「NPT会議はけっして失敗ではなかった」ー第五福竜丸平和協会評議員会にて
公益財団法人第五福竜丸平和協会の定款は、その目的を次のとおり定めている。
「1954(昭和29)年3月1日ビキニ水爆実験の被災船第五福竜丸を記念し、原水爆被害の諸資料を収集・保管・展示することにより、都民をはじめ広く国民の核兵器禁止・平和思想の育成に寄与することを目的とする」
協会は、この目的のとおりに、「夢の島」展示館での第五福竜丸船体の保管・展示を通じて、「国民の核兵器禁止・平和思想の育成に寄与」する諸活動を行っている。
本日は、その第五福竜丸平和協会の評議員会。2014年度の事業報告と決算の承認。それに新年度の理事の選任が主な議題。私は、監事として参加する立場。
評議員は、平和運動や原水爆禁止運動に携わってきた活動家が主だが、他にも多彩な顔ぶれ。物理学者やジャーナリスト、平和学や文化財保存や船の専門家なども加わっている。各分野の人々の発言が楽しい。今日も、NPT再検討会議参加者の報告があって盛りあがった。
昨年(2014年)度は、第五福竜丸がビキニで被爆してから60周年の節目。この1年の来館者は、104,745人と報告された。そのうち団体見学者が約3万人だが、事務局から「小学生の団体来館者が激減していることが心配」とのコメントがあった。本年の小学校の団体来館は92校、5,673名。この数字は10年前の約半数でしかない。どうしてこんなことになっているのだろうか。もちろん、小学生は圧倒的に都内学校。その来館者の減少は、学校や教員の姿勢の変化かと気になるところ。
来館者には、ボランティアの説明員が丁寧に説明をしてくれる。特に小学生は大歓迎。是非、多くの学校からのご参加をお願いしたい。核の恐ろしさ、平和の大切さについての貴重な学習の機会。核実験で死の灰を被った船体の存在感は大きい。この船で、人類最初の水爆実験被害の死者が出た。そのことの印象は強く、得るものは多いはずだ。問合せは、下記のURLを参照いただきたい。
http://d5f.org/top.htm
また、昨年の来館者のうち確認できる外国籍として、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国・台湾・韓国・シンガポール・インドネシア・ドイツ・オランダ・デンマーク・マーシャル諸島などが報告された。大使館員であったり、ジャーナリストであったり、国際平和団体や教育者、そして留学生や観光旅行者も。
無名の多くの来館者が大切なことは言うまでもない。しかし、できれば各国の元首級や高官の来館も欲しいところ。今次のNPT会議再検討会議では、「被爆70周年の節目の今年。各国の指導者は広島・長崎に足を運んで、被爆の実相を知るべきだ」という決議案が話題となった。原爆の被害を知るための地といえば、広島・長崎だが、水爆の被害を知るための場は第五福竜丸である。各国の要人に、こちらにも足を運んでもらいたいものと思う。広島・長崎は、東京からは遠い。第五福竜丸展示館は都内(江東区・夢の島)で、来やすいはずだ。
ところで、我が国の閣僚や都知事も来館の経験はあるのだろうか。是非とも一度は来館し、船体と展示物を見ながら、充実した説明に耳を傾けてもらいたい。
なお、第五福竜丸の船体も展示館も、東京都が所有している。公益財団法人第五福竜丸平和協会が、東京都から委託を受けて船と建物を管理し、展示の事業を行っている。もちろん入館料は無料で、毎年東京都からの委託料を受領している。石原慎太郎知事時代、この委託料がどうなるかが心配だった。少しずつ、減額され続けたが、「財政難の折からのことで、他の同種事業も同じ」との説明だった。
同知事とその後継が退任し、現知事になってから1年余。昨年度と今年度、減額され続けてきた委託料が久々に増額に転じた。増額と知事の交替との因果関係は明確には分からない。しかし、久々に明るい雰囲気。
NPT再検討会議に参加していた評議員のお一人から、興味深い報告があった。
「日本のマスコミ報道は、最終合意案採択に至らなかったことの評価が否定的に過ぎるのではないか。中東問題が躓きの石となって最終合意に至らなかったことは残念ではあるが、この障害はNPT固有の問題ではなく、これまでの核軍縮の議論が後退したというものではない。会議進行の透明性は格段に進み、どこまでの合意ができていたかは明確になっている。「核兵器の非人道性」がキーフレーズで、この会議で核保有国を圧倒して核兵器を非人道的なものとする合意は形成されつつあるという印象だった。その点、今回の会議には、それなりの意義があったと考えてよいと思う。けっして、落胆するにはあたらない。」
本日の会合で、協会の5人の理事が再任された。評議員会後に新理事会が開かれ、川崎昭一郎理事長(千葉大学名誉教授・物理学)を選任した。労多くしておよそ役得はない。もちろん報酬もない。報いられることはない役職にご苦労様ですと申しあげるしかない。多くの活動が、このようなボランティアによって支えられている。
「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」というのが、亡くなった久保山愛吉さんの遺言だった。第五福竜丸がビキニで被爆し久保山さんが亡くなってから昨年で60周年。今年は61年目となっている。第五福竜丸船体の保存を通じて、反核・平和の世論を喚起し、久保山さんの遺志に応えることが私たちの責務である。
60周年記念事業の一つとして出版した記録集のタイトルが「第五福竜丸は航海中」だった。まだまだその航海は終わらない。受け継ぐ人のバトンをつなぎながら、今後も長く続けなければならない。
(2015年5月24日)