「選挙運動費用収支報告書」記載ミス訂正の実例
本日の赤旗「潮流」欄は、次の一文から始まっている。
「人権の侵害は、相手が誰であれ、怒りの対象となるべきだ。この権利にかんする限り、妥協の余地はないー。」
今の私の気持ちにぴったりだ。一瞬、赤旗が私のブログを引用したのかと思ったが、そうではない。「元レジスタンス闘士のステファン・エセルさんが、93歳のときに記した『怒れ! 憤れ!』の一節」だという。「フランスで出版され、30カ国で翻訳された著書は、多くの若者の心を動かし、世界中の大衆運動に火をつけました。ナチの強制収容所を生き延びたエセルさんは戦後、外交官になって、国連の世界人権宣言の起草に加わりました」と続く。
浅学にして、ステファン・エセル氏(1917?2013)が、どのような文脈で「相手が誰であれ」と言ったのかは知らない。潮流でも説明がなく冒頭の引用の一節は、その後の本文とうまくつながっていない。もしかしたら、潮流子は、私のブログを読んで、密かにエールを送ってくれたのかも知れない…、なんてことはあり得ないか。
『怒れ! 憤れ!』は、貴重な提言だ。『怒りと憤り』に満ち満ちた人権侵害の訴えを、「私憤、私怨に過ぎないから耳を傾けるに値しない」と言い放つ人には、ステファン・エセル氏と同氏の言を引用した赤旗の「権威」をもって反論することにしようか。少しは効き目があるかも知れない。
「相手が誰であれ、怒りの対象となるべきだ」は、当然に、その先に怒りの対象を糾弾する行動に立ち上がるべきことが想定されている。実は、これが、場合によっては相当の覚悟を要する難事なのだ。
安倍自民に怒って、赤旗と口をそろえて政権批判をしている分には安楽だ。しかし、「味方」陣営に人権侵害の事実があった場合には、やはりこれを「怒りの対象」として、楽ではなくても、批判の声を上げなければならない。民主勢力の誤りに対する批判や告発なくして、その発展はない。民主主義とは、自浄作用の繰り返しによる永久革命ではないか。民主勢力内部には、幹部批判の言論を保障しこれを貴重なものとして耳を傾ける作風がなければならない。組織や幹部に耳の痛い批判に、「私憤」「私怨」とレッテルを貼って無視することは、民主勢力無謬論の誤りに加担することではないか。
私の『怒りと憤り』の対象の一つが、前回都知事選における宇都宮候補の選挙運動費用収支報告書の記載で明らかになった、上原公子選対本部長や服部泉出納責任者らに対する運動員買収事案。買収された者は、この2名に限らず「労務者」「事務員」届けられた者、最大29名に及ぶ可能性がある。買収した者は、収支報告書に名前は出てこないが選対事務局長であった蓋然性が高い。公職選挙法221条1項に違反し、法定刑の最高量刑は懲役3年である。
宇都宮陣営は、この私の指摘に対して、「記載ミスを訂正すれば済む問題である」と言った。ネットテレビの発言としては暮れの12月31日に、文書では1月5日付のもので。ところが、訂正すれば済むはずの選挙運動費用収支報告書のミスの訂正を行わないまま、今回選挙に突入している。私の指摘に対する、宇都宮陣営の真摯な対応を欠く態度にも、私は『怒り憤って』いる。
宇都宮陣営のいう「単なるミス訂正」の実例が問題視されて報道されている。まずは、昨日(1月24日)の神奈川新聞の次の記事。
「昨年10月の川崎市長選で、福田紀彦市長陣営の提出した選挙運動費用収支報告書に、選挙運動に携わったスタッフ11人に「労務者報酬」を支出したとの記載があることが23日、分かった。公選法ではビラ配りなどを行う選挙運動員への報酬を禁じている。後援会事務所の担当者は「実際には金銭の支払いはなく記載ミス」と説明、早急に同報告書を訂正するとした。
同報告書によると、投開票日前日の10月26日に学生、アルバイト、無職の男女11人にそれぞれ7万?14万円(おおむね1日当たり1万円)を支給した。一方で、収入欄には同日、同じ11人から同額の寄付をそれぞれ受けたとも記載、相殺した形を取っている。
事務所担当者は「報告書作成者の認識の誤り。11人が(単純な事務作業を行う)労務者に該当すると思い込み計上してしまった」と違法性を否定。記載する必要がない内容だったとして、収入、支出欄からそれぞれ削除する方針を示した。
公選法では、労務者やいわゆるウグイス嬢、手話通訳者などには法定額の報酬を支給できると規定。しかし、特定の候補者への投票を呼び掛ける選挙運動員には、交通費などの実費弁償を除き無報酬としなければならない。神奈川新聞の取材に対し、福田市長は「認識不足だった」と述べた。」
福田紀彦市長陣営は、「認識不足だった」として、翌1月24日に市選管に訂正届け出をしたようだ。そのことが、本日(1月25日)の朝日と毎日(いずれも地方版)の記事となっている。宇都宮陣営とは違った、「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」という誠実な対応ではある。しかし、訂正自体が問題であり、訂正はまた新たな問題を生むことになる。
まずは、福田陣営は、訂正前の収支報告の届出が虚偽であったことを認めたことになる。収入の部で、11人からの寄付がなかったのに、あったように記載したこと。支出の部で、11人の「労務者」への支出がなかったのに、あったように記載したこと。その両記載が、福田陣営の出納責任者における「選挙運動に関する収入及び支出の規制違反」(公選法246条5号の2)にあたる。その法定刑の最高量刑は禁錮3年である。
毎日新聞は、「市選管によると、事務作業などをする単純労務者が無報酬で作業を行う場合は、収支報告書に本来支払われるべき労務費と、その相当額を寄付したと記載する必要」と報道している。とすれば、福田紀彦市長陣営は「無報酬で労務を提供した単純労務者」の有無を再点検しなければならない。宇都宮陣営でも同じこととなるはず。
さらに、もう一つの問題がある。収支報告書に記載された者が労務者ではなく選挙運動者とすれば、未成年者の選挙運動規制の問題が出てくる。未成年者を単純労務者として使用することには問題がないが、公選法137条の2は未成年者の選挙運動を禁止している。違反した未成年者も使用した者も処罰の対象となる。最高刑は禁錮1年である(公選法239条1項1号)。
朝日新聞の報道では、報告書に労務者と記載された選挙運動員を「学生ら11人」と表現している。11人の大半が学生なのだろう。大学の1年生・2年生は未成年であろう。3年生・4年生は就活に忙しいのではないか。いずれにせよ、その確認の必要が出てくる。
宇都宮陣営も、早急に「ミスの訂正」を届けるべきだ。私は、形式的な届け出ミスがあったのではなく、届出のとおり実質的な運動員買収の公選法違反行為があったものと考えている。「ミスの訂正」の届け出が真実と異なれば、新たな虚偽記載罪が成立する。しかも、川崎市長選事案とは違って、宇都宮事案では、「記載ミス」の訂正届出には、新たな届出内容を証する領収証の添付を必要とする。その領収証は、公選法(189条1項、191条1項)で徴収と3年間の保存を義務づけられている。「領収証はありません」は通用しないのだ。
いずれにせよ、宇都宮陣営が「記載ミスを訂正すれば済む問題である」というからには、速やかに届出をすべきだろう。私は、その届け出内容を精査して運動員買収の有無を追及するつもりだ。
本日の赤旗の「潮流」欄は、冒頭のエセル氏の名言の引用のあと次のように続けている。
「生涯を人権のためにたたかったエセルさんは呼びかけます。『歴史の脈々たる流れは、一人ひとりの力で続いていくものである。この流れが向かう先は、より多くの正義、より多くの自由だ。正義と自由を求める権利は誰にでもある』」
赤旗に励まされる。私の追求も「より多くの正義、より多くの自由」につながっているはずだ。正義と自由を求める権利は私にもある。
(2014年1月25日)