DHCスラップ『反撃』訴訟判決再論 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第161弾
昨日(10月4日)言い渡しの「DHCスラップ『反撃』訴訟」判決。勝訴判決の理由を、少し補充しておきたい。スラップを違法とする枠組みと、論理的な手順を語って、応用範囲が広いと思われるからだ。
繰り返しになるが、判断の出発点は、以下の最高裁判例が提示した枠組みである。
「訴えの提起は、提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人が、そのことを知りながら、又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法行為となる」
分かり易く噛み砕けば、こういうことだ。
「民事訴訟の提起は国民誰しもにある権利だが、その提訴の内容が客観的に勝てないものであって、しかも提訴者が勝てない提訴であることを知っていながら敢えて提訴するということになれば、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くことになって、提訴自体が相手方に対する違法行為となる。勝てない提訴であることを認識していなくても、普通なら勝てない提訴と容易に分かるはずと言える場合も同じことだ」
問題となっている提訴が、以下の「Aを前提に、B1かB2」であれば、違法となるということである。
A「客観的に勝てない」
B1「提訴者が、勝てないことを知っている」
B2「常識的に勝てないことが分かるはず」
くどいようだが、こういうことだ。
「民事訴訟の提起は国民の権利だが、吉田嘉明の澤藤に対する提訴の内容が客観的に勝てないものであって、しかも吉田が勝てない提訴であることを知っていながら敢えて提訴するのは、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものとして、提訴自体が澤藤に対する違法行為となる。仮に、吉田が勝てない提訴であることを知らなかったとしても、常識的に勝てない提訴と容易に分かるはずと言えるなら、やはり提訴は違法となる。」
吉田の澤藤に対する提訴が、A「客観的に勝てない」ものであることは、既に答が出ている。吉田嘉明の訴えは全面的に請求棄却で確定しているからだ。残るは、B1「提訴者が勝てないことを知っている」、あるいはB2「常識的に勝てないことが分かるはず」と言えるか。判決は、迷いを見せずに、これを肯定する。この判定過程が、この判決の真骨頂。当該判示部分の冒頭を抜き書きする。
原告澤藤ブログ(5本)は,本件(吉田嘉明の週刊新潮)手記ないし本件朝日新聞記事に記載されている事実を前提に、他の情報を付加することなく、原告が考える政治と金銭との健全な関係の観点から、本件(8億円)貸付について、被告吉田の内心の推察を試みつつ批判を加えようとするものと読み取ることができる。そうすると、原告ブログは、本件手記ないし本件朝日新聞記事に記載されている事実を元にした社会的な評価や推論であることが理解可能である記述部分や,人の内心に係る一般的な行為の動機の問題である記述部分からなり、被告吉田の本件(8億円)貸付の動機についての事実の摘示を含むものと解することはできないのであり、このことは、一般の読者において同様の理解が容易というべきである。
つまり、澤藤ブログは、「評価や推論」であること、そのことが容易に分かることが、B1・B2判断の出発点となつている。
言論は、「事実摘示」部分と「意見または論評」部分とからなるとし、事実摘示については真実性(ないし真実と信じるについての相当性)が求められるのに対して、「意見または論評」については表現の自由が大幅に認められ、人の名誉を毀損する「意見または論評」も、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り免責される。これを、米判例に倣って「公正な論評の法理」と呼び、日本の最高裁もこれを採用している。もちろん、「意見または論評」には、前提としている事実があるはずで、その前提事実には真実性(相当性)が要求される。
そうすると、吉田の名誉を毀損するブログの表現部分が違法ではなく、違法でないことを知っていたか、容易に分かったはず、というためには、
?ブログの内容が「意見または論評」であること、
?その「意見または論評」の前提となる事実が真実であること、
?さらに、「意見または論評」が公共に関わるものであって、
?もっぱら公益の目的に基づいてなされている
ということを、吉田が知っていたか、あるいは常識的に知っていたはずと言えるかを判断しなければならないことになる。
この作業の中核は、「?その『意見または論評』の前提となる事実」を特定すること、特定された事実の真実性を吉田が認識していたか、あるいは容易に認識し得たと言えるかの判断にある。
DHC・吉田嘉明が、自分たちの名誉を毀損したという澤藤ブログは計5本。その中に具体的に特定された名誉毀損の表現部分は16個所である。判決は、この16個所の全部を詳細に検討して、すべての表現部分について、「吉田が違法性阻却要素のすべてを知っていたか、あるいは常識的に知っていたはずと言える」と結論する。
具体的な意見の前提事実の主要なものとして、下記の点が挙げられている。
「原告ブログは、いずれも意見ないし論評であるところ、その前提としている事実の重要な部分は、被告吉田が被告会社の代表取締役会長であり、被告会社が主に化粧品やサプリメントを扱う事業者である事実(事実?)、「被告吉田が様々な規制を行う官僚機構の打破を求め、特に、被告会社の主務官庁である厚生労働省の規制について煩わしいと考えていた事実(事実?)、被告吉田が渡辺議員に合計8億円を貸し付けた事実(事実?)、被告吉田が雑誌に本件手記を掲載し、渡辺議員との関係を絶った事実(事実?)である。事実?は、当事者間に争いがなく、事実?ないし事実?の各事実は、本件手記に記載されていた内容であり、いずれも被告らにおいて真実として認識していたものである。他に、上記の各原告ブログが前提としている事実の重要な部分には、渡辺議員が平成26年3月31日付けの自己のブログで「DHC会長からの借入金について」と題する記事を掲載し、その中で、被告吉田と渡辺議員との関係について記載したという事実(事実?)、マスコミを使った大量の広告、宣伝により、サプリメントが販売されている事実(事実?)、サプリメント業界において規制緩和を求める動きが存在する事実(事実?)、被告会社において、過去に機能性の評価が不十分であったり、安全性に問題があったりするサプリメントが販売されていた事実(事実?)があるが、事実?ないし?は,公知の事実又は被告らにおいて当然に認識していた事実と認められ、また、事実?は上記貸付の当事者である渡辺議員によるブログ記事であり、本件記事掲載後のインターネット上の反響等を観察していた被告らにおいて、容易に認識し得た事実と認められる。そうすると、以上の事実もまた、被告らにとって、その真実性が明らかであったということができる。
その上で、判決はこういう。
「本件各記述に攻撃的な表現が含まれているとしても、その内容は、前件訴訟における被告らの主張を前提としても、「尻尾を振る」、「利益をむさぼる」、「汚い金」、「私欲のために金で政治を買おうとした主犯」といったものであり、これらはいずれも、本件貸付又はこれを通じた被告吉田と渡辺議員との関係に関する批判であることが、記載自体から明らかなものであるから、被告吉田個人の人格攻撃に及ぶものとはいえず、意見ないし論評としての域を逸脱するものとはいえないことは被告らが容易に認識し得るものといえる。
判決は、結論をこう結んでいる。
以上によれば、被告ら(DHC・吉田嘉明)が前件訴訟の提起等を行うに当たり、被告ら(DHC・吉田嘉明)にとっては、本件各(澤藤ブログの)記述が意見ないし論評であることについても、また、本件各記述が公正な論評の法理により違法性を欠くことについても、容易に認識可能であったということができる。したがって、被告ら(DHC・吉田嘉明)による前件訴訟の提起等(請求の拡張を含む)は、原告ブログ(計5本がいずれも)意見ないし論評であり、その前提としている事実の重要な部分が真実であり、違法性を欠くものであって、請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したものとして、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ、原告(澤藤)に対する違法行為と認められる。
以上のとおり、5本のブログの16個所のすべてについて、これを名誉毀損として提訴することが違法だという判断なのである。しかも、その判断に迷いがない。その意味では、違法論では澤藤側完勝と言ってよい判決。被告の弁明についても丁寧な反論をしており、今後のスラップ違法判断のリーディングケースとなると思われる。
もっとも、損害論は違法論と比較して精緻さを欠く。どうしても、不満の残るところ。さて、控訴あるべきか否か。
(2019年10月5日)