「日の丸・君が代」強制の何が問題か
2014年7月の国連自由権規約委員会は、その「勧告22」において、日本に対して「(自由権規約の厳格な要件を満たさない限り)思想・良心及び宗教の自由あるいは表現の自由に対する権利へのいかなる制限を課すことも差し控えることを促す」と勧告した。
同委員会から日本に対して、「思想・良心の自由」に触れた勧告は初めてのことである。当然に「日の丸・君が代」強制問題を念頭においたものである。日本は、この勧告に誠実に対応すべき条約上の義務を負う。
本日は「勧告22」をめぐって、議員会館内で「国連自由権勧告フォローアップ 8・21 三省(文科・外務・法務)交渉」が行われた。必ずしも、各省の態度が誠意あるものであったとはいえないが、それなりの手応えは感じられる内容だった。
とりわけ、文科省の担当者から、卒業式・入学式における「内心の自由の告知」について、「各学校において、内心の自由を告知することが適切な指導方法だと判断される場合には、そのような指導方法も創意工夫のひとつとして許容される」という趣旨の答弁があったことが印象的な大きな収穫だった。
「内心の自由の告知」とは、典型的には式の直前に司会から説明される次のようなアナウンスである。
「式次第の中に君が代斉唱がございます。できるだけ、ご起立の上斉唱されるようご協力をお願いいたしますが、憲法上お一人お一人に内心の自由が保障されております。けっして起立・斉唱を強制する趣旨ではないことをご承知おきください」
「内心の自由の告知」は、10・23通達発出以前には過半の都立校で行われ、同通達以後は一律禁止されてもう12年になる。考えてみれば、学校の判断と責任とで、これくらいのことができるのは当たり前のことだが、今のご時世では、この程度の答弁を引き出すことが大きな収穫なのだ。
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引き続いての記者会見。その席で、私に求められたのは、「日の丸・君が代」強制の何が問題か、という説明。
「日の丸・君が代」強制とは、公権力が個人に対して、国家の象徴である歌や旗に対して敬意の表明を強制する行為です。その問題点は、次の3点にまとめられると思います。
第1点は、そもそも公権力がなし得ることには限界がある。国民に対して「日の丸・君が代」に敬意を表明することの強制は、その限界を超えた行為としてなしえないということ。
第2点は、憲法が保障する思想良心の自由の侵害に当たるということ。
そして第3点が、公権力が教育に介入しナショナリズムを煽る方向での教育の統制にあたることです。
まず第1点です。
立憲主義のもとでは、主権者国民がその意思で国家を作り、国家がなし得る権限を与えたと考えます。公権力はその授権の範囲のことしかなしえません。「日の丸・君が代」は、国家の象徴です。この旗や歌に対する敬意表明を強制する行為は、国家が主権者である国民に対して、自分に敬意を表明せよと命令していることになります。つまりは、被造者が創造主に対して、自己への敬意の表明を強制しているのです。こんなことは背理であり、倒錯としか言いようがありません。
また、一般論としては、公権力は公務員に職務命令を発する権限があります。公務員は上級に従う義務があります。そうでなくては、公務員秩序を保つことができません。しかし、上級は下級に、なんでも命令することができるわけではありません。自ずから合理的な限度があります。公権力が、「我を敬え」と強制するような職務命令はこのような限度を超えるもので、立憲主義の原則からは有効に発することができない、と考えざるをえません。
次いで第2点です。
「日の丸・君が代」は、戦前の天皇崇拝や軍国主義・侵略戦争・植民地支配の負の歴史と、あまりにも深く結びついています。このような旗や歌は、自分の思想や良心において受け容れがたく、それへの敬意表明の強制は、自分の思想、あるいは教員としての良心を深く傷つけるものである場合、強制はできません。これこそ、憲法19条が保障するところです。
第3点は、教育は公権力の統制や支配から自由でなければなりません。この近代市民国家での常識からの逸脱です。主権者国民が国家を作るのであって、国家が国家に都合のよい国民の育成をはかろうとすることは筋違いも甚だしいのです。
国家は教育行政において教育条件整備の義務は負うが、教育の内容や方法に立ち入ってはならない。それは、公権力による教育への不当な支配として違憲違法になります。
教育の場での「日の丸・君が代」強制は、国家が国家主義イデオロギーを子どもたちに注入していることにほかなりません。この強制は直接には教員に向けられていますが、実は教員の背後にいる子どもが被害者です。国家が思想を統制し、教育を支配したときにどのような事態となるか、私たちは、敗戦までその実例をイヤと言うほど、見せつけられたではありませんか。
立憲主義、思想・良心の自由、国家に束縛されない自由な教育を受ける権利。いずれも、戦後に日本国憲法とともに日本の制度となったもので、「戦後レジーム」そのものです。安倍政権のいう「戦後レジームからの脱却」は、まさしく「日の丸・君が代」強制路線であり、教育を国家主義に染め上げようというものにほかなりません。
いま、「日の丸・君が代」強制を許さないたたかいは、憲法を守り民主的な教育を守る運動の一環であって、安倍政権の改憲路線や戦争法案成立強行の動向と対峙する意味を持っているものと考えています。
(2015年8月21日)