横田耕一氏の総選挙総括ー「改憲暴走を許した衆院選挙」
先日、「文京の教育」が通算499号だとご紹介した。本日配達された「靖国・天皇制問題情報センター通信」が、これまた通算499号。これも本日届いた「法と民主主義」が495号。「青年法律家」が527号。マスメディアに情報の独占を許してはいない。内容も充実している。ミニコミ誌、それぞれに大健闘ではないか。
「センター通信」の巻頭言となっている横田耕一さん(九大名誉教授・憲法)の「偏見録」が連載45回目。今回は「安倍内閣の改憲暴走を許した衆院選挙」という標題。護憲に徹した立場からの選挙総括の典型と言えるだろう。いつものとおり、誰にも遠慮しない筆致が小気味よい。毎回貴重な問題提起として敬意をもって拝読しているが、今回は多少の異論がないでもない。
「昨14年12月の衆議院総選挙では安倍自民党が大勝した。投票率が低かったこととか、その中での自民党の獲得票数は全有権者の過半数にもはるかに及ばないなどということで選挙の結果がもっている意味を矮小化してはならない。」
この点は、私と強調点こそことなるものの、意見が異なるというほどではない。
「私見では、このたびの選挙の最大の課題は、多数にものをいわせて強引に特定秘密保護法を制定したり、閣議決定等で9条の意義を骨抜きにしようとしたり、マスメディアを牛耳りネット右翼なみのデマ・暴論を振りまいて国民意識を一元化しようとしている安倍内閣・自民党の暴走を止めることであった。」
まったく同感である。横田さんがこう言うと迫力がある。
「選挙は世論調査ではないから、小選挙区においては、自分の考えと一番近いからといって当選の可能性の無い野党候補者に投票し死票を累積することは無意味であり、極端に言えば自分の考えと違う候補者であってもその者に投票し、一人でも自民党議員を減らすことが必要であった。」
一般論としては、そのとおりなのだろう。しかし、現実にはなかなか難しい選択となる。横田意見を純粋に貫けば、非自民票を第2党に集中せよということになり、選挙区選挙での第3党以下の出番はないことになる。しかも、非自民、必ずしも反自民ではない。第三極という積極的自民補完勢力もある。小選挙区制を所与の前提にしている立論に、違和感を持たざるを得ない。
「その観点からすれば、野党間で候補者が乱立競合して自民党候補が当選することとなる結果は最悪であった(状況は異なるが、反原発が主要矛盾であったはずのこの前の東京都知事選挙でも、党利が優先したようにみえる)。」
国政選挙での選挙協力の困難さを知りつつの苦言として受け止めるべきだろう。今回選挙の沖縄現象を全国規模で実現できていれば、国政を揺るがせたはず。そのような提言と承っておきたい。なお、かっこ書きの内容にはまったく異論がない。「党利が優先したようにみえる」の「党」とは共産党のことで、宇都宮候補に指示して細川護煕氏を反原発統一知事候補に押し立てることができる立場にあったことを前提にしての「党利優先」というものの見方だ。党利優先ではなく、都民優先あるいは反原発政策優先であれば、その後の政界の景色が相当に変わったものとなっていただろうにとは思う。
「したがって、特定の反対政党の議員数が多少増えたということで喜んでも、結果的に自民党が大勝しては、自己満足はあっても、大局的には何の意味もないだろう。」
いや、これは手厳しい。「特定の反対政党」とは共産党のことだろうが、「多少増えたところで、大局的には何の意味もない」とはニベもない切り捨て。もう少し婉曲なものの言い方もあろうに、とは思う。
「『アベノミクス推進』の影でひっそりと公約に記されていた、『戦後レジームからの脱却』の象徴である『憲法改正』の動きが加速化するのは確実である。もとより、現実に改憲が国民に諮られるには数年かかるであろうが、改憲の発議に必要な各議院の3分の2以上の多数は、9条改正を含めて、ほぼ達成しつつあり、さしあたりは次の参議院選挙が決定的意味を持つだろう。その際、朝日・毎日両新聞のアンケート調査によれば、このたび当選した衆議院議員の83?84%が改憲に賛意を示していることは軽視されるべきではない。もとより、これらの議員の改憲目的は9条に限られないが(天皇制度廃止のための改憲論者はまずいないが)、改憲を行うことに抵抗感がなくなったことは明らかである。しかも、維新の党はもとより、民主党の相当部分も『自民党憲法改正草案』とほぼ同様の改憲構想をもっていることを忘れてはならない。」
以上は、極めて重要な指摘。忍びよる改憲というだけではなく、既に改憲派に乗っ取られた国会と化しているという指摘なのだ。そのことを踏まえての必死さが要求されるし、戦略や戦術も必要になるのだという。
さらに、横田さんの指摘は、これにとどまらずに続いている。国会が改憲派に乗っ取られた状態にあるだけではない。改憲を先取りした違憲状態が既成事実化しつつあるというのだ。
「より重要な点は、改憲の目的とするところは、憲法を変えるまでもなく既成事実として実現しているか、実現されようとしており、改憲はそれら既成事実の追認に過ぎないことである。安倍内閣ないしその亜流内閣が継続するかぎり、『憲法改正草案』が目指す改憲案のモデルになるであろうが、例えばこの案の『天皇』の章に書かれていること(元首化、公的行為、国旗・国歌、元号等)は既に憲法運用の中で実現しており、改憲はそれらを憲法上明確にするに過ぎない。また、9条については、現在のところは公明党の反対もあって限定的にとどまっているが(やがて全面展開が予想される)、集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障剥度のもとでの武力行使も、改憲を待つまでもなく、解釈変更によって進められている。」
横田さんは、「したがって、単に『閣議決定による改憲反対』といった手続きを問題にするだけでは、9条改憲は阻止できない」と言い、「安倍内閣・自民党が暴走し、それに歯止めがかかりそうもない今日、日本国憲法は、もはや狼少年の言い草ではなく、戦後最大のピンチを迎えている」と結論する。
なるほど、このように事態を見れば、「共産党が21議席を得たなどは、大局的には大した意味がない」ことに思えてくる。しかし、横田さんの見方では改憲阻止の展望が見えてこない。国会の議席数の分布だけに着目すれば絶望せざるを得ないが、改憲の最終判断は国民に委ねられている。今回選挙の投票行動に表れた国民の意識状況の分析なしには改憲阻止の展望は拓けてこない。
国民の意識状況は、議席数よりは得票数の分布に表れる。投票者の動機や意識状況などの分析を経ずしての絶望は早いのではないか。「戦後最大のピンチを迎えている」とのシビアな認識は必要としても、小選挙区制のマジックを捨象しての国民の意識状況や投票行動はけっして絶望に値するものではない。
今号の巻頭言の最後は、「9条改悪どころではない根本問題のありかについては、稿を改めて述べてみたい」となっている。このテーマは、来月号に続くという予告。通算500号の「センター通信」を楽しみにしたい。
(2015年1月28日)