澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「圧殺の海 第2章 『辺野古』」の映像が語る沖縄の現実

明治大学で行われた、「圧殺の海 第2章 『辺野古』先行上映」(試写会)を観てきた。そして、沖縄の現実を切りとった映像の迫力に圧倒された。

怒号と叫喚の107分間。見続けるのが息苦しい。しかし、目をそらしてはならない。これが、マスコミ報道では知ることのできない沖縄の現実なのだ。沖縄や基地問題に関心をもつ者のすべてが、この映画を見つめて沖縄の現実を知らなければならない。映画が聞かせる怒号は、理不尽な権力行使への沖縄の民衆の怒りのほとばしりであり、叫喚は権力の暴力を受けた者の呻き声である。

辺野古新基地建設を強行する強大な権力の圧倒的な意志。その巨象に立ち向かう蟻の群のごとき抗議行動。抗議に立ち上がる者の前に、立ちはだかる実力部隊は、沖縄県警だけではない。警視庁の機動隊であり、海上保安庁であり、そして米軍である。五分の魂が圧倒的な権力と切り結んでいる様が映し出される。

なんとしても基地を作らせまいと体を張って抵抗する人びとと、これを制圧しようとする機動隊や海保とのせめぎあいが、生々しく映像化されている。翁長知事誕生の2014年11月から暫定和解成立によって工事が休止した16年3月で終わらず、先月(16年5月)まで18か月の記録。毎日撮り続けて、総撮影時間は1200時間にもなると説明があった。6人のカメラマンが現場に張り付いてのことというが、よくぞここまでと思わせる接近しての危険を顧みない撮影ぶりである。

政治や訴訟の推移と関連しつつも、現場の運動が独自の論理で動いていることがよく分かる。抵抗する人びとの悲鳴にも似た痛切な言葉が、胸に突き刺さる。
「お願いだから、沖縄を壊さないで。」
「ここは、私たちの海だ。あなたたちは帰れ。」
「何が公暴(公務妨害罪)だ。暴力で俺たちの故郷を奪ったのはそっちじゃないか」
「あなた方だって、自分の故郷をこんなに壊されたら怒るでしょうが」
「私たちは平和を求めている。あなた方も戦争はいやでしょう」
「沖縄全体が反対しているんだ。なぜ沖縄の声を聞かないんだ」

案内のチラシには、こう書いてあった。
「翁長知事誕生から18ヶ月、24時間体制で現場に張り付き撮影を続けた辺野古・抵抗の記録『辺野古』が完成した。沖縄県民は、どうたたかってきたのか。国が沖縄県を訴えた代執行訴訟は、2016年3月に和解となるが、その後の辺野古は・・・。
劇場公開に先立ち映画の上映とシンポジウムを開催します。」

「辺野古で、大浦湾で、キャンプシュワブゲート前で、県庁で、6人のカメラマンが撮影した映像は1000時間を越える。抗議船やカヌーを海上保安官に転覆させられても、海へ出つづける人びと、セルラースタジアムを埋め尽くす県民、権限を行使し国に抵抗する知事、水曜日、木曜日と工事をさせない日を増やすゲート前の座り込み、米兵のレイプを許さないゲート前の2千5百人。テレビでは見えない辺野古・抵抗の最前線。」
なんの誇張もない。映像の迫力は、文字情報では表せない。

沖縄・辺野古問題は、目前の参院選の重要テーマの一つである。この映画を話題にすることの意義は大きい。

沖縄の基地問題は、日本国憲法体制と日米安保体制とのせめぎあいの衝突点にある。平和や独立を語るときに避けて通れない。それだけではない。今や、辺野古新基地建設は、安倍政権の強権的暴走を象徴するものとなっている。

公有水面埋立法は、国が起業者として公有水面を埋め立てる際には、県知事の承認を必要としている。仲井眞知事は、知事選の選挙公約を投げ捨てて、沖縄防衛局の埋立申請に承認を与えた。しかし、それゆえに県民世論は、仲井眞を放逐し、圧倒的な支持をもって翁長県政を誕生させた。周知のとおり、翁長知事は慎重な手続を経て、前知事の承認を取り消した。

このことの重さを安倍政権は一顧だにしない。「粛々と工事を進める」というのみ。沖縄の民意、その民意に支えられた新たな知事の判断を尊重すべきが当然ではないか。こんなときこそ、「新たな判断」というべきなのだ。

「粛々と進められる工事」に抗議する人びとに対する容赦ない制圧の強行が、この「圧殺の海 第2章 『辺野古』」に活写されているのだ。

この映画のパンフレット(1000円)が、映画に劣らず迫力に富み、読むに値する内容となっている。
このドキュメントの「主役」ともいうべき、辺野古ゲート前抗議行動のリーダー・山城博治のロングインタビューが7頁にわたって掲載されている。その中の一部を抜粋する。

大衆運動って、つぶされるまで粘り強くやるって心理がどこかあります。勝てないだろう、だけど押し切られるまではがんばるという。今、辺野古の状況見たら、そうはならないね。勝たなきやならない。勝って、国の様々なやり方で押しやろうとする物事に対して、勇気を、元気を辺野古から与えていく、がんばれば何とかなるという元気を与える責務が今、あると感じています。

政府が作った法案が、沖縄で実行されるという関係です。私自身の課題は、実行される沖縄で歯止めをかける、東京のみなさんは東京で歯止めをかける。私たちは、実行される位置に居るから、基地を、戦争の道具を止める。ここで頑張ると当然、全国に広がる。

民主主義を問い、地方自治を問う。平和を問う。辺野古を窓口として、見える日本の今のあり様。だから、全国からやってくる。この交流は大きいと思う。一日、多いときには百人を超える県外の人たちが来る。延べ何千、何万の人たちになってる。その広がりが、今、全国で、辺野古、辺野古、がんばろうの声になってる。十年前では考えられなかった。

翁長さん、県の弁護団、法廷でのぎりぎりのたたかい、行政としての駆使できる手法のぎりぎりのたたかい、現場でのたたかい、それから全国と連携をするたたかい。そういう事を積み重ねれば、この基地は出来ない。

また、自らも逮捕された経験をもつ芥川書作家・目取真俊が「海のたたかい」と題して寄稿している。これも示唆に富むもの。その一部を引用する。
「県知事選挙や衆議院議員選挙のたびに政府・沖縄防衛局は、長期間にわたり工事を止めざるを得なかった。彼らが恐れたのは、海保の暴力的弾圧が県民の反発を呼び、選挙にマイナスの影響を与えることだった。
 実際、2014年の夏に辺野古側の浅瀬で行われたボーリング調査では、海保の拘束で負傷者が続出した。カヌーから強引に引き上げてGB(ゴムボート)の床に叩きつけ、カヌーメンバーに頚椎捻挫のケガを負わせた。船に乗り込んで船長の手首を捻挫させたり、カヌーメンバーのその様子はメディアで報じられただけでなく、写真や動画がインターネットで拡散され、海保に対する批判が高まった。安倍晋三政権が沖縄に振る舞っている強権的な姿勢が、海保の暴力という形で可視化され、有権者の投票行動に影響を与えかねない事態となった。それ故に政府・沖縄防衛局は、選挙前に海底ボーリング調査を中断せざるを得なかったのである。
 もし、カヌーや船団による海上行動が行われていなかったらどうだったか。行われていたにしても、海保の弾圧を恐れてフロートを越えず、形だけの抗議ですませていたらどうだったか。海保とカヌー、抗議船がぶつかることもなく、メディアに報じられることもほとんどなかっただろう。それこそ調査は「粛々と」進められたはずだ。」

沖縄県が申し立てた第三者機関「国地方係争処理委員会」での審査の結論は、審査期間90日以内と定められていることから、遅くとも6月21日には出ることになる。6月22日参院選公示日の直前である。果たして、どのような判断になるのか、大いに注目されるところ。仮に沖縄県に不満の残る判断であれば、新たな提訴となる。6月25日からの映画『辺野古』の東京上映は、参院選投票日(7月10日)直前のまたとないタイミングである。

この映画は、既に、那覇市牧志の桜坂劇場で上映中であり、昨日(6月11日)からは大阪十三のシアターセブン劇場で、そして6月25日からは東京上映(ポレポレ東中野)が始まる。東京上映は8週間のロングラン企画だという。
  http://america-banzai.blogspot.jp/2016_06_01_archive.html
 
なお、予告編をユーチューブで見ることができる。
 https://www.youtube.com/watch?v=KlTVZxBG1cs&feature=youtu.be

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(2016年6月12日)

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