いま、我が国の司法界に「前官礼遇」ありやなしや
「ヤメ検」とは、元は検事だった弁護士をさす。何とも微妙な伝えがたいニュアンスをもった業界用語。その「ヤメ検」のニュアンスに、また一つ影響を与える事件の報道がなされた。
本日の毎日新聞朝刊が、「容疑者の妻連れ 検事総長に面会 弁護士を処分」という記事を掲載した。デジタル版の見出しは、「元最高検総務部長:容疑者妻連れ検事総長面会…戒告」というさして長くない記事なので、全文を引用する。
「元最高検総務部長で横浜弁護士会に所属する中津川彰弁護士(80)が、弁護を担当した強制わいせつ事件の容疑者の妻を連れ、検察トップの検事総長らに面会していたことが分かった。横浜弁護士会は刑事処分の公正さに疑念を抱かせたなどとして、中津川弁護士を戒告の懲戒処分とした。処分は7月8日付。弁護士会によると、弁護士側からの異議申し立てはないという。
日弁連の資料などによると、中津川弁護士は2013年6月に容疑者の弁護人に選任された後、勾留中に容疑者の妻を連れて捜査担当検事や上司、当時の検事総長と面会。「元検察官としてのキャリアや人脈などを強く印象付け、刑事処分の公正に対して疑惑を抱かせた」としている。担当検事には本人の意思を確認しないまま「罪を認めて深く反省」などと記した誓約書を提出していたという。
横浜弁護士会の佐藤正幸副会長は「検察幹部との面会で手心が加わったかどうかは不明だが、『検察に顔が利く』という過剰な期待を依頼者に抱かせる場を設定したこと自体が問題」と話した。
中津川弁護士は札幌地検検事正や最高検総務部長などを歴任。退職後の05年に弁護士登録した。」
この記事でも分かるとおり、懲戒事由ありとされた同弁護士の非行は2013年6月のこと。2015年7月に横浜弁護士会が戒告処分とし、同年10月1日付で日弁連が公告した。日弁連機関誌「自由と正義」同月(2015年10月)号に、この広告は掲載されている。言わば旧聞に属することなのだが、毎日の記者が、たまたま何かのきっかけでこの懲戒事由を知ったのだろう。看過できない事件と判断して記事にし、社もこれを全国版に掲載した。指摘されてみれば、なるほど、これは司法に対する社会の信頼に関わる事件であり、法曹の閉鎖性に関わる深刻な問題でもある。
中津川元検事の経歴は下記の如くである。
昭和36年4月 検事任官
昭和49年12月 最高裁判所司法研修所教官
昭和61年4月 公安調査庁 調査第2部長
昭和63年12月 同庁 総務部長
平成2年8月 東京法務局長
平成5年7月 最高検察庁 総務部長検事
平成17年10月 弁護士登録
申し分のない立派な経歴と言ってよい。多くの部下に指揮命令の権限をもっていたはず。その多くの部下が、今検察の中枢にいることは想像に難くない。その元部下のなかに検事総長もいたのかも知れない。しかし、弁護士として野に下った途端に、その権力も影響力もなくなるのだ。事実上の社会的影響力は、努めて排除しなければならない。弁護士は無位無冠、なんの権力とも、また特権とも無縁なのだから。
「自由と正義」10月号に掲載の「処分の理由の要旨」は以下のとおりである。
(1) 被懲戒者は2013年6月30日に懲戒請求者に接見しその強制わいせつ被疑事件を受任したが、その際委任契約書を作成せず弁護士報酬についての説明も十分しなかった。
(2) 被懲戒者は上記(1)の事件に際し「自己の罪を認めて深く反省し」などと記載した2013年7月18日付けの懲戒請求者名義の誓約書を担当検察官に提出すたが、誓約書の提出に当たり懲戒請求者の意思を確認しなかった。
(3) 被懲戒者は上記(1)の事件に関し懲戒請求者が勾留されている間に懲戒請求者の妻を帯同して担当検察官やその上司である検察官、更に検事総長や検察幹部と面会し、被懲戒者の元検察官としてのキャリアや人脈等を強く印象付け、刑事処分の公正に対して疑惑を抱かせる行為を行った
(4) 被懲戒者は上記(1)の事件に関し被害者との示談交渉の席に懲戒請求者の姉の内縁の夫であったAを同席させ、その後の示談交渉及び書面の作成に関して懲戒請求者の意思を確認し内容を確定して起案するなどの行為を中心となって行わなかった。
(5) 被懲戒者は上記示談交渉に際しAが懲戒請求者から相当額の示談金を受領する可能性を予見できたにもかかわらずこれを回避する措置を採らず、結果として被懲戒者が関与しないまま、Aが懲戒請求者から示談金名目の700万円を受領し保管した。
(6) 被懲戒者は2013年9月7日に上記(1)の事件の弁護人を辞任したが懲戒請求者から弁護士報酬の返還請求に対し脅迫的な意味合いを有し、返還請求をちゅうちょさせるような文言が記載された同年10月11日付けの書面に署名押印した。
(7) 被懲戒者の上記(1)の行為は弁護士職務基本規定第29条及び第30条に上記(2)(4)及び(5)の行為は同規定第46条に違反し上記各行為は弁護士法第56条第1項に定める弁護士としての品位を失うべき非行に該当する。
刑事事件の一人の依頼者からの懲戒請求があって、6個の非行が認定されたことになるが、報道に値するとされたのは「『検察に顔が利く』という過剰な期待を依頼者に抱かせる場を設定したこと自体が問題」という点である。
いくつかのことを連想する。もう、15年ほども以前のことだが、中国司法制度調査団を組んで訪中し、現地の弁護士と交流したことがある。そのときの話しを聞いて驚いた。有力な弁護士は、ウイークエンドには、判事との夕食会に忙しいのだという。むしろ誇らしげに聞かされた。依頼者には、そのように自分が判事と親しいことをアピールする。あるいは自分が手がけている事件の担当裁判官と同姓であることがアピールの材料となるのだともいう。
裁判も、法治ではなく人治となっていた事情を垣間見た。近代化進む中国のこと。今は、そのようなことはないだろう。むしろ、日本に「顔が利く」ことを誇示する弊風が残っていたのだ。
2012年4月、日民協が韓国司法制度調査団をつくって憲法裁判所などを訪問した。その際、韓国の司法改革が進んでいることを知って驚いたが、李京柱・仁荷大学教授の話しで、同地の「前官礼遇」という悪しき慣行を耳にした。元「官」にいた者が、現在「官」にある者から手厚く遇されるということ。裁判官、検察官の任官経験者が退官後に弁護士となり、後輩として在職している裁判官や検察官から、事件で有利な取り計らいをうけるという悪習。しかも、根深く歴代順繰りに行われてきたのだという。この「『前官礼遇』に象徴される裁判所と在野法曹との癒着や腐敗を一掃すべきという国民の声が司法改革を牽引する力になった」という説明だった。裁判官や検事の座にあった者にとっては、当然に受けるべき既得権と考えられていたのだ。
さて、中津川元検事は、現役時代に、先輩ヤメ検から「前官礼遇」の依頼や要求を受けていたのだろうか。そのような習慣が、実は広く残っているということはないのだろうか。法に携わる者、襟を正さねばならない。
なお、権力を持っていた人物は、その地位を去っても権力を持っていた時代の懐かしさが忘れられない。往々にして、自分にはもともと人に命令する権能が備わっているのだと誤解する。そんな話しは、古今東西ありふれている。権力は魔力を持っている。心して取り扱わねばならない。
(2015年11月13日・連続第958回)