「自民党・日本国憲法改正草案」は、その本音を語るものとして永遠である
この1年、自民党の「日本国憲法改正草案」をサンドバッグのごとくに叩き続けてきた。保守政党から右翼政党に変身した自民党のホンネをさらけ出したものとして、突っ込みどころ満載。自民党とは何物であるのか、これ以上に雄弁に語るものはない。ようやくにして、その内容は多くの人々に知られるようになって、参院選の争点として恰好のターゲットとなるはずだった。
ところがどうだ。本日の「毎日」一面に、「自民、改憲草案見直しへ」「発議要件・表現の自由焦点」の見出し。記事の内容は「党内の不満が96条の改正にとどまらず、草案全般へ波及している」「参院選後に本格的な作業に着手する見通し」という。おいおい、サンドバッグを引っ込めようというのか。では、今回選挙では、改憲問題をどう訴えようというのか。
同紙2面の「憲法改正考/上」というコラムには「『野党・自民』草案右傾化」「党内に異論・不満も」という見出し。いったいなにゆえに、かような右寄り草案となったかの事情が書かれている。どうやら、下野した自民党が「政権奪還を目指し、選挙で保守層に呼びかける意図」からのものということのようだ。いずれにせよ、自民党のコアな支持層にフィットしようとすれば、このような古色蒼然たる右翼的改正草案の形とならざるを得ないのだ。
政権に復帰して、事情は変わったということらしい。「自民党中堅議員は『地元の支持者には自民党の改正草案を、最近、初めて知った、という人が多い。あまりに保守色が強すぎて評判はよくない』とこぼす」とのことで、そのような中堅層の意見を容れて保守色を薄めようというものらしい。とはいえ、具体的にどのような案になるのかは、今のところ見当もつかない。
さて、一面、批判は通じるものだという感慨を禁じ得ない。多くの人の声は、確実に政権政党にも届くものとなるのだ。政権政党とて、正論には耳を傾けざるを得ない。そのような小さな勝利感はもってもよかろうと思う。
他面、自民党の変わり身の早さに驚かざるを得ない。選挙に勝つためであれば、何でもやる。何でもありなのだ。選挙を目前に、上手に本心を隠そうという票遁の術。これに欺されてはならないと思う。
私は心から思う。この改憲草案は、記念碑的存在である。消し去るにはまことに惜しい。無形文化遺産として永遠に残しておくべきである。21世紀に入っての我が国の政権政党のホンネを語る資料として。また、その知的水準を示すものとして。
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『元防衛官僚の反省』
今話題になっている「検証 官邸のイラク戦争 元防衛官僚による批判と自省」(柳澤協二著 岩波書店)を読んだ。
著者は防衛審議官、防衛庁長官官房長を経て、02年に防衛研究所所長となり、04年から09年まで内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)を歴任した。「小泉、阿部、福田、麻生4代の総理に仕え、官邸の安全保障戦略を実施する立場で政権を支えてきた」人である。
「国際法的に乱暴とも見えるイラク戦争を支持し」たのはルール無視のイラク以外の国の思惑を放棄させるためであったという。ところが、その後イランも北朝鮮も、核戦争の野望を捨てないどころか、着々とその能力を高めている。「自分のやってきたことは意味があったのだろうか、との疑問がこの本を書いた動機」だと述べている。
以下要旨。
「そもそもイラク戦争は、『国際紛争を解決するための武力行使』として、日本国憲法によって禁止され、政府が一貫して否定してきた類いの戦争であった。それなのに同盟維持や防衛力強化を任務としていた自分たちは、『アメリカの真の同盟国』となりたいがために、不安を無視してイラク戦争への積極加担を選択してしまった。
しかしその後、日本を取り巻く東アジア情勢は劇的な変化を遂げている。世界はグローバル化し、軍事的な抑止より、技術、貿易、資源、金融、文化交流が紛争解決の有効な手段となっている。国家間の対立要因もイデオロギーではなく、歴史と伝統に根ざした多様なアイデンティティーに変わった。これを軍事的に解決するのは不可能で、相互の認識の違いを理解し、受け入れるしかない。アメリカはイラク戦争、アフガン侵攻をとおして、これを深く理解した。
アメリカは、今回の日中、日韓の領土問題に不介入のメッセージを送っている。アメリカは今後とも「日本を守る」抑止力を提供するだろうが、それは、アメリカの国益にかなう場合に、国益にかなうやり方で守るのであって、日本が守ってほしい場合に、日本が望むような方法で「守ってくれる」わけではない。
日米同盟は自由と民主主義という共通の価値観での結びつきとして、常にアメリカにすがりつこうとしても、とうてい通用しない。アメリカお任せではない、日本独自の国際秩序、安全保障の考え方をもたなければアメリカのお荷物になってしまう。」
全くもってその通り。国家の中枢からほど遠く、格別の情報に接する機会のない、私のような一市民だってずつと一貫してそう思ってきた。憲法違反の無駄なイラク戦争に莫大な税金を使うのは間違っている。日本を守ってくれるはずもないアメリカと、日本国憲法にそぐわない「日米安保条約」にいつまで引きずられていなければならないのか。そもそも自衛隊の存在自体が憲法違反ではないか。日本は軍事にお金を割く余裕はない。
著者はこの本の出版について「ともに政策を立案し、実行した上司、同僚は不愉快に感じられるかもしれない」と述べている。しかし、心配は無用。こうした考えに到達できて良かったねと祝福してくれる人の方が多いはずだ。だからこの本が話題になっているのだ。
惜しむらくは、著者が自衛隊と日米安保条約の存在自体の合理性や合憲性についてどう考えているのか、曖昧なままであることだ。この点については、先輩の教えであるという「自分なりの論理をつきつめること」に躊躇しているようにすら見える。
印象に残るのは、イラク戦争中に人質となった日本人に対して、「自らの良心に従ってイラク人救済の活動をしようとしていたことは否定できない。そういう国民をどう評価するかは、民主主義を標榜する国家の真価を問われる問題であった。『善意の日本国民に対するテロは許せない』というのが、政府の出すべき最初のメッセージでなければならなかったのだと思う」と自省していること。
あのときの「人質を救え官邸デモ」の緊張感を思い出しつつ、私たちのあのときの思いは、時を経て政府の中枢に位置する人にも伝わったのかと、感慨を新たにした。
(2013年7月2日)