澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

国民学校世代の「日の丸・君が代観」「天皇観」

おや先生、こんなところでお久しぶり。
やあ澤藤君。すっかりご無沙汰だな。

事務所、この近くになったんですか。
そうなんだよ。長年住み慣れたあの事務所一帯が再開発で、この近所に引越なんだ。

相変わらず河川管理やダムの問題に専念ですか。
いや、最近はもっぱら原発でね。新しいことを勉強しなければならないんでたいへんだよ。ところで、きみDHCからのスラップ訴訟。あれは、もう勝負あったんだろう。

控訴審判決で終わりだと思っていたんですが、上告受理申立をされて、最高裁の不受理決定を待っているところです。
もう、だいじょうぶだろう。万が一にもひっくり返ることはない。それにしても災難だったね。今はもうスラップ対応で忙しいということはないんだろう。

そうですね。もっぱら「日の丸・君が代」強制反対ですよ。今日も、すぐ近くの原告団の事務所で弁護団会議。
その事件、もうずいぶん前からじゃないか。まだ解決つかないのかね。

…だけどね、憲法上の理屈はともかく、ありゃあ、国旗国歌法の国会審議では、首相も文部大臣も強制はしないって、はっきり言ってようやく成立になったんじゃんないか。どうして処分なんか出ているんだい。
あの国会答弁は、正確には「一般国民には強制しない」ということで、教育公務員についてはなんの約束もしていないというんですよ。だから、生徒や父母には強制はしないが、生徒に率先垂範して手本になるべき教員には強制ができるという理屈。実際、強制の根拠は国旗国歌法ではなくて、学習指導要領とされています。法律でも省令でもなく、文部大臣告示という法形式。法的拘束力があるかどうかは極めて曖昧。

じゃ、なにかね。教員は国民ではないというわけか。国会審議のときから、教員に強制することは既定の方針だったのか。あの答弁はペテンで、私なんかは欺されていたっていうわけだ。
おっしゃるとおりですよ。国会答弁の「強制はない」は、誰も本気にしていなくて、その後その心配のとおりになったということですね。

私は、終戦時国民学校1年生だ。教科書に墨を塗った年代で、日の丸も君が代は、生理的に受け付けない。小中高から大学まで、日の丸や君が代とは無縁に過ごしてきた。強制されるなんてことは、考えられない。
卒業のあとには、「日の丸・君が代」で不愉快な思いをしたことはありませんか。

そういえば、こんな経験がある。ずいぶん前のことだが、労音が東欧のどこだかの国の楽団を招いて音楽会を開いた。たまたまそこに出席していたら、両国の友好を祈念する趣旨でだろう、双方の国の国歌を演奏した。で、主催者が国歌を演奏するからご起立願います、というんだ。私も、労音の企画だし、エチケットでもあるから、起立だけはしようかと思った。ところが、意思に反して、体がいうことを聞かない。結局、どうしても立てなかった。

それが、国民学校世代なんでしょうかね。似たような体験があります。私が盛岡で開業した当時岩手弁護士会の会長だった先輩弁護士が、多分先生と同期。年齢は少し上かも知れません。やはり国民学校世代ですね。その方が入院してお見舞いに行きました。そのとき、こんなことを言われましたね。
『澤藤君、キミは靖國の訴訟を担当して、天皇の戦争責任について発言している。これまで黙って聞いてきたが、キミの意見は正しいようで底が浅い。観念的なんだ。腹に落ちない。胸に響かない。われわれの年代は、黙っていても天皇に対する怨みの情念は重く深い。私は、口にこそ出さないが、絶対に彼を許さない。その気持ちの重さは、多分キミたちには解らない』
普段政治的意見を言う人ではなく、革新的なイメージは一切ない人。その人から、そう言われたことに驚きました。

なるほど。それは、分かるような気がする。
DHCスラップ訴訟も、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟も、ご支援よろしくお願いしますよ。

分かった。しっかりがんばってくれたまえ。
先生も、原発訴訟がんばって。
じゃあ。
さよなら。

梅雨の晴れ間、うららかなある日のお昼どき。路上の立ち話でございました。
(2016年6月14日)

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