呉市・鯛乃宮神社における佐久間艇長追悼式の憲法問題
昨日のブログに掲載の第六潜水艇沈没・佐久間艇長事件は、過去形だけで語ることができない。事故の起こった日の4月15日には、毎年追悼式が行われることで、現在に尾を引く問題となっているからだ。しかも、式には自治体がからみ、公立学校の子どもたちが動員されている。
追悼式は、潜水艇の基地のあった呉市の鯛乃宮神社と、事故現場に近い山口県岩国市、そして佐久間の出身地である福井県三方町の佐久間記念館の3か所で行われている。今年が104回目だという。
誰が誰の追悼式を行おうと、我が国の憲法では自由である。しかし、それは私人が自分の意思で行動する範囲でのこと。自治体が絡んだり、事実上の強制が行われれば、憲法問題となりうる。とりわけ、子どもの教育に関わって、授業を潰して参加させられた参列の子どもに特定のイデオロギーを吹き込むとなると問題は俄然大きくなる。
以下は、政教分離問題での情報の収集者であり、発信者ともなっている辻子実さんからの情報。今年の鯛乃宮神社での追悼式の模様は、問題意識を持って今年初めて参加したという奥田和夫市議会議員(日本共産党)の報告に拠れば下記のとおりであったという。
この式の主催は『呉海上自衛隊後援会』、会長は神津善三朗氏(商工会議所会頭)です。第6潜水艇追悼式には呉中央小学校6年生が参加します。式が土、日の場合は希望者が、平日は全員が参加し、代表が言葉を読み上げています。
式が始まり、銃を持った自衛官が整然と行進して入ってきて「旗揚げ」の合図で日の丸を掲揚、その間「敬礼」まさに軍隊と同じです。追悼文を主催者が読み、中で、「参加した生徒の生きた教育になる」と述べました。市長も「人が責任を果たすとき生死を超える。先人の労苦で今の平和がある。遺志を引き継ぐ」
児童代表も作文を朗読しました。
「4年の時に授業で学習した。厳しい訓練や学習をを通し”強い心”を持った。最後まで持ち場を離れなかったのはすごいことだと思う」先生から「あなたたちならどうしましたか」と聞かれ、「逃げる」「我先に逃げる」自分も逃げると思った。家族などのために命尽きるまでがんばるのはすごいこと。自分のことばかり考えるのはよくないと思った。最後まで責任をもつことの大切さをを学んだ」
その後に献花、遺書奉読、献詠、追悼の演奏、国旗降下。間には10人の自衛官が空に向け、銃を3発撃つ場面もありました。
このような形で、自衛隊が旧軍との精神的なつながりを堅持していること自体が信じがたい。憲法の想定するところではない。天皇の軍隊において、天皇の軍人として殉職した者の追悼式を、日本国憲法の下にある自衛隊が執り行う。しかも、かつて天皇を神とした国家神道を支えた神社においての追悼式である。日本国憲法の平和主義・政教分離・教育を受ける権利・個人の尊厳等々の憲法的視点から望ましからざることは一見明白である。厳格な批判がないと、たちまちこのような形になってしまうという見本といってよい。
さて、この行事、「神社」と「自衛隊」と「市長」と「公立学校の児童」の4者が会しており、この組み合わせが憲法問題を引きおこしている。神社は、自衛隊・市長・児童のいずれとも親和性を欠き、公的な接触は憲法問題となりうる。神社における旧軍人の追悼式への市長の列席と、児童生徒の事実上の参加強制の2点が大きな憲法問題となり得る。関係者が飽くまで神社の敷地でこのような行事を続けたければ、呉市を切り離し、公立学校の行事とは無関係にし、さらに自衛隊とも袂を分かって、純粋に私的な行事として行うことだ。
まず追悼式への市長の参加である。憲法20条3項は「国及びその機関は、…いかなる宗教的活動もしてはならない」とさだめる。戦前の国家神道が国民の精神の内奥にまで立ち入ってこれを支配したことを許さない趣旨である。したがって、式が宗教的な行事であれば、市長が公的資格においてこの式典に参列したことは、「国の機関の宗教的活動」となって違憲違法な行為となる。
何が宗教的活動かについて、最高裁は津地鎮祭大法廷判決以来、「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるか否かをもって」その限界を画するという目的効果基準を採る。しかし、これも「伸び縮みする物差し」であって、これで一義的に決まるわけではない。神社で行われたという「場所の性格」がもっとも重要な要素であろう。これに、職業的宗教者の式への関与の有無、神道形式の採用の有無、玉串料や神饌料・供物料その他の宗教的な献金がなされているか、などを詳細に検討しなくてはならない。
ついで、児童への出席強要の問題。これは戦前の天皇制政府による児童への宮城遙拝や神社参拝の強制を想起せざるを得ない。今どきの世に、児童生徒に対して戦前同様の強制をすることはできない。教職員に対する日の丸・君が代強制は、職務命令をもってなされた。教育委員会も校長も、特定のイデオロギーの教化を目的とした生徒への式典出席強制はできない。
この場合も、追悼式が宗教性を帯びるものである場合には、憲法第20条2項の「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」によって、論理は簡明となる。そして、20条2項の宗教性のハードルは、3項のハードルよりも格段に低いものとされている。
また、神社内で挙行される追悼式典への参加は憲法20条3項が禁じる宗教教育にあたる可能性もある。さらに、児童には憲法26条による「教育を受ける権利」が保障されている。特定のイデオロギーに基づく教育を拒絶する権利がある。
20条2項は、強制されない権利だから、保護者の意に反して強制することが違法になる。仮に、場所が神社でなく、しかも「宗教性を厳格に排した殉職旧軍人の追悼式」であったとしても、19条(思想良心の自由保障)の問題になりうる。19条には、20条2項に相当する規定がないが、やはり「何人も、自らの思想良心の侵害となる、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」権利の保障は当然にある。
声を出し、批判していくことが大切だと思う。政教分離、信仰の自由、教育の自由、そして平和と思想良心の自由を守るために。
(2013年6月5日)