東京大空襲犠牲者を悼んで
戦前、3月10日は陸軍記念日だった。1905年3月10日に日露戦争での奉天会戦で勝利した帝国陸軍が奉天(現在の瀋陽)に入城した日が起源。以下の陸軍奉祝歌(作詞 陸軍省新聞班、作曲 山田耕筰)というものがある。
奉天戦の勝鬨の
聞こゆる今日の記念日は
我が陸軍の誉れぞと
国民挙げて祝うなり
日露の役に誓いたる
挙国一致を偲びつつ
東亜の光満蒙に
躍進の鐘鳴り響き
戦果は実る過ぎし日の
赤き血潮に築きたる
天業の道揺るぎなく
平和の楽土春深し
世界の柱我が日本
同胞全て九千万
鉄の結びに義は重く
幾度経ぬる聖戦の
輝く跡を身に締めて
巨き歩みや日の御旗
戦意昂揚の歌をあげつらうのも大人げないが、なんと空虚で浅薄な。
皇軍の道徳性や正当性を「東亜の光」「平和の楽土」としか言えない。そんなタヨリないもののために、「日の御旗」を掲げた「聖戦」への「挙国一致」「鉄の結び」を国民に呼び掛けている。「世界の柱我が日本」「天業の道揺るぎなく」などとはよくも言ったり。戦後レジームからの脱却を呼号する安倍晋三の頭の中には、こんなフレーズがつまっているのだろうか。
1945年の「今日の記念日」早暁、325機のB-29爆撃機が東京を襲った。超低高度で人家密集地に焼夷弾の雨を降らせた。折からの春の強風が火を煽って、人と町とを焼きつくした。防空法と隣組制度で逃げれば助かった多くの人命が奪われた。
米軍がことさらに陸軍記念日を狙って東京を空襲したという証拠はないという。しかし、この記念日に続いて翌11日が日曜日にあたり、疎開していた子どもたちの多くが一時帰宅していたという事情があった。そのために、意外にも子どもの死者が多い。 こうして、1945年の陸軍記念日は、「我が陸軍の誉れ」の終焉の日となった。この日は、「国民挙げて祝う」どころではない。死者の数は10万人を超すとされている。無惨に生を断ち切られた10万の死者の無念、遺族の無念に、黙祷し合掌するしかない。
空襲の犠牲者は、英霊と呼ばれることもなく、顕彰をされることもない。その被害が賠償されることも補償されることもない。それどころか、戦後の保守政権はこの大量殺戮の張本人であるカーチス・ルメイに勲一等を与えて、国民の神経を逆撫でにした。
広島・長崎の原爆、沖縄の地上戦、そして東京大空襲‥。このような戦争の惨禍を繰り返してはならないという、国民の悲しみと祈りと怒りと理性が、平和国家日本を再生する原点となった。もちろん、近隣諸国への加害の責任の自覚もである。2度と戦争の被害者にも加害者にもなるまい。その思いが憲法9条と平和的生存権の思想に結実して今日に至っている。
安倍政権がこれに背を向けた発言を繰り返していることを許してはならない。3月10日、今日は10万の死者に代わってその決意を新たにすべき日にしなければならない。
*******************************************************************
NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
*******************************************************************
NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
********************************************************************
「フルーツ・ハンター」(アダム・ゴウルナー著)と「カカオ採る子ら」
果物は美味い。口にすれば甘い幸せがひろがる。今の季節はリンゴ、イチゴ、キュウイフルーツ、デコポン、アボカド、バナナなど。朝食は果物とヨーグルトとコーヒーで充分だ。たしかに、私たちの先祖はチンパンジーなのだ。
子どもの頃は果物など贅沢も贅沢、なかなか手が届かないもので、「水菓子」といって珍重した。バナナなど病気になった時に食べるか、遠足に持って行けたら上等だった。それが今ではどうだ。バナナは一番安価な食べ物となった。庭の木になる柿を食べたがる子どももいないというではないか。子どものころの憧れを満たそうとする、「昔の子ども」にとって、果物は永遠に輝く魅力を失わない。四季折々、入れ替わり立ち替わり現れる果物をみれば、豊かになったものだとしみじみと思う。
「フルーツ・ハンター 果物をめぐる冒険とビジネス」(アダム・リース・ゴウルナー著 白水社)は、果物についての広大な世界を展開している。著者はカナダ出身のジャーナリスト。完熟果実の美味しさに取りつかれた著者は、ブラジル、ハワイ、ボルネオ、セーシェルのプララン島、アフリカのカメルーンそして世界中から果物の集まるニューヨークをくまなく調査する。糖度、果汁、芳醇な香り、色、手触り、艶、形の妙についての語り口は、すぐにその果物を木から直接もぎ取って味わうために駆け出したいような気分にさせる。
果物を追及する奇妙な情熱に取りつかれた人々の紹介もある。シカゴの大実業家のホイットマンは家族連れで、ジャングルの島々を熱帯果実を求めて歩き回った。ホイットマン家の息子たちは大勢の人から、あんたたちはサーカスの一団かときかれ、果物マニアの父親のそばで幸せに育った。父親が採集した植物をフロリダの庭で栽培したので、どこの家の庭にもチュパチュパがなっていると思い込んでいた。息子の友人たちは、弁当に入っているウルトラ・エキゾチックを味見したいとうるさくせがんだという。
接ぎ木に取りつかれたグラフティン(接ぎ木屋)・クリフトの情熱と強迫観念の話もある。「おれは果物作りが好きなんだ。新しいものを作り出すことがね。ワクワクする。グレートデンを産み出したブリーダーのような気持ちだ」。接ぎ木によって生みだされた「生命の木」にはスモモ、モモ、サクランボ、アンズ、アーモンド、ネクタリンが同時に実をつけていたのである。接ぎ木症とは「その技法にのめり込み、熱心さを通りこして、四六時中頭から離れなくなる」と警告される病状をさす。クリフトはそんなことはちっとも気にしない。フェアチュイルド熱帯植物園で木に登って接ぎ木をしているところを捕まったことがある。今では警備員がナイフと接ぎ木の用具を入り口で預かっているそうだ。
この本の中には果物にまつわる負の側面も書き込まれている。「知識とひきかえに魂を売ったファウスト博士のように、果物にも不快な副作用がある。殺虫剤に残留農薬。ワックスに着色料。とどまるところを知らない石油の大量消費。放射線照射および燻蒸施設。冷蔵室での数ヶ月にわたる保存。違法果実を大型トレーラーに積み込んでコロンビアから密輸する果物長者…」について書かれている。
バナナ共和国(アメリカ資本によってバナナなどの一次産品の輸出をとおして牛耳られた中南米諸国)を支配したユナイテッド・フルーツ社のホンジェラス、グァテマラで行った政権転覆や人権蹂躙、そしてキューバのピックス湾事件に果たした汚い役割まで、しっかり書き込んでいる。甘いおいしい果物の苦い側面も書いた骨太の物語だ。
ところで、本日(3月10日)の中畑流万能川柳の秀逸は、次の一句。
「カカオ採る子らは知らないチョコレート」(句意なし)
私たちは確かに豊かになった。果物もチョコレートもふんだんに食べられる。しかし、その豊かさが、カカオ採る子らの貧しさの犠牲においてのアンフェアなトレードの結果なのかも知れないと思うと、甘いはずのフルーツもやや口に苦い。
(2014年3月10日)