(2020年8月21日)
本日(8月21日)の産経社説が、「【主張】国民民主の解散 政策や理念は置き去りか」という表題。「政党とはかくも軽い存在だったのか。」「『選挙とカネ』目当てで離合集散を繰り返す野党の動きは目に余る。一体誰のために議員バッジを着けているのか。」というのが書き出しで、ポイントは次の一節。
「共産党との協力を拒否してきたのはどこの政党か。それが、共産党との協力も厭わない立民に合流する。有権者からは、合流後の立民が左派色を強めて先祖返りするとみられるのではないか。」
https://www.sankei.com/column/news/200821/clm2008210003-n1.html
要するに、「『反共』というこの上ない重要な理念を置き去りにしてはならない」という余計なお世話である。産経が代表する右派勢力の、野党勢力結集への嫌悪感や恐れが滲み出ていて、大いに参考になる。その筆法を借りて、現政権を批判してみたい。
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【主張】臨時国会召集要求の無視 かくも露骨に憲法を無視するのか
総理とは政権とは、そして与党とは、かくも身勝手な存在だったのか。
コロナ禍のさなかダンマリを決めこむ安倍首相とこれを支える内閣。そしてこんな政権に一言の批判も発しようとしない自・公の与党。陣営にとっての利益と不利益の計算しか眼中にない、この政権の動きは目に余る。一体誰のために議員バッジを着けて、録を食んでいるのか。
7月31日、立憲民主、国民民主、共産、社民の4野党は、憲法53条の規定に基づく臨時国会召集の要求書を提出した。憲法53条後段が「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、(臨時国会の)召集を決定しなければならない」と定めている以上、内閣が臨時国会召集の義務を負うことが明らかである。にもかかわらず臨時国会召集に向けて、いっこうに動こうとしない政府与党。
自・公の与党も内閣も安倍首相も、憲法を大切にしようという考えを持ち合わせてはいないのだろうか。野党からの臨時国会召集の要求から開会まで、事務手続上の一定の時間を要することは、頭から否定しない。
だが、常識的な必要時間を超えての怠慢はとうてい評価しえない。これは、主権者たる国民に対する背信行為にほかならない。主権者国民は憲法を確定して、全ての公務員にその遵守を命じている。与党の国会議員も、内閣も、内閣総理大臣も、憲法遵守義務を負う。
内閣は、憲法53条に明示された憲法上の義務である「国会の臨時会の召集」を決定しなければならない。多くの人々からこのことを指摘されながら、ネグレクトし続けているのだ。その内閣を率いる首相の責任は重大である。この内閣の母体となっている与党の責任も免れない。主権者国民からは、総理大臣も内閣も与党議員も、そののすべてが憲法を遵守する姿勢をまったく欠いているとみられて当然ではないか。
国民からの信頼を回復し、健全な立憲主義政治を取り戻すためには、まずは、臨時国会召集を決定して、憲法をないがしろにする姿勢を清算することが先決だろう。
安倍首相のダンマリは異様である。このところの安倍政権の内政・外交政策の破綻ぶりは、目を覆わんばかりである。この臨時国会召集懈怠は、失政隠しとみられないか。
見過ごせないのは、ささやかれる解散総選挙の行方だ。自民党の敗北確実と予想されているが、野党の要求に応じて臨時国会を開けば、安倍政権の失政が追及されて次々とボロが出て来ることとなり、総選挙の大敗をきたすことを恐れているのであろうか。だとすれば、憲法遵守の大原則よりも、「選挙とカネ」を目当てで、国会を開かないとしているのだ。この利己的な姿勢は目に余る。一体誰のために議員バッジを着けているのか。
今回の首相のダンマリと政権の無為無策無能と臨時国会召集拒否が連動していることを、主権者国民はすでに見透かしている。内閣は、責任を取って、総辞職してはどうか。
(2020年8月20日)
カジノの建設が、アベ政権経済政策の目玉のひとつとなっている。情けない経済政策ではないか。カジノとは賭博以外の何ものでもない。賭博とは、互いに相手の金をむしり合うゲームである。ゲームに加わるのは人の不幸をもって我が利益にしようというさもしい連中。賭博は金のやり取りをするだけで何の利益も生み出さない。よい齢をした大人が目の色を変えて金のやり取りにうつつを抜かす。これこそ「生産性に欠け」、怠惰と頽廃を生み出す。そのゲームに投じられる莫大な金額が人の目を眩まし、社会を歪める。そして結局は胴元が金を吸い上げるだけの装置なのだ。歪んだ政権の歪んだ政策と言うほかはない。
もちろん賭博は刑法上の犯罪である。アベ政権は、実質的に社会に犯罪を煽り犯罪の蔓延によって経済を振興しようとしたが、カジノの建設が実現する以前に身内から収賄犯罪者を出した。秋元司である。彼は、アベ政権の「国土交通副大臣兼内閣府副大臣兼復興副大臣」だった。カジノ建設担当副大臣と言ってよい。その彼が、中国企業「500ドットコム」側から、賄賂を受け取っていたとして逮捕され起訴された。公訴事実は、衆院議員会館で300万円の現金を受け取ったほか、シンポジウムでの講演料や旅費など計約760万円相当を賄賂として受け取ったということ。
収賄の金額は760万円程度だが、これが全部かどうかは疑わしい。彼は、昨年(2019年)12月25日早朝、毎日記者の携帯電話に電話をかけ「はした金はもらわねえよ。あり得ねえよ。ほんとばかたれ」「1億、2億なら別だが俺は正面から堂々ともらうんだから」「地検ははしゃぎすぎだ。こんなことで身柄拘束しやがって。徹底して戦ってくるわ」と宣って、その日のうちに逮捕となった。760万円程度のはした金にご不満だったようなのだ。
その彼が起訴となり、2月12日に保釈となった。保釈保証金は3000万円と報道されている。相当な金額と言ってよい。証拠隠滅行為を疑われれば、保釈は取消され、保釈保証金は没取(業界では、ボットリと読む)される。通常、3000万円は惜しい。よもやそんなことはあるまい、と思う。ゴーンの件もそうだったが、この世界には「よもやそんなこと」が結構頻繁に起こるのだ。
本日(8月20日)、保釈されていた秋元が再逮捕されたとの報道である。被疑罪名は、組織犯罪処罰法違反(証人等買収)。当然に保釈は取り消され、3000万円は没取となるだろう。これは、落ち目のアベ政権に小さくない衝撃となる。あらためて国民は、アベ政権というものの薄汚さを再確認しなければならないからだ。
組織犯罪処罰法7条の2の「証人等買収」罪は、結構面倒な規定だが、「自己又は他人の刑事事件に関し、証言をしないこと、若しくは虚偽の証言をする…ことの報酬として、金銭その他の利益を供与し、又はその申込み若しくは約束をした者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。」というもの。
秋元逮捕の被疑事実は、「自分の刑事事件で、贈賄側に虚偽の証言をすることの報酬として計3千万円を渡そうとした」ものと報道されている。また、贈賄側にうその証言をするよう働きかけたとして同容疑で逮捕された淡路明人が「秋元議員から証人買収を依頼され、指示を受けた」との趣旨の供述をしているという。
多くの人名が出てきて分かりにくいが整理してみよう。
(1) 主事件は贈収賄である。主役は収賄側の秋元司。脇役が、贈賄側・中国企業「500ドットコム」の紺野昌彦と仲里勝憲の二人。なお、贈賄側2被告の公判は、収賄側とは分離して8月26日に第1回が予定されている。
(2) 派生事件が証人買収で、買収を持ちかけた側が、秋元司、淡路明人、佐藤文彦、宮武和寛の4人である。いずれも逮捕されたが、実行行為は佐藤が紺野に、宮武が仲里に働き掛けたという。紺野・中里は供与された現金を受け取っておらず逮捕されていない。
秋元は、衆院解散当日の2017年9月28日、議員会館の事務所で、IR参入を目指していた中国企業「500ドットコム」元顧問の紺野と中里の2人から現金300万円を受け取ったとされる。秋元は授受を否定し、贈賄側の両被告は公判でも起訴内容を認める方針とみられている。そこで、「9月28日は秋元議員に会っていなかった」と証言の依頼をしたということなのだ。買収資金は、最初は1000万円、次いで用意した現金2000万円を見せての話となり、最終的に3000万円の約束が持ちかけられたという。
立憲民主の安住国対委員長がこう述べている。
秋元議員に対しては、「司法手続きをゆがめるようなことをやったとなると、国会議員としては絶対にあってはならないことなので、即刻、議員辞職に値する。本人がみずから辞めないのであれば、議員辞職勧告決議案を出そうと思っている」
また、「自民党は秋元氏の処分をしないまま離党を認め、安倍総理大臣は、内閣府の副大臣に任命した経緯があり、総裁と総理としての2つの責任がある」。まったく、そのとおりである。
さらに、こんな問題も派生している。証人買収を持ちかけた側の中心に位置するのが、淡路明人である。秋元議員の支援者で会社役員とされるが、マルチ企業「48(よつば)ホールディングス」の元社長。同社は2017年10月に消費者庁から特定商取引法違反で取引停止命令を受けている。以前から、赤旗の報じるところだが、安倍晋三首相や妻の昭恵と接点があり、首相と近いことをマルチの宣伝に使っていた。「安倍さんや菅さんとツーショットを撮れるような立派な人がクローバーをやっている」とのイメージは、強力な“荒稼ぎ”の武器とされた。同社は16年9月17年6月までの10カ月間で192億円以上を“荒稼ぎ”しているという。
この機会に思い起こそう。安倍政権というものの実態を。その数々の腐敗と汚れた歴史を。
(2020年8月19日)
日本遺族会は、本年8月6日内閣総理大臣安倍晋三宛に、下記「靖国神社への参拝のお願い」なる要請書を提出した。その要請は実現しなかったが、靖国神社問題についての右派の言い分が良く表れている。これにコメントを付す形で、彼我の主張の対峙を確認しておきたい。
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安倍晋三内閣総理大臣の靖国神社への参拝のお願い
安倍晋三内閣総理大臣におかれましては、戦没者遺族に係わる諸問題につきまして、平素より格別のご高配を陽り、衷心より感謝申しあげます。
新型コロナウイルスの世界的蔓延により、未曽有の危機的状況の中、我が国においても感染拡大防止に懸命の努力が続けられております。
さて、本年は終戦から七十五年の節目の年であります。
安倍内閣総理大臣は平成二十五年十二月、靖国神社に参拝され、英霊に感謝の誠を捧げられました。正に信念を貫かれ、毅然とした態度で参拝されたことに対し、戦没者遺族は等しく感謝をいたしました。
(澤藤コメント 仰るとおり、2013年12月26日安倍晋三首相は靖国神社を参拝しました。公用車で乗りつけ、「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書を記帳してその名義で献花し、昇殿参拝したものです。この日、首相は「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、み霊安らかなれとご冥福をお祈りした」との談話を発表し、「在任中参拝を続けるか」との記者の質問には「今後のことについて話をするのは差し控えたい」と答えてもいます。予想されたとおり、この首相参拝に対する内外からの批判は凄まじく、安倍首相の靖国神社参拝は後にも先にも、これ1回だけでした。安倍晋三という右派の人物にして、靖国神社参拝は一回こっきり。繰り返すことは無理なのです。敢えて繰り返せば、政権がもたないのです。)
靖国神社には、かつての大戦で国の安泰と平和、そして家族の幸せを願って尊い生命を国家のために捧げられた二百四十六万余の御霊が祀られております。
(さあ、本当にそうでしょうか。納得し得ない2点を指摘せざるを得ません。
第1点は、靖国に祀られているとされる戦没者は、本当に「国の安泰と平和、そして家族の幸せを願って尊い生命を国家のために捧げられた」のでしょうか。そのような方もいらっしゃったことは否定しません。しかし、多くの方々は、国家によって心ならずも徴兵され、その意に反して武器を持たされ、死地に赴くことを強いられたのではないでしょうか。自ら、国家のために命を捧げた、などと簡単に言ってはならないと思います。
第2点は、招魂の儀式を経て246万余柱の戦没者の霊魂がこの神社に祀られているというのは信仰の次元のお話しです。正確には「私たちは、靖国神社には246万余柱の戦没者の御霊が祀られていると信じています」と仰るべきではないでしょうか。そのような信仰をもたない他者が口を差し挟む余地はありません。しかし、信仰の次元を超えて、世俗の世界に対して「祀られております」と断定されることには、強い違和感を禁じえません。
戦没者遺族の大多数は肉親の死を看取ることなく、遺骨すら受領していません。戦没者はたとえ肉体はくちても己の御霊は靖国神社に還ることを固く信じて散華されました。
(「戦没者遺族の大多数は肉親の死を看取ることなく、遺骨すら受領していません。」と仰ることには強く共感いたします。戦没者は国家に理不尽な死を強制されただけでなく、死後にも不当な仕打ちを受け続けているのです。この点については、必ずや国民の大多数が戦没者遺族とともに国に対する怒りを共有することになるのだと思います。
しかし、「戦没者はたとえ肉体はくちても己の御霊は靖国神社に還ることを固く信じて散華されました」は、とうてい信じがたいことと言わざるを得ません。遠い異国で没した犠牲者は故国と故郷を偲び、暖かいご家族のもとに帰りたいと願ったに違いありません。どうして、靖国神社に還りたいなどと思うことがありましょうか。もし、本当にそんな思いを抱いた戦没者がいたとすれば、哀れな洗脳教育の被害者というほかはありません。戦後75年、いまだに戦没者を欺し続けてはならないと思います。)
また、遺族も御霊は靖国神社に必ず還っておられると信じて今日まで慰霊追悼を行ってまいりました。故に、我々戦没者遺族は靖国神社こそが我が国唯一の戦没者と遺族を繋ぐ追悼施設であると確信しております。
(宗教は多様です。死者の霊魂が存在するという宗教もあり、否定する宗教もあります。優れた死者の霊魂が神になるという信仰も、非業な最期を遂げた死者の霊の祟りを恐れる宗教もあります。しかし、国家が戦争による死者を護国の神として祀るという、靖国の教義は特異な国家宗教と考えるべきでしょう。ご遺族が、今日なおこのような国家宗教を信仰し、「御霊は靖国神社に必ず還っておられると信じて」おられるということは常識的には信じがたいところです。)
英霊が眠る靖国神社に、国の代表である内閣総理大臣が、靖国の御霊に敬意を表し、感謝することは極めて当然であり、自然なことであります。現に世界のいずれの国においても国家のために犠牲となられた戦没者は、その国の責任において手厚く祀られております。
(靖国神社に「英霊」が眠るということが、既に信仰の世界のお話し。これを世俗の世界に持ち出してはなりません。同じ信仰を持つお仲間で慰霊追悼をお願いいたします。「国の代表である内閣総理大臣が、靖国の御霊に敬意を表し、感謝すること」は決して、当然でも自然なことでもありません。むしろ、真っ当な条理からも憲法からも、内閣総理大臣に厳重に禁止されていることで、とうてい許されることではありません。世界のいずれの国においても国家のために犠牲となられた戦没者を特定の宗教団体が神として祀るという例は、少なくも近代国家ではあり得ないことです。)
しかしながら我が国では、内閣総理大臣の靖国神社参拝はひとえに時の総理の決断に左右されているのが現状であります。そうした中、安倍内閣総理大臣は、堂々と靖国神社に参拝されました。また、靖国神社の春秋の例大祭には大真榊を、さらには、八月十五日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」には玉串料を泰納されておられます。我々戦没者遺族にとっても大変有難く、重ねて深謝申しあげます。
(内閣総理大臣の靖国神社参拝も、もちろん天皇の参拝も、日本国憲法の政教分離原則に反する、憲法違反の違法行為なのです。どうして日本国憲法が厳格な政教分離原則をつくったか、それはまさしく靖国の思想を否定するためと言ってよいと思います。天皇の神社靖国は、軍国神社でありました。国民を戦争に駆りたて、天皇のために戦って死ねば靖国に神として祀られる最高の栄誉を得ることができる。小学校から、そう教え込んだのです。戦死者は、侵略戦争に邁進して国民を危険に巻き込んだ国家の犠牲者ではありませんか。国民を戦争に駆りたてて犠牲を強いた「天皇の国家」は亡び、新しい「国民の国家」に生まれ変わったのです。その新しい国家の基本原則として、靖国という軍国の宗教を、完全に国家から切り離した宗教法人とし、一切の国との関わりを禁じたのです。それが、戦前の軍国主義の復活を許さず、再び日本を戦争させない国とする重要なブレーキとなっているのです。)
国の代表である内閣総理大臣の靖国神社参拝の定着こそが、国の安寧と繁栄を願って犠牲となられた戦没者に対して応える唯一の道であり、戦没者遺族はその実現を心より願っております。
(それは、真逆なお考えです。国の代表が特定の宗教と結びつくようなことがあってはならないのです。とりわけ、国民の戦意昂揚のための軍国神社と関わるようなことは許されないのです。戦没者は、靖国に煽られて尊い命を失った、誤った国策の犠牲者ではありませんか。再びの靖国と国家との結びつきを喜ぶはずはありません)
故に日本遺族会は、総理並びに閣僚の皆様には靖国神社に、また、知事及び遺府県議会議長には護国神社に参拝いただくよう、引き続き運動を推進してまいる所存でございます。
(それは、違憲・違法な運動を推進するということです。決して、心ある国民の賛意を得ることにはなり得ません。むしろ、過ぐる大戦で日本軍の侵略の被害を受けた近隣諸国の民衆や、民間戦争被害者と連帯して、国家の行為によって再び戦争を起こしてはならないという運動に方向を転換すべきではないでしょうか。それこそ、平和を実現する礎となり、戦没者の真に願うところではないでしょうか)
今日の我が国の平和と繁栄のために、二百四十六万余の尊い生命が礎となられたことを決して忘れてはなりません。安倍内閣総理大臣におかれましては、外国の干渉などに屈することなく、この節目の年に、我が国を代表して、堂々と靖国神社へ参拝していただき、英霊に尊崇と感謝の誠を捧げていただきますよう心からお願い申しあげます。
(日清戦争以来、日本軍は外征して戦争を繰り返しました。外国を「日本の生命線」として、侵略戦争に明け暮れたのです。その侵略戦争が続く間、日本の軍国主義の精神的支柱となった靖国神社に、内閣総理大臣が堂々と参拝するようになったら、近隣諸国が日本を再び危険視することになるでしよう。遺族会は、かつては靖国神社国営化にこだわりましたが、今そんなことは忘れられています。公式参拝要請も止めませんか。一部の政治家の煽動に乗るだけのこと。戦没者にも遺族にも益のないことではありませんか。再びの戦争や軍国の復活を許さず、揺るがぬ平和を打ち立てることこそ、真に戦没者の犠牲を活かすことであり、確かな戦没者への追悼の在り方ではないでしょうか。)
令和二年八月六日
一般財団法人 日 本 遺 族 会
会 長 水落敏栄
内閣総理大臣安倍晋三殿
(2020年8月18日)
例年8月15日は、人々がそれぞれに過去の戦争と向き合う日である。戦争の悲惨さや愚劣さを思い起こし、語り継ぎ、語り合うべき日。そして、再びの戦争を繰り返してはならないとの真摯な誓いを新たにすべき日。が、なかにはまったく別の思惑をあからさまにする人々もいる。
今年の8月15日、靖国神社境内で恒例の「戦没者追悼中央国民集会」が開催された。「英霊にこたえる会」と「日本会議」との共催である。産経の伝えるところでは、この集会において「天皇の靖国参拝実現に向け、首相や閣僚の参拝の定着を求めたい」「ところが、安倍首相は2013年以来今日まで参拝をしていない」「首相はすみやかに靖国を参拝して天皇親拝への道を開くべきである」と声が上がったという。
そのアベ晋三、内心は靖国に参拝したいのだ。なぜ? もちろん、票になるとの思惑からである。今日の自分の地位を築いてくれた右翼勢力の願望だからでもある。右翼への義理を欠いては、明日の自分はないとの思いが強い。
しかし、右翼のいうことばかりに耳を貸していたのでは、真っ当な世論に叩かれる。国際世論も国内世論も靖国にはアレルギーが強いのだ。なぜ? 靖国こそは軍国神社であり戦争神社だからである。平和を希求する場としてふさわしい場ではない。いうまでもなく、アベの本性は親靖国にある。しかし、それでは日本国憲法下の首相は務まらない。両者にゴマを摺る手管が必要となる。
そこでアベは、またまた近年定着している姑息な手を使った。自分では参拝しないのだ。内外の世論には「参拝見送り」と妥協した姿勢をアピールする。一方、代理人に参拝させて玉串料を奉納し、右翼勢力には「現状これで精一杯」とアピールする。その姑息なやり方が、今両者からの不満を呼んでいる。
内閣総理大臣の「代理参拝・玉串料奉納」が、政教分離原則(憲法20条1項後段、同条3項)違反である疑いは限りなく濃厚である。しかし、これを法廷で裁く有効な手続き法上の手段に欠けるのだ。ことは、政治的に解決を求められている。
既述のとおり、右翼勢力の願望は「首相や閣僚の参拝定着を露払いとして、天皇の靖国親拝を実現に道を開く」ことにある。ところが、首相の参拝もままならないのが現状。そこに、閣僚の中から4人が、「8・15靖国参拝」を買って出た。高市早苗(総務相)、萩生田光一(文科相)、衛藤晟一(沖縄北方担当相)、小泉進次郎(環境相)である。これこそ、右派の鑑、右翼の希望である。名うての右派と並んだ小泉進次郎が話題となり、またまた、真っ当な世論からは叩かれてブランドイメージを失墜することとなっている。
そこで考えたい。靖国とは、いったいなんなのだ。
靖国とは、まずは何よりも「天皇の神社」である。近代天皇制を創出した明治政府が、天皇制の付属物として発明した新興の宗教施設なのだ。幕末の騒乱や戊辰戦役で戦死した官軍側将兵の「魂」を祭神とする急拵えの「創建神社」として出発し、やがて対外戦争で天皇のために戦死した皇軍将兵に対する特別の慰霊の場となった。戦死者を生み出した戦役の都度、新祭神の合祀のための臨時大祭が行われ、勅使ではなく天皇自身の親拝が例とされた。九段の母たちは、亡くなった我が子に拝礼する天皇の姿に感涙したのだ。
そして、靖国とは「軍国神社」である。軍国とは、戦争の完遂を最重要の目的とする国家のことだから、軍国神社は「戦争神社」でもある。軍国神社としての靖国は、宗教的軍事施設でもあり、軍事的な宗教施設でもあった。靖国の宮司は陸海軍大将が務め、その境内の警備は警察ではなく憲兵が行った。皇軍の将兵ばかりでなく、学生も生徒も靖国参拝を強いられた。無名の国民も、軍人となり戦死することで神にもなれるのだ。こうして靖国は、国民を軍国主義の昂揚に駆りたてる精神的支柱となった。
さらに靖国は侵略神社でもあった。大日本帝国は、武力をもって、台湾・朝鮮・満州と侵略を進め、やがて中国本土をも戦場にする。その戦争拡大にいささかなりとも疑義を呈することは、「護国の英霊」を侮辱するものとして許されなかった。侵略戦争を正当化しこれに反対する者を黙らせる装置として作動した。戦後の今もなお、靖国のその姿勢に変化はない。
また、戦前の靖国は、国民に対する戦意高揚の道具でもあった。修身(小4)では、「靖国神社には、君のため国のためにつくしてなくなった、たくさんの忠義な人びとが、おまつりしてあります」「私たちは、天皇陛下の御恵みのほどをありがたく思うふともに、ここにまつられてゐる人々の忠義にならって君のため国のためにつくさなければなりません」と教えられた。戦後、宗教法人となった靖国神社は、「信仰における教義」としてこの考え方を維持している。天皇が命じた戦争は聖戦であり、聖戦に殉じることは国民の最高道徳である。これが、今にしてなお払拭できていない「靖国の思想」の根幹である。
最も厄介なことは、靖国神社は一定の民衆の支持を得ているという点にあり、その民衆の支持のあり方が不正常なのだ。本来、戦没者は国家の誤った政策の犠牲者である。天皇の戦争に駆りだされ、天皇の命令で死地に赴いた戦没者は、天皇を怨んで当然である。ところがそうなつていない。
遺族にとっては、どのような形でも戦死者を忘れられた存在にしたくない。無意味な戦争での犬死であったとされることはなおさらに辛い。靖国が、戦死を「聖戦の犠牲」「祖国の大義に殉じた名誉の戦死」と意味づけ、死者を賞讃して厚く祀ってくれることは、この上なく有難いことなのだ。靖国は「英霊」を尊崇する場である。皇軍の将兵の死にだけ奉られた「英霊」という美称が心地よい。そのような遺族の耳には、侵略戦争論、天皇の戦争責任、皇軍の加害責任、日本の不正義の論調は入りにくい。しかも、靖国に祀られることと、軍人恩給を受給することとは重なるように制度の運用がなされてもいる。靖国こそは、最強のマインドコントロール装置というべきである。
戦没者遺族の心情に配慮して靖国批判は慎むべきだという意見がある。しかし、批判を慎んでいるだけでは、靖国に取り込まれた遺族の意識の変化を期待することはできない。マインドコントロール解除の努力を積み上げていくしかない。とりわけ、首相や閣僚の靖国参拝には批判が必要である。
政教分離の眼目のひとつは天皇を神とする儀式の禁止にあるが、もう一つが、政府と靖国との接近・癒着の禁止にある。首相や閣僚の靖国参拝や玉串料奉納は、中国や韓国との外交上の配慮から政策的に禁止されているというものではない。わが国民が過ぐる大戦の惨禍を繰り返すまいとして確定した日本国憲法が命じているところなのだ。
韓国外務省報道官は、4閣僚の靖国参拝に対し「深い失望と憂慮を表明する」「日本の責任ある指導者らが歴史に対する心からの反省を行動で示してこそ、未来志向的な韓日関係を構築し周辺国や国際社会の信頼を得られる」との声明を発表した。
このコメントでは、「歴史に対する心からの反省を示す行動」の真逆の行動として閣僚の靖国参拝が語られている。被侵略国からの指摘として、重く受けとめなければならない。
公 開 質 問 状
2020年8月17日
関東弁護士会連合会
理事長 伊藤茂昭殿
質問者 別紙に記載の弁護士 計65名
私たちは、関東弁護士会連合会傘下の単位会に所属する弁護士の有志です。
連合会執行部におかれては、弁護士・弁護士会の使命に則り会務に精励しておられることに謝意を表します。
とりわけ、昨年9月の第66回定期大会(新潟市)における、「日本国憲法の恒久平和主義と立憲主義を尊重する立場からの決議」や、本年5月11日の「東京高検黒川弘務検事長の勤務延長閣議決定の撤回を求め、検察庁法改正案に反対する緊急理事長声明」など時宜を得た機敏な見解の表明には深甚の敬意を惜しまないところです。
しかし、連合会が本年6月30日付で発行された「関弁連だより」(№272、2020年6月・7月合併号)の冒頭記事「関弁連がゆく」の内容が、極端な反憲法的姿勢や行動で知られる企業体を取りあげていることにおいて違和感を禁じえません。弁護士や弁護士会の在り方はけっして私事ではなく、優れて公的なものとして公益に適うものでなければならないと考えますが、問題の記事は、この点において連合会会報記事として決してふさわしいものではなく、弁護士会に対する社会的な信頼を傷つける恐れがあると疑義を呈せざるを得ません。
よって本状をもって、以下の質問を申し上げます。本書到達後2週間以内に、下記質問者代表の弁護士澤藤統一郎までご回答いただくようお願いいたします。
なお、本質問は、公開質問状として、質問とご回答を公表させていただきたいと存じますので、この旨ご了承ください。
記
第1 問題の記事の特定
本年6月30日発行の「関弁連だより」(№272、2020年6月・7月合併号)の冒頭に、「関弁連がゆく」と表題されたシリーズの第33回として、第1面及び第2面の全面を占める、「アパホテル株式会社 代表取締役専務 元谷拓さん」のインタビュー記事。以下、これを「アパホテル記事」といいます。
第2 質問事項
1 「関弁連だより」に「アパホテル記事」を掲載されたのは、どのような趣旨によるものでしょうか。その趣旨は、アパホテル記事のどこにどのように表現されているでしょうか。また、その趣旨が連合会の会報にふさわしいとお考えになった理由をお伺いいたします。
2 アパホテルの全室には「真の近現代史観」という表題の書籍が備え付けられていることで知られています。その書籍の内容は、「南京虐殺」も「従軍慰安婦強制連行」も事実無根であり、日本は謂れなき非難を受けて貶められているというものにほかなりません。
また、2008年以来、アパホテルグループは、「真の近現代史観」懸賞論文を募集しています。その第1回大賞受賞が当時現役の航空幕僚長・田母神俊雄氏の「日本は侵略国家であったのか」でした。以来、竹田恒泰氏、杉田水脈氏、ケント・ギルバート氏など日本国憲法の理念を否定する傾向をもつ諸氏が続き、アパホテルの強固な反憲法的姿勢のイメージを形作ってきました。
「関弁連だより」の編集者は、同「たより」に「アパホテル記事」を掲載するに際して、以上の事実をどう認識し、どう評価しておられたのでしょうか。
3 また、アパホテルグループの創業者で代表でもある元谷外志雄氏は、「我が国が自虐史観から脱却し、誇れる国「日本」を再興するため」として勝兵塾という政治塾を主宰しており、同塾の講師には多くの改憲派政治家が名を連ねています。さらに同氏は、憲法改正、非核三原則撤廃、核武装論者としても知られ、事業活動と言論(政治)活動とは相乗効果を発揮しており、今後も『二兎(事業活動と言論活動)を追う』と広言しています。
反憲法的な思想や行動と緊密に結びついたこのような企業を、弁護士会連合会の会報に無批判にとりあげることが適切とお考えでしょうか。
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(2020年8月17日)
本日、上記の公開質問状を、関弁連に郵便で発送した。
関弁連とは何か、アパホテル記事とは何か、については当ブログの本年7月5日付下記の記事をご覧いただきたい。
「不見識きわまれり、弁護士会広報紙にアパホテルの提灯記事」
https://article9.jp/wordpress/?p=15193
もちろん、全ての人には思想の自由も表現の自由もある。関弁連にも編集の権限がある。そのことは当然として、弁護士会の広報紙でアパホテルを取りあげることには大きな問題がある。
弁護士会は現行憲法の理念を遵守して人権と平和と民主主義擁護を宣言している。一方、アパホテルグループといえば、歴史修正主義の立場を公然化し、改憲の必要を説いて、非核三原則を否定し核武装総論者としても知られている。両者は、言わば水と油の関係にある。
その弁護士会が、あたかもなんの問題もないごとくに、アパホテルを取りあげては、世間に誤解を生む。アパホテルが変わったのか、あるいは弁護士会が変質したのか、と。
まさか、「関弁連だより」の編集者が、アパホテルについてなんの問題もない企業と考えていたわけではあるまい。どんな事情があって、あれだけのスペースを割いて改憲勢力の一角をなす企業の提灯記事を書いたのだろうか。まずは、礼を失することにないように、質問をしてみようということなのだ。
この公開質問状は、是非、転送・拡散をお願いしたい。関弁連からの回答あり次第、またお伝えする。
(2020年8月16日)
本日(8月16日)の毎日新聞朝刊を見て仰天した。毎日は、私の永年の愛読紙である。その毎日が一面トップで昨日の戦没者追悼式の模様を伝えている。大きな横見出しで「75年、平和かみしめ」。ここまでは、まあよい。驚いたというのは縦見出しで、「陛下、コロナ『新たな苦難』」である。なんだ、これは。
この記事のリードは、こうなっている。
天皇陛下は、式典でのおことばで新型コロナウイルスの感染拡大を「新たな苦難」と表現したうえで、「皆が手を共に携えて困難な状況を乗り越え、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願う」と述べられた。
天皇が新型コロナウイルスの感染拡大に言及した?。それがどうした。そんなことが、いったいどんな意味のあることだというのか。大新聞がとりあげるに値するニュースバリューのあることか。毎日新聞たるものが、「75年目の終戦記念日」の模様を伝える記事のトップの見出しに据えるとは、いかなる思惑あってのことだろうか。
毎日の見出しと記事は、あたかも天皇のこの短い発言を「畏れ多くもかたじけなくも、国民の苦難にまでお心づくしいただき、国民の先頭に立って国難を克服する決意をお示しになられた」と言わんばかりのおべんちゃら。毎日に、その思惑なければ、まんまと天皇の思惑に乗せられたことになる。いずれにしても、まともなジャーナリズムの姿勢ではない。
この記事を読んだあと、あらためて大見出しの「75年、平和かみしめ」を読み直してみる。はじめは、「75年続いた平和をかみしめ」ているのは、当然に国民だろうと思ったのだが、それは間違いだったか。もしや、「噛みしめ」の主語は3代の天皇なのではないのか。
こういう、メディアの天皇に対する阿諛追従は、民主主義や国民主権原理にとって、極めて危険である。産経ならともかく、毎日がこのような記事を書き、見出しを掲げる意味は小さくない。
政権批判には果敢な記事を書く毎日が、何故かくも天皇には無批判であり迎合的であるのか、まことに理解に苦しむところ。天皇の危険性に無自覚であってはならない。天皇の政治的影響力を最小限化するよう配慮すべきがメディア本来の在り方である。
毎日は、「天皇の言動は国民の関心事だから大きく扱わざるを得ない」「多くの国民が天皇に親近感ないしは尊崇の念を持っているのだから、天皇や皇室を粗略には扱えない」というのであろう。しかしそれは通じない。むしろ、天皇について「国民の関心」を煽っているのがメディアであろうし、天皇に親近感ないしは尊崇の念を吹き込んでいるのも、メディアではないか。
リベラル陣営の中にも、あからさまな天皇批判は控えるべきとする論調がある。「天皇の言動は、その平和を求める真摯さにおいて、あるいは歴史の見方や憲法擁護の姿勢において安倍政権よりずっとマシではないか。安倍批判の立場からは天皇批判を避けるべきが得策」というだけでなく、「天皇は国民の多くの層に支持を受けている。敢えて真正面からの天皇批判は多くの国民を敵にまわす愚策」というのだ。私は、どちらの論にも与しない。いま、真正面からの天皇批判が必要だと考えている。それなくして、個人の自律はあり得ない。
1973年の8月15日に、天皇(制)批判をテーマに、豊島公会堂で「8・15集会」が開かれたという。この集会の問題提起者の一人である「いいだもも」が次のように述べている。
「わたしは元来、天皇の悪口を言うのが三度の飯よりも好きで、それで喜び勇んで壇上に参加させていただいた次第です。」「差別の頂点としての天皇を「全国民的統合の象徴」としていただいたままの戦後の大衆民主主義体制は、差別・抑圧構造にほかならないのであって、そのようなものとしての民主ファシズム体制なのです。皇室民主化とか、天皇人間宣言とかによって、民主主義が進むとか全うされるとかいうことは、その出発点からして欺瞞であるにすぎない。天皇は天皇であるかぎり、現人神であるか、非人間であるほかないのであって、けっして人間の仲間入りをすることはできない。仲間入りさせてはならない。だからわたしは、天皇の人間宣言を受け容れることなく、天皇が天皇であるかぎり差別することこそが、真の人民の民主主義である、といつも言うわけです。」「象徴天皇(制)はこのようなものとして戦後民主主義支配体制の構成部分であり、戦後体制の動揺が深まるにつれて、今日、「元首化」の危険な動向をもつとめる形になってきている。」(わだつみ会編「天皇制を問い続ける」1978年2月刊・筑摩書房)
このとおりだと思う。メディアによる天皇・天皇制への阿諛追従を軽視して看過していると、次第に批判不可能な社会的圧力が形成されることになりかねない。権力に対しても、権威に対しても、常に必要な批判を躊躇してはならない。
(2020年8月15日)
8月15日。75年前の今日、「戦前」が終わって「戦後」が始まった。時代が劇的に変わった、その節目の日。天皇の時代から国民の時代に。国家の時代から個人の時代に。戦争と軍国主義の時代から平和と国際協調の時代に。そして、専制の時代から民主主義の時代に…。
その時代の変化は、「敗戦」によって購われた。「敗戦」とは、失われた310万の国民の生命であり、幾千万の人々の恐怖や餓えであり、その家族や友の悲嘆である。人類にとって、戦争ほど理不尽で無惨で堪えがたいものはない。敗戦の実体験をへて、国民は戦争の悲惨と愚かさを心に刻んで、平和を希求した。
再びの戦争の惨禍を繰り返してはならない。その国民の共通意識が、平和憲法に結実した。日本国憲法は、単に9条だけではなく、前文から103条までの全ての条文が不再戦の決意と理念にもとづいて構成されている。文字どおりの平和憲法なのだ。
以下のとおり、憲法前文は国際協調と平和主義に貫かれている。8月15日にこそ、あらためて読み直すべきある。
「日本国民は、…われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果…を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、この憲法を確定する。」(第1文)
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(第2文)
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(第3文)
とはいえ、日本国憲法を理想の平和憲法というつもりはない。この前文には、日本の加害責任についての反省が語られていない。そして、この戦争の被害・加害を作り出した国家の構造と責任に対する弾劾への言及がない。
「戦争の惨禍」という言葉は、戦争による日本国民の被害を意味する。政府と国民が近隣諸国に及ぼした、遙かに巨大な被侵略国の被害を含むものと読み込むことはできない。日清戦争以来日本が関わった戦争の戦場は、常に「外地」であった。敗戦の直前まで、「本土」は戦場ではなかったのだ。日本本土の国民にとって、戦争とは、外征した日本の軍隊が、遠い外国で行うものだった。その遠い外国に侵略した皇軍に蹂躙された近隣諸国の民衆の悲嘆に対する認識と責任の意識が欠けている。
また、日本の植民地支配・侵略戦争をもたらし支えた日本の国家機構が天皇制であり、その最大の戦争責任が天皇裕仁にあることは自明というべきである。にもかかわらず、日本国憲法は、その責任追及に言及することなく、象徴天皇として天皇制を延命してさえいる。敗戦の前後を通じ、大日本帝国憲法と日本国憲法の両憲法にまたがって、裕仁は天皇でありつづけたのだ。
国民を戦争に動員するために、聖なる天皇とはまことに便利な道具であった。神なる天皇の戦争が万が一にも不正義であるはずはなく、敗北に至るはずもない。日本男児として、天皇の命じる招集を拒否するなど非国民の振る舞いはできない、上官の命令を陛下の命令と心得て死をも恐れず勇敢に闘う。ひとえに陛下のために。天皇制政府はこのように国民をマインドコントロールすることに成功していたのだ。
3代目の象徴天皇(徳仁)が、本日全国戦没者追悼式に臨んだ。主権者国民を起立させての発言の中に、「過去を顧み、深い反省の上に立って」との一節がある。「過去天皇制が自由や民主主義を弾圧したことに顧み、その罪科の深い反省の上に立って」との意であれば立派な発言なのだが…。
また、同式典では、アベ晋三がいつものとおり、こう式辞を述べた。
今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。
この言い回しに、いつも引っかかる。「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたもの」とはいったいどういうことなんだ。
天皇のための死も、国家のための死も、死はまことに嘆かわしく虚しいものだ。これを「尊い犠牲」などと美化してはならない。天皇と政府は、戦没者とその遺族にひたすら謝罪するしかないのだ。特攻の兵士の死が、レイテで餓死した将兵の死が、東京大空襲や沖縄地上戦での住民の死が、何故「尊い犠牲」であろうか。全ては強いられた無意味な死ではないか。その死を強いた者の責任をこそ追及しなければならない。
(2020年8月14日)
誰の目にも、いま国会審議が必要である。新型コロナ対策が喫緊の重要課題である。審議すべきテーマは多岐に及んでいる。豪雨災害への対応も必要だ。イージスアショア計画の廃棄に伴って敵基地先制攻撃能力論などという物騒なものが浮上してきた。アメリカからの思いやり予算拡大要求問題も、中国の香港弾圧問題もある。
通常国会を閉じずに会期延長すべきところ、政権・与党は強引にこれを打ちきって臨時国会を開会しようとしない。そこで7月31日、立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党の野党4党は、憲法53条の規定に基づく臨時国会召集の要求書を提出した。
憲法第53条は、こう定めている。
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」
要求書の内容は「安倍内閣は、新型コロナウイルス感染症への初動対応を完全に誤り、『Go Toトラベル』に象徴される朝令暮改で支離滅裂な対応を続けて、国民を混乱に陥れているにもかかわらず、説明責任を果たしていない」というものと報道されている。しかし、問題はその内容の如何や正当性ではない。「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は臨時国会の召集を決定しなければならない」というのが憲法の定めである。安倍内閣の、憲法尊重の意思の有無が問われているのだ。
今のところ、安倍内閣には、憲法尊重の姿勢は見えない。このことを巡って、憲法学者や政治学者でつくる「立憲デモクラシーの会」が昨日(8月13日)、衆議院議員会館で記者会見し、厳しく批判する見解を表明した。記者会見するに出席したのは、中野晃一・上智大教授、石川健治・東大教授、高見勝利・上智大名誉教授、山口二郎・法政大教授の4人。
同見解は、憲法53条の条文設置の趣旨を、「国会閉会中の行政権乱用防止のため一定数の議員の要求で、国会を自律的に召集する制度を設けている」「憲法違反が常態的に繰り返されている」「内閣の準備不足などとして、召集時期を合理的期間を超えて大幅に遅らせるのは、悪意すら感じさせる」と厳しく指摘している。
6月10日、那覇地裁で「憲法53条違憲国家賠償請求事件」一審判決言い渡しがあった。同判決は、「内閣には通常国会の開催時期が近かったり、内閣が独自に臨時国会を開いたりするなどの事情が無い限り、「合理的期間内」に召集する法的義務を負うもので、単なる政治的義務にとどまるものではない」としている。しかし、7月末の野党の召集要求に対し、政府・与党は早期召集に応じない方針を示している。つまり、敢えて違憲を表明しているのだ。これは、15年と17年の前科に続いて、安倍政権3度目の憲法違反行為である。
政権のこうした姿勢について、石川健治・東大教授(憲法学)は、「憲法改正手続きを経ずに、53条後段の削除と同じ効果が生まれている」と危惧を呈したという。また、中野晃一・上智大教授(政治学)は、「言葉の言い間違いではなく、安倍首相が『立法府の長』であることが現実化しつつある」と述べたとも言う。なるほど、そのとおりである。
なお、下記のとおり、同見解では「憲法上重大な疑義のある『敵基地攻撃能力』が政権・与党内で軽々しく論議されていることも、現政権の姿勢を示すもの」と言及されている。安倍政権、問題山積ではないか。一日も早く臨時国会を開催せよ。
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立憲デモクラシーの会が8月13日発表した見解の全文は以下の通り。
安倍内閣の度び重なる憲法第53条違反に関する見解
2020年8月
新型コロナウイルスの感染拡大と経済活動の大幅な収縮に歯止めが掛からず国民生活が深刻な危機に見舞われるさなか、国会は閉じる一方で、来月にも国家安全保障会議で「敵基地攻撃能力」の保有に向けた新しい方向性を示す安倍晋三政権の意向が報じられている。
コロナ対策の当否など火急の案件だけでなく、国政上の深刻な課題が山積しているにもかかわらず、安倍首相は国会の閉会中審査に姿を現さず、記者会見もまともに開かず、何より憲法53条に基づく野党による臨時国会開催要求にさえ応じない。これは、主権者たる国民に対する説明責任を徹底して回避していると言わざるをえない。
そもそも憲法53条後段は、国会閉会中における行政権の濫用を防止する目的で、一定数の議員の要求により国会が自主的に集会する制度を設定したものであり、「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」とするのは、衆参どちらかの少数派の会派の要求がありさえすれば、国会の召集の決定を内閣に憲法上義務づけたものである。
また、議員からの召集要求があった以上は、召集のために必要な合理的期間を経た後は、すみやかに召集すべきであるとするのが学説の一致した見解であり、近年は政府でさえ「合理的期間を超えない期間内に臨時国会を召集しなければならない」(2018年2月14日横畠裕介内閣法制局長官答弁)と認めている。さらに、本年6月10日那覇地裁判決は、「内閣が憲法53条前段に基づき独自に臨時会を開催するなどの特段の事情がない限り、同条後段に基づく臨時会を召集する義務がある」とする。議員の要求によって召集される臨時国会での審議事項は、上記の自律的集会制度の本質上、内閣提出の案件の存否にかかわらず、各院において自ら設定しうるものである。内閣の準備不足などとして、召集時期を必要な合理的期間を超えて大幅に遅らせようとするのは、憲法53条後段の解釈・適用に前段のそれを持ち込もうとする悪意すら感じさせる。
2015年と2017年につづいて2020年にもまた、このような憲法違反が常態的に繰り返されようとする事態は看過できない。そうした中、憲法上重大な疑義のある「敵基地攻撃能力」が政権・与党内で軽々しく論議されていることも、現政権の姿勢を示すものと言える。敵基地攻撃は国際法上preemptive strike すなわち先制攻撃と見なされるのは明らかで、政権内の言葉遊びですまされるものではない。安倍政権はいずれ終わるとしても、その負の遺産は消えない。これ以上、立憲主義や議会制民主主義を冒瀆することを許してはならない。
(2020年8月13日)
詩人の石川逸子さんからの「風のたより」が不定期に届く。「たより」から聞こえる風のこえは、忘れてはならないものを思い出させる。そして、弱い者、さびしい者たちの心を伝えている。
「たより」は、戦争の悲惨、戦争の不条理、戦争の悲哀、戦争の理不尽を、繰り返し繰り返し訴え続けている。ときに、その迫真さにたじろぐ。
「たより」の20号に、17ページに及ぶ「原爆体験記」が掲載されている。筆者は高校生(新制)である。広島県立二中(旧制)の2年生当時の被爆体験を、4年後の49年に綴ったもの。その詳細な記述の生々しさに驚かざるを得ない。
そして、「戦争とカニバリズム」の記事。「カニバリズム」は比喩ではなく、その言葉どおりの記録である。加害者は敗戦を信じなかった皇軍兵士たち、被害者はフィリピンの山村の住民。戦犯裁判の記録として確認されているところでは被害者89名を数えるという。45年10月以後47年2月までのことであるという。まさしく、鬼気迫る記事。
また、次のような心に沁みる詩も掲載されている。作者は「亡き詩人 庚妙達(ユ・ミュンダル)さん」とのこと。
チュムイ 巾着
わたくしの
ハルムニムは
枯木のように
細うございました
庭の日溜りに座る
ハルムニムに
抱きつくと
チュムイから
お小遣いが
出てきます
三角形にしぼられた
小さい巾着袋です
するするっと紐を
引っ張ったり 桔んだり
折れそうな腰にまきつけて
遊びました
そして
魔法のチュムイは
チマに隠れます
隣の釜山から
玄界灘の海を越え
はるばるくっついてきた
素朴な巾着は
祖母の母の手縫いだったろうか
手のひらに軟らか
朝鮮紙幣が
小さく きちんと
折りたたまれていても
目本国では 決して
使用できないのです
白髪を束ね 銀のピネを挿す
チョゴリ チマのハルムニムは
遠い向うから
白一点の美しさで
わたくし達 孫の所へ
訪ねてくるのです
さすらいの地へ
ひっついてきた
チュムイは
さいごのお伴にも
黙っていっしょでした
ああ
ひそやかな痛み
ひそやかな愛を
閉じこめられていたであろう
袋のなか
ついに
何もチュムイに
入れてやれなかった
わたくしでした
石川さんご自身の、こんな、老化を楽しむ詩もある。
脳の奥で・石川逸子
脳の奥で
引っぱり出してもらえない
コトバ が うようよ うごめいています
(あらら わたしの番なのに
どうして呼んでくれないの)
(おや 今度はわたしだ
ほら 退いてよ あなたが邪魔してるから
出ていけないんでしょ)
ハハ
どうか 喧嘩しないでくださいね
花の名前
野菜の名前
昆虫の名前
歴史上の人物
なつかしい友だちの名
脳の奥で
ひしめきあって
出たがっているけど
なかなか 出てきてくれないんだよね
ハハン
それが「老化」です
ひとことで片づけられてしまったけど
脳の奥で
ひしめきあい
出番を待ってるコトバたちを
想像すると
ときに 楽しくなってしまいます
(2020年8月12日)
平田勝さんが、自分の出版社から自伝を出した。『未完の時代―1960年代の記録』(花伝社)というタイトル。帯に、「そして、志だけが残った ― 『未完の時代』を生きた同時代人と、この道を歩む人たちへ」とある。この帯のメッセージも、平田さんの気持ちのとおりなのだろう。60年代の青春の活動を語りながら、題名はいかにも暗い。帯のメッセージも、である。
おそらくは私も『未完の時代』を生きた同時代人の一人であり、「この道の近辺を歩んだ」ひとりでもある。平田さんは、この書で私にも語りかけているのだと思う。私は、平田さんとは「知人」というほど疎遠ではないが、「友人」というほど親しくはない。無難な言葉を選べば、彼は私にとっての「先輩」である。「先輩」は便利な言葉だ。若い頃の2年の年嵩はまぎれもなく「先輩」である。
初めて平田さんと会ったのは、63年の春駒場寮北寮3階の寮室だったと思う。壁を塗り直したばかりのペンキの匂いのなかでのこととの記憶だが、もう少し後のことだったかも知れない。2学年しかないはずの駒場寮に平田さんは3年生だった。ドテラ着の齢を経たオジさん然とした風貌。
そのオジさんが、妙に物わかりのよいことを言った。「サワフジクン、学生はね、やっぱり学問をしなくちゃね。でないと後悔することになるよ」。平田さんは、私にそう言ったことを覚えているだろうか。同書を読むと、当時ご自身がそのように感じていたようなのだ。
平田さんも私も、第2外国語として中国語を選択した「Eクラス」に属していた。このEクラスは学内の絶対的少数派として連帯意識が強く、学年を超えた交流の機会も多かった。そして、サークル単位で部屋割りをしていた私の北寮の寮室は「中国研究会」だった。平田さんは、同室ではなかったが中研によく顔を出していた。
同書によって、私と平田さんの境遇のよく似ていることを知った。無名高からの東大志望、現役受験の失敗、駿台昼間部、苦学、「Eクラス」、寮生活…。平田さんは8年かけて大学を卒業している。私は6年で中退である。この書に出てくるいくつもの固有名詞が私にも懐かしい。ほぼ同じ時代を、同じ場所で、同じ人々に接して、人格の形成期を過ごしたのだ。
もちろん、似ていることばかりではない。平田さんは、大学に入学するとともに入党し党員活動家として学生運動で活躍した。私は、もっぱらアルバイトに精を出し、日々の糧を手に入れるのに精一杯だった。学生運動は傍観しているばかり。ほとんど授業にも出ていない。
最も大きく異なるのは、自分の信念に従って活動に没入する積極性の有無である。平田さんは迷いながらも常に活動参加の道を選んだ。その積極性が次々と新たな展開につながっていく。なるほど、誠実に生きるとはこのようなものか。私にはそのような果敢な精神の持ち合わせがなかった。だから、平田さんのように語るべきものを持たない。
本書は、異例の「冒頭の言葉」から始まる。「ここに記したのは1960年代に自分が実際に体験したこと 見たり、聞いたりしたこと そこで感じとったことなどを そのまま、記述したものである」という。そのとおりであろう。人柄を感じさせる、飾り気のない、実直な文章である。
第1章 上京と安保─1960年
第2章 東大駒場──1961年?1964年
第3章 東大本郷──1965年?1968年
第4章 東大紛争──1968年?1969年
第5章 新日和見主義事件─1969年?1972年
以上が大目次である。平田さんの学生時代が61年春から69年春まで、その前後を加えて、なるほど60年代という時代の空気を語るにふさわしい書となっており、第1章から4章までが、誠実な学生党員活動家として時代に向き合った活動の回顧録である。個人史を語って、強引に時代を定義づけたり、無理なまとめ方をしていないことに好感がもてる。
だが、「第5章 新日和見主義事件─1969年?1972年」の存在が、この書を特徴的な陰影のあるものにしている。第1章から4章までの、悩みを抱えつつも活動に勤しんだ伸びやかな筆と、第5章とは明らかに異なる。明と暗とのコントラストが際立ち、1章から4章までの成果が、第5章の事件によって押し潰される。痛々しさを覚えざるを得ない。
この200ページを越す書物の中で、肺腑を抉る二つの文章に出会った。この書を単なる回想録に終わらせない問題提起の書とするものである。
権力からの弾圧に抗する覚悟はできていたが、共産党そのものから受ける弾圧に対する心の備えは、誰しもまだ十分ではなかったと思う。
1960年代に盛り上がった学生運動は、1972年に起こった新日和見主義事件で頓挫するに至った。
『未完の時代』という言葉で、平田さんが語ろうとしたのは、こういうことなのだ。平田さんは、それでも、「時代の課題に真正面から立ち向かった1960年代の時代精神とその「待続する意思」が、次の世代に受け継がれていくことを信じたい。」と結ぶ。
平田さんは、次のように無念の言葉を述べている。
1960年代の学生運動は、その後の強力な民主主義運動を生み出すことにも直接繋がらず、政党の刷新や新党の結成など新しい政治潮流を生み出すことも出来なかった。
その意味で、「未完の時代」に終わったと言える。
が、同時に、あとがきでは次のように展望が語られている。
いまや「共闘の時代」が来ている。…それぞれの人々への「リスペクト」、すなわち相手の存在を認め、尊重、尊敬することなくして「共闘」は実現出来ない。
同時に、それぞれのグループや政党の構成員に対しても、その存在に対する「リスベクト」が必要になっていると思う。外に対しては「リスペクト」、内部の構成員に対しては「分割的支配」というようなダブルスタンダードでは、一人一人が生かされる組織とはならないのではないかと思う。
運動の広範な盛り上がりも経験し、全共闘の暴力的攻撃もくぐり抜け、党の専制的支配にもぶち当たった1960年代の我々の体験が、こうした「共闘の時代」に何らかの意味を持ち生かされるとしたら、これ以上の喜びはない。
まったく、同感である。この書は、もっと話題となってしかるべきである。とりわけ、共産党を支持する人々の間で。