参院選スタートー「ねじれ」大歓迎
いよいよ、本日参院選公示。憲法の命運を決することになるかも知れない選挙戦がスタートした。選挙の争点は、数々あるだろうに、どの新聞にも「ねじれ解消」という大きな活字が踊っている。
もちろん、紙面すべてがそうではない。「青森の大間原発の近くで、エコエネルギーで暮らす漁業手伝い小笠原厚子さんは、与党が強調する衆参の『ねじれ解消』に異議を唱える。『ねじれがあるからこそ、原発問題が慎重に論議されてきた。』」(朝日新聞)と「ねじれ」を評価する。
全くその通りだ。「ねじれ」を解消すべきだと騒いでいるのは、自・公の与党とマスコミだけのこと。そもそも「ねじれ」が無かったら、大政翼賛ではないか。むしろ、二院制の下で、「ねじれ」は健全な現象。下院との「ねじれ」がなければ、上院は無用の長物と化す。マスコミが与党の尻馬に乗って「ねじれ解消」などと言っているのは言語道断、役目放棄だ。
普通の生活者は「アベノミクス」はうさんくさいと思っている。インフレ、消費税増税、社会保障の切り下げはごめんだ。96条などもちだす憲法改悪なんかにだまされない。安保条約のうえにTPPにまで加入して、これ以上アメリカにがんじがらめにされたくない。
そんな思いの生活者は自民党と公明党が衆議院で我が世の春を謳歌しているのを見ながら、なんかおかしいと思っている。「ねじれ」というなら、そうした人々の思いと衆議院の議席数の齟齬こそ正真正銘の「ねじれ」ではないか。
小選挙区制がつくり出す、国民の意思と議席とのねじれ。世論と政権とのねじれ。憲法の理念と政権与党の政策とのねじれ。解消すべき本物の「ねじれ」と、解消する必要のない「ねじれ」とを見極めねばならない。
今回の参院選で、与党のいっている「ねじれ」の解消とは、多数派政党のほしいままの横暴を許せと言っているのだ。こんな「ねじれ」の解消は絶対にさせてはならない。
みんなで「ねじれよねじれもっと大きくなあれ」と力を合わせることこそ必要だ。
日経新聞は「『待ちに待った一票』13万6000人が対象に 成人後見付いた人に選挙権」という記事を載せている。「浅見寛子さんは意中の候補の名前を書く練習をして投票に臨む。姉で成人後見人の豊子さんは妹の選挙権を回復するための訴訟を続けてきた。投票後『両親の墓前に報告するつもり』という」。こうした人たちの思いが反映する、「十分にねじれた」選挙結果にしたいと思う。
毎日新聞で、コラムニスト辛酸なめ子さんは今回の選挙を「自民党の勢いが増すばかりで、これに乗るしかないみたいな空気だ」といって、『オラオラ選挙』と名付けている。「オラオラ」邪魔だ邪魔だと、弱いものをけちらし、せき立てるような選挙であってはいけないと思う。よくよく考えて、与党をギャフンと言わせてやるような、おおきな「ねじれ」を作り出そうじゃありませんか。
(2013年7月4日)