った植民地解放の戦いを行った。にもかかわらず、東京裁判において、日本が侵略国家であり、中国国民党政府軍が謀略戦としてつくった捏造の歴史によって南京大虐殺を引き起こした悪い国だと決めつけられた」という類の、典型的な歴史修正主義。

2017年1月、アパグループは客室に置いた歴史修正主義書籍『本当の日本の歴史 理論近現代史』で名を上げる。元谷外志雄が書いた、旧日本軍の南京事件を否定する内容。「いわゆる南京虐殺事件がでっち上げであり、存在しなかったことは明らか」というもの。この英語版を読んだ海外客の発信が大きな反響を呼び、国内外からの批判が殺到して、国際問題にまで発展したことが話題となった。

それだけではなく、元谷は「我が国が自虐史観から脱却し、誇れる国『日本』を再興するため…」として、「勝兵塾」を開設し、右翼人脈の改憲派政治家を支援している。稲田朋美やや下村博文など、安倍人脈の政治家が多く挙げられている。

もちろん、人の思想・信条は自由である。陰謀論も歴史学の定説批判も、他人に押し付けない限りは自由である。しかし、人権擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士会がその提灯を持ってはならない。日本国憲法とその理念の擁護から大きくはずれた企業を推薦し支援するような行為があってはならない。アパホテルのような問題企業の宣伝を買って出るような不見識があってはならない。

コロナ禍の時節、格差社会の底辺の人に手を差し伸べている献身的な活動を行っている優れた人々がいるではないか。強者による人権侵害に臍を噛んでいる人々が数多くいるではないか。不当な差別に悔しい思いをしている人も、あちこちにいる。弁護士会が寄り添うべきは、まずそのような人々であろう。断じて、アパホテルではないのだ。

弁護士も、弁護士会も、その社会的使命を忘れてはならない。

日本社会に深く伏在して、「自粛警察」を生みだしたもの。

(2020年7月4日)
私は、盛岡の生まれで、故郷岩手の事情は常に気にかかる。このところのコロナ禍では、東京の感染拡大を尻目に唯一「感染者ゼロ」を誇っている。とは言うものの、どうも「感染者ゼロ」の維持は目出度いだけのことではないようだ。

「感染者ゼロ」の重さを知ったのは、富山県での第1号感染者の「村八分」報道に接して以来のこと。この春、京都市内の大学を卒業した女性が、郷里の富山に戻って県内感染の第1号となった。これが3月30日のこと。帰郷直後に友人数名と焼き肉屋での会食の機会があって再感染の機会となったようである。続いて数名の感染者が確認されると、「京都からコロナを持ち込んで富山に広めた」とバッシングされる事態となった。

当人も家族もネットで容易に特定され攻撃された。「村八分になって当然」という、心ないツィッターが今も残っている。真偽は定かでないが、「学生の自宅が石を投げられた」「父親が失職した」「市長に詰問された」「村八分になっている」などの情報が流れた。当人は軽症で間もなく検査では陰性になったが、周囲の人々が怖くなってなかなか退院できないとも報道された。

岩手ではまだ「感染者第1号」が出ていない。重圧は、日に日に増しているようだ。東京から帰省したいと連絡してきた息子に対して、両親から「絶対に帰ってくるな。第1号になったらたいへんなことになる」という返事があったとか、東京ナンバーの車は停めておけないなどという報道が繰り返されている。社会的同調圧力の強大さを物語っている。

この社会的同調圧力は、容易に警察と結びつく。「自粛警察」「マスク警察」「自粛ポリス」「コロナ警察」などの言葉があふれる世となった。身近に、思い当たる出来事がある。

かつて、社会的同調圧力は、君のため国のための、国民精神総動員に最大限利用され、助長された。国策に積極的協力を惜しむ人物には、「非国民」「国賊」という非難が浴びせられた。今なお、自粛せぬ輩には社会的な制裁が課せられる。ときには、警察力の行使を借りることも辞さない。

この心性が、対内的な求心力ともなり、排外主義にもなった。関東大震災の際の朝鮮人虐殺には「自警団」という名の非国民狩りの組織が作られもした。

丸山眞男の「日本の思想」(岩波新書)の中に、「國體における臣民の無限責任」という小見出しで、以下の印象深い記述がある。この「無限責任」は、社会的な責任であり、同調圧力が個人に求める責任である。天皇制とは、社会的同調圧力を介して、人民を支配するという見解と読める。

 かつて東大で教鞭をとっていたE・レーデラーは、その著『日本?ヨーロッパ』のなかで在日中に見聞してショックを受けた二つの事件を語っている。一つは大正十一年末に起った難波大助の摂政宮(註・裕仁)狙撃事件(虎ノ門事件)である。彼がショックを受けたのは、この狂熱主義者の行為そのものよりも、むしろ「その後に来るもの」であった。内閣は辞職し、警視総監から道すじの警固に当った警官にいたる一連の「責任者」(とうていその凶行を防止し得る位置にいなかったことを著者は強調している)の系列が懲戒免官となっただけではない。犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って一歩も戸外に出ず、郷里の全村はあげて正月の祝を廃して「喪」に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに彼のクラスを担当した訓導も、こうした不逞の徒をかつて教育した責を負って職を辞したのである。このょうな茫として果しない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は、このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。もう一つ、彼があげているのは(おそらく大震災の時のことであろう)、「御真影」を燃えさかる炎の中から取り出そうとして多くの学校長が命を失ったことである。「進歩的なサークルからはこのょうに危険な御真彩は学校から遠ざけた方がよいという提議が起った。校長を焼死させるょりはむしろ写真を焼いた方がよいというようなことは全く問題にならなかった」とレーデラーは誌している。日本の天皇制はたしかにツァーリズムほど権力行使に無慈悲ではなかったかもしれない。しかし西欧君主制はもとより、正統教会と結合した帝政ロシアにおいても、社会的責任のこのようなあり方は到底考えられなかったであろう。どちらがましかというのではない。ここに伏在する問題は近代日本の「精神」にも「機構」にもけっして無縁でなく、また例外的でもないというのである。

 私は丸山に傾倒するものではないが、彼の言う「このょうな茫として果しない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力」「社会的責任のこのようなあり方」「ここに伏在する問題は近代日本の「精神」にも「機構」にもけっして無縁でなく、また例外的でもない」との指摘には、深く頷かざるを得ない。

『法と民主主義』6月号(特集「新型コロナウイルス問題があぶり出したもの」)のお勧め

(2020年7月3日)
日本民主法律家協会発行の『法と民主主義』6月号(6月29日発行・第549号)のご紹介とご注文のお願い。
5月号に引き続いての新型コロナ問題特集となっている。先月号の特集が「新型コロナウイルス問題を考える」だったが、今月号は「新型コロナウイルス問題があぶり出したもの」。今までは見えなかった、あるいは目につきにくかった諸問題が、このコロナ禍の中であぶり出されている。まずは、目を背けずに見つめなければならない。

巻頭論文が金子勝氏の「新型コロナウイルス対策はなぜ失敗するのか」。筆者は、住専破綻に端を発した金融危機や福島第1原発事故に典型的に見られるように、日本社会はリスク対応能力を欠いた無責任社会であるとし、今回のコロナ危機にも、適切な対応ができていないという。日本のコロナウィルス対応を失敗と断定して、クルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号」事故以来の政府の対応を分析する。その上で、「危機管理の鉄則を踏まえた抜本的なコロナ対策こそが、最大の経済政策になる」という。

次いで、コロナ感染の拡大によってあぶり出された医療の脆弱性が、医療者からの2本の論文によって明らかにされる。これまで、政策的に医療は質も規模も脆弱化させられてきたのだ。

子どもの発達成長権から見た教育も脆弱なのだ。政治的思惑から学校が全国一斉の休校となって、子どもの環境における経済格差が教育格差となっている実態が語られている。

コロナ禍の中では、公文書の作成・保管もおろそかになっている。専門家会議の議事録はいまだ作成されていない。

そして、ドイツ・フランス・イタリアからの報告である。各国とも、真摯な議論をしていることがよく分かる。

さらに、各界各現場から「『新型コロナ問題』から見えてきたもの」の寸評をいただいた。この深刻な事態だからこそ見えてきた様々な問題、とりわけ、この「危機」から生じた社会的弱者への深刻な被害のしわ寄せは看過しがたい。敢えて、お一人の原稿字数を800字に抑えての凝縮したコメント。読者の関心に応える貴重なものとなっている。

なお、「あなたとランチを〈番外編〉」は、「美魔女は法民に乗って?」と題して、33年間「法と民主主義」の編集に携わってきた林敦子さんのインタビュー。この間、1号の欠落もなく「法と民主主義」を作り続けてきたことが、どれほどたいへんなものだったのか、その片鱗が語られている。

そのほか、特別報告が2本。「黒川弘務元東京高検検事長の定年延長と検察庁法改正案問題 ─ 問題の本質と廃案までの経過」「法律家662名が安倍首相を刑事告発 ― 政治資金規正法違反・公職選挙法違反」

以上、読み応えは十分と思う。

ホームページはこちら。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html

そして、ご注文はこちらから。よろしくお願いします。
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特集●新型コロナウイルス問題があぶり出したもの

◆特集にあたって ……… 編集委員会・丸山重威
■日本はなぜ間違ったのか
◆新型コロナウイルス対策はなぜ失敗するのか ……… 金子 勝
◆医療政策の大転換を─ショックドクトリンの向こうへ─ ……… 吉中丈志
◆新型コロナ危機、なぜ日本の医療は、脆弱な実態をさらけ出したのか ……… 本田 宏

■基本的人権とコロナ緊急事態── 欧州各国に学ぶ
◆ドイツにおける新型コロナウイルス感染症への対応 ……… 奥田喜道
◆フランスの緊急事態における権力の統制 ……… 植野妙実子
◆期間限定と比例性の原則── イタリアからの報告 ……… 高橋利安

◆緊急事態時における公文書は誰のものか? ……… 榎澤幸広
◆新型コロナウイルス感染症の拡大と子どもの権利 ……… 世取山洋介
◆「新型コロナ問題」から見えてきたもの
前川喜平/鈴木敏夫/大久保賢一/原 和良/笹渡義夫/二平 章/伊賀興一/青龍美和子/大竹 進/菊地雅彦/長谷川京子/笹本 潤/長谷川弥生/原いこい/浪本勝年/金 竜介/岩崎詩都香

*  *  *  *  *  *

◆連続企画●憲法9条実現のために〈30〉
新型コロナと在日米軍、日米地位協定 ……… 布施祐仁
◆特別報告
黒川弘務元東京高検検事長の定年延長と検察庁法改正案問題
── 問題の本質と廃案までの経過 ……… 大江京子
◆特別報告
法律家662名が安倍首相を刑事告発
──政治資金規正法違反・公職選挙法違反 ……… 米倉洋子
◆メディアウオッチ2020●《コロナ危機・余聞》
逃走する政治、問われるメディア、そして電通
国会閉幕、「火事場」に問題は錯綜 ……… 丸山重威
◆あなたとランチを〈番外編〉
美魔女は法民に乗って? ……… 林 敦子さんインタビュー×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈No.25〉
コロナ禍の最中にも憲法審査会開催に固執する自民党・公明党・日本維新の会 ……飯島滋明
◆書評●道理の通る国をめざしての刑事弁護六〇年余
── 石川元也著『創意─事実と道理に即して 刑事弁護六〇年余─』(日本評論社) ……… 加藤文也
◆インフォメーション
◆時評●子育て・教育の行方?暴言・暴力の威力(弊害) ……… 村松敦子
◆ひろば●マイナンバー利用の失態と懲りない策動 ……… 奥津年弘

野蛮の跳梁が文明を圧殺した、香港の現状を憂うる。

(2020年7月2日)
有史以来の人類の歩みは、野蛮から文明への進化であった。もっと正確には、人類は、野蛮を排して文明を構築しようと努力を積み重ねてきた。もちろん、歴史が一直線に進化してきたわけではなく、これが法則という論証などできようもない。ときに、その逆流を見せつけられて暗澹たる思いを噛みしめることがある。30年前の天安門事件がそうだったし、香港で今進行している事態が同じ出来事である。

野蛮を象徴するものは何よりも暴力である。また、暴力にもとづく独裁であり専政でもある。文明を象徴するものは何よりも非暴力である。また、暴力に基づかない民主政であり、人権の思想である。

6月30日まで、香港は文明の圏内にあった。不完全ながらも、自由と民主主義と人権の享受が保障される世界であった。その深夜、突如として圏境を越えて野蛮が押し入って来た。一夜明けた7月1日の香港は、文明が圧殺されて野蛮に占領された別世界と化した。

何よりも重要な政治的言論の自由が失われ、民主主義と人権は逼塞した。代わって、剥き出しの権力が大手を振って闊歩する専政と弾圧国家の一部となったのだ。これは、資本主義と社会主義との対立などでは断じてない。まさしく、文明が野蛮に蹂躙された図なのだ。

民主主義の要諦は、人民の人民による人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)と定式化される。「人民による人民のための政治」(government by the people, for the people)の意は分かり易いが、「人民の政治」(government of the people)は、やや分かりにくい。分かりにくいが、これこそが民主主義の神髄だという。

「人民の政治」(government of the people)のof は、同格を表す前置詞。つまり、(government = the people)であって、治める者と治められる者とが同格で同一であること、「自同性」を意味するのだと説かれる。

7月1日以来、香港人民の治者は北京政府であり中国共産党となった。ここには、治者と被治者の自同性も、同格性も同一性もない。暴力に基づく抑圧者と非抑圧者の関係があるのみ。ここには、民主主義の片鱗もない。

文明は、長い年月をかけて人権思想を育んできた。人権を権力の恣意から擁護しようと、法の支配という原則を作り、権力分立というシステムを作り、司法の独立を守り、罪刑法定主義を世界のスタンダードとしてきた。

その香港の文明は、一夜にして潰えた。今や、野蛮が跳梁する様を見せつけられるのみ。

昨日(7月1日)の香港では、文明の側に属する1万の民衆が、野蛮の中国政府に抗議するデモに立ち上がった。参加者は恐怖心を振り払って、「国安法という悪法を恐れず、中国共産党の独裁に抵抗する」「天が共産党を滅ぼす」「今こそ革命の時だ」―、さまざまなプラカードを手にした市民が声を上げながら行進したと報じられている。その心意気には感動せざるを得ない。

しかし、機動隊は真新しい紫色の警告旗をデモ隊に見せつけた。「国家分裂や中央政権転覆に該当し、国安法違反罪で逮捕される可能性がある」。そして「香港独立」と記した旗を手にした男性がその場で逮捕された。逮捕者は300人余に及んだという。

デモ行進も「香港独立」のプラカードも、文明世界では表現の自由として保障される。しかし、野蛮の世界と化したこの地では許されないのだという見せしめ。文明と野蛮のはざまで、人は揺れ悩む。「怖いが、怒りを我慢できず、ここ(デモ)に来た」という学生の声は、事態の深刻さだけでなく、希望の芽も語っているのではないか。

この歴史の逆流を目の当たりにして、小さくても精一杯の批判の声を積み上げていこうと思う。

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