国会開会式の怪ー玉座の天皇と平身低頭の議員たち
第184臨時国会は、8月2日に開会、会期は8月7日までである。院の構成だけが行われ、実質的な審議は秋の臨時国会でのこととなる。そこが、改憲・国民審査法・国家安全保障基本法・集団的自衛権に関する政府解釈の変更・秘密保全法等々の本格審議の正念場となる。
注目の参議院憲法審査会の新委員が決まった。総数45人の内訳は以下のとおり。
自民21、民主11、公明4、みんな3、共産2、維新2、社民1、改革1
護憲派は、仁比聡平と吉良佳子の共産2人と、社民の福島瑞穂。この3人の肩に、ずっしりと日本の民主々義が乗っかっている。さぞや重かろう。肩も凝ることだろう。健闘を期待したい。
ところで、2日の開会式の模様が参議院のホームページで閲覧できる。国民の代表が、玉座に着いた天皇に平身低頭している、あの奇妙な光景を。
開会式の主宰は衆議院議長だが、参議院本会議場において行われる。かつて、帝国議会は貴衆両院で構成されていた。天皇の臨席の場は貴族院本会議場の正面壇上とされた。天皇は、統治権の総覧者として、立法の協賛者である帝国議会の各議員を睥睨した。いま、同じ場所が参議院本会議場となり、同じ玉座から「象徴である天皇」が、「主権者である国民の代表」に「おことば」を発している。いったい、敗戦を挟んで、我が国は変わったのか、変わっていないのか。
「国会を召集すること」は天皇の国事行為の一つである。しかし、「国会の召集」は書類に判を押せば済むことで、国会まで出てきて開会式に臨席し「おことば」を述べるなどは憲法に記されたことではない。
天皇の行為には、憲法に厳格に規定された国事行為と、純粋に私的な行為とがある。本来、この2類型しかなく、「おことば」や儀式参加はそのどちらでもない。憲法上の根拠を欠くものである以上、行うべきものではない。
ところが、天皇の国事行為と、純粋に私的な行為とは別に、天皇の「公的行為」という中間領域の範疇を認める立ち場があり、開会式のお言葉はこの範疇に属するものとして行われている。皇室外交や、園遊会の主催、国民体育大会への出席等々も同様。当然に、憲法違反だという批判がある。
日本共産党は違憲論者の代表格。「帝国議会の儀式を引き継ぐもので、憲法の国事行為から逸脱するもの」として現行の開会式を批判し、「憲法と国民主権の原則を守る立場」から天皇臨席の開会式には出席しないとしている。当然のことながら、今回もその原則を貫いている。
憲法上の存在である象徴天皇制を認めない立ち場からではなく、憲法を厳格に遵守する立ち場から、象徴天皇の行動範囲を拡大してはならないとするもの。国民主権の理念からは、国会の開会式に天皇が臨席する必要は毫もない。天皇の臨席は、帝国議会時代の名残でしかないのだ。こんなことは慣習とは言わない。払拭を要するる因習と言うべきだろう。また、開会式直前には、議員が国会正門前に整列して、天皇の出迎えをする慣例もあるのだという。嗚呼、国民主権が泣きはしないか。
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『イザベラ・バードの見たアイヌ』(「日本奥地紀行」より)
7月29日のブログのつづき。
岩木川の支流平川の橋も道路も流され、前進不能になったイザベラは、碇ヶ関(青森と秋田の境、秋田杉の切り出し製材拠点)で4日間を過ごさなければならなかった。その後、何とか無事に、青森に出て汽船に乗り、函館へ渡る。
函館(8月13日)、森、室蘭、苫小牧、平取、その後函館(9月12日)まで戻る旅をする。北海道の南東部海岸沿い部分を少々旅しただけである。とはいっても、道なき道をたどる困難な旅には違いない。
平取ではアイヌの家庭に4日間滞在し、克明なアイヌの生活、文化の観察、聞き取りを行った。言語、食事、衣服(樹皮を裂いて布を織る女性の仕事、毛皮)、家屋、入れ墨、祭祀(クマ祭りなど)、酋長中心の社会生活、結婚(男女の役割)、親子関係、トリカブト毒を使った狩猟(毛皮がほとんど唯一の収入源)など、イザベラの残したアイヌ文化の記録は文化人類学上の貴重なものとされている。
アイヌ人については「(我が西洋の大都会にいる堕落した大衆と較べ)、アイヌ人の方がずっと立派な生活を送っている。アイヌ人は純潔であり、他人に対して親切であり、正直で崇敬の念が厚く、老人に対して思いやりがある。」「清潔ではない。彼らは決して着物を洗わず、同じものを夜昼着ている。私は彼らの豊かな黒髪がどういう状態になっているかと考えると心配である。彼らは非常に汚いと言ってもよいだろう。故国の我が英国の一般大衆とまったく同じく汚い。彼らの家屋には蚤がいっぱいいるけれども、この点では日本の宿屋ほどひどくない。」故国の英国についても公平に言及している。アイヌ人は体格がよく力強いので、一見どう猛そうだが、「その顔つきは明るい微笑に輝き、女のように優しい微笑みとなる」「容貌も、表情も、全体として受ける印象は、アジア的というよりはむしろヨーロッパ的である」としている。それに比して、日本人については「黄色い皮膚、弱々しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きぶり、女たちのよちよちした歩きぶり」と酷評している。その日本人に「先祖は犬である」と言われ蔑まれているアイヌ人は日本政府を大変恐れているが、イザベラは「日本の開拓使庁はアメリカ政府が北米インディアンを取り扱っているより遙かに勝る」と言っている。
また、イザベラはアイヌ人が毛皮を売った収入をほとんど「日本の酒」に変えて、飲んだくれている姿をみて心を痛めている。「アイヌ人が日本人と接触することは有害であり、日本文明との接触によって益するところはなく、ただ多くの損をするばかりであったことは明らかである。」と断じている。日本人と混じって住むものほど、生活は貧しく惨めになっている様が語られている。ただ若者の中には、イザベラに積極的な興味を示し、日本語を解し、断酒を主張する者がいて、未来にほのかな希望が見える。
この平取は、イザベラが訪れた100年後に、アイヌ民族の聖地を守るために、ダム建設反対運動のあった二風谷地区にかさなる。後に参議院議員を務めた、アイヌ人であり、アイヌ文化研究者菅野茂さんが、土地強制収容に反対し、ダム建設差し止め訴訟を提起した地である。ダムの差し止めは叶わなかったけれど、判決はアイヌ民族を先住民と認め、悪法「北海道土人保護法」の撤廃、「アイヌ文化振興法」の制定につながった。
その後のアイヌ民族の運命はイザベラの予感通りになってしまったが、聡明な若者たちの血脈は現在に受け継がれている。アイヌ民族の100年の喪失を引き起こしてしまった日本人は、「過去の歴史を忘れる事」のないように、真実を伝えていかなければならないと思う。
(2013年8月4日)