共産党と市民運動ー新たな共同のあり方
村岡到という不思議な御仁に最近知り合った。同年配だが、どうラベルを貼ったらよいのか良く分からない。ご自分では肩書を「社会主義者」「雑誌編集者」としているが、人からは、社会評論家、運動家、思想家とも呼ばれているようだ。いくつもの市民運動を主宰する立場で、一昔前の言葉だが「奔走家」というのが似つかわしい。
この人が「活憲左派の共同行動をさぐる」とのテーマで集会を企画している。その集会に昨年の東京都知事選の私的な総括について報告を求められた。この人が企画する集会なら枠を嵌められることなく、遠慮なくものが言える雰囲気になるのだろう。食指は動いたが、残念ながら日程の都合が付かない。
何度かいただいた企画への参加要請連絡に、参院選後の状況についての村岡見解をまとめた文章が添えてあった。論旨は、選挙で躍進した共産党は、「自共対決」が鮮明になった状況の中で重大な責務を負っている、というもの。示唆に富むもので、ほとんど異論がない。
村岡さんは、予てから「社・共・新左翼の共同行動」提案者だそうだ。「共産党への投票」を呼びかけてきたともいう。その立場から、今回選挙の「共産党の躍進」を、ややほろ苦く「歓迎すべきこと」と肯定評価する。
『(参院選の結果は)或る意味では「共産党の勝利」として喜ぶこともできる。だが、誰に勝利したのか。自民党に勝利したと思う人はいない。戦後一貫して対立・抗争してきた社会党・社民党や新左翼に対しては「勝利」した。長年の抗争は決着がついたとも言える』という。私も、そのとおりだと思う。
続けて彼は言う。
『この「勝利」によって、共産党はかつてない重大な責務を負うことになった。共産党は、社会党・社民党や新左翼に期待を寄せた多くの人びとの願いと要求をも代弁して、ともに実現する、さらに広く視野を拡げ、大きな度量を発揮しなければならない。そのためには、自らの弱点や限界についても真摯に向き合い、克服することが不可欠の課題である』
『安倍晋三政権による改憲策動に対して、恐らく次の結節点となる2016年の参院選挙(総選挙とのダブル選挙の可能性も高い)に向けて、共産党との協力を明確にした〈活憲左派〉の共同行動を真剣に追求しなければならない。共産党もその方向で脱皮することが強く求められている』
〈活憲左派〉とは、聞き慣れない言葉だが、言わんとするところは良く分かる。「護憲」というスローガンは余りに受動的で消極的ではないか、「現行憲法典を改悪から擁護する」にとどまらず積極的に活用して実効あるものとして社会に定着させる運動をこそ目指すべきだ、というものであろう。「左派」とは、そのような課題を担うことを意識している「社会党・社民党・新左翼」支持者を指すと思われる。
ここでは、民主党や生活の党、緑の風などという「保守諸党」は、共闘・共同運動の対象としては出てこない。「勝つためには、右にウィングを広げなければ」というさもしさがない。この点、清々しささえ感じさせる。
そして、共闘・共同運動の基軸になるテーマは、〈活憲〉すなわち「憲法問題への姿勢」である。原発でも貧困問題でも、あるいはTPPでもオスプレイでもない。やはり憲法という総括課題なのだ。派生的にはすべての個別課題を含むテーマとも言える。
村岡さんの共産党へのスタンスは、「概ね賛意と敬意を表するが、批判と注文を忘れない」というもの。共産党への不満点と、注文とが具体的に書き連ねられている。この点も、当然といえばあまりに当然。
私も似たようなもの。日本共産党には大いに敬意を表するが、「無謬の党」であるなどという幻想は毛ほども持たない。信仰ではないのだ。また、共産党が個人崇拝とは無縁であるからこその支持でもある。さらに、基本的人権や民主主義の諸原理を徹底して尊重し擁護する姿勢に共鳴しての支持・支援なのだ。日本国憲法を護り生かす立ち場において、理論と実践的に、最も優れた政治勢力としての信頼に基づく支持・支援である。
村岡さんの意見に表れているとおり、参院選の結果を経て、共産党の権威が飛躍的に高まった。今後の革新共闘(ないし共同行動)の図式も自ずと変らざるを得ない。あらゆる個別課題について、共産党と市民運動との新しい形の連携の模索が試みられ、定着していくことになるだろう。その集積として、新たな形の選挙共闘が試みられることになる。
市民運動がその個別要求をもって積極的に共産党に接近し、議会内外での運動を共にすることの活発化が大いに期待される。市民運動は、要求を獲得するために政権党に擦り寄るよりは共産党を強くする選択肢を現実性あるものとして意識することになるだろう。村岡意見に述べられているとおり、共産党は、独善に陥ることなく、市民運動を尊重しつつ各分野の個別課題において市民との連携を深める努力を尽くさねばならない。
共産党自身は、今回の選挙結果を「第三の躍進」と言っている。第一の躍進、第二の躍進が、どのような攻勢に曝されて退潮に至ったか思い起こしての予防措置が必要である。これから大規模な反共宣伝・反共攻撃が予想される。そのとき「自らの弱点や限界についても真摯に向き合い、克服」しておかなければ、「第三の退潮」を招きかねない。具体的な課題は、市民運動との緊密な連携である。そのことを通じて、反共宣伝を跳ね返すだけの世論を形成しなければならない。
今回参院選の結果は、自民圧勝による閉塞感ばかりではない。着実に新たな希望の芽吹きも感じられる。
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「セミ」につづいて「蚊」
都心ではあるが、ここ本郷の界隈に「セミ」と「蚊」はそれこそ佃煮にするほどたくさんいる。セミなら「自然がいっぱい」などと気取ってられるが、蚊の方は対応がたいへんだ。「日本奥地紀行」のイザベラ・バードも蚊と蚤には、終始悩まされ、蚊帳と蚤取り粉は必需品だった。蚊に刺されてもかゆいだけなら「30分の我慢」ですむが、本当に怖いのは日本脳炎やマラリア。
現代日本ではマラリアは撲滅されたが、明治時代には、とりわけ北海道の開拓地などでは、土着マラリアでたくさんの死者が出ている。古く、「瘧(おこり)」といったのはマラリア熱であったようだ。太平洋戦争中に、栄養失調や負傷して弱った日本兵が、マラリアに罹って、ガダルカナルで1万5千人、インパールで4万人、ルソンで5万人もが死亡したといわれている。どうにか帰還した兵士のなかにも、戦後長い間、マラリアの治療に悩んだ人がたくさんいた。
「蚊」をあまく見てはいけない。現在でも世界中では年間累計8億人がマラリアに罹り、100万から150万人が死亡している。マラリアのワクチンは存在しない。マラリアにも色々な種類があり、マラリア原虫は日々耐性を強め、抗マラリア剤が効かなくなってもいるらしい。
そこで、マラリア原虫を媒介するハマダラカを退治すればいいと誰でも思いつく。しかし、蚊はゴキブリと同じく中生代からしぶとく生き続け、人間様の「蚊」撲滅研究はいまだ効果をおさめていない。「蚊」は、地球上北から南まで、どこにでもいる。いない場所は南極大陸だけらしい。世界中で、マラリアだけでなく色々な感染症を引き起こしている。
蚊は、何とか撲滅しようとしてもできない。せいぜい増加を防ぐための消極策しかない。水たまりや低湿地をなくす。「蚊」を食べてくれる小鳥やカエルやトンボ、クモなどの昆虫をふやす。ボウフラを食べてくれるカダヤシ、メダカ、フナなどの魚をふやすなど。殺虫剤を下手に使えば、「沈黙の春」を引き起こしてしまう。
あとは網戸と蚊帳で人間から遠ざける。一番効果的なのは日本の「蚊取り線香」。世界中でひっぱりだこらしい。除虫菊の成分「ピレスロイド」は昆虫には神経毒が作用し、殺虫効果がある。ほ乳類は解毒ができるので、喘息などを患っていなければ、人間には安全とされている。
日本では毎日うんざりするような猛暑が続いている。この調子だと日本は亜熱帯化して、「蚊」の生息条件は改善されて、1年中「蚊」が生息できるようになる。デパート、スーパーマーケット、本屋さんなどじっくり立ち止まって、商品の品定めが必要な場所に行くには、携帯用蚊取り線香が必需品になる日も遠くない。とりわけ古書店は、蚊取り線香の臭いでむせることになるだろう。
(2013年8月12日)