「NHK・ワンセグ裁判」さいたま地裁判決を評価する
高市早苗総務相は昨日(9月2日)の記者会見で、さいたま地裁が、「ワンセグ放送を受信できる携帯電話を持っているだけではNHKの受信料を支払う義務はない」と判断したことについて、「携帯受信機も受信契約締結義務の対象と考えている」と述べた、と報じられている。この人は、はたして判決書きを読んで、ものを言っているのだろうか。
裁判では、ワンセグ機能つき携帯電話の所有者が、放送法64条1項で受信契約の義務があると定められている「放送を受信できる受信設備を設置した者」にあたるかが争われた。高市氏は「NHKは『受信設備を設置する』ということの意味を『使用できる状況に置くこと』と規定しており、総務省もそれを認可している」と説明した。(朝日)
総務相の説明は、さいたま地裁でNHKが主張して、裁判所に排斥された考え方の要約。判決理由の批判になっていないのだ。所管の大臣が、蒸し返して同じ理屈しか言えないようでは、控訴しても覆すことは難しかろう。
8月28日さいたま地裁で言い渡された、「NHK・ワンセグ裁判」判決。ようやく判決書に目を通すことができた。報道の印象とは異なって、堂々の判決理由となっている。これなら、控訴審でも十分に持ちこたえそうだ。
この裁判の原告は、大橋昌信という朝霞市の市会議員。「NHKから国民を守る党」として選挙に臨んで当選している。この裁判の提起は、彼の政党活動でもあったわけだ。
ところで、「NHKから国民を守る党」に格別の理念は見あたらない。「NHKの政権への擦り寄り体質がもたらす害悪から国民を守る」とか、「NHKの報道萎縮の弊害から国民を守る」という党是はない。純粋に「NHKの受信料取り立てによる経済被害から国民を守る党」であるらしい。それでも果敢にNHKと闘っていることを評価すべきなのだろうが、この政党との距離感のとりかたは悩ましいところ。
裁判は、NHKから起こされたものではない。大橋市議が原告となって被告NHKを訴えたもの。請求の趣旨は、「原告(大橋)が、被告(NHK)との間に受信契約を締結する義務が存在しないことを確認する。」という義務不存在確認請求訴訟。請求のとおりの判決となった。
原告は訴訟代理人(弁護士)を選任することなく、本人訴訟を貫いた。判決を読む限りだが、原告と被告の論戦があって裁判所が原告の側に軍配を上げたという経過ではない。法律論は、もっぱら被告NHK側が詳細に主張し、裁判所はNHK側の法的主張を説得力ある論拠を挙げて排斥した。被告NHKは一人相撲をとって、原告にではなく行司役の裁判所に寄り切られたという印象。それでも、視聴者側の勝ちは勝ち。NHKの負けは負け。貴重な判決であり、影響は大きい。
争点は簡明である。放送法第64条1項本文は、「協会(NHK)の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会(NHK)とその放送の受信についての契約をしなければならない」と定める。原告は、ワンセグ機能付き携帯電話をもっているが、「携帯」して持ち歩いており「設置」していない。だから、64条1項本文の「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者」に該当しない。それゆえに、受信契約締結義務はない、と主張した。
原告の主張は、徹底した文理解釈である。国語の意味において「設置」と「携帯」とは明らかに異なる。「設置」とは据え置かれて固定されていることをいい、機器を持ち歩いての「携帯」が「設置」となるはずはない、という単純にして明快な理解。
これに対する被告NHK側は、目的論的な解釈論を展開した。
「放送法64条1項の趣旨は,被告(NHK)の公共放送機関としての役割の重要性に照らし,被告が適正かつ公平に受信料を受領できるようにすることにあり,上記趣旨を全うするには,受信設備が一定の場所に設け置かれているか否かで区別すべきでないから,「設置」とは受信設備を使用できる状態に置くことを意味する。」という。つまりは、国語の意味に拘泥することなく、条文の趣旨・目的を見据えた「正しい解釈」をしなければならない。受信機を固定しようと持ち歩こうと区別の必要はなく、要は受信が可能かどうかだけが問題なのだから、64条の「設置」とは結局のところ「携帯」を含む概念である、という。
やや我田引水気味ではあるが、もちろん荒唐無稽な主張ではない。NHK側は、この理屈で裁判所は勝たせてくれる、と思っていたにちがいない。「なんたって、NHKも司法も準国家機関。裁判官は仲間だもの」。
ところが、判決はNHKと司法との仲間意識を吹き飛ばすものとなった。
判決理由は、憲法83条(財政民主主義)、84条(租税法律主義)及び財政法3条から説き起こす。財政法3条とは、馴染みが薄いが、「租税だけでなく、国が国権に基いて徴収する課徴金や専売代金価格や事業料金などは、すべて法律又は国会の議決に基いて定めなければならない」と憲法の租税法律主義を補充した規定。NHK受信料もこれに含まれるという趣旨だ。
これは原告が主張したことではない。裁判所は、事実主張に対する判断においては、当事者(原被告)の主張に拘束される(弁論主義)が、法的な判断に関しては当事者の主張に縛られないのだ。
問題は、以前から論じられている受信料の法的性格。
判決は、「放送を受信することのできる受信設備を設置した者は,実際に放送を受信し,視聴するか否かにかかわらず,被告(NHK)と受信契約を締結する義務を負うから,受信料は必ずしも放送の視聴に対する対価とはいえず,被告(NHK)の維持運営のために特殊法人である被告(NHK)に徴収権が認められた特殊な負担金と解するのが相当である。」と双務契約上の対価説を否定する。これは、他の受信料訴訟での視聴者側には歓迎すべき判断ではない。
しかし、本件ではそのことが、NHKの受信料請求を認めるためには、厳格な法解釈を必要とするとの根拠にされている。この部分の判断は以下のとおり。やや長いが、該当個所の全文を引用しておきたい。
被告(NHK)は,放送法16条により設立された特殊法人であって,「公共の福祉のために,あまねく日本全国において受信できるように豊かで,かつ,良い放送番組による国内基幹放送」を行うことを目的とし(放送法15条),内閣総理大臣が任命した委員により構成される経営委員会が,受信料について定める受信契約の条項(受信規約)について議決権を有しており(同法29条1項1号ヌ),受信規約は総務大臣の認可を受ける必要があること(同法64条3項)からすれば,受信料の徴収権を有する被告は,国家機関に準じた性格を有するといえるから,放送法64条1項により課される放送受信契約締結義務及び受信料の負担については,憲法84条(租税法律主義)及び財政法3条の趣旨が及ぶ国権に基づく課徴金等ないしこれに準ずるものと解するのが相当であり,その要件が明確に定められていることを要すると解するのが相当である。
以上が、ユルユルの目的論的解釈を排して、厳格な文理解釈を採用すべきとする基本原理の説示である。これを判決は「課税要件明確主義」といっている。
その上で、判決は「同一の法律において,同一の文言が使用されている場合には,同一の意味に解するのが原則であることはいうまでもない」「課税要件明確主義の立場からは,一層,同一文言の解釈について一貫性が要求されるというべきである。」として、放送法2条14号は「設置」と「携帯」を区別している、と指摘する。
放送法第2条は、「この法律及びこの法律に基づく命令の規定の解釈に関しては、次の定義に従うものとする」という定義規定で、その14号は「移動受信用地上基幹放送」を定義して、「自動車その他の陸上を移動するものに『設置』して使用し、又は『携帯』して使用するための受信設備により受信されることを目的とする基幹放送であつて、衛星基幹放送以外のものをいう。」と明確に、『設置』と『携帯』を別の概念として使い分けている。
また、判決は放送法64条の改正経緯を検討して、当初の「設置」の概念が「携帯」を含まないものであったことが明らかであるところ、後に「携帯」という文言が放送法に取り入れられてもなお、64条については何らの変更もなく、変更の議論や説明もされていない。「設置」の概念に変更があったと解することはできない、ともいう。
判決は、さらに放送法だけでなく、電気通信事業法などの他の法律の『設置』概念の検討を経て、「放送法64条1項の『設置』は,同法2条14号の『設置』と同様,『携帯』の意味を含まないと解するのが相当である。」と結論づける。その結論に至る論理は明快で、分かり易い。
高市コメントは、以上の説得力ある判決理由に対する的確なコメントとなっていない。要するに、地裁判決の判断に不服だから控訴する、というだけのもの。行政が、下級審で不本意な判決に接したとき、もっと謙虚なコメントがあってしかるべきではないだろうか。行政の論理を正当と維持して上訴する権利はもちろんある。しかし、下級審とはいえ、憲法上の行政のチェック機関である裁判所から、行政の間違いを指摘されたのだ。しかも、詳細に説得力をもって。そのことの重みを十分に認識した上での謙虚な対応であって欲しいと思う。
(2016年9月3日)