「日の丸だけは我慢できない。日の丸を掲げた日本軍は、夫を息子を娘を殺した」
(2022年8月27日)
本日午後、「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」の総会。
石原慎太郎都政下の悪名高い「10・23通達」発出以来、もうすぐ19年になる。石原慎太郎も今は鬼籍にある。思えば、なんと長い闘いを続けてきたものか。
この間いくつもの裁判を重ねて、今は処分取消の第5次訴訟を東京地裁で闘っている。今日の総会には、この間の闘いの中心にいた人々が集まった。憲法を大切に思い、教育の理念を曲げてはならないと自覚した人々である。
日の丸・君が代の捉え方は多様であり、運動参加者でもけっして一色ではない。だが、この旗と歌とが、かつての侵略戦争と残虐な加害責任の象徴であったことの認識は、共通のものだとは言えよう。朝鮮で、中国で、シンガポールで、ビルマで、仏領インドシナで、フィリピンで…。この旗と歌に鼓舞された天皇の軍隊が、暴虐の限りを尽くした。
週刊金曜日の最新(8月26日)号の巻頭に崔善愛さんが、「日の丸の加害責任」について書いている。全国平和教育シンポジウムでの栗原貞子の講演を引用してのもの。ちょうど50年前1972年の9月、日中国交回復のために田中角栄が北京を訪れた際の、「日の丸」に関するエピソードの紹介である。
「田中角栄訪中の北京空港で大日章旗が引きおろされる事件が起きた。一人の高齢女性が捕まった。彼女は涙もふかず訴えたと言う。
『国交回復は結構だが、あの日の丸だけは我慢できない。あの時、日本軍は夫を息子を娘を殺し、私は一人ぼっちとなった。それからの苦しみと悲しみは筆舌に尽くせない。どうか日の丸だけは……』と。
この憎しみはアジア諸国民の日の丸館の一つの典型ではないでしょうか
続けて栗原さんはこのように話した
〈マスコミ始め国民が侵略戦争のシンボルだった日の丸君が代の犯罪性に沈黙し、大勢に順応しているとき、平和教育の中でこのことを教えるのは困難であります。国民の精神的支柱として再び日の丸・君が代・教育勅語を復活させる一方で、被爆国をとなえ、原爆の悲惨を訴えても、「ああ広島」と世界の人々は共感してくれません〉
栗原貞子の思想を私は深く噛み締める」
富国強兵・尽忠報国をスローガンに侵略戦争に明け暮れた天皇制国家。その野蛮な国家と分かちがたく結びついた「日の丸・君が代」である。戦後、日本国憲法制定後もなお、加害者としての戦争責任の自覚なく、自らの手で戦争犯罪者を処罰することもなかった我が国であり、国民である。
本当に侵略戦争を反省し、我が国は生まれ変わったのだという主張をするなら、旧体制とあまりに深く結びついた「日の丸・君が代」を廃棄すべきであった。だが、これを捨てなかったことは、ことさらに「無反省」を誇示するものと受けとめられたであったろう。
その思いが、北京での戦争被害女性をして、『「日の丸」だけは許せない。あの戦争のとき、「日の丸」を掲げた日本の侵略軍は、戦闘員でもない夫を殺し、息子を殺し、娘を殺し、私は一人ぼっちとなった。それからの苦しみと悲しみは筆舌に尽くせない。私の人生の不幸は「日の丸」によってもたらされた。どうか「日の丸」だけは、私の見えるところに持ちこまないで……』と言わせたのだ。
「日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱せよ」という職務命令には服しがたいという教員は、この国に再び侵略戦争を起こさせてはならない。そのような兵士を育てる教育であってはならないと自覚した教員である。
そのような教員の良心が、鞭打たれていることを知っていただきたい。