「首相の談話」も「安倍の談話」もいらない。「国民の良識の声」を上げよう。
「富士の白雪」「荒城の夜半の月」と使われる「の」は、連体の格助詞として所有や所属の関係性を表すと説明される。
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲
と詠われれば、その美しさが引き立って、「の」も本望であろう。これに反して、「違憲の法案」「首相の野次」「こけの一念」「バカの一つ覚え」という最近の使われ方では、「の」が泣いている。
言葉は生き物である。この「の」が時に、思いもかけない役割を演じる。かつて、紀元節を「建国記念日」として復活しようという目論見が難航したとき、反対派国民を宥めるために「の」が動員された。「建国記念の日」として祝日になったのはご存じのとおり。漢語と漢語の間にはさまった「の」は、両漢語の一体感や連結度を緩和する働きをもつようである。ごつごつとした語感を、若干なりともマイルドにもする。
いままた、安倍首相は、この「の」働きに期待し利用しようとしていると伝えられる。戦後70年の「首相談話」を「首相の談話」にしようというのだ。
本日(6月25日)の毎日新聞トップ記事に次の一節がある。
内閣総務官室によると、「首相談話」には閣議決定が必要だが、「首相の談話」は首相の決裁で出すことができる。首相が13年末に靖国神社を参拝した際に出したのは「首相の談話」だった。政府関係者は「党や役所が嫌がっていると『首相の談話』になる。障害がなければ『の』が取れる」と解説する。
「首相談話」と「首相の談話」。ちょっと似てるが大きく違うというのだ。国民には何とも分からない情けない話。96条先行改憲から始まって、官邸人事による内閣法制局長官の首のすげ替え、そして集団的自衛権行使容認を認める解釈改憲まで、安倍晋三のやることなすことすべてが姑息極まるというほかはない。もっとも、姑息な「首相の談話」発表は、「首相談話」発表に政権内部の異論があることの自認だと明らかになった。さあ、勇躍「首相談話」とするか、それともひっそり「首相の談話」しか出せないと割り切るか。「安倍の思案のしどころ」だ。「国民の反対の声の大きさの読み方の如何」にかかってもいる。
同じ毎日の記事の見出しは、「戦後70年談話:首相、前倒しで独自色 過去の談話に縛られず」というもの。当然に8月15日に発表と誰もが思っていた談話の時期を、8月上旬に前倒しするという。そして、内容に「安倍カラーの独自色」を出したいというのだ。「内容のフリーハンドを確保しようという思惑が透ける」「8月15日には政府主催の全国戦没者追悼式が東京都内で開かれ、首相が式辞を述べる。首相官邸関係者は、この日と70年談話の発表が重なることを懸念した」「閣議決定をしないことで、首相自身の歴史観を談話に反映する判断をしたものとみられる」とも報じられている。
首相がこだわる安倍カラーとは国防色のことだ。軍服の色、軍靴の色、銃の色、火薬の色、砲弾の色、戦車の色である。もしかしたら、どす黒い血の色も交じっている。沖縄慰霊の日の行事では「帰れ」コールを浴び、沖縄戦で肉親を失った82歳の県民から「戦争屋は出て行け」と怒声を浴びせられた(琉球新報など)安倍晋三ではないか。今の世に安倍カラーを押し出せば、当然のことながら歴史修正主義談話とならざるを得ない。
「首相(の)談話」も、「安倍(の)談話」も要らない。安倍晋三に勝手なことを言わせておいてはならない。これを批判し、これに対抗して、「戦後70年 国民の良識の声」をこそ上げようではないか。
曇りのない目で過去を見つめ、我が国がおかした植民地政策と侵略戦争の過ちを率直に認めるところからしか、アジアの諸国民との揺るぎない友好関係を築くことはできない。そのような声を上げる場を緊急に作ろう。今年の8月15日までに。
(2015年6月25日)