引き続き「前夜」にこだわる
特定秘密保護法成立の6日から1週間。まだ、憤懣が治まらない。
本郷三丁目交差点の昼休み街宣行動は、一応今日で区切りを付けることになった。誰の指示によるでもなく、自発的に集まった人々が寒風の中で手作りのビラを撒き、みんなが交替でマイクを握った。出来合いのメッセージではなく、それぞれが自分で用意した原稿で自分の思いの丈を訴えた。参加者の意気は軒高、充実感が高い。今日は、私の出番はない。
さらにひとまわり多くの人に参加を呼び掛けて、年明けから、新しい形で定期的に街宣活動を続けようということになっている。特定秘密保護法に限らず、憲法問題で訴えなければならないことは、文字通り山積している。
名簿の作成もないが、これまで一度でも街宣活動に参加してくれた方の実数は40人近くになろう。70代が多い。身体の無理は利かないが、気持のボルテージは高い。安倍自民への怒りは心頭。今こそ何かをしなければならない、という突き上げるような共通の思い。これこそ、「前夜」の意識ではないか。
今ならまだ間に合う。明日では遅くなってしまうかも知れない。だから、今、声を上げなければならない。これが、今を「前夜」と把握する意識だ。
本日の「朝日」声欄の4投書すべてが、特定秘密保護法に関するもの。
「安倍政権に異を唱え続けよう」
「首相は、国民を軽んじたのです」
「自由を脅かす時代の再来か」
「暴挙国会 与党終わりの始まり」
「異を唱え続けよう」と言う埼玉の会社員58歳氏が、次のように綴っている。
「私の父は戦争に駆り出され、ニューギニア方面に送られて…傷痍軍人となって帰ってきた。私は大人になったある日、父に尋ねた。『なぜ当時戦争に異を唱えなかったのか』。答は、『そんなことできる時代ではなくなっていた』だった」「ここで安倍政権に異を唱えなければ、再び暗いあの時代に戻り、子や孫を苦しめるだろう。私はこれからいくらでも、特定秘密保護法に反対していく」
この人も、明確に「前夜」を意識している。
今日の「朝日」「毎日」「東京」の3紙が、いずれも社説で石破発言を取りあげている。
石破は成立した法律を読んでいない。国民や野党の批判を恐れて、さすがに報道の自由については「配慮」したはずが、彼のアタマには抜けている。ホンネを語って、報道機関に「特定秘密」についての報道の自制を求めている。要するに、「政府が秘密と指定した以上は、国民に知らせるべきではないのだから、メディアもこれに協力せよ」というのだ。
「東京」の社説が鋭く批判している。
「特定秘密を報道することに重ねて疑問を呈し、自制を求めているのだ。秘密保護法は情報統制色を帯びているが、報道をも統制する意思が潜むのだろう。
仮に他国が日本に核ミサイルを撃ち込もうとしている秘密情報を得れば、早く国民に知らせる。日本政府が極秘に核武装計画を進める情報を入手すれば公表し、国民の議論に付す?。報道機関として当然ではないか。
政府が秘密だとしても、報道機関は『報道に値する』と判断すれば、公表する。それが報道の使命である。石破氏は報道機関を政府の宣伝機関と勘違いしていないか」
まことにそのとおり。表現の自由、報道の自由、国民の知る権利に対するあからさまな敵意の表明と言ってよい。政権も与党も、ここまで来ているのだ。
さらに、である。自民党の高市早苗政調会長は12日の記者会見で、またぞろ共謀罪の創設について、「安全な社会をつくるためにたいへん重要」と発言をしている。
本当に与党と安倍政権は危ない。これをチェックすべき議会がグズグズだ。今は、誇張でなく「前夜」だと感じざるを得ない。
(2013年12月13日)