参院選4日目ー安倍晋三の無力な言い訳
本日の参院選の争点をめぐるNHK党首討論に耳を傾けた。
はからずも「自共対決」の構図が明確となっている。これまで、メディアでは「自民対民主」という二大政党対立の論議がお約束だったはず。ところが、民主党の存在感が希薄となってNHKの司会者も自共対立を軸とした進行をせざるを得ない。確実に空気は変わっている、との印象。
もう一つ。自民党の右からの応援団として維新とみんなのあることも明瞭となっている。安倍自民の危険は言うまでもないが、維新・みんなも恐るべき政党。ホンネでは思っていても、さすがに自民では口にできないことを堂々と(むしろ、ぬけぬけと)言う役回りなのだ。新自由主義政党というよりは、資本の強引な新分野進出を後押しする、新たな利権集団というべきだろう。その批判は、いずれまとめてみたい。
主要論点の一つとして、改憲問題についても議論が行われた。共産党・志位さんと、民主党・海江田さん、社民党・福島さんが、自民党改憲草案を批判したのに対して、安倍晋三が次のように言い訳をしている。
「我が党の改憲草案を誤解している。草案は、国民主権・平和主義・基本的人権の3本の柱については尊重することを明記している」「徴兵制などは考えていない」「『公益および公の秩序』によって人権が制約されるというが、現行憲法の『公共の福祉』による制約をわかりやすく書き換えただけ」
安倍は、改憲の必要性を積極的に語ることができない。今、憲法を変えようとしている政党の党首として、現行憲法の不都合と、改正の方向とを熱く語るべき機会にそれができない。改正案の危険性を突っ込まれて、いや大綱において現行憲法と変わらないと言い訳をしているようでは、それだけで議論の大局において「負け」である。
しかも、その言い訳も無力である。現行憲法と変わらないものなら、改憲の必要はない。明らかに、変える必要があるから改憲案を策定しているのであって、異なるものとなっていればこその「憲法改正草案」ではないか。
確かに、草案の前文には、「国民主権」・「平和主義」・「基本的人権」という言葉が、この順序で出てくる。しかし、その内実は日本国憲法が熱く語っているものとは、明らかに異なる。国民主権は、元首たる天皇を戴いたものとしての「萎縮した国民主権」となり、平和主義は創設された国防軍と共存する「軍国主義下の平和」となり、基本的人権は公益・公序優先の下、切り縮められたものとして「人権の名に値しないもの」となっている。
安倍晋三の法的知識のレベルについては、大学で学生に憲法を教えている研究者から、次のように指摘されている。
「安倍首相は法学部(成蹊大学法学部政治学科)出身なのに、立憲主義も国連決議も国連憲章もよく理解していないように見えます。その無知ぶりは法学部出身者として恥ずかしいレベルですし、憲法尊重擁護義務がある首相として、国民からすると大変危険です。安倍首相にはきちんと勉強し直してほしいですし、国民も国会議員を選ぶ際にきちんと見極めて選んでほしいものです。メディアも問題点を指摘しないのは困ったものですが。」(清水雅彦日体大准教授7月5日ブログ)
私は学生のレベルを知らないが、この指摘には肯ける。
「『公益および公の秩序』によって人権が制約されるというが、現行憲法の『公共の福祉』による制約をわかりやすく書き換えただけ」は、明らかなウソである。そもそも、自民党の公式解説である「Q&A」は次のとおり書いている。全文を引用する。
Q14 「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えたのは、なぜですか?
答 従来の「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいものです。そのため学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されています。
今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。
なお、「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。
キモは、「憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした」という点にある。人権とは至高の価値である。本来、人権は衝突する人権との調整によってしか制約し得ない。これは公理である。にも拘わらず、これまで人権は、常に秩序維持を名目として権力によって抑圧されてきた。だから、軽々に、国家秩序や社会秩序によって人権を制約してはならない。堂々と「社会秩序」維持のための人権制約を憲法に書き込もうという自民党草案は歴史に逆行するものというほかはない。
なお、このような議論の席では、必ず、自民党改正草案21条2項を取りあげていただきたい。これが、自民党の危険なホンネを語ってわかりやすい。
第21条1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2項 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
2項をわかりやすく展開すれば、
「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行うことは認められない」
「公益及び公の秩序を害することを目的として結社をすることは認められない」
治安維持法の自民党版にほかならない。共産党のみならず、すべての市民運動もリベラル派も宗教者も、ことあるごとに、これを問題にしなければならない。
なお、安倍は、憲法改正案をつくるのに、自民党案にはこだわらないと発言した。「政治は現実ですから」とも言った。自民党がやりたいことも、他党の支持がなければできない現実がある、という意味なのだろう。そのとおり。大切なのは現実だ。到底改憲などはできない現実をつくり出そう。まずこの参院選を第一歩として。
****************************************************************
『尖閣想定の強襲上陸訓練 「ドーン・ブリッツ」(夜明けの電撃戦)』
自衛隊が、「海兵隊」機能の装備を着々と準備しつつある。アメリカのサンクレメンテ島で米海兵隊の指導のもと、陸海空の自衛隊員1000人が参加して島の奪回訓練が行われた。6月10日から26日までのこと。習近平・オバマ会談が行われた同月7日・8日の直後のことになる。
「ドーン・ブリッツ」という言葉でネット検索すると、映画「プライベイト・ライアン」さながらの場面を見ることができる。イージス艦「あたご」、揚陸艦「しもきた」、護衛艦「ひゅうが」のご活躍だ。「ひゅうが」にはオスプレイが着艦し、羽を折ってエレベーターで滑走路の下に収納される。「しもきた」から放たれた、LCAC(ホバークラフト型揚陸艇)は砂煙を上げて島に上陸し、そこからは武器弾薬をつんだ大型トラックや自衛隊員が出てきて、作戦行動を展開する。
防衛省は今年12月に改訂しようとしている「防衛大綱」に「海兵隊」機能を盛り込もうとしている。尖閣諸島が武力侵攻される事態を想定し、奪われた離島を奪還する機能が必要だとして、そのための部隊、兵員、装備が増強される。
第一次安倍内閣で安全保障担当の内閣官房副長官補だつた柳澤協二氏は「尖閣の取り合いなんて本当にあるのか。陸上自衛隊の生き残りにすぎない。冷戦当時の大規模侵攻に備えた戦車、大砲を捨てることもせず、手を広げている」(東京新聞7月6日)と批判している。
「ドーン・ブリッツ」のサンクレメント島はカリフォルニア州。習近平・オバマ会談が行われた同州パームスプリングスとは目と鼻の先。尖閣問題を意識しての軍事演習が、中国首脳の訪米時期に接近して、しかも首脳同士の会談の場所のすぐ近くで行われたのだ。明らかに挑発行為・威嚇行為というべきだろう。同じことを日本がやられたら、黙ってはおられまい。外国との紛争は軍事力の威嚇によってではなく、政治、外交交渉で解決すべきだ。それを、軍事的に威嚇し挑発している。相当に危険だ。
しかも、自衛隊とは軍隊ではなく、あくまでも自衛のための実力部隊である。したがって、外国への攻撃や上陸を任務とする装備や編成はあり得ない。それが、日米合同で強襲上陸訓練が行われている事態を迎えているのだ。「改憲阻止の壁」構築の緊急性を物語っている。
参院選では「海外にまで出て行く国防軍」創設へ道を開く改憲勢力と「憲法9条を守って平和外交」をめざす護憲勢力のどちらを選ぶのか、国民のひとりひとりが選択を問われている。
(2013年7月7日)