澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

再び、「落胆はすまい。さらなる怒りの持続を」

稀代の悪法「特定秘密保護法」が成立となった。
憤懣やるかたない。改めて安倍政権の暴挙に怒りをぶつけたい。安倍晋三も、森雅子も、この悪法とともに歴史に悪名を残すことになろう。

実のところは、落胆もしている。この国は、本当におかしくなってしまったのではないか。これから先を考えると暗澹たる思いを拭えない。
啄木の歌が思い起こされる。
「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風を聴く」
1910年、この年の5月から大逆事件の逮捕が始まり、8月29日に日韓併合となっている。その年のもの。時代の暗さを受けとめた詩人の心象風景が、今日は良く分かる。

しかし、啄木自身の時代への抵抗は精神的なものにとどまった。組織に属することはなく、社会に影響する行動もしていない。彼自身が、「ヴ・ナロード」と叫んではいないのだ。100年後の我々は、啄木とは異なる。多くの人とともに、デモをし、シュプレヒコールをあげ、街頭で訴えてきた。なによりも、志を同じくする議員を国会に送ってもいる。そして、これで終わりではない。運動は明日も続くのだ。啄木の感傷に同感してばかりはいられない。

客観的に冷静に事態を振り返れば、法案に反対する勢力は敗れはしたがよく闘った。意義のある闘いに、実のある成果すらあげた。安倍政権と自・公の両党は、法案をゴリ押しして成立させはしたが、深手を負ってのこと。国民に、彼らの危険な本性を見せつけたではないか。ありとあらゆる各界の広範な人士から非難囂々の醜態をさらしたではないか。法案の内容の危険だけでなく、この理不尽なゴリ押しの過程が政権の反憲法的な危険性を露わにした。自・公という政党の体質の非民主主義的な体質の危険までが明瞭となった。政権と与党に、法案成立のプラスと、世論から指弾のマイナスとを計算すれば、損得勘定の帳尻があったはずはない。

第1次安倍政権の歴史を思い起こそう。高支持率で調子に乗って、教育基本法改悪や改憲手続き法制定などに「安倍カラー」を発揮して、急速に国民からの支持を失ったではないか。そして2007年参院選で歴史的大敗を喫して政権を投げ出し、史上最高の「みっともない退陣」劇を演じたのが安倍晋三だったではないか。

今回、安倍政権は、真っ当なジャーナリズム、心あるジャーナリスト、およそ真面目なすべての表現者を敵に追いやった。おそらくは彼の計算にはなかった想定外のこと。コントロールもブロックもできなかった。これは、第2次安倍内閣の、「終わりの始まり」と言ってよい。

実は、特定秘密保護法は、安倍内閣がたくらむ「悪法パッケージ」の一つである。主要な一つではあるが、これからもぞろぞろと「悪法」の提出が続く。特定秘密保護法反対運動で築いた抵抗運動の陣地を固めて、ここから新たな運動を始めることができるのであれば、次は法案を阻止することができる。それだけではない。安倍内閣そのものを倒して、もっとマシな政権にすげ替えることも可能になる。

日本版NSC設置法と特定秘密保護法に続いて提案が予定されている「悪法」のパッケージとは、
*集団的自衛権行使容認の解釈変更
*国家安全保障基本法の制定
*防衛計画の大綱の改定
*日米ガイドラインの改定
などである。

とりわけ、国家安全保障基本法は事実上憲法9条を直接に蝕む危険な戦争準備立法である。まだ条文化されて法案とはなっていないが、昨年7月に「概要」12か条が公表されている。

改めて、自分に言い聞かせている。
「落胆などしている閑はない。さらに怒りを燃やそう。この怒りを持続させよう」

成立した特定秘密保護法については、施行まで一年の政権の動きを監視しよう。そして、果敢に情報公開を求めよう。情報の公開を通じて、行政の透明性と説明責任の確立を求めよう。

さらに、特定秘密保護法反対に立ち上がった多くの人々との連帯を固くし、次の安倍政権のたくらみを阻止しよう。次は、「国家安全保障基本法」の制定と「集団的自衛権行使容認の解釈変更」とを阻止する課題に取り組もう。

その運動の先に、かくも危険な安倍政権打倒の展望が開けるはずだ。
(2013年12月7日)

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Published in 土曜日, 12月 7th, 2013, at 23:29, and filed under 未分類.

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