日中国交「正常化」から50年。様変わりの中国とどう付き合うべきか。
(2022年9月29日)
日中国交「正常化」から50年である。1972年の9月29日、北京で日中両国の首脳が共同声明に署名した。日本は「過去の戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し深く反省する」とし、中国は「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄」した。これでようやく、「戦争状態の終結と日中国交の正常化」が実現した。20代だった私は、歴史が真っ当な方向に動いたと素直に感動したことを覚えている。
私は学生時代から中国に人類の希望を見ていた。中国共産党の道義性を高く評価してもいた。50年前の時点で、その気持ちはなお健在だった。日本が、「反動・国民党政権」の台湾と手を切って、唯一の合法政権である北京政府と国交を樹立すべきは当然のことと考えてもいた。田中角栄・大平正芳がそこまで踏み切ったことが嬉しかった。確実に新しい時代が始まる、しかも両国にとっての明るい時代が。屈託なくそう思った。私だけではなく、60年代に学生生活を送った世代の多くが同じ思いではなかったか。
その後半世紀を経て、なんと事態は様変わりしてしまったことだろうか。私の対中国の思い入れも確実に変わらざるを得ない。とりわけ衝撃的だったのは天安門事件、そしてそれに続く中国共産党の「断固たる民主化運動に対する弾圧」の姿勢である。さらに、チベット、新疆ウイグル、そして香港などに典型的に見られる強権的な剥き出しの人権弾圧。人権や自由や民主主義を否定する、この党とこの政権。文明世界にありうべからざる非文明の異物が世界を大きく侵蝕しつつある。50年前の不敏を恥じ入るばかりである。
それでも、中国の地理的な位置は変わらない。隣人として交流せざるを得ない。どうすれば、上手な付き合いができるだろうか。
一昨日(9月27日)の毎日新聞朝刊1面に、「日中 対話を重ねる以外にない」という河野洋平(元衆院議長)の見解が紹介されている。「対話を重ねる以外にない」という、その姿勢に賛意を表明して、要点を引用したい。
「1972年の日中双方の人的往来は約1万人。それがコロナ禍前の2019年には1200万人になった。両国の関係は緊密になっている。にもかかわらず現在の両国関係が厳しいのは、政治の責任だ。
香港や新疆ウイグル自治区での人権問題は看過できない。だからといって力で中国に言うことを聞かせることは難しい。なにができるかと言えば、やはり対話をする以外にない。今、一番欠けているのが政治的な対話だ。
習近平国家主席発言に、米国をはじめ世界中の国が警戒感を持った。多民族国家をまとめるために旗印をあげただけだと主張する中国人もいる。実際に話し合ってみないとわからない。会って、話をして、『本当はどうなんだ』と言うべきだ。
日中は国交正常化の際の共同声明で「お互いに覇権を求めない」と約束した。日本はそうした話をできる立場にある。それをせずに米国と一緒にどこまでも行く、米国のお使いのようなことをやっていれば、対話の雰囲気を自分で壊しているようなものだ。
「自由で開かれたインド太平洋」という構想がある。中国包囲網と言ってはいないが、そういう意味があるのだろう。しかし、中国を包囲すれば対抗意識が出てきて、本当の秩序維持はできない。中国をサークルに入れて話し合わなければ真の平和は維持できない。包囲するのではなく対話をする。力で押さえつけるのではなく、問題は平和的に解決するというのが日本の国是のはずだ。戦争をしないために命がけで努力するのが政治家の務めだ。
殴った方は忘れても、殴られた方は覚えている。国交正常化の際に中国は戦争賠償請求を放棄した。先の大戦で日本がどれほど大きな被害を中国の人たちに与えたかということは忘れてはいけない。
正常化で問題がすべて解決したわけではない。日本ではよく「小異を捨てて」と言うが、捨ててはいけない。小異は残っている。小異については爆発しないように手当てをしながら、解決に向けていつまでも努力を続けることが大事だ。」
さすがに立派な発言だと思う。中国共産党の人権弾圧の姿勢には批判をしつつも、中国を敵視することなく、粘り強く対話を重ねるほかに道はないというのだ。同感するほかはない。
私が、再び中国に人類の希望を見たり、中国共産党を見直して高く評価することはないだろう。しかしまた、中国の人々や文物を嫌ったり憎んだりすることもありえない。日中両国は、意識的に対話を継続しなければならない。国家も、国民も。