澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「ノルウェー漁業」に学ぶー経済競争は果たして善だろうか

昨日(10月21日)の毎日新聞第11面。「地球INGー進行形の現場から」という月に1度の連載ルポが、「ノルウェー管理漁業」を取り上げた。ノルウェー漁業政策の成功譚である。「浜の一揆」衆に加担している私には、ノルウェー漁業が話題となること自体が欣快の至り。

調査の行き届いた内容の濃い記事を読んで、改めて考えさせられることが多い。漁業関係者ならずとも、興味をそそられる内容ではないか。長文の記事なので、私の関心にしたがって要点だけを紹介する。

まず、見出しをご覧いただきたい。これだけで、あらかた内容を理解していただけよう。
◇船ごとに漁獲量割り当て
 過当競争をやめ資源回復
 漁業者の生活も安定
◇危機直面 科学的助言を重視

何よりも、目を惹くのは、ノルウェーの漁民が経済的に豊かだということだ。後継者問題での悩みが深い日本の漁民の目からは羨ましい限り。
「ノルウェーの漁業は最近、高収入が期待でき、漁師の年収は600万〜1000万円にもなる。子が漁師を継ぐケースも多い」「管理漁業で漁業者の生活は安定した。20億円前後の大型漁船を購入して10年でローンを返済することも珍しくない。冷凍工場の社員が耳打ちしてくれた。『漁師は今、高級車を買って、大きな家を新築している』」

もう一つは、ノルウェー漁民の余裕である。
「『漁師仲間と電話で情報を交換する‥』と船長は言う。漁師同士はライバルではなく仲間なのだ」「船長は言う。『過当競争は水産資源を傷つけ、最終的に自分たちの首を絞める』」ここが最も印象に深い。

この成功をもたらしたのは、「船ごとに漁獲量を割り当て、漁業者同士で漁獲枠の貸し借りや、売買ができることを柱にした『漁船別漁獲割り当て(IVQ)』と呼ばれる管理漁業」の導入である。ノルウェーやニュージーランドでは、この制度の導入が成果をあげているのだ。

海洋資源は本来誰のものでもない。所有権が設定された農地に生産された農産物とは、根本的に性格が異なる。我れ勝ちに乱獲することの不合理は誰の目にも明らかではないか。まずは、資源保護のために漁獲可能の総量を科学的に算定する。これをTAC(Total Allowable Catch)制度と呼んでいる。この総量(TAC)は、多くの国において漁業経営の単位ごとに割り当てられている。この個別の漁獲高割り当て制度をIQ(Individual Quota)という。漁船単位の割り当てを(IVQ)というようだ。

IQが定められれば、漁民間の競争はなくなる。抜け駆けは不要、無理をすることもない。漁師それぞれが、自分にとって一番都合のよい時期に稼働すればよい。「ヨーイ、ドン」で解禁された漁場に出向いて、限られた時間で他人より多くの漁獲高を上げようとする不毛な努力は不要となる。そのような「オリンピック方式」がもたらす無駄もなくなる。

イカ釣漁業の集魚灯は、最初は小光量・小電力で十分な漁獲があった。それが、大光量化・大消費電力化の歴史をたどって、燃料依存度の高い産業となり、燃油高騰を背景に厳しい経営を余儀なくされている。大光量化・大消費電力化は、主としては漁船間の競争によって余儀なくされたものだという。一斉に漁場に出て、他の漁船に負けまいとする競争がこのような、不合理な結果をもたらしている。

日本では、何種類かの魚種にTACの制度が導入されているが、IQの導入はない。IQなしのTACは、漁民をさらなる競争に駆りたてることになる。「IQ制度は漁業経営単位ごとにあらかじめ期間中の漁獲枠が与えられているので,その枠をいかに効率的,経済的に利用していくかは,漁業経営単位の裁量に任されている。このことは漁業経営に安定性をもたらすほか,資源を持続的に利用できるという資源管理上の効果を期待できる点に特徴がある」と研究者は解説している。

漁民の漁獲高に個別の制限が設けられれば、漁民がコストの削減に意を用いることになるのは理の当然。漁船単位でも漁業界全体でも、省エネ省資源に資することが必定となる。

漁業政策の基本理念は、「水産資源の維持」と「漁業者間の利益の公平」の2点に尽きる。TACとIQの制度は、これを二つながら満足させることになる。この政策を採用するよう、強く要求しているのが「浜の一揆」の主体となっている岩手県漁民組合なのだ。ところが、岩手県の水産行政がいっこうにこれに応える姿勢がない。本来、行政が主導して、漁民のための政策を実行すべきなのだが、実態は真逆なのだ。漁民組合の有志は、ノルウェーまで出かけて行って、彼の地の制度の成功を学んでいる。弘化や嘉永の三閉伊一揆においても、一揆衆は周到に学習を積み上げていた。「浜の一揆」も同じなのだ。

毎日の記事によれば、ノルウェーも昔からこうだったのではないという。
「ノルウェーは1960〜80年代にかけ、乱獲で水産資源を枯渇させた。ニシンは69年からの約10年間、ほとんど漁獲量がなく、マダラは80年代後半に漁獲量が激減した。
 漁業関係者には『繰り返すな(ネバー・アゲイン)4月18日』という合言葉がある。89年のその日、海からマダラがいなくなり漁師は沿岸漁の停止に追い込まれた。この『事件』が危機感を呼び、政府は水産資源保護に本腰を入れた」

こうして、「漁船別漁獲割り当て(IVQ)」と呼ばれる管理漁業が導入された。複合的な政策が効果を上げ、水産資源は90年代から回復した。結果的に漁業者の生活も安定する。「81年に13億4500万クローネ(当時のレートで約516億円)だった漁業補助金は現在、ほぼ0だ」という。

 水産会社「極洋」(本社・東京都港区)の房田幹雄さんの話でルポは締めくくられている。「房田さんは34年間、この時期、現地で品質をチェックしている。房田さんは『しっかりと漁獲量を管理することで漁師は船を大きくし、冷凍会社は倉庫を広げた。日本にないほどの大きな船や倉庫がノルウェーにある。将来を見据えた水産政策が実を結んだ。日本が見習うべきことは多い』と語った」

「取材後記」として、記者の感想が述べられている。
「(両国の漁業事情の)違いを理解しながらも、水産資源を保護しながら、漁業者の生活を安定させたノルウェーから学ぶことは多い。水産資源が枯渇してしまっては文化や地域コミュニティーも維持できないからだ」

我々は、経済社会においては競争の存在こそが善で、優勝劣敗あることは当然との思想を刷り込まれてはいないだろうか。資源の有限性が誰の目にも明らかな時代に、力によるその分捕り競争を認めることは、実は全体の利益に反することとなるまったく愚かなことではないだろうか。

漁業という場において、限りある資源の合理的な配分を通じて資源の維持に成功すれば、これは文明史的な大事件ではないか。そのとき「浜の一揆」は大仕事を成し遂げることになる。もちろんその時点では、県の水産行政は一揆衆の味方になっているはずだ。
(2014年10月22日)

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Published in 水曜日, 10月 22nd, 2014, at 21:14, and filed under 浜の一揆.

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