都教委の開き直りを許さない
本日、都立校の現役教員7名が東京都人事委員会に懲戒処分の取消を求めて審査請求を申立てた。それに伴う記者会見を、都庁で行った。被処分者の会の代表と事務局長、4人の審査請求人、そして弁護団から私が出席した。
この現役教員7名に対する戒告処分は、昨年12月17日に発令された。実は、この7人の方、いずれも同じ行為で2度目の処分を受けたもの。みな、怒り心頭。事情はこうだ。
よく知られたとおり、都教委は累積加重の処分を重ねてきた。式典での国歌斉唱時の不起立1回目は戒告。2回目目は減給(10分の1・1か月)、3回目目は減給(10分の1・6か月)、4回目は停職(1か月)、5回目は停職(3か月)、6回目は停職(6か月)…である。
これは、思想転向強要システムにほかならないとして、さすがに行政に甘い最高裁も、減給以上の処分をすべて違法として取り消した。このような取り消しが今のところ、25人30件に及んでいる。
昨年12月に戒告処分を受けた現役の7人は、いずれも減給処分の違法を争って、最高裁まで争って勝訴判決を得た人々である。都教委の違法な処分によって、有形無形の大きな被害を受けてきた人たち。ようやく訴訟に勝訴したら、都教委は「減給処分だったから裁判に負けた。改めて戒告処分として出し直す」とされた。これはひどい。
刑事事件では一事不再理という原則がある。警察も検察も、一度無罪になった事件を蒸し返してはならない。「あの事件、窃盗として起訴したら無罪になった。じゃ今度は横領で起訴だ」などということは許されない。今回の都教委がやったのは、実質的に同じことだ。「減給処分は違法で取り消しか、それなら今度は戒告だ」というもの。
都教委は、25人30件の裁判で負けて処分を取り消された。このことを深刻に受けとめなければならない。あの行政に甘い最高裁に、「いくら何でも、都教委のやり方はひどい」と違法の認定を受けたのだから。
仮にも法治国家の行政の一翼を担う都教委である。最高裁からアウトの宣告を受けたら、形だけでも、口パクでも、過酷な処分をされた教員に謝罪しなければならない。なぜ違法な行為に及んだのか原因を究明しなければならない。そして、責任者を明確にし、再発の防止策を真剣に考えなければならない。その過程を、都民に説明し、明らかにしなければならない。これが、今の世の常識。
ところが、都教委はやるべきことをまったくやらない。謝罪も反省もしない。責任者の追及も再発防止策も、何もかも。他人には過酷で自分には甘い。絶対に自分の間違いを認めようとしない、恐るべき体質。やるべきことをすべてネグレクトして、都教委がやったことは開き直りの八つ当たりだった。
最高裁の法廷意見は、処分の違憲性までは認めなかった。しかし、多くの裁判官が異例の補足意見を書いている。「なんとか都教委のイニシャチブで教育現場を正常化してもらいたい」「そのために、話し合ってはどうか」「まずは都教委が謙抑的であるべきだ」というもの。これを受けて、都教委が歩み寄りの姿勢を見せるのかと思いきや、この八つ当たりなのだ。
7人の身にもなって見よ。6年も7年も裁判をやって、苦労を重ねてようやく最高裁で裁判に勝ったのだ。こうして減給処分を取り消したら、「改めての戒告処分として出し直しだ」という。人事委員会の審査請求から始めて、最高裁まで。気が遠くなるような闘いをまた始めなければならない。
今日の記者会見では、4人の教員が発言した。
「都教委は、私たちのような教員がいなくなることを望んでいます。しかし、記者の皆さん、それでよいのでしようか。多様な意見がひとつにまとめられていくことに危機感はありませんか」「生徒たちには、自分の意見を大切にしなさいと教えています。でも、そのことを言えなくなる雰囲気があります」
石原慎太郎が308万票を獲得した傲りから「日の丸・君が代」の強制が始まった。いま、新知事は石原後継を標榜していない。保守であっても良識を示して欲しい。昨日の初都庁では職員に、「都民からの信頼の回復」を説いたとのこと。それなら、まずは都教委からだ。何とかしたまえ教育委員の諸氏。このままでは、教育現場の「混乱」が続くだけではない。恥の上塗りをすることになりますぞ。
(2014年2月13日)