戦争にならないための一票、その投票先は…
愛読している「毎日・仲畑流万能川柳」。本日、7月の月間大賞が発表となった。
戦争にならないように投票す(東京 かもめ)
簡潔なこの句、なかなかに考えさせる。
ある詩の1節を思い出す。
彼の国が、戦争を始めたので、彼も兵隊になった。(竹内浩三「愚の旗」)
竹内は、1945年4月ルソン島の戦場で23歳の生涯を終えた天性の詩人。この上なくやさしい性格で、このうえなく戦争と軍隊をきらいながら、結局は招集されて戦争に命を奪われた人。いかに個人が「戦争にならないように」願っても、「彼の国が戦争を始め」れば如何ともしがたいことを、身をもって教えている。だからこそ、戦争を始めるような国にしてはならない。今ならできる。その手段は、選挙である。さて、かもめ氏は、どの党どの候補者に投票したのだろうか。
かもめ氏の「戦争にならないように」は、時代の声である。私たちには何の違和感もない。しかし、かつては、そのようなつぶやきすら許されなかった。ましてや、反戦・非戦の党に投票しようという呼びかけの川柳が一般紙に掲載され、賞賛されるなどとは思いもよらなかった。
近代日本の歴史は侵略と戦争の歴史である。明治維新後の内戦が終わると、帝国日本は対外侵略と戦争を重ねた。台湾侵略・朝鮮侵略、日清・日露戦争、第一次大戦参戦、「満州」事変・日中戦争、そして太平洋戦争である。その他にも、北清事変・シベリア出兵・張鼓峰事件・ノモンハン事件…等々。侵略と戦争に明け暮れたと言って過言でない。
政府は「富国強兵」をスローガンとし、すべての国策に軍事を優先させた。国民は「戦争は国富を生む」ものと信じ込んだ。戦争が悪であると語られることはなく、侵略は英雄的行為であると教えられた。国定教科書「国語」の第1頁が、「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」とさえ書かれた。
天皇は統治権と統帥権の主体とされ、「戦ヲ宣シ、和ヲ講ジ」る権限を握っていた。神なる天皇が主導する聖なる戦争に異を唱えることは許されず、敢えてこれを行ったものには、徹底した野蛮な弾圧が加えられた。
しかし、すべては虚妄であった。1945年8月に、累々たる内外の犠牲を代償として、ようやくの平和が訪れた。国民は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」した。
さらに、その憲法には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」 と書き込まれている。8月、改めて背筋を正して精読すべきである。
なにゆえ、日本は遠くない過去に、侵略と戦争に明け暮れたか。民主々義がなかったからであり、人権が確立されていなかったからであり、権力が教育を掌握して国民に軍国主義を鼓吹したからであり、平和を希求する政党や政治勢力の弾圧を合法化したからであり、権力が情報を独占し権力によるマスメディアの統制を許容したからであり、国家神道が国民精神を操作したからであり…。現行日本国憲法は、その反省のすべてを総括するものとして生まれた。まさしく、再びの戦争をなくするための「平和憲法」として制定されたのだ。
その後、68年間、日本は戦争を起こしていない。自衛隊はできたが、政府解釈によっても外国での戦闘行為は禁じられ、一人の「敵」兵を殺したことも、殺されたこともない。平和憲法が存在したからこその平和であったと言って良い。
ところがいま、政権与党は、その平和憲法を改悪しようと躍起になっている。天皇を元首化し、国防軍と軍法会議を作り、表現の自由ほかの人権を抑制しようとしている。情報を独占して、再び心おきなく戦争のできる国作りを目指しているのだ。集団的自衛権の容認、秘密保全法の制定、敵基地攻撃能力と海兵隊機能の整備、そして国家安全保障基本法の制定、武器輸出三原則のなし崩し空洞化…、すべてが戦争の準備ではないか。
本日の毎日に、安倍晋三が地元の山口県長門市でこう語って、「より踏み込んだ表現で改憲への意欲を表明した」と報じられている。
「将来に向かって憲法改正に向けて頑張っていく。これが私の歴史的な使命だ」「厳しい批判も恐れずに決断しなければならない」「私はまだ志を果たしたわけではない。これからが私の仕事の正念場になってくる」
舌足らずを補って翻訳すれば、彼のホンネは次のとおりである。
「私の志は、日本の文化伝統歴史を取り戻すこと。そして、強い軍事大国日本を取り戻すこと。具体的には、天皇を戴く日本という国家体制を整備し、国防軍をつくって他国の侵略を防ぐだけでなく、場合によっては敵地に攻め込んで敵を殲滅するだけの強力な戦力をもとうということだ。それこそが平和を守る抑止力になるのだ。その国作りのためには、反戦だの平和だのと言う、不埒な連中をのさばらせない法整備が必要だ。マスメディアに勝手なことを言わせておいてはならない。教育にもきちんと目を光らせて、まずは国旗国歌への忠誠を教え込まなければならない。もちろん、戦争準備は、極秘に進めなければならないから、秘密保全法が必要だし、当面はアメリカと一緒になって戦争するのだから、集団的自衛権容認の解釈変更も喫緊の課題だ。最終的には、憲法96条を改正して、その先9条を変えなければならないが、なかなか道は遠い。
幸い選挙戦術がうまく当たり、かなりの国民をアベノミクスの疑似餌で釣ることができたし、右翼国民の支持を得て、参院選では勝てたが、まだまだ志を果たしたわけではない。
これからが、戦争のできる国作りのための私の仕事の正念場になってくる。一路戦前の軍事優先国家を目指して断固勝ち抜く、これが私の歴史的な使命だ。厳しい批判も恐れずに決断していく覚悟なのだ」
月間大賞のかもめさん、平和を願う一票はまさか自民党への投票ではなかったでしょうね。「改憲3人組」の維新やみんなの党へもダメですよ。その票を最も有効に平和に役立てたいのなら、戦前から野蛮な弾圧に屈することなく反戦平和の主張を貫いてきた、日本共産党への投票が正解だったと思います。
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『同行二人ーイザベラと伊藤』
イザベラ・バードは「日本奥地」へ行くときに、召使い兼通訳を募集し18歳の日本人青年「伊藤」を選んで連れて行く。面接の日、何人かの見栄えのよい応募者の最後に、なんの推薦状ももたない頑健そうながに股の若者がやってきた。容貌はハンサムなところは全くない。一見愚鈍そうだが、目つきにはしこそうなところがみえる。イザベラが彼を雇うことにすると、思いがけなくも伊藤は「約束の給料に対して、神仏に誓って忠実に仕える」と書いた契約書を作ってきた。イザベラもこれに署名する。
旅行の準備をテキパキ行い、役どころを心得た行動をする伊藤に、イザベラは一安心する。旅のはじめに、「この先3カ月間、彼は守り神として、あるいは悪魔として一緒にいることになる」と言っている。幸いに、彼は守り神であって悪魔ではなかった。
1ヶ月半もするとイザベラは「日ごとに彼を頼りにしているように思う。夜になると彼は、私の時計と旅券、金の半分を預かる。もし彼が夜中に逃亡したらどうなることだろうかと、時々考える」ほどになる。
伊藤は、毎日日記を細かくつけて、イザベラに読んで聞かせる。宿泊と運行、請求書と受取書を整理する。駅逓係や警官から必要な情報を集めて記録する。外国人に臆さず、遠慮しない。酒は飲まず、給料の大部分を母親に送る。英語はメキメキ上達し、上品な語彙か、俗語か、口語か、しっかり確かめ、メモをとる。礼儀作法をたしなめると、少しも怒らず、態度を改めますと答え、「しかし、私はただ宣教師のまねをしただけです」とケロリとしている。
伊藤自身も初めて見る、地方住民の貧しさや服装について、「こんな場所を外国人に見せるのは恥ずかしい」と恥じ入る。村長や病院や師範学校などを訪問するときは、通訳官として正装する。イザベラが礼儀に叶った行動をするよう注意して、侮られたり、笑いものにならないようにと気を遣う。
3カ月間の旅が終わったときは、「たいへん残念であった。彼は私に忠実に仕えてくれた。最後の日にもいつものように私の荷物を詰めるといってどうしてもきかず、私の身の回りの品物をすべてキチンと片付けてくれたのだが、彼がいないと、もうすでに私は困ってしまっている。」と別れを惜しんでいる。また、「伊藤は去る前に、私に代わって室蘭の長官宛てに一通の手紙を書いてくれた。人力車の使用その他私に親切にしてくれたことに対する礼状である。」と結んでいる。47歳の婦人と18歳の青年の3カ月は、いつか、母親と息子のような関係を作っていたのかもしれない。
この青年のフルネームは伊藤鶴吉。後に、横浜通訳協会会長となり、通訳の第一人者として活躍したということぐらいしか分かっていない。詳細につけていた日記が見つかったら、たいへん面白いものだろう。イザベラとは違った、若い日本人の「日本奥地」見聞録となっていようし、外国人女性への感想も興味深い。もしかしたら、こんなことが書いてあるかも知れない。
「最初は、身体が弱いくせに、困難なところへばかり行きたがる、口うるさくて我が儘なおばさんにはうんざりだと思ってた。それに、女なんて知能が低いんだと軽蔑もしていたけど、どうしてどうして、なかなかたいしたもんだよ。いや、すごいと言ってもいいんじゃない。知らない土地で、言葉もわからないのに、よくやるのには感心。ついつい、悪い人から守ってやらなきゃというだけでなく、この人の役に立ってあげたいという気持になっちゃったよ」
(2013年8月13日)