学校は、日本国憲法がめざす平和で民主的なこの国の主権者を育てる役割を担っている。
(2022年9月12日)
本日、東京「君が代」裁判・第5次訴訟の第6回ロ頭弁論期日。
まだ準備書面交換による応酬が続いているが、次回(11月24日午後4時)には主張の段階が終わって、立証の段階にはいる目途が付きそうな状況。
形式的な手続の後に、原告15人のなかのお一人が、口頭で約10分間の意見陳述をした。満席の法廷に切実な訴えの声がよく響いた。その全文を掲載しておきたい。
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原告意見陳述要旨
原告 (K高校定時制)
私は、2017年春の卒業式に卒業生の担任として出席し、「国歌斉唱」時に起立しなかったことで戒告処分とされました。「10・23通達」が出されてから3度目の処分でした。
最初の処分を受けた2004年4月の入学式の当日は、腸から出血し、自分はどうなってしまうのだろうと思いました。その後も、卒業式や入学式が近づくと気分が落ち込み、体調に異変が生じました。2度目の処分を受けた卒業式のときは、「君が代」が始まったときに激しい背中の痛みを覚え、自分はどうしても立てないのだと観念して着席しました。
2016年4月にK高校定時制に異動し、3学年の担任になりました。定時制は通常4年間で卒業しますが、3年間で卒業できる制度があり、私はその年度の卒業式に担任として出席しました。卒業式が近づくと何度も校長室に呼ばれました。職務命令にも処分にも苦しみますが、なぜ「君が代」のときに立てないのかを説明することは、それよりもさらに苦痛です。
私は、かつて勤めていた私学での経験から「君が代」を歌えなくなりました。
その学校は神道を理念とした女子高で、入学式の前日には、近所の神社でお祓いを受けることになっていました。
しかし、毎年、数人の新入生が神社の参拝を拒みました。この儀式は入学の前提とされていたため、神社参拝をできない生徒は入学を取り消されるのです。生徒が4月に入ってから入学する高校を失うという深刻な事態を目にしながら、私にはなす術もありませんでした。
入学した生徒にも難関が待っています。体育館の壇上の神棚の上には常時「日の丸」が掲げられ、入学式・卒業式はもとより、元旦の拝賀式をはじめとして、天長節、紀元節などの儀式の都度、「君が代」を歌わせられます。それだけでなく、毎朝の朝礼では祝詞をあげて、明治天皇御製の歌を歌わせられます。そこでの神様は天皇、“現人神”でした。別の神様や宗教を信仰する生徒たちは、何かと抵抗しました。それを抑えて、素直に祝詞をあげ、歌を歌うよう“指導”するのが私たち教員の仕事でした。加えて、「良妻賢母教育」の名のもとに髪型や制服の着方などの生活指導も「取り締まり」と言った方がいいような仕方で行われました。こんな関わり方をしていて、生徒と心を通わせることなどできません。教師になった喜びとは無縁でした。
強制されている生徒たちは、毎日嫌な思いをしていたでしょう。でも、自身の内面に根拠も必要性も感じないことを、生徒たちに強いている私も苦痛でした。「お給料をもらっているから仕方がない」と、自分に言い聞かせる日々を過ごすうち、“頭痛と出血で立っているのもやっと”という状態になりました。医師からは、転職するしか治す方法はないと言われ、都立高校の採用試験を受けました。
こうして、ようやくストレスから解放されて18年余り。私学での悪夢を忘れていた私を、再び過去に引き戻したのが「10・23通達」でした。入学式・卒業式の式場で「君が代」の伴奏が響き渡ると、いやおうなくあの私学の体育館の光景が脳裏に浮かび、身動きができなくなりました。それが初めての不起立でした。
約10年をかけた、処分取り消しを求める東京「君が代」裁判一次訴訟の結果、最高裁判決で戒告処分が容認された一方、減給処分は「重きに過ぎる」ことを理由に裁量権の逸脱・濫用として取り消されました。
また、この問題の解決に向けてすべての関係者が真摯かつ速やかに努力するよう求める補足意見が付されました。
これを見て、話し合いができるのではないかと期待し、私たち原告団は、毎年、都教委に話し合いの場を待ってくれるよう、要請を続けてきました。しかし、都教委は今日まで一向に応じてくれません。
2019年には、ILO/ユネスコから、この問題の解決に向けて、式典の在り方や懲戒処分の決め方について、教員団体との対話を求める勧告が出されました。それでも、未だに都教委は話し合いを拒否し続けています。今年、ILO/ユネスコは、先の勧告の実施が遅々として進まないとの認識の下、「地方当局向けの適切な注釈や指導も併せて行うことを勧告する」という、より踏み込んだ再勧告を公表しました。かつて最高裁判事として、“起立斉唱の職務命令は違憲・違法”という反対意見を書いた宮川光治弁護士は、この報に触れて「日本はいまだに国際基準から外れることをしていて、恥ずかしい」と述べています。
現在、私は再任用教員として勤務していますが、2017年に戒告処分を受けたことを理由に“年金支給開始年齢に達したら任用しない”と予告されています。しかし、再任用は単年度ごとに「従前の勤務実績等に基づく能力実証を経た上で採用する」という制度です。何年も先の合否を告げること自体が制度の趣旨に反しています。再任用打切りの事前告知を受けた定年時、私の業績評価は最高位の「A」でしたが、選考課の職員は「業績評価は再任用選考とは関係ない」「あなたが裁判で勝てば、それなりに対応します」と言い放っています。裁判所の判決という強制力が働かない限り、彼処分者は排除するということです。
1歳上の原告の川村さんは、私と同様「再任用打切りの事前告知」を受けていましたが、この春、ついに再任用不合格とされました。しかも、彼女は「再任用職員採用選考」の通知に明記されている面接すら受けておらず、適正な手続きを経て合否が判定されたとは到底考えられません。さらに、秋に申し込んだ産休代替などの臨時的任用職員の要項が2月になって突如変更され、処分歴を書く欄が設けられた新たな申込書を提出させられました。これは、処分された教員を狙い撃ちにしたものという他はありません。
ご理解いただきたいのは、「戒告という最も軽い処分」の重さです。処分を受けて6年も7年も経っても不利益が続き、最終的には戒告を理由に誠を切られるのです。こうした処遇は、他の教職員に対する見せしめの効果を発揮しています。私たちが裁判をしなければならないのは、他に手段がないからなのです。
「10・23通達」は、都教委の意に沿わない教員を排除する装置として、導入されました。それまで、都立高校の運営は合議でなされてきましたが、命令と処分という運営手法に変えられたのです。都教委にしても、校長にしても、あるいは一般の教員にしても、上に立つには楽でしょう。しかしそれはもはや、子どもを育てる教育の場ではなく、管理と選別の機関でしかありません。今では、学校教育に関わるあらゆることの決定のしかたに、上意下達の体制が浸透しています。「10・23通達」に続いて、職員会議での挙手採決を禁止する通達が出されました。校長の一存で方針が決定され、私たちはただそれを実行するだけの存在になりました。この体制しか知らない世代の教員がすでに過半数を超えた今では、議論すらありません。公論が封じられた学校で、疑問も不満も封じ込められています。
本来学校は、日本国憲法がめざす平和で民主的なこの国の、主権者となるにふさわしい人間を育てる役割を担っています。そのために、目の前の生徒に何か必要か、どうすればいいのかを考え、行動することが教員の責務ではないでしょうか。それとも、唯々諾々と、不当な職務命令にも従わなければならないのでしょうか。
都立高校の教育が「10・23通達」の呪縛から解放され、本来の教育を取り戻せるよう、裁判官の皆様の、勇気ある判断を、心から期待いたします。