澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

新年の社説に、戦争に対する真摯な反省のあり方を考える

いまや、日本のジャーナリズムの良心は地方紙が担っている。事実と歴史に真摯に向き合う姿勢において、地方紙の良質さが際立っている。とても地方紙のすべてに目を通すことはできないが、紹介されたいくつかの地方紙社説を読んでみてその感を強くした。昨日(1月4日)の高知新聞社説「70年目の岐路ー日独に見る戦後の歩み」は、その典型。良質だし、語っていることの水準が高い。「自由は土佐の山間よりいづ」という伝統が息づいているからだろうか。

以下は、かなり長文の同社説の要約紹介。
同社説は、ワイツゼッカーの演説から説き起こす。「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも、目を閉ざすこととなります」「非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険に陥りやすいのです」。この言葉は、ヒトラーを選挙という合法的手法で生み出したドイツの人々の頭から離れなかった。そして、「戦後の思想、哲学、文化などの分野での、かんかんがくがくの議論によって、かの国は過去の記憶、戦争責任、そして未来を語り、過去を克服しようと努めてきた」と評価する。
戦後25年目の1970年、旧西ドイツのブラント首相がポーランドを訪問し、ゲットー跡でひざまずき、痛恨の過去について許しを請うた。ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ氏は昨年10月、高知新聞記者らと会談。氏は旧西ドイツ首相の謝罪を評価し、国のリーダーが果たす役割と記憶の風化を防ぐことの大切さを語った。ドイツは統一後も政府や企業が基金を積み立て、戦後賠償を続けた。何より彼らはナチス犯罪の時効をなくし、今も自ら戦争を裁いている。」

同社説は、読者に「被害と加害見つめよ」と語りかける。
日独両国とも敗戦国だが、戦後の典型戦争体験として国民に語り継がれたものが、日本では広島・長崎の「原爆体験」であり、ドイツでは「アウシュビッツ体験」ではないか。前者は「被害」の体験であり、後者は「加害」の体験となろう。

戦後の歩みの中で、ドイツは加害者として謝罪と反省を徹底して繰り返すことによって、近隣諸国からの信頼を回復し、今や欧州の盟主という地位にある。

ワイツゼッカー演説があった1985年、日本では「戦後政治の総決算」を掲げる中曽根首相による靖国神社への公式参拝があった。「英霊」の名の下に戦争の指導者をもまつる一宗教法人への参拝は、憲法の政教分離の原則からいっても果たして許されるのだろうか。安倍首相の靖国神社参拝も、中韓との「トゲ」をあえて刺激した。日独の大きな差異となっている。

社説の最後は次のように結ばれている。
「私たちはあの戦争の被害者意識にとらわれ過ぎていたのではないか。8月の全国戦没者追悼式の式典で安倍首相は、歴代首相が踏襲してきたアジア諸国への『加害責任』に2年続けて触れなかった。日本は今年、どのような戦後70年談話を出すのだろうか。」

強調されていることは2点ある。
まずは、戦争体験における「加害者意識」自覚の重要性である。ドイツでは深刻な加害者意識にもとづく国民的議論があったのに比して、日本では被害者意識が優り加害者意識が稀薄化されている。その姿勢では近隣諸国からの信頼回復を得られない。まずは、ドイツの徹底した反省ぶりをよく知り、参考にしなければならない。安倍政権の靖国参拝などは、信頼回復とは正反対の姿勢ではないか。それでよいのか、という叱正である。

次いで、ドイツの反省が、「ヒトラーを選挙という合法的手法で生み出したドイツの人々の責任」とされていることである。つまりは、ヒトラーやナチス、あるいは突撃隊や親衛隊だけの責任ではなく、ヒトラーを民主的な選挙で支持し政権につかせた全ドイツ国民の責任とし、国民的な「かんかんがくがくの議論」によって過去を克服しようとしたということである。この真摯さが、近隣被侵略国民の評価と許しにつながったということなのだ。

日本でも同じことではないか。天皇ひとりに、あるいは東條英機以下のA級戦犯だけに戦争責任を帰せられるだろうか。国民すべてが、程度の差こそあれ、被害者性と加害者性を兼ね備えている。天皇制の呪縛のもと煽られた結果とは言え、戦争を熱狂的に支持した国民にも、相応の戦争責任がある。再びの戦争を繰り返さないためには、戦前の過ちの原因についての徹底した追求と対応とについての国民的な「かんかんがくがくの議論」の継続が必要なのだ。

その議論においては、侵略戦争を唱導した天皇の責任の明確化と、天皇への批判を許さず戦争へ国民を総動員した天皇制への批判を避けては通れない。天皇の戦争責任をタブーとして、あの戦争の性格や原因を論じることはできない。

皇軍の兵士を英霊と称える姿勢は、加害者意識の対極にあるものだ。ここからは、あの戦争を侵略戦争と断罪し反省する意識は生まれない。皇軍が近隣諸国で何をしたのかについて、真摯に事実と向かい合いその責任を問うことができない。靖国神社とは、公式参拝とは、そのような重い意味をもつものである。

戦後70年。遅いようでもあるが、「被害者意識から脱却して、加害者としての責任の認識へ」国民的議論を積みかさねなければならない。

ところで、東京新聞は「東京の地方紙」として、全国各紙に比較してその良識を際立たせている。これも、元日付け「年のはじめに考える 戦後70年のルネサンス」という気合いのはいった長文の社説を書いている。全体の論調に異論はない。が、どうしても一言せざるをえない。

末尾を抜き書きすれば、次のとおり。新聞の戦争責任に触れたものとなっている。
「◆歴史の評価に堪えたい
戦争での新聞の痛恨事は戦争を止めるどころか翼賛報道で戦争を煽り立てたことです。その反省に立っての新聞の戦後70年でした。世におもねらず所信を貫いた言論人が少数でも存在したことが支えです。政治も経済も社会も人間のためのもの。私たちの新聞もまた国民の側に立ち、権力を監視する義務と『言わねばならぬこと』を主張する責務をもちます。その日々の営みが歴史の評価にも堪えるものでありたいと願っています。」

その言やよし。しかし、天皇が唱導した戦争を煽り立てたことを反省する、その同じ社説の中に、次のような一節がある。
「81歳の誕生日に際して天皇陛下は『日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国とともに支え合って歩んでいけるよう願っています』と述べられました。歴史認識などでの中韓との対立ときしみの中で、昭和を引き継ぎ国民のために祈る天皇の心からのお言葉でしょう。」

一瞬我が目を疑った。これが、私がその姿勢を評価してやまない東京新聞の意識水準なのだろうか。この姿勢では、天皇や天皇制に切り込んで戦争責任を論ずることなど、できようはずもない。

私は、「陛下」や「殿下」「閣下」などの「差別語」は使えない。「お言葉」もそうだ。「陛下」や「お言葉」をちりばめた紙面で、「権力を監視する義務と『言わねばならぬこと』を主張する責務」を果たせるだろうか。本当に、「その日々の営みが歴史の評価にも堪えるものでありたい」と言えるのだろうか。

魯迅の「故郷」の中の名言を思い出そう。
「希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。
それは地上の道のようなものである。
地上にはもともと道はない。
歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。」

「天皇の権威などというものは、もともとあるものではない。
それは地上の道のようなものである。
天皇の権威を認め敬語を使う人が多くなれば、
それが集積して天皇の権威となるのだ。」

だから、「陛下」や「お言葉」を使うことは、自覚的にせよ無自覚にせよ、天皇の権威の形成に加担することであって、戦争の惨禍への反省とは相反することとなる。とりわけ言論人がこの言葉を使うことは、自らの記事の価値をおとしめ、センスを疑われることになろう。
(2015年1月5日)

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