澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

初めて見た、亡父の軍歴。

(2020年11月4日)

明治政府はすべての国民を把握し管理するために「戸籍」を作った。国民の福祉のためではなく国民支配の道具として。その眼目は、「臣民の三大義務」とされた徴税と徴兵と義務教育実施を徹底するためにである。そして、徴兵された兵士については、各個人ごとに「兵籍簿」というものを作った。兵の移動や昇進を把握し、軍の編成のために不可欠なものとして。

「兵籍簿」には、旧陸海軍に軍人・軍属として徴兵された者についての、徴兵から召集解除(あるいは戦死)までの軍隊における記録が記載されている。現在、旧陸軍については本籍地の都道府県、海軍なら厚生労働省に問い合わせれば、その写の請求ができる。三親等以内の遺族が請求権者と定められている。

私の父は澤藤盛祐という。1914年1月1日に岩手縣和賀郡黒澤尻町に生まれ、この時代の人の避けがたい成り行きとして徴兵された。弘前聯隊に入営し、関東軍の兵士となって極寒のソ満国境、愛琿(アイグン)に駐屯している。幸い、一度の実戦の経験もなく帰還しているが、その遺族として「陸軍兵籍簿」というものの写を請求して、この度はじめて亡き父の軍歴を見た。

予想に反して、実に詳細な記述。なるほど、戦争をするということは、事務的にもたいへんなことなのだと実感する。手書きの文字が判読できないところも多少あるが、次のような軍歴が父の人生の一部である。天皇からどんなタバコをもらったのだろうか。いったいどんな味がしただろうか。もはや聞く術もないが、確かに、この国はかつて戦争をしたのだ。

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兵種 歩兵

本籍 岩手縣和賀郡黒澤尻町大字…

氏名 澤藤盛祐 大正参年壹月壹日生

出身別 幹部候補生(抹消)
    第二補充兵(抹消)
予備役  (抹消)

服役区分 現役  昭和十四年八月一日
     予備役 昭和十五年六月三十日
     第二補充兵役 昭和九年十二月一日

位階 勲等功級  (記載なし)

特業及特有ノ技能  小

官等級  昭和一四・五・三  歩兵二等兵
     昭和一四・八・一  歩兵一等兵
昭和一四・一〇・一 歩兵上等兵(乙幹)

昭和一五・二・一  歩兵伍長(乙幹)
     昭和一五・五・一  歩兵軍曹(乙幹)
昭和一五・六・三〇 歩兵軍曹
 同 一五・九・一五 軍曹(勅令第五百八十號ニ依リ)

賞典  昭和一七年一月二十七日

    天皇・皇后両陛下ヨリ特別ノ思召ヲ以テ御莨ヲ賜フ

履歴  高等小学校卒業(抹消)
    昭和五年三月九日黒澤尻中学校卒業。
    昭和五年三月九日同校ニ於テ配属将校ノ行フ教練検定ニ合格。
    昭和九年  一二月一日第二補充兵××(2字判読不能)ス。
    昭和十四年 五月三日臨時招集ノタメ
          歩兵第三十一聯隊留守隊ニ應召。
          同日第七中隊編入。
          八月一日幹部候補生ニ採用ス。
          八月八日第四中隊ニ編入。
          九月二十日歩兵乙種幹部候補生ヲ命ズ。
          十月一日歩兵上等兵ノ階級ニ進ム。
          十二月一日第七中隊ニ編入。
   昭和十五年 二月一日歩兵伍長ノ階級ニ進メラル。
         五月一日軍曹ノ階級ニ進メラル。
         六月三十日昭和一五年陸支密第五九五號
         ニ依リ満期除隊。
         同月同日任歩兵軍曹 
         六月一日臨時招集ノタメ歩兵第三一聯隊
         留守隊ニ応召入隊。
         同日第七中隊附。
         軍令乙第二十二號ニ依リ七月十日
         軍備改変編成下令。
         八月七日歩兵第五十二聯隊第九中隊附。
         同月二十七日編成完結

   昭和十六年 七月十七日臨時編成(甲)下令。
         同年七月二十九日歩兵第五十二聯隊第九中隊附。
         八月六日編成(甲)完結。
         八月十三日弘前出発。
         八月十六日大阪港出帆。
         八月十九日釜山港上陸。
         八月二十三日朝鮮国境通過。
         同日関東軍司令官の隷下ニ入ル。
         八月二十五日黒河省愛琿着。
         同日ヨリ同地警備。
         同年九月三十日給三等給。
         十二月八日ヨリ引続き同地国境警備。

   昭和十七年 三月五日軍令陸甲第十八号ニ依リ編成改正下令。
         六月七日編成(甲)完結。
         七月一日陸達第四十二号ニヨリ給二等給。
         十一月三日内地帰還ノタメ愛琿出発。
         同日愛琿縣境を通過。
         同日国境警備勤務を離ル。
         十一月六日鮮満国境通過。
         同月九日釜山港出帆。
         同日下関上陸同月十二日弘前着。
         同日第五十二聯隊補充隊第九中隊ニ臨時配属。
         昭和十五年陸支機密第二五四号及ビ
         八月二十一日弘動第一二四五号ニ依リ
         十一月十八日召集解除。

   昭和十九年 昭和十九年六月二十九日動員下令。
         七月十一日充員招集歩兵第百二十一聯隊ニ応召。
         同日歩兵第五十二聯隊連隊本部附。
         七月十五日動員完結。同日第一中隊附。
         八月十五日第十三国境守備隊補充要員引率官
         トシテ弘前出発。
         同月十八日下関港出帆。同日釜山上陸。
         同月二十日鮮満国境(安東)通過。
         同月二十三日愛琿縣境通過。
         同日愛琿県詰別拉着。同月二十五日詰別拉出発。
         同月二十六日愛琿縣境通過。
         同月二十八日鮮満国境(安東)通過。
         同月三十日釜山港出帆。同日下関港上陸。
         九月三日弘前着。
         十二月一日任陸軍曹長。
         十二月八日連隊本部附。

   昭和二十年 軍令陸甲第三十四號ニ據リ
         昭和二十年二月二十八日臨時動員(復員)下令。
         同年四月三日歩兵第四百六十聯隊に轉属。
         同月同日連隊本部附。五月十日動員完結。
         同月十三日移駐ノタメ弘前出發。
         同月十四日青森縣上北郡藤坂村着。
         六月一日給三等給。
         昭和二十年八月十八日
         軍令陸甲第一一六號ニ依リ九月十二日召集解除。

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