澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「命」こそが尊く、「戦死」が尊いわけはない。兵の死を美化する国家の策謀に乗せられてはならない。

(2021年12月28日)
 菅原龍憲という方がいる。浄土真宗本願寺派の僧侶で、政教分離や靖国問題に関心を持つ人たちの間では著名な存在。右顧左眄することのない、その発言の歯切れの良さが魅力である。公開されているFacebookに、下記の言葉が躍っている。

 「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」というのが戦没者を顕彰する常套文句だ。一方では「尊い犠牲のうえに、生み出された憲法九条を踏みにじるな」という。どっちむいても「尊い犠牲者」ばかりで被害者はいない。被害者がいなければ当然加害者もいない。おーーい

 私は戦死者たちを「犠牲者」と呼ぶことにはどうしても違和感をおぼえてしまう。加害、被害が明確にならない。靖国神社に祀られているのは「尊い犠牲者」ばかりだ。被害者は誰ひとりとしていない。だから当然のように加害者もいない。

 1985年8月のこの日―どうしても私の胸をよぎるのは、中曽根康弘が閣僚たちを引き連れて、威風堂々と靖国神社を公式参拝したときのことだ。神社の白洲で拍手と歓声をもって彼らを迎え入れた遺族たちの姿が忘れられない。とても切なく哀しい光景として胸の底にとどまっている。

 「あのおばさん、亡くなって何年になるかね?」「ええっ!?」突拍子もなく妻が言いだした。
わたしが靖国訴訟を起こしたときを境に、パタッとお寺に来なくなった門徒のおばさんのことだ。母の代から何十年と、なにをさておいてもお寺に駆けつけてくれた、お寺の主のようなひとだった。
「あのときが、一番辛かったね?」妻がポツンとつぶやいた。おばさんも戦没者遺族であった。

 今もっとも危機にさらされているのは「平和に生きる権利(平和的生存権)」(憲法前文)である。それは殺されないだけでなく、殺さない権利、日本人が被害者になるだけでなく、再び加害者にならないとする権利である。

 まったく同感である。管原さんの言葉に深く共鳴する。深く共鳴しながらも、多少付言せざるを得ない。

 もう40年も以前こと、私が盛岡地裁に提出する予定の《岩手靖国違憲訴訟・玉串料訴訟》訴状案文をつくったとき、原告や支援者から思いがけない「反論」に接して戸惑った経験がある。「こんなに露骨に戦死を無意味とする書き方では遺族を敵にまわすことになる」「それは、情において忍びないだけでなく、運動上もマイナスではないか」という強い反発だった。

 もちろん、その反対論もあった。私にはこちらの方がしっくりする。「戦死の美化をそのままにしていては、戦争の絶対悪を語ることができない」「戦争国家の思惑で作り出された《英霊》観を払拭しなければ、再びの《英霊》をつくることになる」「結局のところ戦死は犬死である。そのことを徹底して明確にしなければ、天皇制国家の罪業を明らかにすることはできない」というものだった。

 これに対して、「戦没者遺族の感情への配慮を抜きにして、平和運動はなり立たない」「孤立したら結局負けになる」という反論がなされた。

 私は、「戦死=犬死」とまでは言い切れなかったが、戦争を糾弾し、再びの戦争を防止するには、侵略戦争が国の内外に強いた死の無意味さの認識が出発点だと思っていた。「戦死が貴い」ことはあり得ず「命」こそが貴い。戦争は「貴い命を無意味に奪った」のだ。これを「犬死」といっても間違いではなかろうが、この言葉を聞かされる戦没者遺族には、つらいものがあろう。戦没者の生前の存在自体が貶められる思いを拭えないだろうから。兵士の死をどう評価し、どう表現すべきか、難しいと思った。

 どんな死も掛け替えのない尊い命の喪失なのだから、遺族にとって無念このうえなく辛いことである。いかなる立場からにせよその死を意義あるものとして国家や社会が遇してくれれば、幾分とも気持ちは慰藉される。その微妙な気持ちに泥を塗るごとき「戦死=犬死」論が遺族の耳にはいるのは困難である。しかし、その死を「徹底して無意味な強いられた死」と見つめ、再びの戦争を繰り返さず、再びの戦死者を出してはならないとする国民意識の出発点とすることができれば、その死は新たな意義を獲得する。「無意味な兵士の死」は、その死の悲惨さ無意味さを見つめるところから新たな意味を獲得するというべきではないか。

 「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」という言いまわしは、眉に唾して聞かなければならない。この一文、意味の上で「尊い」は、「命」ではなく「お国」と「犠牲」に掛かるのだ。だから、「尊いお国のために戦い、本来は尊くもない命をお国のために犠牲にされたその死にゆえに尊いご英霊」ということであろう。端的に言えば、尊いのは兵士の「命」ではなく、その「死」だというのだ。

 これに対して、「尊い犠牲のうえに、生み出された憲法九条を踏みにじるな」というときの「尊い」は、文意の上では「命」にかかっている。貴い命が死を余儀なくされたことを「犠牲」と言っている。だから、この一文は、「尊い命を無意味に失わしめられた悲惨な犠牲を繰り返してはならない。その思いから生み出された憲法九条を踏みにじってはならない」と言っていると理解しなければならない。
 だから、私には「どっちむいても「尊い犠牲者」ばかり 」と、靖国派と九条派を同列に、どっちもどっちだと言ってはならないと思える。

 管原は言う。「尊い犠牲者」ばかりで被害者はいない。被害者がいなければ当然加害者もいない。おーーい。

 誰が加害者か。遠慮せずに指摘しなければならない。当然のことながら、まずは天皇(裕仁)である。そして、制度とイデオロギーの両面で天皇制を支えた政府であり軍部であり、産業界である。それに加担した教育者・マスコミ・文学者・科学者・宗教者、そして町々の小さな権力であったろう。

 最大の教訓は、国民の精神を支配する道具として、この上なく有効だった天皇という存在の危険性である。天皇にいささかの権限も権威も与えてはならない。

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