澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

口頭弁論ご報告ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第29弾

本日、私が被告になっている「DHCスラップ訴訟」(東京地裁民事第24部)の第4回(実質第3回)口頭弁論が開かれた。

前回(9月17日)の期日では、裁判長は原被告の双方に「主張対照表」の作成を指示した。「現在、東京地裁での名誉毀損訴訟の審理においては通常このような対照表を作成するかたちで行っていますので」とのコメントを付しての指示であった。

名誉毀損訴訟の事案類型は、「事実摘示型」と「論評型」の2類型に大別される。
前者は、特定の人物の「社会的評価を低下させる事実」を摘示(曝露)するタイプの言論を違法と主張するもの。後者は、既知の事実を前提とした批判(評価)の言論を違法と主張するもの。各々の判断枠組みが異なる。

事実摘示型の言論は原則として違法とされ、違法性を阻却される要件が充足されるかという観点で審理が進行する。違法性阻却事由は、(1)当該の言論が公共に係るもので、(2)もっぱら公益をはかる目的でなされ、(3)かつその内容が真実である(あるいは真実であると信じるについて相当の理由がある)場合とされる。(1)公共性、(2)公益性、そして(3)真実性(ないし相当性)と定式化される。この3点を充たして始めて、他人の名誉を毀損する言論が許容されるという枠組みでの判断なのだ。

これに対して、論評型では、問題とされている言論の真実性や真実相当性が問題となる余地はなく、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱」していない限りは違法性がないとされる。

本件において対照表を作成することに、さしたる意味はない。原告は、私のブログの文言を寸断して、「これも事実の摘示」「あれも事実の摘示」という。これに対して、被告は「事実の摘示であることを争う」「全ては、原告吉田が週刊誌に告白した事実と社会的に周知されている事実から合理的に推論した論評である」と反論する。

もちろん、本件名誉毀損訴訟は典型的な「論評型」と理解しなければならない。DHC吉田嘉明からみんなの党渡辺喜美に8億円ものカネが渡されていたことを曝露したのは私のブログではない。吉田自らが週刊誌で曝露したことなのだ。私は、吉田の手記を前提に論評したに過ぎない。つまりは、論評の前提となる事実は、吉田自身が提供したものなのだ。仮に吉田手記が真実でないと仮定しても、私が真実と信じるについて相当な理由があることは明白である。私の言論は、既知の事実を前提とする論評なのだ。

本日の裁判所の仕切は、被告に対して「論評が前提とする事実を、『吉田が週刊誌に告白した事実』というだけではなく、もっと特定していただきたい」というものだった。裁判所の求めているところや、裁判所の考え方などを明確化するためのやり取りがかなり長時間続いたが、裁判所の基本的な枠組みについての考え方が、常識的なものと確認できたので指示に従うことを了解した。

とは言うものの、釈然としないものが残る。本件は、8億円ものカネを政党の党首に注ぎこんだ人物を対象に、その行為を民主主義の政治過程を金の力で歪めてはならないとの観点から批判し、社会に警告を発したものである。私のこのような言論が、仮に、いささかでも違法というのであれば、およそ政治的言論は成り立たなくなる。同種のスラップ訴訟が頻発することとなり、これを恐れたジャーナリズム総萎縮の事態が出来することとならざるを得ない。それは、憲法21条が画に描いた餅になることを意味している。民主主義の衰退の由々しき事態でもある。

裁判所には、そうさせないための訴訟指揮を期待したい。

次回の口頭弁論期日は、年末ぎりぎり12月24日午前11時?11時30分。631号法廷である。

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法廷終了後、第一東京弁護士会の講堂を借りて、報告集会を行った。
弁護団長の経過説明のあと、三宅勝久さんの「『名誉毀損裁判』という訴訟テロにどう立ち向かうか」という報告に耳を傾けた。

三宅さんは、武富士の記事を書いて1億1000万円の損害賠償請求訴訟の被告となったジャーリスト。三宅さんは、スラップ訴訟という言葉を使わない。生々しさがないという。「訴訟テロ」という表現がぴったりだという。

印象に残ったのは、不当な恫喝目的訴訟には逆効果を突きつけなければならない、という提言。具体的には下記の5点を挙げた。
1 訴訟テロの被害者は、屈することなく、脅しには効果がないという断固たる姿勢をみせる。
2 訴訟テロを起こすことが、真っ当ではない企業だという評判が広がり、業績が落ちる。株価も落ちる。
3 訴訟(反訴)を通じて、訴訟テロ企業に関するより多くの問題を明らかにする。消費者被害、労働被害を発掘し、社会にあらたな話題を提供する。
4 訴訟テロ企業を支援したり、脅しに屈しているメディアが、相応の社会的批判を受ける結果となる。
5 訴訟テロ支援弁護士が社会的に批判を浴び、同様の仕事をしにくくなる。

訴訟提起が言論の沈黙や萎縮をねらっているのだから、決して沈黙してはならない。萎縮してもならないのだと思う。

なお、8億円事件の金銭交付側批判の言論を対象とする「DHCスラップ訴訟」は、私を被告とする事件を含め計10件ある。そのうち、1件(東京地裁民事第35部係属事件)が訴えの取り下げで終了している。そして、1件(同30部係属事件)が10月16日第4回口頭弁論で終結して1月15日に判決の言い渡しが予定されている。証拠調べなく、結審したことから、事件が論評型として審理を遂げたものと推測して間違いはなさそうであるし、被告側の勝訴も動かしがたいところ。

私の件について直ちに訴権の濫用として訴えの却下が現実的でないとすれば、むしろじっくりと吉田嘉明原告尋問と渡辺喜美証人尋問によって8億円授受の動機や思惑を徹底して明らかにすべきというのが、弁護団結成以来の確認となっている。

主張整理の経過を見つつ、別件の判決内容にも注目しながら、立証計画を具体化すべき時期にさしかかってきている。

それにしても、今回も多くの弁護士と支援の方々に法廷にまで足を運んでいただき、また集会にもご参加いただいた。
厚く感謝を申し上げます。次回もよろしくお願いします。
(2014年11月12日)

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