96条改憲批判ーその4 「96条改正は改正限界を超える」説
一昨日のブログで、法には序列があることを述べた。実は憲法の内部にも序列がある。これなければこの憲法ではなくなるという「憲法の中の憲法」を根本規範といい、それ以外を憲法津と読んで、差別化している。ハンス・ケルゼン以来の通説的な憲法論だ。
憲法改正は何でもありではない。改正には限界がある。根本規範は、憲法制定権者の意思を体現するものとして、これを法的な意味で改正することはできない。現行憲法の規定で選任された国会議員や首相や閣僚が、この根本規範をないがしろにするような改正の原案作成はできない。国会はそのような改正案の発議ができない。
「できない」の意味は飽くまで法的なもので、政治的な意味ではやってできないことではない。むりやりにやられてしまえば、事後に法的に争うことが困難であることは否めない。しかし、そのようにしてできた憲法は日本国憲法とは別の憲法であって、日本国憲法と一体性のある改正憲法ではなくなる。そのような「改正の限界を超えた改正案の発議」がもつ正当性の欠如は、「改正手続」において、十分に吟味し批判されなければならない。その際の十分な理論的批判の根拠たりうるのだから、改正の限界を論ずる実益はある。
何が根本規範か。国民主権・基本的人権・平和主義、この日本国憲法3本の柱を根本規範というべきことではほぼ一致している。問題は、96条の憲法改正手続条項である。憲法制定権力が憲法を確定する際に、憲法の硬性度について自ら決めて、憲法に書き込んだ。その96条を、今にして覆すことができるのか。
憲法改正規範については、根本規範に準じる位置にあるとの考え方が常識的なところ。国民主権・基本的人権・平和主義と同様に、改憲手続き条項も、立憲主義の表れの一面として、日本国憲法が日本国憲法であるための根本規範に準じるということができる。
従って、96条改正も「憲法改正の限界」の対象たりうることが憲法学界の大方の考えといってよいだろう。少なくとも、国民投票抜きの国会の議決だけで憲法改正を可能とする改正手続条項への変更は、「改正の限界」を超えるものとするのが多数説。
では、国会の発議要件を3分の2という特別多数から、一般の法律制定と同じ2分の1超まで緩和することは、憲法が許容するところだろうか。それとも改正の限界を超えるものというべきだろうか。
通説とまではいえないが、「改正規範(96条)の改正」は、憲法制定権力自らが憲法改正権を制約して、憲法全体の擁護を意図したものである以上、改正規範(96条)の改正は根本規範同様にできない、という有力説がある。日弁連の意見書では、これを多数説と紹介している。
問題は、学者の意見分布よりは、自分がどう納得し、どう人に語りかけることができるかだ。
こんなふうに語ってみてはどうだろうか。
*「何とか、安倍自民の目論む96条改憲を阻止したいと思うんだ。究極の批判としてどんなことが言えるんだろうか」
☆「究極の批判ねえ。『96条改憲は、憲法改正の限界を超えている』という批判はどうだろう」
*「憲法改正に限界なんてあるのかい? どういうこと?」
☆「憲法はまとまった一つの体系を形成しているから、これをはみ出す「改正」は、もとの憲法との同一性を保つことはできない。そのような「改正」は憲法が許すところではない、ということだ」
*「憲法の体系をはみ出すって、たとえばどんなもの?」
☆「たとえば、旧憲法では天皇主権だったが現行憲法では国民主権となった。これをもう一度天皇主権に戻すという「改正」は、明らかに現行憲法体系をはみ出す。このことを「改正」の限界を超えているという。これに対して、象徴天皇制を廃止するという内容であれば、当然許容される改正範囲内。憲法が想定している改正には自ずから限度があって、想定外のものは改正とはいわないということだ」
*「分からないではないが、まだ腑に落ちない。想定内と想定外の境界の線引きはどうするんだ」
☆「憲法は、主権者である国民が憲法制定権力となって制定した。従って、憲法における主要なプレーヤーは、『憲法を作った主権者である国民』と『憲法によって作られた国家権力』の2者となる。そして、憲法は、国民の国家権力に対する命令の体系としてできている。この国民主権を変更することは原理的にできない。また、人権と平和は、憲法の最高の価値でその価値を守るため、守らせるために憲法ができている。これも変えることはできない。このような、憲法の中の憲法というべき条項を根本規範といっている。根本規範を改正することは想定外だ」
*「分かったことにして先に進もう。問題は96条の改正が憲法の許容する改正の範囲内なのか、想定外として許されないのかだ」
☆「改正手続条項自体は根本規範とは言いがたい。でも、主権者が憲法体系全体をどの程度変えてはならないものと憲法に書き込んだかは、尊重されなくてはならない。だから、改正手続条項は『根本規範に準じる』ものとしての位置づけが与えられる」
*「結局、改正の限界を超えているといえるのかい」
☆「いま、改憲問題や小選挙区制問題で大活躍の上脇博之さんは、近著「日本国憲法対自民党改憲案ー緊泊! 9条と96条の危機」(日本機関紙出版センター・2013年5月10日刊)で、歯切れ良く「硬性憲法の軟性化は違憲」として、国会の発議要件のあり方を軽視してはならないと警鐘を鳴らしている。この書は、一般向けにコンパクトだが丁寧な叙述で分かり易い。改憲問題の経過や背景事情についてもよく書き込まれている。値段もお手頃(857円)。お薦めしたい」
*「結局はそちらで勉強しろということか」
☆「96条改憲が、国民投票抜きの手続への改正となれば、憲法改正の限界を超えるとして許容されないというのは多数説だ。自民党改憲案のような、国会の発議要件だけを変えることを憲法が許さないとする考えが多数説とは言えない。しかし、憲法を制定するに際して、主権者国民が大事な憲法をできるだけ変えてはならないとして3分の2条項を書き入れたのだ。その主権者の意思が脈々と憲法に生きていると考えれば、『96条の手続要件緩和は改正の限界を超えたものだ』と言えると思うんだ。これが究極の批判だろうね」